カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 68 1974年-3

第24回 1974年3月7日()~9日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:コラッド (Corrado)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮:  の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)、ヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti
形式:初めてカテゴリー制を導入、カテゴリーAはスター部門14曲は最終夜の決勝戦に進め、カテゴリーBも14曲、第1夜、第2夜でそれぞれ7歌手が歌い上位2歌手、合計4歌手のみに決勝背の出場権を与え、最終夜に18歌手が歌い、出場した中から優勝を決め、上位3歌手のみ得票を公表し他の歌手は入賞曲とする。

 

 

レコード会社別出場歌手数

 []は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); Produttori Associati [] Spark []Ariola [])

RCA Italiana [] (RCA Italiana 4[]EDIBI [])

Ri Fi []

CBS SUGAR [] CGD []CiPiTi [] Vogue []

FONIT CETRA 2[]

ARISTON []

EMI Italiana [] (EMI Italiana []PDU [])

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

 

 74年第24回サンレモ音楽祭はオイル・ショック後の世界的不況、イタリア国内景気の悪化、音楽業界では従来のカンツォーネが売れなくなり、サンレモ音楽祭からのヒット曲が激減し、新人コンテスト出身歌手が育たないという、暗い話ばかりが先行しましたが、明るいはなしも実はあるのです。

 新人歌手でも、ポット出の実力が伴わない歌手が育たないだけで、出場からのある歌手は数年、大器晩成型は10年以上の時間をかけて育っていきます。この年に出場した歌手ではプー(I Pooh)から独立ソロ・デビューしたリッカルド・フォッリ(Riccardo Fogli)、既にプーは多くのヒット曲を出しており、そのヴォーカルはスターと言えますが、多くのグループからソロ歌手として独立した人達が成功したかといえば、決してそうではありません。

 ドナテッラ・レット-レ(Donatella Rettore)も79年“Splendido splendente”が年間ヒット・ランク21位の大ヒットが出るまで5年を要します。彼女の場合ニュー・ウェーヴというよりはテクノ・ポップになるのかもしれませんが、日本では“神風ロックン・ロール”でデビューしたので女ロッカーという印象が強いでしょう。あとフランコ・シモーネも現在も活動を続ける大歌手になったのですが、国内盤は78年にアルバムが1枚出ただけで、日本では印象が薄いようです。

 

 

            RDZ・ST・S-14240           SRL-10・706  

             フランコ・シモ (Ri Fi)                     アンナ・メラート (RICORDI)

 

 実質4位の新人歌手アンナ・メラート(Anna Melato)は歌手を80年代半ばまで続け、その美貌で現在も女優をしています。本来カテゴリーAが、その後サンレモ音楽祭が採用する新人の部があれば、当然新人の部優勝歌手となるのですが、なんとサンレモ出場3回目の12年選手歌手ピエロ・フォッカチャ(当時30才)までいたので、新人コンテスト扱いにもならず、半端な存在で冷や飯を食ってしまいました。

 またキングはヴァレンティーナ・グレコを日本での新らたなスターとして育てるつもりでしたが、本国イタリアでの人気が出ず不発に終わりました。

 

 

 <参加曲>

 ◇僕と歌おう Canta con me Luigi Albertelli - Enrico Riccardi) 出版社 RITMI E CANZONI カムビス (vm) Kambiz ((RICORDI Dischi RICORDISRL-10715 [45]

 

SRL-10715SRL-10・715  ZEDB-50236ZEDB-50236 

 

◇自由な髪Capelli sciolti Donatella Rettore - Pagano) 出版社ABICI ドナテッラ・レット (vf) Donatella Rettore EDIBI – RCA ItalianaZEDB-50236 [45]

 

共犯者たちComplici Luigi Lopez - Carla Vistarini) 出版社出版社RCA - R リッカルド・フォッリ (vm) Riccardo Fogli RCA Italiana – RCA ItalianaTPBO-1023 [45]

 

TPBO-1023TPBO-1023  RFNNP-16565RFN・NP-16565 

 

◇流れ去った青春 Fiume grande Franco Simone) 出版社 RI-FI Mus.  フランコ・シモ (vm) Franco Simone Ri Fi – Ri FiRFNNP-16565 [45]

 

◇ラ・カンタ La canta Raoul Casadei - Enrico Muccioli - Al Pedulli) 出版社 EDITORI ASSOCIATIカサデイ (compl) Orchestra Spettacolo Casadei Produttori Associati Dischi RICORDIPANP-3226 [45]

 

PANP-3226PA・NP-3226  BENP-5091BE・NP-5091 

 

◇愛の想い La donna quando pensa Ermanno Cappelli - Mauro Galati) 出版社 ELDORADO パオラ・ムジアーニ (vf) Paola Musiani Bentler – Bentler GuerriniBENP-5091 [45]

 

◇ローラがすべてPer una donna donna Antonella Bottazzi) 出版社TELEVIS - PEER ITALIANA アントネッラ・ボタッツィ (vf) Antonella Bottazzi Spark – Dischi RICORDISR-822 [45]

 

SR-822SR-822  TPBO-1025TPBO-1025 

 

◇ここで Qui Paolo Amerigo Casella - Marco Luberti - Riccardo Cocciante) 出版社RCA – DELTA ロッセラ (vf) Rossella RCA Italiana – RCA ItalianaTPBO-1025 [45]

 

◇春ふたたび Ricomincerei Dante Pieretti - Portp Soffici) 出版社ILLER - SETTE BELLOソニア・ジリオラ・コンティ (vf) Sonia Gigliola Conti Ri Fi – Ri FiRFNNP-16566 [45]

 

RFNNP-16566RFN・NP-16566  AR-0625AR-0625 

 

◇ヴァレンティン・タンゴ Valentintango Luciano Beretta - Edilio Capotosti) 出版社 ARISTON ピエロ・フォッカチャ (vm) Piero Focaccia ARISTON ARISTONAR-0625 [45]

