カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
1
3
10
12
14
16
18
20
22
24
26
28
30
06

ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(7)

 前年サンレモ音楽祭を欠場したジリオラ・チンクェッティは1968年サンレモ音楽祭出場曲選定が始まります。3曲提示され、チンクェッティ自身で最初の曲に決めました。

※お断り 国内盤のジャケット画像も挿入しますが、国内盤が発売された順番に並んで出てきません。ご承知ください。また、国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表ししております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

1968年に入るとすぐに、TVドラマ“わが牢獄(LE MIE PRIGIONI)”に出演しました。主人公でイタリアの愛国者シルビオ・ペリコの娘ザンゼ(ZANZE)役でした。第1話は大した出番もなかったのですが、第2話から原作にない台詞も多く増え、若い女優として認められました。

サンレモ出場曲はアンドレア・ロ・ヴェッキオとロベルト・ヴェッキオーニの作った“夕べのしあわせ”でした。他の候補曲は、“つばめのように(VOLANO LE RONDINI)”」、これは後で「悲しき天使(QUELLI ERANO I GIORNI)」のB面としてつかわれ、もう1曲は“愛の花咲くとき(QUANDO M'INNAMORO)”でアンナ・イデンティチ(ANNA IDENTICI)がサンレモ音楽祭で歌いました。 チンクェッティの“愛の花咲くとき” [15] はいくつかの言語(スペイン語、フランス語、ドイツ語など) で録音され、南米でも大ヒットしました。

N-9676 (1968年CGD - CGD, Italy) SERA (夕べのしあわせHIT-1514A)/ SE DECIDERAI (愛の太陽HIT-1638B)

N-9676 N-9676 HIT-1514 HIT-1514

HIT-1514 (1968年3月20日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “夕べのしあわせ (SERA)/愛の花咲くとき(QUANDO M'INNAMORO)”  マイナーなヴァージョン違いですが定価370円の初版と定価400円の再版があります。

HIT-1638 (1969年6月10日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “雨[日] (LA PIOGGIA[J])/愛の太陽(SE DECIDERAI)”

                          HIT-1638 HIT-1638

“夕べのしあわせ”は難しく高度な歌です。理解するには、何回も耳を傾ける必要があります。チンクェッティの素晴らしい表現力と偉大な資質を発揮し、第8位になったのがすべてを言い表しています。
この頃のジリオラのことを、アルベルト・ルーポの妻で女優のリラ・ロッコは:「…優雅なジリオラ ・ チンクェッティ。お世辞でなく広い意味で、ここ数年間で彼女は非常にスタイルや着こなし、声の成熟度がよくなったと思います。:女前が上がるのを見るのは同性としても嬉しいことです。」と語っていました。

夏のディスク・フェスティヴァルは1964年から始まった正に夏のレコード・セールスを左右するRCA系の歌手が強かった大イベントでした。サンレモ音楽祭と違い中小レコード会社も多く参加し、ヴァカンス・シーズンの若者向けのヒット・ソングが中心でした。チンクェッティは前年はじめて参加し大成功をおさめた “ローザ・ネーラ”は「ソフト・リズム&ブルース」調の曲でしたが、今回は「チャールストン」の曲で挑戦しました。

N-9681 (1968年CGD – CGD, Italy) GIUSEPPE IN PENSYLVANIA (ペンシルヴァニアの男HIT-1537A)/ COME UNA FOGLIA(落葉の恋HIT-1537B)

N-9681 N-9681 HIT-1537 HIT-1537


HIT-1537 (1968年8月20日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “ペンシルヴァニアの男(GIUSEPPE IN PENSYLVANIA)/落葉の恋 (COME UNA FOGLIA)”

 結果は第12位でしたが、その後の日本からゲストで由美かおる出演したヴェニス国際フェスティヴァル・金のゴンドラでもこの曲を歌い、68年を代表するヒット曲になりました。

秋に開催されたカストロカーロ新人コンテストにシャルル・アズナヴールと共に特別ゲストで招かれたチンクェッティは、初めて“悲しき天使”をイタリア語で歌いました。
ポール・マッカートニーがプロデュースし、世界的大ヒットとなったメリー・ホプキンのメジャー・デビュー(APPLE)曲“悲しき天使(THOSE WERE THE DAYS)”のイタリア語ヴァージョンです。ジリオラ・チンクェッティに打って付けの曲で、他にスペイン語とギリシャ語でもレコーディングしています。
B面はサンレモ出場候補であった曲です。出来が良いのでオリエッタ・ベルティも吹込み、日本ではおなじみの曲です。

N-9692 (1968年CGD – CGD, Italy) QUELLI ERANO I GIORNI (THOSE WERE THE DAYS [I]) (悲しき天使 [伊] HIT-1572A)/ VOLANO LE RONDINI (つばめのように HIT-1793A)

                       N-9692 N-9692


HIT-1572 (1968年12月20日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “悲しき天使 [伊](QUELLI ERANO I GIORNI)/ピノキオへの手紙 (LETTERA A PINOCCHIO)”

HIT-1572 HIT-1572 HIT-1793HIT-1793

HIT-1793 (1970年9月1日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “つばめのように(VOLANO LE RONDINI)/愛はひととき (SOLO UN MOMENTO D'AMORE)”

早年末に近づき、カンツォニッシマの準備が始まります。48人の歌手を8グループに分け上位半分だけ残すトーナメント方式でした。前年まではがき投票のみでしたが、各地の色々なジャンルの人を審査員を選び、審査員の得点も加算する方式になりました。結果として若い歌手が勝ち残りやすくなりました。
チンクェッティは“ローザ・ネーラ”で出場しました。結果は優勝ジャンニ・モランディ、2位クラウディオ・ビルラ、3位アル・バーノでした。この年のテーマが“ズン・ズン・ズン(ZUM ZUM ZUM)”で日本ではチンクェッティの歌でヒットしました。

HIT-1666 (1969年9月1日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “ズン・ズン・ズン(ZUM ZUM ZUM)/消え去る想い (IL TRENO DELL'AMORE)”

                   HIT-1666 HIT-1666

この“ズン・ズン・ズン”はミーナがオリジナルですが、日本市場向けに録音された曲と言われています。




[15] 1968年のサンレモ音楽祭の曲“愛の花咲くとき”は良い(あるいは日本人好み)の曲で日本でもヒットしてます。チンクェッティの“愛の花咲くとき”はあと2回シングル盤に収録されました。

HIT-1833 (1970年12月10日SEVEN SEAS – KING, Japan) “コンドルは飛んで行く(IL CONDOR)/愛の花咲くとき (QUANDO M'INNAMORO)”

HIT-1833HIT-1833  HIT-7003 HIT-7003

HIT-7003 (1973年1月SEVEN SEAS – KING, Japan) “愛は限りなく(DIO, COME TI AMO)/愛の花咲くとき (QUANDO M'INNAMORO)”


スポンサーサイト

ジリオラ・チンクェッティ~アルバム・コレクション(2)

  ジリオラ・チンクェッティのシングル盤の話に沿ってアルバム(LP)のことも時代を追って行きましょう。前回はイタリアのファースト・アルバムと2枚の国内盤アルバムのことでしたが、今回は1966年~7年の間に発売された盤です(シングル盤と同様に国内盤は相前後します)。

 

ジリオラ・チンクェッティにセカンド・アルバムも12曲でリリースされました。1966年~67年に発売された曲に、"夢みる想い"と"あこがれはいつも心に"のサンレモ音楽祭の2曲を加わっています。ところで肝心の66年の優勝曲"愛は限りなく"は入っていませんが! どうも「そういう」扱いのようです。日本で華々しく色々な歌手に歌われていますが、チョット様子がちがうようです。

今回書いた国内盤アルバムのSR- 149"ジリオラ・チンクェッティ(GIGLIOLA CINQUETTI)"と次に書くつもりのSR- 249"悲しき天使/ジリオラ・チンクェッティ"(67年~69年に発売)におさめられている曲です。

 

