カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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1964年サンレモ音楽祭 パトリシア・カルリ「夢みる想い」

 

 この季節、サンレモ音楽祭のむかし話になります。そういえばこの時期ベニスのカーニバルもしていますね。

 

 2月21日と23日に1966年サンレモ音楽祭の優勝曲のお話をしましたので、我々"団塊の世代"でカンツォーネの出発点となった1964年優勝曲「夢みる想い」をいたしましょう。とは云えヘソ曲がりの私、そう簡単にはおジリオラ・チンクェッティには至りません。

 

 と言うことで、日本では極めて情報の少ないパートナーのパトリシア・カルリを取り上げましょう。

国内盤はこのシングル盤HIT-1449(1967. 7.20 SEVEN SEAS - キング)"しあわせのマーチ(LA MARCHE DU BONHEUR)/恋をもう一度(ENCORE UNE FOIS)" 1枚しか出ていないのではないでしょうか? 私も彼女の顔写真がほしくて発売当時の買ったのですが、それ以来見たことがありません。

 

                                 HIT-1449 HIT-1449

 パトリシア・カルリ(PATRICIA CARLI)1938年(1943年説もあり)3月12日イタリアのタラント(Taranto 長靴の土踏ず辺り)生まれ。アダモやロッコ・グラナータと同じように1951年ベルギーへの移民となりました。61年歌手になる夢を持ちパリに行くものの成功せず、ベルギーに戻り作詞や作曲の勉強をしました。再びパリに出て、63年2曲目となる"Demain Tu Te Maries"がヒットし、その9月にはオランピア劇場に出演することができました。

 翌64年1月生まれ故郷のイタリアのサンレモ音楽祭で、ジリオラ・チンクェッティのパートナーとして「夢みる想い」を歌い優勝しました。その後は60年代後半からライターとしての仕事が中心となりますが、2000年に最後のアルバムをリリースし、その後コート・ダ・ジュールで余生を過ごしているようです。[1]

 

 彼女はシャンソンのライターとして日本では知られていますが、歌手としてはほとんど知られていないはずです。ライターとしてのことは、私がブログを始めるきっかけとなった"ルゼル"さんのブログを見ていただければと思います。

http://plaza.rakuten.co.jp/ruzerukabu/diary/200903060005/ 

http://plaza.rakuten.co.jp/ruzerukabu/diary/200903060006/

http://plaza.rakuten.co.jp/ruzerukabu/diary/201106030001/

 

 さて、1964年はサンレモ音楽祭にとっても大切な年になりました。外人歌手の参加が始まったのです。正式に言うとイタリア人歌手と外国人歌手がパートナーとなって歌うことになったのです。(65年は全曲。66年からはイタリア人歌手の不満が多く、一部の曲はイタリア人どうしの組合わせに改められました。)

 厳密に言うと外人の参加はその前にもありました。1961年のロッコ・グラナータ(ROCCO GRANATA)[2]が "カロリーナ・ダイ(CAROLINA DAI)"で入賞し、1962年のワルター・トレブルーノ(WALTER TOREBRUNO)[3]が "あなたも私も捉まえる(Pesca tu che pesco anch'io)"を歌って参加しています。

 

 パトリシア・カルリは優勝した「夢みる想い」と参加曲にとどまった「しあわせな恋」を歌いました。シングル盤は「夢みる想い」がフランス語、「しあわせな恋」がイタリア語で収録されています。フランスでも全く同じカップリングで発売されたようです。彼女の「夢みる想い」のイタリア語ヴァージョンが出たかは確認できていません。

BA-11001(1964. 1. BEL AIR - CGD,Italy) "夢みる想い [仏](NON HO L'ETA PER AMARTI [F] -  JE SUIS A' TOI)/しあわせな恋(COSI' FELICE)"

 

 BA-11001[伊盤]BA-11001 111・114[仏盤]111・114

 

 2003年フランスのユニヴァーサルから出たCDにイタリア語ヴァージョンが収録されていますので、最後にこの盤を紹介しておきましょう。

 

                064-470・2064-470・2                         


064-470
・2(2003.  U.L. MTV MARKET - UNIVERSAL Mus.,EU

"TENDRES ANNE'ES 60/PATRICIA CARLI"

1.JE SUIS A' TOI (NON HO L'ETA PER AMARTI [F] 夢みる想い [仏])
2.DEMAIN TU TE MARIES
3.LA DE'COUVERTE
4.NON HO L'ETA' PER AMARTI (夢みる想い)
5.NOUS ON S'AIME
6.QU'ELLE EST BELLE CETTE NUIT
7.L'AMOUR EN CAGE
8.J'AI BESOIN DE TOI
9.QUE VOIS-TU GITAN
10.VIRGINIA
11.E NE VOUDRAIS PAS PLEURER
12.C'EST DIFFICILE (NON E FACILE AVER 18 ANNI [F] 18じゃ、ダメね[仏])
13.IL TE RESTA MA ME'LODIE
14.HEUREUX DE VIVRE (COSI' FELICE [F] しあわせな恋 [仏])
15.ACCUSE'E LEVEZ-VOUS
16.NOUS SOMMES LA'
17.HIER J'AI RENCONTRE' MA ME'RE
      (IERI HO INCONTRATO MIA MADRE [F] 悲しみのママ [仏])
18.L'AMOUR VA TOUJOURS
19.TROIS FOIS RIEN

 

 

注[1] パトリシア・カルリの経歴はHIT-1449の解説、

ウィキペディア・フランス版(http://fr.wikipedia.org/wiki/Patricia_Carli)、

ウィキペディア・イタリア版(http://it.wikipedia.org/wiki/Patricia_Carli

を参考にしました。

 

注[2] ロッコ・グラナータはイタリアの移民でベルギーの歌手。"マリーナ(MARINA)"という世界的ヒット曲をもっている。イタリアではイタリア人歌手の扱いを受けていたようです。機会があれば、このブログで紹介したいと思っています。

 

注[3] ワルター・トレブルノ、スペイン人歌手、タレントで若いころローマで活躍していたようです。イタリアで成功した後、スペインにもどり、ビートルズのスペイン公演の司会をしたことで有名になったと聞いています。




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ミミとナナの「ママとパパのテレビ/お部屋でデート」

 

 分からずに、永年探しまわっていたものを見つけた時、“喜び”と“虚しさ”の両方を味わうものです。

 今日ミミ(MIMI’)の「ママとパパのテレビ(INSIEME (TELEVISIONE CON MAMMA E PAPA'))/お部屋でデート(LONTANI DAL RESTO DEL MONDO)」を肴に書こうと思い、“オサライ”をしておりました。

