カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 62 1972年-2

 これまでのダブル・キャスト制からシングル・キャスト制に変え、新曲フェスティヴァルであるサンレモの権威を保つ方法は如何にしたのか?

 新人コンテストでダブル・キャストが出来なかった第6回(56年)を参考にし、ヨーロッパの著名なオーケストラを招き、出場曲全曲を演奏してもらいました。56年はイギリスのジョージ・メラクリーノ楽団でしたが、72年はフランスのフランク・プールセル楽団を招聘しています。

 

 外国人歌手の2歌手、68年優勝したブラジルのロベルト・カルロス、前年8位入賞のアグアヴィーヴァはいずれも入賞できませんでした。そもそもダブル・キャスト制で外国人歌手はイタリア人にない個性で歌う、イタリア人の苦手なコーラスで歌うことで存在意義があるわけで、シングル・キャスト制でイタリア人歌手の枠を使ってまで必要かと言うことになります。この大会以降は外国人の出場は減り、記念大会でダブル・キャスト制になった場合は多くの外国人が出場することになります。

 

 

       CI-20331       FRANCK POURCE         

        カルラ・ビッシ (Carosello)      フランク・プゥルセル (V.d.P.)

 

 歌手の世代交代も進みリタ・パヴォーネは入賞できず、72年を最後にサンレモ音楽祭から撤退、ピノ・ドナッジョも参加に止まり、74年と75年に各2曲の提供をしますが、歌手としてのサンレモは最後となりました。その後80年に復活するボビー・ソロも2度の優勝した実績にも拘らず入賞できず、歌手としての存在すら危うくなります。

 

 反対にカルラ・ビッシは70年代半ばからアリーチェ・ヴィスコンティ(Alice Visconti)の名前でカンタウトゥオリーチェとして成長し、80年奇才フランコ・バッティアート(Franco Battiato)のプロデュースの下アリーチェとして再出発し、81年サンレモ音楽祭に優勝しました。80年代、90年代を代表するイタリア女性歌手として活躍します。

 

 

第22回 1971年2月24日()~2月26日() ンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、シルヴィア・コシャーナ (Sylva Koscina)、パオロ・ヴィッラッジョ(Paolo Villaggio)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エリオ・ジガンテ (Elio Gigante)
形式:出場曲数28曲を第1夜、第2夜に14曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は28歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場9歌手(内外人歌手は無し)、出場レコード会社13社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が2社、EMIイタリアーナ・グループに属するレコード会社が1社、サン・マルタン・グループに属するレコード会社(本体の参加はなし)1社が含まれています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA []

FONIT CETRA 6[]FONIT CETRA 2[0]CAROSELLO 3[] KING UNIVERSAL[]

CBS SUGAR [] CGD []CBS []

RICORDI []

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

EMI Italiana []EMI Italiana []PDU[]

RI-FI []

ARISTON []

SAAR[0]

Saint Martin []SIDET[0)

 

 

 

 <参加曲>

友達の恋人 Amici mai Argante - Caviri出版社出版社RCA - AMICI DEL DISCO リタ・パヴォ- (vf) Rita Pavone RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3640 [45]

 

PM-3640PM-3640    CI-20313CI-20313 

 

哀愁の日々 Ci sono giorni V.Pallavicini - P.Donaggio出版社出版社ACCORDO (CURCI Gr.)  ピノ・ドナッジォ (vm) Pino Donaggio Carosello – Fonit CetraCI-20313 [45]

 

チャオ・アミコ・チャオ Ciao amico ciao P.Minellono - M.Remigi出版社出版社CURCI (CURCI Gr.) アグアヴィ-ヴァ (compl=sp) Aguaviva Carosello – Fonit CetraCI-20315 [45]

 

CI-20315CI-20315   AR-0537AR-0537a 

 

すてきだったあの人 Era bello il mio ragazzo P.P.Preti - G.Guarnieri出版社出版社ARISTON (ARISTON) アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici Ariston – AristonAR-0537 [45]

 

原生の森 La foresta selvaggia P.Limiti - C.Cavallaro出版社出版社 CANZONI MODERNE(SUGAR Gr.) - PDU マリ-ザ・サケット (vf) Marisa Sacchetto PDU – EMI ItalianaP.A.-1071 [45]

 

P.A.-1071PA-1071  RFNNP-16471RFN・NP-16471 

 

よそ者 Forestiero S.Scandolara -S.Bardotti - C.Castellari出版社出版社 RI FI Mus. ミケ- (vm) Michele RI FI – RI FIRFNNP-16471 [45]

 

◆愛の中のネコ (青の中のネコ) Un gatto nel blu (T.Savio) 出版社出版社 APRIL Mus. (SUGAR Gr.) ロベルト・カルロス (vm=br) Roberto Carlos CBS CBS Sugar7842(CBS) [45]

 

7842(CBS)7842(CBS)   CI-20314CI-20314 

 

さよならを云った心 Il mio cuore se ne va Spiker - .Remigi) 出版社出版社D'ANZI (CURCI Gr.) カルラ・ビッシ {アリ-チェ} (vf) Carla Bissi {Alice} Carosello – Fonit CetraCI-20314  [45]

 

◆愛をもう一度 Per amore ricomincerei 出版社出版社 BELRIVER デリア (vf) Delia Columbia EMI Italiana3C006-17812 [45]

 

3C006-178123C・006-17812  RR-1063RR-1063 

 

私を盗んで Portami via L.Medini - M.Meiller) 出版社出版社SIDET(SIDET Gr.) アンジェリカ (vf) Angelica Radio Records – Saiint MartinRR-1063  [45]

 

祈り Preghiera T.Cucchiara) 出版社出版社SAAR (SAAR Gr.) トニ-・クッキア- (vm) Tony Cucchiara Joker – SAARM-7119 [45]

 

M-7119M-7119   SRL-10665SRL-10・665 

 

嘆き Rimpianto L.Albertelli - E.Riccardi) 出版社出版社R.R.R. ボビ-・ソロ (vm) Bobby Solo Ricordi – Dischi RicordiSRL-10665 [45]

