カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 65 1973年-3

 第23回の出場候補曲は225曲の応募がありました。1曲1歌手制になったため、予め歌手たちが歌いたい曲を決め応募しております。内訳は男性歌手111人、女性歌手76人、バンド38グループでした。

 

 応募曲を職業の違う25人(ジャーナリスト5、俳優4、労働者3、会社員3、音楽家3にRAI、省庁、市町村の関係者)の選考委員が検討をします。その過程は透明性を確保するため、ジャーナリストや出版関係者の傍聴を認めました。30曲を選出し、サンレモ音楽祭出場資格与えたコンテストの勝者2人(ジルダ・ジュリアーニとアルベルト・フェーリ)の曲を加えた32曲を出場曲とします。

 

          Roberto Vecchioni         Lolita  

           ロベルト・ヴェッキオ- (DUCALE)          ロリータ (CAR JUKE BOX)

 

 

 

第23回 1973年3月8日()~10日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)、芸術助監督ブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesi
形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。

 

 

[]は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); ARCOBALENO [], SIF [] CAR JUKE BOX[])

FONIT CETRA 7[]FONIT CETRA 4[]CAROSELLO 1[] KING UNIVERSAL[] DUCALE[]

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[] SIDET[])

CBS SUGAR [] CGD []CBS [] SPLASH[]

ARISTON []

DURIUM []

SAINT MARTIN 1[]

 

 

              Mocedades         Toni Santagata 

              モセダデス (NUVOLA/ZAFIRO)          トニ・サンタガータ (CETRA)

 

 新人コンテストの勝者アルベルト・フェーリ以外のRCAイタリアーナの歌手たちが不参加になった理由は、レコード会社側が出場を辞退したのではなく、主催者側が参加を認めませんでした。

 

 出場予定歌手は “Un’Auto targata TO”のルーチョ・ダッラ(Lucio Dalla)、 “Vento caldo”のイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)、それにアントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)の名前が挙がっていました。RCAイタリアーナの親会社アメリカRCAは軍事用電子製品を生産し、ヴェトナム戦争加担企業であることを理由に出場を認めませんでした。

 

 この年から視聴者の投票はユニバック(Univac)の投票システムが採用され、審査員の投票は今までの、1票の投票方式や持ち点投票様式でなく、全ての曲を聞いた後に予め用意された10パターンの内、自分が一番良いと思う1パターンを選ぶ方式に変わりました。

 

 

              

  <参加曲>

◆エリーザ・エリーザ Elisa Elisa S.Bardotti - S.Endrigo) 出版社 USIGNOLO セルジョ・エンドリゴ (vm) Sergio Endrigo CETRA – FONIT CETRASP-1506 [45]

 

SP-1506SP-1506  HIT-2098HIT-2098

 

 

恋してるって私が Innamorata io? Al.Celentano - Chiaravalle出版社 TELCAR – LUISIANA ロリ (vf) Lolita CAR JUKE BOX – DISCHI RICORDICRJNP-1087 [45]

 

CRJNP-1087CRJ・NP-1087  1306(CGD)1306(CGD) 

 

ふしぎな気持 Mistero C.Mattone出版社 APRIL Mus. RCAジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti CGD – CBS Sugar1306(CGD) [45]

 

 

僕の世界 Mondo mio G.Conte - M.Conte出版社 R.R.R. クリスチャン・デ・シ (vm) Christian De Sica RICORDI – DISCHI RICORDISRL-10689 [45]

 

SRL-10689SRL-10・689  PM-3699PM-3699 

 

毎回思われる Ogni volta che mi pare F.Evangelisti - M.Politano' - P.Pintucci出版社 RCA - ITアルベルト・フェ- (vm) Alberto Feri RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3699 [45]

 

 

◆哀れな男 (明日に生きる)  Povero L.Medini - M.Mellier出版社 SIDETジュニア・マッリ (vm) Junior Magli Las VegasSIDET – PHONOGRAMLVS-1063 [45]

 

LVS-1063LVS-1063a  CRJNP-1088CRJ・NP-1088 

 

◆スリ・スリ・バーネ・バーネ Sugli sugli bane bane A.M.Piccioli - P.Tomellieri出版社 TELCAR - LUISIANA 風の娘達 (coro) Figlie del Vento CAR JUKE BOX – DISCHI RICORDICRJNP-1088 [45]

 

 

◆去り行く君 Vado via L.Albertelli - E.Riccardi出版社 RITMI E CANZONI ドゥルピ (vm) Drupi RICORDI – DISCHI RICORDISRL-10688 [45]

 

SRL-10688SRL-10・688  DW-1086DW-1086 

 

 

◆灰色の街 Via Garibaldi T.Santagata出版社 FONIT CETRA トニ・サンタガ (vm) Toni Santagata CETRA – FONIT CETRASP-1508 [45]

 

                  SP-1508SP-1508 

 

 

<棄権曲>

・ただ一つのチャンス L'UNICA CHANCE D.B.BESQUET - Ad.CELENTANO) 出版社 CLAN アドリアーノ・チェレンターノ (vm) Adriano Celentano CLAN CELENTANO CBS SugarCLN- 1319 [45]

 

CLN- 1319CLN- 1319   SP-1505SP-1505 

 

<失格曲>

愛なきふるさと TERRA CHE NON SENTI A.PIAZZA) 出版社 FONIT CETRA ローザ・バリストレリ (vf) Rosa Balistreri (CETRA – FONIT CETRASP-1505 [45]

 

 

1973年サンレモ音楽祭出場は以上です。

 

 

 サンレモ音楽祭は新曲コンテストで厳しい規則がありますが、出場曲の失格があります。審査員や聴衆が先入観を持たずに厳正な審査する建前で、全てがサンレモの舞台で初披露する以前に歌唱・演奏してはならない、とされています。

 

