カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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ヤフー・オークション5月31日出品 説明文(3)

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 cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です

 

◆花のささやき◆ウィルマ・ゴイク

K07S-7014 "花のささやき(IN UN FIORE)/花咲く丘に涙して(LE COLLINE SONO IN FIORE)"発売時定価700円(1981年2月年発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

A面は1966年サンレモ音楽祭の入賞曲、キリン・ビールのマインブロイでTV-CMに使われ復活しました。B面はその前年1965年のサンレモ音楽祭の入賞曲。サンレモ・デビューとしてふさわしい曲で、新人ゴイクが"ビッグ"の扱いをされるようになった曲です。

 

◆アンナ・マリア◆ひみつ

SS-1374 "ひみつ(IL SEGRETO)/メヌエット・ツィスト(MINUETTO TWIST')"発売時定価330円(1963年11月年発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っている白スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

"A面の"ひみつ"はアンナ・マリアが歌っています。原曲は"ラ・ノヴィア"のオリジナル創唱者でメキシコのアントニオ・プリエートです。日本では松尾和子がカヴァーしています。B面のロズィーが歌っている"メヌエット・ツィスト"はクラシックの"ボッケリ-ニのメヌエット"を一部取り入れたツィスト曲です。初版はA、B面逆で63年6月に発売されていました。

 

◆マルチェラ◆燃える明日

CM-39 "燃える明日(IO DOMANI)/白い影(L'ULTIMO CIELO)"発売時定価600円(1977年1月年発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

マルチェラの国内シングル盤6枚目です。"燃える明日"はイタリア本国で7枚目、73年のフェスティヴァル・バール(バールに置いてあるジューク・ボックスで、どれだけかけられたかを競うフェスティヴァル、外国曲も含め一般的人気があるかが反映される)優勝曲です。

 

◆夢みる想い◆ジリオラ・チンクェッティ

HIT-7002 "夢みる想い(NON HO L'ETA' (PER AMARTI))/ナポリは恋人(NAPOLI, FORTUNA MIA)"発売時定価500円(1973年1月年発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

A面の鮮烈なデビューをした1964年サンレモ音楽祭の優勝曲。B面の"ナポリは恋人"は1960年のサンレモ音楽祭優勝曲"ロマンティカ(ROMANTICA)"を自作自演したレナート・ラシェルの作、国内盤コンピ(SH-277「カンツォ-ネ専科第3集」)でラシェルの歌も聴く事が出来ます。彼は"アリヴェデルチ・ローマ"も自作自演した映画俳優でもありました。ある人は"イタリアの森繁久弥"とも言っていました。歌がうまいとは言えませんが、俳優である雰囲気と演技力で高い評価を受けていました。

 

◆カンツォーネ国内シングル盤カトリーヌ・スパーク◆若草の恋

HIT-1176発売時定価330円(1965年2月発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。ジャケットが日焼け退色しております。写真を見てご判断ください。

この盤も実力以上に評価され、高い落札値がついていたようです。最近では珍しさもなく普通の盤になったようですが、映画関係のアナログ盤ではカトリーヌ・スパークの載ったジャケットだと、まだまだ高値で落札されているようです。(ご本人の歌とは別に)

 

◆カンツォーネ国内シングル盤ナーダ◆ギターとハーモニカ

SS-2198 "ギターとハーモニカ(UNA CHITARRA E UNA ARMONICA)/賢い人(UN UOMO INTELLIGENTE)"発売時定価500円(1972年9月発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

A面は1972年の夏のディスク・フェスティヴァルで11位になった曲、B面はTV映画"UNA DONNA, UN PAESE"の主題歌に使われました。

 

◆カンツォーネ国内シングル盤イザベラ・イアネッティ◆恋する心

JET-1942 "恋する心(CUORE INNAMORATO)/心のときめき(IL TIC TAC DEL CUORE)"発売時定価400円(1970年3月年発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

 1969年夏のディスク・フェスティヴァルで第7位になった曲、7位かと思われますが、この年は56曲が参加しており、本選に残るだけで確実にヒットが見込める歌謡祭です。ちなみにジリオラ・チンクェッティの"消え去る想い(IL TRENO DELL'AMORE)"が第8位です。

 

 

◆カンツォーネ国内シングル盤ベティー・クルティス◆青空の幸福

HIT-1166 "青空の幸福(LA CASA PIU' BELLA DEL MONDO)/あなたのわたし(PER TE NON RIESCO A DORMIRE)"発売時定価330円(1965年2月20日発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

 1964年第1回夏のディク・フェスティヴァル5位の曲です。2003年まで続いた夏のレコード・セールスを決める大イヴェントになりました。初めの頃はRCAイタリアーナが圧倒的な強さを誇っていましたが、ベテラン、ベティー・クルティスが食い込みました。

 

◆カンツォーネ国内シングル盤ミーナ◆月影のナポリ/ジョニー・キス

RANK-1034 "月影のナポリ(TINTARELLA DI LUNA)/ジョニー・キス(JOHNNY KISS)"発売時定価330円( 1960年6月発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

日本に衝撃的デビューをした曲ですが、イタリアでも彼女の初のナンバー・ワン・ヒットとなりました。日本語のカヴァーも森山加代子やザ・ピーナッツで大ヒットしました。

 

◆カンツォーネ国内シングル盤リタ・パヴォーネ◆こころ

SS-1379 "こころ(CUORE)/恋のときめき(T'HO CONOSCIUTO')"発売時定価330円(1963年11月年発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、スリーブ(袋)、盤のみとなります。

 

リタ・パヴォーネの国内シングル盤16枚中、4枚目です。現物で確認していないのでわかりませんが、"こころ"の元曲はアメリカのウェイン・ニュートン(Wayne Newton)が1963年に出した"HEART! (I HEAR YOU BEATING) "です。現物確認していないので、日本で発売されたのか、日本題はついているのかは不明です。YOU-TUBEにアップされているので、パヴォーネのカヴァート聴き比べをしてみてください。




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ヤフー・オークション5月31日出品予定 説明文(2)

出品のアドレス

 cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です

 

 

カンツォーネLP国内盤エンドリゴ他◆イタリアの愛のムード

RA-5251 "イタリアの愛のムード(ITALIAN MOODS)" コンピレーション 発売時定価 1,500円(1963年7月発売 VICTOR - 日本ビクター)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。ジャケットにパンチ・ホールがあります。歌詞カードには横半分の折り目があります。収録曲は写真でお確かめください。

 

SS-1394 (1964年1月 VICTOR - 日本ビクター)"情熱の白バラ(LA ROSA BIANCA)/雪もよう(ARIA DI NEVE)"に入っている"雪もよう"のタイトルになった"冷たい空気"が収録されています。

1.ひみつ (アンナ・マリア)

2.恋が生まれるには (ニコ・フィデンコ)

3.中庭に面した窓から (アリダ・ケッリ)

4.本当に許しておくれ (エドアルド・ヴィアネッロ)

5.自分にきく (フランコ・レオ)

6.かもめ (デイジー・ルミーニ)

7.最後の手紙 (ジャンニ・メッチア)

8.私の手を握って (ミランダ・マルティーノ)

9.さよならじゃない (レナート・ラシェル)

10.やめて (バルバラ・バルダサレ)

11.冷たい空気 (セルジョ・エンドリゴ)

12.紙の星 (トニー・デル・モナコ)

 

カンツォーネLP国内盤エンドリゴ他◆第6回ヴェネチア音楽祭

SR- 623 "第6回ヴェネチア音楽祭(VI VENESIA MOSTRO INTERNAZIONALE FESTIVAL)" コンピレーション 発売時定価 2,000円(1971年2月10日発売 SEVEN SEAS - キング)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません

アルバムに収録されていない"東洋(ORIENTE)"が入っています。この曲は国内盤ではこの盤のみです。

 

1. コンドルは飛んで行く (ジリオラ・チンクェッティ)

2.東洋 (セルジョ・エンドリゴ)

3.恋のために歌う (ロザンナ・フラテルロ)

4.黒枠への道 (ジョヴァンナ)

5.バニロニア (リカルド・デル・トゥルコ)

6.恋の夢 (マッシーモ・ラニエリ)

7.消え行くヴェニス (ピノ・ドナッジォ)

8.逢びき (オルネラ・ヴァノーニ)

9.彼女が来るとき (ジーポ・ファラッシーノ)

10.夕べに (エンリカ・ガルディーニ)

11.太陽のカンツォーネ (ロベルト・デ・シモーネ)

12.喜びのシンフォニー (ジョニー・ドレルリ)

 

カンツォーネLP国内盤エンドリゴ他◆第6回ヴェネチア音楽祭

MW-9050~2 "イタリー・カンタウトーリのすべて(I CANTAUTORI)" コンピレーション 発売時定価 非表示(1974年9月発売 RICORDI - ポリドール)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・ボックスと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。ボックスの押え蓋が切り取られてありません。1枚目B面で数か所の針キズによるノイズが出ます。

エンドリゴが1960年から62年に在籍したRICORDI音源の5曲が入っている貴重な3枚組です。他の歌手達の曲も貴重なものばかり集められています。

 

セルジョ・エンドリゴ 1-3心の想い出(CHIEDI AL TUO CUORE);1-10善良な人々(LA BRAVA GENTE);2-5はたちの君(I TUOI VENT'ANNI);2-12しゃぼん玉(BOLLE DI SAPONE);3-7春の希望(ESPOIRS DE PRINTEMPS)

ルイジ・テンコ 1-1クァンド;1-8 君に恋して; 2-3 愛の悔恨; 2-4 先生; 3-5 私の王国

ジョルジョ・ガーベル 1-2 ローマの門; 1-9 トラニア・ゴー・ゴー; 2-4 恥しがらないで; 2-11 チェルッティの歌; 3-6 ジェネヴィエーヴ; 3-12 僕らの夕べ

エンツォ・ヤンナッチ 1-4 兄の傘; 1-11 踏切; 2-6 髪の毛のある犬; 3-1 芸術家; 3-8 バンビーノ・ボマ

ウンベルト・ビンディ 1-5 ノートル・コンチェルト; 1-12 君の名前; 2-7 アリヴェデルチ; 3-2 美しき真実; 3-9 僕たちふたり

ジーノ・パオーリ 1-6 愛のプレゼント; 2-1 しあわせがいっぱい; 2-8 恋に終りなく; 3-3 アンケ・セ; 3-10 サッシ

ルチオ・バッティスティ 1-7 アンナ; 2-2 風; 2-9 1リラのために; 3-4 9月29日; 3-11 死の時

カンツォーネCD国内盤V.A.◆カンツォーネ・ベスト・セレクション

BVCP- 8725 "カンツォーネ・ベスト・セレクション(THIS IS CANZONE)"コンピレーション、発売時定価 1,900円(1994年8月 3日発売 RCA - BMGビクター)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているライナー・ノーツ兼歌詞リーフレット、ケース、盤に帯が付いています。収録曲は写真でお確かめください。

 

セルジョ・エンドリゴが最初出した大ヒット曲"君だけを愛して(IO CHE AMO SOLO TE)"を収録したCD。RCAイタリアーナを代表する歌手の大ヒット曲ばかりを集めた盤です。

 

以上10件の出品です。




ヤフー・オークション5月31日出品予定 説明文(1)

 出品のアドレス

 cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です

 

カンツォーネ国内シングル盤S.エンドリゴ◆ブロレット通り34

SS-1342 (VICTOR -日本ビクター) "禁じられた恋の島(L'ISOLA DI ARTURO)/ブロレット通り34(VIA BROLETTO,34)"エリオ・ブルーノ楽団 (ELIO BRUNO)/セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO) 発売時定価 330円(1963年7月発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、盤のみとなります。ジャケットにパンチ・ホール、右上部分に2mm四方の破れ、ジャケット裏に書込みがあります。

1962年イタリア映画、63年8月日本公開。ダミアーノ・ダミアーニ脚本、監督の映画。音楽はカルロ・ルスティケリ。若い後妻を連れて来られ「ひとめぼれ」してしまう少年を描いた思春期ドラマ。エリオ・ブルーノ楽団はコレット・テンピア楽団と同じ日本ビクターのスタジオ・ミュージシャンではないでしょうか? 

 

私の興味はB面のセルジョ・エンドリゴ、ビクターは売れそうなイタリア映画音楽の裏にカンツォーネの歌手を付けていました。この歌は、エンドリゴ自身まったく虚構だと書いていますが、ブロレット通に住む女性を殺す男の事を歌っています。彼の場合はもう1枚SS-1565"濡れた本能(LE ORE NUDE)/甘い夏(LA DOLCE ESTATE)がある。欲しくて探し回っていますが、まだ見ぬ幻の盤です。

 

カンツォーネ国内シングル盤セルジョ・エンドリゴ◆悲恋の掟

SS-1347 (VICTOR -日本ビクター) "悲恋の掟(BASTA COSI')/テルスター(TELSTAR)"セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)/ローマ・ニュー・オリーンズ・ジャズ・バンド(ROMAN NEW ORLEANS JAZZ BAND)発売時定価 330円(1963年8月発売)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット・カード、盤のみとなります。

 

エンドリゴ2枚目の国内シングル盤、またイタリアでもRCA移籍後2枚目のシングルA面でした。

 B面はトーネードスがヒットさせた"テルスター"のカヴァー曲(PM45-3164のA面)です。

 

カンツォーネLP国内盤セルジョ・エンドリゴ◆現代の吟遊詩人

SR- 152 "現代の吟遊詩人/セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)"発売時定価 2,000円(1968年1月15日発売 SEVEN SEAS - キング)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

セルジョ・エンドリゴ最初の国内盤アルバムです。1965年にチェトラに移籍してから67年の前半までの主な曲を収録しています。66年サンレモ音楽祭初出場曲"去り行く今"、翌年の"孤独な青春"、マカロニ・ウェスタンの"真昼の用心棒"も入っています。

 

カンツォーネLP国内盤セルジョ・エンドリゴ◆君を歌う

SR- 317 "君を歌う/セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)"発売時定価 2,000円(1969年11月10日発売 SEVEN SEAS - キング)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤に帯が付いています。収録曲は写真でお確かめください。

 

セルジョ・エンドリゴ2枚目の国内盤アルバムです。1967年後半から69年の前半までの主な曲を収録しています。68年サンレモ音楽祭優勝曲"君を歌う"、翌年第2位の"瞳はるかに"が入っています。私のブログで取り上げた"世界をつなぐ若者"、"ラ・コロンバ"、"花は云えない"も収録されています。

 

カンツォーネLP国内盤エンドリゴ/瞳はるかに◆ジーノ・パオーリ

GXC- 115 "瞳はるかに/しあわせがいっぱい (LONTANO DAGLI OCCHI/IL CIELO IN UNA STANZA)" 発売時定価 非表示(1979年5月21日発売 SEVEN SEAS - キング)の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。B面の2曲目と3曲目のつなぎ(サイレント部分)に3回のノイズが出ます。収録曲は写真でお確かめください。

 

「カンツォーネ・ベスト・ライブラリー」の1枚として発売され、ジーノ・パオーリのとカップリング盤です。ベスト盤として出されたので今までに発売されたアルバムに入っている曲ばかりです。

 

イタリアLP盤セルジョ・エンドリゴ◆E ALLORA BALLIAMO

PL-70985(1986年発売 TALENT - RCA ITALIANA) "E ALLORA BALLIAMO/SERGIO ENDRIGO" セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)のイタリア正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット、歌詞カード兼用インナー・スリーブと盤です。収録曲は写真でお確かめください。

 

1986年サンレモ音楽祭出場を機にRCA系のITからシングル盤とこのサンレモ入賞曲"カンツォーネ・イタリアーナ(CANZONE ITALIANA)"の入ったアルバムをRCA(TALENTレーベル)から出しましたこの年はエロス・ラマゾッティが"今は君を(ADESSO TU)"が華々しく優勝を飾り、ほかに懐かしい名前としてはフレッド・ボングスト、オリエッタ・ベルティの名前も見えます。これがエンドリゴの最後のサンレモ音楽祭出場になりました。




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)、寡黙な男なのか? (終)

 

1977年オルネラ・ヴァノーニの会社ヴァニラ(VANILLA)に移籍します。1979年までにシングル盤2枚、アルバム2枚を出しました。それ以降1986年まで再発盤以外は出ていません。私の感じだと1974年以降1986年サンレモ音楽祭出場以前の間のエンドリゴの写真(表情)は良くなかったですね。大変な時期だったのでしょうか。

 

1986年サンレモ音楽祭出場を機にRCA系のITからシングル盤を出しました。この年はエロス・ラマゾッティが"今は君を(ADESSO TU)"が華々しく優勝を飾り、ほかに懐かしい名前としてはフレッド・ボングスト、オリエッタ・ベルティの名前も見えます。これがエンドリゴの最後のサンレモ音楽祭出場になりました。このサンレモ入賞曲"カンツォーネ・イタリアーナ"の入ったアルバムをRCAから出しました。

ZBT-7549 (1986年2月 IT - RCA ITALIANA) "CANZONE ITALIANA/LE RAGAZZE"

            ZBT-7549 ZBT-7549

 

 1988年からNEW ENIGMAに在籍します。シングル盤1枚、2枚組アルバム、アルバムと同内容のCD1枚、2枚組アルバムの内、セルフ・カヴァーの部分を独立させたアルバム1枚を残しました。

 1990年RCA のORIGINAL CASTレーベルから"TANGO ROSSO/DONNA PUBBLICITA'"が発売されました。これがエンドリゴ最後のシングル盤です。

 1993年GRD(PHOLYGRAM, Italy)から最後の新曲CDアルバム"QUALCOSA DI MEGLIO"が発売されました。

 この後は、再発メーカーでセルフ・カヴァーを吹込みもしているようですが、基本的にはアルバムのCD化またはアンソロジーCDの発売となりました

 

セルジョ・エンドリゴの場合、最初のRCAイタリアーナに移籍してからの音楽出版社はRCA, チェトラではその系列子会社のウシニョーロ(USIGNOLO)で楽曲を管理していました。

たとえばドメニコ・モドゥーニョはクルチ(CURCI)、ピノ・ドナッジォはアッコルド(ACCORDO)のように多くのカンタウトゥーリは決まった音楽出版社に所属、あるいは自分の音楽出版社を持っていました。レコード会社を移籍しても音楽出版社を変えることはあまりありませんでした(独立して自分の会社を持つ場合を除いて)。

自分の音楽出版社をもち、永年つきあってきたパートナーが自分の音楽の一部でも切り取って使い、それがアカデミー作曲賞を取ったということは、我慢が出来ることではなかったと思います。エンドリゴは人のためでなく自分のために曲を作って来た人だったからでしょう。

 

 さてセルジョ・エンドリゴは寡黙だったでしょうか?