               HIT-1014HIT-1014  

                
 まずミミなる歌手の説明から、国内シングル盤HIT-1014(1964. 2.20)が発売されました。この無名の新人歌手が後にイタリアを代表する大歌手、ミア・マルティーニ(MIA MARTINI)に化けていきます。ミア・マルティーニの話はまた別の機会にするとして、このシングル盤の2曲の話をいたしましょう。

 余計なおせっかいですが、ミミ(ミミ・ベルティあるいはミア・マルティーニ)のシングル盤がかの有名な“ジス・ポーイ”でセット・価格にて売出されています。多分適正価格なのでしょう。ジス・ボーイのサイトから商品検索で入って「ママとパパのテレビ」で検索して見てください。 売り切れてなければの話ですが!(2012年2月22日現在)

 イタリアの原盤はCAR-JUKE BOXのデビュー・シングルJN-2273(1963年)“I miei baci non puoi scordare/Lontani dal resto del mondo” とセカンド・シングルJN-2279(1963年)Insieme/Let me tell you ”から1曲ずつ取られて作られました。

JN-2273JN-2273  JN-2279JN-2279     

 かなり早い時点で裏面の「お部屋でデート」はイーディ・ゴーメとスティーヴ・ローレンスの「お部屋でデイト(I WANT TO STAY HERE)」LL-489・C(1963.12.  CBS COLUMBIA - 日本コロムビア)であることがわかっておりました。日本題はほぼそのままですから。


                        LL-489・C LL- 489・C            
 
 

問題は表の「ママとパパのテレビ」でした。イギリスのビリー・ヒューリー(BILLY FURY)であることはある程度以前にわかっていましたが、曲名が判明しませんでした。この曲がビリー・ヒューリーが歌う「想い出の浜辺(IN SUMMER)」HIT- 266(1963.12.  LONDON - キング)であったことが、今日 Web検索で分かりました。余りにも明快であっけのない幕切れでした。下記のアドレスで見てください。

Mimi Berte (Mia Martini) Insieme / Billy Fury In summer (http://www.youtube.com/watch?v=b84i-Skymaw

ビリー・ヒューリーの事をシングル盤コレクターの I さんに尋ねたところ、そう珍しい盤でもないと言う返事が返ってきました。しかもジャケット画像を頂きましたので追加します。

                                  HIT- 266HIT- 266

 この2曲は日本語のカヴァーがあります。ミミと同じセットで木の実ナナが歌っています。“ママとパパのテレビ/お部屋でデ-ト” EB-7262 (1964. 2.  KING - キング) 3枚ともキングから発売されていたのに、何故わからなかった!ですが、日本題に余りにも注目しすぎていたためでした。“INSIEME”と“IN SUMMER”語感からすると近く、訳詞で載せやすかったのでしょう。そこに気がつきませんでした。

 

                               EB-7262 EB-7262  


 ご参考としてミミ・ベルテ時代の曲を集めたイタリア盤CDを紹介します。出た当時私の友人がイタリアから取寄せMDにしてもらったのですが、3年前ヤフ・オクに出ましたので落札しました。 運が良ければ福井や神奈川のイタリア物を多く扱っている出品者にお願いすると、入手できるかもわかりません。

52・OSM-010 (1996. ON SALE MUSIC - ITALO GNOCCHI,Italy)
 “MIMI' BERTE'”
COME PUOI FARLO TU
NON PENTIRTI DOPO (チェイン・ギャング [伊])
ED ORA CHE ABBIAMO LITIGATO
EVVIVA IL SURF
SE MI GIRA L'ELICA
IL MAGONI
MI DICONO
LONTANI DAL RESTO DEL MONDO (お部屋でデート [伊])
I MIEI BACI NON PUOI SCORDARE (恋に弱い子 [伊])
LA PRIMA RAGAZZA
INSIEME (TELEVISIONE CON MAMMA E PAPA') (ママとパパのテレビ)
LET ME TELL YOU
SAMBA DI UNA NOTA (ワン・ノート・サンバ [伊])
SOLAI
DESAFINADO (デザフィナード)
OMBRELLO BLU

52・OSM-01052・OSM-010  PCD-1541 PCD- 1541    
        

 日本語カヴァーの入っている木の実ナナのCDベスト盤。 このCD自体も入手困難かもしれません。

PCD- 1541(1997. 3.25 P-VINE - P-ヴァイン)

 “木の実ナナ/いとしのナナ”
ティーンエイジ・クレオパトラ[日] (TEENAGE CLEOPATRA [J])
太陽の下の18才[日] (GO-KART TWIST [J])
ジュディー・ジュディー[日] (JUDY, JUDY JUDY [J])
アイスクリ-ム・ジョー[日] (ICE REAM JOE [J])
ママとパパのテレビ [日] (INSIEME (TELEVISIONE CON MAMMA E PAPA') [J])
お部屋でデート [日] (LONTANI DAL RESTO DEL MONDO [J])
テル・ミー・ママ [日] (TELL ME, MAMMA [J])
日曜日の恋人[日] (SUNDAY LOVER [J])
東京キカンボ娘
かわいいキューピー
子象の行進 [日] (BABY ELEPHANT WALK [J])
ホイ・ホイ・ルック
ポッ・ポ・ポパイ[日] (POP POP POP-PIE [J])
マンハッタン・スキャンダル [日] (THE ROARING TWENTIES [J])
おじちゃまハイ
サタデイ・ナイト [日] (SATURDAY NIGHT [J])
悪口はやめて [日] (DON'T SAY NOTHIN BAD [J])
サミ-のマーチ [日] (SAMMY GOING SOUTH [J])
涙をこらえて [日] (MAY BE I KNOW [J])
からかわないで [日] (LET'S STOP KIDDING EACH OTHER [J])
愛はひとりぼっち
恋のかたみ
恋は宝
モンキーズのテーマ [日] ((THEME FROM) THE MONKEES [J])
オ-ケイ! [日] (OKAY! [J])
ダンス天国 [日] (LAND OF 1000 DANCES [J])
バラ・バラ [日] (BALLA BALLA [J])
青空のある限り




ビートルズならいざ知らず、ジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」日本語盤

 

 前回、ジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」日本語盤の話を書いたとおり、そのお話を書いてみましょう。 何がビートルズならいざ知らずダい!

