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カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモの歌手たち 518 サンティ-ノ・ロッケッティ (イ・ロッケッティ) 1

サンティ-ノ・ロッケッティ (vm) Santino Rocchetti

1946713日ローマの北西100kmにある海沿いの町モンタルト・ディ・カストロ(Montalto di Castro (Viterbp)) 生、歌手、作詞・作曲家、バンド、ロケッティ(Rokketti)リのーダー。

 

                            Santino Rocchetti

 

活動期間1961 – 現在

所属レコード会社 CDB, ARC, CBS, Philips, Fonit Cetra, SIF, Duck Record

サンレモ音楽祭出場3回:1976年参加、77年入賞、78年6位

サンレモ音楽祭出品2曲:77年入賞、78年6位

 

 

 サンティ-ノはリズムを&ブルースが好きで、しかも彼の声はしゃがれていて、ブラック・ミュージックを歌うのに適していました。お話は彼らモンタルト・ディ・カストロ兄弟が故郷の近くでバンドを結成する所から始まります。

 

 1958年チヴィタヴェッキア(Civitavecchia)でマリオと サンティイーノのロケッティ兄弟がロケッティ(I Rocchetti))というバンドを結成しました。

 

結成時メンバー構成

・マリオ・ロケッティ (Mario Rocchetti) (1958 - 1967)ヴォーカル、ピアノ

サンティーノ・ロケッティ (Santino Rocchetti) (1958 - 1969) ヴォーカル、ギター

・ブルーノ・コルベッリ (Bruno Corbelli) (1958 - 1959) テナー・サックス

・ジュゼッペ・モスカローリ (Giuseppe Moscaroli) (1958 - 1962) ピアノ

・エンツォ・ガッリ (Enzo Galli) (1958 – 1962) ヴォーカル、ドラムス

 

 マレンマ・トスコ・ラツィアーレでいくつかのショーを終え、59年初頭ローマの「フロリダ」と契約が出来ました。ここで出演中に北欧公演のオファーを受け、バンド名をイタリア語「cche」の綴りでなくチョット英語風の「kke」にしたのがミソでした。

 この頃にテナー・サックスのブルーノ・コルベッリがジャンニ・ボラヴェラに代わり、アダルベルト・ヴェンチュリーニが新たに加わりました。

 

59年加入メンバー

ジャンニ・ボラヴェラ(Gianni Bonavera) (1959 - 1969) ヴォーカル、サックス、ギター

アダルベルト・ヴェンチュリーニ (Adalberto Venturini) (1959 - 1960) ヴォーカル、ベース

 

 60年さらに北欧・ドイツ・ツアーの際に再度メンバー・チェンジが有りました。

 

60年加入メンバー

マリオ・パパロッツィ (Mario Paparozzi) (1960 - 1969) ヴォーカル、鍵盤楽器

 

 

 音楽性の高さでこのツアーは6年間続けられました。62年ハンブルクのスター・クラブ(Star Club)で彼らが“Blau Peter”を演奏した時、興味深く聴いていたイギリスのグループがいました。彼らは数か月後ビートルズ(TheBeatles)として“ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)”でレコード・デビューします。この頃にジュゼッペ・モスカローリとエンツォ・ガッリが脱退し、ジョルジョ・グランディが参加しました。

 

62年加入メンバー

ジョルジョ・グランディ (Giorgio Grandi) (1962 - 1965) ヴォーカル、ドラムス

 

 65年長い北欧・ドイツ・ツアーを終え、イタリアに戻ります。ツアーで出会った17才のドイツ人ドラマー、タッシロ・ブルカルドがジョルジョ・グランディと交代しました。

 

65年のメンバー構成

・マリオ・ロケッティ (Mario Rocchetti) (1958 - 1967)

・サンティーノ・ロケッティ (Santino Rocchetti) (1958 - 1969)

・ジャンニ・ボラヴェラ(Gianni Bonavera) (1959 - 1969)

タッシロ・ブルカルド (Tassilo Burckard) (1965 - 1969) ヴォーカル、ドラムス

・マリオ・パパロッツィ (Mario Paparozzi) (1960 - 1969)

 

 65年に設立されたばかりのマイナー・レーベルCDBと契約が出来、やっとレコード・デビューをしました。デビュー曲は映画「その男ゾルバ(Zorba)」の“ゾルバの踊り”でヴォーカルのない演奏曲でした。

 

DB-1072 (1965 CDB – CDB Italiana) Zorba's Dance (ゾルバの踊り)/Il Settebello

DB-1072DB-1072  DB-1073DB-1073

DB-1073 (1965 CDB – CDB Italiana) Chi Vince In Me (Love So True)/Good Bye My Love (グッドバイ・マイ・ラヴ)

 

 2枚目A面が日本では余り馴染みのない“インド・ロック”のティールマン・ブラザーズ(Tielman Brothers)が歌った“Love So True”のカヴァーです。

 インド・ロックとは蘭領東インド(インドネシア)で欧州人と現地人の混血児たちが作ったロック・ン・ロール音楽で、宗主国のオランダでは一つのジャンルが出来、オランダ、ドイツで大流行しました。B面はサーチャーズ(The Searchers)の“グッドバイ・マイ・ラヴ”をカヴァーしています。

 

 CDBとは一旦契約が切れたようで、CBSからA面がミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff)のデビュー曲“ノンノン人形(La poupée qui fait non)”のカヴァー。

 B面がJahkingさんのブログJahkingのエサ箱猟盤日記」~ハ・ハ・ハと木登りハンキーと亀さん達によれば『ヒューイ・スミスの"Don't You Just Know It"アーサー・コンレイが歌ったオーティス・レディング作の"Ha Ha Ha!"を合体させてよりファンキーに仕上げた"Ha Ha Ha"のヒットで日本では知られるシカゴ出身マウス(モウズが正しい?)。』という代物のカヴァー、イタリアではScreaming Lord Sutchが“歌うDon't You Just Know It”とされていました。日本ではリンド&リンダースがさせたのでご存じの曲かもしれません。

 

2427(CBS) (1966 CBS – Messaggerie Musicali) Una Bambolina Che Fa No, No, No (ノンノン人形) [Michel Polnareff]/Ha, Ha (Ha Ha Ha) (ハ・ハ・ハ) [The Mauds; cf.]

                        2427(CBS)2427(CBS)

 

SA- 9 (1966 ARC – RCA Italiana) Una serata al Piper

52OSM- 104 (2015 On Sale Music - On Sale Music) CD Una serata al Piper

Wolly Bully (ウーリー・ブーリー) [Sam the Sham the Pharaos]

. Candy Man (キャンディ・マン) [Roy Orbison]

SA- 9SA- 9  52OSM- 10452・OSM- 104

 

 66年ローマのパイパー・クラブでのライヴ風仕立てのスタジオ録音盤に2曲収録されました。収録はARCのマイク・リデル&アトミ(Mike Liddell & Gli)とCDBのデルフィーニ(.I Delfini)、ジャガーズ(.I Jaguars)とロケッティで各2曲入っています。

 

 CBSのコンピ盤はチンクェッティなどその時にヒットしていた曲を集めた「I Super Super」に1曲“ノンノン人形”のカヴァーが入れられました。

 

62874(CBS) (1966 CBS – Messaggerie Musicali) I Super Super

. Una Bambolina Che Fa No, No, No (ノンノン人形) [Michel Polnareff]

62874(CBS)62874(CBS)  LDB-3002LDB-3002

LDB-3002 (1966 CDB International – CDB Italiana) Per voi giovani

. Il Settebello

 