 初めての失格は57年の“美しきもの (La cosa piu' bella)”で、他社が他の歌手で事前にレコードを出したためでした、2度目のローザ・バリストレリの“愛なきふるさと”です。本人が事前の放送番組「Stasera Rosa」で歌ってしまたようです。ただこの事前歌唱のチェックが厳密に行われていたかというと、前72年の優勝曲“虹の日々(I giorni dell'arcobaleno)”や“ジェザエル(Jesahel)”も事前に放送したと言われています。

 

 バリストレリ自身、何度も投獄され、歌も反体制的であり、“愛なきふるさと”の内容も音楽祭向きでないと思われていたので、相当の政治的判断が影響していると考えられています。彼女はサンレモ市内の劇場で「貧者のための音楽会」としてワンマン・コンサートを開きました。

 

 この後92年にジョー・スクィッロ(Jo Squillo)、96年にオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)が失格、2014年にリッカルド・シニガッリア(Riccardo Sinigallia)が順位除外(失格か?)になっています。

 

 

                Bassano 1       Rosa Balistreri 2         

                    バッサーノ (vm)               ローザ・バリストレリ (CETRA)    

 

 3番目に紹介するレコード会社はサン・マルタン(Saint Martin Record)です。英語読みすればセイント・マーティンですが、当時も河合秀朋さんはサン・マルタンと言っていたので、イタリアではわざわざフランス語読みにしたものとして扱います。 前72年にはシデット(SIDET)のディストリビューターとしてサンレモ音楽祭に参加したのですが、自社歌手を出場でなかったので73年に廻しました。

 

 65年サン・マルタン音楽出版が、当時イタリアの音楽業界で盛んに行われていた、音楽出版会社がレコード会社を作る流れの中、他社と同じように音楽出版社オーナーのジーノ・カゼッリ(Gino Caselli)がミラノにレコード会社を設立しました。活動期には中堅独立会社としての位置を占めていました。

 

 最初の成功は65年、女性歌手バルバラ・ローリー(Barbara Lory)が第1回ロンバルディア音楽祭で“Sei tu Milano”を歌い優勝した事でした。次の成功はバルバラが66年カンタジーロ・ジローネB(新人部門)に“悪い月(Male di luna)”を歌い12位、バンドのフナムボリは翌年のジローネC(グループ部門)には (i Funamboli)が“反対の仮定(Ipotesi egativa,)”で、68年夏のディスク・フェスティヴァルに“Come un'ombra”で出場するなど実績を残しました。

 

      設立時Saint Martin (1965)   Saint Martin     

 

 他にサンレモ経験のあるジャンニ・マスコロアキレ・トリアーニエッダ・オルラーリ、そして73年サンレモ音楽祭に出場しているリオネッロが在籍していました。また80年代に“ワーズ(Words (Don't Come Easy))”で世界的なヒットを出したフランス人歌手F.R.デイビッド(F.R. David)もイタリア在住時代に所属していました。

 

 73年サンレモ音楽祭にバッサーノを“カラ・アミーカ”で出場させることが出来ました。レコードのリリースは70年代末まで確認できますが、それ以降の消息は不明です。

 

 そしてもう1社、ミーナのデビュー会社イタルディスクの継承会社ドゥカーレ(Ducale)です。イタルディスクは56年にダビデ・マタロン(Davide Matalon)が興し、その音楽出版社として59年12月にドゥカーレを作ります。63年ミーナが移籍でイタルディスクを離れた以降、カー・ステレオ、カセット・テープのサプライ供給が主力となります。70年代に入りレコード制作を再開しますが、音楽出版会社のドゥカーレを社名としました。同社は現在もドゥカーレ・ミュージックとして活動を続けています。

          ITAL DISC      DUCALE(d)   DUCALE

                    

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 63 1973年-1

 前年はエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)に代わりプロデューサー権限を出演する歌手の芸術監督に限定、また開催主体をサンレモ観光協会からサンレモ市の変更する大改革をしました。これも不景気で大物プロデューサーがお金を集めることが出来なくなり、自治体予算に頼らざるを得なくなったとも考えられます。

 

 1973年はサンレモ観光協会とフェスティバル・バールの発案者で司会者のヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)が共同主催することになり、その下で芸術助監督としてサンレモ音楽祭出場歌手で、その後作詞家、レコード・プロデューサーとなったブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesiが就きました。

 

 1972年サンレモ音楽祭から始まった1曲1歌手が歌うシングルキャスト制(ただし56年は新人コンテスト形式のためにシングル・キャスト)が引継がれます。この方法を補うため前年はフランク・プゥルセルを再演奏楽団指揮者として招きましたが、今回は同じくフランスのレーモン・ルフェーヴル(Raymond Lefe'vre)にその任を委ねました。

 

    Gilda Giuliani     Drupi   RAYMOND LEFE'VRE     

     ジルダ・ジュリアーニ (ARISTON)       ドゥルピ (RICORDI)     レーモン・ルフェーヴル (SIF/Riviera)

 

第22回 1973年3月8日()~10日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)とヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)、芸術助監督ブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesi
形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。

 

前年はこのため歌手の労働組合が反発し、退会寸前までストライキをして実施が危ぶまれましたが、73年は歌手組合のストライキはなかったものの、サンレモ市内部の問題で、国営放送のRAIとの紛争紛争が起こり、予選の第1夜、第2夜が放送できず、決勝戦の最終夜のみしか生放送できなかったという事態になりました。

 

 出場歌手は30歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場17歌手(内外人歌手は2歌手)、出場レコード会社17社で初出場3社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内リコルディ・グループに属するレコード会社が3社、フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が3社、CBSシュガー・グループに属するレコード会社とフォノグラム・グループに属するレコード会社が各1社含まれています。

 
          J. E. T.
     Alberto Feri       

           ジェット (DURIUM)                アルベルト・フェーリ (RCA Italiana)

 