 

 

 

1974年出場曲は以上です。

 




 74年初参加レコード会社、最後の3社目はプロドットリ・アソシアーティ(Produttori Associati)です。70年にアントニオ・カセッタ(Antonio Casetta)が設立した会社ですが、それ以前のレコード会社を整理して、それらのカタログを継承、改組したレコード会社でした。

 

                                      Produttori Associati

 

 歴史を遡ると59年にアントニオ・カセッタがミラノに設立したブルーベル・レコーズから始まります。このブログの初期の頃からお読みの方は『あの会社か!』と思われるかもしれません。カルメン・ヴィラーニ(Carmen Villani)がデビューしたレコード会社です。

 カセッタはブルーベルに有能なディレクター、フェデリコ・モンティ・アルドゥイーニ(Federico Monti Arduini)を迎えます。彼は後にグァルダ・デル・ファロ(Il Guardiano del Faro)という名のシンセサイザー・プロジェクトでヒット曲を出します。

 ブルーベルで最初の成功はイタリア系ベルギー人ロッコ・グラナータ(Rocco Granata)がベルギーでイタリア語で歌ったヒット曲“マリーナ(Marina)”(世界的ヒットとなり日本でも流行りました)を扱った事でした。次は会社設立直後に契約したニキ・デイヴィス(Niki Davis)でした。その後にカルメン・ヴィラーニが入社しています。ロッコとニキの2歌手は61年サンレモ音楽祭に出場を果たします。

 外国レーベルでは米国の小会社でしたが立続けにヒットを出していたフランキーアヴァロン(Frankie Avalon)、フェビアン(Fabian)ジョー・ダミアノ(Joe Damiano)がいたチャンセラー(Chancellor)と、日本ではベンチャーズのレコード会社として知られる当時発展途上のリバティー(Liberty)がメインでした。

 66年カセッタはブルーベル・グループとリバティー・グループを包含するベルディスク(Belldisc)を立上げました。 この頃にはニュー・ダダ(New Dada)、イ・コルヴィ(I Corvi)、ストーミー・シックス(Stormy Six)、サリス&サリス(Salis & Salis)そして孤高のカンタウトゥーリ、ファブリツィオ・デ・アンドレ(Fabrizio De André)も在籍し、リバティー系ジャズ・レーベルのブルー・ノート、パシフィック・ジャズ、インパルスなども扱い小さいながらも存在感のある会社となりました。

 70年イタリア国内盤は数レーベルありましたが、統一レーベルの意味をもつ『プロドットリ・アソシアーティ』に吸収整理し、社名もこれを用いることとしました。この頃にはパラーデ(Parade)が倒産して移って来たアルンニ・デル・ソーレ(Alunni Del Sole)や76年に歌手としては晩年のピノ・ドナッジォ(Pino Donaggio)も移籍してきました。

 76年カセッタはアメリカのジェリー・マリガン(Gerry Mulligan)と彼のオールスターズを招きジャズ・ピアニストのエンリコ・イントーラ(Enrico Intra)の共演レコードを作りました。レコード会社各社は不況に苦しんでいましたが、77年カセッタはミラノとコモの間にあるカリマーテ(Carimate)に大規模な録音スタジオ、ストーン・キャッスル・スタジオズ(gli Stone Castle Studios)を作りました。“Stone”はイタリア語で“音痴”という意味もあるようです。

 コストのかかるジャズ・アルバムの制作や多大な設備投資の影響は大きく、会社の経営は一挙に悪くなりました。77年中でレコード制作を止め、カタログと所属歌手を含め、ディストリビューションを委ねていたリコルディに譲渡し、P..(プロドットリ・アソシアーティ)は閉鎖されました。

 

 

BE・NP-5086  PSL-10488      Antonella Bottazzi g               

パオラ・ムジア (Bentler)       ミドル・オブ・ザ・ロド (ARIOLA)     アントネッラ・ボタッツィ (Spark)

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)66 1974年-1

 イタリアでは長引く不況で音楽産業にも大きな影を落とします。サンレモ音楽祭は緊縮運営をしないと表明しますが、前々年から始められたシングル・キャスト制は定着し、前年まで外国から有名指揮者を呼び再演奏して音楽祭の信頼性を保っていましたが、74年はその再演奏も廃止されました。新曲フェスティヴァルには変わりありませんが、新たに2カテゴリーを設け、一段と出場歌手の個性に依存する傾向が強まりました。

 

 カテゴリーB(Bigの部)に選ばれたスター歌手14名は、予選をすることなく最終日の決勝戦に進め、今までの入賞歌手扱いとなります。カテゴリーA(Aspirant i= 候補者)は第1夜、第2夜で各7歌手が歌い、各2歌手(計4歌手)が決勝戦に進みます。最初は残る10歌手で敗者復活戦を考えていたようですが、RAI(イタリア国営放送)は放送時間が長くなることを理由に取りやめとなりました。

 このようにRAIの緊縮策は厳しく、第1夜、第2夜はTV中継をせずラジオのみの放送で、最終夜(決勝)はユーロヴィジョンの国際中継があるためカラー・カメラを使いましたが、国内放送はモノ・クロで放送しました。

 

 

第24回 1974年3月7日()~9日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:コラッド (Corrado)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮:14人の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)、ヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti
形式:カテゴリー制を導入。カテゴリーB(ビッグ部門)14曲は最終夜の決勝戦に進め、カテゴリーA(候補者部門)も14曲が出場しますが、第1夜、第2夜に各7歌手が歌い上位2歌手、合計4歌手のみに決勝戦の出場権を与え、最終夜に18歌手が歌います。その中から優勝を決め、上位3歌手のみ得票を翌日に新聞公表し、他の歌手は入賞曲としました。

 

 前年ベトナム戦争加担企業として排除されたRCAイタリアーナ・グループは5歌手の出場で復活しました。昨年主流の座を取ったリコルディ・グループが74年もトップ7歌手を出場させています。またボイコット組のリフィ、EMIイタリアーナ、ドゥリウムが復帰してきました。

