カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 67 1974年-2

第24回 1974年3月7日()~9日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:コラッド (Corrado)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮:  の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)、ヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti
形式:初めてカテゴリー制を導入、カテゴリーAはスター部門14曲は最終夜の決勝戦に進め、カテゴリーBも14曲、第1夜、第2夜でそれぞれ7歌手が歌い上位2歌手、合計4歌手のみに決勝背の出場権を与え、最終夜に18歌手が歌い、出場した中から優勝を決め、上位3歌手のみ得票を公表し他の歌手は入賞曲とする。

 

レコード会社別出場歌手数

 []は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); Produttori Associati [] Spark []Ariola [])

RCA Italiana [] (RCA Italiana 4[]EDIBI [])

Ri Fi []

CBS SUGAR [] CGD []CiPiTi [] Vogue []

FONIT CETRA 2[]

ARISTON []

EMI Italiana [] (EMI Italiana []PDU [])

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

 

 1974年のオーガナイザーは前年に引続きヴィトリオ・サルヴェッティと前々年のエリオ・ジガンテに62~68、71年のオーガナイザーだったサンレモの“ドン“ジャンニ・ラヴェーラの3人体制で行われました。これだけの顔触れが揃えば何でもできそうでしたが、お互いの利害を主張しあい、結局は不協和音が起こる始末でした。

 司会は放送作プロデューサー、司会者、マルチタレントのコラッド(コラッド・マントーニ)、アシスタントは前年好評だった女優のガブリエッラ・フェリノンが務めました。

 

 毎年減少する出場枠、前年はアドリアーノ・チェレンターノの棄権とローザ・バリストレリの失格があり、30歌手となりましたが、最初の出場枠は32歌手で、74年は最終28歌手の出場枠となりました。歌手音楽家組合は外人出場枠を4歌手以下に留めるように要求し、ペルシャ系イタリア人カムビスをどう扱うかは別として、フランスのレ・シャルロ、オランダのマウス&マクニール、イギリスのミドル・オブ・ザ・ロードと組合の要求をのみましたが、新人歌手(候補歌手カテゴリー)を16歌手にする事は退けられました。

 これは2夜で各8歌手を歌わせ、各2歌手を選出し、あと2歌手を敗者復活戦で勝ち上がらせる計画でしたが、RAI(イタリア国営放送)が放送時間が延びることを嫌がり(電力事情で23時放送打切り)、実現しなかったと思っています。

 

 応募曲は126曲から28曲が選ばれました。ミルバの“人形のモニカ”は72年に選出されましたがミルバが歌手に選ばれなかった為に彼女が拒否、73年も同様でやっと74年ミルバが歌うことで出場曲となりました。

 歌手選定は以前ほど右往左往しませんでしたが、ロック・バンド系は避けられ外国人のみの出場となります。前々年、前年とペピーノ・ガリアルディ、ペピーノ・ディ・カプリのナポリ勢が強く、74年はジャンニ・ナザーロだけに絞られ、また外国人歌手はホセ・フェリシア-ノ、ウィルソン・ピケット、スージー・クァトロ、さてはリンゴ・スターの名前も挙がりましたが大物歌手を呼ぶことは出来なかったようです。

 

 

            EDF-1094        PAF・LP-3003  

            ドナテッラ・レット (EDIBI)             カサデイ (Produttori Associati)

 

 

 <入賞曲> (表中で出版社の後にある<A>は、候補の部から勝ち上がった曲です)

  夏の夜 Notte dell'estate Claudio Celli - Aldo Buonocore - Albino Mammoliti) 出版社 LA VOLPE <A> ヴァレンティーナ・グレコ (vf) Valentina Greco CiPiTi – CBS SugarCPTNP- 1026 [45]

 

CPTNP- 1026CPT・NP- 1026  HIT-2200HIT-2200 

 

◇村の狂人 Il matto del villaggio Franco Migliacci - Claudio Mattone - Piero Pintucci) 出版社RCA ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari RCA Italiana – RCA ItalianaTPBO-1027 [45]

 

TPBO-1027TPBO-1027  6012-4216012-421 

 

ああ愛 Ah! L'amore Ettore Lombardo - Gilberto Sebastianelli - Ermanno Cappelli - Hans Van Hemert) 出版社出版社KARMA マウス & マクニ(duo=ho) Mouth & McNeal PHILIPS – PHONOGRAM6012-421 [45]

 

◇道はひとすじ A modo mio Claudio Baglioni - Antonio Coggio) 出版社 RCA - SUCCESSO ジャンニ・ナザーロ (vm) Gianni Nazzaro CGD – CBS Sugar2228 (CGD) [45]

 

2228 (CGD)2228 (CGD)  HIT-2136HIT-2136

 

◇逆光の中で In controluce Paolo Limiti - Albano Carrisi) 出版社 V.d.P. – PRIMATO アル・バーノ (vm) Al Bano EMI – EMI Italiana3C006-18004 [45]

 

3C006-180043C・006-18004  LdA-7840Ld・A-7840 

 

恋人たち Innamorati Luciano Beretta - Mino Reitano - Franco Reitano) 出版社 FREMUS - FIUMARA ノ・レイタ (vm) Mino Reitano Durium – DuriumLdA-7840 [45]

 

星の中の幻想 Un po' di coraggio Dante Pieretti - Antonio Ruggero Mancino) 出版社JUBAL ロザンナ・フラテルロ (vf) Rosanna Fratello RICORDI – Dischi RICORDISRL-10716 [45]

 

SRL-10716SRL-10・716  SPT-1544SPT-1544 

 

白馬 Cavalli bianchi Miro - Giulifan - Bruno Casu) 出版社USIGNOLO - L.TONY Mus. リトル・トニー (vm) Little Tony CETRA – FONIT CETRASPT-1544 [45]

 

人形のモニカ Monica delle bambole Luciano Beretta - Elide Suligoj) 出版社ILLER ミルバ (vf) Milva RICORDI – Dischi RICORDISRL-10717 [45]

 

SRL-10717SRL-10・717  13224AT13224・AT 

 

黄色い太陽 Sole giallo Maurizio Piccoli - Pino Donaggio) 出版社 CURCI ミドル・オブ・ザ・ロード (compl=e) Middle Of The Road ARIOLA Dischi RICORDI13224AT [45]

