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カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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7月14日ヤフオクに出品しました

 久しぶりでヤフオクに出品しました。今まで出した物とは違う私が20数年来書き溜めてきたカンツォーネやイタリアン・ポップスなどのデータと、洋楽国内シングル盤を中心としたレコードのデータそのものを出品しました。

 

 書き溜めたデータは外付けハードディスクに収容していたのですが令和に変わった5月1日に突然HDDが故障し、多額の復旧費用と1ヶ月の時間を費やし元に戻しました。

 

 その時の反省は、自分一人の資料にしておくのではなく、広く世間に公開し使っていただくべきだと思いました。アメリカにはDiscogsというディスコグラフィーのサイトもありますが日本盤のまとまった資料が不足しているようです。

 

一つは洋楽国内シングル盤・EP盤・コンパクト盤を中心としたデータ3万件以上としています。

シングル盤レコードリストB  

 こちらの元資料は20数年前に東京・中野に有った中古レコード店オールディーズが出した8冊(日本コロムビア、日本ビクターRCAグループ、同ワールド・グループ、同フィリップス・グループ、東芝、キング、テイチク、日本グラモフォン)の資料集です。この資料集は50年代中の7インチ・ビニール盤発売当時から1970年頃までの洋楽盤の資料ですが、東芝や日本ビクターのアルゼンチン・タンゴ、東芝のシャンソン専用シリーズ、クラシック盤、そしてマイナー系ニッチク、日本ディスク、コダマ、またソノシート・フィルム(フレックス)製造会社のハード盤ものぞかれています。70年代以降は主にレコード・マンスリーを参考にし、それ以降設立されたCBSソニー、ワーナー・パイオニア、アルファ・レコーッド、東宝等から発売された盤の資料も追加しております。

 

 各レコード会社の月報、総目(番号順総目録)、レコード・マンスリーなど音楽雑誌の新譜情報、私の出来る限り集めた資料、現物で資料の補完もするようにしました。

 

 他に一部フレックス盤、シングルCD、マキシ・シングル盤(12インチ・シングル)、邦楽シングル盤・ EP盤・コンパクト盤も含んでおります。各レコード会社の各シリーズで可なり欠落している部分もありますが、一部の資料にはサムネイル・サイズのジャケット画像(全てのデータに添付しているわけでありません)もつけております。

 

[内容]

シングル盤レコードリストA

8GB.UBSメモリーに容れたカード形式アプリケーションに収容した情報44,394件

 内取り出し可能件数:37,958件(エクセル・ファイルに抽出済み)

 有効情報件数:32,000件程度(内取り出し可能件数の85%程度。レコード番号の連続性を保つため不明なものも空データとして挿入しています)

 

 収納したカード形式アプリケーションは15年以上前に廃版となっています。

 お茶やお水をペットボトルに入れて売るように、情報は液体と同様に器に入れないと取り扱えないため便宜的にこのソフトを利用しました。空のペットボトルを水筒代わりにする方もありますが、商品としてはペットボトルを商品として売っているわけでないのと同様の事とご理解ください。

 このアプリケーション・ソフトは現在もウィンドウズ環境下で使用(現実に98以前から現在まで私自身が使用中)は出来ます。メモ欄以外の各項目で検索が可能なようにしておりますのでご利用できると思います。

 

というものと

 

カンツォオーネ他レコード・リスト、データ1万4600件以上

は私が集めているカンツォーネやイタリアン・ポップスのデータです。

カンツォーネ他レコードリストB

 元資料は20数年前に東京・中野に有った中古レコード店オールディーズが出した8冊(日本コロムビア、日本ビクターRCAグループ、同ワールド・グループ、同フィリップス・グループ、東芝、キング、テイチク、日本グラモフォン)の資料集で、この資料集は50年代中の7インチ・ビニール盤発売当時から1970年頃までの洋楽盤をまとめたものですがマイナー系ニッチク、日本ディスク、コダマ、またソノシート・フィルム(フレックス)製造会社のハード盤ものぞかれています。70年代以降は主にレコード・マンスリーを参考にし、それ以降設立されたCBSソニー、ワーナー・パイオニア、アルファ・レコーッド、東宝等から発売された盤の資料も追加した物を基にカンツォーネやイタリアン・ポップスの盤を探してリストにしたものです。

 これを基にウォント・リストを作り、オークションに出品されている物が持っている盤か、持っていない盤かたしかめていました。 そして手に入れたもので一つ一つかけていた部分を埋めていきました。

 

 

 出来る限り資料にはサムネイル・サイズのジャケット画像もつけております。自分で持っていなくても、何らかの画像が見つかる限り添付しております。

 

[内容]

8GB.UBSメモリーに容れたカード形式アプリケーションに収容した情報14,620件を収録しました。抽出はテキスト・ファイル、シルク・ファイル、HTMLファイル、エムセル・ファイルなど抽出書き出しも可能です。

カンツォーネ他レコードリストA

 収納したカード形式アプリケーションは15年以上前に廃版となっています。

 お茶やお水をペットボトルに入れて売るように、情報は液体と同様に器に入れないと取り扱えないため便宜的にこのソフトを利用しました。空のペットボトルを水筒代わりにする方もありますが、商品としてはペットボトルを商品として売っているわけでないのと同様の事とご理解ください。

 このアプリケーション・ソフトは現在もウィンドウズ環境下で使用(現実に98以前から現在まで私自身が使用中)は出来ます。メモ欄以外の各項目で検索が可能なようにしておりますのでご利用できると思います。

 

購入したデータは最初にバックアップを取った後にご使用ください

 

 []ウィンドウズ以外では使用できません常時このカード形式アプリケーションを使用は保証の限りではありません

.エクセル等へのデータ抽出では、添付画像ファイルは適応外です。(ありません)

.「アプリ不調のため抽出できない」ことも起こりうるので、その場合はデータは1項目づつコピー&ペーストでエクセル等に転写可能と思われます。(物理的に大作業となります)

 

 

[譲渡の状況]

 初回で5~10件同じ物をオークション等に出品し、今後数度出品を予定しております。

ご入札、ご落札される方は同じ内容です。同一物なので複数件ご落札する必要はないと思います。

 

 

 

[送付方法] 普通郵便+簡易書留または一般書留

落札額が5万円以下:82円+310円=392円(簡易書留、保証5万円以下の実額)

落札額が5万1円以上10万円以下:82円+430円=512円(一般書留、保証10万円以下の実額)

 

 

データ項目 [盤番] の説明 アルファベット1字または2字と4桁の数字の組合せ

・レコードやCDについて

頭1字目のアルファベット文字は媒体()の形態を示します。

C:コンパクト盤[アナログ盤17cm33・1/3rpm、4~6曲収録のミニ・アルバム]

D:コンパクト・ディスク[12cmCD]

E:シングル盤、EP盤[アナログ盤17cm45rpm50年代に出ていた片面に2,3曲入れたエクステンデット・プレイ(EP)盤を含む]

F:フレックス盤[12~20cm33・1/3rpm、フィルム・シートのソフト盤]日本では“ソノ・シート”などの呼び方もあり、製作が簡単なため主に書店系に販売、または無料配布広告宣伝用などにも使われた。