 参加枠が減った影響はCBSシュガー・グループが3歌手、フォニット・チェトラが2歌手に後退してしまいます。初参加はリコルディ・グループのプロドゥットリ・アッソチアーティ(..)、スパーク、CBSシュガー・グループのチピティの3社、なおP..はブルー・ベルの継承会社です。

 

[]は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); Produttori Associati [] Spark []Ariola [])

RCA Italiana [] (RCA Italiana 4[]EDIBI [])

Ri Fi []

CBS SUGAR [] CGD []CiPiTi [] Vogue []

FONIT CETRA 2[]

ARISTON []

EMI Italiana [] (EMI Italiana []PDU [])

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

 

          DPSL-10617            CPT・OK-17     

          リッカルド・フォッリ (RCA Italiana)        ヴァレンティナ・グレコ (CiPiTi)

 

 このところサンレモ音楽祭の視聴率が落ち続けていましたが、年末のカンツォニッシマに比べサンレモの人気は急落し、音楽関係者の関心すら薄らぐ危機的な状況となります。また音楽祭の成功、不成功を計る目安は年間ヒット・ランクにその年の曲がどれだけ入っているかでした。優勝曲イヴァザ・ニッキの“さよならも言わずに”は74年間ヒット・ランク44位でまずまずの成果でしたが、その他は惨敗、実質第2位のドメニコ・モドゥーニョが歌った“これが私の人生”が70位、入賞でも下から2番目だったミルバの“人形のモニカ”が90位と健闘したものの、全て大ベテランの歌手たちで、新人歌手が一人も入らず、この結果が成功と言えるのか?番狂わせが参加曲止まりだったカサデイの“ラ・カンタ”が80位と大健闘したのが目を引きます。

 

 ただカサデイは1928年に結成されたバンドで、戦前のダンス・ホール、キャバレーで流行ったリショ(Liscio)を演奏するグループでした。リショは70年代の中頃リバイバルしていたので、ヒットするのは当然でしたが、彼らはビッグ部門が相当だったのではないかという批判がありました。

 

 

 

 <優勝曲> 

さよならも言わずに Ciao, cara, come stai? (Daiano - Dinaro - Italo Ianne - Cristiano Malgioglio) 出版社 RI FI Mus. DURIUM <36>イヴァ・ザニッキ (vf) Iva Zanicchi (Ri Fi – Ri FiRFNNP-16564 [45]

 

 RFNNP-16564RFN・NP-16564   HIT-2135HIT-2135 

 

 

 <入賞曲> (表中で出版社の後にある<A>は、候補の部から勝ち上がった曲です)

 ◇これが私の人生 Questa è la mia vita Luciano Beretta - Domenico Modugno - Elide Suligoj) 出版社 RCA – CURCI <27> ドメニコ・モドゥーニョ (vm) Domenico Modugno RCA Italiana – RCA ItalianaTPBO-1022 [45]

 

                         TPBO-1022TPBO-1022 

 

 

◇バラ色の瞳 Occhi rossi (tramonto d'amore) (Daniele Pace - Mario Panzeri - Lorenzo Pilat - Corrado Conti) 出版社SUCCESSO - ALFIERE <21> オリエッタ・ベルティ (vf) Orietta Berti POLYDORI – Phonogram2060-068 [45]

 

2060-0682060-068  DP-1932DP-1932 

 

 

◇そっと雨が降る Sta piovendo dolcemente Maurizio Piccoli - Pino Donaggio) 出版社出版社FAMA - CURCI <19A> アンナ・メラート (vf) Anna Melato RICORDI – DISCHI RICORDISRL-10718 [45]

 

SRL-10718SRL-10・718   SP-1545SP-1545 

◇白い飛行 Il mio volo bianco Daiano - Zanon - Italo Janne) 出版社 USIGNOLO <17> エマヌエラ・コルテージ (vf) Emanuela Cortesi <A> CETRA – FONIT CETRASP-1545 [45]

 

 

◇わかれの中に Senza titolo Vito Pallavicini - Francesco Ferrari - Gino Mescoli) 出版社 SENNA ジルダ・ジュリアーニ (vf) Gilda Giuliani Ariston – AristonAR-0624 [45]

 

AR-0624AR-0624 PA-1097PA-1097 

 

もし、あなたが怖かったら Se hai paura Luigi Albertelli - Roberti Soffici - Gmassimo uantini) 出版社 FONO FILM RICORDI - PDU) <A> イ・ドモドッソ- (coro) I Domodossola PDU – EMI ItalianaPA-1097 [45]

 

 

◇モナミ・タンゴ Mon ami tango Daniele Pace - Mario Panzeri - Lorenzo Pilat - Corrado Conti) 出版社 CA.MO レ・シャルロ (compl=f) Les Charlots VOGUE – CBS SugarVI-2027 [45]

 

                         VI-2027VI-2027 

 

 

残りの入賞曲は次回に続きます

 

 

 

 74年初参加のレコード会社は3社チピティ(CiPiTi)、プロドゥットリ・アッソチアーティ(Produttori Associati)、スパーク(Spark)です。これらレコード会社3社は過去のレーベルを引継ぐものや、後に社名を変え存続するものなど、歴史の流れを感じさせるレーベルたちです。

 

 

 まずヴァアレンティーナ・グレコを出場させたチピティ、CPTのイタリア式アルファベットの読みをレーベル名にしています。時としてCPTを表示されることもあります。

 

                 

                  CiPiTi

 

 1972年クラウディオ・チェッリ(Claudio Celli)とアルド・ブオノコーレ(Aldo Buonocore)がミラノに設立した新興レコード会社です。

 クラウディオ・チェリは振付師からテノールの美声が認められコーラス・グループのクァルテット・ラダール(Quartetto Radar)のメンバーとなり、サンレモ優勝曲“アル・ディ・ラ”を歌ったベティー・クルティス(Betty Curtis)と結婚したことで知られる歌手、作詞家、レコード・プロデューサーです。