 CDBのコンピ盤「Per voi giovani」にも1曲収録されました。

 何とした事か!デビューしたCDBのオーナーのカルミネ・デ・ベネディクティス(Carmine De Benedictis)に再発見され、ロケッティはCDBに出戻りました。

 

 この頃に理由不明ですがマリオ・ロケッティが脱退し、レンツォ・マッサレッリ、ジャンフランコ・チェチェレが加入します。

 

67年のメンバー構成

・サンティーノ・ロケッティ (Santino Rocchetti) (1958 - 1969)

・ジャンニ・ボラヴェラ(Gianni Bonavera) (1959 - 1969)

・タッシロ・ブルカルド (Tassilo Burckard) (1965 - 1969) ヴォーカル、ドラムス

・マリオ・パパロッツィ (Mario Paparozzi) (1960 - 1969)

・レンツォ・マッサレッリ (Renzo Massarelli) (1967 - 1968) バリトン・サックス

・ジャンフランコ・チェチェレ (Gianfranco Cecere) (Cantagiro 1967) ギター

 

 CDB復帰1枚目はピエロ・ウミリアーニ(Piero Umiliani)作曲の“Black Time”は67年カンタジーロ・ジローネC出場曲で、英語版とイタリア語版があります。ロケッティとして一番成功した曲です。またB面はデル・シャノン(Del Shannon)の“街角のストレンジャー”のカヴァーです。

 

DB-1101 (1967 CDB – CDB Italiana) Black Time [in inglese]/ L'Amaro In Bocca (Stranger In The Town) (街角のストレンジャー)

DB-1101 (1967 CDB – CDB Italiana) Black Time [in italiano]/ L'Amaro In Bocca (Stranger In The Town) (街角のストレンジャー)

             DB-1101a DB-1101 DB-1101b

 

 “Black Time”は67年製作スペイン・イタリア合作映画「L'Uomo Dal Pugno D'Oro」にも使われ、映画のサントラ盤として再発売、B面は同じくウミリアーニ作曲の映画「The Man With The Golden Hand」のモチーフ“Mr. Gold”を収録しています。

 

CDBE-003 (1967 CDB – CDB Italiana) Black Time [西伊映画L'Uomo Dal Pugno D'Oro]/Mr. Gold ["The Man With The Golden Hand"]

CDBE-003CDB・E-003 DB-1116DB-1116

DB-1116 (1967 CDB – CDB Italiana) Ti Rivedrò Tra Gli Angeli/ Non Ti Fermare Mai (You Got What It Takes) (青空の恋)

 

 続いて出されたシングルは両面ともカヴァー曲なのですが、A面の“Ti Rivedrò Tra Gli Angeli”がどうしてもわかりませんでした。B面はデイヴ・クラーク・ファイヴ(The Dave Clark Five)の“青空の恋”がオリジナルです。

 

 68年に出した“Due Ali Nel Cuore”が彼らの最後の盤となりました。売れなかったのかジャケット画像が手に入りませんでした。69年ロケッティは解散します。その理由は分かりません。

 

DB-1142 (1968 CDB – CDB Italiana) Due Ali Nel Cuore/Sei Tu

               DB-1142NO IMAGE-WANTED

 

 フランス版リズム&ブルース歌手でもあるニーノ・フェレール(Nino Ferrer)がイタリアで製作したアルバム「Rats And Roll's」にドラムスのタッシロ・ブルカルドと共に参加します。

 

RIVLP-80O16 (197010 Riviera - SIF) Nino Ferrer ‎– Rats And Roll's

.Reminiscenza

.Fratelli E Cosi’ Sia

.Play Boy Scout

.Canapa Indiana

.Povero Cristo

.O Mangi Questa Minestra O Salti Dalla Finestra

.Meglio L’Amore Che Guerra

.Pour Oublier Qu'on S'est Aimés

.La Pelle Nera

10.Ol’ Man Riv

RIVLP-80O16RIV・LP-80O16  RARNP-77538RAR・NP-77538

RARNP-77538 (1970 Rare - SIF) Bahia/Ciao, Devo Andare [Anna Maria Baratta]

 

 「Rats And Roll's」のセッション・メンバーでアンナマリア・バラッタのバックを付けたり、ガッティ・ロッシのシングルの製作にも参加しました。

 

6025-076 (1972 Philips – Phonogram) E Dire Che A Maggio/Se Ne Va [con i Gatti Rossi]

               6025-0766025-076

 

 次回はソロ歌手サンティ-ノ・ロッケッティのお話です。

 

 

 

 

サンティ-ノ・ロッケッティは次回に続きます


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☆サンレモの歌手たち 517 エツィオ・ピチョッタ、 ドゥルピ 2

エツィオ・ピチョッタ (vm) Ezio Picciotta

本名エツィオ・マリア・ピチョッタ (Ezio Maria Picciotta) 1952624日ローマ生、歌手、作曲家。

 

                                  Ezio Picciotta

 

活動期間1976 – 現在

所属レコード会社:RCA ItalianaFonit Cetra, LupusBlitz

サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加、

サンレモ音楽祭出品1曲:1976年参加

 

 

 法律学校の学生で歌が趣味だったエツィオの夢は歌手でした。1976年サンレモ音楽祭の出場曲“凡人”を歌うことで実現しますが入賞は出来ません。この年にはダリオ・ファリーナ(Dario Farina)と共作いた“夜の静けさ(Dove, Come, Quando)”がオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)のアルバム「ヴァノ-ニ讃歌(Più)」に収録され、ライターとしての才能が先行しました。

 

TPBO-1200 (1976 RCA Italiana - RCA Italiana) Uomo qualunque (凡人)/Ero libero

TPBO-1200TPBO-1200  SPF-31330SPF-31330

SPF-31330 (1978 Fonit - Fonit Cetra,) Dio Che Cosa Non Farei.../Cantando

 

 78年サンレモ音楽祭の登竜門カストロカーロ新人コンテストで優勝します。サンレモ出場経験者がサンレモ出場権を得られるカストロカーロで優勝したのは前代未聞の事でした。

 

 この優勝でフォニットからフランコ・ミリアッチのプロデュースした“Dio Che Cosa Non Farei”で再デビューし、この曲が小ヒットして彼の代表作になります。この年リッキとポーヴェリ(Ricchi e Poveri)のユーロヴィジ・ソング・コンテスト出場曲“Questo Amore”をファリーナたちと共作しています。

 

 79年にはヴァノーニのアルバム「ヴァノ-ニ讃歌」のプロデューサーをしたジピー&ジピー(Gepy & Gepy)のアルバム「Body To Body」にも楽曲を提供しました。

 

 81年にファリーナと共作でフリオ・イクレシアス(Julio Iglesias,)に“素敵に酔わせて(Si, Madame)”も提供しています。

 

 83年久々に作詞家で歌手のフィランコ・カリファーノがオーナーのレコード会社ルパース(Lupus)からシングル盤を出しました。

 

LUN-4942 (1983 Lupus Dischi Ricordi) Affari Di Cuore/Schiavo

LUN-4942LUN-4942  BLZ-0020BLZ-0020

BLZ-0020 (198?Blitz - Interbeat) Il Problema È L'Amore/Na Na Nu Na [come Picciotta]

 

 80年代と思われますが、インタービートのサブ・レーベル、ブリッツからディスコ系の曲をピチョッタ名義で出しています。

 

 彼は喉を痛め歌手活動を断念していたようですが、活動を再開し2012年末自作自演の曲をYou-Tubeにアップしています

 

 

エツィオ・ピチョッタの国内盤はありません、以上です。

 

 

 

ドゥルピ (vm) Drupi

本名ジャンピエロ・アネッリ(Giampiero Anelli) 1947 810日、ミラノの南近郊の小都市パビア(Pavia)生、歌手。

 

                    RB-228RB-228       

 

活動期間1967 – 現在

所属レコード会社

サンレモ音楽祭出場8回:1973年参加、76年6位、82年第3位、84年8位、85年12位、88年20位、92年13位、95年16位

公式サイトwww.drupi.it

 

 75年フェスティヴァル・バール出場に“ふたりの青春(Due)”で優勝し、年間ヒット・ランク21位、サード・アルバム「Due」も年間ベスト・アルバム21位のの大ヒットになりました。

 

 その勢いで76年サンレモ音楽祭は“サンバリオ”が6位入賞、年間ヒット・ランク51位とまずまずの成績でした。

 

SRL-10792 (19762 Dischi - Dischi Ricordi) Sambariò (サンバリオ)/Aiutami (わかっておくれ...)

