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カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)79 1980年 3

 第30回は非常に新人歌手が多く出場した年でした。30歌手の内複数回の出場となるのが5歌手、外人歌手が3(いずれも初出場)歌手とのこりが初出場のイタリア人歌手22としたいところっですが、そう簡単な話になりません。アルド・ドナッティとアルベルト・ケリが78年スコラ・カントルム(Schola Cantorum)のメンバーとして78年サンレモの舞台に立っていますし、リンダ・リーはダニエル・センタクルス・アンサンブル(Daniel Sentacruz Ensemble)の女性ヴォーカルとして76年、78年に出場しています。

 

  Mela Lo Cicero   Bottega dell'Arte   Pupo             

    メラ・ロ・チチェロ (SIF)            ボッテガ・デッラルテ (EMI)             プーポ (Baby)

 

 さらに優勝歌手トト・クトゥーニョは77年と78年アルバトロス(Albatros)に出て、アルバトロス解散後ソロ歌手として80年に優勝した経過です。バンドやグループのメンバーがソロ歌手として、また違うバンドのメンバーとなって出場することが頻繁に起きてきます。また出場経験歌手歌手が全てビッグ扱いになるかと言うと76年に出場したアルモニュウムのようにカテゴリーAになったバンドもあります。

 

 

第30回 1980年2月7日()~9日() サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)

司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi)

オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) [オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)]

芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)

芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso)

 

[]は外人歌手数、1980年の外人の出場は3歌手

Dischi Ricordi 8[1] Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox 2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1]

CGD 6 [0] CGD 1[]Derby 1[0], Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0]

RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0]))

EMI Italiana 4[1]

Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0]);Philips 2[1])

Fonit Cetra [0]

Ri Fi [0]

CBS Dischi1[0] (CBS 1[0])

 

        Orlando Johnson          Omelet           

       オ-ランド・ジョンソン (EMI)             オムレット (Polydor)

 

 

<参加曲>

Amor Mio... Sono Me (Pino Scarpettini - Angelo Piccareta) 出版社 Intersong Italiana - Clou. <A>オムレット (compl) Omelet (Polydor Polygram Dischi2060-217 [45]

 

 2060-2172060-217   SC-1143SC-1143

 

  Angelo Di Seta Remy Guidè - Claudio Colitti) 出版社 Grandi Firme Della Canzone <A> リメル (compl) Rimmel Cinevox - Dischi RicordiSC-1143 [45]

 

 

 ◆Dal Metrò A New York Sandro Giacobbe) 出版社Sugar <A> ヘンリー・フライス (vm) Henry Freis Derby– CGDDBR-10253 [45]

 

DBR-10253DBR-10253 SIF-25008SIF-25008  

 

Dammi Le Mani Franco Chiaravalle) 出版社SIF <A> メラ・ロ・チチェロ (vf) Mela Lo Cicero SIF – Dischi RicordiSIF-25008 [45]



...E Pensare Che Una VoltaSandro Spasiano - Paolo Cassella) 出版社 RCA – Jeans  <A> ジャンフランコ・デ・アンジェリス (vm) Gianfranco De Angelis RCA RCA ItalianaPB-6417 [45]

 

PB-6417 PB-6417 ZBU- 7181ZBU- 7181 

 

Non Ti Drogare (Alberto Beltrami) 出版社 IT - RCA <A> アルベルト・ベルトラミ (vm) Alberto Beltrami UNA RCA ItalianaZBU- 7181 [45]

 

 

Ritagli Di LuceLuigi Albertelli - Luciano Poltini) 出版社 Belriver <A> ラッテ・エ・ミエーレ (compl) Latte e Miele EMI – EMI Italiana3C006-18470 [45]

 

3C006-184703C・006-18470  BR-50210BR-50210 

 

Ti Desidero (Clauddio Scotti Galletta - Paolo Barabani - Franco Zulian) 出版社SIAE <A> アルモニュウム (compl) Armonium Baby – CGDBR-50210 [45]

 

 

Tu Che Fai La Moglie Luca Cola - Enrico Intra - Marinco Rigaldi) 出版社 SIAE <A> ルカ・コ- (vm) Luca Cola Ri Fi – Ri FiRFNNP-16800 [45]

 

RFNNP-16800RFN・NP-16800  8278(CBS)8278(CBS) 

 

◆(Adelio Coscarella - Aldo .Cogliati - Diego) 出版社 - <A> コスカレッラと ポリメノ (duo) Coscarella & Polimeno CBS – CBS Dischi8278(CBS) [45]

 

参加曲を含む出場曲は以上です

 

 

 日本のプロ・グレ・ファンならボッテガ・デッラルテやラッテ・エ・ミエーレの出場が興味を引くところでしょうが、当時イタリアでは第30回の注目はジャンニ・モランディの出場とその成績だけと言っても過言ではありませんでした。表彰上位3位までに入らず惜しい4位だったのですが、驚きは80年年間ヒット・ランク100位以内に歌った“マリウ”が入らなかったことでした。

 

 音楽祭後のヒットの状況はトト・クトゥーニョの優勝曲“ソロ・ノイ”が80年年間ヒット・ランク18位で順当なところ、第2位エンツォ・マレパッソの“君は元気かい”は同72位、第3位プーポ“恋人たち”が同19位で大成功、注目はエンリコ・ルッジェリ(Enrico Ruggeri)のパンク・バンド、デチベルが同56位で関心を引きました。意外だったのが入賞どん尻20位のペピーノ・ディ・カプリの“君が”が同98位ながらランク・インした事でしょう。

 

 もう一人復帰組で注目されていたのがボビー・ソロ(Bobby Solo)でした。サンレモ音楽祭の成績は入賞(実質10位)でジャンニ・モランディの実質4位には負けていましたが、その後のレコードセールスではモランディが週間ランキングにも入らなかったのですが、ボビー・ソロ8年ぶりのサンレモ音楽祭入賞曲ジェロシアは週間ランキング最高位8位(在位18週)の成績を残し『小吉』程度の成功でした。

 

 

  80年初出場レコード会社の残る紹介はLupusだけですが、外国レーベルのブロンズも簡単に触れておきます。

 

ルーパス (La Lupus)

 正式社名は定冠詞ラ(La)が付くようです。ラテン語でオオカミの意味。作詞家で88年、94年には自分自身がサンレモ音楽祭で歌った歌手のフランコ・カリファーノ(Franco Califano)とディスキ・リコルディのメンバーが1979年ローマで設立したレコード会社です。

 

