カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモの歌手たち 463 リッカルド・フォッリ 1 (プー 1)

★リッカルド・フォッリ (vm) Riccardo Fogli 

1947 年10月21日ピサの南東10km(フィレンツェの西南西30km)にある小都市ポンテデーラ(Pontedera)生、歌手。66年から73年までプー(I Pooh)のヴォーカルでした。

 

            VVN-33106VVN-33106 プー(1966年)

 

活動期間1966 – 現在

所属レコード会社Vedette, RCA Italiana, CBS, CGD, Paradiso

サンレモ音楽祭出場8回1974年参加、82年優勝85位、89位、90年入賞、91位、9210位、9619

バンド所属:プー(Pooh) 1966-1973 / 2015-2016

公式サイトwww.riccardofogli.net/

 

 

 リッカルド・フォッリは1973年当時超人気グループであったプーのヴォーカルを辞め、ソロ歌手として独立しました。彼の経歴を語るにはプーのヴォーカル時代から始めなければなりません。プーも90年ただ一度のサンレモ音楽祭に出場し優勝をしていますので、リッカルド・フォッリの紹介と同時にプーの前身バンド結成の頃から紹介するところから当分は進めていきます。

 

 リッカルド・フォッリは、故郷のアマチュア・バンド、ジェット・ディ・ポンテデーラ(Jet di Pontedera)というロック・バンドのベーシストとしてデビューし、短期間ですがフロントマンを務めました。

 1961年に急進的なマネージャーのイヴォ・サッジーニ(Ivo Saggini)と トゥーリオ・アンセルミ(Tullio Anselmi)の協力得て、トゥーリオの息子ネド(Nedo Anselmi)をギタリストとして、ドラムスにマリノ・アルベルティ (Marino Alberti)、もう一人ギタリストのピエロ・バッリーニ(Piero Ballini)、オルガン奏者のヴィンチェンツォ・ドーニ(Vincenzo Doni)を集めました。

 このメンバーにフォッリがベーシストとして加わり、スレンダーズ(The Slenders)が出来上がりました。63年夏エルバ島のホテル・エルミタージュでスレンダーズ&トニー・リオ(The Slenders & Tony Rio)としてデビューしました。トニー・リオはリッカルド・フォッリの芸名でした。

 66年に、歌手テディー・レーノ (Teddy Renoがプロデューサー活動で始めた新人発掘コンテスト「アリッチャの名もなき者の音楽祭(FESTIVAL DEGLI SCONOSCIUTi DI ARICCIA)」に出場しバンド部門2位になります。この新人コンテストは62年リタ・パヴォーネ(Riva Pavone)が優勝し、その後もロークス(The Rokes)マルチェラ(Marcella Bella)など有名歌手を輩出し有名になりました。

 このコンテストで良い成績をおさめ、イタリアへビートルズを招聘した興行師でプロデューサーのレオ・ウェヒター(Leo Wächter)と契約することが出来、ミラノのパイパー・クラブの出演が決まりました。そのためフォッリは勤めていたタイヤ・ショップを、その他のメンバーは製鉄所を半年休職することになります。

 

 一方、プーの核となったのは62年ボローニャでドラマーのヴァレリオ・ネグリーニ(Valerio Negrini)とギタリストのマウロ・ベルトーリ(Mauro Bertoli)が結成したジャガーズ(Jaguars)というバンドでした。

 このバンドはメンバーの出入りが激しく64年にやっとメンバーも定着してきました。ジャガーズ結成メンバーのヴァレリオ・ネグリーニ(ドラム)マウロ・ベルトーリ(ギター)に、ヴォーカルのヴィットリオ・コスタ (Vittorio Costa)、ベースのジャンカルロ・カンテッリ (Giancarlo Cantelli)、リズム・ギターとキー・ボードのブルーノ・バッラコ(Bruno Barraco)の5人編成でした。

 65年にまたメンバー変更があります。ヴィットリオ・コスタは医療の研究を続けるため脱退しブルーノ・バラッコが辞め、キー・ボードのボブ・ジッロト(Bob Gillot)リズム・ギターのマリオ・ゴレッティ(Mario Goretti)が加入、ジャンカルロ・カンテッリからベースのジルベルト・ファッジョリ(Gilberto Faggioli)に変更されました。

 66年1月新メンバー5人のジャガーズはエキペ84(Equipe 84)を失って新たなビートニック・バンドを探していたアルマンド・シャーシァ(Armando Sciascia)が作ったヴェデッテ(Vedette)と契約することが出来ました。しかしローマで既にジャガーズという名前のバンドがレコードを出していたので、彼らは新しい名前を見つける必要がありました。外国でよく知られている児童文学「くまのプーさん」からイ・プー(I Pooh)というバンド名を選びました。

 

プー結成時のメンバー構成(1966年1月)

・マウロ・ベルトーリ(Mauro Bertoli)本名マウロ・エドゥアルド・ツィーニ・ベルトーリ(Mauro Eduardo Zini Bertoli)1945 9 8 日ボローニャ生、グループの共同設立者, ヴォーカル、ギター(在籍1966-1967)

・マリオ・ゴレッティ(Mario Goretti)1945 年ボローニャ生、ヴォーカル、ギター(在籍1966-1968)

ボブ・ジッロト(Bob Gillotロバート・ギロット)ヴォーカル、キー・ボード (1965-1966)

ジルベルト・ファッジョリ(Gilberto Faggioli)- ヴォーカル、ベース (1966)

ヴァレリオ・ネグリーニ(Valerio Negrini) 194654日ボローニャ生、201313日心筋梗塞のためトレント没、グループの創設者; ヴォーカル、ドラムス、作詞家(在籍1966 -1971)

 

 デビュー曲はスペンサイー・デイヴィス・グループ(Spencer Davis Group)の“キープ・オン・ランニング”のイタリア語カヴァー、B面がオリジナル曲でした。

 

VVN-33106 (19662 Vedette - Vedette) Vieni Fuori (Keep On Runningキープ・オン・ランニング)/ L'Uomo Di Ieri (昨日の男) ジャケット画像は顔写真画像をご参照

 

 彼らはヴェデッテから正式デビューする前に、西ドイツのコロンビアで時計仕掛けのオレンジ(The Clockwork Oranges)というバンド名で、“Ready Steady/After Tonight”の英語のシングル盤を作っており、こちらもイタリアのデビューと同時期に発売されています。プーのオフィシャル・サイトにあるディスコグラフィーには載せられていません。

 

C-23267 (19662Columbia Electrola Gesellschaft, West Germany) Ready Steady/After Tonight [Sotto pseudonimo The Clockwork Oranges]

C-23267C-23・267 VVN-33114VVN-33114

VVN-33114 (19664 Vedette - Vedette) Bikini Beat/Quello Che Non Sai (Rag doll 悲しきラグ・ドール)

 