 

◆男と犬 L'uomo e il cane 出版社出版社 ESEDRA – VITTORIA (SIDET Gr.) ファウスト・レア- (vm) Fausto Leali (Philips – Phonogram6025-049 [45]

 

6025-0496025-049   2060-0292060-029 

 

◆イギリス旅行 Un viaggio in Inghilterra 出版社出版社 PEGASO(RICORDI Gr.) ヌオビ・アンジェリ,{イ・} (compl) Nuovi Angeli,{I} Polydor Phonogram2060-029 [45]

 

 

参加曲は以上で終了です。

 


 

 マルチェラもすぐにスター歌手となり70年代、80年代を代表する女性歌手として活躍しますが、彼女に曲を提供している兄のジャンニ・ベッラ(Gianni Bella)もマルチェラの人気に伴い、注目されるカンタウトゥーリとしてカンツォーネ界で重要な位置を占めるようになります。

 

 ジェザエルはフランスでも大ヒットし、デリリウムは注目されますが重要メンバーでヴォーカル、フルート、アコースティック・ギターのイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)は72年にソロとして独立し、その後も著名なカンタウトゥーリとして活躍を続けました。

 

 最後になりましたが優勝はニコラ・ディ・バリが連続優勝の快挙をとげ、第2位のペピーノ・ガリアルディと共に同時期にSAARでメジャー・デビューした旧知の仲でした。

 

 

    Pld・A-5064   RR-1061   2060-041    

    マリ-ザ・サケット (PDU)      アンジェリカ (Radio Records) ヌオビ・アンジェリ (Polydor)

      

 

 シングル・キャスト制になり参加会社の数も減り、初参加のレコード会社はラディオ・レコーズ(RADIO RECORDS以下RRと略す)1社だけです。

 RRはエリオ・ダニエレ(Emilio Daniele)が65年にミラノに設立し、60年代から80年代に活動したレコード会社です。

 設立者でオーナーのエミリオ・ダニエルは1902年10月生、70年8月没のヴァイオリン奏者、作詞・作曲家、レコード・プロデューサー、音楽出版社オーナーで、デ・ヴェラ、ダニエレ・デ・ヴェラ(Daniele de Vera)のペンネームを使った人でした。

 彼はトリノに移り、ジュゼッペ・ ヴェルディ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、50年代のサンレモ音楽祭指揮者、芸術監督のチニコ・アンジェリーニ楽団のヴァイオリニストになりました。

 

 37年ダニエレ音楽出版(Edizioni musicali Daniele)を興します。第二次世界大戦終戦以降もチニコ・アンジェリーニ楽団に所属し、初期のサンレモ音楽祭でも演奏しました。その後ミラノに移り、新たなシデット音楽出版社グループ(Gruppo Editoriale Sidet)を創設、65年レコード会社ラディオ・レコーズとラス・ヴェガス(Las Vegas)を設立しました。ラス・ヴェガスは次の73年にジュニア・マッリがここから出場していますので、その時にお話しましょう。

 

                 SIDET    RADIO RECORD   

 

 両レコード会社は芸術監督として息子のエマヌエラ(Emanuele)に作曲家マリオ・メリエール(Mario Mellier)と作詞家ルチアーナ・メディチ(Luciana Medini)が当たり、80年代初めまで活動を続けました。主な歌手は72年サンレモ音楽祭に出場したアンジェリカ、プログレ・バンドのアンダーグラウンド・セット(The Underground Set)など、販売権はアリストン、サン・マルタン、78年以降はRCAイタリアーナに委託していました。

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 61 1972年-1

 前年のサンレモ音楽祭の2大ボス、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)とエツィオ・ラダエッリ(Ezio Radaelli)の共同開催でしたがエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)に代わり、プロデューサー権限を出演する歌手の芸術監督に限定、また開催主体をサンレモ観光協会からサンレモ市の変更する大改革をしました。これも不景気で大物プロデューサーがお金を集めることが出来なくなり、自治体予算に頼らざるを得なくなったとも考えられます。

 

 1972年サンレモ音楽祭の最大の特徴は第3回目(53年)から始まった1曲を2歌手が歌うダブル・キャスト制(ただし56年は新人コンテスト形式のためシングルキャスト)が、1曲1歌手が歌うシングルキャスト制に変更されたことです。

 これも60年代後半から続くイタリア経済の停滞と不景気で、予算削減のため音楽祭の規模を縮小せざるを得なくなったことによります。出場曲が28曲で出場歌手は4割減となり、彼らにとって死活問題です。

 

 クラウディオ・ビルラや近年サンレモ音楽祭で圧倒的な勢力となったRCAイタリアーナの歌手、中でもルチオ・ダルラは32曲に増やしロザリーノの参加を要求、歌手ユニオンも猛烈な抵抗をしサンレモ音楽祭前に無期限ストライキに入り、他産業の労働組合と連帯しゼネ・ストさえしかねない状況となりました。主催者側は歌手達の要求を入れ、日曜に特別な4日目のステージを設け、参加できなかった歌手を歌わせる妥協案を受けストを中止します。



             PSL-10569        CGD-69028  

        ジャンニ・モランディ (RCA Italiana)    マルチェラ (CGD)

 

 1曲1歌手の歌唱に変更されたことにより、出場曲の選出方法も変更されました。170歌手が1曲づつ選考会に招待されました。102歌手がそれに応じ、サンレモ市長が議長となり、Cisl Fuls(イタリア労働者組合連盟エンターテイメント単一労働組合)の代表者、ジャーナリストのロベルト・ジェルヴァーゾ(Roberto Gervaso)、作詞家マリオ・ソルダーティ(Mario Soldati )と作曲家ピッポ・バルジッツァ(Pippo Barzizza)が選考し28曲を選びました。

 

 