SRL-10792SRL-10・792  SMRL-6184SMRL-6184  

SMRL-6184 (1976 Ricordi – Dischi Ricordi) Drupi

.Non Sei Più Tu (変わってしまった君)

.Io Sto Bene Insieme A Te (君のそばで)

.Aiutami (わかっておくれ...)

.E Già... (すでに...)

.Send Me Some Lovin' (愛しておくれ)

.L'Albero (立木)

.Voglia Di Te (君に首ったけ)

.Lucille (ルシール)

.Veccia Mia (私の老いし人)

10.Non Vivo (私は生きてゆけない)

11.Sambario' (サンバリオ)

12.Parlavo Sognavo ()

 

 “サンバリオ”の成功で4枚目のアルバム「Drupi」が出、日本でも「サンバリオ/ドゥルピ(LA VISIERA SI INDOSSA!)」として発売されます。

 

 秋9月に出た76年2枚目のシングル「Bella Bellissima」は大きなヒットとはなりません。

 

SRL-10823 (19769 Dischi - Dischi Ricordi) Bella Bellissima/Non Sei Più Tu (変わってしまった君)

SRL-10823SRL-10・823  SRL-10841SRL-10・841

SRL-10841 (1977 Dischi - Dischi Ricordi) Come Va77#72/Tutto Bene

 

 77年のシングル“Come Va”は年間ヒット・ランク72位になりました。しかし順位は少しずつ下がっていきます。

 

 “Come Va”の収録された5枚目のアルバム「Di Solito La Gente Mi Chiama Drupi」を出し、その中の“Vita Di Mare”はTV番組「Azzurro Quotidiano」の主題歌でシングル・カットされました。

 

SMRL-6211 (1977 Ricordi – Dischi Ricordi) Di Solito La Gente Mi Chiama Drupi

.Vita Di Mare

.Come Va...

.Bella Giornata

.Due Corpi

.Qualcosa Cambierà

.Canto Per Te

.Con Fantasia

.E Io

.Tutto Bene

10.Piu Anima

11.Che Posto E

SMRL-6211SMRL-6211  SRL-10851SRL-10・851

SRL-10851 (197710 Dischi - Dischi Ricordi) Vita Di Mare/Due Corpi

 

 77年でリコルディを退社し、76年にドゥルピ自身と、作詞家ルイジ・アルベルテッリ(Luigi Albertelli)、作・編曲家エンリコ・リッカルディ(Enrico Riccardi)の3人で設立したレコード会社レアル・ミュージック(Real Music)に移籍しました。

 

 新会社の第一弾はシングル盤“Provincia”と同名のアルバムの発売でした。

シングル盤は78年年間ヒット・ランク90位、アルバムは同年年間ベスト・セラー72位と両方ともにランク・インし面目を保ちましたが、決して芳しい成績と言い難いものでした。

 

RM-18000 (19784Real Music - CGD Messaggerie Musicali Provincia/Piero Va

RM-18000RM-18000  RML-58000RML-58000

RML-58000 (1978Real Music - Messaggerie Musicali) Provincia

RB-228 (1979 Record Bazaar - CGD Messaggerie Musicali) Drupi ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

.Provincia

.Io Non Sono Mai

.Un'Onda

.Osteria Tre Re

.Vendo Tutto

.Piero Va

.Gente

.Non E Gran Che

.Ubbbriaco

10.E Cosi Comincio

 

 レアル・ミュージックの第二弾は76年からRAI1で放送が始まった日曜午後の超ワイドTVヴァラエディ番組(現在も放送が続く長寿人気番組)「ドメニカ・イン(Domenica in)」のテーマ・ソング“Paese”でした。しかしこれ以降ドゥルピの曲やアルバムがヒット・チャートに入ることはありませんでした。

 

RM-18004 (19789Real Music - Messaggerie Musicali) Paese/Merilù

RM-18004RM-18004  RM-18008RM-18008

RM-18008 (1979Real Music - Messaggerie Musicali) Buonanotte/Giovanna

 

 79年1枚目のシングル盤はルイジ・アルベルテッリの作詞にファブリツィオ兄弟の兄サルバトーレ(Salvatore Fabrizio)が作曲した“Buonanotte”です。

 

 アルバムは「E Grido E Vivo E Amo」のタイトルで先のシングル盤“Buonanotte”2曲が収録され、“E Grido E Vivo E Amo”と“La Più Bella”がシングル・カットされました。ジャケットは舞台写真を使っていますが、スタジオ録音盤です。

 

RML-58001 (1979Real Music - Messaggerie Musicali) E Grido E Vivo E Amo

.La Più Bella

.E Grido E Vivo E Amo

.Io

.Mamma Luna

.Giovanna

.Buonanotte

.Una Come Te

.E La Musica Va

.Marta

RML-58001RML-58001  RM-18009RM-18009

RM-18009 (197910Real Music - Messaggerie Musicali) E Grido E Vivo E Amo/La Più Bella

 

 旧籍リコルディの廉価盤シリーズのオリゾンテから編集ベスト盤「Il Meglio Di Drupi」が発売されました。

 

ORL-8317 (1979 Orizzonte – Dischi Ricordi) 30cm LP Il Meglio Di Drupi

CDORL-8317 (2008Orizzonte – Dischi Ricordi) CD Il Meglio Di Drupi

.Bella Bellissima

.Vado Via (去り行く君)

.Rimani (とどまる想い)

. Sereno È... (青春のささやき)

.Due (ふたりの青春)

.Sambariò (サンバリオ)

.Come Va

.Piccola E Fragile (貧しくはかなく)

.Tutto Bene

10.Vita Di Mare

ORL-8317a ORL-8317b  CD・ORL-8317  

              ORL-8317                              CDORL-8317

 

RM-18010 (1980Real Music - Messaggerie Musicali) Sera/I Capelli Di Armanda

               RM-18010RM-18010

 

 80年シングル盤“Sera”を出します。この頃には恩師ルイジ・アルベルテッリの関係も切れており、ドゥルピはレアル・ミュージックを離れフォニット・チェトラに移籍をします。

 

 レアル・ミュージックはドゥルピ、アルベルテッリ、リッカルディで設立した会社でしたが、作詞、作曲家が関わっていると新人を育てたいという意思が大きく、多製の新人歌手をデビューさせましたが、成功した歌手はおらず、結局はドゥルピのワンマン会社であり、ドゥルピの稼ぎで投資額が回収できない新人歌手に会社の儲けをつぎ込んだ形となり、それぞれの思惑が一致しなくなっていたようです。当然のことながらレコード会社としての運営は行詰まりまり、レアル・ミュージックは80年に閉鎖されました。