POP-36 (1967年 CGD(SERIE SMERALDO) - CGD, Italy) "LA ROSA NERA (ローザ・ネーラ)"

 

              POP-36 POP-36

 

1. LA ROSA NERA (ローザ・ネーラ) N-9661;HIT-1451A

2.DOMMAGE, DOMMAGE (PECCATO) (心に雨が降る) N-9638;HIT-1405B

3.TU NON POTRAI MAI PIU' TORNARE A CASA (家へは帰れない [伊]) N-9623;SR- 149-12

4.HO BISOGNO DI VEDERTI (あこがれはいつも心に) N-9532;HIT-1187A

5.MILLIE (ミリー) N-9664;SR- 249-12

6.UNA STORIA D'AMORE (愛の物語) N-9654;SR- 149-4

7.PICCOLA CITTA' (小さな町) N-9664;SR- 249-11

8.LA BOHE'ME (ボエ-ム[伊]) N-9623;SR- 149-7

9.QUANDO IO SARO' PARTITA (去った後で) N-9654;SR- 249-6

10.HO IL CUORE TENERO (恋する心) N-9661;HIT-1451B

11.L'USIGNOLO (愛のうぐいす) N-9638;HIT-1405A

12.NON HO L'ETA' (PER AMARTI) (夢みる想い) N-9486;HIT-1040A

 

「お子さま向け」というコンセプト・アルバムなので、なにか理由があるのかと思い調べましたが、特に見つかりませんでした。一つ考えつくのは映画「おろかもの」で子供たちに教育する先生(保母)の役をしたことでしょう。このアルバムにも"指は五つ"が収録されています。これほどコンセプトが絞り込まれていなければ、多分"愛は限りなく"が入れられて1966年のアルバムなっていたことでしょう。この中の"ピノキオへの手紙"1959年第1回ゼッキノ・ドーロ(ZECCHINO D'ORO)子供音楽祭の入賞曲、ジョニー・ドレルリの歌でヒットし、スタンダード・ナンバーになりました。彼女の歌も評判がよく、1975年に出された"ジリオラの"忘れな草(GIGLIOLA E LA BANDA)"というコンセプト・アルバムに再び使われます。

ひと目でジャケットは日本のデザインの勝ちですね。タイトルも"PICCINI"はなじみが薄いので"BAMBINI"に変えています。

 

FG-5036 (1967年 CGD - CGD, Italy) GIGLIOLA PER I PIU' PICCINI (チンクェッティのおとぎ話) 曲番は=の左

 

FG-5036 FG-5036 GP-  28 GP-  28


1.=8.MARCIAM MARCIAM (HEIGH HO) (ハイ・ホー)

2.=4.CAM-CAMINI'(CHIM CHIM CHER-EE) (チム・チム・チェリー)

3.=1.BIBBIDI-BOBBIDI-BU (ビビディ・バビディ・ブー)

4.=7.IL MIO AMORE UN DI VERRA' (SOMEDAY MY PRINCE WILL COME) (いつかは王子様が)

5.=10.I TRE PORCELLINI (三びきの子ぶた)

6.=5.BELLA NOTTE (美しき夜)

7.=3.UN POCO DI ZUCCHERO (A SPOONFUL OF SUGAR) (ひとさじのお砂糖)

8.=12.MARCELLINO PANE E VINO (CANCIO'N DE MERCEINO) (マルセリーノの歌)

9.=9.IMPARA A FISCHIETTAR (WHISTLE WHILE YOU WORK) (口笛ふて精だして)

10.=6.CARISSIMO PINOCCHIO (ピノキオへの手紙)

11=2.SUPERCALIFRAGILISTIC-ESPIRALIDOSO (SUPERCALIFRAGILISTIC-EXPIALIDOCIOUS) (スーパーカリフラジリスティック)

12.=11.CINQUE SON LE DITA (指は五つ)

 

GP-  28 (1970年11月10日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "チンクェッティのおとぎ話(GIGLIOLA PER I BAMBINI)" 曲番は=の右

 

国内盤3枚目のアルバム、1965年~66年までの曲を中心に集めた日本独自の編集盤です。シングル盤コレクションのところで書きましたが、カテリーナ・カセルリと共作になった"愛の物語"が入っています。この曲はコンパクト盤(4曲入り)PS-  23に収録されたきりで、国内盤のCD化はされていません。チンクェッティのコンパクト盤は最後に全部集めてい1度書いてみる予定です。 

 

SR- 149 (1967年12月10日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "ジリオラ・チンクェッティ(GIGLIOLA CINQUETTI)"


            SR- 149  SR- 149 

 

1.愛は限りなく (DIO, COME TI AMO) N-9605;HIT-1323A

2.あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI) N-9532;HIT-1187A

3.心に雨が降る (DOMMAGE, DOMMAGE (PECCATO)) N-9638;HIT-1405B

4.愛の物語 (UNA STORIA D'AMORE) N-9654

5.愛のうぐいす (L'USIGNOLO) N-9638;HIT-1405A

6.はじめてのキッス (IL PRIMO BACIO CHE DARO') N-9499;HIT-1094A

7.ボエーム[伊] (LA BOHE'ME [I]) N-9623

8.アネマ・エ・コ-レ (ANEMA E CORE) N-9522

9.ナポリは恋人 (NAPOLI, FORTUNA MIA) N-9522;HIT-1161A

10.ローザ・ネーラ (LA ROSA NERA) N-9661;HIT-1451A

11.指は五つ (CINQUE SON LE DITA) N-9635

12.恋する心 (HO IL CUORE TENERO (LE COEUR TROP TENDRE [I])) N-9661;HIT-1451B

13.家へは帰れない[伊] (TU NON POTRAI MAI PIU' TORNARE A CASA (I CAN NEVER GO HOME ANY MORE [I])) N-9623

14.愛は限りなく[日] (DIO, COME TI AMO [J]) HIT-1361A




ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(6)

 

ジリオラ・チンクェッティは1967年サンレモ音楽祭出場曲選定を始めます。彼女の選んだ希望の曲が歌えなくなります。彼女にとって初めて壁にぶつかります。

 

※お断り 国内盤のジャケット画像も挿入しますが、国内盤が発売された順番に並んで出てきません。ご承知ください。また、国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表ししております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

 

彼女が選んだ1967年サンレモ音楽祭出場曲は"UNA STORIA D'AMORE(愛の物語)" [13] でした。しかしパオロ・コンテ(PAOLO CONTE)はこの曲をカテリーナ・カセルリに歌わせたかったのでチンクェッティは選べませんでした。代替案として"L'IMMENSITA'(涙に咲く花)"があがりましたが、チンクェッティが断りました。

"愛の物語"はローリング・ストーンズなども出演したTVショー番組「ジョヴァニ(GIOVANI)」で歌われました。チンクェッティとカセルリの両方とも国内盤で聞けますが、迫力の点でカセルリに軍配が上がります。

曲選定が難航している内に、カンヌで第1回MIDEM音楽見本市が開かれることとなり、彼女はそちらの参加を優先したため、サンレモ音楽祭に不参加となりました。この年はルイジ・テンコの自殺騒ぎがあり、落着かない大会だったので、結果として不参加にしたのは、よい選択だったかもしれません。

 

N-9654 (1967年CGD - CGD, Italy) UNA STORIA D'AMORE(愛の物語SR- 149-4)/QUANDO IO SARO' PARTITA(去った後でSR- 249-6

 

                           N-9654 N-9654

 

夏のディスク・フェスティヴァルは1964年から始まった正に夏のレコード・セールスを左右する大イベントでRCA系の歌手が好成績を残していました。サンレモ音楽祭と違い中小レコード会社も多く参加し、ヴァカンス・シーズンの若者向けのヒット・ソングが中心でした。チンクェッティは今まで参加しませんでしたが、サンレモ音楽祭不参加で年前半のヒット曲不足のため出たのだとと思います。

 出場曲"ローザ・ネーラ"は彼女の曲相とは違い、ソフト・リズム&ブルース調で、詩の内容もプロテクト・ソング的で彼女のファンならずともちょっとビックリしました。

 