第22回 1971年2月24日()~2月26日() ンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、シルヴィア・コシャーナ (Sylva Koscina)、パオロ・ヴィッラッジョ(Paolo Villaggio)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エリオ・ジガンテ (Elio Gigante)
形式:出場曲数28曲を第1夜、第2夜に14曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は28歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場9歌手(内外人歌手は無し)、出場レコード会社13社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が2社、EMIイタリアーナ・グループに属するレコード会社が1社、サン・マルタン・グループに属するレコード会社(本体の参加はなし)1社が含まれています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA []

FONIT CETRA 6[]FONIT CETRA 2[0]CAROSELLO 3[] KING UNIVERSAL[]

CBS SUGAR [] CGD []CBS []

RICORDI []

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

EMI Italiana []EMI Italiana []PDU[]

RI-FI []

ARISTON []

SAAR[0]

Saint Martin []SIDET[0)

 

 

              

<優勝> 虹の日々 I giorni dell'arcobaleno F.Migliacci -C.Mattone出版社 RCA - AMICI DEL DISCO <343> ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3639 [45]

 

 PM-3639PM-3639 SS-2169SS-2169 

 

 

<> すみれのように Come le viole G.Amendola - P.Gagliardi出版社 INDIOS - USIGNOLO <168> ペピノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi King universal – Fonit CetraNSP-56131 [45]

 

 NSP-56131NSP-56131 HIT-2005HIT-2005 

 

 

<> 愛の真実 Re di denari F.Migliacci - C.Mattone出版社RCA - AMICI DEL DISCO <141 > ダ (vf) Nada RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3642 [45]

 

PM-3642PM-3642   SS-2170SS-2170 

 

 

<入賞曲>

青春の汗 Vado a lavorare F.Migliacci - Petaluma - M.Marrocchi - V.Tariciotti出版社出版社RCA - AMICI DEL DISCO <139>ジャンニ・モランディ (vm) Gianni Morandi RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3637 [45]

 

PM-3637 PM-3637  SS-2171SS-2171 

 

恋の忘却 Non voglio innamorarmi mai G.Bigazzi - M.Signorini出版社 DI LAZZARO (SUGAR Gr.) <114 > ジャンニ・ナザロ (vm) Gianni Nazzaro CGD – CBS Sugar7845(CGD) [45]

 

7845(CGD)7845(CGD)  HIT-2003HIT-2003 

 

 

ジェザエル Jesahel I.Fossati - O.Prudente出版社 UNIVERSALE (NUMERO UNO Gr.) - USIGNOLO < 106 >デリリウム (compl) Delirium Fonit – Fonit CetraSPF-31293 [45]

 

SPF-31293 SPF-31293  HIT-2006HIT-2006   

青い山脈 Montagne Verdi G.Bigazzi - G.Bella出版社 MELODI (SUGAR Gr.) <84>マルチェラ (vf) Marcella CGD – CBS Sugar7846(CGD) [45]

 

7846(CGD)7846(CGD)  HIT-2004HIT-2004   

 

 

グランデ広場 Piazza Grande G.Bardotti - S.Baldazzi - L.Dalla - R.Cellammare出版社 RCA - AMICI DEL DISCO <68> ルチオ・ダルラ (vm) Lucio Dalla RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3638 [45]

 

                        PM-3638PM-3638 

 

 

 

恋よまわれ Gira l'amore (caro bebé) M.Panzeri - D.Pace出版社 SUVINI ZERONI (SUGAR Gr.) <67> ジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti CGD – CBS Sugar7847(CGD) [45]

 

7847(CGD) 7847(CGD)  HIT-2002HIT-2002   

 

10 好きなんだ Ti voglio D.Pieretti - Rickygianco出版社出版社FAMA (G.RICORDI Gr.) <63> ドナテッロ (vm) Donatello Ricordi – Dischi Ricordi SRL-10662 [45]

 

SRL-10662SRL-10・662 KW-2006KW-2006 

 

11 桜の少女 Un diadema di ciliegie R.Bertola - A.Sotgiu出版社 USIGNOLO <57>リッキとポヴェリ (coro) Ricchi e Poveri Cetra – Fonit CetraSP-1469 [45]

 

SP-1469SP-1469  HIT-2006HIT-2006 

 

 

12 地中海のバラ Mediterraneo L.Albertelli - E.Riccardi出版社 RITMI E CANZONI <43>ミルバ (vf) Milva Ricordi – Dischi Ricordi SRL-10660 [45]

 

SRL-10660SRL-10・660  KW-2006KW-2006 

13 瞳にしびれて Se non fosse fra queste mie braccia, lo inventerei L.Beretta - E.Suligoj出版社 ESEDRA <38> ララ・サン・ポル (vf) Lara Saint Paul Polydor – Phonogram2060-030 [45]

 

2060-0302060-030  KW-2006KW-2006   

 

 

14 街をけっとばせ Un calcio alla città R.Pazzaglia - M.Castellacci - D.Modugno出版社 RCA - INTERLANCIO <28>ドメニコ・モドゥニョ (vm) Domenico Modugno RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3641 [45]

 

                        PM-3641PM-3641 

 

次回は参加曲に続きます

 

 

 最後のアンチ・サンレモとされていたジャンニ・モランディは69年70年と最終段階まで名前が挙がっていましたが、未だ出場していませんでした。今回も102歌手の中に名前が挙がり、モランディは“Ricordo una canzone”を希望してのですが、この曲はナーダが提出してきた曲でした。彼の第二候補はルチオ・ダルラの“グランデ広場”でタイトルを“Canal Grande”に変えたいとう要望でしたが、ルーチョ・ダッラは自分で歌いたいとして、この望みも叶いませんでした。最終的に出場曲は“青春の汗”で決定し、Ricordo una canzone”はマリーザ・サンニアに回りましたが、曲自体が選ばれませんでした。

 

 名前が出ながら出場できなかったのはジョニー・ドレルリ“Bugiado amore mio”、ペピーノ・ディ・カプリ“失った金の鎖”(夏のディスクに)、トニー・レニス“Dai San Pietro lascialo passare” 、スペインのフリオ・イグレシアス“Mille amori”、ほかにロザリーノ、オリエッタ・ベルティ、クラウディオ・ビルラの名前も挙がりましたが最終的に削られました。