リコルディは前年3歌手から、73年は傘下の会社を含め9歌手(内外人1を含)、反対に前年最多6歌手だったRCAイタリアーナ・グループは新人歌手1名のみ、前年6だったフォニット・チェトラ・グループは7、フォノグラムもシデットがグループに入り3から4に各1増え、CBSシュガーは総数で変わらず、アリストンが1名増え2に、前年出場時代組のドゥリウムが2名で復活、サン・マルタンは自社歌手が出場し総数は変わらず1、EMIイタリアーナ、リフィ、サールは出場せず3社で4名減となりました。

 

[]は外人歌手数

RICORDI [] (RICORDI []); ARCOBALENO [], SIF [] CAR JUKE BOX[])

FONIT CETRA 7[]FONIT CETRA 4[] CAROSELLO 1[] KING UNIVERSAL[] DUCALE[]

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[] SIDET[])

CBS SUGAR [] CGD [] CBS [] SPLASH[]

ARISTON []

DURIUM []

SAINT MARTIN 1[]

 

 今まで顔写真を出来るだけジャケット画像を使うようにしましたが、かなりの歌手でサンレモ音楽祭出場曲以外に顔が映っているジャケットが見つかりませんでした。そのため多くを雑誌に載っていた写真を使っています。また統一性を保つためすべてモノクロ写真を使いました。

 

 

              

<優勝> 失われた愛を求めて Un grande amore e niente più (F.Califano - G.Wright - G.Faiella - C.Mattone) 出版社 RCA - SPLASH <1710> ペピーノ・ディ・カプリ (vm) Peppino Di Capri SPLASH – CBS SugarSPH-1014 [45]

 

  SPH-1014SPH-1014  HIT-2100HIT-2100 

 

 

<2位> 夢に消えた詩 Come un ragazzino G.Amendola - P.Gagliardi) 出版社 INDIOS <1482> ペピ-ノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi King universal – Fonit CetraNSP-56139 [45]

 

 NSP-56139NSP-56139  HIT-2099HIT-2099

 

 

<3位> 愛遥かに Da troppo tempo (L.Albertelli - G.Colonnello) 出版社JUBAL < 1463 > ミルバ (vf) Milva RICORDI – Dischi RICORDISRL-10687 [45]

 

SRL-10687SRL-10・687   CM-  241CM- 241 

 

 

<入賞曲>

4位 愛の果実 Dolce frutto P.Minellono - U.Balsamo) 出版社出版社ILLER - USIGNOLO < 1430> リッキとポーヴェリ (coro) Ricchi e Poveri CETRA – FONIT CETRAPM-3637 [45]

 

SP-1507SP-1507  HIT-2098HIT-2098 

 

5位 待ちわびて Serena V.Pallavicini - Musikus - G.Mescoli) 出版社 ARISTON < 1413>ジルダ・ジュリアーニ (vf) Gilda Giuliani (ARISTON – ARISTONAR-0587 [45]

 

AR-0587AR-0587  HIT-2101HIT-2101 

 

 

6位 二つの恋と一つの涙 Tu nella mia vita Lubiak - P.Minellono - U.Balsamo - Arfemo) 出版社 FAMA - DURIUM < 1295> ウェスとドリ・ゲッツィ (duo) Wess & Dori Ghezzi CIRCUS – DURIUMCNA-9335 [45]

 

CNA-9335CN・A-9335  JET-2187JET-2187 

 

 

7位 さいころに生きる男 L'uomo che si gioca il cielo a dadi R.Vecchioni) 出版社 CHAPPELL <1246> ロベルト・ヴェッキオ- (vm) Roberto Vecchioni DUCALE – FONIT CETRADUC- 240 [45]

 

DUC- 240DUC- 240  6025-0856025-085

 

8位 太陽の旗 La bandiera di sole F.Leali - V.Pallavicini) 出版社 ESEDRA - VITTORIA <1226 > ファウスト・レアーリ (vm) Fausto Leali PHILIPS – PHONOGRAM6025-085 [45]

 

 

9位 アモーレ・ミオ Amore mio P.Minellono - U.Balsamo) 出版社 PEGASO <1224 > ウンベルト・バルサモ (vm) Umberto Balsamo POLYDOR PHONOGRAM)) 2060-048 [45]

 

2060-0482060-048  AR-0585AR-0585   

 

10位ふたりだけの旅 Mi son chiesta tante volte P.P.Preti - G.Guarnieri) 出版社出版社ARISTON <1197> アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici ARISTON – ARISTONAR-0585 [45]

 

 

次回の入賞曲に続きます

 

 73年初参加のレコード会社は2社アルコバレーノ(Arcobaleno )、サン・マルタン(Saint Martin)です、S...は訂正・追補で再度掲載します。まずアルコバレーノから紹介していきましょう。

 

 アルコバレーノとは虹のことで、1960年にナポリで設立された小さな会社です。設立間もなく販路拡大のためにミラノに支店を出しました。

 

 Arcobaleno 1  Arcobaleno b   Arcobaleno (1973)

     60年代前半            60年代後半            70年代

 

 この60年代前半はナポリ地元の音楽を出しています。主な歌手は64年(第12回)ナポリ音楽祭で“無益に(INUTILMENTE)”、65年(第13回)ナポリ音楽祭で“あなたを愛するひと(UNO A TE VO' BENE)”で入賞したニーノ・ソプラノ(Nino Soprano)、他社所属時代に4度ナポリ音楽祭に出場したルチアーノ・ルアルディ(Luciano Lualdi)、ニーノ・マルレッティ(Nino Marletti)、ジャンニ・レストゥッチ(Gianni Restucci)、65年代後半になるとエンツォ・ヴィターレ(Enzo Vitale)が、そしてナポリ以外の歌手はエンリコ・ムジアーニ(Enrico Musiani)がいました。

 

 60年代末にはナポリの本社を閉め、ミラノに本拠地を移しました。アリストンがディストリビューターにしていた71年に、イヴァン・グラツィアーニ(Ivan Graziani)たちが結成したアノニマー・サウンド(Anonima Sound)がCBS、ヌメロ・ウーノを経て移籍し、シングルとアルバムを作りました。

 

 72年、60年代半ばサン・マルタンからデビューし中堅レーベルを渡り歩いていたリオネッロ(Franco Lionello)が移籍してきて、これを機にディストリビューターをリコルディに変更、73年サンレモ音楽祭の出場権を得ました。リオネッロの歌った“異国の女(Straniera straniera)”は15位ながら入賞を果たしました。メジャー・レーベルの寡占状態のなかマイナーが入賞を果たすことは、珍しいことでした。

 

 私の持つ資料も少ないのですが、このサンレモ音楽祭出場の事以降ネット上でもアルコバレーノに関する情報が無くなります。

 

                Lionello            Figlie del Vento       

                  リオネッロ (ARCOBALENO)             風の娘達 (CAR JUKE BOX)

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 62 1972年-2

 これまでのダブル・キャスト制からシングル・キャスト制に変え、新曲フェスティヴァルであるサンレモの権威を保つ方法は如何にしたのか?