 

 

 

ドゥルピの国内盤 

DW-1103 (1975 11 RICORDI - ポリドール) ふたりの青春 (DUE)深夜の水泳 (BAGNO A MEZZANOTTE)

 

DW-1103DW-1103  MW-2168MW-2168

 

MW-2168 (19765 RICORDI - ポリドール) 30cmLPふたりの青春/ドゥルピ (DUE)

.ふたりの青春 (DUE)

.土曜日の夜 (SABATO SERA)

.テントの中で (SOTTO LA TENDA)

.深夜の水泳 (BAGNO A MEZZANOTTE)

.ポー河の彼方に (OLTRE IL PO)

.ささやかな生活 (VIVERE UN PO')

.ツィスト (RIFLESSIONI TWIST)

.本物の君 (SEI VERA)

.眠られぬ夜 (VE-KI)

10.クワンド・マイ (QUANDO MAI)

 

DWQ-6003 (19767 RICORDI - ポリドール) サンバリオ (SAMBARIO)/わかっておくれ... (AIUTAMI)

 

DWQ-6003DWQ-6003  MW-2180MW-2180

 

MW-2180 (197610 RICORDI - ポリドール) 30cmLPカンツォーネ・ヒット大全集Vol.Ⅴ (HISTORY OF GOLDEN CANZONE Vol.Ⅴ)

10.青春のささやき (SERENO E'...)

12.ふたりの青春 (DUE)

 

MWF-1018 (19772 RICORDI - ポリドール) 30cmLPサンバリオ/ドゥルピ (LA VISIERA SI INDOSSA!)

.変わってしまった君 (NON SEI PIU' TU)

.君のそばで (IO STO BENE INSIEME A TE)

.わかっておくれ... (AIUTAMI)

.すでに... (E GIA'...)

.愛しておくれ (SEND ME SOME LOVIN')

.立木 (L'ALBERO)

.君に首ったけ (VOGLIA DI TE)

.ルシール (LUCILLE)

.私の老いし人 (VECCHIA MIA)

10.私は生きてゆけない (NON VIVO)

11.サンバリオ (SAMBARIO)

12. (PARLAVO SOGNAVO)

 

               MWF-1018MWF-1018

 

 

 

ドゥルピ 3は1982年サンレモ音楽祭の後に続きます。


サンレモの歌手たち 516 ヴァンナ・レアーリ、 リッキとポーヴェリ 5

★ヴァンナ・レアーリ (vf) Vanna Leali

1955323日ヴェネチアの北北西120kmトレントの山中の町カヴァレーゼ、芸名ヴァンナ・ヴァーニ(Vanna Vani)も使った歌手。歌手ファウスト・レアーリ(Fausto Leali)は遠い親戚。

 

                        Vanna Leali     

 

活動期間1969 – 現在

所属レコード会社RarePhilips PDUDisco PiùFive (come Vanna Vani)

サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加、

サンレモ音楽祭出品-曲:

公式サイトhttps://plus.google.com/103672355011990867284

 

 

 幼い頃から歌い始め、ピアノ・バーやナイトクラブでも歌います。パリでモデルをした後、セッテヴォーチ等に参加しました。サンレモ音楽祭の司会者でもあるマイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)の紹介でSIFからレコード・デビューが出いたようです。

 

SIFNP-77515 (1969Rare - SIF) L'Amore C'È/Non Mi Va

SIFNP-77515SIF・NP-77515  SIFNP-77519SIF・NP-77519

SIFNP-77519 (1969 Rare - SIF) Guarda/L'Amore C'È

 

 レコード・デビューから6年の空白後、フィリップスから“È Lui”で再デビューしました

 

6025-138 (1975Philips ‎– Phonogram) È Lui/Ci Sarò

6025-1386025-138  DPN-7203DPN-7203

DPN-7203 (19762Disco Più ‎ Dischi Ricordi) Torno A Casa (家に帰る)/La Mia Domencia

 

 新興のディスコ・ピュから76年サンレモ音楽祭に“家に帰る”で出場しましたが、入賞出来ません。

 

 同年ミーナのPDUに移り、“悲しき願い”のイタリア語カヴァー盤“Il Primo Giorno Senza Te”を出しました。多分アニマルズ(The Animals)とでなく当時リバイバルとして流行っていたサンタ・エスメラルダ(Santa Esmeralda)のカヴァーだと思われます。

 

 美人の彼女は翌77年4月のイタリア版プレイボーイ誌に載ります。また5年の空白期間が再び起きています。この間にミーナの元恋人アウグスト・マルテッリ(Augusto Martelli)が作り、イザベラ・ビアジーニ(Isabella Biagini)が出演したミュージカル・コメディ「Biondissimamente tua」にリトル・ルール(Little Loulu)役で出演していました。

 

PA-1118 (197610 PDU ‎– EMI Italiana) Il Primo Giorno Senza Te (Don't Let Me Be Misunderstood 悲しき願い)/Amado Mio

PA-1118PA-1118  FM-13041FM-13041

FM-13041 (1983 Five – CGD) Voglio Qualcosa Di Più/Scandalo [come Vanna Vini]

 

 83年イタリア初の民放TVカナレ5の子会社ファイヴ・レコードと契約します。流石に放送局の子会社、直ぐにTV番組「Il Mio Amico Ricky」のテーマ・ソングをシングル盤で発売しました。この時から芸名をヴァンア・ヴィーニ(Vanna Vini)変えました。

 

 翌84年にはTVカナレ5の人気番組テーマ・曲集にも“Voglio Qualcosa Di Più”が入れられました。

 

FM-13519 (1984 Five – CGD) Five Parade - I Fortissimi Di Canale 5 E Italia 1 [Various]

.Voglio Qualcosa In Più [Vanna Vani]

FM-13519FM-13519  FM-13706FM-13706

FM-13706 (1984 Five – CGD) Vanna Vani ‎– Amami... Pensami [come Vanna Vini]

.Amami... Pensami

.Cieli

.Sulla Pelle Mia

.Ho Deciso Che Resto Con Te

 

 またアメリカTVドラマ・シリーズ「L’Albero Delle Mele (The Facts of Life).」の主題歌“Amami... Pensami”を歌いQ-ディスク(Q-DISC)で発売しました。Q-ディスクとは4曲入り30cm盤でLPより安価で買い易くしたレコード盤です。日本の場合は17cm盤4曲入りの『コンパクト盤』(CD=コンパクト・ディスクではない)があり、同様なものと言えます。

 

 86年“My Story”を出しました。一説にはフェスティヴァル・バール出場曲とされてますがウィキペディ・イタリア版で確認できませんでした。ズッケロ(Zucchero)のプロデューサーのミケーレ・トロペディーネ(Michele Torpedine)がプロデュースしています。

 

FM-13133 (1986 Five – CGD) My Story/Mas Sincero [come Vanna Vini]

FM-13133FM-13133  FM-13169FM-13169

FM-13169 (1987 Five – CGD) Stai Con Me/Marylin

 

 87年最後のシングル盤と思われる Stai Con Me”を出しています。You-Tubeに動画がありました。

 

これ以降の活動は94年ピエロ・カッサーノ(Piero Cassano)とコラボし“Stai con meMarylinを歌い、メッカ-ノ(Meccano)のために“Non ci sarò” Provaci con meを作りプロデュースしたこと。