 

 

      SPF-31284  3C・006-17783   Tony Cucchiara         

       デリリウム (Fonit)         デリア (Columbia)      トニー・クッキアーラ (Joker)

      

 

 期待のジャンニ・モランディは「出場すれば優勝」視されていましたが、サンレモはそう甘くなく4位止まりで精彩を欠きました。話題になったのがジャズ・ロックのデリリウムとシチリア出身のマルチェラでした。審査員の選定も大きく方針を変え、レコード・セールスの担い手である若者の好みを反映させ、入賞曲ではララ・サン・ポールを除く13歌手が年間ヒット・ランク100位以内のランク・イン(他の音楽祭に有力な曲が少なかったのか)、反対に参加曲は1曲もランク・インせず大きな番狂わせのない結果が出ました。

 

 以下1972年サンレモ音楽祭入賞曲の年間ヒット・ランキングに入った順位です。

“虹の日々” ニコラ・ディ・バリ27位、“すみれのように” ペピーノ・ガリアルディ39位、“愛の真実” ナータ30位、“青春の汗” ジャンニ・モランディ43位、“恋の忘却” ジャンニ・ナザーロ50位、“ジェザエル” デリリウム10位、“青い山脈” マルチェラ21位、“グランデ広場” ルチオ・ダルラ57位、“恋よまわれ” ジリオラ・チンクェッティ37位、“好きなんだ” ドナテッロ47位、“桜の少女” リッキとポーヴェリ80位、“地中海のバラ” ミルバ92位、“街をけっとばせ” ドメニコ・モドゥーニョ75位。

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 60 1971年-3

 前年歌手ユニオンの圧力で極端に外人歌手が排除された反動か、第21回は初参加5歌手を含む7歌手が出場すると言う緩和策がとられました。成功したのは盲目のヒスパニック歌手ホセ・フェリシーノでした。

 

         Maurizio & Fabrizio          SRL-10・650 (Lorenza Viscont)    

      マウリツィオ & ファブリツィオ (CBS)         ロレンツァ・ヴィスコンティ (RICORDI)

 

 イタリアでの70年代のヒット曲は日本人の抱いているカンツォーネのイメージと異なってきます。第21回出場曲の年間ヒット・ランクに入った曲と順位は次の通りです。

 

 ルチオ・ダルラがトップの年間ヒット・ランク9位(エキペ84が87位)。日本では優勝曲“恋のジプシー”は圧倒的にナーダですが、彼女は51位、作者ニコラ・ディ・バリが16位。次がチェレンターノ17位、ホセ・フェリシーノ21位(リッキ&ポーヴェリ59位)、アル・バーノ39位、チンクェッティ50位、ドナテッロ54位、モドゥーニョ60位、ドン・バッキー66位、リトル・トニー75位(フォルムラ・トレ77位)というセールスう結果でした。

 

 

第21回 1971年2月25日()~2月27日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:カルロ・ジュッフレ (Carlo Giuffrè)、エルザ・マルティネッリ (Elsa Martinelli)
楽団指揮: 19名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)、 ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲48の外国人歌手またはイタリア人歌手がパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場24歌手(内外人1歌手)、出場レコード会社17社で初出場2社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内RCAイタリアーナ・グループに属するレコード会社が5社、CBSシュガーのメッサージェリエ・ムジカーリ、リコルディのグループに入っている会社が各1社含まれるています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA 12[] RCA ITALIANA []、以下各1APOLLONUMERO UNOLITTLEAMICO(旧DET)、SEVEN);

CGD13[] CGD []Clan Celentano 4、 SPLASH 1);

RICORDI[] RICORDI SIF []);

ARISTON []EMI Italiana []FONIT CETRA []CAROSELLO []MIURA [0]BENTLER []

 

前年実績のRI FI [] PHONOGRAM []  DURIUM [] CAR-JUKE BOX []PDU []が不参加です。

 

                Ray Conniff        Mark & Martha

          レイ・コニフ・シンガ-ズ (CBS)        マルクとマルタ (ARISTON)     

 

 

  <参加曲>

飛行船Il dirigibile L.Albertelli - M.Fabrizio出版社 PEGASO(RICORDI Gr.) - COME IL VENTO アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici ARISTON – ARISTONAR-0503 [45] アントワ (vm=f) Antoine VOGUE – RICORDIVG-87020 [45]

 

  AR-0503AR-0503  VG-87020VG-87020 

 

 

愛の叫び Non dimenticarti di me Mogol - M.Lavezzi出版社 UNIVERSALE (NUMERO UNO Gr.) マル (vm) Mal RCA ITALIANA - RCA ITALIANAPM-3579 [45] : イ・ノマ-ディ (compl) I Nomadi COLUMBIA – EMI ITALIANA3C006-17743 [45]

 

PM-3579PM-3579 3C006-177433C・006-17743 

 

 

白と黒の瞳Occhi bianchi e neri A.Testa - M.Del Prete - E.Sciorilli出版社MASCOTTE - MARGHERITA マウ・クリスティア (vm) Pino Donaggioi CLAN – CBS SUGARBF-70003 [45] ピオ (vm)  Pio CLAN – CBS SUGARBF-70001 [45]

 

BF-70003BF-70003   BF-70001BF-70001 

 

 

春はいちどだけ L'ora giusta G.Argenio - D.Pace - M.Panzeri - C.Conti出版社 ELDORADO(GUERRINI Gr.) – FAMA(G.RICORDI Gr.) エッダ・オルラ (vf) Edda Ollari BENTLER – BENTLERBENP-5075 [45] ロレンツァ・ヴィスコンティ (vf) Lorenza Visconti (RICORDI – RICORDISRL-10634 [45]

 

BENP-5075 BE・NP-5075 SRL-10634SRL-10・634 

 

手の中の希望I ragazzi come noi G.Lombardi - A.Balducci出版社 FORMIDABLE (ARISTON Gr.) パオロ・メンゴリ (vm) Paolo Mengoli JET – ARISTOJT-4050 [45] マルクとマルタ (compl) Mark & Martha ARISTON – ARISTONAR-0501 [45]