 2枚目のシングル盤はフォー・シーズンス(The Four Seasons)の“悲しきラグ・ドール”のイタリア語カヴァー曲、B面はオリジナル曲です。結成時のオリジナル5人でレコードを作ったのはこれが最後となります。

 

 3枚目のシングル“ブレンネロ66”はローマ・バラのフェスティヴァル出場曲です。この音楽祭はサンレモ音楽祭と同様ダブル・キャスト制で同じレコード会社ヴェデッテのロビー・クリスピアーノ(Roby Crispiano)がパートナーでした。バンドは5人編成ですが4月末にギターのボブ・ジッロト(Bob Gillot)の代わりにキー・ボードのロビー・ファッキネッティ(Roby Facchinetti)、その夏ベースのジルベルト・ファッジョリ(Gilberto Faggioli)はバンドを解雇され、スレンダーズのベーシストであるリッカルド・フォッリ(Riccardo Fogli)が加入します。

 

 なぜこういう事になったのか。原因はプーの前身ジャガーズの結成メンバーでもあるマウロ・ベルトーリでした。彼はビートニック音楽に疲れ、舞台恐怖症になり、度々舞台を休むことになります。更に若いダンサーと恋に陥り、結婚して音楽を辞めようと思っていたようです。旧友のヴァレリオ・ネグリーニは彼を庇いましたが他の3人のメンバーは不満を募らせます。

 

 リッカルド・フォッリが所属するスレンダーズとプーの両バンドは66年夏のシーズンにミラノのパイパー・クラブに出演しており、そこで両グループの会談が行われ、フォッリの移籍が決まり、結局ファッジョリは脱退してしまいます。

 

VVN-33121 (196610 Vedette - Vedette) Brennero '66 (ブレンネロ66) / Per Quelli Come Noi (僕らに似たあの人達に) [5人編成:Mauro Bertoli /Roby Facchinetti /Riccardo Fogli/Mario Goretti /Valerio Negrini ]

VVN-33121VVN-33121a  VVN-33121[1998]VVN-33121[1998]

VVN-33121 (1998 Quei Favolosi Anni '60 Duck Record) Brennero '66 (ブレンネロ66)/ Per Quelli Come Noi (僕らに似たあの人達に) [音楽誌"Quei favolosi anni '60", Fabbri Editori N. 22 :Not For Sale]

 

VRM-36033a  SR- 5  VRM-36033 (2008)     

VRM-36033                      SR- 5                              VRM-36033 (2008)

VRM-36033 (196610Vedette - Vedette) 30cmLP Per Quelli Come Noi

SR- 5 (2005Suoni Rari ‎– Raro! Records) 30cmLP Per Quelli Come Noi [Picture Disc.]

VRM-36033 (2008Vedette - Duck Records) 30cmLP Per Quelli Come Noi [Limited edition of 500 copies]

MPCD- 246 (1998 Ricordi BMG Ricordi) CD Per Quelli Come Noi

CDOR-9337 (1987,2005 Ricordi ‎– Duck! Records) CD Per Quelli Come Noi

.Per Quelli Come Noi (僕らに似たあの人達に)   

.La Solita Storia   

.Ora Che Cosa Farai (La-La-La Lies)   

.Istintivamente Io E Te (You'll Find Out?)   

.Quello Che Non Sai (Rag doll 悲しきラグ・ドール)

.Vieni Fuori (Keep On Runningキープ・オン・ランニング) - SPENCER DAVIS GROUP

.Non La Fermare   

.La Vostra Libertà   

.Nel Buio (I Looked In The Mirror闇の中に)

10.Brennero '66 (ブレンネロ66)

11.Sono L'Uomo Di Ieri (昨日の男)

12.Nessuno Potrà Ridere Di Lei (Till The End Of The Day)

[5,11Gilberto Faggioli, Bob Gillot]

 太字5、11はボブ・ジッロト、ジルベルト・ファッジョリ在籍時の録音

MPCD- 246MPCD- 246  CDOR-9337CDOR-9337

 

 ベルトーリも名前だけはバンドに残しましたが、実質的に活動休止状態になります。

 

 

 

リッカルド・フォッリ2 (プー 2)は次回に続きます


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サンレモの歌手たち 454 ミルバ 17

前回のミルバ16の続きです。

ミルバ (v)  Milva

本名マリア・イルヴァ・ビオルカーティ(Maria Ilva Biolcati)、1939年7月17日ポー河の河口近くの小さな漁村ゴーロ(GORO) 生、歌手・女優。

 

               SMRL-6362SMRL-6362a

 

活動期間1959-2011

所属レコード会社Cetra(Fonit Cetra), Ricrdi, Metronome (Germany)

サンレモ音楽祭出場15回(17曲):1961年第3位、62年第2位、12位、63年5、10位、64年参加、65年入賞、66年8位、67年参加、68年第3位、69年第3位、72年12位、73年第3位、74年17位、90年入賞、93年参加、2007年入賞

公式サイトhttp://www.milvalarossa.it/

            

 

 ミルバ1977年ドイツに本拠を移し、イタリアでブレヒトを歌った実績からドイツでの評価を得ていますが、ギリシャのテオドラキスの曲を集めたアルバム「Von Tag zu Tag, Lieder von Mikis Theodorakis」で初成功、81年にはギリシャ出身のヴァンゲリス(Vangelis)の曲を歌った「女心/ヴァンゲリスを歌う」で大成功を収めます。86年彼女は再びヴァンゲリスの曲をイタリア語歌うアルバム「夢のひととき(Tra due sogni)」を出しました。

 

 イタリア盤とドイツ盤では若干曲目が異なります。日本ではイタリア盤がLP、CDと公式輸入盤で、92年にCDで再発売されました。

 

CDMRL-6362  829-897・1  829-897・2   

CDMRL-6362                 829-8971                   829-8972

SMRL-6362 (1986 Ricordi – Dischi Ricordi) 30cmLP Tra due sogni (ミルバ、ヴァンゲリスを歌う//夢のひとときミルバ) ジャケット画像は顔写真画像をご参照

CDMRL-6362 (1986Ricordi – Dischi Ricordi) CD Tra due sogni

829-8971 (1986 Metronome – Metronome) 30cmLP Tra due sogni

829-8972 (1986 Metronome – Metronome) CD Tra due sogni

841-4872 (1989 Karussell – PolyGram) CD Tra due sogni

841-4872 (1990 Karussell – PolyGram) CD Star Gold - Die Großen Erfolge ‎– Milva   

              841-487・2a  841-4872 841-487・2b

1※1.Canto A Lloret (Du Gibst Mir Mehr) (Tomorrow And Tomorrow And Tomorrow) (ロレットに歌う)

2※5.Cuori Di Passaggio (Wünsche) (Thursday Morning) (たわむれに)

3※4.Un Pomeriggio E 1/2 (Etwas Mehr) (The Painter) (午後のうつろい)

4※10.Desiderato Sogno (Arie) (Spanish Dream) (夢見る心)