 RAI3が94年から95年に月~金12時半から14時に放した社会情報番組「Dove sono i Pirenei?」に制作協力した事。

 RAI2のパオロ・リミティ(Paolo Limiti)の番組「Ci vediamo in Tv」にレギュラー出演した事、4年間ローカル音楽番組に出演し、サッカー・チームのブレシア・カルチョ(Brescia Calcio S.p.A)のサポーター・ソングを歌った事など書かれているサイトがありましたが、何れもヴァンナ・レアーリの名前が確認できていません。

 

 2012年にはヴェローナ近郊のラツィーゼ(Lazise)城のお祭りの催し物に出演したり、18年3月には文化イベント『女性のためのレシピ』に出演し、収益は慈善団体に寄付されています。歌手としては至って元気に活動を続けているようです。

 

 

ヴァンナ・レアーリの国内盤はありません、以上です。

 

 

 

リッキとポーヴェリ (coro) Ricchi e Poveri

1968年、ジェノヴァで結成されたコーラス・グループ。当初は男性2人女性2人のクァルテット、81年マリーナ・オッキエーナ(Marina Occhiena:)が脱退後はそのままトリオとして活動を続けます。

 日本語表記はリッキ・エ・ポーヴェリ、リッキ&ポーヴェリ、リッチー&ポーベリー等あります。

 

                          CDP-  404CDP- 404

 

所属レコード会社:CBS/CGDApollo/RCAFonit CetraBaby Records/CGDEMI BMA

アルバム:29 Studio20Live1Raccolte8 (ufficiali)

サンレモ音楽祭出場12:1970位、71位、7211位、73位、7613位、81位、85年優勝、87位、88位、89位、90年入賞、92年参加

オフィシャル・サイトricchiepoveri.com

 

メンバー構成

・フランコ・ガッティ(Franco Gattiヴォーカル、ギター、キーボード、ピアノ:1942年10月4日ジェノヴァ生

・アンジェラ・ブランバーティ(Angela Brambatiヴォーカル:1947年10月20日ジェノヴァ生

・アンジェロ・ソトジュー(Angelo Sotgiu:ヴォーカル、ギター 、サックス:1946年2月22日サルディニア島北部の小さな町トリニータ・ダグルトゥ (Trinità d'Agultu e Vignola)

・マリーナ・オッキエーナ(Marina Occhiena:)ヴォーカル:1950年3月19日ジェノヴァ生、81年脱退

 

 

 76年サンレモ音楽祭出場曲は子供たちと全く別の曲を合体した“二つの物語”という鋭い社会批判の曲でした。アンジェラは数か月後最初の子供を出産しました。

 

 78年4月パリでのユーロヴィジョン・ソング・コンテストに “Questo amore”で出場し12位となります。フォニット・チェトラの廉価盤ペリカーノでアルバム「Ricchi & Poveri」が出ました。代表的な曲が10曲収録され扱いやすかったのかCDされ、また2LP In 1CDシリーズでは「I musicanti(LPX-  46)と合併で2012年にCDとして発売されています。

 

PL-  404 (1978 Fonit Cetra - Fonit Cetra) Ricchi & Poveri

CDP-  404 (1989 Fonit Cetra - Fonit Cetra) CD Ricchi & Poveri ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

5050466-017123 (2003WSM - Warner Strategic Marketing Italy) CD Ricchi & Poveri (*3除外の9曲)

5053105-008155 (2012 Rhino - WARNER MUSIC ITALIA) CD Ricchi & Poveri 2LP In 1CD (LPX-  46 “I musicanti “+ PL-  404” Ricchi & Poveri ”)

1.Questo Amore

2. Un Diadema Di Ciliegie (桜の少女)

*3. Mama

4.E Poi... L’Amore

5.Giorno E Notte

6.Una Musica (あなたは音楽)

7.Mi Manchi

8. Penso Sorrido E Canto (ほほえみに歌を)

9.Caro Amore Mio

10.Musica Musica

PL- 404 5050466-0171・2・3  5053105-0081・5・5     

PL-  404                         5050466-017123            5053105-008155

 

 78年「ほほえみに歌を」というタイトルで2枚組編集ベスト盤を出しました。74年に“ほほえみに歌を”がヒットした後アルバム「ほほえみに歌を」だしています。タイトルだけだと間違いますのでお気を付けください。と言うのも本家本元リッキとポーヴェリのオフィシャル・サイトのディスコグラフィーでも間違えています。

 

DPU-  85 (1978 Cetra - Fonit Cetra) 2LP Penso Sorrido E Canto (ほほえみに歌を)

1-.Penso Sorrido E Canto (ほほえみに歌を)

1-.C'È Una Donna Sola

1-.Dolce È La Mano

1-.Sinceramente

1-.1+2=3 (Power To All Our Friends力をわれらに)

1-.Torno Da Te

1-.C'È Un Poeta In Me

1-.Volo (Cloudsはるかなる愛の道)

1-.Amore Sbagliato

1-10.Grazie Di Tutto (Tell Me Do You Love)

2-.Giorno E Notte

2-.Come Un Idiota

2-.La Vecchina

2-.Che Senso Ha

2-.E Poi... L’Amore

2-.Caro Amore Mio

2-.Una Donna Cambiata

2-.Al Bar

2-.Ricordo Una Canzone

2-10.Chiari Di Luna

DPU-  85DPU- 85  SP-1703SP-1703

SP-1703 (1979 Cetra – Fonit Cetra) Mama/Torno Da Te

 

 79年TV番組「Jet quiz」のテーマ曲“Mama”をアンジェラ・ブランバーティ、アンジェロ・ソトジュー、マリーナ・オッキエーナの3人で作りました。これがチェトラで最後のレコードとなりました。80年に新興のベビー・レコーズに移籍します。

 

 移籍第1弾のアルバム「La Stagione Dell'Amore」と「そして今は」のイタリア語カヴァーをシングル・カットしました。これが4人で歌う最後の盤となりました。

 

BR-50214 (1980 Baby Records – CGD Messaggerie Musicali) E No, E No (Et Maintemant) (そして今は)/La Stagione Dell'Amore

BR-50214BR-50214 BR-56009BR-56009

BR-56009 (1980 Baby Records – CGD Messaggerie Musicali) La Stagione Dell'Amore

RB-356 (1982 Record Bazaar CGD Messaggerie Musicali) Come eravamo *

LSM- 1195 (1985 Music A – CGD Messaggerie Musicali) Come eravamo *

.E No, E No (Et Maintemant) (そして今は)

.La Stagione Dell'Amore

.Jungle Beat

.Walking Love

*.Amare Ricominciare No No No

*.Somebody To Love

*.Piccolina

*.Goodbye My Love

*.What Now My Love (Et Maintemant) (そして今は)

*10.Jungle Beat (Instrumental)

RB-356RB-356  LSM- 1195LSM- 1195

 

 

リッキとポーヴェリの国内盤 

GXF-  8190 (197925 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Box サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)

8-12.ケ・サラ (CHE SARA')

9-.桜の少女 (UN DIADEMA DI CILIEGE)

9-14.愛の果実 (DOLCE FRUTTO)

 

          GXF-  8190GXF- 81~90a

 

 

 

リッキとポーヴェリ6は1981年サンレモ音楽祭の後に続きます


サンレモの歌手たち 515 カルロ・ジッリ、 シルヴァーノ・ヴィットリオ、 パトリツィオ・サンドレッリ

★カルロ・ジッリ (vm) Carlo Gigli

1953322(1951623日説もある) ローマ生、自作自演歌手、作曲家、音楽出版社経営者。

 