K:カセット・テープ

L:LP盤,マキシ・シングル盤[アナログ盤30cm33・1/3rpmまたは45rpm]

M:MP(10インチLP)[アナログ盤25cm33・1/3rp]、SP盤の標準サイズが25cmであったためアナログ・ヴィニールLPが製造された当初は生産されていたがヴィニール盤が普及するまでの10年間で姿を消した。

P:コンパクト・ディスク[cmCD]日本ではシングルCD盤として生産されたが、外国盤ではあまりお目にかかれない。

S:スタンダード・プレイ(SP)[アナログ盤25cmまたは30cm78rpm]カイガラムシの分泌する天然樹脂(シェラック)を原料にしていたのでシェラック盤とも呼ばれ、レコードを落とすと割れると言われるのは、この盤の事です。

V:DVD、映像ソフト

 

2字目のアルファベット文字は所有の形態を示します。

X:未所有

Y:過去に所有していた

 

アルファベット2文字と2桁の数字で示すものは

音楽祭出場曲など、レコード,CDの音源媒体ではない資料の分類

 

アルファベットに続く4桁の数字はカテゴリー分類とその連番を示します。

0番代、1000番台:カンツォーネ、イタリアン・ポップス、イタリアン・ロック、声楽曲国内盤

2000番台:カンツォーネ、イタリアン・ポップス、イタリアン・ロック、声楽曲外国盤

3000番台:0番代、1000番代のカヴァー曲国内盤

4000番台:0番代、1000番代のカヴァー曲外国盤

5000番台:映画音楽曲国内盤

6000番台:映画音楽曲外国盤

7000番台:上記以外の国内盤

8000番台:上記以外の外国盤

9000番台:分類不能または対象外の国内盤、外国盤

 

                                       以    上


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サンレモの歌手たち 571 スコラ・カントルム 1

 昨夜すべてのデータ、画像ファイルを収めていた外付けハードディスク(HD)がアクセス不能となりました。

 

 このHDが復旧できなければ、再度すべてのデータを作製する時間的余裕も気力もなく、私のブログも平成で終了することになると思います。本日アップする分は緊急避難的にUBSスティックに収めましたが、画像は入れる事が出来ません。 いつかHDが復旧することを願いながら私のブログは一旦終了とします。長らくのご愛読ありがとうございました。

 

 あれから4週間経ちました。

 

 5月28日99%復旧と言う事でHDDが戻ってきました。取り敢えず78年サンレモ音楽祭の事を書き終える予定です。今回のデータ復旧で多額の出費となったため、資金稼ぎに暫くいそしみますので、ブログは当分の間、お休みさせていただきます。

 

スコラ・カントルム (compl) Schola Cantorum

1973年RCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の命によって、自社のカンタウトゥーリ達の作品をカヴァーするため結成したミュージック・グループ。80年に一旦解散をしましたが、84年に再結成し95年まで活動を続けました。多くの歌手を輩出しました。

 

Schola Cantorum

 

活動期間1974 – 1980; 1984 – 1995

所属レコード会社 RCA Italiana, Delta, CGD

サンレモ音楽祭出場:1978年7位、86年参加、93年参加

 

 

 1973年RCAイタリアーナ・グループの総帥エンニオ・メリスはある考えを実行に移します。ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)リタ・パヴォーネ(Rita Pavone)の青春歌謡スターの後に出てきたフォークロックやニュー・ミュージック系のカンタウトゥーリ、リッカルド・コッチャンテ(Riccardo Cocciante)、アントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)、フランチェスコ・デ・グレゴリ(Francesco De Gregori)、ルチオ・ダルラ (Lucio Dalla)たちが成長し多くのヒット曲を産み、RCAイタリアーナの飛躍的な成長を遂げていました。

 

 しかし彼らは昔のカンタウトゥーリと違い、曲作りは自分のためにあり他の歌手の歌う曲作りが目的ではなく、彼らの作った曲は音楽商品としては限定されるという矛盾を抱えていました。メリスはグループ内の歌手達を集め、カンタウトゥーリ達の曲をリメイクする音楽集団を作る計画を立てました。

 

 まず歌手たちのトレーニングは戦後ナポリターナの名曲の一つ“ラ・パンセ(La Pansé)”を作曲したフリオ・レンディーネ(Furio Rendine)の息子、若い前衛的なクラシック音楽家セルジョ・レンディーネ(Sergio Rendine)に任せました。プロデューサーにはイタリアでシルヴィ・バルタンの楽曲を制作しているRCAイタリアーナ傘下にあるデルタ・レーベルのオーナー、マリオ・シモーネ(Mario Simone) に委嘱しました。こうしてスコラ・カントルムの誕生準備が整いしました。

 

 結成メンバーの選定です。歌手として実力はあるもののヒットにつながらない歌手を集めることにしました。メンバーそれぞれ実績のある歌手なので、彼らの経歴は78年サンレモ音楽祭出場までの話を先にすすめ、その後に彼ら一人一人の紹介する予定です。

 

 まず女性歌手です。メリル(Merrill)ことミミ・ゲイツ(Mimi Gates)とジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)とフランコ・ミリアッチ(Franco Migliacci)が作ったレーベル、ミ・モ(Mi-Mo)にいた女性トリオのヴォーチ・ブルー(Le Voci Blu)の二人、ルイゼッラ・ラッザーニ(Luisella Mantovani)とジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini)を選びました。

 

 次に若手カンタウトゥーリを二人。イタリアの古典的ミュージカル「ルガンティーノ(Rugantino)」第2版にも出演するアルド・ドナーティ (Aldo Donati)とリタ・フォルテ(Rita Forte)など特に女性歌手に多くの曲を提供するアルベルト・ケリ(Alberto Cheli)、ベテランでは日本でもレコードが出たこともあり、ビートニック・バンドのペコレ・ネーレ(Le Pecore Nereでキー・ボードを弾いていたキコ・フスコ (Kico Fusco)とカンタウトゥーリのエドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis)が呼ばれ、さらに歌手兼役者でトニー・クッキアーラ(Tony Cucchiara)のミュージカルにも出演したエディー・ヴィオラ(Eddy Viola)、リッカルド・コッチャンテ(Riccardo Cocciante)のいとこでアニー・パスカル(Annie Pascal)の芸名を持つアニー・ロバート(Annie Robert)、ボローニャ出身でグループ最年少のマリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli)も参加しました。総勢10人で結成されました。

 

結成メンバー

アルベルト・ケリ(Alberto Cheli)

アルド・ドナーティ (Aldo Donati)

キコ・フスコ (Kico Fusco)、本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco)

アニー・トレント (Annie Tobert) Annie Robert

ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani)  Luisella Mantovani

エドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis)

ミミ・ゲイツ(Mimi Gates)、旧芸名メリル(Merrill

ジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini)           

エディー・ヴィオラ(Eddy Viola)

マリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli)

 