                 Lupus

 

 作詞家としては特定な作曲家チームを組まず、多くの作曲家と仕事をしており、ルーパスでアルバムを出している作詞・作曲家で歌手もしていたピッポ・フランコと多く仕事をしていません。

 ルーパス在籍歌手はステファーノ・ロッソ、ドナテラ・レットーレ(Donatella Rettore)、ジョー・キャレッロ(Jo Chiarello)、ガブリエラ・フェッリ(Gabriella Ferri)、バンドのコラージェ(I Collage)、ディク・ディク(Dik Dik)がいました。

 レコード制作は90年頃までしていたようですが、88年にフランコ・カリファーノがサンレモ音楽祭に出場した曲はルーパスからではなく、リコルディから出ています。

 

イギリスのレコード会社ですが、サンレモ音楽祭では新レーベルなので簡単に紹介しておきます。

ブロンズ (Bronze Records)

 イギリスのロック・バンド、ユーラリア・ヒープ(Uriah Heep)がヴァルティゴ(Vertigo Records)でレコードを作っていた頃のプロデューサーだったジェリー・ブロン(Gerry Bron)が彼らのために作った独立系レコード会社です。

Bronze Records

 製造とディストリビューションはアイランド・レコードに委託(日本の国内盤は日本コロムビアから)でした。77年にEMIへ、80年にはポリドールに移動しています。86年財政難に陥りレイ・チャールズのレガシー・レコード(Legacy Records)に売却されました。

 

 

    Aldo Donati       Francesco Magni      Luca Cola     

    アルド・ドナッティ (RCA)     フランチェスコ・マーニ (Ariston)       ルカ・コ- (Ri Fi)

 

 音楽祭の中継はラジオが3日間通してされましたが、TVは第1夜、第2夜は23時から25分のダイジェスト版の放送のみで、最終夜の模様はユーロヴィジョンの国際中継があるため完全中継がされました。

 

 第30回の司会は予選の2日間クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi)が進行し、フィナーレの最終日をロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージがするという変則的なスタイルでした。

 

 ロベルト・ベニーニと言えば98年日本でもヒットした自ら監督、主演しアカデミー主演男優賞、アカデミー外国語映画賞、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリなど世界各国の映画賞受賞作「ライフ・イズ・ビューティフル」を思い浮かべますが、このサンレモを司会した頃は27才の暴走型人気コメディアンで、音楽祭の中継が始まるやオリンピア・カリージに30秒間のロング・キッスをしたり、ローマ教皇や政治家いじる危険なジョークを飛ばし、登場する毎に服を脱ぎ、舞台で好き放題暴れまくりました。

 ベニーニ自身が『音楽祭を救うための唯一の解決策は、決勝の前に私を解雇することです』と言うぐらいでした。

 日本でいえば北野武がビートたけしの名前で人気を博し、毒づいていたのを思い出していただければご理解してもらえるでしょう。

 

Roberto Benigni (1980 Sanremo)

 

 こうして毎年サンレモ音楽祭後、今年の真の成功者が語られるのですが、80年は歌手でなく、司会をしたコメディアンのロベルト・ベニーニに定まったようです。

 

 

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1979年は以上で、次回から参加歌手の紹介が続きます

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)78 1980年 2

 第30回の方法はジャンニ・ラヴェーラが74年(第24回)に取った方法を踏襲して行われました。

 歌手を2カテゴリーに分け、カテゴリーB(Bigの部)のスター歌手10名は予選をすることなく最終日の決勝戦に進め、今までの入賞歌手扱いとなります。

 カテゴリーA(Aspiranti=候補者)は第1、2夜で各10歌手が歌い、各5歌手(計10歌手)が決勝戦に進みます。したがって各夜5歌手の計10歌手予選落ち(参加曲)となります。

 

 このアリストン劇場に出場する30歌手を選考するのに、音楽祭開催3週間前の1月17日最終選考に残った40歌手を絞り込む審査が行われました、その審査員は地元リグリアの放送局が選んだ若者が半数、ジャンイ・ラヴェーラが選んだ男性が半数でした。そして最も得票したのがカテゴリーAのフランチェスコ・マーニ(Francesco Magni)で、落選したビッグの歌手にはトニー・ダララ(Tony Dallara)ミーノ・レイターノ(Mino Reitano)がいました。

 

 

 

 Enzo Malepasso    Latte e Miele    Linda Lee                             

 エンツォ・マレパッソ (Polydor)        ラッテ・エ・ミエーレ (EMI)        リンダ・リー (Cinevox)

 

 

第30回 1980年2月7日()~9日() サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)

司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi)

オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) [オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)]

芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)

芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso)

 

[]は外人歌手数、1980年の外人の出場は3歌手

Dischi Ricordi 8[1] Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox 2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1]

CGD 6 [0] CGD 1[]Derby 1[0], Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0]

RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0]))

EMI Italiana 4[1]

Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0]);Philips 2[1])

Fonit Cetra [0]

Ri Fi [0]

CBS Dischi1[0] (CBS 1[0])

 

 出場歌手を送出しているレコード会社にも時代の流れが見て取れます。各社グループ別に最多がディスキ・リコルディで外人歌手1を含む8歌手を出場させていますが、本体のリコルディからは無く、傘下の有力会社アリストン、カロセッロ、チネヴォックスに支えられている状態です。

 次のCGDグループも6歌手出していますが、直近に提携していた米CBS系が独立し、イタリア現地法人CBSディスキを設立(新会社から1歌手の出場を確保)したため、CGDは突然の経営悪化、ここも本体から一人出すのが精一杯。

 RCAイタリアーナはフォークロック、ニューミュージック系で元気が良く5歌手。勢力を増してきたのが、EMIイタリアーナとフォノグラムからポリグラム・ディスキに改名したポリドール&フィリップス連合。このところ冴えないフォニット・チェトラとサンレモの後から新譜も制作できない経営危機となったリフィからは各1歌手の出場となっています。

 

 

 Leroy Gomez   Gianfranco De Angelis   Rimmel               

 リロイ・ゴメス (Philips)   ジャンフランコ・デ・アンジェリス (RCA)       リメル (Cinevox)

 

 

<入賞曲>

(11) コンテッサ Contessa (Fulvio Muzio - Enrico Ruggeri) 出版社 Spaghetti Mus. <A> デチベル (compl) Decibel (Spaghetti RCA ItalianaZBSR-7182 [45]

 

 ZBSR-7182ZBSR-7182   AR-00879AR-00879 

 