 

 

 

次回は参加曲に続きます

 

 

 74年初参加のレコード会社は2社目はスパーク(Spark)です。私がこのブログを書く大切な情報源の一つとしているディスコグス(Discogs)では、イギリスのレーベルとされ、ディスコグラフィーもその扱いになっていますが、本当はイタリアのマイナー・レーベルで何かの思い違いと思いますが、私も断定的な事を言う勇気はありません。ここでイタリアのスパーク・レーベルの事を書きますのでご参考にしていただければ良いかと思います。スパーク・イタリアーナというレーベルは別に存在します。

 

                      Spark

 

 スパークは1972年ミラノで設立されました。元は1887年に出来たカリッシュ音楽出版が1949年に自社の楽曲をレコード化するために作った会社カリッシュ(Carisch)が61年にリフィと共同で設立した新人開発レーベルMRC(Milano Record Company)でした。

 親会社カリシュはドイツ系のレーベルのオデオン(Odeon)やパーロフォン(Parlophone)を持ち、ルチアーノ・タヨーリ(Luciano Tajoli)が在籍したオデオンを取得、クラウディオ・ビルラ(Claudio Villa)がパーロフォンからデビュー、ナポリの大御所ヌンツィオ・ガロ(Nunzio Gallo)ジョルジョ・コンソリーニ(Giorgio Consolini)を擁し、映画「恋愛専科」で“アル・ディ・ラ”を歌い、ドメニコ・モドゥーニョの“ヴォラーレ”に次いで全米ランキングに名前を連ねたエミリオ・ペリコーリ(Emilio Pericoli)、またロック調ナポリターナで立続けにヒット曲を出したペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)がデビューしています。

 MRCの初成功は63年新人コンテスト・カストロカーロでジリオラ・チンクェッティと共に優勝したブルーノ・フィリピーニ(Bruno Filippini) でした。64年サンレモ音楽祭で“土曜の夜 (SABATO SERA)”、65年はパートナーが伊東ゆかりで“恋する瞳 (L'AMORE HA I TUOI OCCHI)”を歌いましたので、日本でも名前が知られます。64年にはカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)も巣立ち順調にことは進んでいました。

 さらにカリッシュはパーロフォンを持っていたので、英EMIがヨーロッパ系レーベルの統合、専有する67年までビートルズのイタリア販売権も持ち、イタリアでも一流のレコード会社でした。

 しかし68年以降オデオン、パーロフォンを失い、ペピーノ・ディ・カプリも独立し急激に経営が悪化します。そこで新興のミウラ・レコードの傘下に入りますが、そのミウラも72年破綻しカリシュとMRCも巻き添えになります。カリッシュはクラシックに特化し、MRCはリコルディに売却されスパークとして再出発しました。

 スパークにはベテランのサンレモ音楽祭出場歌手ウィルマ・デ・アンジェリス(Wilma De Angelis)が在籍、サンレモに出場したアントネッラ・ボタッツィは花開かず、女優のミニー・ミノプリオ(Minnie Minoprio)、 クリスティアン(Christian)、プログレ・バンドのアントニウス・レックス(Antonius Rex)やピン・ポン(i Ping Pong)もいましたが、これと言ったヒットが出ず閉鎖、78年カタログをリコルディが吸収しその歴史を閉じました。

 

                                 

Rossella    Les Charlots      Sonia Gigliola Conti              

ロッセラ (RCA ITALIANA)       レ・シャルロ (VOGUE)              ソニア・ジリオラ・コンティ (Ri Fi)

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 64 1973年-2

 この年の最大の話題は優勝、第二位の曲を歌ったのがペピーノ・ディ・カプリとペピーノ・ガリアルディの二人のペピーノは共にナポリの歌手だった。と言うことであればよかったのですが、またしてもサンレモ音楽祭のお騒がせ男アドリアーノ・チェレンターノが主役になってしまいました。

 

 3月6日、音楽祭の始まる前々夜に運営管理本部のヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)と市会議員ナポレオーネ・カヴァリエーレ(Napoleone Cavaliere)宛てに1通の電報が届きます。発信人は出場歌手のアドリアーノ・チェレンターノからでした。

 

           Umberto Balsamo           Wess & Dori Ghezzi

        ウンベルト・バルサモ (POLYDOR)          ウェスとドリ・ゲッツィ (DURIUM)

 

 内容は「名も知らぬ歌手達が出場することで有名歌手の多くが出場できない事を思うと胃が痛み、胃炎になって出場できません。」ということでした。直ちに真偽を確認するために電話をしました。本人からの物で出場放棄とし、代替曲の選定をしませんでした。サンレモの「チェレンターノ・エスケープ事件」です。私も顔ぶれを見ると、そう言いたくなる気持ちも理解できなくもありません。

 

 しかし、クラウディオ・ビルラは風邪で寝込んだ時は会場にレコードだけでも流し、ボビー・ソロは声が出なかったためレコードに合わせ「口パク」だけで舞台に立ちました。過去に病欠した歌手はなく、サンレモ音楽祭はそのような厳しい場でした。チェレンターノは舞台から逃げたと思われても仕方がありません。

 

 

第23回 1973年3月8日()~10日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)、芸術助監督ブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesi
形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。

 

[]は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); ARCOBALENO [], SIF [] CAR JUKE BOX[])

FONIT CETRA 7[]FONIT CETRA 4[]CAROSELLO 1[] KING UNIVERSAL[] DUCALE[]

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[] SIDET[])

CBS SUGAR [] CGD []CBS [] SPLASH[]

ARISTON []

DURIUM []

SAINT MARTIN 1[]

 

 

 さらに悪いことにローザ・バリストレリが大会規定に反し、音楽祭開始以前に出場曲を公に歌ってしまったことが判明しました。彼女の“愛なきふるさと”は失格となります。このことは次回お話ししましょう。結果32曲が30曲の出場曲になってしまいました。直前立ったため、イタリアでのコンピ盤、ルフェーブルの演奏盤はそのままこれらの曲は収録されます。

 