 

 ジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」のシングル盤は4枚出ています。イタリア語盤が2回、日本語盤が2回でています。最初はサンレモ音楽祭優勝時に皆さんよく目にするHIT-1323 (1966. 3. 1 SEVEN SEAS - キング)の盤です。

 

HIT-1323HIT-1323  HIT-1361HIT-1361

 

 二枚目が今回お話しする日本語盤 HIT-1361 (1966. 7.20)「愛は限りなく[日](DIO, COME TI AMO [J])/はじめてのキッス [日](IL PRIMO BACIO CHE DARO' [J])」、B面が国内シングル盤3枚目の「はじめてのキッス」の日本語盤です。

その次はHIT-1920 (1971. 8.) 「薔薇のことづけ [日](ROSE NEL BUIO [J])/愛は限りなく[日]」

最後が HIT-7003 (1973. 1.) 「愛は限りなく/愛の花咲くとき(QUANDO M'INNAMORO)」

 

HIT-1920HIT-1920  HIT-7003HIT-1920  

 

 チンクェッティの国内シングル盤は正規盤38枚と、非売品の「GEM/ベスト・オブ・カンツォ-ネ」 特典シングル盤(詩の朗読)1枚を出しています(販促用のいわゆるサンプル盤は含めずに)。

 

 でHIT-1361の日本語盤の何が違うかというと"ジャケ違い"、全部で3種類あります。当時はレコードの定価が目まぐるしく変わり(相次ぐ値上げ)で、比較的息の長い盤は微妙ですがジャケットの違うものがあります。こんな話をつまらないと思われる方は、タダそれだけのことです。 もしご興味がある方は、次にお進みください。

 

 だいたいジャケットの違いが起こるのは、第一に最初のデザインが悪かったので基本的な手直しをする、第二は映画やCMに使われ、スポンサーの意向を取入れて変更する(周辺の環境の変化)、第三がタイトル変更(またはA,B面の入替え)、第四にレコード会社の社名、レーベル・マークの変更など、そして最後が値上げで定価変更する機会に変えるような事が考えられます。(実例を出すと面白いのですが、今後色々な曲を取上げながら、書いていくことにします。)

 

 この「愛は限りなく」日本語盤のケースは"値上げ"なのですが短期間に、微妙な変更なのですが、見てわかる違いなので取上げました。いちばんよく目にするのは初版のもので中古盤の値段もそう高いものでありません。これからお話しする再版、三版は、私が見つけ、買ってみて判ったのです。変更後の盤が何枚売れて出回ったのか見当がつきません。 初盤でないのでサンプル版もないでしょう。本当は高い値段がつくかもしれませんが、ビートルズのように多勢のマニアが必死になって探せばの話です。

 

HIT-1361a HIT-1361b HIT-1361c

 

ごらんの3枚の違いがわかるでしょうか?写真の色もそれぞれ若干のトーンが違います。

左:初版は定価(ジャケ裏で見えません)370円、発売年'66年で名前の前のハート・マークがピンク、中:再版は定価(同)400円、発売年'66年で名前の前のハート・マークがピンク、右:三版は定価(同)400円で発売年'69年、名前の前のハート・マークが黒。

 

HIT-1361ウラ3枚     

 ビクター系の盤は定価が表に表示されているので、定価違いはすぐわかります。各社ロング・ライフの盤には色々違いがあり興味が尽きないのですが、本来音楽を楽しむというよりは、マニアの"収集癖"なのでヒンシュクをかうかもしれません。値段が高い盤でなければ、結構楽しめるものです。(一般の方にはお勧めしませんが)

 




一週間遅れの「恋の聖バレンタイン」

 

一度ドメニコ・モドゥーニョの曲をネタに紹介したかったのですが、タイミングをはずし一週間遅れとなってしまいました。今年2012年のサンレモ音楽祭はエンマが優勝しましたが、ご存じ1966年サンレモ音楽祭優勝曲「愛は限りなく(DIO, COME TI AMO)」ではなくて、そのB面「恋の聖バレンタイン(SANTO VALENTINO)」です。

 HIT-1381 

 HIT-1381(1966.10. 1  SEVEN SEAS -キング)

 1966年のカンタジーロ(CANTAGIRO)の参加曲でドメニコ・モドゥーニョ自身が作曲した曲です。ブログを始めて知ったことなのですが、音声ファイルを直接貼り付けられなかったのですね。 みなさんYou-Tubeを引っ張ってきた理由がわかりました。でもかなりライツの問題で削られたりリンク切れになったり、こう言う話は直接音を聞いてほしいのですが、当分無理なようです。

 

表の「愛は限りなく(DIO, COME TI AMO)」は1966年のサンレモ音楽祭でドメニコ・モドゥーニョの自作自演で、パートナーがジリオラ・チンクェッティで優勝した曲です。国内盤のこのシングル少々変則で66年10月に発売されました。発売が遅れたのは永年いたフォニット(FONIT)レーベルを離れ、彼の曲を管理する音楽出版社系列のカロセッロ(CAROSELLO)のクルチ・レーベル(CURCI)に移籍したためでした。その後、同じような経過でピノ・ドナッジォもカロセッロに移籍しています。

 

                     

SANTO VARENTINO        恋の聖バレンタイン

Santo, Santo valentine             それをいってください、あなた、私のために

Fammi una grazia sola.          聖人 -聖バレンタイン

Santo, degli innamorati,      たった一つの恵みを私にしておくれ

dille che io, l'amo ancora.       聖人 - 聖バレンタイン

Dille che io l'amo                    彼女に私はまだ愛しているといってください。

Io l'amo piu' di prima. ......         私がまえよりも愛していると.......

 

というような内容です。歌詞を全部書くと多分、著作権侵害になりかねませんので、途中までです。音は聞かせられない(サンプルでも45秒以内のようで) ので、どう表現するか難しいところです。

 

 次回はジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」をご紹介していこうと思っていますが、そのままでは余りにも芸がないので、日本語ヴァージョンのシングル盤について書くつもりです。この盤がなかなかの"曲者"、3種類のジャケ違いがあるのです。

 




サンレモ音楽祭 2012年の優勝はエンマ

 今年のサンレモ音楽祭(2012年2月14日~18日)の優勝はエンマでした。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835389&tid=a5a4a5bfa5ja5a2a4n2nbcj&sid=1835389&mid=4235

                                        
               EMMA

RAI  - FESITIVAL DI SANREMO 2012

http://www.sanremo.rai.it/dl/portali/site/page/Page-33e0070d-36a7-4403-b44d-951b39995392.html

 

☆2012年サンレモ音楽祭 コンピレーション

 

サンレモ2012 Sanremo 2012(UNIVERSAL 2012.2.15)

1. Francesca Renga - La tua bellezza 

2. Emma - Non E' l'inferno  優勝曲

3. Nina Zilli - Per sempre 

4. Matia Bazar - Sei tu 

5. Irene Fornaciari - Grande mistero

6. Eugenio Finardi - E tu lo chiami Dio 

7. Erica Mou - Nella vasca da bagno del tempo 

8. Alessandro Casillo - E' vero    新人部門優勝

9. Giulia Anania - La mail che non ti ho scritto 

10. Bidiel - Sono un errore 

                  Sanremo 2012

 

スーパー・サンレモ2012 Super Sanremo 2012(Sony Music 2012.2.15) 