  (12) Voglio Ll'Erba Voglio Francesco Magni) 出版社 Santa Cecilia <A> フランチェスコ・マー

(vm) Francesco Magni Ariston - Dischi RicordiAR-00879 [45]

 

 

 (13) カンテローCanterò Canterò Canterò Aldo Donati) 出版社RCA Mus. <A> アルド・ドナッティ (vm) Aldo Donati RCA – RCA ItalianaPB-6380 [45]

 

PB-6380PB-6380  LUN-4905LUN-4905 

 

(14) でも... 行くんだ Ma Vai Vai Giorgio Bennato) 出版社Anaconda <A> ジョルジョ・ツィット と ヂーゼル (compl) Giorgio Zito e i Diesel Lupus – Dischi Ricordi) LUN-4905 [45]



(15) 想いは果てなく Va' Pensiero Pippo Caruso) 出版社 Bixio CEMSA <A> リンダ・リー (vf) Linda Lee Cinevox Dischi RicordiSC-1142 [45]

 

SC-1142 SC-1142 SP-1723SP-1723 

 

(16) マーラ Mara (Luigi Albertelli - Brunello Tavernese) 出版社 Usignolo <A> ブルーノ・ダンドレア (vm) Bruno D'Andrea Cetra - Fonit CetraSP-1723 [45]

 

 

(17) 歌姫さま Musica Regina Leano Morelli) 出版社 Intersong Italiana <B> レアーノ・モレッリ (vm) Leano Morelli Philips – Polygram Dischi6025-247 [45]

 

6025-2476025-247  3C006-184723C・006-18472 

 

(18) 太陽に歌う Il Sole Canta (Nicoletta Artom - Giovanni Ullu) 出版社Belriver - Intersong Italiana <A> オーランド・ジョンソン (vm=a) Orlando Johnson EMI – EMI Italiana3C006-18472 [45]

 

 

(19) 時は過ぎゆく Passerà MarcoLuberti - Antonio Coggio) 出版社 Calycanthus – Suvini Zeroni <A> アルベルト・ケリ (vm) Alberto Cheli CGD – CGDCGD-10250 [45]

 

CGD-10250 CGD-10250  SPH-1035PSPH-1035・P 

 

(20) 君が Tu cioè... Depsa - Giuseppe Faiella) 出版社 Splash <B> ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri Splash – CGDSPH-1035P [45]

 

入賞曲は以上です

 

 

 日本で各年度のサンレモ音楽祭オムニバス盤が80年以降(不定期に85年と89年は発売されましたが)リリースされなくなりました。特に80年は優勝曲、入賞曲のシングル盤さえ出ていないので、出場曲リストの国内盤ジャケット画像が全く無い寂しい状態になりました。

 またイタリアのシングル盤のジャケット画像もほとんどが私の手持ち分を使っているため、状態が良くない物があります。お許しください。 

 

 

      Bruno D'Andrea      Stefano Rosso     Henry Freis                         

      ブル-ノ・ダンドレア (Cetra)     ステファ-ノ・ロッソ (CIAO)       ヘンリ-・フライス (Derby)

 

 

  80年初出場レコード会社はCiao、Cinevox、Lupus、Unaの4社です。前回チネヴォックス(Cinevox)を紹介しましたので、はチャオ(Ciao)とウナ(Una)を紹介しましょう。

 

チャオ・レコーズ(Ciao Records)

チャオ・レコーズ(単にチャオで通っていたようですが)は元プロフェーティ(I Profeti)の結成メンバーでドラマーだったオスバルド・ベルナスコーニ(Osvaldo Bernasconi)がプロフェーティ解散の翌年、芸術監督となって1978 年ミラノで設立されたレコード会社です。

 

Ciao Records

 

 所属アーティストで一版有名なのはロベルト・ヴェッキオーニ(Roberto Vecchioni)で設立翌年の79年にフィリップスから移籍をしました。その他にステファーノ・ロッソ(Stefano Rosso)、アクァ・フラジーレ(AcquaFragile)やPFMにいたベルナルド・ランゼッティ(Bernardo Lanzetti)などイタリア・ロック界の大物、有名なカンタウトゥーリのファウスト・レアーリ(Fausto Leali)を集めました。

 

 しかしミュージシャンのオスバルド・ベルナスコーニは法律に基づいた契約や経営のマネージメントに疎く、またそれが出来る人材を雇っていなかったのか会社はトラブルが続出しました。

 

 ロベルト・ヴェッキオーニのアルバム「Montecristo」を制作したのですが、フィリップスから契約違反で訴えられ、原盤権を取られてしまったり、設立当初ディストリビューション(プロモート、販売)権をフォニットとしたものの直ぐにCGDに変更し、流通できない不良在庫を抱えたりして81年になって経営破綻をしています。

 

 

ウナ・ソルス・コニウンクシット(Una Sors Coniunxit) [ラテン語でこう読むのだと思います]

 何しろラテン語の会社名でイタリアでも通常は簡単なウナ(Una)だけを使っていたようです。意味は「共に一つの運命を」だと思います。

 

Una  

 

 71年RCAのエンニオ・メリスと提携して「IT」を興しまたヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)が76年にIT傘下に作った実験的音楽を目的としたレーベルで、RCAイタリアーナがディストリビューションを行いました。丁度カテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)CGDの傘下でアスコルト(Ascolto)を設立したのと同じ性格を持ったレーベルだと私は思っております。

 

 ウナのアーティストの内、一番日本で知られているのはプログレ・バンド、フォルムラ・トレ (Formula 3)のドラマー、トニー・チッコ(Tony Cicco)で、チコ(Cico)としてアルバム「夜の闇の中で(NOTTE)」も国内盤が出ています。

 

K22P-  226 (19821221SEVEN SEAS - キング) チコ/夜の闇の中で (CICONOTTE)

 

K22P-  226 K22P- 226 ERS-28013ERS-28013 

 

ERS-28013 (CR-10063) (1987625RCA - エディソン(RVC) 月影のピエロ/ピエロ・ルネ-レ(PIERROT LUNAIRE)

 

 次に、元ピエロ・ルネーレ(Pierrot Lunaire)のギタリストでアマデオ・ミンギ(Amedeo Minghi)に歌詞を提供したガイオ・キョッキョ(Gaio Chiocchio)がいます。その他ロック・オペラ「L'Eliogabalo」を作ったエミリオ・ロクルチョ(Emilio Locurcio)、ロベルト・クンストラー(Roberto Kunstler)、ゴラン・クツミナック(Goran Kuzminac)など社名通りの曲者揃いです。