 後のヒット状況は最悪でした。前年は14曲の入賞曲の内ララ・サン・ポールを除く13曲が年間ヒット・ランクに入りましたが、73年は入所曲16曲中7曲しかランク・インせず半減となり、さらに出場棄権したアリドアーノ・チェレンターノの“ただ一つのチャンス”が37位で、優勝曲“失われた愛を求めて”の29位に次ぐ成績でした。これでサンレモ音楽祭の存在意義が問われかねません。

 

 

           CHRISTIAN DE SICA         Alessandro   

          クリスチャン・デ・シ- (RICORDI)       アレッサンドロ (CBS/CBS SUGAR)

 

 ジルダ・ジュリアーニは新人初参加で5位、年間ヒット・ランク42位の好成績でした。彼女は現在も続いている新人コンテストUna Voce Per Sanremoでアルベルト・フェーリと共に優勝し、出場資格を得ました。RCAイタリアーナが出場辞退したのか、アルベルトは彼一人の出場でまともなプロモートもなく参加曲に終わります。

 

 他の曲の年間ヒット・ランクの状況は第2位の“夢に消えた詩”43位、第3位の“愛遥かに”63位、“愛の果実”88位、“太陽の旗”94位、“美しい君(夢見るあなた)”47位でした。後にフランスで大ヒットしたため注目を浴びたドゥルピの“去り行く君”ですが、イタリアの年間ヒット・ランクでは100位以内には入っていません。

 

              

<入賞曲>

11美しい君 (夢見るあなた)  Come sei bella G.Bigazzi - C.Cavallaro) 出版社 APRIL Mus. <1170> イ・カマレオンティ (compl) Camaleonti (CBS CBS Sugar1293(CBS) [45]

 

1293(CBS) 1293(CBS)  ECPB-  251ECPB- 251

 

 

12若い恋人 Tu giovane amore mio D.Pieretti - F.Monachesi - R.Gianco - A.Nicorelli) 出版社 JUBAL <1131> ドナテッロ (vm) Donatello Ricordi – Dischi RicordiSRL-10690 [45]

 

SRL-10690SRL-10・690  CI-20347CI-20347 

13花開く世界 Il mondo è qui M.Remigi) 出版社 D'ANZI <1111> メモ・レミージ (vm) Memo Remigi CAROSELLO – FONIT CETRACI-20347 [45]

 

 

14想い出の3分 Tre minuti di ricordi M.Del Prete - A.Pintus) 出版社 TIBER <1065> アレッサンドロ (vm) Alessandro CBS – CBS Sugar1305(CBS) [45]

 

1305(CBS)1305(CBS)  ARCNP-2076ARC・NP-2076 

 

15異国の女 Straniera straniera F.Chiaravalle - F.Specchia) 出版社 TELCAR - LUISIANA <1050> リオネッロ (vm) Lionello ARCOBALENO – DISCHI RICORDIARCNP-2076 [45]

 

 

16木枯しの家 Una casa grande A.Lo Vecchio - N.Villa) 出版社 ALFIERE <990 > ララ・サン・ポ- (vf) Lara Saint Paul Polydor – Phonogram2060-047 [45]

 

              2060-0472060-047 

 

 

  <参加曲>

アディオ・アモ Addio amor G.M.Gallerani - G.Bosisio - M.Nobile出版社 USIGNOLO モセダデス (compl=sp) Mocedades NUVOLA (ZAFIRO,Spain) – FONIT CETRAIS-20119 [45]

 

IS-20119IS-20119  RARNP-77586RAR・NP-77586 

 

アンジェリ Angeline R.Marsella - Daiano出版社 COME IL VENTO - FRAGOLA BLU ポップ・トップス (compl=sp) Pop Tops RARE – SIFRARNP-77586 [45]

 

 

アニカ・ナ・オ Anika na-o A.Piccaredda - P.Cochis - P.Cassano出版社 DURIUM ジェット (compl) J. E. T. DURIUM – DURIUMLdA-7796 [45]

 

LdA-7796Ld・A-7796  SMR-1701SMR-1701 

 

カラ・アミ Cara amica P.Principe - V.Caruso出版社 SAINT MARTIN RECORD バッサ (vm) Bassano SAINT MARTIN – SAINT MARTIN RECORDSMR-1701 [45]

 

 

消え去った青い空 Dove andrai D.Mariano出版社 FRAGOLA BLU カルメン・アマ (vf) Carmen Amato RARE – SIFRARNP-77587 [45]

 

          RARNP-77587RAR・NP-77587 

 

 

 

 

 

次回の参加曲に続きます

 

 

 2社目に紹介するのはS...Società Italiana Fonografica)です。すでに「サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO 48 1968年」でニーノ・フェレールが出場した時に書いておりますが、イタリアでラーレ・レーベルを使い、73年にイタリア人歌手(カルメン・アマート)を初出場させておりますので、この場に取上げています。

          SIF      RARE

 

 54年フランスのエディ・バークレイ(Eddie Barclay)が興したバークレイ・レコード(Barclay Records)のイタリア法人で、68年ミラノで設立され、国内販売権はリフィが持ち、翌年からリコルディが販売権を持っています。

 当初FlècheRareRiviera、SIFのレーベルを発売しますが、本体のBarclayは69年までRCAイタリアーナ(64年まではSAARが発売)との契約が残っており、70年になって初めてSIFから出ました。リヴィエラは60年代のはじめフランスで新しい音楽の歌手のために創設したレーベルのベル・エアー(Bel Air)から生まれ、ラーレは同じく新たなグループ、バンドの音楽のために作られたレーベルでした。

 イタリア現地法人のSIFではイタリア系フランス人歌手ニーノ・フェレール(Nino Ferrer)やペーター・ホルムにリヴィエラを使い、イタリア人歌手にはラーレを使っています。ただ話はややこしいのですが、イタリアのリヴィエラはバークレイと別契約で65年頃はCGDから、68年SIFから販売されるようになりました。

 シングル盤ではCGD時代は接頭記号RIV、リフィ時代SIFNP、リコルディ時代RIVNPが使われます。ラーレもリフィ時代SIFNP、リコルディ時代RARNPが使用されました。

 本格的イタリア現地法人でのイタリア歌手のレコード制作が進むと、各レーベルトもRARNPに統一されていきます。

 SIFが立ち上がって間もなくはドン・バッキーピエロ・フォッカチャロッキ-・ロバーツプリニオ・マッジロベルタ・マッツォーニたちが移籍し一時所属して活況をていした時期もありました。