 スコラ・カントラムのデビューは74年ローマで開催された第9回ヨーロッパ陸上競技選手権ローマ大会の公式応援歌でフランコ・ピサーノ(Franco Pisano)が作った“Goodbye Oppure Ciao”を歌うことでした。

 

TBBO-1066 (1974RCA Original Cast – RCA Italiana) Goodbye Oppure Ciao [Franco Pisano e La Sua Orchestra/Schola Cantorum]

                       TBBO-1066TBBO-1066 

 

 本格的な仕事は結成の目的通りRCAイタリアーナ系のカンタウトゥーリが作った曲をカヴァーしたアルバム「Coromagia」を出すことから始まりました。

 

TPL1-1108 (19757 RCA ‎– RCA Italiana) Coromagia

82876-506952 (2003 RCA Italiana Sony BMG Music Entertainment) CD Coromagia [0 828765069526]

.Roma Capoccia (ローマ・カポッチャ)

.Rossofiore

.Lella  

.La Fantasia

.Bella Senz'Anima (心なき美人)

.Poesia (愛の詩(ポエジア))

.Nella Testa Di Nina

.Alice (アリス)

.Don Chisciotte

10.E Tu (そして君)

TPL1-1108TPL1-1108 82876-50695282876-50695・2

 

 最初の成功はカンタウトゥーリの曲のカヴァーではなく、フランスのエディット・ピアフ(Édith Piaf)が45年に出したシャンソン、日本ではアメリカのブラウンズ(The Browns)の英語カヴァーでもヒットした“谷間に三つの鐘が鳴る”でした。この曲は大ヒットし翌76年年間ヒット・ランク46位になりました。年間ヒット・ランクに入ったのはこの1曲だけです。

 

TPBO-1166 (19759 RCA Italiana ‎– RCA Italiana) Le Tre Campane (Les Trois Cloches - Edith Piaf) (三つの鐘 (谷間に三つの鐘が鳴る))/Dormi [10]

TPBO-1166 TPL1-1182 74321-95211・2      

TPBO-1166                    TPL1-1182                  74321-952112

TPL1-1182 (1975 RCA ‎– RCA Italiana) Le Tre Campane [10]

74321-952112 (2002 RCA ‎- BMG Ricordi) CD Le Tre Campane [0743219521125]

.Le Tre Campane (三つの鐘 (谷間に三つの鐘が鳴る))

.Dimmi Come Fai

.Caterina (Annie's Song) (緑の風のアニー)

.L'Aquilone

.Una Donna

.Il Falco

.Calendario

.Se Tu Fossi Una Rosa

.Noi

10.Mimì

 

 このヒットでカンタウトゥーリのカヴァーではない彼ら独自の選曲でセカンド・アルバム「Le Tre Campane」が発売されました。

 

 続いて出したのがTV映画のミニシリーズ「L'Amaro Caso Della Baronessa Di Carini」のテーマ曲“Tema D'Amore”で俳優兼歌手のルイジ・プロイエッティ(Luigi Proietti)と歌う曲でした。

 

TBBO-1184 (1975 RCA Original Cast – RCA Italiana) Ballata Di Carini/Tema D'Amore [Luigi Proietti//Schola Cantorum] [10]

TBBO-1184TBBO-1184  TBBO-1247TBBO-1247

TBBO-1247 (1976 RCA Original Cast – RCA Italiana) Brutti Sporchi E Cattivi/Tema Della Goccia [Schola Cantorum/Armando Trovaioli]

 

 RCAイタリアーナが得意とした映画やTVのテーマを歌うことが多かったようで、3枚目のシングル盤もカルロ・ポンティ製作、エットレ・スコーラ(Ettore Scola)の本邦劇場未公開映画「醜い奴、汚い奴、悪い奴 (Brutti Sporchi E Cattivi/ Down and Dirty)」の挿入歌“Tema Della Goccia”でした。

 

 76年3枚目のアルバム「Coromagia vol. 2」とその中から“La Mia Musica”がシングル・カットされました。この曲は週間ヒット・ランク最高33位(在位11週間)の小さなヒットになりました。

 

TPBO-1222 (1976 RCA Italiana ‎– RCA Italiana) La Mia Musica/Stelle [:10]

TPBO-1222TPBO-1222  TPL1-1217TPL1-1217

TPL1-1217 (1976 RCA ‎– RCA Italiana) Coromagia vol. 2

.La Mia Musica

.Questa Sporca Vita

.La Luna

.Silvia

.Campo De' Fiori (花畑)

.Piccola Mela (小さなリンゴ)

.Il Mio Modo Di Vivere

.I Due Amici

 

 77年はシングル盤1枚だけ発売しています。日本ではトーケンズ(The Tokens)で知られている“ライオンは寝ている”がB面に入っている“Agualimpia”でした。結成メンバーでのレコードはこれが最後になります。メンバーの一人でスコラ・カントラムの音楽的中心であったエドアルド・デ・アンジェリスがソロ活動をするため脱退します。

 

PB-6084 (19777 RCA Italiana ‎– RCA Italiana) Agualimpia/Wimoweh (The Lion Sleeps Tonight) (ライオンは寝ている) [10]

                          PB-6084PB-6084

 

 翌78年サンレモ音楽祭に“私の恋”で出場が決まりますが、この時点でグループ最年少のマリーナ・アルカンジェリもグループを脱退し、スコラ・カントラムは8人のグループとなりました。サンレモの出場は思うような成果は得られず参加曲にとどまりました。

 

PB-6142 (19781 RCA Italiana ‎– RCA Italiana) Il Mio Amore (私の恋)/Pierrot

[Alberto Cheli, Aldo Donati, Enrico "Kiko" Fusco, Mimi Gates, Gianna Giovannini, Luisella Mantovani, Annie Robert, Eddy Viola:8] Marina Arcangeli, Edoardo De Angelis

                  PB-6142PB-6142

 

 

スコラ・カントルムの国内盤はありません

 

スコラ・カントルム 2 は次回に続きます



サンレモの歌手たち 570 アンセルモ・ジェノヴェーゼ、 ドラ・モローニ

アンセルモ・ジェノヴェーゼ (vm) Anselmo Genovese

19481025日サンレモとフランス国境の中間にある町カンポロッソ(Camporosso)生、カンタウトゥーリ。

 

Anselmo Genovese

 

所属レコード会社 ElleryVictoryAristonCaroselloCarosello

サンレモ音楽祭出場:1978年5位

サンレモ音楽祭出品1曲:1978年自己出場曲

公式サイトhttp://www.anselmogenovese.com/index.php/song-artist-filter?&tag=O_Anselmo

 

 

 アンセルモはキー・ボードを買い音楽に興味を持ちます。17才で初めて作った曲”Ora”は隣町ヴェンティミーリア(Ventimiglia)出身のビートニック・バンド、カイツ(Kites)のためでした。この曲は1966年に出たコンピレーションに収録されています。

 

 その頃彼のいたスキッパーズ(The Skippers)が解散し、短期間セックストン(The Sextons)に入っていました。“Ora”はカイツとセックストン両方で評判の良い曲でした。

 