 

 流石商業的には苦しく、83年に活動停止をしますが、ITのプロデュースでウナ・レーベルの権利をパナ・レコードやCGDに売り、88年までウナのレーベル名は生き延びました。

 

 

 

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1980年 3は次回に続きます

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)77 1980年 1

 前年1979年第29回大会で「サンレモ音楽祭の復活」でその名の通り『サンレモ男』のジャンニ・ラヴェーラが総責任者として復活しましたが、この年80年のオーガナイザーはプブリスペイ(Publispei) 社と言う会社に変更になったのが大きな特徴です。

 

 また日本においては61年(第11回)から75年(第25回)を除いて毎年どこかのレコード会社がその年の出場曲を集めたオムニバス(コンピレーション)盤を出していたのですが、ついに79年を最後に発売されなくなりました。不定期に85年にLP、89年にCDをして発売されましたが、それ以外は個人の歌手のアルバムかシングル盤に入るか、カンツォーネやサンレモのコンピレーション盤に収録される以外は国内盤が出ることは無くなりました。

 

 

第30回 1980年2月7日()~9日() サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)

司会:クラウディオ・チェッキート(Claudio Cecchetto)、ロベルト・ベニーニ(Roberto Benigni)、オリンピア・カリージ(Olimpia Carlisi)

オーガナイザー:プブリスペイ(Publispei) [オーナーはジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)]

芸術監督:ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)

芸術助監督:ジャンニ・ナーソ(Gianni Naso)

 

[]は外人歌手数、1980年の外人の出場は3歌手

Dischi Ricordi 8[1] Ariston 1[0], Carosello 1[0], Cinevox 2[0], SIF 1[0], Lupus 1[0], Yep 1[0], Bronze 1[1]

CGD 6 [0] CGD 1[0]Derby 1[0], Baby 2[0], Splash 1[0], Ciao 1[0]

RCA Italiana 5[0] (RCA 3[0], Una 1[0], Spaghetti 1[0]))

EMI Italiana 4[1]

Polygram Dischi 4[1] (Polydor 21[0]);Philips 2[1])

Fonit Cetra [0]

Ri Fi [0]

CBS Dischi1[0] (CBS 1[0])

 

 それに比例して日本でのサンレモ音楽祭の認知度は低くなっていきます。出場曲リストで太文字にしているのが国内盤が出た曲ですが、優勝したトト・クトゥ-ニの“ソロ・ノイ”の1曲のみです。それも89年に出た3枚組CD「カンツォ-ネのすべて~栄光のサンレモ(STRIA DELLA FESTIVA DI SANREMO)」に収録という状態になりました。また邦題も決まっていない(私が知らないだけかも)出場曲も増えていきます。

 

 

      Sally Oldfield   Decibel   Toto Cutugno

サリ-・オールドフィールド (Bronze)     デチベル (Spaghetti)    トト・クトゥーニョ (Carosello)          

 

 

 <優勝曲>

ソロ・ノイ Solo Noi (Salvatore Cutugno) 出版社 NUMBER TWO <B> トト・クトゥーニョ (vm) Toto Cutugno (Carosello - Dischi RicordiCI-20483 [45]

 

                CI-20483CI-20483 

 

 第2位 君は元気かいTi Voglio Bene Depsa - Enzo Malepasso) 出版社 Intersong Italiana - Editions 23  <A> エンツォ・マレパッソ (vm) Enzo Malepasso Polydor – Polygram Dischi2060-218 [45]

 

 2060-2182060-218  BR-50209BR-50209 

 

 第3位 恋人たち Su Di Noi (Paolo Barabani - Enzo Ghinazz - Donatella Milanii) 出版社Televis <B> プーポ (vm) Pupo Baby - CGDBR-50209 [45]

 

 

<入賞曲>

(4位) マリウMariù Francesco De Gregori - Rosalino Cellamare) 出版社RCA Mus. B>ジャンニ・モランディ (vm) Gianni Morandi RCA – RCA ItalianaPB-6416 [45]

 

PB-6416PB-6416  3C006-184643C・006-18464 

(5位) 歌ある限り Più Di Una Canzone Piero Calabrese - Romano Musumarra) 出版社 -  <B>ボッテガ・デッラルテ (compl) Bottega Dell'Arte EMI EMI Italiana3C006-18464  [45]

 

 

(6位) あなたへのうた I Sing For You (Alberto Salerno - Maurizio Fabrizio) 出版社 Come Il Vento – SIAE <B> サリー・オールドフィールド (vf=er) Sally Oldfield Bronze - Dischi RicordiBRO-90 [45]

 

BRO-90BRO-90  CIAO-508CIAO-508 

 

(7位) イタリアーノ L'Italiano Stefano Rosso) 出版社 Itaca - SIAE <B> ステファーノ・ロッソ (vm) Stefano Rosso Ciao – CGDCIAO-508 [45]

 

 

(8位) 君のいない日々 Tu Mi Manchi Dentro (Popi Minellono - Renato Brioschi) 出版社 Intersong Italiana - Akila <B> リロイ・ゴメス (vm=sp) Leroy Gomez Philips - Polygram Dischi6025-249 [45]

 

6025-2496025-249  YEP-00726YEP-00726 

 

(9位) 白馬 Cavallo Bianco Vania Magelli - Riccardo Aglietti) 出版社 Gabric <A>パオロ・リヴィエラ (vm) Paolo Riviera Yep – Dischi RicordiYEP-00726 [45]

 

 

(10) ジェロシア Gelosia Danilo Ciotti  - Roberto Satti) 出版社 Belrive <B>ボビー・ソロ (vm) Bobby Solo EMI – EMI Italiana3C006-18471 [45]

 

           3C006-184713C・006-18471 

 

入賞曲の残り10曲は次回です

 

 

 オーガナイザーとなったプブリスペイのことをもう少し説明しておきましょう。72年ローマに  ジャンニ・ラヴェーラがTVドラマを中心とした番組制作、音楽ショーの制作、イベント制作を目的とした会社を設立しました。80年初頭イタリア音楽業界の老舗でビクシオ(Bixio)家が株式の50%を引受け、多くのTVドラマを制作し、サンレモ音楽祭は第38回までと42回、43回のオーガナイザーをしています。前年の彼自身は今回芸術監督となり、前年の芸術監督ジャンニ・ナーソを芸術助監督にすえて、第30回の全権を握り開催しました。