 

 前回最終的に『最後はCGDに吸収合併された』としておりますが、リコルディに吸収されたという説もあります。いずれも「いつ」と言う事が不明なので、2説あることを書くにとどめます。

 

 

                  Carmen Amato       Pop Tops        

                    カルメン・アマ (SIF/RARE)        ポップ・トップス (SIF/RARE)

      

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


インテルメッツォ ~ アルフレッド・ロッシ

  アルフレッド・ロッシの名前を知らなくても、イタリアのアリストン・レコードは興味があれば、1度や2度はお聞きかと思います。そのアリストンの設立者で音楽業界の重鎮でした。

 

アルフレッド・ロッシ Alfredo Rossi 

1925年4月13日フィレンツェの東100km、アドリア海沿岸の都市、保養地リミニ生、2008年10月30日ミラノ没、イタリアの音楽出版社、レコード会社経営者。

 4才上兄に作曲家、レコード・プrデューサのカルロ・アルベルト・ロッシ(Carlo Alberto Rossi)がいました。

 

                   

                        Alfredo Rossi

 

 1936年、ロッシの家族はミラノに移ります。兄C..ロッシと共に音楽産業に興味を持ち、その勉強を始めました。兄カルロ・アルベルトは音楽そのものに魅かれ、弟アルベルトの関心は音楽ビジネスに向きました。

 

 兄は第二次世界大戦中から作曲を始め、終戦の頃には音楽出版社に属する作曲家になっていました。49年兄弟はハンガリー出身で野心的音楽業界起業家ラディスラオ・シュガー(Ladislao Sugar)と共に音楽出版社アリストンを設立しました。シュガーは後にCGDを買取り、シュガー・ミュージックの礎を築いた人物、女性音楽プロデューサーの元歌手カテリーナ・カセルリの舅です。

 

 さてアリストン音楽出版社は兄カルロ・アルベルトの楽曲を管理する仕事で始まりました。兄は第1回サンレモ音楽祭にアリストン音楽出版として楽曲を出品します。

 

 シュガーは早い時期にアリストンから手を引き、多額の投資先CGDに主力を注ぎます。アリストンはやがてジャズ・バンドで作曲もするアルマンド・トロバヨーリ(Armando Trovajoli)、ピエロ・ピッチオーニ(Piero Piccioni)、ジャンニ・フェッリオ(Gianni Ferrio)、レリオ・ルッタッツィ(Lelio Luttazzi,)など楽団のマエストロの作品も扱いました。

 

                

                     Ariston

 

 順調に業績を伸ばしていましたが、足元から重大事が起きます。兄が自分の楽曲だけでなく大半の版権を持って分離独立し、新たにC..ロッシ音楽出版を興しました。

 

 アルフレッドは兄の余りにも酷い仕打ちに激しい怒りますが、音楽出版社間の競争は兄弟の骨肉の争いを続けることを許さず、弟は新たな活路を見つけなければ生き残れません。彼の取った方法は新たな才能を発掘し、アリストンがその出版権を得ることでした。

 

 その頃、イタリア軽音楽界は新たな音楽、新たな才能を求める人達が現れました。ジェノヴァを中心とした若い音楽家の活動を注視し、ディスキ・リコルディを起ち上げたナンニ・リコルディ(Nanni Ricordi)やアメリカ資本でライセンス生産の盤を売るしかなかったRCAイタリアーナで自国の歌作りを目指し、ローマ楽派と呼ばれるカンタウトゥーリを育てたヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)がいました。

 

 アルフレッドは彼らの曲を純粋にソングライターとして音楽出版権を得ることにしました。彼らはウンベルト・ビンディ(Umberto Bindi)(アルフレッドにが発掘した)、コッラード・ロヤコノ(Corrado Lojacono)ジャンニ・メッチア(Gianni Meccia)ブルーノ・ラウツィ(Bruno Lauzi)達です。 彼らのサンレモへの初提供楽曲はアリストン音楽出版からでした。ビンディの場合は直接アリストンばかりか、その傘下のサンタ・チェチリア(SANTA CECILIA)やMECでも楽曲管理をしています。

 ジジ・チケッレッロ(Gigi Cichellero)やその後有名になるジーノ・メスコリ(Gino Mescoli)、ブルーノ・サンブリーニ(Bruno Zambrini)、フィオレンツォ・カルピ(Fiorenzo Carpi)、ナポリターナ歌手としても活躍するアルマンド・ロメオ(Armando Romeo)、ウーゴ・カリーゼ(Ugo Calise)などのヒット曲も扱いました。

 

 これらライター達の書いたヒット曲は外国でもカヴァーされ、カテリーナ・ヴァレンテ、ペリー・コモ、シラ・ブラック、トム・ジョーンズ、ディーン・マーティン、ダリダ、クリフ・リチャード、ナット・キング・コールなど世界的歌手と親交を深めました。

 

 彼はもう一つ新たな事業を始めました。フォノスコープ(Fonoscope)という事業でした。日本でもポストカード・レコード、レコード葉書と言われたものです。葉書にソノ・シートに使うようなビニール材を張り、溝切りをし、プレイヤー用の8mmの穴を開けたたものです。

 

NA-L45 (19589年頃 Fonoscope) Munasterio 'E Santa Chiara (サンタ・キアーラ寺院)  コッラード・ロヤコノ(Corrado Lojacono

NA-L・45a NA-L45 NA-L・45b


 アルフレッドはミラノ北部湖水地方にオウディオマスター・イタリアーナ(Audiomaster Italiana)社の機械を持つ工場を訪れ、イタリア名所の絵葉書に絵柄にあった曲をつけるアイデアでレコード葉書を作ることを依頼し、フォノスコープの名称でヨーロッパ各国で売りました。ほんの5、6年の間でしたがレコード製造のノウハウを得て、正式ではありませんがハード盤の製造も試みました。セルジョ・エンドリゴ(Sergio Endrigo)がノタルニコラ(NOTARNICOLAの名前でビンディ作の2曲を録音しています。この経験は後にアリストン・レコード設立に役立つことになります。

 