 セックストンを去った後、67年ジェノヴァでキッドナッパーズ(I Kidnappers)を結成しました。この年自作曲“E Se Un Angelo”をこのバンドで歌い、初めてレコードを出しました。この曲でテディ・レーノが主催する「アリッチャの名もなき者の音楽祭(Festival Degli Sconosciuti Di Ariccia)」に出場し、決勝に進出しました準優勝にはクラウディオ・バリオーニ(Claudio Baglioni)マル(Mal)が優勝をしました。

 

Ellery-088 (1967年 Ellery - ) E Se Un Angelo/Ho sete (come Anselmo)
Ellery-088Ellery-088 
VY-023VY-023

VY-023 (1969 Victory – Ariston) Era Soltanto Ieri/Il Fuoco È Spento

 

 翌69年アリストン傘下のヴィクトリーに移籍し、別名ロベルト・アンドラッコ(Roberto Andracco)で作った“Era Soltanto Ieri”を出しました。この曲でサンレモ音楽祭司会者でもあるピッポ・バウドのTV番組「セッテヴォーチ(Settevoci)」に出演しています。

 

 70年コラッド・ロヤコーノ(Corrado Lojacono)と作詞のを共作、ロベルト・アンドラッコ名で作曲した “Per 70 Lire”で夏のディスク・フェスティヴァルに出場しました予選敗退でした。この曲は最初オリエッタ・ベルティ(Orietta Berti)のために書いた曲でした。

 

VY-025 (1970 Victory – Ariston) Per 70 Lire/ Dove Sei

VY-025a  VY-025 VY-025b

 

 この後は作家に専念し、パオロ・メンゴリ(Paolo Mengoli)に72年夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“Muore il giorno ma l'amore no”、74年ピエロ・フォッカチャ(Piero Focaccia)に “Farei anche il meccanico”を、ジョヴァンナ(Giovanna)に“La grande risposta”を書いています。また別名アンドラッコで作ったオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)が歌った“陶酔のとき(Il Tempo D'Impazzire)”が大ヒットしました。

 

 74年夏のディスク・フェスティヴァルには自作の“初恋の忘れな草”で出場し本選に進出、日本でも夏のディスクの国内盤コンピレーションに彼の曲が収録されました。

 

AR-0607 (1974 Ariston – Ariston) La Prima Volta (初恋の忘れな草) [Un Disco per L'estate 1974]/Decidi Tu

AR-0607AR-0607  AR-0673AR-0673

AR-0673 (1975 Ariston – Ariston) La Nostra Buona Educazione – Sensazioni Di Un Grande Amore

 

 75年に出した“La Nostra Buona Educazione”はフリオ・イクレシアス(Julio Iglesias)が“Les Traditions”として取上げられ、アンセルモの誇りとなります。

 

 しかし彼が出すレコードはヒットしませんでした。

 

AR-00753 (1976 Ariston – Ariston) Comunque Sia/Sensazioni Di Un Grande Amore

AR-00753AR-00753  AR-00791AR-00791

AR-00791 (1977 Ariston – Ariston) Un Grido Di Gabbiani/Nel Mio Cielo

 

 ライターの力が認められたか78年サンレモ音楽祭にカロセッロからカンタウトゥーリ部門で“あなたひとり”を歌い5位になりました。

 

CI-20460 (1978 Carosello Dischi Ricordi) Tu Sola (あなたひとり)/Sempre Un Giorno

CI-20460CI-20460  CI-20467CI-20467

CI-20467 (1979 Carosello – Dischi Ricordi) Sul Mio Cuscino - Anche Un Uomo (男としても)

 

 79年に出した“男としても”がミーナに取り上げられ、この曲も彼の誇りとなります。


TI- 155 (1980 K tel RCA Italiana) 30cm LP Raccomandato…

.È Facile [Anselmo Genovese]

TI- 155TI- 155  CI-20493CI-20493

CI-20493 (1981 Carosello – Dischi Ricordi) Mia Cara Brooklyn/Love

 

 ほぼ年1枚のペースでシングルを作りますが、アルバムは遂に有りませんでした。息子マヌエル(Manuel)が生まれ、しばらく父親業に専念し音楽から遠ざかります。87年復帰し“Anno 2000”を出しましたが、これが彼が出した最後の盤でした。

 

06-2015927 (1987 Peer Southern - EMI Italiana) Anno 2000/Senza Umanità

             06-201592706-201592・7 

 

 

アンセルモ・ジェノヴェーゼの国内盤

SR- 874 (19748.SEVEN SEAS -キング) 30cmLP愛をたずねて~サン・ヴァンサンカン・フェスティヴァル (ST. VINCENT FESTIVAL)

10.初恋の忘れな草 (LA PRIMA VOLTA) [アンセルモ (ANSELMO)]

 

              SR- 874SR- 874

 

 

アンセルモ・ジェノヴェーゼは以上です。

 

 

 

★ドラ・モロニ (vf) Dora Moroni

19541214日ボローニャ東50kmアドリア海沿岸の中都市ラヴェンナ(Ravenna)生、ショーガール、歌手、ダンサー。

 Dora Moroni

所属レコード会社 AristonRi FiCinevoxROS

サンレモ音楽祭出場:1978年参加

公式サイト

 

 

 子供の頃から歌が上手で8才の時のど自慢大会で優勝して以来、故郷のコンテストに出場するようになります。

 1974 年彼女は歌広場の公開音楽中継に参加し、有名なTV司会者、プロデューサーでタレントのコラット(Corrado Mantoni )と知合いました。

 

 75年アリストンから“Filo D'Erba”で歌手デビューします。盤のラベルには歌手名がドリー・モローニ(Dolly Moroni)と印刷され、ジャケットには本名のドラ・モローニになっています。多くの新人歌手の一人で、多少名前が違っていてもどうでもよい歌手扱いでした。

 

AR-00703 (1975Ariston Dischi Ricordi) Filo D'Erba/ Tu Ed Io [come Dolly Moroni]

AR-00703AR-00703  RFNNP-16698RFN・NP-16698

RFNNP-16698 (19772 Ri Fi - Ri Fi) Ma...Se.../Felice

 

 彼女にショーガールとなる幸運が巡ってきます。イタリア国営放送局RAI-1で現在も放送されている日曜午後の人気ヴァラエティーTV番組「ドメニカ・イン(Domenica In)」が76年10月3日初回放送されるのですが、コラッドが司会を担当し、そのアシスタントにドラ・モローニが77年5月29日までの第1期シリーズで抜擢されました。同時期には写真モデルとしても活動を始めます。

 

 更に同番組4月5月のエンディング・テーマ“Ma...Se...”を彼女が歌い、リフィからシングル盤を発売します。そしてソープ・オペラ(昼帯ドラマ)に出演が決まり、女優としての仕事も入るようになりました。77年ドラは昼帯ドラマの第2シリーズで止め、歌手として専念し、リフィから2枚目の“ Soli”を出しました。

 

RFNNP-16722 (1977 Ri Fi - Ri Fi) Soli/Anime Nude

RFNNP-16722RFN・NP-16722  RFNNP-16737RFN・NP-16737

RFNNP-16737 (19781 Ri Fi - Ri Fi) Ora (ひとりぼっち)/ Io Sono Unica

 

 78年サンレモ音楽祭の出場が決まります。出場曲“ひとりぼっち”は急激に注目を浴び始めたカンタウトゥーリチェのレットーレ(Donatella Rettore)が作った曲で、レットーレ自身で出場したかったようですが、ドラ・モローニが歌うことになりました。しかし入賞することはできませんでした。

 

 サンレモ音楽祭出場で初のまた唯一のアルバムが製作されました。そしてその中の曲“Che Facciamo Stasera?”がシングル・カットされアルバム・キャンペーンの意味合いもあり1ヶ月先行して発売されています

 

RFNNP-16746 (19783 Ri Fi - Ri Fi) Che Facciamo Stasera?/Sensazioni E Sentimenti

RFNNP-16746RFN・NP-16746  RDZST-14292RDZ・ST-14292

RDZST-14292 (19784 Ri Fi - Ri Fi) Dora Moroni In...