5※9.L'Ultima Carmen (Die Letzte Carmen) (Carmen) (新・カルメン)

6※6.A Tradimento (Ich Weiss, Was Ich Will) (Silence In The Dark) (裏切り)

7※2.Blue Notte (Wie Wolken) (Search For The Truth) (蒼い夜)

8※7.Spring, Summer, Winter And Fall (Dreizehn Türen) (春、夏、冬、秋 [])

※8.Venedig Im Winter (Shady Blue)

9※3.Un Altro Maggio (Deine Frau) (Other Side Of The Universe) (夢の五月)

10.In Sogno (Finale) (Da Oben Ist Sein Zimmer (彼の部屋)) (...フィナ)

829-6561 (1986 Metronome ‎ ‎– Metronome) 30cmLP Geheimnisse [※数字=独語盤の曲順]

829-6562 (1986 Metronome ‎ ‎– Metronome) CD Geheimnisse

829-6561829-656・1  829-6562829-656・2

 

 ドイツでは2枚のシングル盤が発売されました。

 

885-1517 (1986 Metronome ‎– Metronome) Du Gibst Mir Mehr (Tomorrow And Tomorrow And Tomorrow) (ロレットに歌う)/Etwas Mehr (The Painter) (午後のうつろい)

885-1517885-151・7  885-4287885-428・7

885-4287 (1986 Metronome ‎– Metronome) Deine Frau (Other Side Of The Universe) (夢の五月)/ Arie (Spanish Dream) (夢見る心)

 

 旧籍チェトラからCDで編集ベスト盤が出ます。日本では88年にANFコーポレーションがCDを発売します。

 

CDM-2005 (1987 Cetra - Fonit Cetra) CD Grandi scelte Milva

.Violino Tzigano (夜のヴァイオリン)

.Flamenco Rock (フラメンコ・ロック)

.Il Primo Mattino Del Mondo (恋の朝)

.Tango Della Gelosia (嫉妬のタンゴ)

.Quattro Vestiti (四つの衣装)

.Blue Spanish Eyes [Occhi Spagnoli] (スペインの瞳 [])

.Tango Italiano (タンゴ・イタリア-ノ)

.Abat-Jour (アバ・ジュール [])

.Il Mare Nel Cassetto (ひきだしの中の海)

10.Vieni Con Noi (黒い想い出)

11.Ore Perdute (失ったとき)

12.Il Tango Delle Capinere (しじゅうからのタンゴ)

13.Le Rose Rosse (赤いバラ)

14.Exodus (栄光への脱出 [])

15.Sonny Boy (ソニー・ボーイ [])

16.Milord (ミロ [])

17.Mon Homme (私の男)

18.Et Maintenant (そして今は)

19.Symphonie [Sinfonia D'Amore] (恋のシンフォニ [])

20.Les Enfants Du Pirée (Uno A Te Uno A Me) (日曜はダメよ [])

                                   CDM-2005CDM-2005

 

 87年5月の日本公演のため来日し多くの来日記念盤が発売されました。

 

 

 

ミルバの国内盤1986〜87年

K28P-  578K28P- 578  K32Y- 2027K32Y- 2027

K28P-  578 (19861SEVEN SEAS - キング) 30cm LP エル・タンゴ ミルバ/アストル・ピアソラ (MILVA AND ASTOR PIAZZOLLA LIVE AT THE BOUFES DU NORD) [METRONOME原盤]

K32Y- 2027 (1986421 SEVEN SEAS - キング) CD エル・タンゴ ミルバ/アストル・ピアソラ (MILVA AND ASTOR PIAZZOLLA LIVE AT THE BOUFES DU NORD)

KICP- 208 (1992422 SEVEN SEAS - キング) CD エル・タンゴ ミルバ/アストル・ピアソラ (MILVA AND ASTOR PIAZZOLLA LIVE AT THE BOUFES DU NORD)

KICP- 641 (1998424 SEVEN SEAS - キング) CD エル・タンゴ ミルバ/アストル・ピアソラ (MILVA AND ASTOR PIAZZOLLA LIVE AT THE BOUFES DU NORD)

1ブェノス・アイレスで私は死のう<L> (BALADA PARA MI MUERTE L)

.失われた小鳥たち<L>       (LOS PAJAROS PER DIODS L)

.デカリシモ<L> (DECARISIMO L)

.孤独の歳月<L> (ANNEES DE SOLITUDE L)

.ロコのバラード<L> (BALADA PARA UN LOCO L)

.行こうニーナ<L> (VAMOS NINA L)

.忘却<L> (OBLIVION L)

.チェ・タンゴ・チェ<L> (CHE TANGO CHE L)

.3001年へのプレリュード<L> (RINASCERO' L)

10.ブレヒトとブレルの間で<L> (ENTRE BRECHT ET BREL L)

KICP- 208KICP- 208 
KICP- 641KICP- 641

 

K28P-  579 (19861SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 自由な関係 (CORPO A CORPO) [RICORDI (METRONOME)原盤]

.自由な関係 (AMO CHI SIAMO)

.わかれの夜 (LA NOTTE DELL'ADDIO)

.孤独な心 (CUORI SOLITARI)

.ダンスホールの物語 (STORIE DEA DANCING)

.港のバーで (AL BAR DEL PORTO)

.マリネロ (MARINERO)

. (LUI)

.静けさの中の輝き (NEL SILENZIO SPLENDE)

.人生のフィルム (IL FILM DELLA MIA VITA)

 

                    K28P- 579K28P- 579 

 

K25P-  637 (1986721 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP ディスコ・ナイト・フィーヴァー (DISCO NIGHT FEVER)

K32Y- 2032 (1986721 SEVEN SEAS - キング) CD ディスコ・ナイト・フィーヴァー (DISCO NIGHT FEVER)

.マリネロ (MARINERO) [RICORDI 原盤]

.自由な関係 (AMO CHI SIAMO) [RICORDI 原盤]

 

K25P-  637K25P- 637 K32Y- 2032K32Y- 2032

 

K07S- 7075 (1986921 SEVEN SEAS - キング) マリネロ (MARINERO)/自由な関係 (AMO CHI SIAMO) [RICORDI 原盤]

K12P-  638 (1986921 SEVEN SEAS - キング) 12” Maxi マリネロ (MARINERO)/自由な関係 (AMO CHI SIAMO) [RICORDI 原盤]

 

K07S- 7075K07S- 7075 K12P-  638K12P- 638

 

K25P-  650 (19861121 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP チャ・チャ・チャ/ディスコ・ポップ・ベスト・セレクション '86 DISCO POP BEST SELECTION '86)

K32Y- 2044 (1986721 SEVEN SEAS - キング) CD チャ・チャ・チャ/ディスコ・ポップ・ベスト・セレクション '86 DISCO POP BEST SELECTION '86)

12.マリネロ (MARINERO) [RICORDI 原盤]

 