 アルド・ブオノコーレは作・編曲家、楽団指揮者でヴァアレンティーナ・グレコのサンレモ出場曲もチェリの作詞に作曲しています。

 チピティ設立当時からサンレモ優勝曲“アル・ディ・ラ”を歌ったルチアーノ・タヨーリ(Luciano Tajoli)が在籍しており、カンタウトゥーリのアンドレア・ミンガルディ(Andrea Mingardi)、プログレ・バンドのグルッペ・エックス(Le Groupe X)、サリス&サリスとしても知られるサリス(I Salis)も所属していました。

 75年頃閉鎖してしまいますが、チピティのカタログはアルファ(A.R. ALPHARECORD)に引き継がれたようです。アンドレア・ミンガルディはそのままアルファで再発売され、ルチアーノ・タヨーリも続けてレコードを出しています。82年にクラウディオ・ビルラ(Claudio Villa)がこのアルファから最後のサンレモに出場しましたし、ベティー・クルティスやリトル・トニーなど往年のスター達もアルファからレコードを出しました。CD時代となりこのアルファのカタログを受け継いだのがフォノティル(FONOTIL)のようです。 この辺りの話はまたアルファの紹介の時に致しましょう。

 

SP-1529  C-16673  Kambiz (1974)  

  エマヌエラ・コルテジ (Cetra)    マウス & マクニ (Philips)      カムビス (Ricordi)

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 65 1973年-3

 第23回の出場候補曲は225曲の応募がありました。1曲1歌手制になったため、予め歌手たちが歌いたい曲を決め応募しております。内訳は男性歌手111人、女性歌手76人、バンド38グループでした。

 

 応募曲を職業の違う25人(ジャーナリスト5、俳優4、労働者3、会社員3、音楽家3にRAI、省庁、市町村の関係者)の選考委員が検討をします。その過程は透明性を確保するため、ジャーナリストや出版関係者の傍聴を認めました。30曲を選出し、サンレモ音楽祭出場資格与えたコンテストの勝者2人(ジルダ・ジュリアーニとアルベルト・フェーリ)の曲を加えた32曲を出場曲とします。

 

          Roberto Vecchioni         Lolita  

           ロベルト・ヴェッキオ- (DUCALE)          ロリータ (CAR JUKE BOX)

 

 

 

第23回 1973年3月8日()~10日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)、芸術助監督ブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesi
形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。

 

 

[]は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); ARCOBALENO [], SIF [] CAR JUKE BOX[])

FONIT CETRA 7[]FONIT CETRA 4[]CAROSELLO 1[] KING UNIVERSAL[] DUCALE[]

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[] SIDET[])

CBS SUGAR [] CGD []CBS [] SPLASH[]

ARISTON []

DURIUM []

SAINT MARTIN 1[]

 

 

              Mocedades         Toni Santagata 

              モセダデス (NUVOLA/ZAFIRO)          トニ・サンタガータ (CETRA)

 

 新人コンテストの勝者アルベルト・フェーリ以外のRCAイタリアーナの歌手たちが不参加になった理由は、レコード会社側が出場を辞退したのではなく、主催者側が参加を認めませんでした。

 

 出場予定歌手は “Un’Auto targata TO”のルーチョ・ダッラ(Lucio Dalla)、 “Vento caldo”のイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)、それにアントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)の名前が挙がっていました。RCAイタリアーナの親会社アメリカRCAは軍事用電子製品を生産し、ヴェトナム戦争加担企業であることを理由に出場を認めませんでした。

 

 この年から視聴者の投票はユニバック(Univac)の投票システムが採用され、審査員の投票は今までの、1票の投票方式や持ち点投票様式でなく、全ての曲を聞いた後に予め用意された10パターンの内、自分が一番良いと思う1パターンを選ぶ方式に変わりました。

 

 

              

  <参加曲>

◆エリーザ・エリーザ Elisa Elisa S.Bardotti - S.Endrigo) 出版社 USIGNOLO セルジョ・エンドリゴ (vm) Sergio Endrigo CETRA – FONIT CETRASP-1506 [45]

 

SP-1506SP-1506  HIT-2098HIT-2098

 

 

恋してるって私が Innamorata io? Al.Celentano - Chiaravalle出版社 TELCAR – LUISIANA ロリ (vf) Lolita CAR JUKE BOX – DISCHI RICORDICRJNP-1087 [45]

 

CRJNP-1087CRJ・NP-1087  1306(CGD)1306(CGD) 

 

ふしぎな気持 Mistero C.Mattone出版社 APRIL Mus. RCAジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti CGD – CBS Sugar1306(CGD) [45]

 

 

僕の世界 Mondo mio G.Conte - M.Conte出版社 R.R.R. クリスチャン・デ・シ (vm) Christian De Sica RICORDI – DISCHI RICORDISRL-10689 [45]

 

SRL-10689SRL-10・689  PM-3699PM-3699 

 

毎回思われる Ogni volta che mi pare F.Evangelisti - M.Politano' - P.Pintucci出版社 RCA - ITアルベルト・フェ- (vm) Alberto Feri RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3699 [45]

 

 

◆哀れな男 (明日に生きる)  Povero L.Medini - M.Mellier出版社 SIDETジュニア・マッリ (vm) Junior Magli Las VegasSIDET – PHONOGRAMLVS-1063 [45]

 

LVS-1063LVS-1063a  CRJNP-1088CRJ・NP-1088 

 

◆スリ・スリ・バーネ・バーネ Sugli sugli bane bane A.M.Piccioli - P.Tomellieri出版社 TELCAR - LUISIANA 風の娘達 (coro) Figlie del Vento CAR JUKE BOX – DISCHI RICORDICRJNP-1088 [45]

 

 