.Lettere D'Amore

.Riflettori

.Eso Es El Amor

.Sensazioni E Sentimenti

.Ora (ひとりぼっち)

.Che Facciamo Stasera

.Io Sono Unica

.Soli

.Anime Nude

10.Fantasia

  a.Acercate Mas (もっと寄りそって)

  b.Lisboa Antigua (懐かしのリスボン)

  c.Besame Mucho (ベサメ・ムーチョ)

 

 何もかも順調に進んでいると思われる矢先、突然不幸に遭遇します。7月13日夜、コラッドのショーに出演した帰り道のチヴィタッキア(Civitavecchia)とローマ間の高速道路で事故を起こしました。彼女は車外に放り出され6週間意識不明の重体になりましたが、奇跡的に命を取り留め、言葉が話せるまで回復するのに9ヶ月入院生活を余儀なくされました。

 

 80年代に入り活動はTV番組で司会やゲスト出演が中心となります。83年日本では映画音楽で知られているチネヴォックスからシングル盤“Buona Giornata”を出しました。彼女がソロ歌手として出した最後の盤となりました。

 

RC-1171 (1983 Cinevox Dischi Ricordi) Buona Giornata/Buona Giornata (strumentale)

              RC-1171RC-1171 

 

 85年週刊誌「ソリージ・エ・カンツォーニ」のホステスとなり、サンレモ音楽祭に6回出場することとなる歌手クリスチャン(cantante Christian)と知合い、翌86年彼と結婚しました。そして87年には息子アルフレッド(Alfredo)が生まれました。

 

 95年クリスチャンの所属するレコード会社ロスから二人で歌うアルバム「CD Parlami」を出し、この盤は翌96年DVモアから再発売されています。

 

48-04642 (1995 ROS ‎– Sony Music Entertainment Italy) CD Parlami (con Christian)

CDDV-6075 (1996D.V. More ‎– D.V. More Record) CD Christian Con La Partecipazione Straordinaria Di Dora Moroni ‎– Parlami

.Chi Siamo Noi

.Non Ti Perderò Non Mi Perderai

.Nel Buio

.Maschera

.Stupida Felicità

.Nuova Estate

.Parlami

.Fantasia

.Dolceamara

10.Ricordami

48-0464248-0464・2  CDDV-6075CDDV-6075 

 

 こうして順調に見えた夫婦生活も破綻し、97年クリスチャンと離婚してしまいます。彼女は故郷ラヴェンナに戻りました。その年コラッドからTV番組の司会の話をもらい徐々にTV復帰をしました。

 

 

ドラ・モロニの国内盤

GP- 566 (1978.5SEVEN SEAS -キング) 30cmLP 第28回サン・レモ音楽祭. (FESTIVAL DI SAN REMO 1978)

.ひとりぼっち (ORA)

 

             GP- 566GP- 566 

 

 

 

ドラ・モロニは以上です。


サンレモの歌手たち 569 ダニエル・センタクルス・アンサンブル 6 (チロ・ダッミッコ 5、リンダ・リー 2)

ダニエル・センタクルス・アンサンブル (compl) Daniel Sentacruz Ensemble

1974年にチロ・ダッミコ(Ciro Dammicco)にヴィンチェ・テンペラ(Vince Tempera)が協力して卓越したミュージシャンとヴォーカリストで結成した音楽集団。80年に解散、多くのミュージシャンを輩出しました。

 

                   Daniel Sentacruz Ensemble          

 

活動期間1974 –80年;再結成81-現在

所属レコード会社 EMI Italiana, (再結成後) Harmony, Pretty Cat's Records

サンレモ音楽祭出場2回:1976年8位、78年9位

 

 

74年結成時メンバー構成

・チロ・ダッミッコ (Ciro Dammicco) ヴォーカル:元ビゾンティ (I Bisonti)、元ゾーナ・ヴェルディ(Zona Verde)

・マラ・クエッドゥ(Mara Cubeddu) 女声ヴォーカル(在籍1979年まで) : 元フローラル・ファウナ・チェメント(I Flora Fauna Cemento)

・ロザンナ・バルビエリ(Rossana Barbieri) 女声ヴォーカル:別名リンダ·リー(Linda Lee)

・ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニ(Gianni Minuti Muffolini) ヴォーカル、ギター:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ

・ブルーノ・サントーリ(Bruno Santori) キー・ボード (在籍1976年まで):元ラミンゲッティ(I Raminghetti)

・アンジェロ・サントーリ(Angelo Santori) キー・ボード (在籍1974年まで):元ラミンギ(I Raminghi)

・ステッファノ・ダッミッコ (Stefano Dammicco) キー・ボード:チロの弟

・ジャンニ・カラブリア(Gianni Calabria) ドラムス:元ビゾンティ、元ゾーナ・ヴェルディ

・サヴーノ・グリエコ (Savino Grieco) ベース、ヴォーカル

 

 

1978年サンレモ音楽祭出場メンバー(7人)

・チロ・ダンミコ Ciro Dammicco

・ロザンナ・バルビエリRossana Barbieri Linda Lee(cantante)

・ステッファノ・ダッミッコStefano Dammicco (tastierista) チロの弟

・マラ・クエッドウMara Cubeddu (cantante)

サヴーノ・グリエコSavino Grieco (bassista)

ジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニGianni Minuti Muffolini (chitarrista)

ジャンニ・カラブリアGianni Calabria (batterista)

 

 1978年サンレモ音楽祭にメッザノッテで出場し、入賞したものの最下位位でした。メンバーはブルーノ・サントーリが抜け7人編成です(出場メンバー全員の名前が確認できませんが、それに近い状況だと思います)。

 

3C006-18316 (1978Odeon - EMI Italiana) 1/2 Notte (メッザノッテ)/E Tu Su Di Me (私の可愛い男の子)

3C006-183163C・006-18316  3C264-183463C・264-18346

3C264-18346 (1978Odeon - EMI Italiana) Barabam (solo su supporto musicassetta)

.1/2 Notte (メッザノッテ)

.Toi Et Moi

.Gran Donna

.E Piove Ormai

.E Tu Su Di Me (私の可愛い男の子)