K25P-  650K25P- 650 K32Y- 2044K32Y- 2044

 

K32Y- 2046 (1986125 SEVEN SEAS - キング) CD ビルラ、ミルバ・イン・ジャパン (VILLA MILVA CONCERT IN JAPAN) [KING, Japan原盤]

.この胸のときめきを<L> (IO CHE NON VIVO (SENZA TE) L)

.限りなき世界<L> (IL MONDO <L)

.悲恋<L> (NESSUNO DI VOI L)

10.知らなかった[日] <L> (NON SAPEVO [J] L)

11.ミロ-ル<L> (MILORD L)

12.チャオ・ベラ・チャオ<L> (BELLA CIAO L)

13.しあわせにつつまれて<L> (TUTTO VA BENE <L> [クラウディオ・ビルラとミルバ (VILLA,CLAUDIO e MILVA)]

 

 

K32Y- 2046K32Y- 2046  K32Y- 2073K32Y- 2073

 

K32Y- 2073 (198745 SEVEN SEAS - キング) CD タンゴ・イタリアーノ、愛遥かに/ミルバ・ベスト20 (CANZONE BEST STAR ALBUM ON CD MILVA) [1-11 FONIT CETRA; 12-20 RICORDI 原盤]

.フラメンコ・ロック (FLAMENCO ROCK)

.ひきだしの中の海 (IL MARE NEL CASSETTO)

.緑の海 (MARE VERDE)

.恋の朝 (IL PRIMO MATTINO DEL MONDO)

.今宵ルナ・パルクで (STANOTTE AL LUNA PARK)

.タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO)

.リコルダ (RICORDA)

.知らなかった (NON SAPEVO)

.傷だらけの心 (VAI CON LUI)

10.きょうも夢みて (ARIA DI FESTA)

11.悲恋 (NESSUNO DI VOI)

12.さようならキューバ[伊] (QUANDO UNA STELLA CADE)

13.涙に咲く花 (L'IMMENSITA')

14.夜の私 (IO DI NOTTE)

15.愛の告白 (UNO DEI TANTI)

16.カンツォーネ (CANZONE)

17.消えたほほえみ (UN SORRISO)

18.愛遥かに (DA TROPPO TEMPO)

19.フィランダ (LA FILANDA)

20.チャオ・ベラ・チャオ (BELLA CIAO)

 

K28P-  662 (1987421 SEVEN SEAS - キング) 30cm LPミルバ/2丁目の子守唄 (NINNA NANNA DELLA TRAVIATAMILVA CANTA DELLA GIAPPONESI) [1-11RICORDI; 12-16 FONIT CETRA原盤]

K32Y- 2069 (198765SEVEN SEAS - キング) CD ミルバ/2丁目の子守唄 (NINNA NANNA DELLA TRAVIATAMILVA CANTA DELLA GIAPPONESI) [1-8,10,11RICORDI; 9 KING, Japan; 13-18, FONIT CETRA原盤]

1※1.2丁目の子守唄[日] (NINNA NANNA DELLA TRAVIATA [J])

2※2.折り返し悲しみ行き[日] (IL TRENO PER TRISTE [J])

3※3.過ぎさりし想い出は[日] (I RICORDI DEL PASSATO [J])

4※4.愛のフィナ-レ[日] (FINALE D'AMORE [J])

5※5.ゆきずりの人[日] (LE TEMPS EST LOIN [J])

6※6.地中海のバラ[日] (MEDITERRANEO [J])

7※7.愛の詩[日] (QUANDO L'AMORE DIVENTA POESIA [J])

.※9愛のめざめ[日] (HO CAPITO CHE TI AMO [J])

9※8.カンツォ-ネ[日] (CANZONE [J])

10.愛遥かに[日] (DA TROPPO TEMPO [J])

1011.この愛に生きて [日] (IO PER AMORE [J])

1112.愛の告白 [日] (UNO DEI TANTI [J])

1213.二人の星 [日] (LA STELLA PER NOI [J])

1314.夜空に誓う[日] (STELLA MIA [J])

15. 淋しきこだま [日] (LA RISOPSTA [J])

1416.悲恋 [] (NESSUNO DI VOI [J])

1517.知らなかった[日] (NON SAPEVO [J])

1618.ウナ・セラ・ディ東京[日] (UNA SERA DI TOKYO [J])

 

K28P-  662K28P- 662  K32Y- 2069K32Y- 2069

 

K28P-  663 (1987421 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 最新ベスト・オブ・ミルバ (I SUCCESSI DI MILVA) [1-11,13-16 RICORDI; 12 FONIT CETRA原盤]

K32Y- 2070 (1987421SEVEN SEAS - キング) CD 最新ベスト・オブ・ミルバ (I SUCCESSI DI MILVA)

.泣かないでアージェンティーナ (NON PIANGER PIU' ARGENTINA)

.ミロール [] (MILORD [I])

.水に流して ([]        NULLA RIMPIANGERO)

.愛のめざめ (HO CAPITO CHE TI AMO)

.リトル・マン[伊] (LITTLE MAN [I])

.男と女[伊] (UN UOMO, UNA DONNA)

.ある愛の詩[伊] (LOVE STORY [I])

.ニュー・ヨーク<L> (NEW YORK L)

.地中海のバラ (MEDITERRANEO)

10.太陽の勝利 (UNO COME NOI)

11.人形のモニカ (MONICA DELLE BAMBOLE)

12.スペインの瞳[伊] (BLUE SPANISH EYES [I])

13.マリネロ (MARINERO)

14.スラバヤ・ジョニー (SURABAYA JOHNY)

15.場末のバンドネオン[伊] (BANDONEON ARRABALERO)

16.愛の讃歌[伊] (INNO ALL'AMORE)

 

K28P-  663K28P- 663  K32Y- 2070K32Y- 2070

 

 

 

 

ミルバ18次回に続きます


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 67 1974年-2

第24回 1974年3月7日()~9日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:コラッド (Corrado)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮:  の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)、ヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti
形式:初めてカテゴリー制を導入、カテゴリーAはスター部門14曲は最終夜の決勝戦に進め、カテゴリーBも14曲、第1夜、第2夜でそれぞれ7歌手が歌い上位2歌手、合計4歌手のみに決勝背の出場権を与え、最終夜に18歌手が歌い、出場した中から優勝を決め、上位3歌手のみ得票を公表し他の歌手は入賞曲とする。

 

レコード会社別出場歌手数

 []は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); Produttori Associati [] Spark []Ariola [])

RCA Italiana [] (RCA Italiana 4[]EDIBI [])

Ri Fi []

CBS SUGAR [] CGD []CiPiTi [] Vogue []

FONIT CETRA 2[]

ARISTON []

EMI Italiana [] (EMI Italiana []PDU [])

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

 