NP-5001 (1959 Ariston - Ariston) Arrivederci (アリヴェデルチ)/ Nuvola Per Due ノタルニコラ(NOTARNICOLA

                NP-5001NP-5001

 

 彼は新たなカンタウトーリの才能を発掘し、色々な売り出し方を考えたことで『才能のハンター(Cacciatore di Talenti)』という仇名を付けられました。日本でもイタリア・ジャズ・ヴォーカルのスタンダードとして知られるブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino)の曲“夏(Estate)”も傘下のサンタ・チェチリアが管理する曲です。会社は音楽出版社として安定期に入りました。

 

 64年アルフレッドは長年の夢であったレコード会社を設立します。社名はI... Company

レーベル名をアリストン・レコード(以降アリストンと略します)としました。しかし実際の音作りの面は専門でないので、クァルテット・ラダール(Quartetto Radar)のジャンニ・グアルニエリ(Gianni Guarnieri)に芸術監督を委ねます。

 

 アリストンは新興の弱小レコード会社ですが、毎年サンレモ音楽祭に楽曲を提供しているアリストン音楽出版の実績で翌65年の第15回にフランスで活躍しているドイツ人歌手オードリー(Audrey)ジャンニ・マスコロ(Gianni Mascolo)ドン・ミコ (Don Miko)の3歌手を出場させました。3人の歌手は設立した64年に契約した歌手たちです。またレコード会社はCGDですが、ブルーノ・ラウツィのサンレモ・デビュー曲“Il Tuo Amore(君の愛)”はアリストン音楽出版からの出品でした。

 

 幸運は66年サンレモ音楽祭でブルーノ・ラウツィが作詞、芸術監督のジャンニ・グアルニエリが作曲した“ウィーンのバラ(Una rosa da Vienna)”がヒットしたことでした。歌ったアンナ・イデンティチ(Anna Identici)は若手スターになり、同年ブルーノ・ラウツィもCGDから移籍して来ます。またプログレ・バンドとなるイ・コルヴィ(I Corvi)がデビューし、多くのバンドが巣立ちます。

 

 一番大きかったのは67年サンレモ音楽祭を機にオルネラ・ヴァノーニがリコルディから移籍して“音楽は終ったのに(La musica è finita)”を歌い、第4位になったことでした。デビューしたリコルディで行き詰まり、ジェノヴァ派カンタウトゥーリが関係していたアリストンに身を寄せ、『才能のハンター』アルフレッドは彼女に新しい道を切り開きます。ヴァノーニは74年ヴァニラ(VANILLA)を作り独立します。

 

 69年には犬猿の仲だった兄C..ロッシのレコード会社CARジューク・ボックスのディストリビューターとなり、さらに有望新人ロザンナ・フラテッロ(Rosanna Fratello)をアリストンからメジャーデビューさせました。

            

                  Alfredo Rossi e Rosanna Fratello      

                          Alfredo Rossi e Rosanna Fratello

 

 72年社名もアリストン・レコードズに変更し、コッラード・ロヤコノを副社長兼プロモーション担当として迎え入れ、会社は一段と発展して注目を浴びます。

 

 その後ジルダ・ジュリアーニ(Gilda Giuliani)、マティア・バザール(Matia Bazar)、レットーレ(Donatella Rettore)、フィオレッラ・マンノイア(Fiorella Mannoia)等を送出しますが、深刻なイタリア経済の不況は音楽業界も巻き込み、アリストンも営業不振になりました。87年同じく不振のドゥリウムと合併しコノ(KONO)となります。しかしその努力も虚しくコノも89年会社を閉じました。

 

 アルフレッドはイタリア最大のレコード業界団体A.F.I. (Associazione Fonografici Italiani)の役員に長年就き、また40年間著作権管理機構S.I.A.E.のコミッショナーを勤めましたが、2008年83才で亡くなりました。

 

 

 

アルフレッド・ロッシは以上です。


2017年賀状

2017年賀状 

 

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2016年12月〜2017年12月の約1年強の間に入手した盤を載せています。大体入手した順に内容は考慮せずに並べています。

 

 

 

 

使いましたジャケット画像は以下の通りです。

 ※表記は縦方向↓にAからG,横方向→1〜8の記号を付けています。

シングル盤・コンパクト盤

A1SRA-5159 (1969RCA - 日本ビクタ-) 30cmLP 忘れないわ/ペギー・マーチ・ゴールデン・アルバム (PEGGY MARCH AROUND THE WORLD)

  11. (LA PIOGGIA) イタリア語

A2ORL-8056 (19?年 RICORDI DISCHI RICORDI) 30cmLP SE STASERA SONO QUI/LUIGI TENCO 伊盤

A3CP- 301 (1972KING UNIVERSAL - KING UNIVERSAL) 30cmLPCANTI DELL'UMBRIA/I CANTI DI PERUGIA (ペルージャ合唱団) 伊盤

A47EP- 31 (1957 CAPITOL - 東京芝浦電気工業) EP イタリアの太陽の下で (ディーン・マーティン)

   1.ザッツ・アモ-レ (THAT'S AMORE)

  2.マリア・マリ [伊・英] (OH, MARIE)

  3.帰れソレントへ [英・伊] (COME BACK TO SORRIENTO)

  4.海の彼方に上る月 (LUNA MEZZO MARE)

A5MC-1033 (20001115 MIN-ON -民音(制作キング)) CDナポリ民謡の祭典 VIVA NAPOLI! LIVE!!(アウレリオ・フィエルロ他)

A6QR- 212 (201512QUARTET - QUARTET RECORDS) CD PINO DONAGGIOCANZONI PER IL CINEMA (ブルガリア交響楽団) 伊盤

A7SLH-3013 (19638LONDON - キング) 30cmLP歌劇「マノン・レスコー」ハイライツ (MANON LESCAUT HIGHLIGHTS)

  . カリ-ナ (CARINA) ソフィア・ロ-レン

A8SJET-7210 (1963 4DOT - 日本ビクタ-) 30cmLPオ-ルスタ-・デラックス・パレ-ド(ALL STARS DELUXE PARADE)

 

B1PS- 187 (19704SEVEN SEAS - キング) 17cmCP第20回サン・レモ音楽祭第3集 (FESTIVAL DI SAN REMO 1970 Vol.3) [ARISTON原盤]