.Barabam

.Uffa Domani E' Lunedi

.Recuerdos

.Scaramouche (スカラムッシュ)

10.You

11.Lullaby

 

 彼らの人気も急激に低下したのか、サンレモ後のアルルバムはLPで発売されず、製作コストがかからないカセットのみの発売でした。

 

 次に出たシングル盤は78年3月から2ヶ月間日曜日にRAI1で55分のヴァラエティー番組「Uffa Domani È Lunedì」のエンディング・テーマでした。ジャケットのイラストが4人はなのは少し気になります。オープニングはセルジョ・エンドリゴの“C'era una volta, anzi domaniでした。

 

3C006-18321 (1978Odeon - EMI Italiana) Uffa Domani È Lunedì/Barabam

                      3C006-183213C・006-18321

 

 79年に女声ヴォーカルのマラ・クエッドウが脱退するなどメンバー変更があり、グループ名も短く『サンタクルツ』にしてしまいます。最後となるアルバム「Diventiamo Più Amici」を出し、ここから“Io, Tu, Noi”をシングル・カットしています。

 

3C064-18399 (1979Odeon - EMI Italiana) Diventiamo Più Amici (come Sentacruz)

.Senza Soluzione

.Una Rosa Delicata

.Giapponesi E Americani

.L'Assenza E La Presenza

.Ipertensione

.Io, Tu, Noi

.Onda Blue (Strumentale)

3C064-183993C・064-18399  3C006-184383C・006-18438

3C006-18438 (1979Odeon - EMI Italiana) Io, Tu, Noi/Giapponesi E Americani (come Sentacruz)

 

 80年アメリカNBC制作のTV映画「'Police Woman: Agente Pepper (女刑事ペパー)」のテーマ・ソングを出しました。

 

3C006-18483 (1980Odeon - EMI Italiana) Pepper [Sigla del telefilms ''Police Woman: Agente Pepper'']/Onda Blu (Instrumental)

3C006-184833C・006-18483  3C006-184843C・006-18484

3C006-18484 (1980Odeon - EMI Italiana) Nel Cielo/Donna

 

 80年シングル盤“Nel Cielo”(これもジャケットには4人しかいませんね)を出し、グループは解散します。

 

 直ぐに結成メンバーの一人、ギターとヴォーカルジャンニ・ミヌーティ・ムッフォリーニがダニエル・センタクルス・アンサンブルを使って女声ヴォーカル2人のトリオで音楽活動を開始し、翌81年位はサールのハーモニー・レーベルでシングル盤“Oceano Blu”を出しました。このトリオ体制でその後も新生ダニエル・センタクルス・アンサンブルは現代まで活動しています。

 

H-6086 (1981Harmony - SAAR) Oceano Blu/Canto Corale

H-6086H-6086  PCR-8201PCR-8201

PCR-8201 (1982 Pretty Cat's Records Durium) Per Una Volta Ancora Insieme/ Voglio Stare Con Te

 

 82年にはドゥリウムでプレティ・キャッツ・レコードから昔のような7人編成で“Per Una Volta Ancora Insieme”というシングル盤が出ています。

 

 90年ニュー・ミュージックのミート・レコーズから“哀しみのソレアード”のカヴァーと“哀しみのソレアード'90”を新譜として出しました。これ以降は新たな曲は発売はされていません。

 

MEET-321 (1990 Meet Records – New Music) Soledad (Viejecita) (Latino Mix) (哀しみのソレアード)/ Soleado  '90 (哀しみのソレアード'90) (New Version)

                      MEET-321MEET-321 

 

 2000年以降EMIイタリアーナからアンソロジーが発売されています。

 

7243-86609625 (2004 EMI - EMI Italiana) Made In Italy (raccolta di successi remastered)

.Allah, Allah (お願い、アラー)

.Aloha

.Bambolina (私はバンボリーナ)

.Linda Bella Linda (リンダ・ベラ・リンダ)

.The Lion Sleeps Tonight

.Bella Mia (ベラ・ミア)

.Aguador

.E. A. Rio

.Giapponesi E Americani

10.Una Rosa Delicata

11.Soleado (哀しみのソレアード)

12.Un Sospero (ソスペロ)

13.Abra Kad Abra (アブラ・カダブラ)

14.Scaramouche (スカラムッシュ)

15.1/2 Notte (メッザノッテ)

7243-866096257243-866096・2・5  9463978332894639783328

94639783328 (2007EMI - EMI Marketing) CD Daniel Sentacruz Ensemble - Solo Grandi Successi (Digital Remaster 2004)

.Allah, Allah (お願い、アラー)

.Aloha

.Bambolina (私はバンボリーナ)

.Linda Bella Linda (リンダ・ベラ・リンダ)

.The Lion Sleeps Tonight

.Bella Mia (ベラ・ミア)

.Aguador

.Giapponesi E Americani

.哀しみのソレアード

10.Un Sospero (ソスペロ)

11.Scaramouche (スカラムッシュ)

12.1/2 Notte (メッザノッテ)

 

 さて少しメンバーたちの行く末を見ておきましょう。

 

 まずはリーダー、チロ・ダッミッコです。解散後すぐにムッフォリーニがダニエル・センタクルス・アンサンブルを使って音楽活動を始めますが、バンド名を使うことに異議を申し立てなかったようです。

 

 ダッミッコは歌手を止めてアメリカに行き,5年間TVプロデューサーをします。やがてイタリアに戻り初の音楽専門チャンネル、ヴィデオミュージック(Videomusic)を興します。86年弟ステッファノ・ダッミッコと共に映画配給会社イーグル・ピクチャース(la Eagle Pictures)を設立、イタリア有数の会社に育てました。

 

 次は76年に脱退したキーボードのブルーノ・サントーリです。若い時志していたクラシック音楽の勉強を再開するため公立音楽学校のピアノ課程を卒業しました。その後巨匠パオロ・ボルドーニ(Paolo Bordoni)に師事し、巨匠アルナルド・コーエン(Arnaldo Cohen)の元でピアノ修行するためロンドンに行きました。

 23才(80年頃)で帰国し、映画音楽でも知られるクラシックの巨匠フランコ・フェルラーラ(Franco Ferrara)に弟子入りします。フェルラーラの没後は未亡人と共にフランコ・フルラーラ楽団を設立、運営を行いました。多数のクラシック楽団指揮者として活動し、2006年サンレモ音楽祭のマエストロとして再びアリストン劇場の舞台を踏みました。

 

  リンダ・リーことロザンナ・バルビエリです。ダニエル・センタクルス・アンサンブル在籍中の76年からリンダ・リー名義でヴィンチェンツォ・テンペラの作った映画「愛の妖精アニー・ベル(La Fine Dell’Innocenza)」の主題歌を歌い成功しています。それ以来DSEの女声ヴォーカルをしながら、ソロ歌手として活動をはじめました。

 77年にシングル盤3枚、78年、79年にシングル盤を各1枚発売し、80年のサンレモ音楽祭にソロ歌手リンダ・リーとして“想いは果てなく (Va Pensiero)”を歌い入賞しました。