 プブリスペイはサンレモ音楽祭の他にも夏のディスクや、91年にホスト国となりローマのチネチッタ開催されたユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(80年、90年サンレモ音楽祭優勝者に優勝したトト・クトゥーニョとジリオラ・チンクェッティが司会)もプロデュースをしています。

 

 

    Paolo Riviera     Alberto Cheli        Alberto Beltrami 

      パオロ・リヴィエラ (Yep)        アルベルト・ケリ (CGD)       アルベルト・ベルトラミ (Una)

 

 

  80年初出場レコード会社はCiao、Cinevox、Lupus、Unaの4社です。

 それでは日本で一番なじみのあるチネヴォックス(Cinevox)から紹介していきましょう。

 

チネヴォックス・レコード(Cinevox Record)

 日本では“マンマ(Mamma,)”、“夜のヴァイオリン(Violino Tzigano)”、“マリウ、愛の言葉を(Parlami D'Amore Mariù)”の作者として知られ、第二次大戦前からイタリアを代表する作詞・作曲、チェザーレ・アンドレア・ビクシオ(Cesare Andrea Bixio)が1920年に設立した音楽出版C.A.ビクシオ(La Casa Editrice C.A. Bixio)の子会社とし60年に作られたレコード会社です。

                   Cinevox Record

 

 チェザーレ・アンドレア・ビクシオは生涯で500曲以上の楽曲を作り、150本以上の映画に音楽を付けました。作ったレコード会社は映画のサウンドトラック盤を本業とし、社名もチネヴォックス(Cinevox Record)と名付けられました。

 

 多くのイタリア系大資本のレコード会社は、世界資本(主にアメリカ系)に呑み込まれていきましたが、チネヴォックスは今も創業以来の姿勢を貫き活動を続けています。

 

チネヴォックスのホームページhttps://it.wikipedia.org/wiki/Cinevox 

 

 多分単独でチネヴォックスとクレジットされた国内盤が出たのはブルーノ・ニコライ楽団演奏の“悲しみは星影と共に”のサントラ盤ではないでしょうか?

 

FON- 1058 (1966105FONTANA - 日本ビクター) 悲しみは星影と共に (OLTRE LA NOTTE)/悲しみは星影と共に~愛のテ-マ (LOTRE LA NOTTE TEMA D'AMORE) [オリジナル・サウンドトラック]

 

FON- 1058FON- 1058  EOR-20474EOR-20474 

 

EOR-20474 (1975820ODEON -東芝EMI) サスペリア2のテーマ (PROFONDO ROSSO)/死の滅亡 (DEATH DIES) ゴブリン (GOBLIN) [オリジナル・サウンドトラック]

 

 何といってもチネヴォックスの名前が知れるようになったのは、ほぼ10年後の70年代半ばに流行っていたホラー映画のお陰でした。全編イタリアのプロ・グレ・バンド、ゴブリンが付けた映画「サスペリア2」がヒットします。77年には映画「サスペリア」で同じくゴブリンのサントラ盤、79年の同映画「ゾンビ」サントラ盤と続き、ゴブリンは日本でもイタリアのプロ・グレ・バンドが注目されていきました。

 

 一方90年代に入りCDでの映画サントラ盤ブーム、次にそのサントラ音源を使ったラウンジ系ミュージックが流行っていきます。こうして日本の市場はチネヴォックスの繁栄を支える一助となります。

 

 またこのブログの項の最初に書いた、サンレモ音楽祭ヲプロデュースする会社プブリスペイの株式の50%を取得し、音楽イベントに大きくかかわっていきます。

 特に90年代半ばまでサンレモ音楽祭にほぼ毎年のように歌手を出場させるレコード会社へと変貌をとげ、翌81年にはオリエッタ・ベルティ(Orietta Berti)が入賞、82年は参加、83年はマルコ・アルマーニ(Marco Armani)が“人生”で入賞、翌84年彼は新人部門第2位、86年入賞、85年マルコ・アルメニーゼ (Marco Armenise)、ベビー・レコードから移籍してきたリッキとポーヴェリ(Ricchi E Poveri)が88年“イエスが生まれ“で入賞しており、第2のベビー・レコード的存在として注目されました。

 

 

      Giorgio Zito e i Diesel     Coscarella & Polimeno            

      ジョルジョ・ツィット と ヂ-ゼル (Lupus)       コスカレッラ と ポリメノ (CBS)

 

 

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1980年 2は次回に続きます

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)76 1979年2

 8年ぶりに“オーガナイザー”に返り咲きジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)がサンレモ音楽祭の復活を掲げましたが、ミーノ・ヴェルニャーギ (Mino Vergnaghi) の優勝曲“アマーレ (Amare”が直ぐに失速し、週間ランキング最高位18位で14週間ランク・インしたものの79年年間ヒット・ランク99位に滑り込んだという状況でした。第3位となったカマレオンティ(Camaleonti)の“暗闇の心 (Quell'Attimo In Più)”も週間ランキング最高位35位(在位11週)、4位のコラージェ(Collage)も同34位(同11週)でドングリの背比べ、年間ヒット・ランク100位以内に入れませんでした。 

 

 

                 Enzo Carella                Lorella Pescerelli            

                エンツォ・カレッラ (IT)                     ロレッラ・ペッシェレッリ (ARC)

 

第29回 1979年1月11日()~13日() サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)

司会:マイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)、アンナマリア・リッツォーリ(Annamaria Rizzoli)
オーガナイザー:ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)

 

[]は外人歌手数、1979年は外人の出場は3歌手

RCA Italiana 4[0] RCA 2[] ARC 1[0]IT 1[0]))

CGD 4[0] CGD 1[]Ascolto 1[0]);Baby 1[0] Kontiki 1[0])))

Dischi Ricordi 4[1] Ricordi 2[0]Ariston 2[1])

Phonogram 2[] (Polydor 1[0]);Philips 1[0])

Durium 2[]

EMI Italiana 2[1]

Fonit Cetra []

Ri Fi [0]

WEA Italiana 1[0] (It Why 1[0])

SIF 1[1] Barclay 1[1])

 

 成功したのはただ一人、初出場の中年コメディアン、エンリコ・ベルスキ (Enrico Beruschi)の“花だろう(Sarà Un Fiore)”が年間ヒット・ランク97位になったことでした。カテリーナ・カセルリのレーベル、アスコルトから初出場した6位“殿様気取り(A Me Mi Piace Vivere Alla Grande)”のフランコ・ファニリューロ(Franco Fanigliulo)も週間ランキング最高位42位(在位10週)と期待外れに終わりました。

 