彼のピークはチェトラの時代、1970年を挟む5年間、幅を広げれば1962年から10年間だったと思います。すべてとは言いませんが幸い日本で国内盤が発売されている期間と重なりました。

 日本での知名度が特別高い訳でもありませんが、特定にファンもあり、マカロニ・ウェスタンの"真昼の用心棒"がヒットしたことも良かったかもしれません。今回かなり長く彼の事を書きましたが、国内盤を紹介するのが主眼でしたので、後半部分はサンレモ音楽祭の曲を書く程度で終わりました。

 今回改めて知ったことは多く"情熱の白バラ"、映画「イル・ポスティーノ」主題曲の裁判の話など再認識させられました。数多くのエピソードを追っていくと、セルジョ・エンドリゴは決して多弁の人でなく、寡黙な人だったという思いがします。しかし、彼の絶頂期と世界的革新のうねりがかさなり、「時潮が満ち」てなければ世に出せなかったような歌も歌って、世にメッセージを送っていたことが今更ながら感じられます。

 これもエンドリゴの人柄とその故郷を失ったという生立ちによるのかもしれません。また、中南米の関わり方、革命に関わり外国で亡命生活をする詩人、歌手たちの歌を歌うエンドリゴはルイス・エンリケス・バカロフの影響が強かったと思います。彼との不思議な運命の絡まり合い、それを解すことなく世を去ったことは何か言葉にならぬものを感じさせます。

 

半月にもわたり、根気強く読んでいただいた皆様に感謝をいたします。私はこの間また一つ齢を重ねました。青春時代に思いをはせた歌手の一生を辿ることは、自分のこれまでの人生を顧みる作業のようにも思えました。

 

今回書きました事の重要な部分は、セルジョ・エンドリゴ公式ホーム・ページ(http://www.sergioendrigo.it/Discografia%20-%20Giappone.htm) を見ていただければ、私が長々と書く必要もないかもしれませんでした。これだけ丁寧に作られたホーム・ページは大変貴重な共通の財産でもあります。

 

特に故セルジョ・エンドリゴ自身の自叙伝、各曲のエピソード、歌詞(まだまだ総て載せていません、あるいは載せない方がよいのかもしれません)を書いた、ご本人に感謝いたします。

 それにいつまでもお父上を愛し、その功績を称え管理されている愛娘のクラウデゴィア・エンドリ(CLAUDIA ENDRIGO)にも感謝します。

 最後に引用、参考にさせていただいたブログの筆者、ウィキペディアの皆様に感謝します。有難うございました。

 

次から軽めで短いネタにします。(少し反省)

 




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO) 番外編 イル・ポスティーノ

 

バカロフとエンドリゴの盗作問題裁判

 

後に、裁判で正確にバカロフが使用した1996年アカデミー作曲賞を取った「イル・ポスティーノ」の元のモチーフと、よく似ているエンドリゴが1974年に作曲したカンツォーネ"私の夜に(NELLE MIE NOTTI)"の音符と同じかどうか長い比較がされました

盗作の無罪という2001年の判決、2003年ローマの民事控訴裁判所のエンドリゴから出された盗作の訴えの判決後、バカロフ側から破毀院に控訴が出されています。

2005年11月24日、9月7日セルジョ・エンドリゴが死亡したため裁判は打ち切られたもようです。

 

KICP- 502(1996年 3月23日 SEVEN SEAS - キング) "イル・ポスティーノ (IL POSTINO)"  オリジナル・サウンドトラック(ORIGINAL SOUNDTRACK)

CAM原盤で全16曲 3、13 はアルゼンチンの曲"マドレセルバ (つたかずら)(MADRESELVA)"、3 カルロあス・がル出る(CARLOS GARDEL)の歌、それ以外はルイス・バカロフ指揮ローマ交響楽団(ORCHESTRA SINFONIETTA DI ROMA)の演奏です。

 

KICP- 502 KICP- 502 CPC8-1181CPC8-1181 CPC8-1181 

CPC8-1181
(2002年3月27日 CAM - 日本ソフトサ-ビス(ワーナー・ミュ-ジック・ジャパン)) "イル・ポスティーノ (IL POSTINO)"  オリジナル・サウンドトラック(ORIGINAL SOUNDTRACK)

1.イル・ポスティーノ  愛のテーマ (IL POSTINO (TITOLI))

2.自転車に乗って (IN BICICLETTA)

3.マドレセルバ (つたかずら) (MADRESELVA)

4.ポスティーノ・バンビーノ (POSTINO BAMBINO)

5.ベアトリーチェ (BEATRICE)

6.メタフォーレ (METAFORE)

7.ラブド・バイ・ウーマン (LOVED BY WOMEN)

8.イル・ポスティーノ (IL POSTINO (Trio Version))

9.島の囁き (SUONI DELL'ISOLA)

10.郵便配達の夢 (I SOGNI DEL POSTINO)

11.パブリート (PABLITO)

12.詩人のミロンガ (MILONGA DEL POETA)

13.マドレセルバ (つたかずら) (MADRESELVA)

14.郵便配達の詩 (POSTINO POETA)

15.イル・ポスティーノ (IL POSTINO (Harpsichord and String Version))

16.イル・ポスティーノ (IL POSTINO (Guitar and Bandoneon Version))

  3 カルロス・ガルデル (CARLOS GARDEL)

 

1994年イタリア・フランス映画、96年4月日本公開。1996年第68回アカデミー賞作曲賞を受賞、脚本・主演の俳優マッシモ・トロイージ(MASSIMO TROISI)が持病を押し作り上げたが、撮影終了直後、心臓病が悪化し41歳で亡くなりました。彼の執念の遺作となりました。

物語は実在のチリの詩人・上院議員パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)が1951年国外追放となり、イタリアに亡命。ナポリ沖の小島で生活をおくるなか地元の郵便配達マリオと交流したことを描いている。

 

 私自身この映画の封切り当時見ましたが、このブログを書くまでエンドリゴと長期裁判になっていたとは知りませんでした。エンドリゴの"NELLE MIE NOTTI"は聞いたことがなく、You-Tubeで探して聞いてみました。確かに出だしのところはそっくりです。

そっくりと言えば前に書いいた番外編 "花は云えない"の最後で紹介したスパゲッティーな日々さんのブログ、ブラバドスの黄金Seq#15がエンドリゴが歌った"花は云えない"のイントロにこれもそっくり。エンリケスが両方ともアレンジしているので、エンニオ・モリコーネ的寛容な心(※)で聞くと、起こりうることと思っています。

http://archiviostorico.corriere.it/1996/giugno/05/Scontro_Bacalov_Endrigo_per_Postino_co_0_9606059595.shtml




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)、寡黙な男なのか? (5)

 

FM-1010 (1972年5月5日 SEVEN SEAS - キング) "真昼の用心棒(BACK HOME SOMEDAY)/荒野の1ドル銀貨(A MAN... A STORY)" セルジョ・エンドリゴ/フレッド・ボングスト(FRED BONGUSTO)

FM-1010 FM-1010 FMS-1013 FMS-1013

FM-1010 (1972年5月5日 SEVEN SEAS - キング) "荒野の1ドル銀貨(A MAN... A STORY)/真昼の用心棒(BACK HOME SOMEDAY)"フレッド・ボングスト(FRED BONGUSTO)/セルジョ・エンドリゴ

 

SPB-   3 (1974年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "L'ARCALA BELLA FAMIGLIA"セルジョ・エンドリゴ/THE PLAGUES

 

SR- 152 (1968年1月15日 SEVEN SEAS - キング)"現代の吟遊詩人/セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)"

1.テレーザ (TERESA)

2.去り行く今 (ADESSO SI')

3.心を告げて (DIMMI LA VERITA')

4.南のひと、マリア (LA DONNA DEL SUD)

5.孤独な青春 (DOVE CREDI DI ANDARE)

6.暁は君をたずねて (L'ALBA VIENE A CERCARE TE)

7.永遠の愛 (QUESTO AMORE)

8.真昼の用心棒 (BACK HOME SOMEDAY(A MAN ALONE)[E)

9.孤独の手 (MANI BUCATE)

10.今宵の君 (COME STASERA MAI)

11.心の想い出 (CHIEDI AL TUO CUORE)

12.パルチザンのバラード (LA BALLATA DELL'EX)

13.私とギター (IO E LA MIA CHITARRA)

14.世界をつなぐ若者 (GIROTONDO INTORNO AL MONDO)

SR- 152 SR- 152 SR- 317 SR- 317

SR- 152 (1968年1月15日 SEVEN SEAS - キング)"現代の吟遊詩人/セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)"

1.君を歌う (CANZONE PER TE)

2.瞳はるかに (LONTANO DAGLI OCCHI)

3.ラ・コロンバ (LA COLOMBA)

4.兄弟よなぜ寝ない (PERCHE' NON DORMI FRATELLO)

5.忘れ得ぬ思い出 (ANCH'IO TI RICORDERO')

6.孤独の手 (MANI BUCATE)

7.自由の歌 (CANZONE DELLA LIBERTA')

8.マリアンヌ (MARIANNE)

9.去り行く今 (ADESSO SI')

10.のどかな故郷 (IL DOLCE PAESE)

11.君の不在 (LA TUA ASSENZA)

12.心を告げて (DIMMI LA VERITA')

13.花は云えない (CAMMINANDO E CANTANDO (CAMINHANDO [I]))

14.世界をつなぐ若者 (GIROTONDO INTORNO AL MONDO)

 

LAX- 114 (1975年1月 SEVEN SEAS - キング) "瞳はるかに/セルジョ・エンドリゴ(LONTANO DAGLI OCCHI/SERGIO ENDRIGO)"

1.瞳はるかに (LONTANO DAGLI OCCHI)

2.去り行く今 (ADESSO SI')

3.マリアンヌ (MARIANNE)

4.テレ-ザ (TERESA)

5.世界をつなぐ若者 (GIROTONDO INTORNO AL MONDO)

6.君を歌う (CANZONE PER TE)

7.ノアの箱舟 (L'ARCA DI NOE)

8孤独の手 (MANI BUCATE)

9.ラ・コロンバ (LA COLOMBA)

10.エリーザ・エリーザ (ELISA ELISA)

LAX- 114 LAX- 114 GXC- 115 GXC- 115

GXC- 115 (1979年5月21日 SEVEN SEAS - キング) "瞳はるかに~セルジョ・エンドリゴ/しあわせがいっぱい~ジノ・パオーリ(LONTANO DAGLI OCCHI~SERGIO ENDRIGO/IL CIELO IN UNA STANZA~GINO PAOLI)"

 

1.瞳はるかに (LONTANO DAGLI OCCHI)

2.マリアンヌ (MARIANNE)

3.君を歌う (CANZONE PER TE)

4.世界をつなぐ若者 (GIROTONDO INTORNO AL MONDO)

5.はたちの君 (I TUOI VENT'ANNI)

6.テレザ (TERESA)

7.去り行く今 (ADESSO SI')

8.しあわせがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA)

9.恋に終りなく (SENZA FINE)

10.アンケ・セ (ANCHE SE)

11.世界中を私に (ME IN TUTTO IL MONDO)

12.愛のプレゼント (LE COSE DELL'AMORE)

13.恋人はいつも孤独 (GLI INNAMORATI SONO SEMPRE SOLI)

14.小石 (SASSI)

  1~7セルジョ・エンドリゴ; 8~14ジノ・パオーリ(GINO PAOLI)

 

PP- 124 (1967年1月15日 SEVEN SEAS - キング) "真昼の用心棒 (BACK HOME SOMEDAY/SERGIO ENDRIGO BEST 4)"

1.真昼の用心棒 (BACK HOME SOMEDAY)

2.世界をつなぐ若者 (GIROTONDO INTORNO AL MONDO)

3.テレーザ (TERESA)

4.去り行く今 (ADESSO SI')

PP- 124 PP- 124 PS-  68 PS-  68

PS-  68 (1968年5月 SEVEN SEAS - キング) "ゴールデン・セルジョ・エンドリゴ第1集 (GOLDEN SERGIO ENDRIGO)"

1.君を歌う (CANZONE PER TE)

2.南のひと、マリア (LA DONNA DEL SUD)

3.心を告げて (DIMMI LA VERITA')

4.テレーザ (TERESA)

 

PS- 145 (1969年7月 SEVEN SEAS - キング) "瞳はるかに/セルジョ・エンドリゴ第2集 (LONTANO DAGLI OCCHI/SERGIO ENDRIGO Vol.2)"

1. 瞳はるかに (LONTANO DAGLI OCCHI)

2.去り行く今 (ADESSO SI')

3.マリアンヌ (MARIANNE)

4. 花は云えない (CAMMINANDO E CANTANDO (CAMINHANDO [I]))              

PS- 145 PS- 145 GW-  83~4 GW-  83~4a

GW-  83~4 (1970年7月10日 SEVEN SEAS - キング) "サンレモ・フェスティヴァルEXPO'70 (SAN REMO FESTIVAL EXPO'70)"

1-6. テレーザ (TERESA)

1-7. ノアの箱舟 (L'ARCA DI NOE)

2-7. マリアンヌ (MARIANNE)

2-8. 兄弟よなぜ寝ない (PERCHE' NON DORMI FRATELLO)

 

SR- 623 (1971年2月10日 SEVEN SEAS - キング) "第4回ヴェネチア音楽祭(4゚ VENEZIA MOSTRA INTERNAZIONALE FESTIVAL)"

2.東洋 (ORIENTE)

SR- 623 SR- 623 SR- 748~9 SR- 748~9b

SR- 748~9 (1972年4月5日 SEVEN SEAS - キング) "カンツォニッシマ1971~72 (CANZONISSIMA 1971~72)"

1-7. 最初の仲間 (LA PRIMA COMPAGNA)

2-6. 別れのことば (LE PAROLE DELL'ADDIO)

 

1974年再度チェトラからリコルディへの移籍を機に、エンドリゴは自分の音楽出版社ノアの箱舟(NOAH'S ARK)を興し、リコルディ系列のジュバル(JUBAL)と楽曲の共同管理を始めました。

日本では1970年から78年までリコルディの販売権はポリドールが持っていました。しかし1976年サンレモ音楽祭に"QUANDO C'ERA IL MARE"で入賞しましたがセルジョ・エンドリゴの新譜は1曲も発売されませんでした。リコルディに8枚のシングル盤と7枚のアルバム(内2枚は再発売)を残しました。

 

SRL-10・793(1976年2月 RICORDI - RICORDI, Italy)"QUANDO C'ERA IL MARE/BARBARA"

                    SRL-10・793 SRL-10・793

 

そして移籍直後にだした1枚のLPがあります。これが後々、彼にとって重要な問題となって来ます。

SMRL-6122 (1974年 6月RICORDI - RICORDI, Italy) "LA VOCE DELL'UOMO"

                         SMRL-6122               

1.DA QUANDO ERO BAMBINO
2.LA VOCE DELL'UOMO
3.PERCHE' LE RAGAZZE HANNO GLI OCCHI COSI' GRANDI
4.NELLE MIE NOTTI
5.NON SONO LE PIETRE COLORATE
6.UNA CASA AL SOLE
7.TU SOLA CON ME
8.LEI NON SI VENDE PER DENARO
9.GLI UOMINI SOLI
10. IL NOSTRO WEST

 

このアルバムは日本で発売されませんでしたし、収録曲もサンレモ音楽祭に出場した曲が入っているわけでもなく、私もまったく注目していませんでした。問題となった曲は4曲目パオロ・マルゲーリ作詞(PAOLO MARGHERI)セルジョ・エンドリゴ作曲の".NELLE MIE NOTTI" 直訳すれば「私の夜に」なのでしょうか。

この曲をタイトルとしたアンソロジーCD74321-39774・2(RCA - BMG RICORDI,Italy)が1996年に発売されます。




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)番外編 “花は云えない”

SP-1388 (1968年CETRA – FONIT CETRA, Italy) “CAMMINANDO E CANTANDO (花は云えない)/ANCH'IO TI RICORDERO'(忘れ得ぬ思い出)” “ラ・コロンバ”と同じカンツォニッシマに歌った曲。

SP-1388 SP-1388 HIT-1575 HIT-1575.jpg

HIT-1575 (1969年2月1日SEVEN SEAS –キング) “花は云えない (CAMINHANDO (FRA NAO DIZER QUE BAO FALEI DAS FLORES)/サビア(SABIA')”ジェラルド・ヴァンドレ(GERALDO VANDRE)/シーコ・ブァルキ(CHICO BUARQUE DE HOLLANDA)

花は云えない CAMINHANDO (PRA NAO DIZER QUE BAO FALEI DAS FLORES)
 ジェラルド・ヴァンドレ(GERALDO VANDRE’)の1968年ブラジル音楽祭第2位になった曲。プロテスト・ソングのため優勝は出来なかったが、優勝したシコ・ブアルケの“サビア(SABIA’)よりヒットしました。原題は“CAMINHANDO (FRA’NAO DIZER QUE NAO FALEI DAS FLORES)” (前進しながら)。

エンドリゴは彼の公式ホーム・ページでこの曲について、「花の話を聞いたことは言ってはいけない」というサブ・タイトルのついたこのブラジルの曲を聞いて、大変好きなりました。この歌をイタリア語に翻訳し、“歩きながら歌いながら“というタイトルをつけカンツォニッシマで歌いました。 ' 68年のカンツォニッシマはトーナメント戦で、初戦、第2回戦を通過していなかったので第3回戦に歌うことにしました。と、コメントしています。
 彼はを和らげて歌っていますが、よくカンツォニッシマ(日本でいえば紅白歌合戦)で歌ったものです。よほどの自信がなければ歌えません。

CAMMINANDO E CANTANDO        花は云えない

Camminando e cantando la stessa canzone 同じ歌を歩きながら、歌いながら
Siamo tutti uguali chi e' d'accordo e chi no 同意する人もしない人も私達は皆同じだ(1)
Nelle fabbriche, a scuola, nei campi in citta' 工場で、学校で、畑で、町で
Camminando e cantando la stessa canzone 同じ歌を歩きながら、歌いながら