1. Gigi D'Alessio e Loredana Berte' - Respirare 

2. Pierdavide Carone - Nane' 

3. Dolcenera - Ci vediamo a casa 

4. Samuele Bersani - Un pallone 

5. Arisa - La notte  第2位

6. Noemi - Sono solo parole  第3位

7. Eugenio Finardi - E tu lo chiami Dio 

8. Chiara Civello - Al posto del mondo

9. Marlene Kuntz - Canzone per un figlio 

10. Alessandro Casillo - E' vero  新人部門優勝

11. Celeste Gaia - Carlo 

12. Iohosemprevoglia - Incredibile 

13. Marco Guazzone & Stag - Guasto 

14. Erica Mou - Nella vasca da bagno del tempo 

15. Giordana Angi - Incognita poesia 

16. Rocco Papaleo - Come vivere

               Super Sanremo 2012




「アイ」は「愛の告白」

  ヤフ・オクを初めて3年半近く、先日落札者で同好の士(同年代)の人からメールを頂きました。トム・ジョーンズの「アイ」を知っていますか?というものでした。

 まあ、あきれるほど永く追い続けていれば、当然のこと知っており、日本のタイトルは「愛の告白」ですよ。ジョー・センティエリがオリジナルですが、ミルバが日本語ヴァージョンを含めて一番たくさん出しているし、ルチアノ・タヨーリも歌ってますよ、と返事をしました。

 

HIT-1111(1964. 9.20)「愛の告白(UNO DEI TANTI)/あなたのくちづけを(I'TE VURRIA VASA)」

 

HIT-1111 HIT-1111a  CM- 253 CM- 253

CM-  253(1979.10.)「」折り返し悲しみ行き [日](IL TRENO PER TRISTE [J])※/愛の告白 [日](UNO DEI TANTI [J])」 ※表面のタイトルはイタリア語ですが西島三重子の曲です。

 

 今日のタイトルはここからきています。オネエの、はるな愛チャンが好きですと「愛の告白」をする内容ではありません。 お間違いなく!

 ただそのメールには衝撃的な一言が「ベン・E・キングがヒットさせた」と書いてありました。てっきりトム・ジョーンズだと思っていました。トムは他にも「ラヴ・ミー・トゥナト(恋の終わり)」、「ささやく瞳」など、カンツォーネをカヴァーしていましたから。

 

TOP-1542(1970. 9.20)「アイ(I (WHO HAVE NOTHING))/俺は悲しくない(STOP BREAKING MY HEART)」

 

TOP-1542TOP-1542  JET-1312JET-1312

 

JET-1312(1963.12.)「アイ(I)/時のはじまり(THE BEGINNING OF TIME)」

 

 ベンのこの曲は1963年に国内シングル盤が出ていました。ここで納得。ベンは1964年(ジリオラ・チンクェッティが「夢みる想い」でデビューした大会)にトニー・ダララのパートナーとして「どうして君が忘られよう(AROUND THE CORNER)」イタリア題(Come potrei dimenticarti)で出場しています。 "イタリア進出の第一歩" こう言うことだったのか! 一人で納得する一日でした。

 

                  AT-90137×45

 

AT-90137×45 (1964. 2.)「どうして君が忘られよう(AROUND THE CORNER(COME POTREI DIMENTICARTI))/君住む街で(ON THE STREET WHERE YOU LIVE)」

 

※ジャケットの名前がBen King となっています。イタリアでは"E"は"AND"のこと、ストレートに書くと"ベン&キング"のデュオ・グループみたいになってしまうからでしょう。

 きっとオークションで追っかけると、高くなるだろうな! 誰か適価でお願いします。

 




シルヴィー・バルタン・イタリアーノ

 

 作者不詳のシャンソン『何故私に愛を語らない』をきっかけに突如始めたブログで、ミーノ・レイターノのサンレモ音楽祭の曲だったこと、しかもシルヴィ・バルタンのカヴァーが1976年に国内盤として発売されていたことを書きました。(再掲)

 

 その勢いで、ミーノ・レイターノの国内盤を総ざらいして、勢いづいてシルヴィ・バルタンのイタリア語曲の話を2月11日に書こうと思ったのですが、いかにも準備不足で延期をしておりました。シルヴィ・バルタンになると私も"アウェイ"だし、どんな質問、クレームを受けて立つほど知識はありませんが、いくつか確認が取れたので挑戦してみましょう。

 

 確認していたのは2つ、第一は手元にある2000年にBMG RICORDIが出したイタリア盤CD"I GRANDI SUCCESSI ORIGINALI SYLVIE VARTAN"の中で、日本題が付いているものはどれか。第二点は国内シングル盤SS-2133(1972. 3.)"アブカダブラ(ABRACADABRA)"がイタリア語かフランス語かの確認でした。結論はイタリアの曲ですがフランス語で歌ってました。

 

 バルタンがイタリア語で歌っている国内シングル盤は3枚、イタリアの曲をフランス語で歌っている国内シングル盤が1枚であることにたどり着きました。

 

SS-1928(1970. 2. 5 RCA -日本ビクター)"ズン・ズン・ズン(ZUM ZUM ZUM)/ベビー・カポネ(BABY CAPONE)""ズン・ズン・ズン"は1968~69年のカンツォニッシマのテーマ・ソングです。日本ではジリオラ・チンクェッティでヒットしましたが、この年のメイン司会はミーナだったので、ミーナがオリジナルと言えます。

SS-1928SS-1928   SS-2155SS-2155

SS-2155(1972. 4. RCA -日本ビクタ-)"哀しみのシンフォニー(CARO MOZART)/メディシン・マン(MEDICINE MAN)"は"哀しみのシンフォニー"のみイタリア語。この曲は当時色々な形、アーティストでポピュラー化した"モーツァルトの交響曲第40番"です。

 

SS-2212(1972.11.  RCA -ビクタ-音楽産業)"ハウ・ドゥ・ユ・ドゥ(LA GIOVENTU'/HOW DO YOU DO)"表はシルヴィ・バルタンのイタリア語(タイトルも)、裏はイタリアの男女デュオ、キャシー&ガリバーが英語で歌っています。この曲はオランダのマウス&マクニールがオリジナルで全米8位となった曲です。日本では不発だったようです。このイタリアのデュオが曲者。いずれ!