N-9661 (1967年CGD - CGD, Italy) LA ROSA NERA (ローザ・ネーラHIT-1451A)/ HO IL CUORE TENERO(恋する心HIT-1451B

 

N-9661 N-9661 HIT-1451 HIT-1451

 

HIT-1451 (1967年7月20日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "ローザ・ネーラ(LA ROSA NERA)恋する心(HO IL CUORE TENERO)"

 

 結果は第2位 [14] の好成績で彼女の新しい音楽の方向性を見いたしました。ヒット・チャート的にも"愛は限りなく"(最高位7位)より良いチャート6位になり彼女の2枚目のアルバムのタイトル曲にもなりました。

このシングル盤はイタリアとまったく同じ編成で国内盤が発売されました。しかし"愛は限りなくのヒット後、サンレモ音楽祭不参加もあり、買った人が少なく彼女の国内盤ではレアの部類に入ります。

 

ジリオラは7月から、ジョニー・ドレルリなどが出演するTVショー「グラン・ヴァラエティー」のテーマソングとして彼女の新曲"小さな町(PICCOLA CITTA')"を歌いました。そしてこの曲で1967年末のカンツォニッシマ「パルティティッシマ~大勝負(PARTITISSIMA)」に出場しました。この年の優勝は"ダン・ダン・ダン(DAN DAN DAN)"を歌ったダリダ(DALIDA)でした。B面は67年アメリカのミュージカル映画「モダン・ミリー」からのカヴァー曲です。

 

N-9664 (1967年CGD - CGD, Italy) PICCOLA CITTA'(小さな町SR- 249-11)/ MILLIE (ミリーSR- 249-11

 

N-9664 N-9664  BELLA,1967-28 BELLA-28(N-9532)

 

週刊誌「ベッラ(BELLA)」の1967年28号付録に"あこがれはいつも心に"のシングル盤(プロモーション・バージョンのジャケット・スリーブ)がついていました。同じレコード番号(N-9532)で別のカヴァーです。

 

[13] "愛の物語(UNA STORIA D'AMORE)"はCGDで2大女性スターがニア・ミスした数少ない曲でした。この曲、当時のクレジットはポンティアック(PONTIACK)にダニエレ・パーチェ(D.PACE)とマリオ・パンゼリ(M.PANZERI)のチームだったのですが、フランチェスコ・グッチーニが本当の作者だと判りました。

 この二人、66年のサンレモ音楽祭後、チンクェッティの"愛は限りなく"のヒット・チャートは最高7位、年間でこの1曲だけですが、カセルリの"青春に生きる"はナンバー・ワン・ヒットとなりました。カセルリはその後、"黄金の男(L'UOMO D'ORO)/涙を許して(PERDONO)"は両面ヒット、2位/3位、"恋の100日(CENTO GIORNI)"が3位と発売した曲総てが大ヒット。

67年もチンクェティは"ローザ・ネーラ"が上位のランキングですが、カセルリは3曲リリースし、5位、4位、9位と100%ヒットと完勝でした。ヒット・ランキングで明らかな差が出てきて、チンクェッティが新たな方向を模索し、独自の道を歩んでいった理由がお解りになるかと思います。

一方カセルリはCGDの親会社MESSAGERIE MUSICALI(SUGAR GROUP)の御曹司ピエロ・シュガー(PIERO SUGAR)と結婚します。これから始まるカテリーナ・カセルリの波乱万丈の人生は彼女の事を書く時まで取っておきましょう。

 

[14] 1967年第4回夏のディスク・フェスティヴァル

優勝はジミー・フォンタナの"私のセレナ-デ(LA MIA SERENATA)"、第3位にウィルマ・ゴイク(WILMA GOICH)が歌ったルイジ・テンコの曲"夜の想い(SE STASERA SONO QUI)"でした。

 

SS-1894 SS-1894 HIT-1458 HIT-1458




ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(5)

 

ジリオラ・チンクェッティは1966年サンレモ音楽祭に再び優勝し、復活を遂げました。しかし、彼女のレコード会社CGDにカテリーナ・カセルリが新たなスターとして登場してきます。

 

※お断り 国内盤のジャケット画像も挿入しますが、国内盤が発売された順番に並んで出てきません。ご承知ください。また、国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表ししております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

 

 撮影が進行していた映画「あこがれはいつも心に」はタイトルを「愛は限りなく」に変更しクランク・アップ(イタリア人の何と変わり身の早さよ!)、日本でも封切られました。 [11]

 

 今度の新曲はシャルル・アズナヴールの"ボエーム"とアメリカの女性グループ、シャングリラスの"家へは帰れない"をカヴァーしました。このシングルは夏のヴァカンス後半に彼女自身が選曲したそうです。

"ボエーム"は二十歳前の女の子が歌うには難しすぎる題材です。アズナヴールの歳になり、「成功した今、貧乏ながら夢と情熱に燃えた若いころを思い返す」内容だからです。と、私が思ったのですが、調べていくとアズナヴールも最初、ジリオラのレコーディングを許さなかったそうです。誰でもそう思うことでしょう。

しかし、最後には彼女が歌うのを許したのは、アズナヴールがその実力を認めた表れでしょう。

N-9623 (CGD - CGD, Italy) LA BOHE'ME [I] (ボエーム[伊]SR- 149-7)/TU NON POTRAI MAI PIU' TORNARE A CASA (I CAN NEVER GO HOME ANY MORE [I])(家へは帰れない [伊]SR- 149-13

 

           N-9623 N-9623

 

HIT-1714 (1970年2月10日 BARCLAY - KING, Japan) "ボエーム(LA BOHE'ME)/大根役者(LE CABOTIN)" シャルル・アズナヴール(CHARLES AZNAVOUR)

 

HIT-1714 HIT-1714 JET-1636 JET-1636

 

JET-1636 (1966年 3月 RED BIRD - J.V.C.,Japan) "家へは帰れない(I CAN NEVER GO HOME ANY MORE)/ブルドッグ(BULL DOG)"

 

"家へは帰れない"はチンクェッティのイタリアの歌詞は、元曲の英語の詩ほど危うくはありませんが、もう少女からは巣立ちしようとしているようです。ジョニー・ドレルリのTVショー「ジョニーの夕べ(JOHNNY SERA)」で初めて歌われたそうです。

 

映画「愛は限りなく」の後ジリオラは次の新しい映画に取りかかりました。今までの映画とは全く違う社会派映画で「おろか者(TESTADIRAPA)」というタイトルでした。

これはジャンカルロ・ザーニ(GIANCARLO ZAGNI)の監督作品<未公開>で1869年義務教育法が制定された時の実話です。 ファルコ・ルッリ(FOLCO LULLI)が演じる気難しい農民の「おろか者(TESTADIRAPA)」が強盗した罪で刑務所に服役することとなり、フェデリコ・スクロボーニャ(FEDELICO SCROBGNA)が演じる9歳の息子ゴスト(GOSTO)が取り残されます。父が服役中ゴストの世話をし、教育する若い先生がジリオラの役でした。

この映画は司法制度の悪印象を与えるという理由で検閲対象になり、イタリア国内で上映されませんでしたが、国際映画銀獅子賞を受賞し評価されるようになりました。サントラ盤として3曲入ったシングル盤が発売されました。音楽はピエロ・ウミリーニ(PIEROUMILIANI)です。

 

N-9635 (1966年CGD - CGD, Italy) CINQUE SON LE DITA (指は五つSR- 149-11)/ TESTADIRAPA (おろか者)/ HAI IMPARATO DA ME (私から SR- 249-5) ~映画「おろか者( TESTADIRAPA )」より

 

                          N-9635 N-9635

"指は五つ"はゴストに数の数え方を教える時にうたいます。"私から"は先生が子供たちを前に「何を学ぶのか」と言うことを歌っています。

 