Fa chi vuole fare e chi vuole andare va     したい人がして、行きたい人が行く
Chi e' stanco di aspettare una strada trovera' 待ちくたびれた人は、道を見つけるだろう(2)
Fa chi vuole fare e chi vuol sapere sa      したい人がして、知りたい人が知る
Che la speranza, un fiore ma frutti non ne da 希望は花を与え、実を与えないことを

Il soldato armato, amato o no           武装した兵隊は、愛されていてもいなくても
Con in mano il fucile non sa cosa fa       何をするのかわからず、手に鉄砲を持って
In caserma si insegna una antica lezione    なんのためかわからない古い学課を、
Di morir per il re e non sapere perche'     王のために死ぬことを、兵舎では教えている

Fa chi vuole fare e chi vuole andare va     (2)
Chi e' stanco di aspettare una strada trovera'
Fa chi vuole fare e chi vuol sapere sa      したい人がして、知りたい人が知る
Che la speranza, un fiore ma frutti non ne da 希望は花を与え、実を与えないことを

Nelle fabbriche, a scuola, nei campi in citta'  工場で、学校で、畑で、町で
Siamo tutti soldati armati o no          私達はみんな兵隊だ、武装していてもしていなくても
Camminando e cantando la stessa canzone  (1)
Siamo tutti uguali chi e' d'accordo e chi no

Nella mente l'amore e negli occhi la gioia    心では愛を、目では喜びを
La certezza nel cuore, nelle mani la storia    心では確信を、手では歴史を
Camminando e cantando la stessa canzone   同じ歌を歩きながら、歌いながら
Imparando e insegnando una nuova lezione   新しい学課を、教わりながら、教えながら
※(Imparando e insegnando una nuova canzone   新しい歌を、教わりながら、教えながら)

Fa chi vuole fare e chi vuole andare va      (2)
Chi e' stanco di aspettare una strada trovera' 

Fa chi vuole fare e chi vuol sapere sa       したい人がして、知りたい人が知る
Che la speranza, un fiore ma frutti non ne da  希望は花を与え、実を与えないことを

Testo:Endrigo Musica: Endrigo / Bacalov
※レコーディングと違うセルジョ・エンドリゴ公式ホーム・ページに載せられている歌詞です。

Pra Não Dizer Que Não Falei Das Flores
Caminhando e cantando, E seguindo a canção  歌いながら前進しよう、歌に従い
Somos todos iguais, Braços dados ou não 我々は皆平等の筈、スクラム組んで(1)
Nas escolas, nas ruas, Campos, construções  学舎、街、野、建設においても
Caminhando e cantando, E seguindo a canção  歌いながら前進しよう、歌に従い

Vem, vamos embora, Que esperar não é saber さあ待つばかりが能ではない、知恵のある者は
Quem sabe faz a hora, Não espera acontecer  事が起こる迄ぼんやりと待ったりしないもの(2)

Pelos campos há fome, Em grandes plantações みのり豊かな大いなる田畑があるというのに
野には飢えがあり
Pelas ruas marchando, Indecisos cordões  街ではだらしのない小行進しかなく
Ainda fazem da flor, Seu mais forte refrão  その上極まり文句は「お花」のこと
E acreditam nas flores, Vencendo o canhão そして「お花」が大砲に勝つと信じている

Vem, vamos embora, Que esperar não é saber (2)
Quem sabe faz a hora, Não espera acontecer

Há soldados armados, Amados ou não  愛されるべき武器をととのえる兵隊がいる筈が
Quase todos perdidos, De armas na mão  武器を手に為すすべを知らない
Nos quartéis lhes ensinam, Uma antiga lição:  兵営では古い教訓をたたれるから
De morrer pela pátria, E viver sem razão  国の為死し理性なく生きるという

Vem, vamos embora, Que esperar não é saber  (2)
Quem sabe faz a hora, Não espera acontecer

Nas escolas, nas ruas, Campos, construções 学舎、街、野、建設においても
Somos todos soldados, Armados ou não  我々は皆武装した
Caminhando e cantando, E seguindo a canção  (1)
Somos todos iguais, Braços dados ou não

Os amores na mente, As flores no chão  愛は知性に、「お花」は地面に
A certeza na frente, A história na mão  前途に確信を、歴史を手中に

Caminhando e cantando, E seguindo a canção  (1)
Aprendendo e ensinando, Uma nova lição
Vem, vamos embora, Que esperar não é saber  (2)
Quem sabe faz a hora, Não espera acontecer

HIT-1575 “花は云えない (CAMINHANDO (FRA NAO DIZER QUE BAO FALEI DAS FLORES)ジェラジェラルド・ヴァンドレ(GERALDO VANDRE)の歌詞カートより
※元詞と合わせるため日本語を多少前後させていますが、原文通りに掲載しています。

ジェラルド・ヴァンドレ(GERALDO VANDRE’)
1935年9月12日ブラジルのジョアン・ペソア(ブラジルの一番東端の港町)生。弁護士であり歌手、作曲家です。1951年リオ・デ・ジャネーロに移り、1961年国立法科大学院を卒業し、すでにカルロス・ホセの名前で歌手活動していましたが、国民学生連合人人民文化センター(CPC da UNE)、に参加、活動家となりました。
 1968年ブラジル音楽祭で「花は云えない」を歌い、政治的配慮で優勝出来なかったばかりか、ブラジルは軍事独裁政権だったので、政権に対する武装闘争の煽動とみなされ検閲を受け演奏禁止、彼は国外追放となり4年間ヨーロッパなどで亡命生活を送りました。シコ・ブルキも68年逮捕され、翌69年にイタリアに亡命しました。
1982年7月ブラジルに帰国、1995年ブラジル空軍へ賛歌「ファビアナ」を作りました。現在は芸能活動から引退し、弁護士に戻っています。
 彼のもっとも華々しい活動は軍事政権に抵抗し、この「花は云えない」を作り歌った頃でした。

http://www.sergioendrigo.it/Index2.htm セルジョ・エンドリゴ公式ホーム・ページ
http://en.wikipedia.org/wiki/Geraldo_Vandr%C3%A9 ウィキペディア ジェラルド・ヴァンドレ
http://www.hmv.co.jp/artist/biography/000000000047517/ HMVジェラルド・ヴァンドレ・プロフィール
http://blog.goo.ne.jp/vendetta35/e/57f87120b39973145199a6221ce65aa4 ブラバドスの黄金 
を参考にいたしました。ご興味があれば一度ご覧ください。



セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)番外編 “ラ・コロンバ”

 

SP-1383 (1968年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "LA COLOMBA (ラ・コロンバ)/ANCH'IO TI RICORDERO'(忘れ得ぬ思い出)" エンドリゴが1968~69年のカンツォニッシマに歌った曲。この歌詞の内容をどう受け止めるかは、それぞれの思いによります。ご参照いただきたいのですが、最後にアドレスを入れておりましたが、このLangsamer Satz グアスタビーノ/鳩のあやまち のブログのような取り方もあります。エンドリゴの場合、元詞スペイン語の最後の2行を入れなかった理由は何だったのでしょうか?

                     SP-1383SP-1383   

 

LA COLOMBA             ラ・コロンバ

Ma si sbaglio' la colomba,      だけど鳩は間違えた
Ma si sbagliava              だけど間違えた
Cercava il nord, ma era il sud   北をさがしていたのに南だった
Penso' che il grano era l'acqua   小麦が水だと思ったのだ
Ma si sbagliava             だけど間違えた
Penso' che il mare era il cielo   海が空だと思った
E la notte la mattina          夜を朝に
Ma si sbagliava, Ma si sbagliava  だけど間違えていた、だけど間違えていた
Vedeva stelle era rugiada      星を見たら露だった
Aveva caldo, c'era la neve      暑かったのに雪があった
E si sbagliava               間違えていた
Perche' credeva             なぜなら信じていたから
La tua gonna, la tua blusa     あなたのスカートを、あなたのブラウスを
Il tuo cuore, la sua casa       あなたの心を、彼女の家と
Ma si sbagliava             だけど間違えていた
Ma si sbagliava              だけど間違えていた

Penso' che il mare era il cielo   海が空だと思った
E la notte la mattina          夜を朝に
Ma si sbagliava, Ma si sbagliava  だけど間違えていた、だけど間違えていた

Vedeva stelle era rugiada      星を見たら露だった
Aveva caldo, c'era la neve      暑かったのに雪があった
E si sbagliava               間違えていた
Perche' credeva              なぜなら信じていたから
La tua gonna, la tua blusa      あなたのスカートを、あなたのブラウスを
Il tuo cuore, la sua casa        あなたの心を、彼女の家と
Ma si sbagliava, Ma si sbagliava  だけど間違えていた、だけど間違えていた

 

Msica: Carlos Guastavino

Testo: Raphael Alberti / Sergio Endrigo(traduzione)

da "Fra Il Garofano E La Spada (Entre el clavel y la espada)" (1941)

※イタリア語と日本語訳はSR-317 アルバムの歌詞カードより

 

Rafael Alberti (1941) Se equivocó la paloma 鳩のあやまち

Se equivoco' la paloma     鳩は間違った
Se equivocaba            間違っていた

Por ir al norte, fue' al sur    北へゆく代わりに南へ行った
Creyo' que el tigro era agua  麦を水と思いこんだ
Se equivocaba            間違っていた

Creyo' que el mar era el cielo 海を空と思いこんだ
Que la noche, la mañana    夜を朝と
Se equivocaba, se equivocaba 間違っていた、間違っていた

Que las estrellas, roci'o      星を露と
Que la calor, la Nevada      日射しを雪と
Se equivocaba, se equivocaba 間違っていた、間違っていた

 

Que tu falda era tu blusa:    あなたのスカートをブラウスと
Que tu corazo'n, su casa     あなたの心を自分の巣と
Se equivocaba, se equivocaba 間違っていた、間違っていた

Ella se durmi o' en la orilla.   鳩は岸辺で眠った
Tu', en la cumbre de una rama あなたは枝の頂きで....

※スペイン語の歌詞はRCA-5208""青春の恋人/アンヘリカ・マリア(LA NOVIA DE LA JUVENTUD/ANGELICA MARIA)の歌詞カードより(永田文夫さんの対訳です)。このLPには"聖女のなげき(NON SONO MADDALENA)"、"この胸のときめきを(IO CHE NON VIVO (SENZA TE))"、"わが青春のフロレンス(METELLO)"、それにオリジナルがわからないのですがセルジョ・バルドッティの作った"初恋(EL PRIMER AMOR)" (※) が入っており買った盤です。"ラ・コロンバ"が"鳩"になっているので収録されてるとは思いませんでした。(この曲が入っていても何も不思議ではないのですが)

 

※わが友よりメールが入り元曲はアンナリタ・スピナーチの"AMORE, PRIMO AMORE"とのこと。多分間違いなし! と私もおもいます。

 

RCA-5208 RCA-5208.jpg KICP-211~4KICP-211~4 

 

Die Taube  鳩のあやまち
So täuschte sich eine Taube      
Wie sie sich täuschte           
Sie flog Nordost kam nach Südwest 
Sie hielt den Weizen für Wasser   
Wie sie sich täuschte           

Hielt Ozeane für den Himmel

Und den Abend für den Morgen

Wie sie sich täuschte
Wie sie sich täuschte

Sie hielt die Sterne für Tau im Wald
Sie hielt die Wärme für Bitterkalt
Wie sie sich täuschte
Wie sie sich täuschte

Hielt deinen Mund für deine Augen
Und dein Herz für ihr Zuhause
Wie sie sich täuschte
Wie sie sich täuschte

Hielt Ozeane für den Himmel
Und den Abend für den Morgen
Wie sie sich täuschte
Wie sie sich täuschte

Sie hielt die Sterne für Tau im Wald
Sie hielt die Wärme für Bitterkalt
Wie sie sich täuschte
Wie sie sich täuschte

Hielt deinen Mund für deine Augen
Und dein Herz für ihr Zuhause
Wie sie sich täuschte
Wie sie sich täuschte

 

※ドイツ語の歌詞はKICP-211~4""ミルバ・ヒストリー(MILVA HISTORY)の歌詞リーフレットより 日本語訳は字数制限のため割愛しました。(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5542446.html をご覧ください)

 

カルロス・グアスタビーノ(Carlos Vicente Guastavino)

1912年4月5日 サンタフェ州生、2000年10月29日 ブエノスアイレス没、アルゼンチンの作曲家。20世紀のアルゼンチンの作曲家の中でも、グアスタビーノの作品は200曲を越え、ピアノ独奏曲、合唱曲、校歌、室内楽曲、ギター独奏曲などがあるが、そのほとんどは声楽とピアノのための作品である。テキストには、ラファエル・アルベルティ(Rafael Alberti)、アタウアルパ・ユパンキ、パブロ・ネルーダ、ガブリエラ・ミストラル、ホルヘ・ルイス・ボルヘスらの詩を使っている。(日本版ウィキペディアより)

 

ラファエル・アルベルティ(Rafael Alberti)

1902年にアンダルシアのプエルト・デ・サンタマリアで生、1999年没。20世紀のスペインを代表する偉大な詩人。ガルシア・ロルカに感化されて詩を書き始めアントニオ・マチャードに認められて詩人となった。1936~39年のスペイン市民戦争では友人のロルカとともに人民戦線のシンボル的存在であり市民政府側のオピニオンリーダーとして活躍した。ピカソとも親交があった。1939年共和政府が破れ、アルゼンチンに亡命、1977年フランコ政権が瓦解後、スペインにもどった。

 

時空遊泳(谷口江里也)~ラファエル・アルベルティ Rafael Alberti を参考にいたしました。

http://taniguchielia.blogspot.jp/2011/08/rafael-alberti.html

 

Langsamer Satz グアスタビーノ/鳩のあやまち このブログも一度お読みください。

http://nailsweet.jugem.jp/?eid=362 




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)、寡黙な男なのか? (4)

 

SP-1383 (1968年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "LA COLOMBA (ラ・コロンバ)/ANCH'IO TI RICORDERO'(忘れ得ぬ思い出)" エンドリゴが1968~69年のカンツォニッシマに歌った曲。スペイン生まれで亡命生活をしている詩人R.アルベルティとアルゼンチンの作曲家C.グァスタビーノの作。エンドリゴが外国の曲を歌う時、何か意図があるのではと思いたくなる。

※この曲はまた番外編でお話ししましょう。

 

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SP-1388 (1968年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "CAMMINANDO E CANTANDO (花は云えない)/ANCH'IO TI RICORDERO'(忘れ得ぬ思い出)" "ラ・コロンバ"と同じカンツォニッシマに歌った曲。この年と翌年は、歌手たちを対決させ勝ち残りの勝負をさせた。エンドリゴは結果は準決勝で12位。歌の内容からしてよほどに自信があったといえましょう。A面はSR- 317、PS- 145に、B面はSR- 317に収録。※この曲も番外編でお話しします。

 

SP-1391 (1969年2月 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "LONTANO DAGLI OCCHI (瞳はるかに)/SAN FIRMINO" 1969年サンレモ音楽祭第2位になった曲。パートナーは「悲しき天使」でメジャー・デビューしたイギリスのメリー・ホプキン。日本で大ヒットしたチンクェッティの"雨"は第6位でした。B面は国内盤未発売。

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HIT-1611 (1969年3月20日 SEVEN SEAS - キング) "瞳はるかに(LONTANO DAGLI OCCHI)/ピッコラ・ピッコラ(PICCOLA PICCOLA)" セルジョ・エンドリゴ/カルメン・ヴィラーニ(CARMEN VILLANI)

 

SP-1403 (1969年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "SOPHIA/1947(1947)"

A面は国内盤未発売。ジャケットのイラストで分かるかは別にして、ソフィア・ローレンをたたえた歌です。B面は1969~70年のカンツォニッシマ2回戦で歌われた曲。HIT-1735の解説でH.K.(河合秀朋)さんは「詩の内容ではこのタイトルがどうしてつけられたのかはっきりしません。」と書いています。1947は1947年、故郷ポーラがユーゴスラビアに併合された年。エンドリゴの思いの総てでしょう。この盤からまたルイス・エンリケス・バカロフのアレンジが復活します。

 

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SP-1417 (1969年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "LA CASALA MARCIA DEI FIORI" (1975年再発売SPB-13)両面とも国内盤未発売。この頃になると国内盤で発売されない曲が増えてきます。両面ともブラジルのデ・モラエスの曲。セルジョ・バルドッティの訳詞。エンドリゴか関わらない曲です。B面は12人の子供たちのコーラスをバックに歌っています。

 

SP-1418 (1969年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "UNA BREVE STAGIONEPOEMA DEGI OCCHI" 両面とも国内盤未発売。1970製作イタリア映画「さよならを言わないで」70年11月日本公開。エンドリゴとバルドッティ作詞にモリコーネとエンドリゴ作曲の映画の主題曲。B面はデ・モラエス作詞作曲にバルドッティとソレダーテがイタリア語の歌詞を付けたブラジルの曲。両面とも国内盤未発売。映画が日本で封切られているので、レコードも出して欲しかったところです。

 

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SP-1423 (1970年2月 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "L'ARCA DI NOE (ノアの箱舟)/DALL'AMERICA" B面は国内盤未発売。1970年サンレモ音楽祭第3位になった曲。パートナーのイヴァ・ザニッキもすでに優勝経験があり、下馬評は高かった曲。何か"アロハ・オエ"のようなメロディが出てきて、日本での評価はよくありませんでした。

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HIT-1735 (1970年4月1日 SEVEN SEAS - キング) "ノアの箱舟(L'ARCA DI NOE)/1947(1947)"

 

SP-1442 (1970年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "ORIENTE(東洋)/LORLANDO" A面はSR- 623に収録、B面は国内盤未発売。国内盤はヴェネチア音楽祭のコンピレーション盤のみの収録で、エンドリゴのアルバムには入っていません。

         SP-1442 SP-1442

 

SP-1452 (1971年2月 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "UNA STORIA (ある物語)/LETTERA DA CUBA" B面は国内盤未発売。 国内盤のクレジットにはルイス・エンリケス・バカロフの名前はないが、エンドリゴとの共作、B面もおなじです。たぶん"ある物語"がきっかけとなりエンリケスとニュー・トロルスの関係が出来上がり、"コンチェルト・グロッソ"のコラボが実現したのでしょう。

 

SP-1452 SP-1452 HIT-1872 HIT-1872

 

HIT-1872 (1971年4月10日 SEVEN SEAS - キング) "ある物語(UNA STORIA)"セルジョ・エンドリゴ/ニュー・トロルス(NEW TROLLS)

 