SS-2212SS-2212   SS-2133SS-2133 

SS-2133(1972. 3. RCA -ビクタ-音楽産業) "アブカダブラ [仏](ABRACADABRA [F])/恋の告白(APPRENDS-MOI)"表がイタリアの曲ですがフランス語で歌っています。

 

シルヴィー・バルタン・イタリアーノの極つけは2006年に出たシルヴィ・バルタン・デビュー45周年企画盤。当時イタリアの音楽雑誌ではよく見たジャケットです。RCA ITALIANA の独自企画盤で、まさか37年後に発売されるとは思いませんでした。

BVCM-37760(2006.10.25 RCA - BMGジャパン)「シルヴィ・バルタン/シングス・イン・イタリ(SYLVIE VARTAN)」

                 BVCM-37760              

ノスタルジア            NOSTALGIA
やがて、来る日が [伊]     UNA CICALA CANTA (PER UN'ESTATE SOLA)
しあわせの2分35秒 [伊]   DUE MINUTI DI FELICITA'
愛と同情と [伊]         PER AMORE, PER PIETA'
夢の小鳥 [伊]          QUANDO SORRIDI TU
ズン・ズン・ズン          ZUM ZUM ZUM
蝶々を追って [伊]            LE FARFALLE
ベビー・カポネ                 BABY CAPONE
あなたのとりこ [伊]           IRRESISTIBLEMENT [I]
二つの手 [伊]                DUE MANI
男の子ように [伊]            COME UN RAGAZZO
アイドルを探せ [伊]*       LA PIU' BELLA
フォナセーラ・フォナセーラ* BOUNASERA, BOUNASRA
瞳にフェスタ、心にフェスタ* FESTA NEGLI OCCHI, FESTA NEL CUORE

 *は日本盤ボーナス・トラックです。

 

もう一枚はイタリアのBMG RICORDIが"フラッシュバック"シリーズとして出した2枚組CDです。

74321-79944・2(2)(2000. RCA - BMG RICORDI,Italy)"シルヴィ・バルタン(SYLVIE VARTAN)"

                74321-79944・2(2)a              

CD-1
IRRESISTIBLEMENT [I]           あなたのとりこ [伊]
BOUNASERA, BOUNASRA        フォナセーラ・フォナセーラ
BLAM BLAM BLAM ※               ブラン・ブラン・ブラン(仮)
CHEYENNE                            シェジェンヌ
DUE MANI                            二つの手 [伊]
CARO MOZART                       哀しみのシンフォニー
COME UN RAGAZZO               男の子ように [伊]
LE FARFALLE                        蝶々を追って [伊]
ABRACADABRA                     アブカダブラ[伊]
LA GIOVENTU'                      ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ [伊]
BIDON D'EAU  ※
MEDICINE MAN                    メディシン・マン [伊]

CD-2
TOUS MES COPAINS *           おセンチな17才
LES VACANCES SE SUIVENT *  夢のバカンス
L'HOMME EN NOIR *             オ-・プリティ・ウーマン [仏]
SHA LA LA *                        シャ・ラ・ラ
LA MARITZA                        想い出のマリッツァ
NOSTALGIA                         ノスタルジア [伊]
DUE MINUTI DI FELICITA'      しあわせの2分35秒 [伊]
UNA CICALA CANTA (PER UN'ESTATE SOLA)  やがて、来る日が [伊]
ZUM ZUM ZUM                     ズン・ズン・ズン
BABY CAPONE                     ベビ-・カポネ
PER AMORE, PER PIETA'        愛と同情と [伊]
QUANDO SORRIDI TU           夢の小鳥 [伊]
 *はフランス語です ※日本題が確認できず

 

RCA-6131(1973. RCA - ビクタ-音楽産業)「愛のかたち/シルヴィ・バルタン(SYLVIE)」の裏面最終曲 "シェジェンヌ(CHEYENNE)" はリッカルド・コッチャンテ(RICCARDO COCCIANTE)の曲で、彼はフランスではリシャール・コシャンテ名でも活動しています。私としてはイタリアの曲として扱っています。

コッチャンテはフランスのミュ-ジカル「ノ-トル=ダム・ドゥ・パリス(NOTRE-DAME DE PARIS)」を手掛けたことで、フランスの音楽家としての名声も得ています。




今夜はブルーノ・マルティーノ

  ブルーノ・マルティーノを知っている方はきっと「夏(あるいはエスターテ)(ESTATE)」の曲を通してだと思います。イタリアのジャズ・ヴォーカル関係のCDには必ずと言っていいほど入っています。定番化しているようですね。

 

 実は私、ブルーノ・マルティーノが国内盤で出ていると思い込んでいましたが、間違いのようでした。アヴァンツ(AVANZ)から出ていた"キャッチ/トゥロヴァイオ-リ"SP/CR-90001~2(LP1993.)、SP/CR-00001~2(CD1995.)に入っている「ローマよ今夜はふざけないで(ROMA NUN FA LA STUPIDA STASERA)」は彼だと思っていましたがニーノ・マンフェルディーニ(NINO MANFREDI)のようです。彼の国内盤はナシです。

 

 この「夏」という曲を最初に日本へ紹介したのはヘレン・メリル(HELEN MERRILL)だと思っています。"ヘレン・メリルのイタリア土産(HELEN MERRILL SINGS ITALIAN SONGS)"4曲入りコンパクト盤 CP-1051(1963. 4. VICTOR - 日本ビクター)です。続いてミルバ(MILVA)の国内盤ファースト・アルバムである"ミルバのすべて(THE BEST OF MILVA)" (1964. 5. SEVEN SEAS - キング)の中に収められています。アナログ盤の時代ではこの二人以外の盤を確認していません。 他にご存じの方があれば、ぜひ教えてください。

 

 CP-1051CP-1051    MH- 156MH- 156

 

 なおご参考までですが、ヘレン・メリルは1950年代後半ヨーロッパに拠点を移し、RCA ITALIANAで録音した盤は4曲入りコンパクト盤のあと"ロ-マのナイト・クラブで(PAROLE E MUSICA)" RA-5246(1963. 7. VICTOR - 日本ビクター)、RJL-2550(1981年再発売RCA -RVC)が出てます。

 

                           RJL-2550 RJL-2550  

 

 日本版ウィキペディアで"ブルーノ・マルティーノ"の「ESTATE」の説明文中に一つ気になることがあります。『マルティーノの曲の中で、後世まで長く歌われることになった唯一の曲が、1960年にブルーノ・ブリゲッティの詞に作曲した「エスターテ」である。』という文です。

 

ブリゲッティ(BRUNO BRIGHETTI)が作詞家という確証がありません。マルティーノとブリゲッティの共作の表現までは確認しました。http://lyric.kget.jp/lyric/vi/qk/ 

もしウィキペディアの筆者が楽譜など明確に記載された物で確認されているなら大変失礼な話になりますのでお許しください。私の持っている盤では、すべての曲がマルティーノとブリゲッティのコンビの共作でした。それぞれが他の人と"仕事"をしていれば作詞、作曲の推測ができるのですが! 下記のサイトではブリゲッティは"COMPOSER"という表現がされています。http://www.allmusic.com/artist/bruno-brighetti-p326245/credits

 

                QELP-8056 Bruno Martino  

ORCHESTRA/BRUNO MARTINO(オーケストラ/ブルーノ・マルティーノ)

QELP-8056 (1962. V.d.P.- V.C.M.,Italy)                      

 