◆去り行く君 Vado via L.Albertelli - E.Riccardi出版社 RITMI E CANZONI ドゥルピ (vm) Drupi RICORDI – DISCHI RICORDISRL-10688 [45]

 

SRL-10688SRL-10・688  DW-1086DW-1086 

 

 

◆灰色の街 Via Garibaldi T.Santagata出版社 FONIT CETRA トニ・サンタガ (vm) Toni Santagata CETRA – FONIT CETRASP-1508 [45]

 

                  SP-1508SP-1508 

 

 

<棄権曲>

・ただ一つのチャンス L'UNICA CHANCE D.B.BESQUET - Ad.CELENTANO) 出版社 CLAN アドリアーノ・チェレンターノ (vm) Adriano Celentano CLAN CELENTANO CBS SugarCLN- 1319 [45]

 

CLN- 1319CLN- 1319   SP-1505SP-1505 

 

<失格曲>

愛なきふるさと TERRA CHE NON SENTI A.PIAZZA) 出版社 FONIT CETRA ローザ・バリストレリ (vf) Rosa Balistreri (CETRA – FONIT CETRASP-1505 [45]

 

 

1973年サンレモ音楽祭出場は以上です。

 

 

 サンレモ音楽祭は新曲コンテストで厳しい規則がありますが、出場曲の失格があります。審査員や聴衆が先入観を持たずに厳正な審査する建前で、全てがサンレモの舞台で初披露する以前に歌唱・演奏してはならない、とされています。

 

 初めての失格は57年の“美しきもの (La cosa piu' bella)”で、他社が他の歌手で事前にレコードを出したためでした、2度目のローザ・バリストレリの“愛なきふるさと”です。本人が事前の放送番組「Stasera Rosa」で歌ってしまたようです。ただこの事前歌唱のチェックが厳密に行われていたかというと、前72年の優勝曲“虹の日々(I giorni dell'arcobaleno)”や“ジェザエル(Jesahel)”も事前に放送したと言われています。

 

 バリストレリ自身、何度も投獄され、歌も反体制的であり、“愛なきふるさと”の内容も音楽祭向きでないと思われていたので、相当の政治的判断が影響していると考えられています。彼女はサンレモ市内の劇場で「貧者のための音楽会」としてワンマン・コンサートを開きました。

 

 この後92年にジョー・スクィッロ(Jo Squillo)、96年にオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)が失格、2014年にリッカルド・シニガッリア(Riccardo Sinigallia)が順位除外(失格か?)になっています。

 

 

                Bassano 1       Rosa Balistreri 2         

                    バッサーノ (vm)               ローザ・バリストレリ (CETRA)    

 

 3番目に紹介するレコード会社はサン・マルタン(Saint Martin Record)です。英語読みすればセイント・マーティンですが、当時も河合秀朋さんはサン・マルタンと言っていたので、イタリアではわざわざフランス語読みにしたものとして扱います。 前72年にはシデット(SIDET)のディストリビューターとしてサンレモ音楽祭に参加したのですが、自社歌手を出場でなかったので73年に廻しました。

 

 65年サン・マルタン音楽出版が、当時イタリアの音楽業界で盛んに行われていた、音楽出版会社がレコード会社を作る流れの中、他社と同じように音楽出版社オーナーのジーノ・カゼッリ(Gino Caselli)がミラノにレコード会社を設立しました。活動期には中堅独立会社としての位置を占めていました。

 

 最初の成功は65年、女性歌手バルバラ・ローリー(Barbara Lory)が第1回ロンバルディア音楽祭で“Sei tu Milano”を歌い優勝した事でした。次の成功はバルバラが66年カンタジーロ・ジローネB(新人部門)に“悪い月(Male di luna)”を歌い12位、バンドのフナムボリは翌年のジローネC(グループ部門)には (i Funamboli)が“反対の仮定(Ipotesi egativa,)”で、68年夏のディスク・フェスティヴァルに“Come un'ombra”で出場するなど実績を残しました。

 

      設立時Saint Martin (1965)   Saint Martin     

 

 他にサンレモ経験のあるジャンニ・マスコロアキレ・トリアーニエッダ・オルラーリ、そして73年サンレモ音楽祭に出場しているリオネッロが在籍していました。また80年代に“ワーズ(Words (Don't Come Easy))”で世界的なヒットを出したフランス人歌手F.R.デイビッド(F.R. David)もイタリア在住時代に所属していました。

 

 73年サンレモ音楽祭にバッサーノを“カラ・アミーカ”で出場させることが出来ました。レコードのリリースは70年代末まで確認できますが、それ以降の消息は不明です。

 

 そしてもう1社、ミーナのデビュー会社イタルディスクの継承会社ドゥカーレ(Ducale)です。イタルディスクは56年にダビデ・マタロン(Davide Matalon)が興し、その音楽出版社として59年12月にドゥカーレを作ります。63年ミーナが移籍でイタルディスクを離れた以降、カー・ステレオ、カセット・テープのサプライ供給が主力となります。70年代に入りレコード制作を再開しますが、音楽出版会社のドゥカーレを社名としました。同社は現在もドゥカーレ・ミュージックとして活動を続けています。

          ITAL DISC      DUCALE(d)   DUCALE

                    

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 63 1973年-1

 前年はエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)に代わりプロデューサー権限を出演する歌手の芸術監督に限定、また開催主体をサンレモ観光協会からサンレモ市の変更する大改革をしました。これも不景気で大物プロデューサーがお金を集めることが出来なくなり、自治体予算に頼らざるを得なくなったとも考えられます。

 

 1973年はサンレモ観光協会とフェスティバル・バールの発案者で司会者のヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)が共同主催することになり、その下で芸術助監督としてサンレモ音楽祭出場歌手で、その後作詞家、レコード・プロデューサーとなったブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesiが就きました。

 