SP-1464 (1971年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "LA PRIMA COMPAGNA(最初の仲間)LE PAROLE DELL'ADDIO(別れのことば)" 両面ともSR- 748~9に収録。ラジオ番組用のプロモーション・ディスクと説明されています。

SP-1464 NO IMAGE小  SP-1471 SP-1471

 

SP-1471 (1972年4月CETRA - FONIT CETRA, Italy) "ANGIOLINALA PRIMA COMPAGNA(最初の仲間)" A面は国内盤未発売、B面はSR- 748~9に収録。A面の"アンジョリーナ"は1972年夏のディスクの参加曲、サン・ヴァンサンの最終戦にはいけませんでした。

 

SP-1484 (1972年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "IL PAPPAGALLOSAN FRANCESCO" (1974年再発売SPB-14)両面とも国内盤未発売。翌年73年になってヒット・ランク・インし20位になった。

 

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SP-1504 (1973年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "LA PULCELA PAPERA"

(1975年再発売SPB-15)両面とも国内盤未発売。ブラジルのデ・モラエスとトッキョーニョの作品にバルドッティがイタリア語の歌詞を付けている。

 

SP-1506 (1973年3月 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "ELISA ELISA (エリーザ・エリーザ)/ANTIQUA" B面は国内盤未発売。

SP-1506 SP-1506 HIT-2098 HIT-2098

HIT-2098 (1973年4月25日 SEVEN SEAS - キング) "愛の果実(DOLCE FRUTTO)/"エリーザ・エリーザ(DOLCE FRUTTO)"リッキとポーヴェリ(RICCHI e POVERI)/セルジョ・エンドリゴ 1973年サンレモ音楽祭の曲です。この年初めて入賞することができませんでした(それもただ一度の参加曲)。この盤がエンドリゴ最後の新譜国内シングル盤となりました。

 

SPB- 3 (1974年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "L'ARCALA BELLA FAMIGLIA"セルジョ・エンドリゴ/ザ・プレイグス(THE PLAGUES)SPBは子供の歌ようのレコード番号でSP-1417がSPB-13、SP-1484がSPB-14、SP-1504がSPB-15で再発売されました。このあと4枚再発売シングル盤がでましたが、このSPB- 3がチェトラで最後の新譜シングル盤となりました。

※ご覧になってお分かりかと思いますが、チェトラ時代のジャケット・スリーブのほとんどをフェルッチョ・ピルドゥ(FERRUCCIO PILUDU)というデザイナーが手がけています。見るだけでも楽しい作品で、ブログも引立って見えるのではないでしょうか。

 

エンドリゴは10年近く在籍したチェトラからメジャー・デビューしたリコルディに移籍します。次回は国内のコンパクト盤、LP盤のご紹介をいたします。




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)番外編 “世界をつなぐ若者”

 

 SP-1306 (1966年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "GIROTONDO INTORNO AL MONDO (世界をつなぐ若者)/QUESTO AMORE PER SEMPRE (永遠の愛)"

番外編"情熱の白バラ"で書いたメッセージ性のありそうな曲の一つ。

A面はSR- 152、SR- 317、LAX- 114、 GXC- 115に、B面はSR- 152に収録

 

          SP-1306SP-1306 

 

GIROTONDO INTORNO AL MONDO   世界をつなぐ若者

 

Se tutte le ragazze               もし すべての少女達が

Le ragazze del mondo             世界の少女達が

Si dessero la mano               手とつないだら

Si dessero la mano               そのときは輪になって

Allora ci sarebbe un girotondo        地球のまわりを

Intorno al mondo                まわることがあるだろう

Intorno al mondo

 

E se tutti i ragazzi                  そして もしすべての少年達が

I ragazzi del mondo              世界の少年達が

Volessero una volta              一度

Diventare marina                船乗りになったら

Allora si farebbe un grande ponte    そのときは沢山の船で

Con tante barche                海のまわりに

Intorno al mare                 大きな橋ができるだろう

 

E se tutta la gente              そして もしすべての人々が

Si desse una mano              手をつないだら

Se il mondo finalmente           もし世界中の人々が

Si desse una mano              本当に手をつないだら

Allora ci sarebbe un girotondo      その時は輪になって

Intorno al mondo               地球のまわりをまわるごとがあるだろう

Intorno al mondo

 

Testo: Paul Fort / Endrigo (traduzione)

Musica: Endrigo

※イタリア語はエンドリゴの公式ホーム・ページより、日本語訳はSR-152 アルバムの歌詞カードより

 

すでにブログを通して引用のお願いはしました。まるまる引用は気が引けたのですが、反対に私の考えで一部使用するとchouchouさんの意図と違うことになるかもしれないと思っております。ご了承ください。

 

chouchouさんのブログ「クララの森・少女愛惜」から引用させていただいております。

http://claranomor.exblog.jp/17858028/

 

私の好きな少年少女詩 『輪おどり』 詩:ポール・フォール 訳:西條八十 (西条八十)

輪おどり

世界じゅうの女の子が
そろって手と手をつないだら
海をめぐってぐるぐると
大きな輪ができましょう。

世界じゅうの男の子が
みんな水夫になったなら
船をならべて波のうえ
きれいな橋がかかるでしょう。

だから世界の人たちが
みんな手と手をつないだら
世界のはしからはしかけて
ぐるりとおどってまわれましょう。

詩:ポール・フォール 訳:西条八十(西條八十)


★ポール・フォール(Paul Fort:1872年2月1日~1960年4月20日)はフランスの詩人、劇作家。19世紀のフランスに於ける自然主義文学という退潮の中で、反自然主義的な演劇、象徴主義の演劇運動が起こる。とりわけポール・フォールは象徴主義演劇への道を開いたとされ、ステファヌ・マラルメ等の援助のもとに「芸術座」を創設したお方でもある。ポール・フォールの作品を詳しく知らないのですが、この『輪おどり』は西条八十による訳詩で知りました。こんな世界は夢物語だと想われるお方も居られると想いますが、それでもこの詩を読むと心が穏やかで居られるのです。そんなやさしい詩篇たちを胸に、これからも生きてゆきたいです。今も色褪せず好きな、あるいは新たに知り大好きになった古今東西の詩篇たちは沢山あります。少年少女詩とは私にとっての感覚で云っているのに過ぎません。人それぞれの好きな少年少女世界があるのですから♪

 

 西条八十がお幾つの時に訳されたのか分からないのですが、日本語の美しさを感じさせる良い詩だとおもいます。

 

 

さてエンドリゴの事に話を戻します。

 

エンドリゴのホーム・ページの中に各曲のエピソードが書かれています。"世界をつなぐ若者"については、彼の書いた本「男のつぶやき(LA VOCE DELL'UOMO)」の中から引用して書いています。

(たぶん1947年~50年の間、ポーラから引揚げてブリンディージのオジの家に身を寄せていた頃からハイ・スクールを中退する頃までの話だと思います。セルジョ・エンドリゴは伯父の書斎の本を読みあさっており、)

母の求めに応じ、ボードレールの詩集「悪の華」を独学でフランス語を訳すようになりました。この方法で私はフランス語が上達しました。おかげでナイトクラブでもフランス語の歌も歌いました。

私はルイ・アラゴン(LUIS ARAGON)の小説「バーゼルの鐘(Les cloches de Bâle)」を読んで良かったことが一つあります。小説の中でアラゴンは世界大戦の勃発直前、スイスのバーゼルで(開催された社会主義連邦議会のバーゼル宣言の様子を描いていました。)それはバーゼルの鐘が鳴るとともに、戦争を回避するために白い天使の服を着た子供や若い女の子がポール・フォールの詩を歌って輪おどりをしている場面が描かれていました。
( )内は私cnz27hiroが書きくわえた部分です。

※ルイ・アラゴン(Louis Aragon、1897年10月3日 - 1982年12月24日 )は、フランス小説家詩人批評家ヌイイ=シュル=セーヌ出身。 ダダイズム文学、シュルレアリスム文学を開拓、後は共産党員となり、共産主義的文学へと足を踏み入れていく。代表作は、「パリの農夫」、「共産主義者たち」など。原爆詩人の峠三吉も影響を受けたとされる。(ウィキペディア日本語版より)

 

LA RONDE AUTOUR DU MONDE  Paul Fort

Si toutes les filles du monde voulaient s'donner la main,
Tout autour de la mer elles pourraient faire une ronde.

Si tous les gars du monde voulaient bien êtr' marins,
Ils feraient avec leurs barques un joli pont sur l'onde.

Alors on pourrait faire une ronde autour du monde,
Si tous les gens du monde voulaient s'donner la main.

アマゾンMP3サンプルファイル(チェトラ時代のオリジナル)です

http://www.amazon.co.jp/Girotondo-Intorno-Al-Mondo/dp/B004CWM73A/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1337159044&s=dmusic&sr=1-1 

オリジナルのセルジョ・エンドリゴの曲も聴けます。

http://blog.chatta.it/orsoingrifato/post/mo-ven-natale.aspx 




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)、寡黙な男なのか? (3)

  さて今回はRCAイタリアーナからチェトラに移籍し、サンレモ音楽祭に出場、そして優勝しトップ歌手になっていくエンドリゴを見てみましょう。彼のホーム・ページでこの移籍は金銭のためでなかった(両社同条件)こと、RCAの場合には他の歌手に曲の提供をしなければならなかったのが理由だったとしています。

 

※国内シングル盤未発売の曲は収録されているLP盤、コンパクト盤のレコード番号を書いています。チェトラ在籍中のレコードを紹介した後に載せますので、ご参照ください。

 

 

SP-1281 (1965年 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "MANI BUCATE (孤独の手)/DIMMI LA VERITA' (心を告げて)" チェトラ移籍第一弾は小ヒット(1週間ランク・イン20位)であったが、まずまずの成功をおさめました。A面はSR- 152、SR- 317、LAX- 114に、B面はSR- 152、SR- 317、PS-  68に収録

 

SP-1281SP-1281  SP-1292SP-1292 

 

SP-1292 (1965年 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "TERESA (テレーザ)/COME STASERA MAI (今宵の君)" 日本ではA面の方が好まれていますが、イタリアではB面がヒットしました。7週ランク・イン最高位13位

 

SP-1297 (1966年1月 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "ADESSO SI' (去り行く今)/IO E LA MIA CHITARRA (私とギター)" エンドリゴ初のサンレモ音楽祭の出場曲。イギリスのフォーク・デュオ、チャッド&ジェレミーをパートナーに見事入賞しました。B面はSR- 152に収録。

 

SP-1297SP-1297  HIT-1326HIT-1326 

HIT-1326 (1966年5月SEVEN SEAS - キング) "青空に住もう(UNA CASA IN CIMA AL MONDO)/去り行く今(ADESSO SI')"クラウディオ・ビルラ(CLAUDIO VILLA)/セルジョ・エンドリゴ

 

SP-1306 (1966年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "GIROTONDO INTORNO AL MONDO (世界をつなぐ若者)/QUESTO AMORE PER SEMPRE (永遠の愛)"

番外編"情熱の白バラ"で書いたメッセージ性のありそうな曲の一つ。歌詞は1872年フランス生まれの詩人ポール・フォール(PAUL FORT)。エンドリゴの場合は、外国の詩を題材にする時、何かありそうな予感をさせます。A面はSR- 152、SR- 317、LAX- 114、 GXC- 115に、B面はSR- 152に収録。

※この曲はまた番外編でお話ししましょう。

 

              SP-1306SP-1306 

 

SP-1314 (1966年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "BACK HOME SOMEDAY(A MAN ALONE)[E] (真昼の用心棒)/L'ALBA VIENE A CERCARE TE (暁は君をたずねて)" A面はマカロニ・ウェスタンの主題歌、多分サンレモ優勝曲より知名度は高いでしょう。B面はピエロ・ウミリアーニ音楽の映画「スエズの陰謀(未公開)」の主題歌SR- 152に収録

 

SP-1314SP-1314  HIT-1396HIT-1396 

HIT-1396 (1966年12月1日SEVEN SEAS - キング) "真昼の用心棒(BACK HOME SOMEDAY [E])/テレーザ(TERESA)" 「真昼の用心棒は1966年イタリア映画、日本公開67年1月フランコ・ンロ主演、音楽はセルジョ・エンドリゴ(主題歌のみ?)。故郷に帰ると悪党一味が町を牛耳っていた。悪党の老ボスが実の父と知ったが、腹違いの弟が父を殺し、その敵討ちをする話。

 

SP-1324 (1967年1月 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "DOVE CREDI DI ANDARE' (孤独な青春)/IL TRENO CHE VIENE DAL SUD" 1967年サンレモ音楽祭の入賞曲、この年はルイジ・テンコの自殺で落着きの無い大会となりまた。パートナーはメモ・レミージ(MEMO REMIGI)で彼もエンドリゴに近いカンタウトゥーリでした。B面は国内盤未発売

 

SP-1324SP-1324  HIT-1421HIT-1421 

 

HIT-1421 (19673月20日 SEVEN SEAS - キング) "愛のわかれ(NON PENSARE A ME)/孤独な青春(DOVE CREDI DI ANDARE)"クラウディオ・ビルラ(CLAUDIO VILLA)/セルジョ・エンドリゴ 2年連続で日本では知名度の高いクラウディオ・ビルラのB面に収録し、知名度を上げようとしているキング・レコードの意気込みを感じられます。

 

SP-1334 (1967年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "LA DONNA DEL SUD (南のひと、マリア)/IL TRENO CHE VIENE DAL SUD" A面はセルジョ・エンドリゴとしても初めて他のカンタウトゥーリの曲を歌います。曲は遅れてきた自作自演歌手ブルーノ・ラウツィです。SR- 152、PS-  68に収録、B面は国内盤未発売。

 

SP-1334SP-1334  SP-1339SP-1339 

 

SP-1339 (1967年CETRA - FONIT CETRA, Italy) "PERCHE' NON DORMI FRATELLO (兄弟よなぜ寝ない)/LA TUA ASSENZA(君の不在)" エンドリゴの曲としては物議をかもした作品、ジャケットの「聞かざる、見ざる、言わざる」がよくできています。A、B面ともにSR- 317に収録。

 

SP-1360 (1968年2月 CETRA - FONIT CETRA, Italy) "CANZONE PER TE (君を歌う)/IL PRIMO BICCHIERE DI VINO" チェトラ時代ばかりでなくエンドリゴの代表作であるサンレモ音楽祭の優勝曲。ヒット・ランクに7週間入り遂にナンバー・ワン・ヒットとなりました。パートナーのロベルト・カルロスも故郷ブラジルにこの曲を携え凱旋しました。B面は国内盤未発売。

 

SP-1360SP-1360  HIT-1511HIT-1511 

 

HIT-1511 (1968年3月 SEVEN SEAS - キング) "君を歌う(CANZONE PER TE)カ-ザ・ビアンカ(CASA BIANCA)" セルジョ・エンドリゴ/マリーザ・サンニア(MARISA SANNIA)、国内盤はマリーザ・サンニアとカップリング、彼女はエンドリゴをしたい彼の曲を数多くカヴァーしています。また追悼のオマージュ・ライヴでは、あの"情熱の白バラ"を歌いました。

 

SP-1367 (1968年4月CETRA - FONIT CETRA, Italy) "MARIANNE (マリアンヌ)/IL DOLCE PAESE(のどかな故郷)" サンレモ音楽祭の優勝者がその年のユーロビジョン・ソング・コンテストに出場する慣例になっていました。68年はイギリスで開催され、エンドリゴは"マリアンヌ"で出場、第10位。優勝はスペインのマシェル"ラ・ラ・ラ(LA LA LA)、開催国イギリスはクリフ・リチャードの"コングラチュレーションズ(CONGRATULATIONS)が第2位。クリフは今までもカンツォーネを多数カヴァーしていますが、"マリアンヌ"も気に入ったらしく英語のカヴァーをだしています。B面はSR- 317に収録。

 

SP-1367SP-1367  HIT-1579HIT-1579 

 

HIT-1579 (1969年2月SEVEN SEAS - キング) "マリアン (MARIANNE)/今宵の君(COME STASERA MAI)"、シングル発売時は"マリアンヌ"でありませんでした。

 

OR- 2159 (1969年1月10日ODEON -東芝音楽工業) "マリアンヌ(MARIANNE)/ミスター・ナイス(MR. NICE)" クリフ・リチャード(CLIFF RICHARD)

 

                        OR- 2159OR- 2159 




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)番外編 “情熱の白バラ”

 SS-1394 SS-1394 PM45-3210 PM45-3210 

 

イタリア盤の中で "情熱の白バラ"だけ感じかが違っています。 映画音楽としてのジャケットのためです。曲自体も情緒的な曲で国内盤しか見ていなかったので、相当の違和感がありました。

 

国内盤のジャケットにある曲の説明は短い文です。「ダミアノ・ダミアニ監督のイタリア映画『LA RIMPATRIATA』の主題歌で、作曲はマルティ、作詞はセルジオ自身で、私は白ばらを作るという短い歌詞の、繰り返しで綴られています。」 確かに映画の主題歌と書いてあります。

 

この盤以前にイタリアのCDを手に入れ聞いていたのですが、クレジットはエンドリゴだけのもあり、よく分からないままでした。今回ブログを書くためWebで調べた結果、MARTIは元の詩の作者、エンドリゴが訳詞、作曲したことを知りました。

 

MARTIはJ.MARTIフル・ネームはホセ・フリアン・マルティ・ペレス(JOSE' JULIA'N MARTI' PE'REZ、キューバの文学者、革命家。19世紀後半のキューバ革命での英雄であり、キューバの国際空港名にもなった国家的英雄でした。知りませんでした。

 

ここで今までのタイトル「セルジョ・エンドリゴ、寡黙な男か?」と結びついてきます。エンドリゴが絶頂期の頃は世界的に新左翼旋風が吹いており、サンレモ音楽祭の曲も反戦とか革命を題材にした曲が入賞していた時代です。自作自演歌手の中にもその傾向が強くありました。

 

その中ではエンドリゴは穏健で政治的でない歌手と言われていました。この後に書いていくチェトラ時代の彼の曲の中には"パルチザンのバラード(LA BALLATA DELL'EX)"、"花は云えない(CAMINHANDO [I])"、"ラ・コロンバ(LA COLOMBA)"、"兄弟よなぜ寝ない(PERCHE' NON DORMI FRATELLO)"、"自由の歌(CANZONE DELLA LIBERTA')"はいかにもと言うタイトルです。傾向は違ってもメッセージ性を持っているのは"世界をつなぐ若者(GIROTONDO INTORNO AL MONDO)"も含まれると思われます。この辺を含めてこの後、曲や盤の紹介をしながらお話を進めて行きましょう。

 

 "情熱の白バラ"はその流れの最初の曲ではないかと思ったわけです。この元の詩は簡潔な詩集(VERSOS SENCILLOS)」の39節からの一部をつかっています。この詩集から歌詞を取った有名な曲でピート・シーガーが歌いだしたフォークソング、後にサンドパイパーズ、イタリア語ではベティー・クルティスが歌った"グァンタナメラ(GUANTANAMERA)"があります。"情熱の白バラ"の歌詩が付いているのは、この国内シングル盤に載っているだけです。

 

情熱の白バラ(LA ROSA BIANCA) ホセ・マルティ「簡潔な詩集」第39節

Coltivo una rosa Bianca         私は白いバラをつくっている

In luglio come in gennaio         七月にも、一月にも、

Per l'amico sincere            私に好意を示してくれる

Che mi da' la sua mano franca     親切な友のために。

Per chi mi vuol male e mi stanca    私に意地悪な人には、

Questo cuore con cui vivo        私の心はつかれるのだ。

Cardi ne' ortiche coltivo         カルディ(あざみ)もオルティケ(いらくさ)も

Coltivo una rosa Bianca          私はつくらない。私は白いバラをつくる。

(伊語、日本語歌詞はセルジョ・エンドリゴ SS-1394"情熱の白バラ"歌詞カードより)

 

Cultivo la rosa blanca

En julio como en enero

Para el amigo sincero

Que me da su mano franca

Y para el cruel que me arranca

El corazo'n con que vivo

Cardos ni ortigas cultivo

Cultivo la rosa blanca

 

Testo: Jose Marti / Endrigo (trad.) Musica: Endrigo Edizione: BMG Ricordi S.p.A.