                      Carlo Gigli    

 

活動期間1969 – 1979

所属レコード会社Beat, Kansas, RCA Italiana

サンレモ音楽祭出場1回:1976年7位

サンレモ音楽祭出品1曲:自演出場曲1曲

 

 

 カルロ・ジッリはリズム・アンド・ブルースとソウルが好きな少年で、彼の音楽活動は地方のダンスホールでバンドのメンバーから始まりました。

 

 1969年幸運にも日本では映画音楽やサントラ盤で知られたビート・レコードから“Ho Sbagliato Ad Amarti”のシングル盤でデビューし、その晩は後にビート・レコードのディストリビューション元のフォニット・チェトラがフォニット・レーベルで発売を続けました。

                                                                   

F-04 (196910Beat – Fonit Cetra) Ho Sbagliato Ad Amarti/E' Un Bravo Ragazzo

SPF-31257 (1969 Fonit – Fonit Cetra) Ho Sbagliato Ad Amarti/E' Un Bravo Ragazzo

F-04F-04  SPF-31257SPF-31257

 

 経緯は分かりませんが翌70年にカンサス(Kansas)に移籍し、“Ricorderai” を出していますが、これといった成果は出せなかったようです。

 

DM- 1131 (1970 Kansas – Clan Celentano) Ricorderai/Telefona Si, Telefona No

DM-  1131DM- 1131  28006NO IMAGE-WANTED

28006 (1971 Park Records - ) A Casa Mia/Un CuscinoPieno Di Lacrime (come Carlo Gigli e The Tramps)

 

 まったく情報のないレーベルのパーク・レコーズでカルロ・ジッリ&ザ・トランプスとして1枚シングル盤を出した後5年間消息が途絶えました。

 

 76年突然にRCAイタリアーナから“もっと強く”で出場し、7位入賞と好成績を残します。

 

TPBO-1175 (19762 RCA Italiana - RCA Italiana) Più Forte (もっと強く)/La Tempesta

TPBO-1175TPBO-1175  SPF-31332SPF-31332

SPF-31332 (1978 Fonit Fonit Cetra) Sabato, Domenica, Lunedi/L'Ho Fatto Per Amore

 

 そんなカルロですがサンレモ出場後また2年ほど消息が途絶え、78年古巣フォニットから“Sabato, Domenica, Lunedi”を出し、これが最後の盤となったようです。

 

 カルロ・ジッリは歌手を引退しローマでバーを経営しています。

 

 

カルロ・ジッリは以上です。

 

 

 

シルヴァーノ・ヴィットリオ (vm) Silvano Vittorio

195659日にミラノ生、歌手。

                    
                   Silvano Vittorio   

 

活動期間1975 – 1976

所属レコード会社Ricordi

サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加

サンレモ音楽祭出品1曲:

 

 

 1975年、ヒットした外国曲のカヴァー曲でリコルディからレコード・デビューしましたが、この盤に関して一切の情報は見つかりませんでした。

 

 翌75年アンドレア・ロ・ヴェッキオ(Andrea Lo Vecchio)と共作した“ここにおいで”でサンレモ音楽祭に出場しましたが、入賞出来ませんでした。曲は60年代前半から半ばにかけてアメリカのポップス界で流行したようなスチール・ギターを使った曲で、当時ならボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)が歌ったような曲でした。

 

SRL-10794 (19762Ricordi – Dischi Ricordi) Vieni (ここにおいで)/Perdonami ora

                       SRL-10794SRL-10・794

 

 余りにも時代が違っていたようです。サンレモ音楽祭後、引退したようです。

 

 

シルヴァーノ・ヴィットリオの国内盤はありません、以上です。

 

 

 

パトリツィオ・サンドレッリ (vm) Patrizio Sandrelli

1950317 日ローマ生、自作自演歌手。デビュー直後は芸名ジーン・ローマン(Gene Roman)を使いました。

 

                     Patrizio Sandrelli     

 

活動期間1971 – 1979

所属レコード会社 RCA Original CastSmash

サンレモ音楽祭出場1回:1976年14.

 

 

 ウィキペディ・イタリア版ではプロデューサーのフランク・ラブリオーラ(Franco Labriola)によって発見され、ジーン・ローマン(Gene Roman)の芸名でマカロニ・ウェスタン映画「風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー (Trinity Stand Tall (Continuavano A Chiamarlo Trinity))」のグイド&マウリツィオ・デ・アンジェリスが作った主題歌を歌って1971年にデビューしました。

 

 で普通の場合これで済むのですが、パトリツィオ・サンドレッリの場合は少々混みいった状況があります。71年7月1日から3日までの第19回ナポリ音楽祭に本名でジョルジョ・フェッラーラ (Giorgio Ferrara)のパートナーとして“Tu Nun Me Pienze Cchiù”で出場しています。

 

 映画の公開は71年秋(10月)でしたので、ナポリ音楽祭に本名パトリツィオ・サンドレッリで出場した方が歌手デビューとなります。しかしナポリ音楽祭はストライキのため中断し、最終日が行われなかったため優勝、順位が付きませんでした。前年26回サンレモ音楽祭の成功者アンジェラ・ルーチェ(Angela Luce)も出場しており、不成立のナポリ音楽祭出場曲でも彼女クラスになるとレコードを出してもらいましたが、サンドレッリのように新人歌手だとレコードは発売されていないようです。

 まあ映画の封切りが10月だと7月には映画の主題歌は吹込まれていたかもしれませんし、確実にレコードが発売されたのが“Trinity Stand Tall”なのので、これをデビュー曲(レコード・デビュー)としておきましょう。

 

OC-  20 (197110 RCA ORIGINAL CAST - RCA ITALIANA) Trinity Stand Tall (風来坊/ザ・アウトロー)/Remember (come Gene Roman)

LP0M-00745 (2017 Digitmovies ‎– Digitmovies Alternative Entertainment) Trinity Stand Tall (風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー)/Remember (come Gene Roman)

OC-  20OC- 20  LP0M-00745LP0M-007・45

 

 翌72年フランコ・ラブリオーラがローマで設立した会社スマッシュ(後にスマッシュ・オリジナル・キャスト)から2枚目のシングル“Don't Lose Control”を出しました。このレコードも映画「…E Poi Lo Chiamarono Il Magnifico/Man Of The East (自転車紳士西部を行く)」の主題歌で、B面が前作「風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー」と同様に映画の音楽担当がデ・アンジェリス兄弟が自らの演奏曲でした。この映画は日本で劇場未公開、TV放映のみでした。

 

SM-6001 (1972 Smash ‎– CBS Sugar) Don't Lose Control […E Poi Lo Chiamarono Il Magnifico/Man Of The East (自転車紳士西部を行く)/ Tema Di Candida [G. & M. De Angelis E La Loro Orchestra] (come Gene Roman)

SM-6001SM-6001  SM-6002SM-6002

SM-6002 (1972 Smash ‎– CBS Sugar) You and I/Junk

 

 72年スマッシュ2枚目(通算3枚目)のシングルで芸名ジーン・ローマンから本名パトリツィオ・サンドレッリに戻します。作曲はデ・アンジェリス兄弟、作詞は自分ですがペン・ネームでローマンを使っていました。B面の“ジャンク”はポール・マッカートニーの70年のアルバム「マッカートニー」に収録された曲のカヴァーです。

 