夏のヴァカンス明け直ぐにヴェネツィア国際音楽フェアに参加し、8月27日そのまま「カンタエウロパ(CANTAEUROPA)」でヴェネツィアを出発し9月11日サンレモ戻るスケジュールで、ロシアを含むヨーロッパの主要都市を訪問します。ツアーでジリオラは新曲"心に雨が降る"、"ボエーム"や"アネマ・エ・コーレ"を歌いました。

 

N-9638 (1966年 CGD - CGD, Italy)  DOMMAGE, DOMMAGE (PECCATO)(心に雨が降る(ドマージュ・ドマージュ))HIT-1405B)/ L'USIGNOLO(愛のうぐいすHIT-1405A)(CGD, N-9638)

 

N-9638 N-9638 HIT-1405 HIT-1405

 

HIT-1405 (1967年1月20日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "愛のうぐいす(L L'USIGNOLO心に雨が降る(ドマージュ・ドマージュ)(PECCATO (DOMMAGE, DOMMAGE))"

国内盤は表裏逆ですが、日本人好みの曲をA面に持ってきたと思います。

 「カンタエウロパ」から戻ると、もう年末のカンツォニッシマ(CANZONISSIMA)の準備に入ります。66年のテーマは「王の階段(SCALA REALE)」になりスターをキャプテンにし中堅、新人、外国人の4人で一組、20チーム(総数80人)を作り、そのグループの得票によるトーナメント戦をするというものです。[12] 

ジリオラのチームはジョニー ・ドレルリ、トニー・ デル・ モナコ(TONY DEL MONACO)と、未知のジャンニ ・ カルローネ(GIANNI CALONE)で彼はペピーノ・ガリアルディがデビューしたナポリのマイナー・レーベルZEUSでジャンニ・ロックの芸名で歌っていた歌手でした。 彼こそマッシーモ・ラニエリという芸名でジャンニ・モランディの後を追う大歌手になります。このチームは全員CGDの歌手たち、大会社ならではのチーム編成です(今なお「一人お姫さま」は守られています)。

 第1回戦は"夜空のトランペット"の大ヒット曲を持つニニ・ロッソ・チームでしたが、快調な勝利をおさめます。第2回戦は最強のジャンニ・モランディ・チームで負けてしました。

 

[11] 映画「愛は限りなく」

 日本ではサウンド・トラック盤として2枚のコンパクト盤(4曲入り)が発売されました。私のブログ「チンクェッティ主演映画「愛は限りなく」(サン・トラ盤)」 http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4952678.html をご覧ください。

 

※コメントをいただきました。封切り当時「愛は限りなく」の日本語ヴァージョンがエンドロールにかぶせて流れたそうです。そのごNHKBSで放映されたときは入っていないとのことです。当時映画館で見ておきたかったですね。

 

PP- 95PP- 95  PP- 79PP- 79 

 

[12]1966年カンツォニッシマ「王の階段」

モランディ・チームは最終決戦でクラウディオ・ビルラ・チームに負けますが、新旧スターの激突で視聴率は70%を超え、伝説となった年度のカンツォニッシマでした。この年の特徴は各チームに新人を必ず入れるため、RAIは大々的にカンツォニッシマ出場のコンテストを行いました。マッシーモ・ラニエリの他、マリーザ・サンニア、パティー・プラヴォー、ジャンニ・ペッティナーティなどを発掘しました。




ジリオラ・チンクェッティ~アルバム・コレクション(1)

   ジリオラ・チンクェッティのイタリアと日本のシングル盤を紹介していますが、国内シングル盤で発売されておらず、アルバムのみの収録曲も何曲か出てきました。

最後でLP盤を集中して載せようかと思いましたが、きっとどれが何やら、忘れ去られた状態で紹介しても意味がないので、折々タイミングを見て書いてゆきます。

 

※お断り 文章の中でイタリアのシングル盤を中心にジャケット画像を挿入しいきます。またそれに対応する国内盤のジャケット画像も挿入しますが、国内盤が発売された順番に並んで出てきません。ご承知ください。また、国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表ししております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

 

ジリオラ・チンクェッティにファースト・アルバムは12曲でリリースされました。" 夢みる想い"のB面"すてきなボーイ"、"はじめてのキッス"のB面"涙を見せずに"の2曲が未収録、"ほのかに夢みて"とカストロカーロで歌った"水の上"がシングル盤で出ていない新曲として収録されています。

 

FG-5012 (1964年 CGD - CGD, Italy) GIGLIOLA CINQUETTI (ジリオラ・チンクェッティ)

                  FG-5012  FG-5012

 

1. QUANDO PASSO IL PONTE CON TE (しあわせは橋の上) N-9509A

2.IL PRIMO BACIO CHE DARO' (はじめてのキッス) N-9499A

3BARBABLU' (バルバブル) N-9510B

4.TUTTI SONO ANDATI (ほのかに夢みて)

5.UN RAGAZZO PIU' TRISTE DEGLI ALTRI (ほほえみの街角) N-9550B

6.NON HO L'ETA' (PER AMARTI) (夢みる想い) N-9486A

7.CARO COME TE (愛はすぐそこに(カロ・コメ・テ)) N-9510A

8.PRIMA O POI... TELEFONERAI (ひとりぼっちの夜) N-9509A

9.UNO DI VOI (ひとりになりたい) N-9550A

10.PENSO ALLE COSE PERDUTE (瞳にいっぱいの涙) N-9474A

11.SULL'ACQUA (水の上)

12.QUANDO VEDO CHE TUTTI SI AMONO (淋しいめざめ) N-9474B

 

MH- 187 (1964年10月20日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "夢みる想い  チンクェッティのすべて(NON HO L'ETA' (PER AMARTI))"

 

  初版 MH- 187a 再版 MH- 187b 

 

1.夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI)) HIT-1040A

2.淋しいめざめ (QUANDO VEDO CHE TUTTI SI AMONO) HIT-1187B

3.バルバブル (BARBABLU') HIT-1249A

4.水の上 (SULL'ACQUA)

5.ひとりぼっちの夜 (PRIMA O POI... TELEFONERAI)HIT-1161B

6.しあわせは橋の上 (QUANDO PASSO IL PONTE CON TE) HIT-1138B

7.はじめてのキッス (IL PRIMO BACIO CHE DARO') HIT-1094A

8.愛はすぐそこに (CARO COME TE) HIT-1138A

9.瞳にいっぱいの涙 (PENSO ALLE COSE PERDUTE) HIT-1077B

10.ほほえみの街角 (UN RAGAZZO PIU' TRISTE DEGLI ALTRI)

11.ほのかに夢みて (TUTTI SONO ANDATI)

12.ひとりになりたい (UNO DI VOI)

 

イタリア盤と収録曲は同じですが、曲順の編成は違っています。この盤には初版と再版があります。画像でもお分かりのように、初版は全体に赤っぽく、ジャケットの用紙は絹目紙を使っています。再版は全体に青っぽく、ジャケットの用紙は光沢紙を使用しています。

 

国内シングル盤と対比してみますと"夢みる想い"のB面"すてきなボーイ"、"夢みる想い [日]"、"はじめてのキッス"のB面"涙を見せずに" 、"ひとりぼっちの夜"のA面"ナポリは恋人"、"淋しいめざめ"のA面"あこがれはいつも心に" 、"夢みる想い [日]"、"バルバブル"のB面"グラツィエ!アモ-レ"が未収録で、カストロカーロで歌った"水の上"、"ほほえみの街角"、"ほのかに夢みて" 、"ひとりになりたい"が国内シングル盤で出ていない新曲として収録されています。

 

イタリアでのチンクェッティのセカンド・アルバムは1967年に発売されていますが、日本では独自編集のアルバムが発売されました。

 

MH- 219 (1966年4.月SEVEN SEAS - KING, Japan) "ヨーロピアン・ベスト・スターズ・アルバム/ジリオラ・チンクェッティ(EUROPEAN BEST STARS' ALBUM/GIGLIOLA CINQUETTI)"

 

          MH- 219 MH-219

 