PAPERON DE' PAPERONI
NON CAPISCO LA DOMENICA
QUANDO... QUANDO... QUANDO...  (クァンド・クァンド・クァンド)
NOTTE PER DUE  (二人の夜)
POCO PELO
QUANDO VORRAI
MADAME
LA NOTTE (夜よ、わたしを恋して)
BORSA CHA CHA CHA
LA DONNA DI VETRO
BACCO, TABACCO E VENERE
AD OCCHI CHIUS
NON SONO PAZZO
RIMPIANGERAI

9511-540282 

LA DOLCE VITA/THE PLATINUM COLLECTIONS (甘い生活/ザ・プラチナ・コレクションズ)9511-54028・2(CD2007.  EMI - EMI MUSIC,Italy)

※3枚組でニコラ・アリリアーノ(NICOLA  ARIGLIANO)、レナート・カロゾーネ(RENATO CAROSONE)、ブルーノ・マルティーノそれぞれ1枚ずつの構成。その中の1枚

 

ESTATE (夏)
COS'HAI TROVATO IN LUI (あなたが彼にみつけたもの)
MARINA  (マリーナ)
POR DOS BESOS
SONO STANCO (僕は疲れてる)
KISS ME, KISS ME  (キス・ミー・ミス・ミー)
BABY LUNA
CHICA CHA CHA CHA
FORSE
DRACULA CHA CHA (ドラキュラ・チャ・チャ)
BELLA ROMA
NEL DUEMILA (2000)
CHE COSA C'E (どうしたの?)
IL CUORE A SAN FRANCISCO (想い出のサンフランシスコ)
ROMA NUN FA LA STUPIDA STASERA (ロ-マよ今夜はふざけないで )
O BARQUINHO(ウ・バルキ-ノ)
VUOI BALLARE IL SURF
QUANDO, QUANDO, QUANDO (クァンド・クァンド・クァンド)
CHE M'E' 'MPARATO A FA'? (何を教えたいの)
HASTA LA VISTA SENORA




準備不足

 

 作者不詳のシャンソン『何故私に愛を語らない』をきっかけに突如始めたブログで、ミーノ・レイターノのサンレモ音楽祭の曲だったこと、しかもシルヴィ。バルタンのカヴァーが1976年に国内盤として発売されていたことを書きました。

 

 その勢いで、ミーノ・レイターノの国内盤を総ざらいして、勢いづいてシルヴィ・バルタンのイタリア語曲の話を今日書こうと思ったのですが、いかにも準備不足。ゴメンナサイです。ミーノ・レイターノのことを知っていらっしゃる方はほとんどいないので何を書いても大丈夫(前回のブログで書いたこと、載せたジャケット画像は裏の取れた事実、決して嘘は書いていません)ですが、シルヴィ・バルタンになると私も"アウェイ"だし、どんな質問、クレームを受けて立つほど知識はございません。

 

 手元にあるのは2000年にBMG RICORDIの出したCD"I GRANDI SUCCESSI ORIGINALI SYLVIE VARTAN"と2006年にBMGジャパンからでたCD"シルヴィ・バルタン/シングルス・イン・イタリー"。それにイタリア語で歌っているであろう数枚の国内シングル盤が手元にあります。 久々に全部聞いてからにします。

 

 せっかくなので2月10日の"話のマクラ"で書いた1961年サンレモ音楽祭参加曲「あ、あ、あ愛をさがそう(A.A.A. Adorabile cercasi)」がブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino)とユーラ・デ・パルマ(Jula de Palma)とデュエットで歌うことがなかった、の理由を書いてお茶を濁しましょう。

 

 理由は簡単です。残念ながらレコード会社が違ったからです。ブルーノ・マルティーノはV.C.M.(現在のEMI MUSIC ITALIANA)、ユーラ・デ・パルマはDURIUM(レーベルはCIRCUS)でした。現在のように違うレコード会社の二人がデュエットし、お互いにバーターで曲を出すことはありませんでした。

 音楽祭で違うレコード会社の歌手とデュエットすると、レコードの方はそれぞれ相手の歌手の部分を自社の歌手に歌わせてレコードを作っていました。




               7MQ-1521

7MQ-1521 (V.d.P. - V.C.M.) c/w"十二月の海(MARE DI DICEMBRE)"

 

 なせ"残念ながら"なのかと言えばユーラ・デ・パルマは前年までV.C.M.に在籍していたからです。もし同じレコード会社だったらデュエットした可能性もあります。ドリウムは彼女を迎えるため新レーベル"サーカス"を立上げ、この「あ、あ、あ愛をさがそう」の曲に最初のレコード盤をつけました。


              CN・A-9001

CN・A-9001 (CIRCUS - DURIUM) c/w"IMMENSITA'"

 

 イタリアでは大物歌手を迎えるために新たなレーベルを立上げたり、専用のレコード番号を使用することがあったようです。彼女のドリウム時代の曲が1曲だけ国内盤で出ています。JET-4010(25cmLP 1962年日本ビクター)「スクリーン・テーマ・イタリアーナ」に"小さなじゃがいも(パタティーナ)(PATATINA)"が入っています。この曲もこの年のサンレモ音楽祭参加曲ですが他の人のカヴァーです。オリジナル曲の方を入れてほしかったところですが、曲としてはこちらの方がヒットしていました。




ならばミーノ・レイターノ

ここまでくれば日本では余り顧みられなかったミーノ・レイターノの日本盤を総ざらいしてみましょう。

 

ミーノ・レイターノは1944年12月7日、レッジョ・カラブリアのフィウマーラ(長靴の先っちょ辺り)生。2009年1月27日ロンバルディア州アグラーテ・ブリアンツォ(ミラノ近郊)65歳で没。

 

 1965年のカストリカーロ(サンレモへの新人登竜門のフェスティバル)に参加したが、本選に残れなかった。幸運にもメジャーのRICORDIに入ることができ、翌66年のサンレモ音楽祭のコンピレーションに"マイ・マイ・マイ・バレンティーナ(MAI, MAI, MAI, VALENTINA)"[1]で収録される。

 

 1967年サンレモ音楽祭にL.バティスティ(LUCIO BATTISTI)とモゴール(MOGOL)作の"世界を信じたい(NON PREGO PER ME)"<1>をイギリスのホリーズ(THE HOLLIES)<2>をパートナにして歌ったが入賞はできなかった。国内盤LP「カンツォーネ・スター大名鑑」にはサンレモ音楽祭のコンピ用に録音されたと思われる"愛を囁くとき(QUANDO DICO CHE TI AMO)"[2]が収められている。これはかなり珍しいと思っている。

 その初夏カンタジーロのジローネB(若手部門)に"女をさがす時(QUANDO CERCO UNA DONNA)"で参加。その年後半にアリストン・レコードへ移籍する。

 