 1972年サンレモ音楽祭から始まった1曲1歌手が歌うシングルキャスト制(ただし56年は新人コンテスト形式のためにシングル・キャスト)が引継がれます。この方法を補うため前年はフランク・プゥルセルを再演奏楽団指揮者として招きましたが、今回は同じくフランスのレーモン・ルフェーヴル(Raymond Lefe'vre)にその任を委ねました。

 

    Gilda Giuliani     Drupi   RAYMOND LEFE'VRE     

     ジルダ・ジュリアーニ (ARISTON)       ドゥルピ (RICORDI)     レーモン・ルフェーヴル (SIF/Riviera)

 

第23回 1973年3月8日()~10日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)、芸術助監督ブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesi
形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。

 

前年はこのため歌手の労働組合が反発し、退会寸前までストライキをして実施が危ぶまれましたが、73年は歌手組合のストライキはなかったものの、サンレモ市内部の問題で、国営放送のRAIとの紛争紛争が起こり、予選の第1夜、第2夜が放送できず、決勝戦の最終夜のみしか生放送できなかったという事態になりました。

 

 出場歌手は30歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場17歌手(内外人歌手は2歌手)、出場レコード会社17社で初出場3社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内リコルディ・グループに属するレコード会社が3社、フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が3社、CBSシュガー・グループに属するレコード会社とフォノグラム・グループに属するレコード会社が各1社含まれています。

 
          J. E. T.
     Alberto Feri       

           ジェット (DURIUM)                アルベルト・フェーリ (RCA Italiana)

 

リコルディは前年3歌手から、73年は傘下の会社を含め9歌手(内外人1を含)、反対に前年最多6歌手だったRCAイタリアーナ・グループは新人歌手1名のみ、前年6だったフォニット・チェトラ・グループは7、フォノグラムもシデットがグループに入り3から4に各1増え、CBSシュガーは総数で変わらず、アリストンが1名増え2に、前年出場時代組のドゥリウムが2名で復活、サン・マルタンは自社歌手が出場し総数は変わらず1、EMIイタリアーナ、リフィ、サールは出場せず3社で4名減となりました。

 

[]は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); ARCOBALENO [], SIF [] CAR JUKE BOX[])

FONIT CETRA 7[]FONIT CETRA 4[] CAROSELLO 1[] KING UNIVERSAL[] DUCALE[]

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[] SIDET[])

CBS SUGAR [] CGD [] CBS [] SPLASH[]

ARISTON []

DURIUM []

SAINT MARTIN 1[]

 

 今まで顔写真を出来るだけジャケット画像を使うようにしましたが、かなりの歌手でサンレモ音楽祭出場曲以外に顔が映っているジャケットが見つかりませんでした。そのため多くを雑誌に載っていた写真を使っています。また統一性を保つためすべてモノクロ写真を使いました。

 

 

              

<優勝> 失われた愛を求めて Un grande amore e niente più (F.Califano - G.Wright - G.Faiella - C.Mattone) 出版社 RCA - SPLASH <1710> ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri SPLASH – CBS SugarSPH-1014 [45]

 

  SPH-1014SPH-1014  HIT-2100HIT-2100 

 

 

<2位> 夢に消えた詩 Come un ragazzino G.Amendola - P.Gagliardi) 出版社 INDIOS <1482> ペピ-ノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi King universal – Fonit CetraNSP-56139 [45]

 

 NSP-56139NSP-56139  HIT-2099HIT-2099

 

 

<3位> 愛遥かに Da troppo tempo (L.Albertelli - G.Colonnello) 出版社JUBAL < 1463 > ミルバ (vf) Milva RICORDI – Dischi RICORDISRL-10687 [45]

 

SRL-10687SRL-10・687   CM-  241CM- 241 

 

 

<入賞曲>

4位 愛の果実 Dolce frutto P.Minellono - U.Balsamo) 出版社出版社ILLER - USIGNOLO < 1430> リッキとポーヴェリ (coro) Ricchi e Poveri CETRA – FONIT CETRAPM-3637 [45]

 

SP-1507SP-1507  HIT-2098HIT-2098 

 

5位 待ちわびて Serena V.Pallavicini - Musikus - G.Mescoli) 出版社 ARISTON < 1413>ジルダ・ジュリアーニ (vf) Gilda Giuliani (ARISTON – ARISTONAR-0587 [45]

 

AR-0587AR-0587  HIT-2101HIT-2101 

 

 

6位 二つの恋と一つの涙 Tu nella mia vita Lubiak - P.Minellono - U.Balsamo - Arfemo) 出版社 FAMA - DURIUM < 1295> ウェスとドリ・ゲッツィ (duo) Wess & Dori Ghezzi CIRCUS – DURIUMCNA-9335 [45]

 

CNA-9335CN・A-9335  JET-2187JET-2187 

 

 

7位 さいころに生きる男 L'uomo che si gioca il cielo a dadi R.Vecchioni) 出版社 CHAPPELL <1246> ロベルト・ヴェッキオ- (vm) Roberto Vecchioni DUCALE – FONIT CETRADUC- 240 [45]

 

DUC- 240DUC- 240  6025-0856025-085

 

8位 太陽の旗 La bandiera di sole F.Leali - V.Pallavicini) 出版社 ESEDRA - VITTORIA <1226 > ファウスト・レアーリ (vm) Fausto Leali PHILIPS – PHONOGRAM6025-085 [45]

 

 

9位 アモーレ・ミオ Amore mio P.Minellono - U.Balsamo) 出版社 PEGASO <1224 > ウンベルト・バルサモ (vm) Umberto Balsamo POLYDOR PHONOGRAM)) 2060-048 [45]

 

2060-0482060-048  AR-0585AR-0585   

 

10位ふたりだけの旅 Mi son chiesta tante volte P.P.Preti - G.Guarnieri) 出版社出版社ARISTON <1197> アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici ARISTON – ARISTONAR-0585 [45]

 

 

次回の入賞曲に続きます

 

 73年初参加のレコード会社は2社アルコバレーノ(Arcobaleno )、サン・マルタン(Saint Martin)です、S...は訂正・追補で再度掲載します。まずアルコバレーノから紹介していきましょう。