 1974年のオーガナイザーは前年に引続きヴィトリオ・サルヴェッティと前々年のエリオ・ジガンテに62~68、71年のオーガナイザーだったサンレモの“ドン“ジャンニ・ラヴェーラの3人体制で行われました。これだけの顔触れが揃えば何でもできそうでしたが、お互いの利害を主張しあい、結局は不協和音が起こる始末でした。

 司会は放送作プロデューサー、司会者、マルチタレントのコラッド(コラッド・マントーニ)、アシスタントは前年好評だった女優のガブリエッラ・フェリノンが務めました。

 

 毎年減少する出場枠、前年はアドリアーノ・チェレンターノの棄権とローザ・バリストレリの失格があり、30歌手となりましたが、最初の出場枠は32歌手で、74年は最終28歌手の出場枠となりました。歌手音楽家組合は外人出場枠を4歌手以下に留めるように要求し、ペルシャ系イタリア人カムビスをどう扱うかは別として、フランスのレ・シャルロ、オランダのマウス&マクニール、イギリスのミドル・オブ・ザ・ロードと組合の要求をのみましたが、新人歌手(候補歌手カテゴリー)を16歌手にする事は退けられました。

 これは2夜で各8歌手を歌わせ、各2歌手を選出し、あと2歌手を敗者復活戦で勝ち上がらせる計画でしたが、RAI(イタリア国営放送)が放送時間が延びることを嫌がり(電力事情で23時放送打切り)、実現しなかったと思っています。

 

 応募曲は126曲から28曲が選ばれました。ミルバの“人形のモニカ”は72年に選出されましたがミルバが歌手に選ばれなかった為に彼女が拒否、73年も同様でやっと74年ミルバが歌うことで出場曲となりました。

 歌手選定は以前ほど右往左往しませんでしたが、ロック・バンド系は避けられ外国人のみの出場となります。前々年、前年とペピーノ・ガリアルディ、ペピーノ・ディ・カプリのナポリ勢が強く、74年はジャンニ・ナザーロだけに絞られ、また外国人歌手はホセ・フェリシア-ノ、ウィルソン・ピケット、スージー・クァトロ、さてはリンゴ・スターの名前も挙がりましたが大物歌手を呼ぶことは出来なかったようです。

 

 

            EDF-1094        PAF・LP-3003  

            ドナテッラ・レット (EDIBI)             カサデイ (Produttori Associati)

 

 

 <入賞曲> (表中で出版社の後にある<A>は、候補の部から勝ち上がった曲です)

  夏の夜 Notte dell'estate Claudio Celli - Aldo Buonocore - Albino Mammoliti) 出版社 LA VOLPE <A> ヴァレンティーナ・グレコ (vf) Valentina Greco CiPiTi – CBS SugarCPTNP- 1026 [45]

 

CPTNP- 1026CPT・NP- 1026  HIT-2200HIT-2200 

 

◇村の狂人 Il matto del villaggio Franco Migliacci - Claudio Mattone - Piero Pintucci) 出版社RCA ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari RCA Italiana – RCA ItalianaTPBO-1027 [45]

 

TPBO-1027TPBO-1027  6012-4216012-421 

 

ああ愛 Ah! L'amore Ettore Lombardo - Gilberto Sebastianelli - Ermanno Cappelli - Hans Van Hemert) 出版社出版社KARMA マウス & マクニ(duo=ho) Mouth & McNeal PHILIPS – PHONOGRAM6012-421 [45]

 

◇道はひとすじ A modo mio Claudio Baglioni - Antonio Coggio) 出版社 RCA - SUCCESSO ジャンニ・ナザーロ (vm) Gianni Nazzaro CGD – CBS Sugar2228 (CGD) [45]

 

2228 (CGD)2228 (CGD)  HIT-2136HIT-2136

 

◇逆光の中で In controluce Paolo Limiti - Albano Carrisi) 出版社 V.d.P. – PRIMATO アル・バーノ (vm) Al Bano EMI – EMI Italiana3C006-18004 [45]

 

3C006-180043C・006-18004  LdA-7840Ld・A-7840 

 

恋人たち Innamorati Luciano Beretta - Mino Reitano - Franco Reitano) 出版社 FREMUS - FIUMARA ノ・レイタ (vm) Mino Reitano Durium – DuriumLdA-7840 [45]

 

星の中の幻想 Un po' di coraggio Dante Pieretti - Antonio Ruggero Mancino) 出版社JUBAL ロザンナ・フラテルロ (vf) Rosanna Fratello RICORDI – Dischi RICORDISRL-10716 [45]

 

SRL-10716SRL-10・716  SPT-1544SPT-1544 

 

白馬 Cavalli bianchi Miro - Giulifan - Bruno Casu) 出版社USIGNOLO - L.TONY Mus. リトル・トニー (vm) Little Tony CETRA – FONIT CETRASPT-1544 [45]

 

人形のモニカ Monica delle bambole Luciano Beretta - Elide Suligoj) 出版社ILLER ミルバ (vf) Milva RICORDI – Dischi RICORDISRL-10717 [45]

 

SRL-10717SRL-10・717  13224AT13224・AT 

 

黄色い太陽 Sole giallo Maurizio Piccoli - Pino Donaggio) 出版社 CURCI ミドル・オブ・ザ・ロード (compl=e) Middle Of The Road ARIOLA Dischi RICORDI13224AT [45]

 

 

 

次回は参加曲に続きます

 

 

 74年初参加のレコード会社は2社目はスパーク(Spark)です。私がこのブログを書く大切な情報源の一つとしているディスコグス(Discogs)では、イギリスのレーベルとされ、ディスコグラフィーもその扱いになっていますが、本当はイタリアのマイナー・レーベルで何かの思い違いと思いますが、私も断定的な事を言う勇気はありません。ここでイタリアのスパーク・レーベルの事を書きますのでご参考にしていただければ良いかと思います。スパーク・イタリアーナというレーベルは別に存在します。

 

                      Spark

 

 スパークは1972年ミラノで設立されました。元は1887年に出来たカリッシュ音楽出版が1949年に自社の楽曲をレコード化するために作った会社カリッシュ(Carisch)が61年にリフィと共同で設立した新人開発レーベルMRC(Milano Record Company)でした。

 親会社カリシュはドイツ系のレーベルのオデオン(Odeon)やパーロフォン(Parlophone)を持ち、ルチアーノ・タヨーリ(Luciano Tajoli)が在籍したオデオンを取得、クラウディオ・ビルラ(Claudio Villa)がパーロフォンからデビュー、ナポリの大御所ヌンツィオ・ガロ(Nunzio Gallo)ジョルジョ・コンソリーニ(Giorgio Consolini)を擁し、映画「恋愛専科」で“アル・ディ・ラ”を歌い、ドメニコ・モドゥーニョの“ヴォラーレ”に次いで全米ランキングに名前を連ねたエミリオ・ペリコーリ(Emilio Pericoli)、またロック調ナポリターナで立続けにヒット曲を出したペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)がデビューしています。