 1968年初夏、カンタジーロのジローネB(若手部門)に"愛した心(AVEVO UN CUORE)"[3]を歌い新人部門第2位、ビッグ・ヒットとなりスターの階段を昇りだす。

 

 1969年サンレモ音楽祭に「しのび泣く今宵(MEGLIO UNA SERA (PIANGERE DA SOLI))」[4]<3>をクラウディオ・ビルラのパートナー<4>として歌うが入賞はできなかった。初夏に行われるカンタジーロではジローネA(スター部門)に"ダラダン(DARADAN)"[5]を歌い第9位になる。 

 夏のディスク・フェスティヴァルでは、1970年に"君の扉を叩くとき(CENTO COLPI ALLA TUA PORTA)"[6]で入賞。この年のカンツォニッシマを機にアリストンからドリウムに移籍した。カンツォニッシマでは69年のヒット曲で生まれ故郷を称えた"フィウマラの人々(GENTE DI FIUMARA')"[7]を歌い第3位となった。

 

 1971年の夏のディスク・フェスティヴァルで"桑の実のなる頃(ERA IL TEMPO DELLE MORE)"[8]でついに優勝の栄冠を手にした。72年の同フェスティヴァルには"今夜は笑わずに(STASERA NON SI RIDE E NON SI BALLA)"入賞。73年"風への三つの言葉(TRE PAROLE AL VENTO)"が第3位。

 

 1974年久々にサンレモ音楽祭で"恋人たち(INNAMORATI)"を歌い、参加曲に終わったが、このブログにも書いた通り、シルヴィー・バルタンがカヴァーし、異国ニッポンで作者不詳のシャンソンとして歌い継がれていった。同年の夏のディスク・フェスティヴァルで歌った"AMORE A VISO APERTO"も参加曲で終わる。

 

 1975年夏のディスクでは前年の人気低落を巻き返すかのように"君の望むなら(E SE TI VOGLIO)"で第3位となる。しかし1988年サンレモ音楽祭で"イタリア(ITALIA)"

<5>を歌い第6位になり、リバイバルするまで10数年間の停滞期に入る。その後サンレモ音楽祭には90年にはアルゼンチンのヴァレリア・リンチをパートナーニ"VORREI"  

<6>を歌い第16位。92年"MA TI SEI CHIESTO MAI"が参加曲どまり。10年後2002年に最後の参加となる"LA MIA CANZONE"では第18位であった。

 

 ミーノ・レイターノはソングライターとして1968年カンタジーロ・Aでクラウディオ・ビルラが歌った"風が鐘を鳴らす時(QUANDO IL VENTO SUONA LE CAMPANE)"、69年カンタジーロ・B第2位パオロ・メンゴリの"夜の涙(PERCHE' L'HAI FATTO)"、ジョヴァンナの70年カンタジーロ・B第7位の"風にそよぐ葦(CANNE AL VENTO)"、同年オルネラ・ヴァノーニのヒット曲"なやみ(UNA RAGIONE DI PIU')"などを書いている。

 

 またナナ・ムスクーリが1972年に出した"バラ色の日々(FOUR AND TWENTY HOURS)"原題は(PIU' IMPORTANTE DELL'AMORE)、ゼッキーノ・ドーロの"いたずら目覚し時計(LA SVEGLIA BIRICHINA)"や"チャオ・アミ-コ(CIAO AMICO)"でもソングライターとして働いていた。意外と知られていないのが石井明美がヒットさせたフィンツィー・コンティーニの"チャ・チャ・チャ(CHA CHA CHA)"。そのクレジットにM.レイターノがのっているのをお気づきでしたでしょうか?

 

 ここまで書いて私自身でもわかって来たのですが、なぜミーノ・レイターノが日本で余り顧みられなかったのか。 1971年の"桑の実のなる頃"までポイントとなる曲は日本でも何らかの形で発売されていました。 カンタジーロや夏のディスクで活躍したにもかかわらず、日本で知名度の高いサンレモ音楽祭の実績は芳しいものではなかったからです。皮肉なことに彼の前半期で、久々に出場し参加曲に終わった"恋人たち"が、日本で作者不詳の『何故私に愛を語らない』として歌い継がれてたのです。

 

[1]  SH- 231(1966. 5. SEVEN SEAS キング)「第16回サンレモ音楽祭」

[2] SR- 313~5(1969.10.20 SEVEN SEAS キング)「カンツォーネ・スター大名鑑」

[3][5] SR- 613~4(1971. 7.10 SEVEN SEAS キング)「カンタジ-ロのすべて」

[3] SR- 817(1973. 4. SEVEN SEAS キング)「若草の朝/カンツォニッシマ1972-1973」

[4]  PS- 125(1969. 4. SEVEN SEAS キング)「第19回サン・レモ音楽祭第3集」

[4]  GW-  17~8(1969. 5.20  SEVEN SEAS キング)「第19回サンレモ音楽祭」

[4]  GW- 239~40(1973. 3.  SEVEN SEAS キング)「ラヴ・ミー・トゥナイト/くたばれサンレモ」

[4] GXF-  81~90(1979. 2. 5  SEVEN SEAS キング)「サン・レモ音楽祭大全集」

[6]  SR- 611~2(1971. 6.10 SEVEN SEAS キング)「夏のディスク・フェスティヴァルのすべて」

[7]  SR- 609~10(1971. 5.10 SEVEN SEAS キング)「カンツォニッシマのすべて第2集」

[8]  SJET-8371(1972. 7. GLOBEビクタ-音楽産業)「ミノ・レイタ-ノ登場!」

                

               
                  SJET-8371

     桑の実のなる頃 (ERA IL TEMPO DELLE MORE)

     男と鞄 (L'UOMO E LA VALIGIA)

     明日への橋 (E SI'...(VADO AVANTI COSI))

     汚れなき愛 (APRI LE TUE BRACCITA E ABBRACCIA IL MONDO)

     タラ・ポキの伝説 (LA LEGGENDA DI TARA POKI')

     愛の説得 (MA PERCHE')

     さらば私の人生 (CIAO, VITA MIA!)