 

JT-4050 JT-4050  AR-0501 AR-0501

 

 

◆ 聖アントニオ、聖フランシスコ Santo Antonio, Santo Franciscoo V.Pallavicini - P.Conte出版社 R.R.R. ピエロ・フォッカチャ (vm) Piero Focaccia RARE SIF (RICORDI)RARNP-77551  [45] : マンゴ・ジェリー (compl=e) Mungo Jerry PYE – RICORDIP-67030 [45]

 

RARNP-77551RAR・NP-77551 P-67030P-67・030 

 

 

君のうらぎり Lo schiaffo G.Deriu - V.Barsanti出版社 TANK (CAMPI Gr.) - ORIA FILM (IT Gr.) ヨルダン (vm) Jordan SEVEN - RCA ITALIANAJSR-121 [45] ジェンス (compl) Gens AMICO - RCA ITALIANAZF-50168 [45]

 

JSR-121J・SR-121 ZF-50168ZF-50168   

 

 

彼女の顔Il viso di lei S.Scandolari - Baracuda - V.Tempera出版社 V.d.P. ファビオ・トリオリ (vm) Fabio Trioli PARLOPHONE – EMI ITALIANA3C006-17742 [45] : イ・ジガンティ (compl) I Giganti MIURA MIURAPON・NP-40117 [45]

 

3C006-17742 3C・006-17742 PON・NP-40117PON・NP-40117 

 

 

第21回出場曲は以上です。

 

 

 

       Coro ANA Milano (CD) Coro ANA Milano

                ミラノ・アルプス合唱団 (CLAN)

 

 

 最後に紹介するのは2つのレーベルです。両方とも情報がたいへん少なく苦労しました。

 

まずスプラッシュ(SPLASH、今はナポリの超大物ポピュラー歌手ペピーノ・ディ・カプリ(Peppino di Capri)の会社です。ほぼ個人レーベル同様の会社だったので、誰もウィキペディアも書かなかったようです。

                 SPLASH  

 デビューした名門カリッシュもディ・カプリを残すのみ、69年には窮地に落ちります。彼は70年(68年説あり)独立を決め、自分の会社スプラッシュの設立をします。

 

設立から80年までCGD、その後は78年に出来たばかりのパナレコード(Panarecord)に販売権委託会社、スプラッシュも83年頃になると経営状態が悪化します。彼は85年にベビー・レコードでレコードを出し、80年代半ば販売権を再度CGDに戻しましたが、86年頃には活動を停止、販売権をポリグラムに移し、ペピーノ・ディ・カプリはポリドールの所属となります。

 

 80年代以降もスプラッシュは残り個人プロダクション化し、その後カタログにある楽曲のレコードやCDが発売されます。実際の活動面ではナポリにあるレコーディング・スタジオがシュプラッシュ・レコーディング・スタジオとして活動を続けています。

 

 ほぼ彼のワン・マン会社でしたが、販売権がパナレコードの頃には日本でもプログレ・ロックとして発売されたルーナ(LUNA)はじめトンネル(Tunnel)のロック・バンドやダイ&ジプシー(Dai E Gipsy)の盤が製作されました。

                   K22P- 155

                           

K22P-  155 (1981621SEVEN SEAS - キング) 30cmLP 火の鳥/ル-ナ

 

 

 

 

 次はセブン・レコーズ(SEVEN RECORSです。ウィキペディアでやっと探し当てましたが、こちらも資料の少ない会社です。そのレーベル・マークから「7R」と表されることがあります。

 

                   SEVEN RECORS                          

 

1967年会計士のシルヴァーノ・セラフィーノ(Silvano Serafino)がローマ中央駅(テルミニ)の北1kmの場所に設立し、芸術監督にはジュリアーノ・ファチョーニ(Giuliano Facioni)がなりました。一説には起上げに歌手リトル・トニーが力を貸したとされています。

 

最初に契約した歌手はキューバ出身の女性歌手、フランスのオランピア劇場にも出たことのある「第二のジョセフィン・ベーカー」と言われたワナーニ(WANANI)が歌った“Un male necessario”/“Come un francobollo”を68年に最初のレコードとして発売しました。

 

また女優のヌッチア・カルディナーリ (Nuccia Cardinali)、またミュージカル「ルガンティーノ」にも出演し、日本でもレコードが出ているローマの歌手ランド・フィオリーニ (Lando Fiorini)でしたが華々しいヒットはでていません。設立から70年の前半までCGDに販売の委託をしていました。

 

70年にヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)が設立したITグループ(DISCHI ITALIA EDIZIONI)が芸術監督ジュリアーノ・ファチョーニを残留させ国内販売権を獲得しました。

IT自体RCAイタリアーナの傘下に入っており、セブン・レコーズはRCAの孫会社となります。70年ミコッチが見出したヨルダンのデビューはITでしましたが、セブン・レコーズに移籍させ、71年サンレモ音楽祭に出場させました。

 

しかしヒットが出せず、72年までレコード発売の記録はありますが、70年代半ばで活動停止したようです。

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 59 1971年-2

出場曲は一般からの公募も含め1月28日に締切られ、189曲が応募し、150曲以上は素人が作った曲でした。それらを専門機関による委員会が審査し20曲の候補を選びました。作詞家アルベルト・ベヴィラクァ(Alberto Bevilacqua)が議長を務める委員会で、12のセールス的基準に基づき4曲の委員会推薦曲を選出します。

 

 楽曲の文学的優越性で“水晶の瞳(Bianchi cristalli sereni)”、“暗闇を突っ走れ(La folle corsa)”、“手の中の希望(I ragazzi come noi)”、そして歌手ルーチョ・ダッラとドゥイリオ・デル・プレーテ(Duilio Del Prete)の作った“みなし児(194334日)(Gesu’)”の4曲でした。反対に落選曲にはジョルジョ・ガーベルの“Il re buono”や年間ヒット・ランク23位となったヌオーヴィ・アンジェリの“いとしのフェリチータ( Donna felicita’)”が含まれています。