 新人コンテストでダブル・キャストが出来なかった第6回(56年)を参考にし、ヨーロッパの著名なオーケストラを招き、出場曲全曲を演奏してもらいました。56年はイギリスのジョージ・メラクリーノ楽団でしたが、72年はフランスのフランク・プールセル楽団を招聘しています。

 

 外国人歌手の2歌手、68年優勝したブラジルのロベルト・カルロス、前年8位入賞のアグアヴィーヴァはいずれも入賞できませんでした。そもそもダブル・キャスト制で外国人歌手はイタリア人にない個性で歌う、イタリア人の苦手なコーラスで歌うことで存在意義があるわけで、シングル・キャスト制でイタリア人歌手の枠を使ってまで必要かと言うことになります。この大会以降は外国人の出場は減り、記念大会でダブル・キャスト制になった場合は多くの外国人が出場することになります。

 

 

       CI-20331       FRANCK POURCE         

        カルラ・ビッシ (Carosello)      フランク・プゥルセル (V.d.P.)

 

 歌手の世代交代も進みリタ・パヴォーネは入賞できず、72年を最後にサンレモ音楽祭から撤退、ピノ・ドナッジョも参加に止まり、74年と75年に各2曲の提供をしますが、歌手としてのサンレモは最後となりました。その後80年に復活するボビー・ソロも2度の優勝した実績にも拘らず入賞できず、歌手としての存在すら危うくなります。

 

 反対にカルラ・ビッシは70年代半ばからアリーチェ・ヴィスコンティ(Alice Visconti)の名前でカンタウトゥオリーチェとして成長し、80年奇才フランコ・バッティアート(Franco Battiato)のプロデュースの下アリーチェとして再出発し、81年サンレモ音楽祭に優勝しました。80年代、90年代を代表するイタリア女性歌手として活躍します。

 

 

第22回 1971年2月24日()~2月26日() ンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、シルヴィア・コシャーナ (Sylva Koscina)、パオロ・ヴィッラッジョ(Paolo Villaggio)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エリオ・ジガンテ (Elio Gigante)
形式:出場曲数28曲を第1夜、第2夜に14曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は28歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場9歌手(内外人歌手は無し)、出場レコード会社13社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が2社、EMIイタリアーナ・グループに属するレコード会社が1社、サン・マルタン・グループに属するレコード会社(本体の参加はなし)1社が含まれています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA []

FONIT CETRA 6[]FONIT CETRA 2[0]CAROSELLO 3[] KING UNIVERSAL[]

CBS SUGAR [] CGD []CBS []

RICORDI []

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

EMI Italiana []EMI Italiana []PDU[]

RI-FI []

ARISTON []

SAAR[0]

Saint Martin []SIDET[0)

 

 

 

 <参加曲>

友達の恋人 Amici mai Argante - Caviri出版社出版社RCA - AMICI DEL DISCO リタ・パヴォ- (vf) Rita Pavone RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3640 [45]

 

PM-3640PM-3640    CI-20313CI-20313 

 

哀愁の日々 Ci sono giorni V.Pallavicini - P.Donaggio出版社出版社ACCORDO (CURCI Gr.)  ピノ・ドナッジォ (vm) Pino Donaggio Carosello – Fonit CetraCI-20313 [45]

 

チャオ・アミコ・チャオ Ciao amico ciao P.Minellono - M.Remigi出版社出版社CURCI (CURCI Gr.) アグアヴィ-ヴァ (compl=sp) Aguaviva Carosello – Fonit CetraCI-20315 [45]

 

CI-20315CI-20315   AR-0537AR-0537a 

 

すてきだったあの人 Era bello il mio ragazzo P.P.Preti - G.Guarnieri出版社出版社ARISTON (ARISTON) アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici Ariston – AristonAR-0537 [45]

 

原生の森 La foresta selvaggia P.Limiti - C.Cavallaro出版社出版社 CANZONI MODERNE(SUGAR Gr.) - PDU マリ-ザ・サケット (vf) Marisa Sacchetto PDU – EMI ItalianaP.A.-1071 [45]

 

P.A.-1071PA-1071  RFNNP-16471RFN・NP-16471 

 

よそ者 Forestiero S.Scandolara -S.Bardotti - C.Castellari出版社出版社 RI FI Mus. ミケ- (vm) Michele RI FI – RI FIRFNNP-16471 [45]

 

◆愛の中のネコ (青の中のネコ) Un gatto nel blu (T.Savio) 出版社出版社 APRIL Mus. (SUGAR Gr.) ロベルト・カルロス (vm=br) Roberto Carlos CBS CBS Sugar7842(CBS) [45]

 

7842(CBS)7842(CBS)   CI-20314CI-20314 

 

さよならを云った心 Il mio cuore se ne va Spiker - .Remigi) 出版社出版社D'ANZI (CURCI Gr.) カルラ・ビッシ {アリ-チェ} (vf) Carla Bissi {Alice} Carosello – Fonit CetraCI-20314  [45]

 

◆愛をもう一度 Per amore ricomincerei 出版社出版社 BELRIVER デリア (vf) Delia Columbia EMI Italiana3C006-17812 [45]