  1.永遠 (ETERNITA') オルネラ・ヴァノ-

  2.さらば青春 (CIAO, ANNI VERDI) ロザンナ・フラテルロ

  3.雨のロマンス (TAXI) アンナ・イデンティチ

  4.夜の足音 (AHI! CHE MALE CHE MI FAI) パオロ・メンゴリ

B2LPB-35038 (197111CETRA - FONIT CETRA) 30cmLP NUOVE CANZONI D'AMORE/SERGIO ENDORIGO 伊盤

B3SFL- 1343 (1971 PHILIPS - 日本フォノグラム) ベニスの愛/ある愛の詩 (ポ-ル・モ-リア楽団)

B 4ECPN-  61 (1975EPIC - CBSソニ) 30cmLP天使のささやきカラベリときらめくストリングス (WHEN WILL I SEE YOU AGAIN) カラヴェリ楽団

B5CM-1009 (19635ODEON - 東芝音楽工業) ジョヴァネ・ジョヴァネ/銀の家 (ピノ・ドナッジォ)

B6824-5682 (1991PHILIPS - POLYGRAM) CD ALBERTO FORTIS/CD 西独盤

B7SX-  61 (19712RCA - 日本ビクタ-) 30cmLP この胸のときめきを/エルヴィス・プレスリ-(THAT'S THE WAY IT IS)

  6.この胸のときめきを[英] (YOU DON'T HAVE TO SAY YOU LOVE ME)

B8SLP-2700 (1982SOTTO LA PIOGGIA DISCHI RICORDI) 30cmLP ANTONELLO VENDITTI (アントネロ・ヴェンディッティ) 伊盤

 

C1HLP-2370 (1984HEINZ MUSIC DISCHI RICORDI) 30cmLP CUORE/ANTONELLO VENDITTI (アントネロ・ヴェンディッティ) 伊盤

C2THLP-2372 (1986HEINZ MUSIC DISCHI RICORDI) 30cmLP VENDITTI E SEGRETI (アントネロ・ヴェンディッティ) 伊盤

C3LPX- 125 (1984FONIT CETRA FONIT CETRA) 30cmLP FINARDI/STRADE (エウジェニオ・フィナルディ) 伊盤

C4LPX- 139 (1985FONIT CETRA FONIT CETRA) 30cmLP FINARDI/COLPI DI FULMINE (エウジェニオ・フィナルディ) 伊盤

C5MH-5176 (19649WESTMINSTAR - キング) 30cmLP イタリア歌曲集第 (ITALIAN SONGS (Volume1)) マグダ・ラ-スロ

C6MH-5177 (19649WESTMINSTAR - キング) 30cmLP イタリア歌曲集第 (ITALIAN SONGS (Volume2)) マグダ・ラ-スロ

C7MP-  13 (195?LONDON - キング) 25cmLP マリオ・デル・モナコ・イタリア民謡集 (MARIO DEL MONACO ITALIAN SONG RECITAL)

C85054196-969127 (20162WARNER - WARNER MUSIC ITALY) CD SANREMO 2016 伊盤

 

D1SS-1381 (196312VICTOR - 日本ビクタ-) 星空に泣くトランペット/アル・ディ・ラ (アル・ハ- (tp))

D2HJ-1025 (19596ANGEL - 東京芝浦電気)  マレキア-レ/彼女に告げてよ (ジュゼッペ・ディ・ステファ-)

D3ES-8581 (19623 VICTOR - 日本ビクタ-) 歌劇「ウィリアム・テル」序曲 (アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団)

D4DG-1068 (196?D.G.G. -日本グラモフォン) 星は光りぬ/歌に生き愛に生き (シャンドール・コーンヤ/ステファニア・ヴォイトヴィッキ)

D5JP-5060 (19613TOSHIBA - 東芝音楽工業) 忘れな草 []/愛の歌 [] (五十嵐 喜芳)

D6SJV-  93 (1965VICTOR - 日本ビクタ-) ジュークボックス・ヒットパレード第8集 カンツォーネ・ベスト12 (ゴールデン・ポップス楽団とコンボ)

D7HIT- 287 (19642SEVEN SEAS -  キング) 女ともだち/禁じられた肉体 (オリジナル・サウンドトラック/ヴァンナ・スコッティ)

D8JP-5054 (1961TOSHIBA - 東芝音楽工業)  遥かなるアラモ/夢のナポリタ-ナ [日] (坂本 九、ダニ- 飯田とパラダイスキング)

 

E1SKF-  80 (19625 KING - キング) 25cmLP ピアニッシモ/中原美紗緒シャンソン・アルバムVol. (PIANISSIMOMISAO NAKAHARA)

  7. 青いシャボン玉 [日・仏] (LE MILLE BOLLE BLU [JF])

E2KCI-708 (2001KI - KI) CD オリジナル完全復刻カンツォーネ(THE COMPLETE CELLECTION CANZONE) (オムニバス) 非ライセンス商品

E39031-771012 (19922 WEA - WARNER MUSIC ITALIA) CDNEW TROLLSQUELLI COME NOI (ニュ-・トロルス) 伊盤

E4SRA-5092 (1967 VICTOR - 日本ビクター) 30cmLP潮風のいざない/ジョニ-・ダグラス楽団 (SEA GOLDEN HITS-DELUXE)

  5. 帰れソレントへ (COME BACK TO SORRENTO)

E545S-  113C (19659CBS COLUMBIA - 日本コロムビア) 霧のサンフランシスコ/ロ-マの秋 (トニ-・ベネット)

E6EOR-10068 (19727ODEON -東芝音楽工業) 虹の日々/すみれのように (フランク・プ-ルセル楽団)

E7BS-7118 (19659KING -キング) 指先のキッス [日]/カナダの小屋[日](木の実ナナ)

E8SPV-  29 (196412. VICTOR -日本ビクタ-) ピザ・パイ [] /(メイ・ビ-・アイ・ノウ [] (中尾ミエ)

 

F1 EMG-   7 (19553MGM -日本コロムビア) EP アンナ (ANNA)

  1.アンナ (EL NEGRO ZUM BON)

  2.恋をした (I LOVED YOU (T'HO VOLUTO BENE))

  3.マラシエラ (MALASIERRA)