(伊語、西語歌詞はセルジョ・エンドリゴ公式ホーム・ページhttp://www.sergioendrigo.it/より)

 

I cultivate a white rose
In July as in January
For the sincere friend
Who gives me his hand frankly.

And for the cruel person who tears out
the heart with which I live,
I cultivate neither nettles nor thorns:
I cultivate a white rose.

(英語 American Triangle;http://www.learningfromlyrics.org/Jose.html より)

 

この詩は警察にマルティのことを密告した友人に送ったとのこと、「赦し」の詩として解釈されてるようです。

 

 

 最近警察や検察が犯した、自ら組立てたストーリーに基づき、それに合った証拠を集めてしまう "危ういパラドックス"にハマルところでした。エンドリゴはメッセージ性のあるホセ・マルティの詩を訳詞、曲をつけダミアーノ・ダミアーニ映画の主題歌にした、という。

 

 この時点でまだ役者が一人足りません。エンリケス・バカロフ(LUIS ENRIQUEZ BACALOV)の登場です。余談ですが後でエンドリゴとエンリケス・バカロフの関係は運命の綾が絡まります。

 

 二人の関係はエンドリゴがRCAに移籍してから始まります。二人は1933年生まれ、エンリケスはアルゼンチンから最終的にイタリアに辿りつき、60年前後から本格的にRCAでアレンジの仕事をします。同い年である種似た境遇の二人は気もあったでしょう。

RCA時代の全てのエンドリゴの曲に関わり、チェトラ移籍後も彼のアレンジをし

ます。また音楽の先生、相談相手、協力者としての関係が続きます。モリコーネやトロヴァヨーリだったら彼はどうなっていたでしょうか。

 エンドリゴ自身この関係が74年まで続いたと書いています。本当は20年前後続いたと想像しますが、エンドリゴの心境としては74年に終わったのでしょう。

 

 前置きはこのくらいにして"情熱の白バラ"の事に戻りましょう。エンドリゴのホームページで、「長年のエンリケスとの関係の中で、唯一オファーを受けた仕事だった」と書いています。通常エンドリゴが詩を作り、エンリケスが曲をつける、あるいはエンドリゴの作詞作曲に補作をするのが普通でした。

この時はエンリケスがホセ・マルティの詩を持ってきてエンドリゴに曲をつけて欲しいと言ったのでしょう。エンドリゴはマルティの詩をほぼ忠実に訳詞し曲を付けました。それは素晴らしいものでした。後に彼自身が書いていますが、「曲が大ヒットし、キューバに招待してもらい、そこでマルティの巨大な記念碑を見た時、偉大な英雄の詩に曲を付けたことを実感した」ようです。

 

 エンリケスがエンドリゴに初めて作曲の仕事を依頼した理由を書いた物は、何も見つけられません。これ以降は私の想像です。

 

 1963年ダミアーノ・ダミアーニは2本の映画を撮っています。1本はその年の前半にこの「LA RIMPATRIATA(再会)」、6月のベルリン国際映画祭に出しているので間違いないでしょう。そしてもう1本は「禁じられた抱擁(LA NOIA)」でこの年12月封切、こちらは日本でも公開。しかもエンリケスが音楽を担当し、リタ・パヴォーネが主題歌を歌いました。

 多分、ダミアーニとエンリケスは「禁じられた抱擁」の打合せの中で、どちらが頼んだのか頼まれたかは分かりませんが、「LA RIMPATRIATA(再会)」に"情熱の白バラ"を使う事にしたのでしょう。

 ほかにも"情熱の白バラ"を紹介したブログがありますので紹介しておきます。カストロとゲバラにあこがれて~「僕の敵にも白いバラをあげよう」 http://hastasiempre.blog104.fc2.com/blog-entry-266.html 歌っているのはイタリアの歌手ミケーレ(MICHELE)の朗読入りヴァージョンです。

 

もうひとバルバラ・エリッコ(BARBARA ERRICO)のジャズ・ヴォーカルヴァージョン             

                              BARBARA ERRICO  

 You-Tube(http://www.youtube.com/watch?v=zjNQ7c9CQj8)の埋込みは不本意なのでしませんが、同じくバルバラ・エリッコのライヴ・ヴァージョンの動画があります。良ければMP3のダウンロードで買ってあげてください。

 

最後にエンドリゴ自身のオリジナル。どうもフリーで聞けるようです。 http://clip.dj/sergio-endrigo-la-rosa-bianca-jos-mart-by-giuseppe-infantino-download-mp3-mp4-uDYjL3uOqJ4




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)、寡黙な男なのか? (2)の続き

 字数制限で国内盤のEP・コンパクト盤、LPコンピレーション国内盤とイタリアのLP盤が残ってしまっていますので、残りを紹介します。

 

EP・コンパクト盤(7inch 33・1/3rpm)

CP-1138(1964年8月 VICTOR - 日本ビクター)"太陽のバカンス(GLI ITALIANI E LE VACANZE)"

1.太陽のバカンス (CORRI, CORRI)

2.ただ君のみを... (IO CHE AMO SOLO TE)

3.嘘つき!! (BUGIARDA)

4.ひと夏の恋 (QUANDO FINSCE L'ESTATE)

 1.ジャンニ・モランディ(GIANNI MORANDI);2.セルジョ・エンドリゴ;3. ジャンニ・メッチアとジミー・フォンタナ (GIANNI MECCIA e JIMMY FONNTANA);4.ロズィー(ROSY)

CP-1138 CP-1138 SCP-1103 SCP-1103 

 

SCP-1103(1964年9月 VICTOR - 日本ビクター)"悲しみの詩人/セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)"

1.ただ君のみを... (IO CHE AMO SOLO TE)

2.ブロレット通り34 (VIA BROLETTO,34)

3.悲恋の掟 (BASTA COSI')

4.古びたダンス・ホ-ル (VECCHIA BALERA)

 

LP盤(12inch 33・1/3rpm)コンピレーション

RA-5251(1963年7月 VICTOR - 日本ビクター)"イタリアの愛のムード(ITALIAN MOODS)" "冷たい空気(ARIA DI NEVE)"

RA-5251 RA-5251 RA-5308 RA-5308 

 

RA-5308(1964年3月 VICTOR - 日本ビクター)"歌え!太陽!イタリアン・ソング・フェスティバル(CANTARE MIO SOLE)" "悲恋のおきて(BASTA COSI')"

 

SHP-5337(1964年8月 VICTOR - 日本ビクター) "太陽!  恋!  歌!(FESTIVAL IN CASA)" "真夏の出来事(ERA D'ESTATE)"

SHP-5337 SHP-5337 SHP-5390 SHP-5390

SHP-5390(1964年12月 VICTOR - 日本ビクター) "男のつぶやき (QUATRO VOCI NUOVE DLL'ITALIA)" "あなたの20才(I TUOI VENT'ANNI)"/"勇敢な人達(LA BRAVA GENTE)"/"郊外で(LA PERIFERIA)"

 

LP盤(12inch 33・1/3rpm)イタリア盤

PML-10322(1962年RCA - RCA ITALIANA)"セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDRIGO)"

1IO CHE AMO SOLO TE (ただ君のみを...)

2VECCHIA BALERA (古びたダンス・ホール)

3LA BRAVA GENTE (勇敢な人達)

4LA PERIFERIA (郊外で)

5IL SOLDATO DI NAPOLEONE

6BASTA COSI' (悲恋の掟)

7ARIA DI NEVE (雪もよう)

8VIA BROLETTO,34 (ブロレット通り34)

9VIVA MADDALENA

10.LA DOLCE ESTATE (甘い夏)

11.I TUOI VENT'ANNI (あなたの20才)

 

PML-10322 PML-10322 PML-10368 PML-10368

 

PML-10368(1963年RCA - RCA ITALIANA)"エンドリゴ(ENDRIGO)"

1.SE LE COSE STANNO COSI'

2.I PRINCIPI IN VACANZA

3.ANNAMARIA

4.UN GIORNO COME UN ALTRO

5.FORSE PENSO ANCH'IO A TE

6.LA ROSA BIANCA (情熱の白バラ)

7.ERA D'ESTATE (真夏の出来事)

8.LA GUERRA

9.ORA CHE SAI

10..CANTA PIERROT

11.DEVI RICORDAR

 

 "情熱の白バラ"のことは次回お話します。




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)、寡黙な男なのか? (2)

  前回は字数制限でエンドリゴがリコルディに残したサンレモ音楽祭のコンピ盤が残ってしまいました。これを紹介し、リコルディからRCAイタリアーナに移籍し、一流の歌手になっていく姿を見ていきましょう。

 

MRL-6007(1961年1月 RICORDI - RICORDI, Italy)"SANREMO 1961"

                                     MRL-6007

1.NON MI DIRE CHI SEI(君の名前)ウンベルト・ビンディ

2.LIBELLULE(とんぼ)ジョー・センティエリ

3.IO AMO TU AMI(わたしもあなたも恋してる)LORENZA LORY

4.AL DI LÀ(アル・ディ・ラ)ジノ・パオーリ

5.UNA GOCCIA DI CIELO(空のしずく)ヌッチア・ボンジョヴァンニ

6.24.000 BACI(2万4千のキッス)リッキー・サンナ(リッキー・ジャッコ)

7.IL MARE NEL CASSETTO(ひきだしの中の海)セルジョ・エンドリゴ

8.MANDOLINO MANDOLINO(マンドリーノ・マンドリーノ)エミリオ・ペリコーリ

9.COME SINFONIA(コメ・シンフォニア)LORENZA LORY

10. MARE DI DICEMBRE(十二月の海) エミリオ・ペリコーリ

11. PATATINA(じゃがいもちゃん)ジョルジョ・ガーベル

12. UN UOMO VIVO(生きる男) ジノ・パオーリ

13. BENZINA E CERINI(ベンジンとマッチ)ジョルジョ・ガーベル

14. FEBBRE DI MUSICA(音楽熱)エミリオ・ペリコーリ

15. LEI(レイ)ジョー・センティエリ

16. A.A.A. ADORABILE CERCASI(あ、あ、あ愛をさがそう)エミリオ・ペリコーリ

17. POZZANGHERE(水たまり)セルジョ・エンドリゴ

18. TU CON ME(私とあなた)LORENZA LORY

19. QUALCUNO MI AMA(誰かが私を愛している)ルイジ・テンコ

20. LADY LUNA(レディー・ルナ)ヌッチア・ボンジョヴァンニ

21. CHE FREDDO(何て冷たい)セルジョ・エンドリゴ

22. NOTTURNO SENZA LUNA(月なきノクターン)ルイジ・テンコ

23. LE MILLE BOLLE BLU(青い泡がいっぱい)WANNA IBBA

 エンドリゴの3曲のみを紹介すればよかったのですが、このLPに入っている歌手たち名前を見ていただきたかったのです。タイトルが太字はセルジョ・エンドリゴがカヴァーした曲。歌手名が太字は出場歌手のオリジナルです。

 

セルジョ・エンドリゴはRCAに在籍中、シングル盤10枚、EP1枚、LPを2枚出します。

RCA移籍第1弾はPM45-3056 (1962年RCA - RCA ITALIANA)"LA PERIFERIA(郊外で)/ARIA DI NEVE(冷たい空気)"でした。2曲ともコンピ盤ですが日本でも出されました。

PM45-3056 PM45-3056 PM45-3076 PM45-3076

2枚目がPM45-3076(1962年RCA - RCA ITALIANA)"BASTA COSI'(悲恋の掟)/VIA BROLETTO,34(ブロレット通り34)"

 

国内盤はSS-1347(1963年8月 VICTOR - 日本ビクター)"悲恋の掟(BASTA COSI')/テルスター(TELSTAR)"セルジョ・エンドリゴ/ローマ・ニュー・オリーンズ・ジャズ・バンド(ROMAN NEW ORLEANS JAZZ BAND)

SS-1342(1963年7月 VICTOR - 日本ビクター)"禁じられた恋の島(L'ISOLA DI ARTURO)/ブロレット通り34(VIA BROLETTO,34)" エリオ・ブルーノ楽団(ELIO BRUNO)/セルジョ・エンドリゴも国内盤で発売されています。

SS-1347 SS-1347 SS-1342 SS-1342

 

3枚目PM45-3087 (1962年RCA - RCA ITALIANA)"AVE MARIA (GOUNOD)/AVE MARIA (SCHUBERT)"グノーとシューベルトの"アヴェ・マリア"は曲としてよく知られていますが、エンドリゴが歌っていたとは知りませんでした。国内盤未発売。

PM45-3087 PM45-3087 PM45-3098 PM45-3098

4枚目PM45-3098 (1962年RCA - RCA ITALIANA)"IO CHE AMO SOLO TE (ただ君のみを...)/VECCHIA BALERA (古びたダンス・ホール)"、真偽は確かでありませんが"ただ君のみを..."は、歌手レナータ・マウロ(RENATA MAURO)に捧げた曲とも聞いています。2曲とも国内盤が出ています。

 

5枚目PM45-3182 (1963年RCA - RCA ITALIANA)"SE LE COSE STANNO COSI'/VIVA MADDALENA"、両曲ともエンドリゴのイタリア盤アルバムには必ずと言っていいほど入っている曲ですが、国内盤未発売。

           PM45-3182 PM45-3182

 

 

6枚目PM45-3210 (1963年RCA - RCA ITALIANA)"LA ROSA BIANCA (情熱の白バラ)/ARIA DI NEVE (雪もよう)"、A面は映画"LA RIMPATRIATA(再会)"、1963年ダミアーノ・ダミアーニ監督ウォルター・キアリ主演でベルリン映画祭にも出品された映画に使用されたようです。

PM45-3210 PM45-3210 SS-1394 SS-1394

国内盤はSS-1394 (1964年1月 VICTOR - 日本ビクター)"情熱の白バラ(LA ROSA BIANCA)/雪もよう(ARIA DI NEVE)" B面はRCA移籍第1弾のB面にも使われた、邦題も"冷たい空気"から"雪もよう"変更。

 

7枚目PM45-3223 (1963年RCA - RCA ITALIANA)"ERA D'ESTATE (真夏の出来事)/ANNAMARIA"、B面は好まれてアルバムに入る曲ですが国内盤は未発売。

PM45-3223 PM45-3223 PM45-3269 PM45-3269

8枚目PM45-3269 (1964年RCA - RCA ITALIANA)"LA DOLCE ESTATE (甘い夏)/ORA CHE SAI" B面は国内盤未発売。

SS-1565(1965年6月 VICTOR - 日本ビクター)"濡れた本能(LE ORE NUDE)/甘い夏(LA DOLCE ESTATE)" バスコ・ズルリーニ楽団(,VASCO ZURLINI)/セルジョ・エンドリゴ A面は映画「濡れた本能」のサントラ盤。エンドリゴの曲は映画とは関係ないようです。 私もこのシングル国内盤は未入手です。探しております。 

9枚目PM45-3291 (1964年RCA - RCA ITALIANA)"TI AMO/OGGI E' DOMENICA PER NOI" 両面とも国内盤未発売。B面はパスクァーレ・フェスタ・カンパニッレ監督、1964年の映画「LA COSTANZA DELLA RAGIONE」の曲。ラウンジ系シネ・ボッサのCDで"今日は日曜日"の邦題がつけられている。

PM45-3291 PM45-3291  PM45-3295 PM45-3295

10枚目PM45-3295 (1964年RCA - RCA ITALIANA)"PARLAMI D'AMORE MARIU'/IL SILENZIO"セルジョ・エンドリゴ他/エンニオ・モリコーネ楽団 A面はエンニオ・モリコーネの演奏にジノ・パオーリ、ミケーレ、エドアルド・ヴィアネッロと共に数秒づつ歌っている。

今回紹介しました“情熱の白バラ”は色々お話しなければならない曲です。以前からこの盤は持っていたのですが、ブログを書くため調べるていると興味の尽きないことが次々と分かった来ました。今までに知らなかったことばかりででした。




セルジョ・エンドリゴ(SERGIO ENDORIGO)、寡黙な男なのか? (1)

 

この度のオークションにはマカロニ・ウェスタンの曲をかなり出品しました。そして既にフレッド・ボングストを紹介しましたので、次に"真昼の用心棒"で名前を知られるようになったセルジョ・エンドリゴを紹介しましょう。

カンツォーネの世界ではカンタウトゥーリとして、サンレモ優勝歌手として知られた男性歌手です。けっしてマカロニ・ウェスタンの「一発屋」ではありません。またジェノヴァ派カンタウトゥーリとも一線を画した孤高の人ともいえます。

セルジョ・エンドリゴ、1933年6月15日ポーラ(POLA 現クロアチア共和国、古くはローマ帝国の支配下にあり、1918年~43年まではイタリア領)生、2005年9月7日ローマで没。メジャー・デビュー前はセルジョ・ドリア(SERGIO DORIA)あるいはノタルニコラ(NOTARNICOLA)という名前で歌っていたこともありました。