 

3C006-178123C・006-17812  RR-1063RR-1063 

 

私を盗んで Portami via L.Medini - M.Meiller) 出版社出版社SIDET(SIDET Gr.) アンジェリカ (vf) Angelica Radio Records – Saiint MartinRR-1063  [45]

 

祈り Preghiera T.Cucchiara) 出版社出版社SAAR (SAAR Gr.) トニ-・クッキア- (vm) Tony Cucchiara Joker – SAARM-7119 [45]

 

M-7119M-7119   SRL-10665SRL-10・665 

 

嘆き Rimpianto L.Albertelli - E.Riccardi) 出版社出版社R.R.R. ボビ-・ソロ (vm) Bobby Solo Ricordi – Dischi RicordiSRL-10665 [45]

 

◆男と犬 L'uomo e il cane 出版社出版社 ESEDRA – VITTORIA (SIDET Gr.) ファウスト・レア- (vm) Fausto Leali (Philips – Phonogram6025-049 [45]

 

6025-0496025-049   2060-0292060-029 

 

◆イギリス旅行 Un viaggio in Inghilterra 出版社出版社 PEGASO(RICORDI Gr.) ヌオビ・アンジェリ,{イ・} (compl) Nuovi Angeli,{I} Polydor Phonogram2060-029 [45]

 

 

参加曲は以上で終了です。

 


 

 マルチェラもすぐにスター歌手となり70年代、80年代を代表する女性歌手として活躍しますが、彼女に曲を提供している兄のジャンニ・ベッラ(Gianni Bella)もマルチェラの人気に伴い、注目されるカンタウトゥーリとしてカンツォーネ界で重要な位置を占めるようになります。

 

 ジェザエルはフランスでも大ヒットし、デリリウムは注目されますが重要メンバーでヴォーカル、フルート、アコースティック・ギターのイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)は72年にソロとして独立し、その後も著名なカンタウトゥーリとして活躍を続けました。

 

 最後になりましたが優勝はニコラ・ディ・バリが連続優勝の快挙をとげ、第2位のペピーノ・ガリアルディと共に同時期にSAARでメジャー・デビューした旧知の仲でした。

 

 

    Pld・A-5064   RR-1061   2060-041    

    マリ-ザ・サケット (PDU)      アンジェリカ (Radio Records) ヌオビ・アンジェリ (Polydor)

      

 

 シングル・キャスト制になり参加会社の数も減り、初参加のレコード会社はラディオ・レコーズ(RADIO RECORDS以下RRと略す)1社だけです。

 RRはエリオ・ダニエレ(Emilio Daniele)が65年にミラノに設立し、60年代から80年代に活動したレコード会社です。

 設立者でオーナーのエミリオ・ダニエルは1902年10月生、70年8月没のヴァイオリン奏者、作詞・作曲家、レコード・プロデューサー、音楽出版社オーナーで、デ・ヴェラ、ダニエレ・デ・ヴェラ(Daniele de Vera)のペンネームを使った人でした。

 彼はトリノに移り、ジュゼッペ・ ヴェルディ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、50年代のサンレモ音楽祭指揮者、芸術監督のチニコ・アンジェリーニ楽団のヴァイオリニストになりました。

 

 37年ダニエレ音楽出版(Edizioni musicali Daniele)を興します。第二次世界大戦終戦以降もチニコ・アンジェリーニ楽団に所属し、初期のサンレモ音楽祭でも演奏しました。その後ミラノに移り、新たなシデット音楽出版社グループ(Gruppo Editoriale Sidet)を創設、65年レコード会社ラディオ・レコーズとラス・ヴェガス(Las Vegas)を設立しました。ラス・ヴェガスは次の73年にジュニア・マッリがここから出場していますので、その時にお話しましょう。

 

                 SIDET    RADIO RECORD   

 

 両レコード会社は芸術監督として息子のエマヌエラ(Emanuele)に作曲家マリオ・メリエール(Mario Mellier)と作詞家ルチアーナ・メディチ(Luciana Medini)が当たり、80年代初めまで活動を続けました。主な歌手は72年サンレモ音楽祭に出場したアンジェリカ、プログレ・バンドのアンダーグラウンド・セット(The Underground Set)など、販売権はアリストン、サン・マルタン、78年以降はRCAイタリアーナに委託していました。

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 61 1972年-1

 前年のサンレモ音楽祭の2大ボス、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)とエツィオ・ラダエッリ(Ezio Radaelli)の共同開催でしたがエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)に代わり、プロデューサー権限を出演する歌手の芸術監督に限定、また開催主体をサンレモ観光協会からサンレモ市の変更する大改革をしました。これも不景気で大物プロデューサーがお金を集めることが出来なくなり、自治体予算に頼らざるを得なくなったとも考えられます。

 

 1972年サンレモ音楽祭の最大の特徴は第3回目(53年)から始まった1曲を2歌手が歌うダブル・キャスト制(ただし56年は新人コンテスト形式のためシングルキャスト)が、1曲1歌手が歌うシングルキャスト制に変更されたことです。

 これも60年代後半から続くイタリア経済の停滞と不景気で、予算削減のため音楽祭の規模を縮小せざるを得なくなったことによります。出場曲が28曲で出場歌手は4割減となり、彼らにとって死活問題です。

 

 クラウディオ・ビルラや近年サンレモ音楽祭で圧倒的な勢力となったRCAイタリアーナの歌手、中でもルチオ・ダルラは32曲に増やしロザリーノの参加を要求、歌手ユニオンも猛烈な抵抗をしサンレモ音楽祭前に無期限ストライキに入り、他産業の労働組合と連帯しゼネ・ストさえしかねない状況となりました。主催者側は歌手達の要求を入れ、日曜に特別な4日目のステージを設け、参加できなかった歌手を歌わせる妥協案を受けストを中止します。



             PSL-10569        CGD-69028  

        ジャンニ・モランディ (RCA Italiana)    マルチェラ (CGD)

 