 

 アルコバレーノとは虹のことで、1960年にナポリで設立された小さな会社です。設立間もなく販路拡大のためにミラノに支店を出しました。

 

 Arcobaleno 1  Arcobaleno b   Arcobaleno (1973)

     60年代前半            60年代後半            70年代

 

 この60年代前半はナポリ地元の音楽を出しています。主な歌手は64年(第12回)ナポリ音楽祭で“無益に(INUTILMENTE)”、65年(第13回)ナポリ音楽祭で“あなたを愛するひと(UNO A TE VO' BENE)”で入賞したニーノ・ソプラノ(Nino Soprano)、他社所属時代に4度ナポリ音楽祭に出場したルチアーノ・ルアルディ(Luciano Lualdi)、ニーノ・マルレッティ(Nino Marletti)、ジャンニ・レストゥッチ(Gianni Restucci)、65年代後半になるとエンツォ・ヴィターレ(Enzo Vitale)が、そしてナポリ以外の歌手はエンリコ・ムジアーニ(Enrico Musiani)がいました。

 

 60年代末にはナポリの本社を閉め、ミラノに本拠地を移しました。アリストンがディストリビューターにしていた71年に、イヴァン・グラツィアーニ(Ivan Graziani)たちが結成したアノニマー・サウンド(Anonima Sound)がCBS、ヌメロ・ウーノを経て移籍し、シングルとアルバムを作りました。

 

 72年、60年代半ばサン・マルタンからデビューし中堅レーベルを渡り歩いていたリオネッロ(Franco Lionello)が移籍してきて、これを機にディストリビューターをリコルディに変更、73年サンレモ音楽祭の出場権を得ました。リオネッロの歌った“異国の女(Straniera straniera)”は15位ながら入賞を果たしました。メジャー・レーベルの寡占状態のなかマイナーが入賞を果たすことは、珍しいことでした。

 

 私の持つ資料も少ないのですが、このサンレモ音楽祭出場の事以降ネット上でもアルコバレーノに関する情報が無くなります。

 

                Lionello            Figlie del Vento       

                  リオネッロ (ARCOBALENO)             風の娘達 (CAR JUKE BOX)

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 62 1972年-2

 これまでのダブル・キャスト制からシングル・キャスト制に変え、新曲フェスティヴァルであるサンレモの権威を保つ方法は如何にしたのか?

 新人コンテストでダブル・キャストが出来なかった第6回(56年)を参考にし、ヨーロッパの著名なオーケストラを招き、出場曲全曲を演奏してもらいました。56年はイギリスのジョージ・メラクリーノ楽団でしたが、72年はフランスのフランク・プールセル楽団を招聘しています。

 

 外国人歌手の2歌手、68年優勝したブラジルのロベルト・カルロス、前年8位入賞のアグアヴィーヴァはいずれも入賞できませんでした。そもそもダブル・キャスト制で外国人歌手はイタリア人にない個性で歌う、イタリア人の苦手なコーラスで歌うことで存在意義があるわけで、シングル・キャスト制でイタリア人歌手の枠を使ってまで必要かと言うことになります。この大会以降は外国人の出場は減り、記念大会でダブル・キャスト制になった場合は多くの外国人が出場することになります。

 

 

       CI-20331       FRANCK POURCE         

        カルラ・ビッシ (Carosello)      フランク・プゥルセル (V.d.P.)

 

 歌手の世代交代も進みリタ・パヴォーネは入賞できず、72年を最後にサンレモ音楽祭から撤退、ピノ・ドナッジョも参加に止まり、74年と75年に各2曲の提供をしますが、歌手としてのサンレモは最後となりました。その後80年に復活するボビー・ソロも2度の優勝した実績にも拘らず入賞できず、歌手としての存在すら危うくなります。

 

 反対にカルラ・ビッシは70年代半ばからアリーチェ・ヴィスコンティ(Alice Visconti)の名前でカンタウトゥオリーチェとして成長し、80年奇才フランコ・バッティアート(Franco Battiato)のプロデュースの下アリーチェとして再出発し、81年サンレモ音楽祭に優勝しました。80年代、90年代を代表するイタリア女性歌手として活躍します。

 

 

第22回 1971年2月24日()~2月26日() ンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、シルヴィア・コシャーナ (Sylva Koscina)、パオロ・ヴィッラッジョ(Paolo Villaggio)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エリオ・ジガンテ (Elio Gigante)
形式:出場曲数28曲を第1夜、第2夜に14曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は28歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場9歌手(内外人歌手は無し)、出場レコード会社13社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が2社、EMIイタリアーナ・グループに属するレコード会社が1社、サン・マルタン・グループに属するレコード会社(本体の参加はなし)1社が含まれています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA []

FONIT CETRA 6[]FONIT CETRA 2[0]CAROSELLO 3[] KING UNIVERSAL[]

CBS SUGAR [] CGD []CBS []

RICORDI []

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

EMI Italiana []EMI Italiana []PDU[]

RI-FI []

ARISTON []

SAAR[0]

Saint Martin []SIDET[0)

 

 

 

 <参加曲>

友達の恋人 Amici mai Argante - Caviri出版社出版社RCA - AMICI DEL DISCO リタ・パヴォ- (vf) Rita Pavone RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3640 [45]

 

PM-3640PM-3640    CI-20313CI-20313 

 

哀愁の日々 Ci sono giorni V.Pallavicini - P.Donaggio出版社出版社ACCORDO (CURCI Gr.)  ピノ・ドナッジォ (vm) Pino Donaggio Carosello – Fonit CetraCI-20313 [45]

 

チャオ・アミコ・チャオ Ciao amico ciao P.Minellono - M.Remigi出版社出版社CURCI (CURCI Gr.) アグアヴィ-ヴァ (compl=sp) Aguaviva Carosello – Fonit CetraCI-20315 [45]