         Kim & The Cadillacs      Enrico Beruschi       

            キム&キャデラックス (Ariston)                エンリコ・ベルスキ (Baby)

 

 また女性歌手で決勝戦に残ったのは“ニュー・ヨーク(New York)”を歌ったロレッラ・ペッシェレッリ(Lorella Pescerelli)ただ一人でした。この曲は後にパティー・プラヴォー(Patty Pravo)が英語でカヴァーし知られるようになりました。

 

 

 

<参加曲>

黄色いページ Autunno, Cadono Le Pagine Gialle Roerto Ferri - GiancarloTrombetti) 出版社 ARISTON マリネッラ (vf) Marinella Ariston - Dischi RicordiAR-00847 [45]

 

AR-00847AR-00847  3C006-183873C・006-18387 

 

◆アイックス・ディスコ AYX Disco Riccardo Galardini) 出版社 BELRIVERアイックス (compl)  AYX EMI – EMI Italiana3C006-18387 [45]

 

 

◆チャオ・バルバレッラ Ciao Barbarella Oscar Avogadro - Daniele Pace - Ciro Sebastianelli) 出版社 AROMANDO チロ・セバスティアネッリ (vm) Ciro Sebastianelli CGDCGD-10141 [45]

 

CGD-10141CGD-10141 6025-2096025-209 

 

◆偉大なる魔法使いGrande Mago Nicoletta Bauce - Roberto Colombo) 出版社 INTERSONG ITALIANA. ニコレッタ・バウチェ (vf) Nicoletta Bauce Philips Phonogram6025-209 [45]

 

 

◆秘密の日記 Il Diario Dei Segreti Daiano - Giuseppe Adorno) 出版社 DURIUM オペラ (compl) Opera Durium - DuriumLdAl-8038 [45]

 

LdAl-8038Ld・Al-8038  3C006-147203C・006-14720

 

◆理性を失なう時 (狂っちゃうわ) Impazziròi Piero Civello - Basilivan) 出版社 BELRIVER イレテ・ユンヌ・フォワ (compl=f) Il Était Une Fois EMI – EMI Italiana3C006-14720 [45]

 

 

◆ふたりの影 In Due Gianni Belfiore - Michele Vicino) 出版社 INTERSONG ITALIANA ミケ-レ・ヴィチ- (vm) Michele Vicino Cetra – Fonit CetraSP-1697 [45]

 

SP-1697SP-1697  KNT-4002KNT-4002 

 

◆太陽と雨 La Pioggia, Il Sole Daniele Pace - Corrado Conti) 出版社 CONTAPE - SUGAR ロベルタ (vf) Roberta Kontiki CGDKNT-4002 [45]

 

 

◆ナポリの叫び Napule Cagnarrà Wanda Montanelli) 出版社 RCA - R マッシーモ・アッバーテ (vm) Massimo Abbate RCA – RCA ItalianaPB-6290 [45]

 

PB-6290PB-6290  SRL-10890SRL-10・890 

 

◆黒いお守り Talismano Nero Manipoli - Gianni Mocchetti) 出版社 JUBAL ジャンニ・モケッティ (vm) Gianni Mocchetti Ricordi – Dischi RicordiSRL-10890 [45]

 

 

以上参加曲、出場曲は以上です。

 

 

 

         Il Était Une Fois                  Gianni Mocchetti 

      イレテ・ユンヌ・フォワ (EMI Italiana)              ジャンニ・モケッティ (Ricordi)

 

 前2回のように大化けする新歌手が出現することはありませんでしたが、強気のジャンニ・ラヴェーラは「掛かった費用の分だけは収入があったとしかお答えできません」また「今年サンレモが以前のものよりも良かったか悪かったかに関わらず、新らた出発点になった思っている」とコメントしています。サンレモ音楽祭の小さな第一歩が始まったと言う事でしょう。

 なお79年のサンレモの舞台で歌われた曲で一番ヒットしたのはゲストのピッポ・フランコ(Pippo Franco)の“Mi Scappa La Pipì Papà”が年間ヒット・ランク15位になっています。

 

Michele Vicino             Roberta

                                 ミケーレ・ヴィチーノ (Cetra)                     ロベルタ (Kontiki)

 

 

それでは前回に続き初出場のレコード会社の紹介です。残りの2社です。

 

イット・ホヮイ (It Why)

  It why (1979)   It why (1980)

 78年初参加のレコード会社3番手はイット・ホヮイという英語名のレーベルです。これまたほとんど資料の見つからない会社です。

 78年WEAイタリアーナは同社のレコード番号を使って発売するサブ・レーベルを作りました。WEAイタリアーナに所属していたウンペルト・ナポリターナが第1号契約歌手だったので、私はナポリターナが設立した会社と思っていましたが、その証拠は見つかりませんでした。

 80年代は右のレーベル・マークを使って主にダンス・ミュージック系のレコードを出していました。

2000年代はIT-WHY DistribuzioneとしてCDが出ていますが、同じ会社なのか不明です。

 

 

ベビー・レコーズ (Baby Records)

日本でも発売された知る人ぞ知るイタリアのレコード会社です。スティ-ブン・シュラックス (Steven Schlaks)、リッキとポ-ヴェリ(Ricchi E Poveri)はビクター音楽産業、ラ・ビオンダ (La Bionda)と後にテイチク発売となるD..サウンド (D.D.Sound)が日本フォノグラム、ガゼボ (Gazebo)とロンド・ヴェネチアーノ (Rondo' Veneziano)がCBSソニー、ピンク・プロジェクト (Pink Project)はアルファ、デン・ハーロウ (Den Harrow)がファンハウス、ユ-ロビ-ト系がポニー・キャニオンなどバラバラ状態ですが色々な曲が国内盤として出ています。

 

Baby Records

 

 ベビー・レコーズ(以下ベビーと略)は74年エジプト系イタリア人フェデリコ・ナッジャール(Federico Naggiar)がミラノで設立しました。新感覚の音楽で民族系レコード会社の新興メジャー・レーベルとして94年まで活動を続けます。

 

 当時のメジャー会社と対抗していくには、目新しい革新的音楽の分野に進出する必要があり、イタリア人歌手に英米風芸名を付け英語で歌わす曲で参入を図りました。80年代になり、ディスコ・ミュージック、ユーロビートとして受入れられます。

 

 しかしベビーの最初の成功は意外なものでした。イタリアに移住したアメリカ生まれでイージーリスニング畑のピアニスト、スティ-ブン・シュラックス(Stephen Schlaks)の“ブルー・ドルフィン(Blue Dolphin)”という曲が週間ランキング42位(在位5週)というマイナー・ヒットとなりました。