 1曲1歌手の歌唱に変更されたことにより、出場曲の選出方法も変更されました。170歌手が1曲づつ選考会に招待されました。102歌手がそれに応じ、サンレモ市長が議長となり、Cisl Fuls(イタリア労働者組合連盟エンターテイメント単一労働組合)の代表者、ジャーナリストのロベルト・ジェルヴァーゾ(Roberto Gervaso)、作詞家マリオ・ソルダーティ(Mario Soldati )と作曲家ピッポ・バルジッツァ(Pippo Barzizza)が選考し28曲を選びました。

 

 

第22回 1971年2月24日()~2月26日() ンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、シルヴィア・コシャーナ (Sylva Koscina)、パオロ・ヴィッラッジョ(Paolo Villaggio)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エリオ・ジガンテ (Elio Gigante)
形式:出場曲数28曲を第1夜、第2夜に14曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は28歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場9歌手(内外人歌手は無し)、出場レコード会社13社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が2社、EMIイタリアーナ・グループに属するレコード会社が1社、サン・マルタン・グループに属するレコード会社(本体の参加はなし)1社が含まれています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA []

FONIT CETRA 6[]FONIT CETRA 2[0]CAROSELLO 3[] KING UNIVERSAL[]

CBS SUGAR [] CGD []CBS []

RICORDI []

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

EMI Italiana []EMI Italiana []PDU[]

RI-FI []

ARISTON []

SAAR[0]

Saint Martin []SIDET[0)

 

 

              

<優勝> 虹の日々 I giorni dell'arcobaleno F.Migliacci -C.Mattone出版社 RCA - AMICI DEL DISCO <343> ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3639 [45]

 

 PM-3639PM-3639 SS-2169SS-2169 

 

 

<> すみれのように Come le viole G.Amendola - P.Gagliardi出版社 INDIOS - USIGNOLO <168> ペピノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi King universal – Fonit CetraNSP-56131 [45]

 

 NSP-56131NSP-56131 HIT-2005HIT-2005 

 

 

<> 愛の真実 Re di denari F.Migliacci - C.Mattone出版社RCA - AMICI DEL DISCO <141 > ダ (vf) Nada RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3642 [45]

 

PM-3642PM-3642   SS-2170SS-2170 

 

 

<入賞曲>

青春の汗 Vado a lavorare F.Migliacci - Petaluma - M.Marrocchi - V.Tariciotti出版社出版社RCA - AMICI DEL DISCO <139>ジャンニ・モランディ (vm) Gianni Morandi RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3637 [45]

 

PM-3637 PM-3637  SS-2171SS-2171 

 

恋の忘却 Non voglio innamorarmi mai G.Bigazzi - M.Signorini出版社 DI LAZZARO (SUGAR Gr.) <114 > ジャンニ・ナザロ (vm) Gianni Nazzaro CGD – CBS Sugar7845(CGD) [45]

 

7845(CGD)7845(CGD)  HIT-2003HIT-2003 

 

 

ジェザエル Jesahel I.Fossati - O.Prudente出版社 UNIVERSALE (NUMERO UNO Gr.) - USIGNOLO < 106 >デリリウム (compl) Delirium Fonit – Fonit CetraSPF-31293 [45]

 

SPF-31293 SPF-31293  HIT-2006HIT-2006   

青い山脈 Montagne Verdi G.Bigazzi - G.Bella出版社 MELODI (SUGAR Gr.) <84>マルチェラ (vf) Marcella CGD – CBS Sugar7846(CGD) [45]

 

7846(CGD)7846(CGD)  HIT-2004HIT-2004   

 

 

グランデ広場 Piazza Grande G.Bardotti - S.Baldazzi - L.Dalla - R.Cellammare出版社 RCA - AMICI DEL DISCO <68> ルチオ・ダルラ (vm) Lucio Dalla RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3638 [45]

 

                        PM-3638PM-3638 

 

 

 

恋よまわれ Gira l'amore (caro bebé) M.Panzeri - D.Pace出版社 SUVINI ZERONI (SUGAR Gr.) <67> ジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti CGD – CBS Sugar7847(CGD) [45]

 

7847(CGD) 7847(CGD)  HIT-2002HIT-2002   

 

10 好きなんだ Ti voglio D.Pieretti - Rickygianco出版社出版社FAMA (G.RICORDI Gr.) <63> ドナテッロ (vm) Donatello Ricordi – Dischi Ricordi SRL-10662 [45]

 

SRL-10662SRL-10・662 KW-2006KW-2006 

 

11 桜の少女 Un diadema di ciliegie R.Bertola - A.Sotgiu出版社 USIGNOLO <57>リッキとポヴェリ (coro) Ricchi e Poveri Cetra – Fonit CetraSP-1469 [45]

 

SP-1469SP-1469  HIT-2006HIT-2006 

 

 

12 地中海のバラ Mediterraneo L.Albertelli - E.Riccardi出版社 RITMI E CANZONI <43>ミルバ (vf) Milva Ricordi – Dischi Ricordi SRL-10660 [45]

 

SRL-10660SRL-10・660  KW-2006KW-2006 

13 瞳にしびれて Se non fosse fra queste mie braccia, lo inventerei L.Beretta - E.Suligoj出版社 ESEDRA <38> ララ・サン・ポル (vf) Lara Saint Paul Polydor – Phonogram2060-030 [45]

 

2060-0302060-030  KW-2006KW-2006   

 

 

14 街をけっとばせ Un calcio alla città R.Pazzaglia - M.Castellacci - D.Modugno出版社 RCA - INTERLANCIO <28>ドメニコ・モドゥニョ (vm) Domenico Modugno RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3641 [45]

 

                        PM-3641PM-3641 

 

次回は参加曲に続きます

 

 