  4.ラメント・ボリンカ-ノ (LAMENTO BORINCANO)

  1,2シルヴァ-ナ・マンガ-ノ;3,4ニラ・ピッツィ

F2XDAP-93054 (198411BABY -CBSソニ-) 愛のサン・マルコ/哀しみのコロンビ-ナ (ロンド・ヴェネチア-) 試聴盤

F3HIT-1648 (19697 SEVEN SEAS -キング) 恋の終り二人の青春 (ジュニア・マッリ)

F4WB-20 (19615 WARNER Bros. -ニッチク) アル・ディ・ラ/サッシ (エミリオ・ペリコ-/ジ-ノ・パオ-)

F5ULS- 107^8V (1974OVERSEAS -テイチク) 30cm 2LPミレイユ・マチュ- (MIREILLE MATHIEU)

  1-. 愛を、この手に (MILLE FOIS BROVO)

  2-. 永遠の想い (MON AMI DE TOUJOURS)

F6ULS- 121^2V (1975OVERSEAS -テイチク) 30cm 2LPミレイユ・マチュ-・ジョイフル・プレゼント第1集/第2集 (MIREILLE MATHIEU'S JOYFUL PRESENT Vol.1/Vol.2)

  1-11. 愛のわかれ [仏] (NON PENSARE A ME [F])

  2-. 今宵あなたが聞く歌は [仏] (STANOTTE SENTIRAI UNA CANZONE [F])

F7YS-  798C (19676CBS COLUMBIA -日本コロムビア) 30cmLP カラヴェリ・カンツォネ・ム(FASCINATIN' CANZONE MOOD)

F8Z-  29 (195?LONDON - キング) 名歌手と名アリア集 第1集 (FAMOUS SINGERS - FAMOUS ARIAS)

  1. 花の歌 (LA FLEUR QUE TU M'AVAIS JE TE'E) マリオ・デル・モナコ

  2.歌に生き、愛に生き (VISSI D'ARTE) アニタ・チェルクェッティ

  3.おお、パラダイス (O PARADISO) カルロ・ベルゴンツィ

  4.わが名はミミ (SI, MI CHIAMANO MIMI') ヴァージニア・ゼアーニ

 

 G1 HJ-5029 (19626ANGEL -  東芝音楽工業) サンタ・ルチア/悲しき舟歌 (ベニアミ-ノ・ジ-)

G2 K25A-  362 (1982 KING -  キング) 30cmLP戸田恵子Ⅱ/ルッキン・フォー・ラヴ (KEIKO TODA LOOKING' FOR LOVE)

  10. 砂に消えた涙[日] (UN BUCO NELLA SABBIA [J])

G3 28PC-  10 (198111PHILIPS - 日本フォノグラム) 30cmLP オ・ソレ・ミオ、帰れソレントへ~カレ-ラス、ナポリ民謡集 (DEGITAL RECORDING JOSE' CARRERAS)

G4 LPB-35026 (1964CETRA - FONIT CETRA) 30cmLP CLAUDIO VILLA - CANZONI CELEBRI Vol.4 伊盤

G5 BDS-5011 (1968 BUDDAH - BUDDAH,USA) 30cmLPナポリと女と泥棒たち (TREASURE OF SAN GENNARO) (CAM=ORIGINAL SOUNDTRACK) 米盤

G6 TA-40013^4 (197?10TOSHIBA - 東京芝浦電気工業) 30cm 2LP サンタ・ルチア/世界民謡ベスト32 (東京放送合唱団)

1-.サンタ・ルチア []            (SANTA LUCIA [J])

1-.帰れソレントへ [] (TORNA A SURRIENTO [J])

1-.麦打ちの歌 [日] (I BATTIORI DI GRANO [J])

1-.ラ・スパニョラ [] (LA SPAGNOLA [J])

1-.マリア・マリ [] (MARIA MARI [J]))

1-.海に来たれ [] (VIENI SUL MAR [J]

1-.さらばナポリ[日] (ADDIO A NAPOLI [J])

1-.オ-・ソレ・ミオ [日] ('O SOLE MIO [J] )

G7 KG-31938 (1973COLUMBIA - CBS,USA) 30cm 2LP JERRY VALESINGS THE GREAT ITALIAN HITS (ジェリ-・ベ-) 米盤

G8 PFLP- 1 (1985IL PUFF MUSICA DISCHI RICORDI) 30cmLPFIORINI/TRA I SOGNI E LA VITA (ランド・フィオリーニ)

 





インテルメッツォ ~ マラ・マイオンキ

 久々のインテルメッツォです。時に応じて入れようかと思うのですが、途中の息抜きの暇もなく1969年のサンレモ音楽祭を書き終えた感じです。今日紹介するイタリアの女流プロデューサー、マラ・マイオンキの名前は以前に出したのですが、覚えていらっしゃるでしょうか?

「サンレモの歌手たち」111 アンナ・イデンティチ 1、 ジーノのアンナ・イデンティチの項、同130 オルネラ・ヴァノーニ 2、に書いた名前です。

 

 

マラ・マイオンキ Mara Maionchi 

1941 4 22 日ボローニャ生、レコード・プロデューサー、テレビ・パーソナリティ。

 

                Mara Maionchi            

                     

 1959年マラは学校を卒業し18才、独立心が旺盛な彼女は進学することなくタバコの葉の殺虫剤を製造している会社に就職しました。その後、国際的な運輸会社に転職をしています。66年火災保護製品の会社に勤めるためミラノに引越してきました。

 

 67年新聞にアリストン・レコードの求人広告が載っていたので応募し、社主のアルフレド・ ロッシ(Alfredo Rossi)の面接を受け、彼の秘書として雇われることになりました。この時から彼女は幸運の波に乗ることになります。

 仕事は社長秘書で、アリストンの広報担当の仕事をします。ちょうどその頃、フランスのソルボンヌ大学出身のインテリ歌手、ジェノヴァ派カンタウトゥーリのデーヴァ的存在、オルネラ・ヴァノーニがリコルディからアリストンに移籍したところで、マラの仕事とはこのヴァノーニとマリオ・ガルネラのプロモーション活動をすることでした。

 