 

 また80年サンレモ音楽祭で第3位となる歌手のプーポ(Pupo)が入社し、75年に出したデビュー曲“Ti Scriverò”が翌年週間ランキング48位(在位2週)でしたがこれもマイナー・ヒットで着実に実績を作りました。

 

 さらに74年12月にYepレコードでデビューしたサント・カリフォルニア(Santo California)が歌う“トレビの泉(Tornerò)” の国内販売権を獲得し、75年年間ヒット・ランク5位となるメガ・ヒットになり経営的に大成功しました。

 

 77年に79年サンレモで成功したエンリコ・ベルスキ (Enrico Beruschi)と契約します。80年代に入りベビーはサンレモ音楽祭に毎年出場歌手を送り、84年アル・バーノとロミナ・パワー (Al Bano & Romina Power)の“愛の架け橋(Ci Sarà)”で初優勝しました。翌年リッキとポーヴェリ (Ricchi e Poveri) 恋に落ちて(Se M'Innamoro)“で連続優勝し、イタリアで最もホットなド会社となります。

 

 また77年はラ・ビオンダ(La Bionda)D.D.サウンド(D.D.Sound)が契約します。D.D.サウンドはラ・ビオンダ兄弟の別名プロジェクトです。彼らはディスコ・ブームでイタリア国内や西ドイツを中心に欧州で大ヒットとなりました。

 

 80年新しい音楽に挑戦します。女性だけで結成した室内楽風アンサンブル、ロンド・ヴェネチア-ノにクラシックとポップスを融合した音楽で売出しました。82年にはテクノ・ポップのガゼボ(Gazebo)を送出し、日本では彼の“アイ・ライク・ショパン (I Like Chopin)”を松任谷由実が日本語の歌詞を作り“雨音はショパンの調べ”として忘去られていたアイドル小林麻美が歌い大ヒットしました。

 

 しかし90年代に入りベビーも時代に乗切れず94年に閉鎖されました。

 

 

 

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1979年出場曲は以上です。

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)75 1979年1

 1979年第29回大会で一番の話題は、音楽祭全体のマネージメントをする時期によってパトロン、オーガナイザー、芸術監督と表現が変りますが、なんと総責任者の事でした。テーマも「サンレモ音楽祭の復活」でその名の通り『サンレモ男』も復活しました

 

              Mino Vergnaghi                 Franco Fanigliulo        

         ミーノ・ヴェルニャーギ (RI FI)         フランコ・ファニリューロ (Ascolto)

 

 その男こそジャンニ・ラヴェーラで54年に歌手として出場しますが、目だった成績を残していませんでした。

 彼が有名となったのは62年(第12回)から68年(第18回)まで連続7回と共同開催で71年、生涯で17度オーガナイザーを務めています。彼の功績は音楽祭の発展と、国際音楽祭に昇格させ世界のポピュラー音楽祭の仲間入りをさせたことでした。

 そのラヴェーラとマイク・ボンジョルノが79年の音楽祭、存続の危機にもなった状態から這い上がろうとしているサンレモに戻ってくるという話は大きな話題でした。

 

第29回 1979年1月11日()~13日() サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)

司会:マイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)、アンナマリア・リッツォーリ(Annamaria Rizzoli)

オーガナイザー:ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)

 

[]は外人歌手数、1979年は外人の出場は3歌手

RCA Italiana 4[0] RCA 2[] ARC 1[0]IT 1[0]))

CGD 4[0] CGD 1[]Ascolto 1[0]);Baby 1[0] Kontiki 1[0])))

Dischi Ricordi 4[1] Ricordi 2[0]Ariston 2[1])

Phonogram 2[] (Polydor 1[0]);Philips 1[0])

Durium 2[]

EMI Italiana 2[1]

Fonit Cetra []

Ri Fi [0]

WEA Italiana 1[0] (It Why 1[0])

SIF 1[1] Barclay 1[1])

 

       Marinella        Pandemonium         

         マリネッラ (Ariston)                          パンデモニウム (RCA Italiana)

 

 参加レコード会社はRCAイタリアーナ・グループとリコルディ・グループが4歌手で前年通り、CGDグループが3から4歌手に1増で親会社CGDの他はカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)が起ち上げたアスコルト(Ascolto)と傘下のベビー・レコーズ(Baby)、マイナー・レーベルのコンティキ(Kontiki)が加わりました。

 1歌手から2歌手に増えたのはEMIイタリアーナ、フォノグラム、ドゥリウム、前年と変わらず1名がフォニット・チェトラ、リフィ、WEAイタリアーナでした。前年実績なしはフランス人のアントワーヌ(出場4回目)を招いたバークレイのイタリア法人SIFです。

 前年実績1歌手からゼロになったのがサール(SAAR)、イェップ(YEP)、アリス(ARIS)の3社でした。

 

 

 <優勝曲>

アマーレ Amare (Piero Finà - Sergio Ortone) 出版社 RI-FI Mus. <1441> ミーノ・ヴェルニャーギ (vm) Mino Vergnaghi (Ri FiRFNNP-16772 [45]

 

                 RFNNP-16772RFN・NP-16772 

 

 

  第2位 バルバラ Barbara Pasquale Panella - Enzo Carella) 出版社 IT –Jeans –RCA – R  <1257> エンツォ・カレッラ (vm) Enzo Carella IT – RCA Italiana) ZBT- 7127 [45]

 

  ZBT- 7127ZBT- 7127  LdAl-8039Ld・Al-8039 

 

  第3位 暗闇の心 Quell'Attimo In Più (Oscar Avogadro - Daniele Pace - Mario Lavezzi) 出版社SUGAR – DURIUM <1256> カマレオンティ,{イ・} (compl) Camaleonti DuriumLdAl-8039  [45]

 

 

<入賞曲>

4位自由な瞳 La Gente Parla ntonello De Sanctis - Sandro Di Nardo - Marcello Marrocchi) 出版社JUBAL - NUOVA IDEA < 1210> コラ-ジェ (compl) Collage Ricordi – Dischi RicordiSRL-10891 [45]

 

SRL-10891SRL-10・891  BR-077BR-077 

5位花だろう Sarà Un Fiore Daniele Pace - Mario Panzeri - Corrado Conti) 出版社 TELEVIS <1196> エンリコ・ベルスキ (vm) Enrico Beruschi Baby Records CGDBR-077  [45]

 