 最後のアンチ・サンレモとされていたジャンニ・モランディは69年70年と最終段階まで名前が挙がっていましたが、未だ出場していませんでした。今回も102歌手の中に名前が挙がり、モランディは“Ricordo una canzone”を希望してのですが、この曲はナーダが提出してきた曲でした。彼の第二候補はルチオ・ダルラの“グランデ広場”でタイトルを“Canal Grande”に変えたいとう要望でしたが、ルーチョ・ダッラは自分で歌いたいとして、この望みも叶いませんでした。最終的に出場曲は“青春の汗”で決定し、Ricordo una canzone”はマリーザ・サンニアに回りましたが、曲自体が選ばれませんでした。

 

 名前が出ながら出場できなかったのはジョニー・ドレルリ“Bugiado amore mio”、ペピーノ・ディ・カプリ“失った金の鎖”(夏のディスクに)、トニー・レニス“Dai San Pietro lascialo passare” 、スペインのフリオ・イグレシアス“Mille amori”、ほかにロザリーノ、オリエッタ・ベルティ、クラウディオ・ビルラの名前も挙がりましたが最終的に削られました。

 

 

      SPF-31284  3C・006-17783   Tony Cucchiara         

       デリリウム (Fonit)         デリア (Columbia)      トニー・クッキアーラ (Joker)

      

 

 期待のジャンニ・モランディは「出場すれば優勝」視されていましたが、サンレモはそう甘くなく4位止まりで精彩を欠きました。話題になったのがジャズ・ロックのデリリウムとシチリア出身のマルチェラでした。審査員の選定も大きく方針を変え、レコード・セールスの担い手である若者の好みを反映させ、入賞曲ではララ・サン・ポールを除く13歌手が年間ヒット・ランク100位以内のランク・イン(他の音楽祭に有力な曲が少なかったのか)、反対に参加曲は1曲もランク・インせず大きな番狂わせのない結果が出ました。

 

 以下1972年サンレモ音楽祭入賞曲の年間ヒット・ランキングに入った順位です。

“虹の日々” ニコラ・ディ・バリ27位、“すみれのように” ペピーノ・ガリアルディ39位、“愛の真実” ナータ30位、“青春の汗” ジャンニ・モランディ43位、“恋の忘却” ジャンニ・ナザーロ50位、“ジェザエル” デリリウム10位、“青い山脈” マルチェラ21位、“グランデ広場” ルチオ・ダルラ57位、“恋よまわれ” ジリオラ・チンクェッティ37位、“好きなんだ” ドナテッロ47位、“桜の少女” リッキとポーヴェリ80位、“地中海のバラ” ミルバ92位、“街をけっとばせ” ドメニコ・モドゥーニョ75位。

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 60 1971年-3

 前年歌手ユニオンの圧力で極端に外人歌手が排除された反動か、第21回は初参加5歌手を含む7歌手が出場すると言う緩和策がとられました。成功したのは盲目のヒスパニック歌手ホセ・フェリシーノでした。

 

         Maurizio & Fabrizio          SRL-10・650 (Lorenza Viscont)    

      マウリツィオ & ファブリツィオ (CBS)         ロレンツァ・ヴィスコンティ (RICORDI)

 

 イタリアでの70年代のヒット曲は日本人の抱いているカンツォーネのイメージと異なってきます。第21回出場曲の年間ヒット・ランクに入った曲と順位は次の通りです。

 

 ルチオ・ダルラがトップの年間ヒット・ランク9位(エキペ84が87位)。日本では優勝曲“恋のジプシー”は圧倒的にナーダですが、彼女は51位、作者ニコラ・ディ・バリが16位。次がチェレンターノ17位、ホセ・フェリシーノ21位(リッキ&ポーヴェリ59位)、アル・バーノ39位、チンクェッティ50位、ドナテッロ54位、モドゥーニョ60位、ドン・バッキー66位、リトル・トニー75位(フォルムラ・トレ77位)というセールスう結果でした。

 

 

第21回 1971年2月25日()~2月27日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:カルロ・ジュッフレ (Carlo Giuffrè)、エルザ・マルティネッリ (Elsa Martinelli)
楽団指揮: 19名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)、 ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲48の外国人歌手またはイタリア人歌手がパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場24歌手(内外人1歌手)、出場レコード会社17社で初出場2社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内RCAイタリアーナ・グループに属するレコード会社が5社、CBSシュガーのメッサージェリエ・ムジカーリ、リコルディのグループに入っている会社が各1社含まれるています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA 12[] RCA ITALIANA []、以下各1APOLLONUMERO UNOLITTLEAMICO(旧DET)、SEVEN);

CGD13[] CGD []Clan Celentano 4、 SPLASH 1);

RICORDI[] RICORDI SIF []);

ARISTON []EMI Italiana []FONIT CETRA []CAROSELLO []MIURA [0]BENTLER []

 

前年実績のRI FI [] PHONOGRAM []  DURIUM [] CAR-JUKE BOX []PDU []が不参加です。

 

                Ray Conniff        Mark & Martha

          レイ・コニフ・シンガ-ズ (CBS)        マルクとマルタ (ARISTON)     

 

 

  <参加曲>

飛行船Il dirigibile L.Albertelli - M.Fabrizio出版社 PEGASO(RICORDI Gr.) - COME IL VENTO アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici ARISTON – ARISTONAR-0503 [45] アントワ (vm=f) Antoine VOGUE – RICORDIVG-87020 [45]

 

  AR-0503AR-0503  VG-87020VG-87020 

 

 

愛の叫び Non dimenticarti di me Mogol - M.Lavezzi出版社 UNIVERSALE (NUMERO UNO Gr.) マル (vm) Mal RCA ITALIANA - RCA ITALIANAPM-3579 [45] : イ・ノマ-ディ (compl) I Nomadi COLUMBIA – EMI ITALIANA3C006-17743 [45]

 

PM-3579PM-3579 3C006-177433C・006-17743 

 

 

白と黒の瞳Occhi bianchi e neri A.Testa - M.Del Prete - E.Sciorilli出版社MASCOTTE - MARGHERITA マウ・クリスティア (vm) Pino Donaggioi CLAN – CBS SUGARBF-70003 [45] ピオ (vm)  Pio CLAN – CBS SUGARBF-70001 [45]