 

 この“みなし児”は父知らずの『敗戦の落とし児』のことを歌っており、タイトルのGesu’ (イエズス)もカトリックのイタリアでは重大な問題で考査の対象となりました。歌詞の過激な内容は変更され、作詞家のクレジットはパオラ・パロッティーノに、タイトルも歌われている内容がルチオ・ダルラの出生ことなので、彼の誕生日でもある“4/3/1943”に変えることで、サンレモ音楽祭で歌うことを許されました。

 その後のセールス結果は“みなし児”が年間ヒット・ランク9位のメガヒットになり、71年のサンレモ音楽祭の曲の中で一番の大ヒットを記録、彼はイタリアを代表する歌手になります。

 

                        Jose Feliciano          Edda Ollar (BE・LP-1015)

       ホセ・フェリシア- (RCA VICTOR)    エッダ・オルラ- (BENTLER)

 

  開催直前の不参加表明をしたイタリア・フォノグラムとフォニット・チェトラの影響は大きかったようです。

 フォノグラムはポリドールのオリエッタ・ベルティ、フィリップスのファウスト・レアーリ、初出場のアンナ・マリア・イッツォ(Anna Maria Izzo)、外国人歌手として元アフロディテ・チャイルドのデミス・ルソス(Demis Russos)はセルジョ・エンドリゴのパートナーなど曲目も決まっていました。“春はいちどだけ”はオリエッタ・ベルティの代わりにマイナー・レーベルのベントラーからエッダ・オルラーリに変更、アントワーヌとパートナーを組んで“飛行船”を歌う予定だったアンナ・マリア・イッツォはアンナ・イデンティチに変えられました。

 

 勝ち組のRCAイタリアーナでも、もめ事がおきます。作者でもあり絶対の自信作“ケ・サラ”で出場をもくろんでいたジミー・フォンタナですが、直前にアメリカで人気の盲目のヒスパニック歌手ホセ・フェリシアーノに置き換えられます。憤懣やるかたないジミーは失望の70年代の半分を故郷に帰りバーを開くことになります。

 

 

第21回 1971年2月25日()~2月27日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:カルロ・ジュッフレ (Carlo Giuffrè)、エルザ・マルティネッリ (Elsa Martinelli)
楽団指揮: 19名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)、 ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲48の外国人歌手またはイタリア人歌手がパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場24歌手(内外人1歌手)、出場レコード会社17社で初出場2社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内RCAイタリアーナ・グループに属するレコード会社が5社、CBSシュガーのメッサージェリエ・ムジカーリ、リコルディのグループに入っている会社が各1社含まれるています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA 12[] RCA ITALIANA []、以下各1APOLLONUMERO UNOLITTLEAMICO(旧DET)、SEVEN);

CGD13[] CGD []Clan Celentano 4、 SPLASH 1);

RICORDI[] RICORDI SIF []);

ARISTON []EMI Italiana []FONIT CETRA []CAROSELLO []MIURA [0]BENTLER []

 

前年実績のRI FI [] PHONOGRAM []  DURIUM [] CAR-JUKE BOX []PDU []が不参加です。

 

                Sergio Menegale (N-9769)        Fabio Trioli (3C・006-17239 )

          セルジョ・メネガ- (CGD)          ファビオ・トリオリ (PARLOPHONE)

 

 

  <入賞曲>

9位 薔薇のことづけ Rose nel buio D.Pace - M.Panzeri - L.Pilat出版社 APRIL Mus. (SUGAR Gr.) <58> ジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti CGD – CBS SUGARCGD-  105 [45] レイ・コニフ・シンガ-ズ (coro=a) Ray Conniff Singers CBS – CBS SUGAR7033(CBS) [45]

※ 英語版のみ国内盤アルバムに収録されました

 

   CGD- 105 HIT-1870  7033(CBS)  

  CGD-  105                HIT-1870                      7033(CBS)

 

 

10位 ニンナ・ナンナ Ninna nanna (cuore mio) L.Albertelli - E.Riccardi出版社 RITMI E CANZONI <56> カテリナ・カセルリ (vf) Caterina Caselli CGD – CBS SUGARCGD-  106 [45] イ・ディク・ディク (compl) I Dik Dik RICORDI – RICORDISRL-10630 [45]

 

CGD- 106 HIT-1874  SRL-10・630   

  CGD-  106                  HIT-1874                     SRL-10630

 

 

11位 最後の夢見る人 L'ultimo romantico V.Pallavicini - P.Donaggio出版社ACCORDO (CURCI Gr.) <50> ピノ・ドナッジォ (vm) Pino Donaggioi CAROSELLO – CAROSELLOCI-20279 [45] ペピノ・ディ・カプリ (vm)  Peppino Di Capr SPLASH – CBS SUGARSPH-1005 [45]

 

CI-20279 CI-20279   SPH-1005SPH-1005 

 

 

12 暗闇を突っ走れ La folle corsa Mogol - C.Donida出版社 ACQUA AZZURRA (NUMERO UNO Gr.) – DUE ( NUMERO UNO Gr.) <43> リトル・トニ (vm) Little Tony LITTLE – RCA ITALIANALR-2009 [45] フォルムラ・トレ (compl) Formula 3NUMERO UNO – RCA ITALIANAZN-50115 [45]

 

LR-2009 LR-2009 ZN-50115ZN-50115 

 

13 ある物語 Una storia S.Endrigo出版社 USIGNOLO <30> セルジョ・エンドリゴ (vm) Sergio Endrigo CETRA – FONIT CETRASP-1452 [45] ニュ・トロルス (compl) New Trolls CETRA – FONIT CETRASP-1449 [45]

 

SP-1452 HIT-1872 SP-1449    

 SP-1452           HIT-1872                  SP-1449

 

 

14 ほほえみとパラダイス Il sorriso, il paradiso S.Menegale - G.D'Errico出版社 MELODI (SUGAR Gr.) <18> セルジョ・メネガ (vm) Sergio Menegale CGD – CBS SUGARCGD-  103  [45] : ザ・ウォ-レス・コレクション (compl=bl) The Wallace Collection PARLOPHONE – EMI ITALIANAPM-3577 [45]