 

6位 殿様気取り A Me Mi Piace Vivere Alla Grande (Daniele Pace - Oacar Avogadro - Franco Fanigliulo -Riccardo Borghetti) 出版社 SUVINI ZERONI <1156> フランコ・ファニリューロ (vm) Franco Fanigliulo Ascolto - CGDASC-10142 [45]

 

ASC-10142ASC-10142  PB-6283PB-6283 

 

7位ニュー・ヨーク New York Franco Migliacci - Flavio Paulin) 出版社 RCA - R <1149> ロレッラ・ペッシェレッリ (vf) Lorella Pescerelli ARC – RCA ItalianaPB-6283 [45]

 

 

8位 青空の稲妻 C'Era Un'Atmosfera (Aldo Stellita - Piero Cassano) 出版社 LA BUSSOLA <1054> キム&キャデラックス (compl=e) Kim & The Cadillacs Ariston - Dischi RicordiAR-00846 [45]

 

AR-00846AR-00846  T-17308T-17308 

 

9位 私の少女 Bimba Mia Umberto Napolitano) 出版社 BLUE TEAM - IT WHY <1044> ウンベルト・ナポリターノ (vm) Umberto Napolitano It Why – WEA ItalianaT-17308 [45]

 

 

10位 ふきげんなあなた Tu Fai Schifo Sempre Anelo Giordano - Gianni Mauro - Michele Paulicelli) 出版社 RCA – R <993> パンデモニウム (coro) Pandemonium RCA – RCA ItalianaPB-6280 [45]

 

PB-6280PB-6280  BRCNP-40089BRC・NP-40089 

 

11位 ノッチョリーノ Nocciolino Maurizio Piccoli) 出版社 FAMA <957> アントワーヌ (vm=f) Antoine Barclay – SIFBRCNP-40089 [45]

 

 

12位 リアーナ Liana Loreno Lazzarini) 出版社 INTERSONG ITALIANA <854> グリム、{イ・} (compl) Grimm Polydor – Phonogram2060-190 [45]

 

                   2060-1902060-190 

 

 

以上入賞曲

 

 

 77年のマティア・バザール (Matia Bazar)、78年のアンナ・オクサ (Anna Oxa)などの新人スターを輩出し、出場曲が少ないのにもかかわらず年間ヒット・ランク100に4,5曲入る好成績を収めたことが各レコード会社にも認められ、参加応募曲も増えました。

 79年はレコード会社の応募曲800曲から20曲が選ばれ、音楽出版社団体に所属しない作曲家の楽曲を2曲追加した22曲で争われました。

 

 

          Grimm        Nicoletta Bauce

         イ・グリム (Polydor)                   ニコレッタ・バウチェ (Philips)

 

 予選の第1夜、第2夜にそれぞれ11曲が披露され、その中から上位6曲が最終日(第3夜)の決勝戦に進みます。予選2夜はTV放送がなくラジオ放送のみで、審査員はイタリア全土で10ヵ所、学生、兵士、工場労働者、農民など各階層の10人グループが審査員となり投票をして順位を決めていきます。決勝戦はTV中継があり同様の方法で投票されますが、最終順位は予選での獲得投票数が加算され、優勝から12位までが決まり、上位3位までが表彰されます。

 

 

          AYX          Massimo Abbate

          アイックス (EMI Italiana)       マッシ-モ・アッバ- (RCA Italiana)

 

 

 79年初参加のレコード会社4社、CGDのアスコルト(Ascolto)、CGD傘下のベイビー・レコーズ(Baby)、コンティキ(Kontiki)とWEAイタリアーナ傘下のイット・ホヮイ(It Why)でした。まずカテリーナ・カセルリが設立したアスコルトから紹介していきます。

 

アスコルト(Ascolto)

          Ascolto (1979)   Ascolto (1981)  

 70年CGDの所有会社シュガー・ミュージックの御曹司ピエロ・シュガーと結婚したカテリーナ・カセルリは75年歌手を引退し、カテリーナ・カゼッリ・シュガーとして夫ピエロに協力しCGDのマネージメントに携わります。CGDに所属していた同郷のフォーク系自作自演歌手ピエランジェロ・ベルトーリ(Pierangelo Bertoli)が会社の方針に沿わず、自分の方針に固執して軋轢を生じていました。

 

 カテリーナは彼の才能を伸ばす場、新たな音楽を目指すレーベルをグイド・カロータ(Guido Carota)とイタリア最初の民間ラジオ局開設者チェザーレ・モンタルエッティ(Cesare Montalbetti)の協力を得てアスコルトを作りました。

 

 一方親会社CGDが大変な困難に遭遇します。アメリカCBSと資本提携し、CBSシュガーとして協力していましたが、CBSがプーやマルチェラ、ウンベルト・トッツィ等看板スターを連れてCBSディスキとして独立し、いっぺんに経営が傾きます。

 

 こうしてアスコルトは親会社を頼る経営が出来なくなりました。ベルトーリの他に日本でもレコードが出ているロック・バンドのアレア(Area)、地中海音楽のペペ・マイナ(Pepe Maina)、元PMFのマウロ・パガーニ(Mauro Pagani)、日本で未発売のファウスト・O(Faust'O)、ミクソ(Mixo)や79年サンレモ音楽祭出場のフランコ・ファニリューロが加わります。

 

 親会社CGDの経営環境は一層厳しさを増し、新たな音楽を目指したアスコルトは82年に閉鎖となります。CGDの録音スタジオはラ・ビオンダ兄弟の貢献で大会社となったベビー・レコーズに売るなど資産売却等のリストラを進めますが、遂に88年世界資本WEAにCGDを売却せざるを得ませんでした。シュガー一族はCGDから撤退を余儀なくされます。

 

 しかしカテリーナはその後アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)、フィリッパ・ジョルダーノ(Filippa iordano)などを輩出し、イタリアを代表する女性プロデューサーとしてシュガー・ミュージックを再興しました。次もCGD傘下のコンティキです。

 

 

コンティキ(Kontiki)

Kontiki

 詳しい情報が一切ないレコード会社です。79年サンレモ音楽祭に出場したロベルタが第1号契約歌手で78年に初めてレコードを出しています。親会社は音楽出版社CONTAPEではないかと思われます。レコード会社、音楽出版社にはCGDの設立メンバーでイタリアのジャズピアニスト、楽団オーナー、作曲家のレリオ・ルッタツィ(Lelio Luttazzi)が関係しているようです。

 

                

 

 

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1979年 2は次回に続きます

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

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