 ヴァノーニもアリストンに移籍後、歌手としてステップアップし、一般的人気のある歌手に成長したのは、マラ・マイオンキの影響があり、マラ自身もプロモーターとして成長した時代でした。この頃の彼女の仕事を、プロデューサーとつい書いてしまうのですが、音楽プロデューサーというよりは、アーティスト・プロモーターというべき仕事をしたと思われます。

 

AR-0244 (19682Ariston - Ariston) カーザ・ビアンカ(Casa bianca)/Serafino(セラフィ-ノ)

AR-0244AR-0244 AR-0242AR-0242 

AR-0244 (19682 Ariston - Ariston) Quando m'innamoro(愛の花咲くとき)/Cielo mio(私の空)

 

 彼女はもう一つ大きな仕事をしています。68年サンレモ音楽祭に出場を予定していたアリストンの若手人気歌手アンナ・イデンティチに強力な楽曲を獲得してきます。ジリオラ・チンクェッティのサンレモ出場のために書かれた“愛の花咲くとき(Quando m'innamoro)”と“夕べのしあわせ(Sera)”の2曲を選択の結果、チンクェッティは“夕べのしあわせ”をサンレモ音楽祭出場曲に決めました。

 マラは“愛の花咲くとき”をイデンティチにもたらしました。“愛の花咲くとき”は年間ヒット・ランク49位の大ヒット、一方“夕べのしあわせ”は同100位以内に入りませんでした。マラは音楽産業の経験はなかったものの天性の素質を持っているのが認められ、レコード会社を変わりながら大プロデューサーになっていきます。

 

 69年人気カンタウトゥーリ、ルチオ・バッティスティ(Lucio Battisti)と作詞家、プロデューサーのモゴール(Mogol)が新会社ヌメロ・ウーノ(Numero Uno)を起ち上げた時にアリストンから転職をしました。仕事はプロモーション担当の責任者でした。74年ヌメロ・ウーノの経営権がRCAイタリアーナに移った後、75年に作曲家と仕事をした経験を踏まえリコルディに移りました。

 

 翌76年マラは多くアリストンの仕事に係り、アルバトロスが歌った77年サンレモ音楽祭優勝曲“涙の日曜日(BELLA DA MORIRE)”の作詞家アルベルト・サレルノ(Alberto Salerno)と結婚、二人の娘ジュリア(Giulia)とカミッラ(Camilla)を授かります。彼女にとってこの結婚も将来大きな影響を及ぼします。

  彼女はリコルディでも広報担当支配人の仕事に就き、ヌメロ・ウーノ在籍中の74年頃に知り合ったジャンナ・ナンニーニ(Gianna Nannini)をリコルディと独占契約をさせ、またウンベルト・トッツィ(Umberto Tozzi)も歌手として世に送り出しました。

 

ORL-8741 (1976RICORDI - RICORDI) 30cmLP GIANNA NANNINI (ジャンナ・ナンニーニ)

ORL-8741ORL-8741 MWF-1002MWF-1002 

MWF-1002 (19768 RICORDI -ポリドール) 30cmLP追想 (UN ALTRO GIORNO CON ME)

 

 既存の歌手ではミア・マルティーニ(Umberto Tozzi)やファブリツィオ・デ・アンドレ(Fabrizio De André)のディレクターの仕事をしました。ミア・マルティーニはアルバム「追想」の制作で、会社側と意見が合わずリコルディを去ったという話もあるので、マラとそりが合わなかったのかもしれません。

 一方エドゥアルド・デ・クレシェンツォ(Eduardo De Crescenzo)も担当し81年サンレモ音楽祭に“アンコーラ(Ancora)”を歌わせ、入賞、年間ヒット・ランク42位となる大ヒットにしています。この曲“アンコーラ”は日本でもオルネラ・ヴァノーニの歌で良く知られているのは、何か因縁があるのでしょうか。

 

SRL-10933 (19812Ricordi - Ricordi) Ancora (アンコーラ)Il treno

          SRL-10933SRL-10・933 

 

 RAI子会社であったフォニット・チェトラはヒットを出す歌手が減り、経営が苦しくなっており、80年代に入りリコルディの支援を受けていました。その一環かどうかわかりませんが、83年フォニット・チェトラに芸術ディレクターとして招かれました。ここで“ナポリ音楽の世界大使”と言われたレンツォ・アルボーレ(Renzo Arbore)などを担当しました。

 しかしマラは83年独立し、夫アルベルト・サレルノと自分たちの会社を起上げることにしました。名前はジリオラ・チンクェッティの歌った64年サンレモ音楽祭の優勝曲と同じ「夢みる想い(Non Ho L'età)」、またなぜ?と思われるかもしれません。

 アルベルト・サレルノの父はニコラ・サレルノ(Nicola Salerno)すなわち有名作詞家ニーサ(NISA)。当時新進作曲家ジーン・コロネッロ(Gene Colonello)が2曲目の“夢みる想い(Non Ho L'età)”を出品したいために名義借りした作詞家ニーサなのです。シニカルにもその曲名をアルベルトとマラは父へのオマージュとして会社名につけたそうです。

 

 2007年新人発掘レーベルとして「夢みる想い(Non Ho L'età)」を使いCD制作も始めました。最大の功績は不遇であった通称TZN、ティツィアーノ・フェッロ(Tiziano Ferro)をスペイン語、英語、フランス語、ポルトガル語で歌える才能を生かし、特に中南米に圧倒的な人気を誇る歌手として育てたことだと言われています。

 

 そして近年マラ・マイオンキの有名になります。新たな彼女の顔、それはテレビ・パーソナリティとしての存在です。

 イタリアのRAI2の人気新人発掘番組「Xファクター(X Factor)」の審査員として出演してからです。イギリスで大人気の番組を国営放送局RAI2やスカイ1等が放送したイタリア版ですが、今までの音楽プロデューサー、プロモーターとしての経験を生かした辛口のコメントが大人気となったようです。日本では沖縄テレビが沖縄版を制作しています。

 また2013年の優勝者マルコ・メンゴーニ(Marco Mengoni)も2009年第3回「Xファクター」の優勝者でした。

 

 しかも彼女は2010年Xファクターを種にしたラップ曲も出しています。

20101013日  Fantastic (My Own Key)  Download digitale

Mara Maionchi X-Factor 

 


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