 

CGD-  103CGD- 103 3C006-047483C・006-04748 

 

 

  <参加曲>

アムステルダム Amsterdam D.Pace - M.Panzeri - P.Calvi出版社 ARISTON ロザンナ・フラテルロ (vf) Rosanna Fratello ARISTON – ARISTONAR-0500 [45] ノ・フェレ (vm=f) Nino Ferrer RIVIERA SIF (RICORDI)RIVNP-77050 [45]

 

AR-0500AR-0500 RIVNP-77050RIV・NP-77050   

 

 

恋するふたり Andata e ritorno L.Albertelli - D.Renzetti出版社 COME IL VENTO – TEVERE (SUGAR Gr.) マウリツィオ & ファブリツィオ (duo) Maurizio & Fabrizio CBS – CBS SUGAR7045(CBS) [45] プロタゴニスティ (compl) Protagonisti RICORDI RICORDISRL-10633 [45]

 

7045(CBS) 7045(CBS) SRL-10633SRL-10・633 

 

 
 

参加曲の残りは次回に続きます

 

 

      Mau Cristiani (PON・NP-40095)       ZT-7006 (Jordan)   

         マウ・クリスティア- (CLAN)              ヨルダン (SEVEN )

 

 

 次に紹介する初出場のレコード会社はベントラーです。小会社の中でも大手のレコード会社です。

 

                    

                    Bentler

 ベントラー (Bentler) は1960年代初めにピアニストのグァルティエロ・ゲリーニ (Gualtiero Guerrini)によって61年末にゲリーニ・レコードを設立されました。

 彼は1921年アコーディオン製造の有名な家系に生まれ、音楽出版をたちあげ、ゲリーニ音楽出版グループに育上げて、多くのエヴァグリーン・ヒット曲の権利を持つランポルディ (Rampoldi)音楽出版社を獲得しました。

 

 62年ベントラーに社名を変更、66年彼はベントラーを本格稼働させ、エミリアナ出身のエッダ・オルラーリと契約を結び、66年カンタジーロ・ジローネBで9位、69年夏のディスク10位、翌70年は順位が位入賞をする歌手に育てました。

 

 67年カンサスから移籍したロック・バンドのロジャーズ(I Rogers)をカンタジーロ・ジローネBに出場させ、72年ロジャーズ・レコーズ(The Rogers Records)を、69年からロック・バンドのラミゲッティ( I Raminghetti)などのロック系レーベル、エルドラド(Eldorado)を発足させました。

 

 多くのレコード会社が危機を迎えた75年活動を停止しました。    

 

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 58 1971年-1

 この第21回大会の特徴は53年第3回から始まった1曲を2歌手で歌う「ダブル・キャスト制」(但し第6回は新人コンテストも兼ねたので「シングル・キャスト制」)の最後の大会でした。その後も記念大会などで、外国人歌手との「ダブル・キャスト制」はありましたが、本選でその曲の優劣を競うのはこれが最後でした。

 と言っても1年前のこの時点では、翌22回の開催要項が決まるまで、1971年がダブル・キャスト制の最後と思っていませんでした。歴史と言うものはそういうものです。1年先は分からないもの、『1年前には自分や日本が戦争に巻き込まれようとは思ってもみなかった』と言う事がおきないように、全ての感性で感じ取り、あらゆる知性を使って今起きていることを注意深く判断しなければいけない時になっています。1年前の平安な時期を失って悔やむ前に!

 

      9463-58221・2e        Formula 3        

       イ・ノマ-ディ (COLUMBIA)         フォルムラ・トレ (NUMERO UNO)

 

 2番目がレコード会社の系列化が進み、RCAイタリアーナ・グループが大量の歌手を送込み、優勝から第3位までの表彰対象曲3曲中5歌手が入ったことでした。 RCAイタリアーナ、CBSシュガー(CGD)、リコルディの3大グループで出場曲48曲中34曲を占める寡占状態でした。

 

 その理由は今回過去の2大プロデューサー、エツィオ・ラダエリとジャンニ・ラヴェーラが手を結びソチエタ・ドゥエ・エッレ(2R協会)でオーガナイザーとなり、出場料の大幅な値上げをしたようです。これに反発したリフィ、ドゥリウムが早々に不参加を表明し、歌う曲目、歌手が決定した後ギリギリの時点でイタリア・フォノグラム、RAIの子会社で第1回からの主であるフォニット・チェトラもボイコットしました。

 チェトラからエントリーして自作を歌うセルジョ・エンドリゴは パートナーのニュー・トロルスを含め、自費で個人資格の出場と言う前代未聞の事態となりました。

 

 

 

第21回 1971年2月25日()~2月27日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:カルロ・ジュッフレ (Carlo Giuffrè)、エルザ・マルティネッリ (Elsa Martinelli)
楽団指揮: 19名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)、 ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲48の外国人歌手またはイタリア人歌手がパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場24歌手(内外人1歌手)、出場レコード会社17社で初出場2社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内RCAイタリアーナ・グループに属するレコード会社が5社、CBSシュガーのメッサージェリエ・ムジカーリ、リコルディのグループに入っている会社が各1社含まれるています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA 12[] RCA ITALIANA []、以下各1APOLLONUMERO UNOLITTLEAMICO(旧DET)、SEVEN);

CGD13[] CGD []Clan Celentano 4、 SPLASH 1);

RICORDI[] RICORDI SIF []);

ARISTON []EMI Italiana []FONIT CETRA []CAROSELLO []MIURA [0]BENTLER []

 

前年実績のRI FI [] PHONOGRAM []  DURIUM [] CAR-JUKE BOX []PDU []が不参加です。

 

 

        Mungo Jerry       Wallace Collection

        マンゴ・ジェリ (PYE)        ザ・ウォ-レス・コレクション { (PARLOPHONE)

 

 