1ナポリは恋人 (NAPOLI, FORTUNA MIA) HIT-1161A;N-9522B

2アネマ・エ・コーレ (ANEMA E CORE) N-9522A

3グラツィエ・アモーレ (GRAZIE AMORE) HIT-1249B;N-9532B

4わたしだけ (TUTTO MENO UNA);N-9514B

5涙を見せずに (NON E NIENTE LASCIAMI STARE) HIT-1094B;N-9499B

6花は枯れて (SFIORISCI BEL FIORE) N-9584B

7愛はすぐそこに (CARO COME TE) HIT-1138AN-9510A

8あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI) HIT-1187A;N-9532A

9バルバブル (BARBABLU') HIT-1249AN-9510B

10.すてきなボ-イ (SEI UN BRAVO RAGAZZO) HIT-1040BN-9486B

11.イタリ-でこんにちは[仏] (L'ITALIANO [F]) HIT-1106A;FX-1400A

12.アイ・ノウ・ア・プレイス[伊] (UN BEL POSTO) N-9584A

13.千年でも一緒に (MILLE ANNI) N-9584C

14.夢みる想い[日] (NON HO L'ETA' (PER AMARTI) [J]) HIT-1077A

 

 イタリアで"夢みる想い"の日本語ヴァージョンが発売されることはないでしょうが、彼女のファースト・アルバムから1966年サンレモ音楽祭優勝曲"愛は限りなく"までの大体のシングル盤をフォローしています。良い時期に良い企画で出されたアルバムです。きっとイタリア人も欲しいことでしょう(収録曲がCD化されていなければ)

 

イタリアでは1967年"ローザ・ネーラ"のタイトルでセカンド・アルバムが出るまで、跳んでいます。サンレモ音楽祭の曲は65年の"あこがれはいつも心に"は収録されていますが、66年の優勝した"愛は限りなく"は入っていません。結局、彼女のアルバムには"愛は限りなく"はおさめられず、シングル盤のみの発売だったようです。

どうも日本で考えている"愛は限りなく"の位置づけと、イタリアでの扱いは違ったものだと考えた方が良さそうです。




ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(4)

  

 遂に待望のジリオラ・チンクェッティの初日本ツアーがはじまります。しかし1年半の多忙な毎日で、喉をこわした上、一緒に来た親子ほど歳のちがう大ベテラン、ルチアーノ・タヨーリ(LUCIANO TAJOLI)が5曲も日本語で歌えるのに、彼女は日本語でも上手に歌えませんでした。

事前に日本の留学生について日本語を練習してきたジリオラは悔しい思いをしたようで、来日後半には「ナポリは恋人」を日本語で完全に暗唱し出来るようになりました。

このように「完璧主義者」の彼女はデビュー前から通っていたヴェローナ芸術院(4年制)は必ず卒業すると決めていたようです。来日中も8月の卒業試験のことをずっと気にしていました。帰国しヴェニス音楽祭に出演後、半年の休暇に入ります。喉の故障もあり一時引退説もささやかれました。

 

※お断り 文章の中で国内盤のジャケット画像も挿入しますが、国内盤が発売された順番に並んで出てきません。ご承知ください。また、国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表ししております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

 

発売時期は分かりませんが夏のディスク・フェスチヴァルに出場するシングル盤が出る頃なので、5月だと思います。

N-9550 (1965 CGD - CGD, Italy) UNO DI VOI (ひとりになりたいMH- 187-12)/UN RAGAZZO PIU' TRISTE DEGLI ALTRI (ほほえみの街角MH- 187-10

 

                      N-9550 N-9550 

 

N-9584 (1965年 CGD - CGD, Italy) UN BEL POSTO (I KNOW A PLACE [I] アイ・ノウ・ア・プレイス [伊] MH- 219-12)/ SFIORISCI BEL FIORE (花は枯れてMH- 219-6)/

MILLE ANNI (千年でも一緒にMH- 219-13)

 

N-9584 N-9584.gif US- 130・V US- 130・V

 

US- 130・V (1965年6月 VOGUE - TEICHIKU, Japan)"アイ・ノウ・ア・プレイス(I KNOW A PLACE)/ジャックとジョン(JACK AND JOHN)"

 

発売時期は不明ですが、10月から12月頃でしょう。約半年間ジリオラの活動がなく、レコードも発売されていませんでした。復帰最初の仕事だと思います。ファンに"ご心配かけたお詫び"?の3曲入り。1曲目はペトゥラ・クラークの65年のヒット曲のカヴァーでパラヴィッチーニがイタリア語の詩を書いています。ペトゥラ・クラークの国内シングル盤ものせました。

収録の3曲は1966年1月8日 (土曜日の夜)から1月22日(土曜日の夜)まで放送された「私はジリオラ」というバラエティー特番で歌われた曲です。

 

この特番の翌週、木曜日27日からサンレモ音楽祭が始まります。皆さんもご存じの通り(約半世紀前の出来事で)ドメニコ・モドゥーニョの自作自演"愛は限りなく(DIO, COME TI AMO)" [9]のパートナーとしてチンクェッティが歌い、前年「サンレモで2度優勝したら怪物」とコメントしましたが、まさに若い怪物として優勝をしました。

 

N-9605 (1966年1月 CGD - CGD, Italy) DIO, COME TI AMO (愛は限りなく HIT-1323A)/VUOI (あなたの望み WQCP-1161~64)裏面は国内盤未発売でしたが、"ジリオラ・チンクェッティ/シングル・コレクション"で国内初登場となりました。

 

N-9605 N-9605 HIT-1323 HIT-1323   

 

HIT-1323 (1966年3月1日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "愛は限りなく (DIO, COME TI AMO)/青春に生きる(NESSUNO MI PUO' GIUDICARE)"ジリオラ・チンクェッティ/カテリーナ・カセルリ(CATERINA CASELLI)  マイナーなヴァージョン違いですが定価370円の初版と定価400円の再版があります。

 

一時引退説まで出ていたチンクェッティは、サンレモ音楽祭に3年連続出場で2度目の優勝し、完全復活しました。また最大の望みのヴェローナ芸術院も卒業し、プロとして芸能界で生きていく覚悟もできたと思います。

 一方CGDの中で「一人お姫さま」状態だったのが、タイプが違うにせよ超大物ライバルが出現しました。国内盤B面に収録されているカテリーナ・カセルリがCGDに移籍し、2枚目のシングル盤でチンクェッティ同様に鮮烈なサンレモ音楽祭デビューを果たしたからです。[10]

 

 

[9] HIT-1381 (1966年10月1日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "愛は限りなく (DIO, COME TI AMO)/恋の聖バレンタイン (SANTO VALENTINO)"

                      HIT-1381 HIT-1381 

66年のユーロビジョン・ソング・コンテストは5月5日ルクセンブルグで開催され、イタリア代表はサンレモ優勝者ドメニコ・モドゥーニョが"愛は限りなく"を歌いました。モナコと共に得票ナシの最下位18位でした。優勝者はオーストリアのウド・ユルゲンスが歌った"メルシー・シェリー(MERCI CHERIE)"、2年前の事があるだけにチンクェッティが出ていれば、また優勝という期待が高く、世界の「ミスター・ヴォラーレ」も批判の的になったようです。 このレコードの事は私のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/3432949.html をご覧ください。

 

[10] 66年サンレモ音楽祭の結果公表は優勝曲のみの決定でしたが、得票結果は優勝"愛は限りなく"77票、第2位"青春に生きる"31票、第3位"花のささやき"19票という結果をでした。カセルリの超大物ぶりが分かります。

カセルリはチンクェッティが優勝した63年カストロカーロで入賞し、ブルーノ・フィリッピーニと同じレコード会社MRCと契約、チンクェッティと同じく64年にレコードデビューしました。そして、皮肉なことにチンクェッティの姉ロッビと同じ20ヶ月年上でした。

A-204 (1964年 MRC - MRC, Italy)"TI TELEFONO TUTTE LE SERE/SCIOCCA"

              A-204a A-204 A-204b

※"愛は限りなく"の日本語ヴァージョンじゃ国内盤しか発売されていませんので、ここで紹介します。

私のブログ「ジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」日本語盤」 http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/3520756.html をご覧ください。

 

                      HIT-1361 HIT-1361 

いよいよチンクェッティも大人の女性歌手として成長していきます。シングル盤は年3枚前後のペースで発売していきます。デビュー・レコード会社で約20年も在籍した歌手はイタリアでも珍しいことです。




ジリオラ・チンクェッティ/シングル・コレクション(4枚組CD) 発売決定

  オフィス片山(代表 片山 伸)の企画、構想から1年半という長い期間を経て、「ジリオラ・チンクェッティ シングル・コレクション」がようやく完成しました。

 

私から一言!