 

父はもとテノール歌手でしたが、独学で画家・彫刻家になっていました。1939年父が亡くなり、イタリアの敗戦後、最終的にはヴェネチアに落ち着くこととなったエンドリゴですが、生活の為高校を中退しホテルのエレベーター・ボーイなどしながら、ダンス・ホールのバンドで歌うようになりました。

最近いろいろな歌手の研究・調査が進み、メジャー・デビュー以前の曲が発掘、CD化されてきました。私の友人が一言「彼はこのCDが出る事を望んだろうか?」と。

64OSM-083 (2010年 ON SALE MUSIC - ITALO GNOCCHI, Italy) "SERGIO ENDRIGO/SI COMINCIA A CANTARE"

                           64OSM-083

1.CARINA (カリーナ)

2.IO SONO IL VENTO (恋のブルース)

3.PIOVE (チャオ・チャオ・バンビーナ)

4.AVEVAMO LA STESSA ETA (私たちは同い年)

5.TU SEI QUI (あなたはここに)

6.ARRIVEDERCI (アリヴェデルチ)

7.I SING AMMORE (愛を唄わん)

8.NUVOLA PER DUE

9.IL TUO SORRISO

10.AIUTO (アイウート)

11.ERO UN UOMO TRANQUILLO (おだやかな人)

12.NOTTE, LUNGA NOTTE (長い夜)

13.UN'ORA CON TE (あなたと一時を)

14.LABBRA DI FUOCO (炎のくちびる)

15.VENUS [I] (ヴィ-ナス [伊])

16.ORA CHE HO TE (SON FELICE DI VIVERE)

17.TANTO DA MORIRE

18.TU (NON DEVI FARLO PIU')

19.NON SO COS'E (なぜだか分からない)

20.HO RUBATO LA LUNA

21.DELIZIOSA

22.ROSITA

23.NON OCCUPATEMI IL TELEFONO

24.UN DISCO E TU

 

1~5セルジョ・ドリア (SERGIO DORIA)

ソノシート(FLEX)でPIC-NICレーベルで出された。

 

6~9ノタルニコラ(NOTARNICOLA)

極めて初期のアリストンが発売(NP-5001,5002または6、7はMICROSTARのF-105)

 

10~24セルジョ・エンドリゴと リッカルド・ラウキ楽団 (ENDRIGO,SERGIO con RICCARDO RAUCHI e il suo Complesso) 1959年ラウキの楽団に入り、バンドのヴォーカルとしてクレジットなしでV.C.M.からでたアルバムに収録される

 

※6、7はセルジョ・ドリアとノタルニコラの使い分けが入り組んでいますが、私の解釈で仕分けています。

 

第1曲目はソフィア・ローレン主演の映画「ナポリ湾」でローレンが歌った曲、2~5は1959年サンレモ音楽祭の曲のカヴァー。6はジェノヴァ派カンタウトゥーレの出世頭1959年リコルディから出したこの曲が大ヒットしていた。(ビンディは1歳上)。7はジャズ・ヴォーカル系の歌手ニコラ・アリリアーノのヒット曲。

 

もう20年以上も前になると思うのですが、偶然にリッカルド・ラウキ楽団のアメリカ盤LPを手に入れていました。もちろんセルジョ・エンドリゴのクレジットもなく、アルト・サックスの楽団にしてはヴォーカル曲の多い盤だなと思い聞いていました。他にも1、2名の歌手が歌っているので尚更の事でした。この盤も1959年録音とのこと。

 

T-10235 (1959年 CAPITOL - CAPITOL, USA) "RICCARDO RAUCHI/ITALY'S MOST EXCITING SAXIST"

                       T-10235

1.UN'ORA CON TE (あなたと一時を)

2.CARINA (カリーナ)

3.DA TE ERA BELLO RESTAR (あなたのそばに)

4.AIUTO (アイウ-ト)

5.ADORABILE (魅惑)

6.LABBRA DI FUOCO (炎のくちびる)

7.MAMBO MONO (マンボ・モノ)

8.NON SO COS'E (なぜだか分からない)

9.TAMMURITA NERA (黒い落し子)

10.NOTTE LUNGA NOTTE (長い夜)

11.ERO UN UOMO TRANQUILLO (おだやかな人)

12.CI VEDREMO DOMANI (明日に向かって)

 1,4,6,8,10,11 セルジョ・エンドリゴ と リッカルド・ラウキ楽団 (ENDRIGO,SERGIO con RICCARDO RAUCHI e il suo Complesso) 他の曲は誰か分かりません。

 

※エンドリゴはこのバンドでリカルド・デル・トゥルコ(RICCARDO DEL TURCO)と知り合います。エンドリゴとデル・トゥルコの奥さんは姉妹、結婚し義兄弟となりました。

1959年ヴィアレッジョ(VIAREGGIO)で行われた第2回ブルラマッコ・ドーロでアウトゥーロ・テスタと共に同順位ですが「長い夜」を歌い優勝をしました。バック・バンドとしてリッカルド・ラウキ楽団が参加したので幸いにも出場できたようです。

 

1960年ジャンピエロ・ボネスキのオーディションを受け、58年にリコルディ・レコードを立上げたところのニンナ・リコルディの眼にとまり、新人発掘レーベル、タヴォラ・ロンダ(TAVOLA ROTONDA)と契約することが出来ました。すなわちセルジョ・エンドリゴのメジャー・デビューでした。

メインレーベルのリコルディには既にオルネラ・ヴァノーニジノ・パオーリはじめジェノヴァ派カンタウトゥーリの面々が既に契約しており、接触はあったようです。

一方タヴォラ・ロンダにはリッキー・サンナ(後のリッキー・ジャンコ)、エンツォ・ヤンナッチが入って来ます。

 

エンドリゴはリコルディに3枚のシングル盤とEP1枚、それにサンレモ音楽祭のコンピに3曲を残しました。

T-70・001(1960年TAVOLA ROTONDA - RICORDI,Italy)"BOLLE DI SAPONE(しゃぼん玉)/ALLE QUATTRO DEL MATTINO"

T-70・001 T-70・001 T-70・005 T-70・005

T-70・005(1960年TAVOLA ROTONDA - RICORDI,Italy)"I TUOI VENT'ANNI(はたちの君)/CHIEDI AL TUO CUORE(心の想い出)"

 

T-70・011(1961年TAVOLA ROTONDA - RICORDI,Italy)"LA BRAVA GENTE(善良な人々)/ESPOIRS DE PRINTEMPS(春の希望)"、

T-70・011 T-70・011 ET-70・01 ET-70・01

ET-70・01(1962年TAVOLA ROTONDA - RICORDI,Italy)"I TUOI VENT'ANNI(はたちの君)/CHIEDI AL TUO CUORE(心の想い出)/LA BRAVA GENTE(善良な人々)/BOLLE DI SAPONE(しゃぼん玉)"

これらはエンドリゴの名作と呼ばれ、50年経っても色あせない曲ばかりです。

 

後にイタリアで出され、日本でもそのままの編集で出された初期リコルディ所属カンタウトゥーリのコンピ盤が発売され、次の5曲を聴くことが出来ます。

 

MW-9050~2(1974年9月 . RICORDI - ポリドール)"イタリー・カンタウトーリのすべて(I CANTAUTORI)"

              MW-9050~2

1-3. 心の想い出 (CHIEDI AL TUO CUORE)

1-10. 善良な人々 (LA BRAVA GENTE)

2-5. はたちの君 (I TUOI VENT'ANNI)

2-12. しゃぼん玉 (BOLLE DI SAPONE)

3-7. 春の希望 (ESPOIRS DE PRINTEMPS)




ミーナ(MINA)、七変化 (しちへんげ) 2

 前回はまたもや字数制限で変なところで一旦切ることになってしまいました。毎回書くごとに何だか書ける字数が減ってきたような気がします。 

ミーナが独立し自分の会社PDUを創った頃のアルバム、日本編集盤2枚です。

SJET-8186 (1969年12月GLOBE -日本ビクター) "ミーナ/忘れな草(NON TI SCORDAR DI ME/MINA)"

1.忘れな草 (NON TI SCORDAR DI ME)

2.幸せがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA)

3.ローマの灯 (ROMA, NUN FA LA STUPIDA STASERA)

4.オー・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO)

5.夜の想い (SE STASERA SONO QUI)

6.静かにゆっくり (SILENZIOSO SLOW)

7.信じられない (NON CREDERE)

8.君を歌う (CANZONE PER TE)

9.君だけを愛して (IO CHE AMO SOLO TE)

10.けれど恋は... (MA L'AMORE NO)

11.サンタ・キアラの修道院 (MUNASTERIO E' SANTA CHIARA)

12.ダイ・ダイ・ドマーニ (DAI DAI DOMANI)

 

SJET-8186 SJET-8186 SWG- 7184 SWG- 7184

 

SWG- 7184 (1969年12月GLOBE -日本ビクター) "ゴールデン・ミーナ(GOLDEN MINA)"

1.幸せがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA)

2.信じられない (NON CREDERE)

3.忘れな草 (NON TI SCORDAR DI ME)

4.ローマの灯 (ROMA, NUN FA LA STUPIDA STASERA)

5.オー・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO)

6.イオ・イナモラータ (IO INNAMORATA)

7.ズン・ズン・ズン (ZUM ZUM ZUM)

8.ベサメ・ムーチョ (BESAME MUCHO)

9.ジャニー・ギター (JOHNNY GUITAR)

10.センチメンタル・ジャーニー (SENTIMENTAL JOURNEY)

11.レイジー・リバー (LAZY RIVER)

12.ザット・オールド・フィーリン (THAT OLD FEELIN')

13.去りし君ゆえ (THE MAN THAT GOT AWAY)

14.ファンタジア (FANTASIA)

 

リフィの販売権が日本フォノグラムからキングに移籍してから発売された日本編集盤です。初版と再版があります。再版の「MINA」のロゴが黄色から赤に変わりました。

普通どちらが再版か分からないものですが、黄色の上に赤でリタッチしたのが「ヘタ」で、いかにも上塗りしたな!と分かるのが幸いしました。

SR- 851 (1974年2月SEVEN SEAS -キング) "わかれ(別離)/ミーナのすべて(UN ANNO D'AMORE/THE BEST OF MINA)"

 

      SR- 851a SR- 851b  

 

1.わかれ(別離) (UN ANNO D'AMORE)

2.別れられない (TU NON MI LASCERAI)

3.もしも明日 (E SE DOMANI)

4.束の間に燃えつきて (SE TELEFONANDO)

5.砂に消えた涙 (UN BUCO NELLA SABBIA)

6.ア・バンダ (LA BANDA)

7.青空に住もう (UNA CASA IN CIMA AL MONDO)

8.愛のひきしお (SE TU NON FOSSI QUI)

9.君に涙とほほえみを (SE PIANGI SE RIDI)

10.ひとりぼっちの週末 (SABATI E DOENICHE)

11.もう信じないあなた (TU NON CREDI PIU')

12.涙に咲く花 (L'IMMENSITA')

 

 

"パローレ、パローレ(甘い囁き)"のシングル盤はニ度出ましたが、アルバムのLP盤も同じようにニ度発売されていました。

EOP-80664 (1973年1月ODEON - 東芝音楽工業) "ミーナ/パローレ、パローレ(MINA/PAROLE PAROLE)"

 

EOP-80664 EOP-80664 EOP-80993 EOP-80993

 

EOP-80993 (1974年6月ODEON -東芝EMI) "ミーナ/パローレ、パローレ(MINA/PAROLE PAROLE)"

 

1.蒼い河 (FIUME AZZURRO)

2.あなたを求めて (VORREI AVERTI NONOSSTANTE TUTTO)

3.愛していたとき (IO TI AMAVO QUANDO...)

4.私が歌うように (E'PRORPIO COSI,SONO IO CHE CANTO)

5.6時が鳴る時 (SOUNERANNO LE SEI)

6.過ぎ去った愛 (LE MANI SIU FIANCHI)

7.私の四輪馬車 (LA MIA CARROZZA)

8.わたしとあなた (COSA FENSO IO DI TE)

9.デルタ・レディ (DELTA LADY)

10.それは私のもの (E'MIA)

11.パロ-レ、パロ-レ (PAROLE PAROLE)

 

分かりますよね!違いが。 右上のレコード番号とレーベル・マークが白抜きと茶色の違いがあります。




ミーナ(MINA)、七変化 (しちへんげ) 1

 特になんてことはない、ミーナの「ジャケ違い」、「似たジャケ」のお話です。最初から「ネタ割れ」しておいた方が、そう言う心算で頂けるので、話は早い訳です。

実は七つでなく八つあったのですが、既に一つ使ってしまったので、まずそちらの話から。

 

 今年(2012年)4月25日の「スイート・カテリーナ/ヴィンテージ・カクテル・ビート」で10曲目の"甘い囁き(パローレ・パローレ)"で紹介済みです(ご参照)。ただこの曲シングル盤だけで終わらないのがミソ、ご興味のある方は最後まで読んでください。

 

やはり話としては古いものから話すのが順序でしょう。

 

RANK-1086 (1961年2月TOP RANK -日本ビクター) "幸せがいっぱい(IL CIELO IN UNA STANZA)/夜よ、わたしを恋して(LA NOTTE)"

日本デビューは衝撃的なヒット曲"月影のナポリ(TINTARELLA DI LUNA)"の次に出た盤ですが、イタリアでは"ほんの"33枚目のシングルです。ジャケ違い3種類あります。古い順はこうではないかと思っております。

RANK-1086aRANK-1086cRANK-1086b

 

つぎは、ずっと飛んで国内盤15枚目FON- 1049 (1965年8月FONTANA -日本ビクター) "別離[日]/同 [伊](UN ANNO D'AMORE [J]/[I])"シングル盤が370円から400円に値上げになった時です。日本ビクターの場合は表に定価表示があるので分かりやすかったですね。

           FON- 1049a FON- 1049b

           SFON- 3016a SFON- 3016b

 

ついでにコンパクト盤もSFON- 3016 (1965年8月FONTANA -日本ビクター) "別離(わかれ)/ミーナ(UN ANNO D'AMORE)" 初版定価500円、再版定価600円

. 2.別離[日]/同 [伊](UN ANNO D'AMORE [J]/[I])、

3.4. 君に涙とほほえみを [日]/同 [伊](SE PIANGI SE RIDI [J]/[I]

 

シングル盤でヒットしたものは、ある年月経つと廃盤にし、新たに編成し直した定番商品として再発売されます。

FD- 1010 (1970年10月RI-FI -日本フォノグラム) "別離[日](UN ANNO D'AMORE [J]/砂に消えた涙[日](UN BUCO NELLA SABBIA [J])"

 

FD- 1010 FD- 1010 FD- 1050 FD- 1050

 

FD- 1050 (1972年3月RI-FI -日本フォノグラム) "砂に消えた涙(UN BUCO NELLA SABBIA/別離(UN ANNO D'AMORE)"

 

シングル盤に使える写真は限られてくるので、時代が離れていても同じようなデザインになってしまう見本のような例です。

JET-1928 (1969年11月25日GLOBE -日本ビクター) "信じられない(NON CREDERE)/ローマの灯(ROMA, NUN FA LA STUPIDA STASERA)"

 

JET-1928 JET-1928 HIT-7028 HIT-7028

 

HIT-7028 (1975年3月25日SEVEN SEAS -キング) "別離[伊]/同 [日](UN ANNO D'AMORE [I]/[J])"




トニー・レニス(TONY RENIS)、サンレモ乾杯! (2)

 今日初めてお読みいただく方は、昨日書いた(1)からお読みください。 

一度頂点を極あめると、下り坂が来きます。1964年のサンレモ音楽祭に4回目の出場をしますが、入賞できませんでした。国内盤も未発売。

7MQ-18671964年1月V.d.P. -V.C.M. , Italy)"I SORRISI DI SERA 夜のほほえみ)/TI CHIEDO SCUSA"

 

7MQ-18677MQ-1867  CH-2050CH-2050  

 

パートナーはアメリカのフランキー・アヴァロン(FRANKIE AVALON)。CH-2050 1964年1月CHANCELLOR - BLUEBELL, Italy)"I SORRISI DI SERA 夜のほほえみ)/MOTIVO D'AMORE(悲しき恋のテーマ)" フランキー・アヴァロンがB面で歌っているのはピノ・ドナッジォの"悲しき恋のテーマ"なので、この曲が弱かったのでしょう。

 

1965年にはRCAイタリアーナに移籍します。夏のディスク・フェスティヴァルで活躍しますが、サンレモ音楽祭には出場しませんでした。68年自作曲で、パートナーは同じRCAに移籍したドメニコ・モドゥーニョでした。良い曲でしたが入賞できませんでした。

PM-3439 1968年8月RCA ITALIANA - RCA ITALIANA)"IL POSTO MIO 私の場所)/CHE NOTTE SEI"

 

PM-3439PM-3439  PM-3440PM-3440  

 

PM-3440 1968年8月RCA ITALIANA - RCA ITALIANA)"IL POSTO MIO 私の場所)/MI SEI ENTRATA NELL'ANIMA" ドメニコ・モドゥーニョ(DOMENICO MODUGNO)

 

再び息を吹き返すのは1970年でした。その前年69年に設立間もないヌメーロ・ウノ(NUMERO 1)に移籍します。この会社はモゴールとルチオ・バティスティが作り、プログレの象徴のようなレーベルですが、出来た当時は後にらしくなったフォルムラ3だけで、中心歌手として迎えられました。別会社とはいえほとんどRCAが運営しているようなもので、彼自身の大きな路線変更はありませんでした。 この当時RCAイタリアーナは大物歌手を傘下の独立レーベルに所属させる方針転換をしており、その一環でもありました。ちなみにルチオ・バティスティのヌメロ・ウーノへの移籍は1971年になってからです。

 

SS-1945 1970年5月 5日RCA -日本ビクター)"愛の贈りもの (LA PRIMA COSA BELLA)/カンツォーネ・ブルー(CANZONE BLU)" ニコラ・ディ・バリ/トニー・レニス 13位ではありましたが久々のサンレモ音楽祭の入賞でした。

SS-1945SS-1945  ZN-50019ZN-50019   

 

ZN-50019 (1970年2月NUMERO UNO - RCA ITALIANA) "CANZONE BLU (カンツォーネ・ブルー)/DOVE SEI STATA SUSY?"