 その後も81年と83年にCGM(CGM Records)から各1枚シングル盤を出しており、83年の“Mamma Mia!”を最後に引退し、家庭に入りました。

 

 もう一人の女声ヴォーカルで79年に脱退したマラ・クエッドウも76年DSE在籍中から古巣ヌメロ・ウウーノでソロ歌手活動を始め、84年にはEMIイタリアーナでアルバムとシングル盤を出しています。

                                                                                       

PM-3691 (1972RCA Italiana – RCA Italiana) L'Amore Mi Aiuterà (Starman)/Un Altro Uomo Muore (come Dawn Vinci)

PM-3691PM-3691  ZN-50351ZN-50351

ZN-50351 (1976 Numero Uno – RCA Italiana) Rinascerò Libera / Sognare...E Poi Volare

 

ZN-50354 (1976 Numero Uno – RCA Italiana) Come Una Bambolina/Ragazzo Di Strada

ZN-50354ZN-50354  ZBN-7026ZBN-7026

ZBN-7026 (1977 Numero Uno – RCA Italiana) Mi Prenderai...Ti Prenderò /Piccoli Amori

 

06-1186657 (1984 EMI Italiana - EMI Italiana) Times Up/Hello

06-118665706-118665・7  64-118657164-118657・1

64-1186571 (1984 EMI Italiana - EMI Italiana) Pompei

.Pompei

.Times Up (English Dance Mix)

.Vela X

.Avventuriero

.Hello

.Io Dico No

.Keep On Trying

.Cambierà

 

ダニエル・センタクルス・アンサンブルの国内盤は前回で終了しました。

 

 

リンダ・リー 3は1980年サンレモ音楽祭の後に続きます、ダニエル・センタクルス・アンサンブルは以上です。


サンレモの歌手たち 568 マルコ・フェッラディーニ1 (バロンディ、 ユ・クン)

 ★マルコ・フェッラディーニ (vm) Marco Ferradini

 1949728日ミラノの北20kmコモ湖畔の小都市コモ(Como)、カンタウトゥーリ。

 

Marco Ferradini

 

活動期間:1978 – 現在

所属レコード会社CaroselloL'OrchestraI Dischi Dello Zodiaco( Vedette)SpaghettiMuvicomRicordiPullDuckSMIMoletto

サンレモ音楽祭出場2回:1978年参加、83年18

サンレモ音楽祭出品2曲:1978年との83年自己出場曲

公式サイト

 

 

 マルコ・フェッラディーニは1949728日ミラノの北20kmコモ湖畔の小都市コモで生まれ、8才で家族と一緒にコモのさらに北20kmのカザスコ・ディンテルヴィ(Casasco d'Intelvi)へ引越しました。さらにミラノへと移動します。子供にとって長距離の移動と環境の変化がその後のマルコの性格形成に影響を及ぼしまた。

 

 学校で音楽を勉強し、早い時期からその才能を開花させ、歌唱法、和声法およびクラシック・ギターを教わりました。かれの若い頃の音楽は暗い物でしたが、幸いに彼はイタリアの初期ポップ・ロック・シーンのバンド、イ・バロンディ(I Balordi)とラ・ドルゲリア・ソルフェリーノ(La Drogheria Solferino)に加入することで、彼のおかれていた状況を超える熱意で音楽に接することが出来ました。

 

 マルコ・フェッラディーニの経歴の話はおそらく最初に所属したプロ・バンド、イ・バロンディから始めなければならないでしょう。このバンドは65年ミラノで結成され、翌年のヴァカンス・シーズンに東部アドリア海沿岸保養地で練習し、年末12月にギターのアンドレア・ムラトーリ(Andrea Muratori)が弟でリード・ヴォーカルがメンバーを絞込み、ベースのジョン・ムラトーリ(Gion Muratori)と共にギターのブルーノ・ペッレグリーニ(Bruno Pellegrini)、ドラムスのベッペ・パンツィオーニ(Beppe Panzironi)で結成しています。

 

 66年ドゥリウムからレコード・デビューしました。ジャケット画像を見ていただければわかりますが、まだマルコ・フェッラディーニ加入していません。

 

LdA-7494 (1966 Durium - Durium) Don Chisciotte / Vengono A Portarci Via Ah! Aah!

LdA-7494LdA-7494  LdA-7516LdA-7516

LdA-7516 (1967 Durium - Durium) Domani Devo Fare Una Cosa/Buona Fortuna

 

 彼らを有名にしたのは『女装バンド』としてでした。とは言えどもジャケット画像を見る限り、全員ではなく、水兵のセーラー服もありコス・プレ・バンドないしは非常に初期のビジュアル系バンドだったのかもしれません。

 

 3作目で67年のナポリ音楽祭に出場します。ニーノ・タラント(Nino Taranto)のパートナーとして“マトゥーザ ('O Matusa)”を歌い優勝しました。

 

LdA-7525 (1967 Durium - Durium) 'O Matusa (マトゥーザ)/ La Cammesella (vince il Festival di Napoli 1967 in abbinamento con Nino Taranto)

LdA-7525LdA-7525  LdA-7538LdA-7538

LdA-7538 (1967 Durium - Durium) Non È Francesca (フランチェスカではない)/Guardando Te

 

 そのお陰か4作目は当時うう棒新人カンタウトゥーリのルチオ・バッティスティ(Lucio Battisti)の書いたフランチェスカではない (Non È Francesca)”が与えられ、レコーディングではルーチョがベースを弾いたと言われていますが、全く売れませんでした。この曲が陽の目を見たのはバティスティが69年サンレモ音楽祭に出場した“冒険(Un'avventura)”のB面に収められたときでした。

 

 売れないバンドにつくもののゴタゴタが始まり、ギターのブルーノ・ペッレグリーニとベースのジョン・ムラトーリ頑張ってバンドを辞め、代わりにピノ・マッテウッチ(Pino Matteucci)マルコ・フェッラディーニが加入し、レコード会社もカロセッロに移籍しました。

 

 カロセッロではTV番組「Diamoci La Mano」を歌いましたが、この1曲だけでバンドは解散してしまいます。2006年カルト・レーベルのオンセール・ミュージックからキングス(I Kings)と抱き合わせアンソリジーが発売されています。

 

 フェッラディーニは誠に運のないヘンテコなバンドに一時加入して、すぐさま放り出されてしまいました。

 

CL-20204 (1968Carosello - Carosello) Diamoci La Mano [Sigla della trasmissione televisiva "Cinquecerchi".]/Fateli Tacere

CL-20204CL-20204  52OSM-07652・OSM-076

52OSM-076 (2006 On Sale Music - On Sale Music) CD I Kings/ I Balordi  ‎– Tempi Beat Vol.1

13.Vengono A Portarci Via, Ah! Ahh!