 

BF-70003BF-70003   BF-70001BF-70001 

 

 

春はいちどだけ L'ora giusta G.Argenio - D.Pace - M.Panzeri - C.Conti出版社 ELDORADO(GUERRINI Gr.) – FAMA(G.RICORDI Gr.) エッダ・オルラ (vf) Edda Ollari BENTLER – BENTLERBENP-5075 [45] ロレンツァ・ヴィスコンティ (vf) Lorenza Visconti (RICORDI – RICORDISRL-10634 [45]

 

BENP-5075 BE・NP-5075 SRL-10634SRL-10・634 

 

手の中の希望I ragazzi come noi G.Lombardi - A.Balducci出版社 FORMIDABLE (ARISTON Gr.) パオロ・メンゴリ (vm) Paolo Mengoli JET – ARISTOJT-4050 [45] マルクとマルタ (compl) Mark & Martha ARISTON – ARISTONAR-0501 [45]

 

JT-4050 JT-4050  AR-0501 AR-0501

 

 

◆ 聖アントニオ、聖フランシスコ Santo Antonio, Santo Franciscoo V.Pallavicini - P.Conte出版社 R.R.R. ピエロ・フォッカチャ (vm) Piero Focaccia RARE SIF (RICORDI)RARNP-77551  [45] : マンゴ・ジェリー (compl=e) Mungo Jerry PYE – RICORDIP-67030 [45]

 

RARNP-77551RAR・NP-77551 P-67030P-67・030 

 

 

君のうらぎり Lo schiaffo G.Deriu - V.Barsanti出版社 TANK (CAMPI Gr.) - ORIA FILM (IT Gr.) ヨルダン (vm) Jordan SEVEN - RCA ITALIANAJSR-121 [45] ジェンス (compl) Gens AMICO - RCA ITALIANAZF-50168 [45]

 

JSR-121J・SR-121 ZF-50168ZF-50168   

 

 

彼女の顔Il viso di lei S.Scandolari - Baracuda - V.Tempera出版社 V.d.P. ファビオ・トリオリ (vm) Fabio Trioli PARLOPHONE – EMI ITALIANA3C006-17742 [45] : イ・ジガンティ (compl) I Giganti MIURA MIURAPON・NP-40117 [45]

 

3C006-17742 3C・006-17742 PON・NP-40117PON・NP-40117 

 

 

第21回出場曲は以上です。

 

 

 

       Coro ANA Milano (CD) Coro ANA Milano

                ミラノ・アルプス合唱団 (CLAN)

 

 

 最後に紹介するのは2つのレーベルです。両方とも情報がたいへん少なく苦労しました。

 

まずスプラッシュ(SPLASH、今はナポリの超大物ポピュラー歌手ペピーノ・ディ・カプリ(Peppino di Capri)の会社です。ほぼ個人レーベル同様の会社だったので、誰もウィキペディアも書かなかったようです。

                 SPLASH  

 デビューした名門カリッシュもディ・カプリを残すのみ、69年には窮地に落ちります。彼は70年(68年説あり)独立を決め、自分の会社スプラッシュの設立をします。

 

設立から80年までCGD、その後は78年に出来たばかりのパナレコード(Panarecord)に販売権委託会社、スプラッシュも83年頃になると経営状態が悪化します。彼は85年にベビー・レコードでレコードを出し、80年代半ば販売権を再度CGDに戻しましたが、86年頃には活動を停止、販売権をポリグラムに移し、ペピーノ・ディ・カプリはポリドールの所属となります。

 

 80年代以降もスプラッシュは残り個人プロダクション化し、その後カタログにある楽曲のレコードやCDが発売されます。実際の活動面ではナポリにあるレコーディング・スタジオがシュプラッシュ・レコーディング・スタジオとして活動を続けています。

 

 ほぼ彼のワン・マン会社でしたが、販売権がパナレコードの頃には日本でもプログレ・ロックとして発売されたルーナ(LUNA)はじめトンネル(Tunnel)のロック・バンドやダイ&ジプシー(Dai E Gipsy)の盤が製作されました。

                   K22P- 155

                           

K22P-  155 (1981621SEVEN SEAS - キング) 30cmLP 火の鳥/ル-ナ

 

 

 

 

 次はセブン・レコーズ(SEVEN RECORSです。ウィキペディアでやっと探し当てましたが、こちらも資料の少ない会社です。そのレーベル・マークから「7R」と表されることがあります。

 

                   SEVEN RECORS                          

 

1967年会計士のシルヴァーノ・セラフィーノ(Silvano Serafino)がローマ中央駅(テルミニ)の北1kmの場所に設立し、芸術監督にはジュリアーノ・ファチョーニ(Giuliano Facioni)がなりました。一説には起上げに歌手リトル・トニーが力を貸したとされています。

 

最初に契約した歌手はキューバ出身の女性歌手、フランスのオランピア劇場にも出たことのある「第二のジョセフィン・ベーカー」と言われたワナーニ(WANANI)が歌った“Un male necessario”/“Come un francobollo”を68年に最初のレコードとして発売しました。

 

また女優のヌッチア・カルディナーリ (Nuccia Cardinali)、またミュージカル「ルガンティーノ」にも出演し、日本でもレコードが出ているローマの歌手ランド・フィオリーニ (Lando Fiorini)でしたが華々しいヒットはでていません。設立から70年の前半までCGDに販売の委託をしていました。

 

70年にヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)が設立したITグループ(DISCHI ITALIA EDIZIONI)が芸術監督ジュリアーノ・ファチョーニを残留させ国内販売権を獲得しました。

IT自体RCAイタリアーナの傘下に入っており、セブン・レコーズはRCAの孫会社となります。70年ミコッチが見出したヨルダンのデビューはITでしましたが、セブン・レコーズに移籍させ、71年サンレモ音楽祭に出場させました。

 

しかしヒットが出せず、72年までレコード発売の記録はありますが、70年代半ばで活動停止したようです。

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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