 

トニー・レニスは再びサンレモ音楽祭に入賞し、思いを遂げたかのようにその後一切サンレモ音楽祭には出場しませんでした。と言えば話が終わるのですが、そうならないのが世の中面白いところです。

 

MA-152・V (1979年 2月 OVERSEAS -テイチク) "ディスコ・クァンドPart.1(DISCO QUANDO Part.1)/Part.2(Part.2)" イタリア盤はWEA ITALIANAから発売されました。サンレモのヒット曲は、素晴らしい財産ですね。イタリアのヒット・ランクに28週在位し最高位8位までになるヒットとなりました。

 

                         MA-152・VMA-152・V  

 

彼はその後、ミーナに"グランデ・ブランデ・グランデ"を提供したり、フリオ・イグレシアスに多くの曲を書くなど、素晴らしい活躍をしていきます。 サンレモ乾杯!!




トニー・レニス(TONY RENIS)、サンレモ乾杯! (1)

   今回映画音楽のヤフー・オ-クション出品で、ミーナの"月影のレナート"を出しましたがこれはイタリア映画「サンレモ乾杯」の中で歌われていました。この映画ミーナの映画ではなく、きょう紹介するトニー・レニス主演の映画でした。

 

LL- 5022LL- 5022  OR- 1029OR- 1029  

 

OR- 1029 (1964年4月ODEON -東芝音楽工業) "クァンド・クァンド・クァンド(QUANDO QUANDO QUANDO)/可愛いインディアン(PICCOLO INDIANO)"

映画「サンレモ乾杯」のサントラ盤として出されたトニー・レニス国内盤4枚目のシングル盤。A面は11枚目のシングルで62年サンレモ音楽祭第4位大ヒットとなり彼の代表曲、。この映画のテーマでもあり、"いつの日か"から改題されました。B面10枚目のシングル盤A面になった曲です。

 

1962年イタリア映画、63年日本公開。トニー・レニス主演の青春歌謡映画。当時ヒットした曲に載って話が進められていきました。話は作曲家トニー(トニー・レニス本人の役)がサンレモ音楽祭に自作の曲"クァンド・クァンド・クァンド"(62年の入賞曲)を歌って人気者になっていくという作品です。

 

トニー・レニス(TONY RENIS)、本名エリオ・チェザーリ(ELIO CESARI)1938年5月13日ミラノ生。現在は作詩作曲家、音楽プロデューサーとしても活躍しています。

 

15歳ころ地元の音楽仲間とチェレンターノやジェリー・ルイスのコピーをし、夏にはエルバ島のホテルで歌っていました。1958年に作曲家ゴルニ・クラメール(GORNI KRAMER)のコンボ(COMBO)・レコードからシングル盤を出すことが出来ました。5057(1958年 COMBO - COMBO, Italy )"COME PRIMA (コメ・プリマ)/TI DIRO'(君に告げん)" でデビューを果たした。コンボで5枚のシングル盤を出し、翌59年V.C.M.(現E.M.I. MUSIC ITALIANA)からMQ 1224(1959年V.d.P. -V.C.M. , Italy)"NESSUNO AL MONDO(君だけの世界)/ADDIO MARIA"でメジャーデビューしました。

 

国内盤デビューはHM-1094 (1960年9月ANGEL -東京芝浦電気工業) "憧れのブルー・ジーン(CUORE IN BLUE JEANS)/テンダーネス(TENEREZZA)"でした。イタリア盤は7MQ-1379(1960V.d.P. -V.C.M. , Italy "テンダーネス"が表でした。この曲は後にジャンニ・モランディがカヴァーし日本でも発売されています。

 

HM-1094HM-1094 SS-1848SS-1848a    

 

SS-1848 (1968年11月25日RCA -日本ビクター) "優しい人(TENEREZZA)/イスラエル(ISRAEL)" ジャンニ・モランディ(GIANNI MORANDI)

 

サンレモ音楽祭初出場は1961年自作の"水たまり"でパートナーはカルメン・ヴィラーニのいたブルーベルのニキ・デイビスでしたが入賞は果たせませんでした。7MQ-15251960年1月V.d.P. -V.C.M. , Italy)"POZZANGHERE(水たまり)/

LEI (レイ)" 国内盤の発売もありませんでした。

 

7MQ-15257MQ-1525  BB-03047BB-03047  

 

BB-030471960年1月BLUEBELL - BLUEBELL, Italy)"POZZANGHERE(水たまり)/PIGRO MATTIN "ニキ・デイビス(NIKI DAVIS)

 

翌年1962年再挑戦したサンレモ音楽祭で大成功します。この"クァンド・クァンド・クァンド"で、世界中の歌手がカヴァーし彼の代表曲となりました。

HM-1142 (1962年5月ANGEL -東芝音楽工業) "アディオ・アディオ(ADDIO, ADDIO)/いつの日か(QUANDO QUANDO QUANDO)" ジャン・コステロ(GIAN COSTELLO)/トニー・レニス(TONY RENIS)

 

             HM-1142HM-1142     

 

多分トニー・レニスの全盛期だと思います。次の1963年サンレモ音楽祭で優勝を果たします。CM-1012 (1963年5月ODEON -東芝音楽工業) "私の選ぶ人(UNO PER TUTTE)/さくら(LE CILIEGE)"

 

CM-1012CM-1012  7MQ-17767MQ-1776  

 

この年はもう1曲歌いましたが、こちらは入賞できませんでした。7MQ-1776(1964年1月V.d.P. -V.C.M. , Italy)"PERCHE',PERCHE'(ペルケ、ペルケ)/GLI INNAMORATI SONO ANGELI"、国内盤未発売です。

 

次回に続く




ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、早過ぎた日本デビュー 終

 字数制限でLPだけ残ってしまいました。 

IF-  9 (1962年10月10日 KING INTERNATIONAL(CGD) - キング)25cmLP  "イタリーの恋人、ベティー・クルティス(AMORE D'ITALIA/BETTY CURTIS)"

1.さがして (CERCAMI)

2.初恋のところ (E' QUI)

3.あなたはメランコリー  (TU SI 'NA MALINCUNIA)

4.月の光 (RAGGIO DI LUNA)

5.あなたとわたし (TU CON ME)

6.アル・ディ・ラ (AL DI LA')

7.ネヴァー・オン・サンデイ (UNO A TE, UNO A ME)

8.ああそはかの人か (AH? FORS'E' LUI)

9.どっちも好きなの (UN COLPO AL CERCHIO COLPO ALLA BOTTE)

10.ブォナ・ノッテ・ローマ (BUONA NOTTE ROMA)

 

IF-  9IF-  9  MH- 142 MH- 142

 

MH- 142 (1964年 2月SEVEN SEAS - キング

 "カンツォ-ネを聞こう第2集(CANZONE! CANZONE! CANZONE! Vol.2)"

1愛のシャリオ (CHARIOT)

2アル・ディ・ラ (AL DI LA')

3黒い瞳に青い空 (OCCHI NERI E CIELO BLU)

4恋はロマンティック (CANZONETTA ROMANTICA)

5リコルダ-ミ (RICORDAMI)

6海のタンゴ (TANGO DEL MARE)

7やさしい情熱 (NESSUNO MAI)

8ヴォラ-レ (NEL BLU DIPINTO DI BLU)

9チャオ・チャオ・バンビ-ナ (PIOVE)

10.恋のブル-ス (IO SONO IL VENTO)

11.ピノキオへの手紙 (LETTERA A' PINOCCHIO)

12.何でもないさ (NON COSTA NIENTE)

13.ロマンティカ (ROMANTICA)

14.ひきだしの中の海 (IL MARE NEL CASSETTO)

 1~7 ベティー・クルティス; 8~14 ジョニー・ドレルリ(JOHNNY DORELLI)

 

SR- 223 (1968年9月10日 SEVEN SEAS - キング

 "ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)"

1.ガンタナメラ (GUANTANAMERA) 1967

2.今宵あなたが聞く歌は (STANOTTE SENTIRAI UNA CANZONE)

3.田舎の母のアベ・マリア (AVE MARIA DI PERIFERIA) 1965

4.光りさす窓 (AVE MARIA DI PERIFERIA)

5.愛の垣根 (LA SIEPE)

6.強く愛して (E' PIU' FORTE DI ME)

7.愛のシャリオ (CHARIOT)

8.アル・ディ・ラ (AL DI LA')

9.アモ-ル、モナム-ル、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)

10.青空の幸福 (LA CASA PIU' BELLA DEL MONDO)

11.哀れなヘンリー (POVERO ENRICO (POOR LITTLE HENRY [I]))

12.悲しい運命 (INVECE NO)

13.チェルカミ (CERCAMI)

14.あなたのわたし [日] (PER TE NON RIESCO A DORMIRE [J])

 

SR- 223SR- 223  GXC- 118GXC- 118 

 

GXC- 118  (1979年6月21日 SEVEN SEAS - キング

 "コメ・プリマ/トニー・ダララ:アル・ディ・ラ/ベティー・クルティス(COME PRIMA/TONY DALLARA:AL DI LA'/BETY CURTIS)"

1.コメ・プリマ (COME PRIMA)

2.ロマンティカ (ROMANTICA)

3.ラ・ノビア (LA NOVIA)

4.恋は塩味 (SAPORE DI SALE)

5.バンビーナ・バンビーナ (BAMBINA BAMBINA)

6.アモーレ・スクーザミ (AMORE SCUSAMI)

7.おもいで [日] (RICORDO IN NE'BBIA [J])

8.アル・ディ・ラ (AL DI LA')

9.アモール、モン・アムール、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)

10.愛のシャリオ (CHARIOT)

11.ガンタナメラ (GUANTANAMERA) 1967

12.バラのタンゴ (TANGO DELLA ROSE)

13.田舎の母のアベ・マリア (AVE MARIA DI PERIFERIA) 1965

14.光さす窓 (FENESTA CHE LUCIVE)

  1~7 トニー・ダララ(TONY DALLARA); 8~14 ベティー・クルティス




ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、早過ぎた日本デビュー 2

  前回より日本で名前が忘れ去られようとしているベティー・クルティスにもう一度光を当てようと書いています。

 

国内盤9枚目のシングル盤ですが、この盤には再版があります。この時期、新たにSEVEN SEASレーベルが出来ます。初版はKING INTERNATIONAL、再版が SEVEN SEAS レーベルの2パターンがあります。

HIT-  26(S) (1963年 5月 CGD - キング)"光りさす窓 (FENESTA CHE LUCHIVE)/愛のシャリオ (CHARIOT)"

 

         HIT-  26(S)a HIT-  26(S)b

またしても、彼女の最大のヒット曲がB面になってしまっているのは、よほどの「トラウマ」があったのではないでしょうか!

 

日本でこの曲はリトル・ペギー・マーチのデビュー曲"アイ・ウィル・フォロー・ヒム(I WILL FOLLOW HIM)ですが、元々はフランク・プールセルとポール・モーリアがJW.ストールとデル・ローマの変名で1961年に作ったもの。

SS-1350 (1963年7月 VICTOR - 日本ビクター.) "アイ・ウィル・フォロー・ヒム(I WILL FOLLOW HIM)/こんどの土曜に恋人を(ANOTHER SATURDAY NIGHT)リトル・ペギー・マーチ (LITTLE PEGGY MARCH)/サム・クック (SAM COOKE)

 

SS-1350 SS-1350 HM-1145 HM-1145

 

フランク・プールセルの演奏曲はHM-1145(1962年8.月ANGEL -東芝音楽工業) "夢の幌馬車(CHARIOT)/ラ・パロマ (LA PALOMA)"、フランスでは62年にイギリス人歌手ペトゥラ・クラーク(PETULA CLARK)が"恋のシャリオ"としてヴォーカル曲をヒットさせ、翌63年にベティー・クルティスがイタリア語でヒットさせました。残念ながら当時、ペトゥラ・クラークの"恋のシャリオ"はシングル盤としては発売されなかったようです。また、これが縁で1965年サンレモ音楽祭では"悲しい運命(INVECE NO)"でパートナーを組み、ペギー・マーチは64年のサンレモ音楽祭に参加することとなりました。

 

HIT-  70 (1963 6 SEVEN SEAS - キング)"黒い瞳に青い空 (OCCHI NERI E CIELO BLU)/アモ-ル、モナムール、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)" 1963年のサンレモ音楽祭にはクルティスは参加しませんでした。が、入賞曲をカヴァーした曲が国内シングル盤として発売されました。余りにも運命のいたずらか、運のなさか!

                                                                                

HIT-  70 HIT-  70 HIT- 218 HIT- 218

 

HIT- 218 (1963年9月20日 SEVEN SEAS - キング)"恋はロマンティック(CANZONETTA ROMANTICA)/ラヴ・ミー・ナウ [伊] (ORA NO(LOVE ME NOW [I]))" イタリア盤はN-9459 (1963年CGD - CGD, Italy)"CANZONETTA ROMANTICA(恋はロマンティック)/ORA NO (ラヴ・ミー・ナウ [伊])" 気を取り直して、もう一度頑張ろうというような盤です。しかし彼女のシングルの内いちばん目立たない盤と思っています。

 

"愛のシャリオ"のところで少し書いたように、1965年サンレモ音楽祭で、ベティー・クルティスとペトゥラ・クラークのパートナーが実現しました。

HIT-1188 (1965年3月21日 SEVEN SEAS - キング)"悲しい運命 (INVECE NO)/胸にのこる微笑 (SI VEDRA')" ベティー・クルティス/ヴィットリオ・インツァイナ(VITTORIO INZAINA)、

 

HIT-1188 HIT-1188 J-35059x45 J-35059x45 

 

イタリア盤ですがJ-35059x45 (1965年1月VOGUE - SAAR, Italy)"INVECE NO(悲しい運命)/NON MI GUARDI MAI" ペトゥラ・クラーク(PETULA CLARK)

 

HIT-1166 (1965年2月20日 SEVEN SEAS - キング)"青空の幸福 (LA CASA PIU' BELLA DEL MONDO)/あなたのわたし (PER TE NON RIESCO A DORMIRE)"

両面ともカンタウトゥリーチェ、デイジー・ルミーニ(DAISY LUMINI)が作った曲、A面は64年第1回夏のディスク・フェスティヴァル第5位になった曲です。

 

HIT-1166 HIT-1166 HIT-1387 HIT-1387

 

HIT-1387 (1966年11月1日 SEVEN SEAS - キング)"田舎の母のアヴェ・マリア(AVE MARIA DI PERIFERIA)/愛の扉 (LE PORTE DELL'AMORE)"

A面は1965年夏のディスク・フェスティヴァルの参加曲。ウィルマ・ゴイクが初来日のコンサートで歌い好評だった曲です。B面は66年夏のディスク・フェスティヴァルで第8位になった曲です。

 

ベティー・クルティスにとって最後のサンレモ音楽祭は1967年で、この年はルイジ・テンコの自殺騒ぎがあり落着きのない大会になりました。良い曲でしたが"強く愛して(E' PIU' FORTE DI ME)"は参加曲に終わりました。

 

PS-   8 (1967年4月20日 SEVEN SEAS - キング)"サン・レモ音楽祭'67第3集 (FESTIVAL DI SAN REMO 1967 Vol.3)"

1.涙に咲く花 (L'IMMENSITA') ジョニー・ドレルリ

2.強く愛して (E' PIU' FORTE DI ME) トニー・デル・モナコ

3.風に消えた恋 (IL CAMMINO DI OGNI SPERANZA) カテリーナ・カセルリ

4.強く愛して (E' PIU' FORTE DI ME) ベティー・クルティス

 

PS-   8 PS-   8 N-9649 N-9649

 

N-9649 (1967年1月 CGD - CGD,  Italy)" E' PIU' FORTE DI ME(強く愛して)/SONO POCHE LE ORE"




ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、早過ぎた日本デビュー 1

  今回ヤフ・オクに映画音楽関係のレコードを出品しましたが、彼女、ベティー・クルティスの盤「ネヴァー・オン・サンデイ(日曜はダメよ)」は落札していただけました。

サンレモ音楽祭優勝曲「アル・ディ・ラ」は知る人は知る状態ですが、だんだん名前を忘れ去られているようなので、一度紹介したいと思っていました。

 

  ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、本名ロベルタ・コルティ(ROBERTA CORTI)1934年3月22日ミラノ生、2006年6月15日ロンバルディア州のフランス国境に近い山間の小都市レッコ(LECCO)にて没。

 

 CGDを創立したテディー・レーノ(TEDY RENO 後リタ・パヴォーネと結婚)に見出され1957年にCGDからデビューし他社に移籍せず、初期の看板歌手となりました。今回ブログを書くためデビュー曲を調べて新発見をしました。デビュー曲は"ゴンドリエ"だったのですが、リバティー・レーベルからの発売でした。リバティーの販売権は最初からブルー・ベルだと思っていましたが1958年当時はCGDだったようです。なお彼女のシングルは3枚目からCGDのレーベルで発売されるようになりました。

 

G-7010(1958年 LIBERTY - CGD, Italy)"WITH ALL MY HEARTゴンドリエ)/THE GREEN DOOR(グリーンドア)"

デビュー・シングルのA面は日本ではダリダでよく知られていますが、元は1956年頃アメリカ、ジョディー・サンズがヒットさせました。B面は1956年ジム・ロウ(DOT)の全米ナンバー・1・ヒット曲。

 

G-7010 G-7010  IS-1003 IS-1003

 

日本でのデビュー盤は、IS-1003(1960年7月 KING INTERNATIONAL - キング) "不幸なあなた(NON SEI FELICE)/許し合おう (PERDONIAMOCI)"、イタリアでは25枚目のシングルN-9163(1960年1月 CGD - CGD, Italy)(同じ編成)でした。A面は1960年サンレモ音楽祭参加曲。B面もサンレモ音楽祭参加曲ですがカヴァー曲です。国内盤は発売されませんでしたが、この年はもう1曲"太陽なき恋"が参加曲になっています。N-9162(1960年1月 CGD - CGD, Italy) "太陽なき恋(AMORE SENZA SOLE)/犯罪者(COLPEVOLE)"

 

 話は前後しますが前年(1959年)のサンレモ音楽祭は、デビュー翌年にもかかわらず3曲歌っており、同順位8位入賞で"ネッスーノ(NESSUNO)"、ジョニー・ドレルリとデュエットした"ヘ調の行進曲(UNA MARCIA IN FA)"は彼女の代表作です。次の10位も"唇の上のキッス(UN BACIO SULLA BOCCA)"で、全て入賞しています。