14.Don Chisciotte

15.Domani Devo Fare Una Cosa

16.Buona Fortuna

17.'O Matusa (マトゥーザ)

18.La Mammesella

19.Non È Francesca (フランチェスカではない)

20.Guardando Te

 

 その後直ぐになのか、色々な音楽活動をしていたのか不明ですが、またもや毛色の変わった音楽集だに参加する事になります。

 

 71年ミラノで結成されたユ・クン(Yu Kung)という山の伝説から名付けられた全員歌手の音楽集団に属します。左翼音楽集団で、工場や組合の催し物、公園でのプロレタリアートの集会などに参加していました。

 

 ユ・クンは75年ナポリのリコラ(Licola)で行った音楽活動が高く評価され、その活動は現代まで続いています。特に政治的問題と民族音楽とを結びつけ70年代の活動が一番盛んでした。

 

OLP-10002 (1975L'Orchestra ‎ Ariston) Yu Kung  ‎– Pietre Della Mia Gente

VPA-8308 (1976 I Dischi Dello Zodiaco ‎– Vedette) Gruppo Di Musica Popolare Yu Kung*  ‎– Pietre Della Mia Gente

.Musica Da Lontano  

.Povera Gente  

.Piccolo Paese  

.La Mia Gente  

.Valigie Di Cartone  

.Il Popolo è Forte  

.Mineros  

.'O Forestiero  

.Festa In Paese  

10.LEmigrato  

11.Zip E Zip  

12.Piazza Fontana

OLP-10002OLP-10002  VPA-8308VPA-8308

 

VPA-8370 (1977 I Dischi Dello Zodiaco ‎– Vedette) In Piazza

.Murgia

.Danza In Re (Strumentale)

.Salina

.Giggona (Strumentale)

.Canto Popolar

.Lu Citle (Strumentale)

.Tall El Zaatar

.Casalanguida (Strumentale)

.Preghiera A Un Contadino

10.Monferrina (Strumentale)

11. Barbagia

12.La Città

VPA-8370VPA-8370  VPA-1978VPA-1978

VPA-1978 (1977 I Dischi Dello Zodiaco ‎– Vedette) Yu Kung  ‎– Festa - Danze E Balli Popolari

.Marcia A Ballo

.Cassa Battente

.4 + 6

.Verso La Monferrina

.Bagolino (Tiritera In Re)

.Aria Bretone

.Saltarello Di Salvatore

.Lu Zumpette

.Tiritera In Re (Bagolino)

10.Quattro Salti

11.Moscufo

12.L'Acqua E' Bella

13.Tarantella Di Rossini

 

D-02 (1980 Madau Dischi ‎– Vedette) Yu Kung  ‎– Il Pifferaio

a.Il Pifferaio

b.2 Ballo Del Pifferaio

.Marocchini

.Casbah

.Pelle Scura

.Portella Della Ginestra

.Cocozza

.Panchina Di Quartiere

.Festa Della Citta'

.Tumirada

10.La Sacra Famiglia

11.3 Balli

                D-02D-02

 

 マルコ・フェッラディーニがいつまで ユ・クンに所属していたか分かエネルギーりませんが、78年サンレモ音楽祭にスパゲッティ・レーベルから“テレーザが来れば”で出場しました。

 

 このレコード会社は77年ミラノでロークス(Rokes)のリーダーだったシェル・シャピロ(Shel Shapiro)とレコード・プロデューサーで作詞家のアレッサンドロ・コロンビーニ(Alessandro Colombini)、同プロディーサーシルヴィオ・クリッパ(Silvio Crippa)が新人育成のため設立しました。ここはロザリーノ(Rosalino)が移籍してロン(Ron)と改名し大歌手となったこと、エンリコ・ルッジェリ(Enrico Ruggeri)がバンドのデチベル(i Decibel)のメンバーとしデビューした事などが知られます。

 

 スパゲッティにとってマルコ・フェッラディーニは契約第1号の男性歌手だったと思われ、多分シェル・シャピロかアレッサンドロ・コロンビーニが見付けてきたのだと思われます。彼の印象は典型的なイタリア・フォーク歌手(ロックの要素は薄そうで、セルジョ・エンドリゴやファブリツィオ・デ・アンドレの系列に入りそうな歌手)です。

 

 78年第28回のサンレモ音楽祭がソロ歌手デビューでしたが、成功したとは言えません。歌手としては決してヒット・チャートを賑わすのうな歌手ではありませんでした。 

 

ZBSR-7047 (1978 Spaghetti – RCA Italiana) Quando Teresa Verrà (テレーザが来れば)/Coppia Coppia

              ZBSR-7047ZBSR-7047 

 

 彼のヒット・チャートに名前た出てたのはサンレモ音楽祭の後に出したファーストアルバム「Marco Ferradini  ‎– ...Ma Quando Teresa Verrà...」に入っていた“Adriana”をシングル・カットして発売してからの事でした。

 “Adriana”は翌79年の週間ランキングで最高位45位で7週間ランク・インした極めて地味なヒットですが、彼にとって最初の成功になりました。

 

ZPLSR-34051 (1978 Spaghetti – RCA Italiana) Marco Ferradini  ‎– ...Ma Quando Teresa Verrà...

.Gatto

.Mariù

.Mezzanotte

.Marylou

.Karkadè

.Adriana

.Coppia

.San Martino

.Quando Teresa Verrà (テレーザが来れば)

ZPLSR-34051ZPLSR-34051  ZBSR-7106ZBSR-7106

ZBSR-7106 (1978 Spaghetti – RCA Italiana) Adriana/San Martino

 

 そのあと下積みの仕事を続けます。CMソングの吹込みで、知る人度知る“名曲CM”を持っており、またTVアニメ映画の主題歌も吹込んでいます。手塚治虫の「リボンの騎士」もイタリアで「La Principessa Sapphire(サファイア姫)」として放映され、そのテーマ・ソングを歌いました。

 

TRS-1006 (1980 Traccia ‎– Fonit Cetra) La Principessa Sapphire/ La Principessa Sapphire  (strumentale) (come I cavalieri di Silverland)

TRS-1006TRS-1006  COR-5501COR-5501
COR-5501 (1980 Coronado - CGD) La Ballata Di Tex Willer/Tex's Stomp Music (come Disco Tex)

 

 ディスコ・テックス(Disco Tex)名で“La Ballata Di Tex Willer”も歌っていました。多分意に添わぬ仕事だったでしょうし、彼向きでない音楽で見事に失敗しています。

 

こういう状況で80年代に入っていきます。彼にとって救いとなったのはQ-Discの存在でした。日本でいえば17cm33・1/3回転のミニ・アルバム的レコードでした。短いコンセプト・アルバムとして作った中に収録した“Teorema”が彼の代表作となり、一生の財産として歌い続けることになります。

 

ZPGSR-33415 (1981 Spaghetti – RCA Italiana) Q-Disc Marco Ferradini  ‎– Schiavo Senza Catene

82876-598482 (2004 RCA –) CDs Marco Ferradini ‎– Schiavo Senza Catene [0 82876-5984829]

.Schiavo Senza Catene

.Questa Sera

.Week End

.Teorema

ZPGSR-33415ZPGSR-33415  82876-59848282876-59848・2 

 

 

 

 

マルコ・フェッラディーニの国内盤はありません。

 

マルコ・フェッラディーニ 2は1983年サンレモ音楽祭の後に続きます


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