N-9605 (1966年1月 CGD - CGD, Italy) DIO, COME TI AMO (愛は限りなく HIT-1323A)/VUOI (あなたの望み WQCP-1161~64

 裏面は国内盤未発売でしたが、"ジリオラ・チンクェッティ/シングル・コレクション"で国内初登場となりました。

 

 

『日本で最も愛されたカンツォーネの妖精、ジリオラ・チンクェッティのシングル曲を集めた集大成コレクション!! 』です。

 

タイトル『ジリオラ・チンクェッティ / シングル・コレクション』

発売日:2012年7月5日発売
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
品番:WQCP-1161~64(CD4枚組み・全70曲)
仕様:縦型デジブック・ケース、76ページに及ぶ別冊ブックレット付
価格:税込¥8,400-(税抜¥8,000-)

 

                   <主な特徴>
・「雨」や「夢見る想い」など多くのヒット曲で知られるチンクェッティ初のシングル・コレクション
・ 日本で発売されたチンクェッティのシングル曲を中心に70曲を収録
・ 国内初CD化31曲にオリジナル・アルバム未収録28曲、さらにレア音源も満載した4枚組
・ 待望となる「夢見る想い」の日本語ヴァージョンも収録
・ ファン垂涎となる英語ヴァージョン、フランス語ヴァージョンなども特別収録
・ カラー写真で綴る国内盤全シングル・ジャケット・ギャラリーを掲載
・ 解説、歌詞・対訳に加え、全曲解説や日伊ディスコグラフィなどデータ資料も充実

 

               WQCP-1161~64大

<収録曲目>
Disc-1
1 夢みる想い  Non Ho L'età(Per Amarti)
2 すてきなボーイ Sei Un Bravo Ragazzo
3 瞳にいっぱいの涙 Penso Alle Cose Perdute
4 はじめてのキッス Il Primo Bacio Che Darò
5 愛はすぐそこに Caro Come Te
6 しあわせは橋の上 Quando Passo Il Ponte Con Te
7 ナポリは恋人  Napoli, Fortuna Mia
8 ひとりぼっちの夜 Prima O Poi...Telefonerai
9 あこがれはいつも心に Ho Bisogno Di Vederti
10 淋しいめざめ  Quando Vedo Che Tutti Si Amano
11 バルバブル  Barbablù
12 グラツィエ! アモーレ Grazie, Amore
13 アイ・ノウ・ア・プレイス Un Bel Posto
14 花は枯れて Sfiorisci Bel Fiore
15 千年でも一緒に Mille Anni
16 愛は限りなく Dio, Come Ti Amo
17 あなたの望み Vuoi
18 指は五つ Cinque Son Le Dita

Disc-2
1 アネマ・エ・コーレ Anema E Core
2 愛のうぐいす  L'usignolo
3 心に雨が降る  Peccato(Dommage Dommage)
4 ローザ・ネーラ (愛の黒バラ) La Rosa Nera
5 恋する心  Ho Il Cuore Tenero
6 愛の物語 Una Storia D'amore
7 ボエーム La Bohème
8 小さな町 Piccola Città
9 夕べのしあわせ Sera
10 愛の花咲くとき Quando M'innamoro
11 ペンシルヴァニアの男 Giuseppe In Pennsylvania
12 悲しき天使  Quelli Erano I Giorni
13 ピノキオへの手紙 Carissimo Pinocchio
14 雨  La Pioggia
15 ゼロ・イン・アモーレ Zero In Amore
16 愛の太陽 Se Deciderai
17 チム・チム・チェリー Cam-Camini

Disc-3
1 ズン・ズン・ズン Zum Zum Zum
2 消え去る想い  Il Treno Dell'amore
3 マルセリーノの歌 Marcellino Pane E Vino
4 スーパーカリフラジリスティック Supercalifragilistic-espiralidoso
5 落葉の恋  Come Una Foglia
6 ロマンティコ・ブルース Romantico Blues
7 めざめ  Risveglio
8 つばめのように Volano Le Rondini
9 愛はひととき  Solo Un Momento D'amore
10 コンドルは飛んで行く  Il Condor
11 薔薇のことづけ  Rose Nel Buio
12 日曜はミサに  La Domenica Andando Alla Messa
13 白いバラ  Lady D'arbanville
14 羊飼の少女  La Pastora
15 涙の小道 Qui Comando Io
16 そよ風の詩 Canta Bambino
17 風によせて  Amarti E Poi Morire (Je t'aime, je t'aime)
18 内気なわたし Je Suis Timide

Disc-4
1 恋よまわれ  Gira L'amore
2 愛はさだめ  Fatalità
3 鏡  Lo Specchio
4 夢に消えた子守歌 Stasera Io Vorrei Sentir La Ninna Nanna
5 ふしぎな気持ち Mistero
6 ラ・スパニョラ La Spagnola
7 太陽のとびら  Alle Porte Del Sole
8 しじゅうからのタンゴ Tango Delle Capinere
9 ラ・ヴィオレテラ La Violetera
10 バラのタンゴ Tango Delle Rose
11 夢はめぐり来て  Sì
12 つた L'edera
13 花咲く丘に涙して Le Colline Sono In Fiore
14 夢みる想い(英語) This Is My Prayer
15 雨(フランス語) L'orage
16 愛は限りなく(フランス語) Mon Dieu Comme Je T'aime
17 夢みる想い(日本語)  Yume Miru Omoi              全70曲




ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(3)

 ジリオラ・チンクェッティの1964年は瞬く間だったでしょう。一晩でイタリアのシンデレラとなり、100日も経たないうちに、今度はヨーロッパのシンデレラになってしまいました。1965年のサンレモ音楽祭出場も決り、5月には未知の国ニッポンへのツアーも決定していました。
「夢みる想い」は香港でヒット・チャートの第2位まで上昇しましたが、日本での人気は想像していなかったはずです。ビートルズが世界進出を果たし、他の歌手はどの国でもヒット・チャートの上位となるのか困難になって来た時期でした。
1964年の最後から1965年のシングル盤リリースを見ていくことにしましょう。

※お断り 国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表ししております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

ジリオラは通っていたヴェローナナ美術院の卒業資格を取るのが危ういほど、多忙な状態になっていました。10月13日にパリからテレビ番組収録に戻り、月末には再びパリのオリンピア劇場で2週間出演が決まっていました。
一方イタリアの「紅白歌合戦」と言われるカンツォニッシマ(CANZONISSIMA) [7]の準備が始まります。64年はニーノ・タラントが司会の「ナポリ対すべて(NAPOLI CONTRO TUTTI)」でナポリの曲と世界の曲を戦わせます。
ジリオラは2週目と4週目の出演で2曲(世界の歌“夢みる想い”とナポリの歌“アネマ・エ・コーレ”)のうち1曲を歌います。彼女にとって、ナポリの歌は初めて録音ですが素晴らしい出来上がりでした。
結果はクラウディオ・ビルラの“オ・ソレ・ミオ”が優勝、チンクェッティは“夢みる想い”が第2位、“アネマ・エ・コーレ”が第5位の好成績でした。裏面のチンクェッティのヒット曲“ナポリは恋人”はこの番組のテーマ・ソングとしてレナート・ラシェルが。自作自演した歌でした。