N-9087(1959年1月 CGD - CGD, Italy) "ネッス-ノ(NESSUNO)/二人の門出(PARTIR CON TE)"、N-9091(1959年1月 CGD - CGD, Italy) "ヘ調の行進曲(UNA MARCIA IN FA)/リ・ペル・リ (LI' PER LI')"、N-9088(1959年1月 CGD - CGD, Italy) "唇の上のキッス(UN BACIO SULLA BOCCA)/あなたはここに(TU SEI QUI)"

 

国内盤2枚目は、先日ヤフー・オークションに出したIS-1010(19611 20日 CGD(KING INTERNATIONAL) - キング) "ネヴァー・オン・サンデイ(UNO A TE, UNO A ME)/ここ・そこ・あそこ(QUI, QUO, QUA)"イタリアでは33枚目のシングルN-9241(1961CGD - CGD, Italy(同じ編成)でした。A面は1960年ギリシャ映画、61年5月日本公開。メリナ・メルクーリとジュールス・ダッシン(監督も)主演映画「日曜はダメよ」のテーマ。

 

IS-1010 IS-1010 IS-1027 IS-1027

 

国内盤3枚目は、1年後に発売されましたIS-1027(19621 15日 CGD(KING INTERNATIONAL) - キング) "ブォナ・ノッテ・ローマ(BUONA NOTTE ROMA)/思い出して(RICORDAMI)"B面はイタリアでは33枚目のシングルN-9297(1961CGD - CGD, Italy)"RICORDAMI(リコルダミ)/ TRE VOLTE FELICE"ですが、A面の"ブォナ・ノッテ・ローマ"の情報は探し出せませんでした。1962年に彼女の国内シングル盤はこの後続けて5枚(計6枚)発売されました。

が、不思議なことに彼女の代表作1962年のサンレモ音楽祭優勝曲"アル・ディ・ラ"は一度もシングル盤として発売されていません。62年のサンレモにはあと参加曲の"とんぼ"という曲があります。

N-9265(1961年2月CGD - CGD, Italy)"AL DI LA' (アル・ディ・ラ)/VICINO A TE"

 

N-9265 N-9265 N-9264 N-9264

 

N-9264(1961年2月CGD - CGD, Italy)"LIBELLULE (とんぼ)/STASERA PIOVE"

 

ベティー・クルティス(最初と2枚目はベティ・カーチス表記)のシングル盤はイタリアと同じカップリングでは売れない、日本独自の編成にし名前もイタリア読みに直し、もう一度売出し直そうとしてのではないでしょうか。

 

 1962年サンレモ音楽祭の曲も国内シングル盤で発売されていません。

N-9337(1962年2月CGD - CGD, Italy)"BOUNGIORNO AMORE (恋人よ今日は)/IL CIELO CAMMINA (大空は廻る)"

 

N-9337 N-9337 IF-  7 IF-  7

 

ただこの年はCGDの歌手で25cmLP盤 IF-  7(1962年5月25日 CGD - キング)"1962年サンレモ国際音楽祭(SAN REMO 1962)"が発売され、この中に収録されています。

それでは1962年に発売された国内シングル盤をご紹介していきましょう。

 

IS-1029(1962年2月10日 CGD(KING INTERNATIONAL) - キング) "バンブーの茂みの中で(FRA LE CANNE DI BAMBU')/私だけを(NESSUNO MAI)"  イタリア盤N-9312 (1961年CGD - CGD, Italy) 1961年のカンツォニッシマで歌い3位になりました。

 

IS-1029 IS-1029 IS-1032 IS-1032

 

IS-1032(1962310日 CGD(KING INTERNATIONAL) - キング) "ミディ・ミディネット(MIDI MIDINETTE)/初恋のところ(E' QUI)"

 

IS-1054(1962710日 CGD(KING INTERNATIONAL) - キング) "初恋のところ(E' QUI)/シニョリーナ・ベラ(SIGNORINA BELLA)" ベティー・クルティス/ロレダーナ(LOREDANA)

A、B面両方ともイタリア映画「豊かなる成熟」からの曲です。1961年製作、62年7年日本公開の映画、B面は「愛のあかし」という挿話でロレダーナが歌ったそうです。

 

IS-1054 IS-1054 IS-1055 IS-1055

 

IS-1055(1962710日 CGD(KING INTERNATIONAL) - キング) "さがして((チェルカミ) CERCAMI)/キューピッド(CUPIDO)"

 

IS-1056(1962730日 CGD(KING INTERNATIONAL) - キング) "この世はすべて金次第(SOLDI, SOLDI, SOLDI)/二人の夜(NOTTE PER DUE)"

A面は1962年イタリア・フランス映画、62年6月日本公開の「ボッカチオ ‘70」第4話「くじびき」で主演のソフィア・ローレンが歌った曲です。

 

IS-1056 IS-1056 IF-  5 IF-  5

 

IF-  5(1962年2月10日CGD - キング)"ナポリ民謡祭(FESTVAL DI CANZONE NAPOLITANA 1961)" 1961年彼女はサンレモ音楽祭と並ぶナポリ音楽祭でもアウレリオ・フィエルロのパートナとして歌って優勝した"あなたはメランコリー(TU SI' A MALINCUNIA)"と参加曲"ナポリ・ショック(NAPOLI SHOCK)"が収録されています。

 

ベティー・クルティスは「売り辛い歌手」とみなされ、日本編成盤にし、映画に関係した曲をシングル盤で、音楽祭で好成績を収めた曲はオムニバス盤に収録して売っていく路線が定着していったようです。

 

 字数制限もあるので1963年以降は次回書くことにしましょう。



三つの顔を持つ男、フレッド・ボングスト(FRED BONGUSTO) 終

 

 もう少しだったのですが、字数制限で分割せざるを得ませんでした。フレッド・ボングストの最終回です。

 

NL-33144 (1981年RCA - RCA ITALIANA) "IL MEGLIO DI FRED BONGUSTO"「ベスト・オブ・フレッド・ボングスト」、RCAレーベルですが、原盤はリフィ。リフィは倒産し、一時色々なレーベルに原盤を使われていました。

1.UNA ROTONDA SUL MARE (海のテラス)
2.DOCE, DOCE (ドーチェ・ドーチェ)
3.MALAGA (マラーガ)
4.INVECE NO
5.FRIDA (フリーダ)
6.AMORE FERMATI (恋人よここに)
7.SPAGHETTI, INSALATINA E UNA TAZZINA DI CAFFE' A DETROIT
8....E MI CONSUMA L'ESTATE
9.IL FISCHIO (口笛)
10.CHE SERA TRISTE, CHE CHIARO 'E LUNA (悲しい月夜)
11.THIS GUY'S IN LOVE WITT YOU (ディス・ガイ)
12.ORE D'AMORE (恋の旅路)

NL-33144 NL-33144 ZNLKR-33320ZNLKR-33320

 

ZNLKR-33320 (1982年K - RCA ITALIANA) "PERSONALE DI FRED BONGUSTO"そのまま「パ-ソナル・フレッド・ボングスト」でよいでしょう。レーベルは"K"ですが、原盤はリフィ。リフィは倒産し、最終的にP.S.P.(PEER SOUTHERN)に買い取られたのでレーベル名を変えたのでしょう。

1.QUESTO NOSTRO GRANDE AMORE (この私達の大きな愛)
2.ACCAREZZAME (アカレッツァ-メ)
3.TRE SETTIMANE DA RACCONTARE (ひと夏の微笑み)
4.NON DIMENTICAR (ノン・ディメンティカール)
5.POLVERE DI STELLE (スターダスト)
6.CUORE COSA FAI (ヴェニスの愛)
7.FRIDA (フリーダ)
8.GUARDA CHE LUNA (月光のノクターン)
9.SE TI INNAMORERAI
10.PERCHE' NON SOGNAR (なぜ夢見ない)
11.VOCE 'E NOTTE (夜の声)
12.ANCORA UN PO' (CON SENTIMENTO)

ウィキペディアではアルバム数は37枚。映画音楽作曲家で終わらず、個性的な歌手なので、いつまでも歌ってほしいと思っています。

 

分割して時数に余裕が出てきましたのでCDも1枚追加しましょう。

 

3984-29121・2 (1999年WARNER FONIT - NUOVA FONIT CETRA,Italy) "SPAGETTI A DETROIT/FRED BONGUSTO"「デトロイトのスパゲッティ/フレッド・ボングスト」、タイトルは一番最初に書きました映画「ザ・メイル・タイガ-」の挿入曲から来ています。

                                3984-29121・2
 

1.UNA ROTONDA SUL MARE (海のテラス)
2.FRIDA (フリーダ)
3.AMORE FERMATI (恋人よここに)
4.BUONATOTTE ANGELO MIO (おやすみ、わたしの天使)
5.CATERINA (カテリーナ)
6.CORE INGRATO (カタリ(つれない心))
7.DOCE DOCE (ドーチェ・ドーチェ)
8.ASPETTA DOMANI (明日を待とう)
9.TRE SETTIMANE DA RACCONTARE (ひと夏の微笑み)
10.ROSA (ローザ)
11.SPAGHETTI A DETROIT (デトロイトのスパゲッティ)
12.SE TU NON FOSSI BELLA COME SEI (君が君でなかったら)
13.GUARDA CHE LUNA (月光のノクターン)
14.QUESTO NOSTRO GRANDE AMORE (この私達の大きな愛)
15.LA PIU' BELLA DEL MONDO (この世で最も美しいひと)




三つの顔を持つ男、フレッド・ボングスト(FRED BONGUSTO) 3

  前回はフレッド・ボングストのカンツォーネ歌手としての彼のバイオグラフィーを書きながら国内のシングル盤、LPを紹介ました。今回は私の持っているイタリア盤LPをずらっと紹介していきましょう。本来なら時代に沿った方がよいのですが、彼はリフフィに出戻っており、持っている盤がベスト集のような廉価盤が多いので、なかなか都合よく並べられません。発売順に紹介するのが無難かと思っています。

 

LPR-20026 (1964年12月 1日 FONIT - FONIT CETRA, Italy) "LA NOTTE E' FATTA PER BALLARE" タイトルは「ダンスの為に夜は更ける」位の意味でしょうか。リフィからフォニットに移籍直後のアルバムです。クレジットはフレッド・ボングストと彼のバンド。構成はクラブでのライヴ(あるいはライヴ風)・アルバムです。後に廉価盤「ミュージック・パレード」シリーズでLEL-25の番号でも発売されました。

1.MY FOOLISH HEART [I・E] (愚かなり我が心)
2.CHE COSA C'E' (どうしたの?)
3.GEORGIA (ON MY MIND) [I] (わが心のジョージア)
4.TU NUN ME VUOI
5.FLY ME TO THE MOON (月に飛ぶ思い)
6.IL RAGAZZO DAI CAPELLI BIANCHI
7.WHERE DID I KNOW
8.HULLY GULLY A MEZZANOTTE
9.BICHE MA BICHE
10.REMEMBER
11.GO LITTLE QUEEN
12.CHE! CHE! CHE!
 偶数曲がイタリアの曲で、その内4、8、10、12はボングスト自作の曲です。

LPR-20026 LPR-20026 RDZ・ST-14212RDZ・ST-14212

 

RDZ・ST-14212 (1972年5月 RI FI - RI FI, Italy) "ALFREDO ANTONIO CARLO BONGUSTO" 彼の本名、フル・ネームがタイトルになっています。リフィに出戻って3枚目のアルバムです。ジャケットも顔写真の部分はくり抜きで、手が込んだものです。

1.QUESTO NOSTRO GRANDE AMORE (この私達の大きな愛)
2.ROMA 6
3.NON E' UN CAPRICCIO D'AGOSTO
4.TI AMO E POI...
5.MEZZALUNA E GLI OCCHI TUOI
6.INVECE NO
7.(WE HAVE) ALL THE TIME IN THE WORLD (愛はすべてを越えて)
8.DORMI SERENA
9.O PRIMMO TRENO...
10.QUANDO (クァンド)
11.MARENARIELLO (舟人の歌)
12.PIANGI AMORE MIO
13.LA CANZONE DI FRANK SINATRA

 1は1972年夏のディスク・フェスティヴァルの曲。4、12は彼が音楽を付けた映画"BIANCO, ROSSO E..."から。5は彼が音楽担当の映画 "GLI ORDINI SONO ORDINI" ※詳細はジュリアンさんのブログをご覧ください。7は映画「女王陛下の007」の主題歌、ルイ・アームストロングがオリジナル。8もボングスト音楽の映画"ALL'ONOREVOLE PIACCIONO LE DONNE"からの1曲。10.はルイジ・テンコの名曲。11は日本でも良く知られているナポリターナです。13は尊敬する"フランク・シナトラの歌"です。 ※ http://blogs.yahoo.co.jp/k1f2a3185914/archive/2009/3/18

 

RDZ・ST-14239 (1974年5月 RI FI - RI FI, Italy) "DOPPIO WHISKY/FRED BONGUSTO" タイトルはジャケットを見ての通り「ウィスキー・ダブル」です。リフィに出戻って6枚目のアルバムです。

1.PERDONAMI AMORE (愛の潮騒)
2.NEVER NEVER (忘れられない君)
3.TIEMPO D'AMMORE (夢のひととき)
4.CAPRI-CAPRI'
5.IL PIU' BELLO E IL PEGGIORE
6.TU SEI COSI'
7.TIE A YELLOW RIBBON ROUND THE OLE OAK TREE (幸せの黄色いリボン)
8.DIMMI CHE MI VUOI
9.MILLE STORIE DI BACI
10.LET ME TRY AGAIN (愛をもう一度)
11.DOPPIO WHISKY (ウィスキ-・ダブル)

 1は74年夏のディスク・フェスティヴァルの曲。2は74年バリー・ホワイトのヒット曲。3は日本でもLPに収録されたグロリア・クリスティアンとのデュエット曲。7はドーンが73年にヒットさせた曲。10はフランク・シナトラのカム・バックにポール・アンカが贈った曲、と言ってもまたまたカラヴェリ作、ロミュアール(ROMUALD)が創唱したのがオリジナル。"マイ・ウェイ"と同じドジョウがもう一匹いたようです。最後11曲目がこのアルバムのタイトルにもなった曲です。

RDZ・ST-14239RDZ・ST-14239 T-56187T-56187

T-56187 (1975年 WARNER Bros. - WEA ITALIANA) "FRED BONGUSTO/FLASH BACK" フラッシュ・バック、タイトル通りナポリターナの名曲やナポリ音楽祭の曲を歌います。2,4の2曲は日本題が付いていませんが、その他は知る人は知る曲ばかりです。WEAイタリアーナ移籍直後のアルバムです。

1.NAPOLI C'EST FINI (ナポリ・セ・フィニ)
2.'O VIULINO
3.INDIFFERENTEMENTE (無関心)
4.OHI MAMMA MAMMA'
5.TU SI' 'NA COSA GRANDE (素敵なあなた)
6.'NA SERA 'E MAGGIO (五月の夜)
7.COME CLOSER TO ME (君に寄りそい)
8.DICITENCELLO VUJE (彼女に告げてよ)
9.MALAFEMMENA (悪い女)
10.MARIA MARI' (マリア・マリ)
11.COMME FACETTE MAMMETA (お母さんどうしたのかしら)
12.O SOLE MIO (オー・ソレ・ミオ)

RPO・ST-72035 (1980年PENNY ORO - RI FI, Italy) "CON SENTIMENTO... FRED BONGUSTO" コン・センチメント、感情を込めてというところですね。廉価盤シリーズでかなり後の時期になって出された盤です。

1.IL NOSTRO AMOR SEGRETO (愛は秘密)
2.ANCORA UN PO' (CON SENTIMENTO)
3.PERCHE' NON SOGNAR (なぜ夢見ない)
4.TI AMO E POI...
5.VIERNO (冬)
6.GOCCE DI PIOGGIA SU DI ME (雨にぬれても)
7.STATE VICINO A ME (私のそばにいて)
9.SE CI STA LEI (オー・ベイブ)
10.FLAMINGO (フラミンゴ)
11.GUARDA CHE LUNA (月光のノクターン)
12.OH HAPPY DAY (オー・ハッピー・デイ)

 2がこのアルバムタイトルとなった曲。8はボングストが映画を担当した「カフェ・ウィズ・アス(VENGA A PRENDERE IL CAFFE' DA NOI)」からの1曲。9はハリケーン・スミスが72年にヒットさせた"OH BABE, WHAT WOULD YOU SAY"

 

RPO・ST-72035RPO・ST-72035 T-56907T-56907

 

T-56907 (1981年WARNER Bros. - WEA ITALIANA) "FRED TRA DI VOI/FRED BONGUSTO LIVE" 差し詰め「フレッドをあなたに/フレッド・ボングスト・ライヴ」なのでしょう。ボングストがWEAイタリアーナからRCAイタリアーナに移籍後に出されたライヴ盤のようです。

1.FRIDA (フリ-ダ)
2.FACCIAMO PACE
3.BRUTTISSIMA BELLISSIMA
4.CAZZAROLA
5.MOLISE
6.GIUTAR BOOGIE
7.TRE SETTIMANE DA RACCONTARE (ひと夏の微笑み)
8.QUATTRO COLPI PER PETROSINO
9.UNA ROTONDA SUL MARE (海のテラス)
10.SAMBA DE MINHA TERRA
11.MAS QUE NADA (マシュ・ケ・ナダ)
12.A FELICIDADE (悲しみよさようなら)
13.SAMBA DE ORFEO (オルフェのサンバ)
14.GAROTA D'IPANEMA (イパネマの娘)
15.NAO DEIXE O SAMBA MORRER (愛のサンバは永遠に)
16.CIAO NEMICA
17.SE IL MONDO AVESSE QUALCOSA DI TE
18.LUNEDI' (月曜日)
19.UN LENTO
20.FORTE FORTE
21.MOONLIGHT SERENADE (ムーンライト・セレナーデ)
22.THE MAN I LOVE (ザ・マン・アイ・ラヴ)
23.THE LADY IS A TRAMP (レディ・イズ・ア・トランプ)
24.CHATTANOOGA CHOO CHOO (チャタヌガ・チュー・チュー)
25.IN THE MOOD (イン・ザ・ムード)
26.BALLIAMO (一緒に踊ろう)


 前半は自分のヒット曲、10曲目からサンバ、ボサ・ノヴァ曲に移り最後が、良き時代のアメリカの曲で締めくくります。WEAイタリアーナ時代のボングストを象徴するようなライヴ盤です。




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