 MRCの初成功は63年新人コンテスト・カストロカーロでジリオラ・チンクェッティと共に優勝したブルーノ・フィリピーニ(Bruno Filippini) でした。64年サンレモ音楽祭で“土曜の夜 (SABATO SERA)”、65年はパートナーが伊東ゆかりで“恋する瞳 (L'AMORE HA I TUOI OCCHI)”を歌いましたので、日本でも名前が知られます。64年にはカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)も巣立ち順調にことは進んでいました。

 さらにカリッシュはパーロフォンを持っていたので、英EMIがヨーロッパ系レーベルの統合、専有する67年までビートルズのイタリア販売権も持ち、イタリアでも一流のレコード会社でした。

 しかし68年以降オデオン、パーロフォンを失い、ペピーノ・ディ・カプリも独立し急激に経営が悪化します。そこで新興のミウラ・レコードの傘下に入りますが、そのミウラも72年破綻しカリシュとMRCも巻き添えになります。カリッシュはクラシックに特化し、MRCはリコルディに売却されスパークとして再出発しました。

 スパークにはベテランのサンレモ音楽祭出場歌手ウィルマ・デ・アンジェリス(Wilma De Angelis)が在籍、サンレモに出場したアントネッラ・ボタッツィは花開かず、女優のミニー・ミノプリオ(Minnie Minoprio)、 クリスティアン(Christian)、プログレ・バンドのアントニウス・レックス(Antonius Rex)やピン・ポン(i Ping Pong)もいましたが、これと言ったヒットが出ず閉鎖、78年カタログをリコルディが吸収しその歴史を閉じました。

 

                                 

Rossella    Les Charlots      Sonia Gigliola Conti              

ロッセラ (RCA ITALIANA)       レ・シャルロ (VOGUE)              ソニア・ジリオラ・コンティ (Ri Fi)

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 64 1973年-2

 この年の最大の話題は優勝、第二位の曲を歌ったのがペピーノ・ディ・カプリとペピーノ・ガリアルディの二人のペピーノは共にナポリの歌手だった。と言うことであればよかったのですが、またしてもサンレモ音楽祭のお騒がせ男アドリアーノ・チェレンターノが主役になってしまいました。

 

 3月6日、音楽祭の始まる前々夜に運営管理本部のヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)と市会議員ナポレオーネ・カヴァリエーレ(Napoleone Cavaliere)宛てに1通の電報が届きます。発信人は出場歌手のアドリアーノ・チェレンターノからでした。

 

           Umberto Balsamo           Wess & Dori Ghezzi

        ウンベルト・バルサモ (POLYDOR)          ウェスとドリ・ゲッツィ (DURIUM)

 

 内容は「名も知らぬ歌手達が出場することで有名歌手の多くが出場できない事を思うと胃が痛み、胃炎になって出場できません。」ということでした。直ちに真偽を確認するために電話をしました。本人からの物で出場放棄とし、代替曲の選定をしませんでした。サンレモの「チェレンターノ・エスケープ事件」です。私も顔ぶれを見ると、そう言いたくなる気持ちも理解できなくもありません。

 

 しかし、クラウディオ・ビルラは風邪で寝込んだ時は会場にレコードだけでも流し、ボビー・ソロは声が出なかったためレコードに合わせ「口パク」だけで舞台に立ちました。過去に病欠した歌手はなく、サンレモ音楽祭はそのような厳しい場でした。チェレンターノは舞台から逃げたと思われても仕方がありません。

 

 

第23回 1973年3月8日()~10日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)、芸術助監督ブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesi
形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。

 

[]は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); ARCOBALENO [], SIF [] CAR JUKE BOX[])

FONIT CETRA 7[]FONIT CETRA 4[]CAROSELLO 1[] KING UNIVERSAL[] DUCALE[]

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[] SIDET[])

CBS SUGAR [] CGD []CBS [] SPLASH[]

ARISTON []

DURIUM []

SAINT MARTIN 1[]

 

 

 さらに悪いことにローザ・バリストレリが大会規定に反し、音楽祭開始以前に出場曲を公に歌ってしまったことが判明しました。彼女の“愛なきふるさと”は失格となります。このことは次回お話ししましょう。結果32曲が30曲の出場曲になってしまいました。直前立ったため、イタリアでのコンピ盤、ルフェーブルの演奏盤はそのままこれらの曲は収録されます。

 

 後のヒット状況は最悪でした。前年は14曲の入賞曲の内ララ・サン・ポールを除く13曲が年間ヒット・ランクに入りましたが、73年は入所曲16曲中7曲しかランク・インせず半減となり、さらに出場棄権したアリドアーノ・チェレンターノの“ただ一つのチャンス”が37位で、優勝曲“失われた愛を求めて”の29位に次ぐ成績でした。これでサンレモ音楽祭の存在意義が問われかねません。

 

 

           CHRISTIAN DE SICA         Alessandro   

          クリスチャン・デ・シ- (RICORDI)       アレッサンドロ (CBS/CBS SUGAR)

 

 ジルダ・ジュリアーニは新人初参加で5位、年間ヒット・ランク42位の好成績でした。彼女は現在も続いている新人コンテストUna Voce Per Sanremoでアルベルト・フェーリと共に優勝し、出場資格を得ました。RCAイタリアーナが出場辞退したのか、アルベルトは彼一人の出場でまともなプロモートもなく参加曲に終わります。

 

 他の曲の年間ヒット・ランクの状況は第2位の“夢に消えた詩”43位、第3位の“愛遥かに”63位、“愛の果実”88位、“太陽の旗”94位、“美しい君(夢見るあなた)”47位でした。後にフランスで大ヒットしたため注目を浴びたドゥルピの“去り行く君”ですが、イタリアの年間ヒット・ランクでは100位以内には入っていません。

 

              

<入賞曲>

11美しい君 (夢見るあなた)  Come sei bella G.Bigazzi - C.Cavallaro) 出版社 APRIL Mus. <1170> イ・カマレオンティ (compl) Camaleonti (CBS CBS Sugar1293(CBS) [45]

 

1293(CBS) 1293(CBS)  ECPB-  251ECPB- 251

 

 

12若い恋人 Tu giovane amore mio D.Pieretti - F.Monachesi - R.Gianco - A.Nicorelli) 出版社 JUBAL <1131> ドナテッロ (vm) Donatello Ricordi – Dischi RicordiSRL-10690 [45]

 

SRL-10690SRL-10・690  CI-20347CI-20347 

13花開く世界 Il mondo è qui M.Remigi) 出版社 D'ANZI <1111> メモ・レミージ (vm) Memo Remigi CAROSELLO – FONIT CETRACI-20347 [45]

 

 

14想い出の3分 Tre minuti di ricordi M.Del Prete - A.Pintus) 出版社 TIBER <1065> アレッサンドロ (vm) Alessandro CBS – CBS Sugar1305(CBS) [45]

 

1305(CBS)1305(CBS)  ARCNP-2076ARC・NP-2076 

 