N-9522 (1964 年CGD - CGD,Italy) “ANEMA E CORE (アネマ・エ・コーレMH- 219-2)/NAPOLI FORTUNA MIA (ナポリは恋人HIT-1161A)”

N-9522 N-9522 HIT-1161 HIT-1161

HIT-1161 (1965年1月15日 SEVEN SEAS – KING, Japan)“ナポリは恋人(NAPOLI, FORTUNA MIA)/ひとりぼっちの夜(PRIMA O POI... TELEFONERAI)”

サンレモ音楽祭とユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝を機会にIID-国際ディスク研究所が、“LE MIE POESIE PREFERITE(私のお気に入りの詩)”のタイトルでショパンの音楽の伴奏でチンクェッティがお気に入りの詩を朗読したEPレコードを作りました。イタリア盤のジャケット画像は有りません。を見つけましたので追加します(2012年9月1日)。

 

FL-0102 (I964年IID - ISTITUTO INTERNAZIONALE DEL DISCO, Italy) LE MIE POESIE PREFERITE: A ZACINTO(ザチントにてQ-14-1)/ALLA SERA(夕べにQ-14-2)/LA QUIETE DOPO LA TEMPESTA(嵐の後の静けさQ-14-3)/LTRAVERSANDO LA MAREMMA TOSCANA(トスカーナの沼地を横切ってQ-14-4)/SAN MARTINO(サン・マルティノQ-14-5)/PIANTO ANTICO(昔の嘆きQ-14-6)/FIDES(フィデスQ-14-7)/LA CAVALLA STORNA(白鹿毛の馬Q-14-8)
              
           FL-0102FL-0102 


Q-14 Q-14 GEM-25~6 GEM-25~6a

Q-14 (1972年10月25日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “私の愛する詩(LE MIE POESIE PREFERITE)”
GEM-25~6 (1972年10月25日 SEVEN SEAS – KING, Japan) “GEM/ベスト・オブ・カンツォーネ(THE BEST OF CANZONE)”の特典レコード(非売品)として“私の愛する詩(LE MIE POESIE PREFERITE)”付けられたものです。この2枚組のコンピレーションをもし見つけたら、特典レコードが付いていれば、ぜひ買うことをお勧めします。

あっという間の1年が過ぎカンツォニッシマの決勝戦が終わると、次のサンレモ音楽祭まで1ヶ月もありません。今年はコニー ・ フランシスをパートナーにピエロ・チャンピ とラムゼーテが作った“あこがれはいつも心に” で出場します。曲は、前年の幼い愛から、17歳の少女に相応しい愛の歌になっています。
N-9532 (1965年CGD - CGD, Italy) “HO BISOGNO DI VEDERTI(あこがれはいつも心にHIT-1187A)/ GRAZIE AMORE (グラツィエ・アモーレMH- 219-3)” ジャケットの違うヴァージョンがあります。

     N-9532a N-9532 N-9532b

HIT-1187 (1965年3月SEVEN SEAS – KING, Japan) “あこがれはいつも心に(HO BISOGNO DI VEDERTI)/淋しいめざめ(QUANDO VEDO CHE TUTTI SI AMONO)”

HIT-1187 HIT-1187 DM-1034 DM-1034

DM-1034 (1965. 3.月25日MGM – NIPPON GRAMOPHONE, Japan) “あこがれはいつも心に(HO BISOGNO DI VEDERTI)/あなたの知らないこと(NO BETTER OFF)”
“あこがれはいつも心に”が第1夜の最初に歌われ、コニー・フランシスは「成熟した大人の愛の歌」として、歌っています。この曲なら今年も優勝するかもしれないと思われました。しかし最後に優勝はボビー・ソロの“君に涙とほほえみ”に決まりました。ジリオラは「今回も私が優勝したら、歌手でなくて怪物だと言われるでしょう」とコメントしていました。[8]

サンレモ音楽祭後、8月の卒業試験を通るために、勉強をしなければならなかったのですが、4,5月にパリのオランピア劇場で木曜2夜、土曜1夜、日曜3夜の公演が入り、その後5月の日本ツアーなので、3学期はほとんど学校に行けませんでした。

[7] この年は9月に行われたナポリ音楽祭でドメニコ・モドゥーニョは“素敵なあなた(TU SI' 'NA COSA GRANDE)”を都会派のオルネラ・ヴァノーニをパートナーに歌い優勝、しかもヴァノーニはもう1曲“アンモーレ・ミオ(AMMORE MIO)”で第2位と最強のメンバーでした。これは「ナポリ音楽祭対サンレモ音楽祭」の戦いでもありました。

[8]1964年ボビー・ソロの“ほほにかかる涙(UNA LACRIMA SUL VISO)”が優勝候補にあがっていましたが、サンレモ音楽祭の会場では、風邪をひいていわゆる「口パク」になってしまいました。また、ポール・アンカなどイタリア語で歌い好評を得ていたのですが、パートナーのフランキー・レインもイタリア系アメリカ人歌手でありながら、英語で歌ったため、得点がのびなかったようです。リコルディとしても、65年は「リベンジの年」として万全を期して臨んだと思います。


ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(2)

  サンレモ音楽祭の優勝することすらセンセーショナルな出来事でしたが、その2ヶ月後、ユーロビジョン・ソング・コンテストで圧倒的な優勝をしたのですから、一挙にインターナショナル・スターの階段を駆け上がってしまいました。

 それでは「夢みる想い」に続く彼女のシングル盤のリリースを見ていきましょう。

 

※お断り 文章の中でイタリアのシングル盤を中心にジャケット画像を挿入しいきます。それに対応する国内盤のジャケット画像も挿入しますが、国内盤が発売された順番に並んで出てきません。ご承知ください。また、国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表しております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

 

コペンハーゲンでの勝利後も忙しい毎日だったようです。その中で彼女はパリのモーリス・ シュヴァリエから彼と一緒に"イタリーでこんにちは(L'italiano)"」を歌うための招待をうけました。

 

FX-1400 (1964年 FESTIVAL - FESTIVAL, France) L'ITALIANO [F](イタリーでこんにちは [仏] HIT-1106A)/MON COEU EST UN JUKE BOX/LA TENDRESSE(やさしい恋人) HIT-1106B)/UN ENFANT ECRIT [6]

 

FX-1400 FX-1400 HIT-1106HIT-1106

 

HIT-1106 (1964年9月 SEVEN SEAS - KING, Japan)"イタリーでこんにちは [仏](L'ITALIANO [F])/やさしい恋人(LA TENDRESSE)" (原盤FESTIVAL, France) [6]

 

チンクェッティはシュヴァリエに会った時のことを次のように語っています。

「正に『シャンソン歌手』の御前、モーリス ・シュヴァリエとデュエットで歌った女性はスタンゲット(MISTINGUETT)一人だけなのを知っていましたので緊張しました。しばしばその会見を思いだします。私のフランス語がまだ良かったのですが、父のルイージとシュヴァリエの話はヴェネツィア方言で家庭的な会話でしたが、話が通じたかは疑わしいものでした。」

 国内盤の"イタリーでこんにちは"を聞いても、シュヴァリエは孫娘とでも歌っているかのように、大変ゴキゲンのように思えました。

 

 "夢みる想い"はヨーロッパ各国ばかりでなく中南米でもヒット・チャートの上位になり、合計200万枚以上の売上げになっていました。また各国の言葉で歌い、日本語のような「エキゾティック」な言語のヴァージョンを含めるとい500万枚を超え、イタリアの曲としては「ヴォラーレ」に次ぐ世界的ヒットになりました。

 

 イタリアの場合、カンツォーネのヒット曲が出ると、すぐに「青春歌謡映画」を作ります。チンクェッティの場合も映画「夢みる想い」の企画ができ、準備が始まりましたが、一旦断ったようです。

 

サンレモ音楽祭の後、次の新曲選びになります。それは簡単ではありません。彼女のファンは純真な少女としての印象が強く、彼女の事務所の広報はそのイメージを損ないたくありませんでした。新しいシングルは「はじめてのキッス」[涙を見せずに」に決まりました。「夢みる想い」が大ヒット中でしたが、発売するやいなや直ぐヒットしました。