 

CI-20315CI-20315   AR-0537AR-0537a 

 

すてきだったあの人 Era bello il mio ragazzo P.P.Preti - G.Guarnieri出版社出版社ARISTON (ARISTON) アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici Ariston – AristonAR-0537 [45]

 

原生の森 La foresta selvaggia P.Limiti - C.Cavallaro出版社出版社 CANZONI MODERNE(SUGAR Gr.) - PDU マリ-ザ・サケット (vf) Marisa Sacchetto PDU – EMI ItalianaP.A.-1071 [45]

 

P.A.-1071PA-1071  RFNNP-16471RFN・NP-16471 

 

よそ者 Forestiero S.Scandolara -S.Bardotti - C.Castellari出版社出版社 RI FI Mus. ミケ- (vm) Michele RI FI – RI FIRFNNP-16471 [45]

 

◆愛の中のネコ (青の中のネコ) Un gatto nel blu (T.Savio) 出版社出版社 APRIL Mus. (SUGAR Gr.) ロベルト・カルロス (vm=br) Roberto Carlos CBS CBS Sugar7842(CBS) [45]

 

7842(CBS)7842(CBS)   CI-20314CI-20314 

 

さよならを云った心 Il mio cuore se ne va Spiker - .Remigi) 出版社出版社D'ANZI (CURCI Gr.) カルラ・ビッシ {アリ-チェ} (vf) Carla Bissi {Alice} Carosello – Fonit CetraCI-20314  [45]

 

◆愛をもう一度 Per amore ricomincerei 出版社出版社 BELRIVER デリア (vf) Delia Columbia EMI Italiana3C006-17812 [45]

 

3C006-178123C・006-17812  RR-1063RR-1063 

 

私を盗んで Portami via L.Medini - M.Meiller) 出版社出版社SIDET(SIDET Gr.) アンジェリカ (vf) Angelica Radio Records – Saiint MartinRR-1063  [45]

 

祈り Preghiera T.Cucchiara) 出版社出版社SAAR (SAAR Gr.) トニ-・クッキア- (vm) Tony Cucchiara Joker – SAARM-7119 [45]

 

M-7119M-7119   SRL-10665SRL-10・665 

 

嘆き Rimpianto L.Albertelli - E.Riccardi) 出版社出版社R.R.R. ボビ-・ソロ (vm) Bobby Solo Ricordi – Dischi RicordiSRL-10665 [45]

 

◆男と犬 L'uomo e il cane 出版社出版社 ESEDRA – VITTORIA (SIDET Gr.) ファウスト・レア- (vm) Fausto Leali (Philips – Phonogram6025-049 [45]

 

6025-0496025-049   2060-0292060-029 

 

◆イギリス旅行 Un viaggio in Inghilterra 出版社出版社 PEGASO(RICORDI Gr.) ヌオビ・アンジェリ,{イ・} (compl) Nuovi Angeli,{I} Polydor Phonogram2060-029 [45]

 

 

参加曲は以上で終了です。

 


 

 マルチェラもすぐにスター歌手となり70年代、80年代を代表する女性歌手として活躍しますが、彼女に曲を提供している兄のジャンニ・ベッラ(Gianni Bella)もマルチェラの人気に伴い、注目されるカンタウトゥーリとしてカンツォーネ界で重要な位置を占めるようになります。

 

 ジェザエルはフランスでも大ヒットし、デリリウムは注目されますが重要メンバーでヴォーカル、フルート、アコースティック・ギターのイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)は72年にソロとして独立し、その後も著名なカンタウトゥーリとして活躍を続けました。

 

 最後になりましたが優勝はニコラ・ディ・バリが連続優勝の快挙をとげ、第2位のペピーノ・ガリアルディと共に同時期にSAARでメジャー・デビューした旧知の仲でした。

 

 

    Pld・A-5064   RR-1061   2060-041    

    マリ-ザ・サケット (PDU)      アンジェリカ (Radio Records) ヌオビ・アンジェリ (Polydor)

      

 

 シングル・キャスト制になり参加会社の数も減り、初参加のレコード会社はラディオ・レコーズ(RADIO RECORDS以下RRと略す)1社だけです。

 RRはエリオ・ダニエレ(Emilio Daniele)が65年にミラノに設立し、60年代から80年代に活動したレコード会社です。

 設立者でオーナーのエミリオ・ダニエルは1902年10月生、70年8月没のヴァイオリン奏者、作詞・作曲家、レコード・プロデューサー、音楽出版社オーナーで、デ・ヴェラ、ダニエレ・デ・ヴェラ(Daniele de Vera)のペンネームを使った人でした。

 彼はトリノに移り、ジュゼッペ・ ヴェルディ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、50年代のサンレモ音楽祭指揮者、芸術監督のチニコ・アンジェリーニ楽団のヴァイオリニストになりました。

 

 37年ダニエレ音楽出版(Edizioni musicali Daniele)を興します。第二次世界大戦終戦以降もチニコ・アンジェリーニ楽団に所属し、初期のサンレモ音楽祭でも演奏しました。その後ミラノに移り、新たなシデット音楽出版社グループ(Gruppo Editoriale Sidet)を創設、65年レコード会社ラディオ・レコーズとラス・ヴェガス(Las Vegas)を設立しました。ラス・ヴェガスは次の73年にジュニア・マッリがここから出場していますので、その時にお話しましょう。

 

                 SIDET    RADIO RECORD   

 

 両レコード会社は芸術監督として息子のエマヌエラ(Emanuele)に作曲家マリオ・メリエール(Mario Mellier)と作詞家ルチアーナ・メディチ(Luciana Medini)が当たり、80年代初めまで活動を続けました。主な歌手は72年サンレモ音楽祭に出場したアンジェリカ、プログレ・バンドのアンダーグラウンド・セット(The Underground Set)など、販売権はアリストン、サン・マルタン、78年以降はRCAイタリアーナに委託していました。

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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