15異国の女 Straniera straniera F.Chiaravalle - F.Specchia) 出版社 TELCAR - LUISIANA <1050> リオネッロ (vm) Lionello ARCOBALENO – DISCHI RICORDIARCNP-2076 [45]

 

 

16木枯しの家 Una casa grande A.Lo Vecchio - N.Villa) 出版社 ALFIERE <990 > ララ・サン・ポ- (vf) Lara Saint Paul Polydor – Phonogram2060-047 [45]

 

              2060-0472060-047 

 

 

  <参加曲>

アディオ・アモ Addio amor G.M.Gallerani - G.Bosisio - M.Nobile出版社 USIGNOLO モセダデス (compl=sp) Mocedades NUVOLA (ZAFIRO,Spain) – FONIT CETRAIS-20119 [45]

 

IS-20119IS-20119  RARNP-77586RAR・NP-77586 

 

アンジェリ Angeline R.Marsella - Daiano出版社 COME IL VENTO - FRAGOLA BLU ポップ・トップス (compl=sp) Pop Tops RARE – SIFRARNP-77586 [45]

 

 

アニカ・ナ・オ Anika na-o A.Piccaredda - P.Cochis - P.Cassano出版社 DURIUM ジェット (compl) J. E. T. DURIUM – DURIUMLdA-7796 [45]

 

LdA-7796Ld・A-7796  SMR-1701SMR-1701 

 

カラ・アミ Cara amica P.Principe - V.Caruso出版社 SAINT MARTIN RECORD バッサ (vm) Bassano SAINT MARTIN – SAINT MARTIN RECORDSMR-1701 [45]

 

 

消え去った青い空 Dove andrai D.Mariano出版社 FRAGOLA BLU カルメン・アマ (vf) Carmen Amato RARE – SIFRARNP-77587 [45]

 

          RARNP-77587RAR・NP-77587 

 

 

 

 

 

次回の参加曲に続きます

 

 

 2社目に紹介するのはS...Società Italiana Fonografica)です。すでに「サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO 48 1968年」でニーノ・フェレールが出場した時に書いておりますが、イタリアでラーレ・レーベルを使い、73年にイタリア人歌手(カルメン・アマート)を初出場させておりますので、この場に取上げています。

          SIF      RARE

 

 54年フランスのエディ・バークレイ(Eddie Barclay)が興したバークレイ・レコード(Barclay Records)のイタリア法人で、68年ミラノで設立され、国内販売権はリフィが持ち、翌年からリコルディが販売権を持っています。

 当初FlècheRareRiviera、SIFのレーベルを発売しますが、本体のBarclayは69年までRCAイタリアーナ(64年まではSAARが発売)との契約が残っており、70年になって初めてSIFから出ました。リヴィエラは60年代のはじめフランスで新しい音楽の歌手のために創設したレーベルのベル・エアー(Bel Air)から生まれ、ラーレは同じく新たなグループ、バンドの音楽のために作られたレーベルでした。

 イタリア現地法人のSIFではイタリア系フランス人歌手ニーノ・フェレール(Nino Ferrer)やペーター・ホルムにリヴィエラを使い、イタリア人歌手にはラーレを使っています。ただ話はややこしいのですが、イタリアのリヴィエラはバークレイと別契約で65年頃はCGDから、68年SIFから販売されるようになりました。

 シングル盤ではCGD時代は接頭記号RIV、リフィ時代SIFNP、リコルディ時代RIVNPが使われます。ラーレもリフィ時代SIFNP、リコルディ時代RARNPが使用されました。

 本格的イタリア現地法人でのイタリア歌手のレコード制作が進むと、各レーベルトもRARNPに統一されていきます。

 SIFが立ち上がって間もなくはドン・バッキーピエロ・フォッカチャロッキ-・ロバーツプリニオ・マッジロベルタ・マッツォーニたちが移籍し一時所属して活況をていした時期もありました。

 

 前回最終的に『最後はCGDに吸収合併された』としておりますが、リコルディに吸収されたという説もあります。いずれも「いつ」と言う事が不明なので、2説あることを書くにとどめます。

 

 

                  Carmen Amato       Pop Tops        

                    カルメン・アマ (SIF/RARE)        ポップ・トップス (SIF/RARE)

      

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


インテルメッツォ ~ アルフレッド・ロッシ

  アルフレッド・ロッシの名前を知らなくても、イタリアのアリストン・レコードは興味があれば、1度や2度はお聞きかと思います。そのアリストンの設立者で音楽業界の重鎮でした。

 

アルフレッド・ロッシ Alfredo Rossi 

1925年4月13日フィレンツェの東100km、アドリア海沿岸の都市、保養地リミニ生、2008年10月30日ミラノ没、イタリアの音楽出版社、レコード会社経営者。

 4才上兄に作曲家、レコード・プrデューサのカルロ・アルベルト・ロッシ(Carlo Alberto Rossi)がいました。

 

                   

                        Alfredo Rossi

 

 1936年、ロッシの家族はミラノに移ります。兄C..ロッシと共に音楽産業に興味を持ち、その勉強を始めました。兄カルロ・アルベルトは音楽そのものに魅かれ、弟アルベルトの関心は音楽ビジネスに向きました。

 

 兄は第二次世界大戦中から作曲を始め、終戦の頃には音楽出版社に属する作曲家になっていました。49年兄弟はハンガリー出身で野心的音楽業界起業家ラディスラオ・シュガー(Ladislao Sugar)と共に音楽出版社アリストンを設立しました。シュガーは後にCGDを買取り、シュガー・ミュージックの礎を築いた人物、女性音楽プロデューサーの元歌手カテリーナ・カセルリの舅です。

 

 さてアリストン音楽出版社は兄カルロ・アルベルトの楽曲を管理する仕事で始まりました。兄は第1回サンレモ音楽祭にアリストン音楽出版として楽曲を出品します。

 

 シュガーは早い時期にアリストンから手を引き、多額の投資先CGDに主力を注ぎます。アリストンはやがてジャズ・バンドで作曲もするアルマンド・トロバヨーリ(Armando Trovajoli)、ピエロ・ピッチオーニ(Piero Piccioni)、ジャンニ・フェッリオ(Gianni Ferrio)、レリオ・ルッタッツィ(Lelio Luttazzi,)など楽団のマエストロの作品も扱いました。

 

                

                     Ariston

 

 順調に業績を伸ばしていましたが、足元から重大事が起きます。兄が自分の楽曲だけでなく大半の版権を持って分離独立し、新たにC..ロッシ音楽出版を興しました。

 

 アルフレッドは兄の余りにも酷い仕打ちに激しい怒りますが、音楽出版社間の競争は兄弟の骨肉の争いを続けることを許さず、弟は新たな活路を見つけなければ生き残れません。彼の取った方法は新たな才能を発掘し、アリストンがその出版権を得ることでした。

 