 73年ファースト・アルバム「Patrizio Sandrelli」が発売されました。シングル盤で発売された曲に数曲足した10曲入りでした。この頃からレーベル名にオリジナル・キャスト表記が付け加えられます。

 

SM-904 (1973 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Patrizio Sandrelli

.Dimensione Irreale

. You And I

.Morire A Vent'Anni

.Don't Lose Control

.Junk

.When You Call My Name This Way

.L'Oro Del Tuo Grembo

.Un Breve Amore

.Remember

10.Notte Giorno Vita Morte

                                SM-904SM-904

 

 74年に出したシングル盤“Rosa”が息の長いヒットとなり、75年年間ヒット・ランク61位に入りました。このヒットでセカンド・アルバムが発売されます。と言ってもファースト・アルバムの2曲を落として“Rosa”と未発表曲“Gente Umanità”に差替えただけでした。

 

SM-6006 (1974 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Rosa/Don't Lose Control

SM-6006SM-6006  SM-906SM-906

SM-906 (1975 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Rosa

.Rosa

.Gente Umanità

.You And I

.Dimensione Irreale

.Morire A Vent'Anni

.When You Call My Name This Way

.Junk

.Un Breve Amore

.Remember

10.Notte Giorno Vita Morte

 

 75年3月に出した“Fratello In Amore”も同年年間ヒット・ランク62位になりました。(“Rosa”が61位で連続ランク・インと珍しい事が起こりました)

 

SM-6007 (19753 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Fratello In Amore/Piccolo Fiore Nero

SM-6007SM-6007  SM-6008SM-6006

SM-6008 (19762 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Piccola Donna Addio (暁に消えて)/ L'Oro Del Tuo Grembo

 

 この快挙で翌76年サンレモ音楽祭に出場することが決まります。結果は14位入賞となりました。

 

 直ぐに次のシングル盤“A Letto Senza Cena”が出されます。実はサンドレッリの顔写真はこれまでジャケットに使われず、初めて彼の顔が載りました。

 

 ここでお詫びです。2018年9月23日の私のブログでパトリツィオ・サンドレッリとして掲載した顔写真は、次のシングル盤“Brother In Love”から取ったのですが、別人(俳優アレッサンドロ・モモ)の写真でした。謹んでお詫びし、正しい顔写真を訂正掲載した事を報告いたします。

 

SM-6009 (1976 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) A Letto Senza Cena/Senza Di Lei

SM-6009SM-6009  SM-6010SM-6010

SM-6010 (19765Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Brother In Love/Woman's Parfume (Profumo Di Donna)

 

 76年5月に“Brother In Love”を出しました。74年11月に交通事故で亡くなった俳優アレッサンドロ・モモ(Alessandro Momo)に捧げた曲でした。モモは「青い体験」、「続・青い体験」で人気が出てて来たところで、まだ17才でした。この盤を最後にスマッシュも経営に行き詰まり閉鎖されます。

 

 サンドレッリは聞いたこともないティーンというレーベルから78年“Lisa”という曲を出しますが、それを最後に消息がなくなりました。

 

TNI-16000 (1978 Teen - ) Lisa/Gente Umanità

                TNI-16000TNI-16000

 

 

パトリツィオ・サンドレッリの国内盤

GP- 425 (19765 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976)

13.暁に消えて (PICCOLA DONNA ADDIO)

 

                            GP- 425GP- 425

 

 

パトリツィオ・サンドレッリは以上です。


サンレモの歌手たち 514 ヌオーヴァ・ジェンテ 2、 オペラ 2 (ジェンス 2)

1970年、71年にサンレモ音楽祭に出場したジェンス(I Gens)は74年に解散しましたが、その内3人が75年に2つのバンドを結成し、奇しくも76年サンレモ音楽祭に両方のバンドが出場しましたので、一緒にご紹介しましょう。

ヌオーヴァ・ジェンテ (compl) Nuova Gente,{La}

元ジェンスのメンバー2人1975年にトリオのバンドを結成し、翌76年に解散しました。

 

                    Nuova Gente   

 

活動期間1975 – 1976

所属レコード会社 FMA, Durium

サンレモ音楽祭出場1回:1976年17.

サンレモ音楽祭出品1曲:

 

 

メンバー構成

・フィリッポ・ランドロ (Filippo Landro) 194915日シチリア北東部の都市メッシーナ生、元ジェンスのキーボード奏者。アレンジャーとしてリラ(Lira)名義を使うこともある。

・エットーレ・カルドゥッロ(Ettore Cardullo) 1948717日メッシーナ生、 元ジェンスのベーシスト。

・マリオ・ヴォランティ(Mario Volanti) 1953915日メッシーナ生、ギタリスト。後にラジオ・イタリアの音楽パーソナリティ。

 

 

 1974年プログレ・バンドのジェンスが解散した後、75年にメンバーのフィリッポ・ランドロとエットーレ・カルドゥッロはギタリストのマリオ・ヴォランティを加え、トリオ・バンドのヌオーヴァ・ジェンテを結成しました。

 

 バンドはムーグ・シンセサイザー演奏家のグァルディア-ノ・デル・ファ-ロ(Il Guardiano del Faro)として知られる、音楽プロデューサーのフェデリコ・モンティ・アルドゥイーニ(Federico Monti Arduini)が75年に設立したばかりのFMAと契約し、FMA最初のシングル盤“Tu Credi”を発売しました。

 

ZFM-50400 (19756FMA ‎– RCA Italiana) Tu Credi/ È Inutile

ZFM-50400ZFM-50400  ZFM-50403ZFM-5O403

ZFM-50403 (19762 FMA ‎– RCA Italiana) Che Sarei (恋の不安)/Fantasma D'Allegria

 

 アルドゥイーニのお陰か、翌76年のサンレモ音楽祭に“恋の不安”で出場しました。そして最下位の18位ですが入賞することが出来ました。

 

 しかしアルドゥイーニの方針かFMAは76年でレコード製作を中止し、グァルディア-ノ・デル・ファ-ロはチェトラに移籍し、ヌオーヴァ・ジェンテはドゥリウムに移籍しシングル盤“Dormi”を出しましたが、すぐに解散してしまいました。

 

LdAl-7947 (1976 Durium Durium) Dormi/Noi Contro Noi

             LdAl-7947Ld・Al-7947

 

 

ヌオーヴァ・ジェンテの国内盤はありません、以上です。

 

 

 

オペラ (compl) Opera,{Gli }

元ジェンスのリーダー、フィリベルト・リッカルディ (Filiberto Ricciardi)が75年に結成したバンド。85年まで活動を続けました。

 

                       Opera

 

活動期間1975 – 1985

所属レコード会社 CBS, Durium, Radio Records

サンレモ音楽祭出場3回:1976年9位、79年参加、81年参加

サンレモ音楽祭出品-曲:

公式サイト

 

 

 1974年プログレ・バンドのジェンスが解散た後、リーダーのイル・バロネットことフィリベルト・リッカルディは翌75年3人のメンバーを集めて4人編成のバンド、オペラ(Gli Opera)を結成しました。

 

結成及び1976年サンレモ音楽祭出場メンバー

・イル・バロネット(Il Baronetto本名フィリベルト・リッカルディ(Filiberto Ricciardi) (在籍1976-79): 1949415 日(25日説もあり)にメッシーナ生、リーダー、ヴォーカル、キーボード、元ジェンス(Gens)のリーダー。ウィリアム・リッカルディ (William Ricciardi)を使うこともあった。

・ピノ(Pino)本名ジュゼッペ・アレグロ(Giuseppe Allegro) ベース(在籍1976)