<優勝> 恋のジプシー Il cuore è uno zingaro F.Migliacci -C.Mattone出版社 AMICI DEL DISCO <357> ナーダ (vf) Nada RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3576 [45] ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3575 [45]  

 

  PM-3576 SS-2081  PM-3575    

 PM-3576                   SS-2081                       PM-3575

 

 

<2位> ケ・サラ Che sarà F.Migliacci - J.Fontana - C.Pes) 出版社 AMICI DEL DISCO < 316> リッキとポーヴェリ (coro) Ricchi e Poveri APOLLO – RCA ITALIANAZA-50170 [45] ホセ・フェリシア- (vm=pu)) Jose' Feliciano RCA VICTOR – RCA ITALIANA45N-1640 [45]

 

 ZA-50170ZA-50170  SRA- 94 SRA-  94

45N-164045N-1640 SS-2082 SS-2082               

 

 

<3位> みなし児(194334日) 4/3/1943 (L.Dalla) 出版社AMICI DEL DISCO <297> ルチオ・ダルラ (vm) Lucio Dalla RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3578 [45] エキペ84 (compl)  Nuova Equipe 84 RICORDI – RICORDISRL-10635 [45]

 

PM-3578 SRA- 94   SRL-10・635 

PM-3578                     SRA-  94                       SRL-10635

 

 

<入賞曲>

4位 夕べの瞳 Com'è dolce la sera G.Illiani - L.Albertelli - E.Riccardi) 出版社 FONO FILM RICORDI <134> ドナテッロ (vm) Donatello RICORDI – RICORDISRL-10632 [45] マリーザ・サンニア(vf) Marisa Sannia CGD – CBS SugarCGD-  104 [45]

 

SRL-10・632   CGD- 104 HIT-1869  

SRL-10632         CGD-  104                  HIT-1869

 

5位 シーツの下 Sotto le lenzuola L.Beretta - M.Del Prete - A.Celentano) 出版社 MARGHERITA <115> . アドリアーノ・チェレンターノ (vm Adriano Celentano (CLAN – CBS SugarBF-70000 [45] ミラノ・アルプス合唱団 (coro) Coro Alpino Milanese CLAN – CBS SugarBF-70002 [45]

 

BF-70000 HIT-1873  BF-70002   

BF-70000         HIT-1873                     BF-70002

 

 

6位 この胸にふたたび Come stai R.Pazzaglia - D.Modugno) 出版社 AMICI DEL DISCO < 95>ドメニコ・モドゥ-ニョ (vm) Domenico Modugno RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3574 [45] カルメン・ヴィラ- (vf) Carmen Villani RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3577 [45]

 

PM-3574 SRA- 94   PM-3577 

PM-3574                     SRA-  94                     PM-3577

 

 

7位 水晶の瞳 Bianchi cristalli sereni Don Backy) 出版社 DI LAZZARO (SUGAR Gr.) <76> ドン・バッキー (vm) Don Backy CGD – CBS SugarCGD-  107 [45] ジャンニ・ナザーロ (vm) Gianni Nazzaro CGD CBS SugarTL-  30 [45]

 

CGD- 107  CGD- 108 HIT-1871

CGD-  107         CGD-  108          HIT-1871 

 

 

愛なき舗道 (今日の13物語) 13, storia d'oggi V.Pallavicini - A.Carrisi出版社 V.d.P. – PRIMATO (LEONARDI Gr.) <69> アル・バーノ (vm) Al Bano V.d.P. – EMI ITALIANA 3C006-17739 [45] アグアヴィーヴァ (compl=sp)  Aguaviva CAROSELLO CAROSELLOCI-20280 [45]

 

3C・006-17739 OR- 2786   CI-20280         

3C006-17739       OR- 2786         CI-20280

 

 

入賞曲の残りは次回に続きます

 

 

 

      Protagonisti     Aguaviva       

         プロタゴニスティ (RICORDIl)         アグアヴィーヴァ (CAROSELLO)

      

 

 今回初参加のレコード会社は3社ですが、69年にドン・バッキーが出場したアミコ (AMICO)はCAM系列で出ていましたが、本来は69年に説明が必要でした。ジェンスの出場に伴い遅ればせながら今回紹介します。

                Amico

 68年ドン・バッキーは“カーザ・ビアンカ”と“カンツォーネ”をサンレモ音楽祭に出品し、自分は“カンツォーネ”を歌う予定にしていましたが、親分アドリアーノ・チェレンターノが横取りし、ドン・バッキーは作曲家した同僚のデット・マリアーノ、イラストレーターのマリオ・モレッティと共にクラン・チェレンターノを飛び出し、ルチオ・バッティスティがオーディションを受けたことがある音楽出版社エル&クリス(El & Chris)の共同経営者エリオ・ボッローニ(Elio Borroni)と映画音楽で有名なCAMレコードの全面的バックアップの下、彼のヒット曲“アミコ”からとった社名のレコード会社アミコを即刻起ち上げました。

 その後彼は69年サンレモ音楽祭にCAMのポピュラー音楽レーベルDETの傘下アミコ・レコードから“消えたほほえみ(Un sorriso)”を歌い第3位となりました。ここまで順調だったのですが、CAMの親会社で「TVソリージ&カンツォーネ」誌なども出していたカンピ(CAMPI)出版グループがCAMの販売権をRCAイタリアーナに売却、ドン・バッキーはこの方針に反対し、CGDに移籍してしまいます。

 RCAイタリアーナの下、CAMは映画音楽レーベルとして残り、ポピュラー部門のDETを閉鎖し、ポピュラーのカタログはアミコに継承させました。日本でもデビューしたアダ・モーリ (Ada Mori)、サンレモ音楽祭に出場したジェンス (Gens)、カルメン・ヴィラーニやナーダのアルバム制作に係ったカンタウトゥーリの「酔いどれ放浪詩人」ピエロ・チャンピ(Piero Ciampi)、果てはナポリの大御所セルジョ・ブルーニ(Sergio Bruni)も一時差在籍していましたが、70年代の半ば(74年?)頃に活動を停止しています。

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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