 その頃、イタリア軽音楽界は新たな音楽、新たな才能を求める人達が現れました。ジェノヴァを中心とした若い音楽家の活動を注視し、ディスキ・リコルディを起ち上げたナンニ・リコルディ(Nanni Ricordi)やアメリカ資本でライセンス生産の盤を売るしかなかったRCAイタリアーナで自国の歌作りを目指し、ローマ楽派と呼ばれるカンタウトゥーリを育てたヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)がいました。

 

 アルフレッドは彼らの曲を純粋にソングライターとして音楽出版権を得ることにしました。彼らはウンベルト・ビンディ(Umberto Bindi)(アルフレッドにが発掘した)、コッラード・ロヤコノ(Corrado Lojacono)ジャンニ・メッチア(Gianni Meccia)ブルーノ・ラウツィ(Bruno Lauzi)達です。 彼らのサンレモへの初提供楽曲はアリストン音楽出版からでした。ビンディの場合は直接アリストンばかりか、その傘下のサンタ・チェチリア(SANTA CECILIA)やMECでも楽曲管理をしています。

 ジジ・チケッレッロ(Gigi Cichellero)やその後有名になるジーノ・メスコリ(Gino Mescoli)、ブルーノ・サンブリーニ(Bruno Zambrini)、フィオレンツォ・カルピ(Fiorenzo Carpi)、ナポリターナ歌手としても活躍するアルマンド・ロメオ(Armando Romeo)、ウーゴ・カリーゼ(Ugo Calise)などのヒット曲も扱いました。

 

 これらライター達の書いたヒット曲は外国でもカヴァーされ、カテリーナ・ヴァレンテ、ペリー・コモ、シラ・ブラック、トム・ジョーンズ、ディーン・マーティン、ダリダ、クリフ・リチャード、ナット・キング・コールなど世界的歌手と親交を深めました。

 

 彼はもう一つ新たな事業を始めました。フォノスコープ(Fonoscope)という事業でした。日本でもポストカード・レコード、レコード葉書と言われたものです。葉書にソノ・シートに使うようなビニール材を張り、溝切りをし、プレイヤー用の8mmの穴を開けたたものです。

 

NA-L45 (19589年頃 Fonoscope) Munasterio 'E Santa Chiara (サンタ・キアーラ寺院)  コッラード・ロヤコノ(Corrado Lojacono

NA-L・45a NA-L45 NA-L・45b


 アルフレッドはミラノ北部湖水地方にオウディオマスター・イタリアーナ(Audiomaster Italiana)社の機械を持つ工場を訪れ、イタリア名所の絵葉書に絵柄にあった曲をつけるアイデアでレコード葉書を作ることを依頼し、フォノスコープの名称でヨーロッパ各国で売りました。ほんの5、6年の間でしたがレコード製造のノウハウを得て、正式ではありませんがハード盤の製造も試みました。セルジョ・エンドリゴ(Sergio Endrigo)がノタルニコラ(NOTARNICOLAの名前でビンディ作の2曲を録音しています。この経験は後にアリストン・レコード設立に役立つことになります。

 

NP-5001 (1959 Ariston - Ariston) Arrivederci (アリヴェデルチ)/ Nuvola Per Due ノタルニコラ(NOTARNICOLA

                NP-5001NP-5001

 

 彼は新たなカンタウトーリの才能を発掘し、色々な売り出し方を考えたことで『才能のハンター(Cacciatore di Talenti)』という仇名を付けられました。日本でもイタリア・ジャズ・ヴォーカルのスタンダードとして知られるブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino)の曲“夏(Estate)”も傘下のサンタ・チェチリアが管理する曲です。会社は音楽出版社として安定期に入りました。

 

 64年アルフレッドは長年の夢であったレコード会社を設立します。社名はI... Company

レーベル名をアリストン・レコード(以降アリストンと略します)としました。しかし実際の音作りの面は専門でないので、クァルテット・ラダール(Quartetto Radar)のジャンニ・グアルニエリ(Gianni Guarnieri)に芸術監督を委ねます。

 

 アリストンは新興の弱小レコード会社ですが、毎年サンレモ音楽祭に楽曲を提供しているアリストン音楽出版の実績で翌65年の第15回にフランスで活躍しているドイツ人歌手オードリー(Audrey)ジャンニ・マスコロ(Gianni Mascolo)ドン・ミコ (Don Miko)の3歌手を出場させました。3人の歌手は設立した64年に契約した歌手たちです。またレコード会社はCGDですが、ブルーノ・ラウツィのサンレモ・デビュー曲“Il Tuo Amore(君の愛)”はアリストン音楽出版からの出品でした。

 

 幸運は66年サンレモ音楽祭でブルーノ・ラウツィが作詞、芸術監督のジャンニ・グアルニエリが作曲した“ウィーンのバラ(Una rosa da Vienna)”がヒットしたことでした。歌ったアンナ・イデンティチ(Anna Identici)は若手スターになり、同年ブルーノ・ラウツィもCGDから移籍して来ます。またプログレ・バンドとなるイ・コルヴィ(I Corvi)がデビューし、多くのバンドが巣立ちます。

 

 一番大きかったのは67年サンレモ音楽祭を機にオルネラ・ヴァノーニがリコルディから移籍して“音楽は終ったのに(La musica è finita)”を歌い、第4位になったことでした。デビューしたリコルディで行き詰まり、ジェノヴァ派カンタウトゥーリが関係していたアリストンに身を寄せ、『才能のハンター』アルフレッドは彼女に新しい道を切り開きます。ヴァノーニは74年ヴァニラ(VANILLA)を作り独立します。

 

 69年には犬猿の仲だった兄C..ロッシのレコード会社CARジューク・ボックスのディストリビューターとなり、さらに有望新人ロザンナ・フラテッロ(Rosanna Fratello)をアリストンからメジャーデビューさせました。

            

                  Alfredo Rossi e Rosanna Fratello      

                          Alfredo Rossi e Rosanna Fratello

 

 72年社名もアリストン・レコードズに変更し、コッラード・ロヤコノを副社長兼プロモーション担当として迎え入れ、会社は一段と発展して注目を浴びます。

 

 その後ジルダ・ジュリアーニ(Gilda Giuliani)、マティア・バザール(Matia Bazar)、レットーレ(Donatella Rettore)、フィオレッラ・マンノイア(Fiorella Mannoia)等を送出しますが、深刻なイタリア経済の不況は音楽業界も巻き込み、アリストンも営業不振になりました。87年同じく不振のドゥリウムと合併しコノ(KONO)となります。しかしその努力も虚しくコノも89年会社を閉じました。

 

 アルフレッドはイタリア最大のレコード業界団体A.F.I. (Associazione Fonografici Italiani)の役員に長年就き、また40年間著作権管理機構S.I.A.E.のコミッショナーを勤めましたが、2008年83才で亡くなりました。

 

 

 

アルフレッド・ロッシは以上です。


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