・ジミー(Jimmy)本名ジュゼッペ・マンティネオ(Giuseppe Mantineo) ギター(在籍1976-79)

・ヴィンチェンツォ・マッカニャーニ(Vincenzo Maccagnani) ドラム(在籍1976-79)

 

 CBSと契約し、フィリベルト・リッカルディ達が作ったフェスティヴァル・バール参加曲“Donna Di Chi”でデビューしました。

 

3260(CBS) (1975 CBS – CBS Sugar) Donna Di Chi/Se Tu, Se Mai

3260(CBS)3260(CBS)  4042(CBS)4042(CBS)

4042(CBS) (1976 CBS – CBS Sugar) L'Ho Persa Ancora (また失った恋)/Se Tu, Se Mai

 

 76年サンレモ音楽祭に“また失った恋”で出場し、9位になります。その後EMIに移籍しますが“Lei Bambina , Lei Signora”の一作だけでした。

 

3C006-18209 (1976EMI – EMI Italiana) Lei Bambina , Lei Signora/ara

3C006-182093C・006-18209  RB- 82RB- 82

RB- 82 (1976Record Bazaar CBS Sugar) Supergruppi

.L'Ho Persa Ancora

.Donna Di Chi

 

 76年CGD、CBS在籍バンドの編集ベスト盤が出ました。オペラも2曲入りました。


LdAl-7980 (1977 Durium - Durium) Stelle Su Di Noi /Cucciolo
LdAl-7980Ld・Al-7980 
LdAl-8001Ld・Al-8001

LdAl-8001 (1978 Durium - Durium) Re Salomone/Aria, Acqua, Terra E Fuoco

 

 翌77年再度ドゥリウムに移籍し、“Stelle Su Di Noi”でフェスティヴァルバールに参加します。78年彼らのレパートリーとクラシック音楽を融合させたロック・オペラ「Aria, Acqua, Terra E Fuoco」を上演し、その中の曲をシングル盤として出しました。

 

 リッカルディのプロデュース、アレンジでディアリオ(Il Diario)の“Piccolo Pierrot”が出ています。リッカルディ自身がディアリオに加わっていたのか不明です。

 

UP-10028 (1978 Up - SAAR) Piccolo Pierrot/Cristalli (comr Il Diario)

UP-10028UP-10028  LdAl-8038Ld・Al-8038

LdAl-8038 (1979 Durium - Durium) Il Diario Dei Segreti(秘密の日記)/1000 Anni Luce

 

 79年再びサンレモ音楽祭に“秘密の日記”で出場しますが、参加曲に止まります。この前後にメンバー変更がありました。

 

変更メンバー・79年サンレモ音楽祭出場メンバー

ピノ→・アントネッロ・バッリラ(Antonello Barrilà)ベース(在籍1979-81) 1952922日メッシーナ生

・ジミー→・カルロ・シモーネ(Carlo Simone)ギター

・ピッポ(Pippo)本名ジュゼッペ・アドルーノ(Giuseppe Adorno ) ドラム(在籍1979) ピノ・サルピエトーロ(Pino Salpietro)

 

 プログレ色を高めながらドゥリウムで後2枚シングル盤を出しています。

 

LdAl-8050 (1979 Durium - Durium) Volare Mai/ Vecchio Mercante

LdAl-8050Ld・Al-8050  LdAl-8078Ld・Al-8078

LdAl-8078 (1980 Durium - Durium) Lascia Che Sia/Senti

 

 81年サンレモ出場の前に結成メンバーは脱退し、途中加入のアントネッロ・バッリラと新メンバーはRCAイタリアーナに販売委託をしたラジオ・レコーズに移籍しました。81年サンレモ音楽祭には新バンドとして“Guerriero”で三度出場しますが入賞出来ませんでした。

 

再編成・81年サンレモ音楽祭出場メンバー

・ヴァンニ・コモッティ(Vanni Comotti) 195537日トレヴィリオ生

・レレ・ベッリン(Lele Bellin) 19561221日ボルゴ・ディ・コモ生

・マリオ・ランビアーゼ(Mario Lambiase) 1957215日トリノ生

・アントネッロ・バッリラ(Antonello Barrilà)

・マリオ・ヴァレンティ(Mario Volanti) 1953 9 22 日メッシーナ生

・ピエロ・パシーニ(Piero Pasini) ベーシスト、バッリラの後継(在籍1982-85)

 

ZBRR- 7210 (1981Radio Records –RCA Italiana) Guerriero/Con Lei

ZBRR- 7210ZBRR- 7210  ZBRR- 7233ZBRR- 7233

ZBRR- 7233 (1981Radio Records –RCA Italiana) Guai/Luce Del Mattino

 

 新メンバーはもう1枚“Guai”を出し、81年中にバッリラが脱退しますが、85年まで活動を続け解散をしました。

 

 ジェンス、オペラのリーダーだったフィリベルト・リッカルディはバンド脱退後、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院オーボエ課程を修了し、クラシック界でテノール歌手となり本当の『オペラ』の世界で活躍しました。

 

 

 

オペラの国内盤

GP- 425 (19765 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP第26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976)

10.また失った恋     (L'HO PERSA ANCORA)

 

                         GP- 425GP- 425

 

 

オペラは以上です。

 

 

 

 

(ご参考)

ジェンス、{イ・} (compl) Gens,{ I } メンバー構成 (※太字は70年サンレモ音楽祭出場)

・イル・バロネット(Il Baronetto准男爵の意味)、本名フィリベルト・リッカルディ (Filiberto Ricciardi) 1949415 日(25日説もあり)にメッシーナ生、リーダー、ヴォーカル、ギタリスト (在籍1967-1971, 1972-1974)、フィリベルト・ウィリアム・リッカルディ (Filiberto William Ricciardi)を使っていた。75年に結成したオペラ(Gli Operaを結成。

・ピッポ(Pippo)本名フィリッポ・ランドロ (Filippo Landro) 194915日メッシーナ生、キーボード奏者。アレンジャーとしてリラ(Lira)名義を使うこともある。75年に結成したヌオーヴァ・ジェンテ(La Nuova Gente)のメンバーとして76年サンレモ音楽祭に出場。

・ヌヴォーラ・ジャッラ(Nuvola gialla 黄色い雲の意味)、本名エットーレ・カルドゥッロ(Ettore Cardullo) 1948717日メッシーナ生、 ベーシスト。75年に結成したヌオーヴァ・ジェンテ(La Nuova Gente)のメンバーとして76年サンレモ音楽祭に出場。

・ラ・シニョーラ・オミチーディ(La signora omicidi レディ・キラーズの意味)本名ジルベルト・ブルーノ(Gilberto Bruno) 194968日メッシーナ生、1971年オルツィヌオーヴィ(ブレーシャ)没。ギタリスト (在籍1967-1969)

・イル・レオーネ(Il leone)、本名ピノ・サルペトロ(Pino Salpietro) 194722日メッシーナ生。ベーシスト。

 

交代メンバー

・アルベルト・タディーニ(Alberto Tadini) 1950年カラヴァッジョ(ベルガモ)(Caravaggio (Bergamo)) 生、ヴォーカル、ギタリスト、1971

年サンレモ音楽祭でリード・ヴォーカル担当(在籍1971-1972)

・マウロ・クロッタ (Mauro Culotta) ギタリスト (在籍1969-1973)

・エンリコ・ビアンキ(Enrico Bianchi) ボーカル、キーボード

・ヴィンチェンツォ・コンバルド (Vincenzo Lombardo) ベーシスト



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