     愛と苦しみ (UNA FERITA IN FONDO AL CUORE)

     風とカンナ (CANNE AL VENTO)

     私の心が唄うとき (CANTASTORIE)

     この美しき真実 (LA PURA VERITA)

     アンネの日記 (IL DIARIO DI ANNA FRANK)

                    

[9]  KIL-1002(MED・BAR- 002)(CD 2006. MEDIANEキング・インタ-ナショナル「バー・ローマ」

※ 非公式・非売品 SILBT-4377^8 (盤面番号)「カンツォニッシマ・トトカルチョ」 キング・レコードがカンツォーネ・ファン・クラブと業界関係者にプレミアム・グッズを人気投票で渡す目的で制作した盤です。ミーノ・レイターノの「さらば私の人生」がその中に入っています。

 

<1>  SRL-10・448(1967. 1. RICORDI RICORDI,Italy) c/w "Io farò la mia parte"

                                 SRL-10・448

<2> QMSP-16402 (1967. 1. PARLOPHON V.C.M.,Italy) c/w "私を信じて(Devi avere fiducia in me)"

                                QMSP-16402

<3> AR-0311 (1969. 2. ARISTON ARISTON,Italy) c/w "Non aver nessuno"

                               AR-0311

<4> SP-1390 (1969. 2. CETRA FONIT-CETRA,Italy) c/w “Ti amo”

                               SP-1390                          

<5> YNP-00995 (1988. 2. YEP YEP,Italy) c/w "イタリア(Italia) Instrumental"

                               YNP-00995

<6> MFN-07 (1990. 3. 103 Ed. Mus. NUOVA FONIT CETRA,Italy) c/w "Vivere"

                              MFN-07

 




ひょんなことから 2〔ひょんなことに〕

ひょんなことから、ブログを始めることになった。(つづき です)

 3年ぶりにカンツォーネ歌手リストの改定をしており、数字、アルファベットからはじまり“ミ”まで来て、ミーノ・レイターノの情報をWebで集めていた。という書き出しで初回のブログが始まったのですが、少しはマトモな体裁も考えてと色々調べてみた結果、当分の間はそのことを放棄することになりました。

 特にこんなブログなので、音声ファイルを入れたいと思ったのですが、独自の音声ファイルを入れることは大変なことだと分かり、今後の方針を再検討せざるをえなくなりました。 でその時々、“テキトー”に思いついたことを書くに至りました。

 広義の意味でのカンツォーネ( あるいは“イタリア”という言葉をキー・ワードし)を追い続けて40数年、50年弱。書くことはほとんどそのことに尽きるでしょう。今度「カンツォーネ歌手リスト」の改訂版を作りながら、案外知られていないこと、間違えて伝えられていることが多いのに驚きました。

 本題の作者不詳の謎のシャンソン曲「何故私に愛を語らない」の件にいたる1週間前になるのですが、ブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino)を調べていて(よくぞウィキペディア日本版にあったものですが)、サンレモ音楽祭出場のクダリで彼の自作曲「あ、あ、あ愛をさがそう(A.A.A. Adorabile cercasi)」をユーラ・デ・パルマ(Jula de Palma)とデュエットで歌い優勝にいたらなかったという内容でした。特にこの二人はカンツォーネというよりは、ユーロ・ジャズの人も見るので、細かな点ですが訂正しなければと思い、ウィキペディアにも登録し、訂正加筆をしました。

 さてどこが違うのでしょうか? “デュエット”でなくパートナーとして、二人は別々のアレンジでこの曲を歌っており、この曲を二人一緒に歌ったわけではありません(その当時の二人がデュエットしたレコードを探しても当然ありません。 *注)。   もう一点、“優勝にいたらなかった”というと“入賞してけれど、グランプリは取れなかった”という意味になります。この大会では入賞にもいたらず“参加曲”でしかありませんでした。 訂正文は“本選にはいたらず”としました。

 多分これから、こんな話を書いていくことになるでしょう。読んでいただけると、今まで何か腑に落ちなかったことが、“こう言う事だったのか”と思っていただけるかもしれません。

 話は横にそれてしまいましたが、作者不詳の謎のシャンソン曲「何故私に愛を語らない」の“主(ぬし)”はシルヴィ・バルタン
1976年に出た国内盤LP“そよ風のブロンド”の2曲目に「愛の苦しみ(Tu Ne Me Parles Plus d'Amour)」として日本に紹介されていました。解説でも74年サンレモ音楽祭でレイターノが歌い入賞したことが書いてあります。  

                        RVP-6086 
RVP-6086

 この件をコメントに書いたのは、私のブログを読もうかと思っている皆様なら良くご存じであろう“ルゼル”さんのブログでした。この方のブログは今回を含め随分参考にさせていただきましたので、ぜひともお知らせしなくてはと思いました。
 「何故今まで気づかなかったのだろう」と自戒されていましたが、私もこの指摘の1時間前まで気づかずにおりました。“ルゼル”さんご安心ください。

シルヴィ・バルタンの 「愛の苦しみ」をお聞きになりたい方は、ルゼルさんのブログ(下記アドレス)でお聞きください。http://plaza.rakuten.co.jp/ruzerukabu/diary/201202080002/



*注・・・・なぜそう言い切れるのかは、またの機会に書くことにしましょう。




ひょんなことから

ひょんなことから、ブログを始めることになった。

 3年ぶりにカンツォーネ歌手リストの改定をしており、数字、アルファベットからはじまり“ミ”まで来て、ミーノ・レイターノの情報をWebで集めていた。

 あるブログに行き当る。2年半ほど前の某ブログで、作者不詳の謎のシャンソン曲「何故私に愛を語らない」の作者がミーノ・レイターノであることが判明したとの内容であった。その元曲が1974年のサンレモ音楽祭の入賞曲「恋人たち(INNAMORATI)」であった。その曲にスペイン語のタイトルが付いており何人ものシャンソン歌手が歌っているようでした。

 なぜスペイン語のタイトル“Ya no me hablas mas de amor ”が付いたかは、日本語歌詞を書いたシャンソン歌手の方が、スペイン語でこの曲を聴いて、気に入り、歌いたいと思ったそうで、歌っている人に聞いたところ作者は誰か解らないと語ったそうであるとのこと。

 と言うのがこのミーノ・レイターノのサンレモの入賞曲が、作者不詳のシャンソン曲となった経緯です。(2年半前、判明した事柄です)

                                                 Ld・A-7840 

 さて、私も気になり、自分で作ったデータ・ベースで調べたところ、意外や全く別のタイトル名が、サブ・タイトルとして浮かび上がってきました。

 「愛の苦しみ」というタイトルです。このタイトルに見覚えある方はいらっしゃいますか?原題は“TU NE ME PARLES PLUS D'AMOUR” フランス語のタイトルです。2年半前、作者不明の曲が、ミーノ・レイターノの曲だった事実と微妙に関わってきたようです。

 語学に堪能な方ならスペイン語のタイトルと、フランス語のタイトルは直訳すれば「あなたは私に愛を語ってくれない」くらいの事になっるのはおわかりでしょう。これでほぼ、両方は同一と判断できそうです。歌っているのは.... 結論を急がずに!

 このフランス語の作詞は、大物ドラノエ(P.DELANOE')とラリュ(J.LARUE)の二人、役者としては十分、これで歌手が無名の新人だとコケまくってしまうでしょうね。

 初回のブログとしてはチョット書きすぎたようで、後は次回といたしましょう。

・・・・この事でコメントをフログの主へ書くため、急遽アカウントを取ったために体裁は一切手つかずの状態。 そのうち何とかします。悪しからず!!





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