 

N-9499 (1964年CGD - CGD, Italy) "IL PRIMO BACIO CHE DARO (はじめてのキッスHIT-1094A)/ NON E NIENTE LASCIAMI STARE (涙を見せずにHIT-1094B)

 

N-9499 N-9499 HIT-1094 HIT-1094

 

HIT-1094 (1964年7月SEVEN SEAS - KING, Japan) "はじめてのキッス(IL PRIMO BACIO CHE DARO)/涙を見せずに (NON E NIENTE LASCIAMI STARE)"

 

続いて「しあわせは橋の上」を吹込みました。この曲はフランスのジョルジュ・ブラッサンスが作った歌のイタリア語盤で表面は「ひとりぼっちの夜」でした。

 

N-9509 (1964年CGD - CGD, Italy) "PRIMA O POI... TELEFONERAI (ひとりぼっちの夜HIT-1161B)/ QUANDO PASSO IL PONTE CON TE (しあわせは橋の上HIT-1138B

 

                       N-9509 N-9509

 

HIT-1161 (1965年1月15日SEVEN SEAS - KING, Japan) "ナポリは恋人(NAPOLI, FORTUNA MIA)/ひとりぼっちの夜 (PRIMA O POI... TELEFONERAI)"

 

HIT-1161 HIT-1161 HIT-1138 HIT-1138 

 

HIT-1138 (1964年11月SEVEN SEAS - KING, Japan) "愛はすぐそこに(CARO COME TE)/しあわせは橋の上 (QUANDO PASSO IL PONTE CON TE)"

 

そして次のレコードは「愛はすぐそこに」「バルバブル」になります。これらの曲の多くは他の国の言葉でも録音され、それぞれの国でヒットしました。

 

N-9510 (1964年CGD - CGD, Italy) "CARO COME TE (愛はすぐそこにHIT-1138A)/ BARBABLU' (バルバブルHIT-1249A

N-9510 N-9510 HIT-1249 HIT-1249

 

HIT-1249 (1965年9月SEVEN SEAS - KING, Japan) "バルバブル (BARBABLU')/グラツィエ! アモーレ (GRAZIE, AMORE)"

 

国内盤未発売で、イタリア盤のジャケット画像を必死に探したのですが、この状態の物しかありませんでした。曲はS.RAVAZZINIとR.RAVAZZINIが作っています。彼女の故郷ヴェローナへのオマージュで2曲を方言で歌っています。

 

N-9511 (1964年CGD - CGD, Italy) "SUI SCALINI DELL'ARENA / SE A VERONA GHE FUSSE EL MAR"

N-9511 N-9511 N-9514 N-9514

N-9514 (1964年CGD - CGD, Italy)  L'APPUNTAMENTO(逢びき)/TUTTE MENO UNA (わたしだけ MH- 219-4/L'AMORE VIENE E VA (1曲目ジョニー・ドレルリ(JOHNNY DORELLI),2曲目ジリオラ・チンクェッティ、 3曲目ジョニー・ドレルリとジリオラ・チンクェッティのデュエット)

64年の夏にジリオラは、ジョニー・ドレルリのTVバラエティー「ジョニー7」のコーナー「スターの8週間」に出演した時のライヴ盤です。彼は、CGDの大スターで、デビュー間もない彼女にとって絶好のTV番組でした。日本での発売がなかった盤です。

 

[6] フランスでジリオラ・チンクェッティのレコードは、フェスティヴァル(FESTIVAL)から発売されました。その関係でモーリス・シュヴァリエとのデュエット曲もこのレーベルのEP盤(7インチ45回転4曲入)で発売され(他3曲はモーリス・シュヴァリエの歌)、日本では2曲をピックアップしキング・レコードから出されました。(フランスのフェスティヴァルは)日本コロンビアが発売権を持っており、特例扱いです)

 

 次回は、多忙な2年目に入り、サンレモ音楽祭に連続入賞を果たしますが、喉をいためたり、シンデレラ・アイトルとして歌手を続けるか悩み、一時引退説も浮上する節目の年の事をお話します。




ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(1)

 

 梅雨入り→雨→チンクェッティと三題話としても、ちょっとコジツケがましいスタートになりますが、5月に書いたセルジョ・エンドリゴであの長さになり、チンクェッティの場合は、固定ファンの方の詳しいサイトもあり、いい加減なことが出来ないので大変です。

 これまでも"ジリオラ・チンクェッティの「愛は限りなく」日本語盤"、直接ではありませんがパートナーの"1964年サンレモ音楽祭 パトリシア・カルリ「夢みる想い」"、"チンクェッティ主演映画「愛は限りなく」(サン・トラ盤)"を書いてきたので、やはり国内盤を紹介しつつ進めていきましょう。

 もう近々、この梅雨があける頃には、昔のシングル盤の曲を集めた、「シングル・コレクション」のCDボックスが発売されるようです。まずはバイオグラフィーを兼ねながらシングル盤の話から始めましょう。

 

※お断り 文章の中でイタリアのシングル盤を中心にジャケット画像を挿入しいきます。またそれに対応する国内盤のジャケット画像も挿入しますが、国内盤が発売された順番に並んで出てきません。ご承知ください。また、国内のシングル盤が発売されておらず、LP盤などで発売されている曲はLP盤のレコード番号を表ししております。LPについてはまとめて紹介しますので、それまでお待ちください。

 

序章 生立ち

ジリオラ・チンクェッティ(Gigliola Cinquetti)1947年12月20日ヴェローナ[1]生。彼女は裕福なインテリの家庭に生まれました。家族は父ルイージは建築設計士、母サラ、兄と1才上の姉ロッビ ROBBI (ロザビアンカROSABIANCA)でした。

 

ロッビとは仲が良く、修道女で音楽の家庭教師に習っている時に両親は彼女の音楽的才能に気づき、父の友人ジェローザが紹介した音楽教授ラヴァッツィン(MAESTRO RAVAZZIN)の勧めで、11才のとき姉と一緒にE.N.A.L. (エナル音楽巡業団)入りました。そしてリストリ劇場のコンクールに出場し優勝しています。

そこでアメリッチャ無名人音楽祭で優勝した同い年でヴェローナ生まれのディーノ・ザンベルリ(DINO ZIMBELLI)[2] と出会いました。彼と知り合ったことがその後の歌手になる夢を抱くきっかけとなったようです。ヴェローナ音楽院に入学しピアノ、音楽理論、ソルフェージの免許をとり基礎をしっかり勉強をしました。

 

カストロカーロ優勝から サンレモ音楽祭 優勝者に

1963年秋に行われたカストロカーロでジョルジョ・ガーベルの"LE STRADE DI NOTTE(夜の道)" [3]を歌い9月22日の決勝ではエミリオ・ペリコーリの1963年サンレモ音楽祭の入賞曲"水の上(SULL'ACQUA)" [4]を歌い優勝しました。男性の優勝者はブルーノ・フィリピーニ(BRUNO FILIPPINI)でした。その頃RAIの主催するラジオ・コッリエーレ・グランプリ・コンテストに出場し、決勝戦に残りました。優勝するとTV出演できましたが、恩師ラヴァッツィンの勧めもあり、彼女はサンレモ音楽祭の道を選びました。

 

カストロカーロの優勝が決まった後、いよいよレコード・デビューのため初めての吹込みをすることになりました。スタジオの中では、私の周りのすべての録音機器は私を不安にしました。私はたった一人で、長い腕を持った無害でも奇妙なモンスターに思えました。まず1曲目は"PENSO ALLE COSE PERDUTE(瞳にいっぱいの涙)"で 私の最初のレコードです。私の個性に合わせて作ってもらった曲でした。2曲目も録音しました。この曲も大変好きな"QUANDO VEDO CHE TUTTI SI AMONO (淋しいめざめ)"です。それを吹込むときに、私の解釈で甘い悲しみのようなを気持をこめて歌いました。
N-9474(1963年 CGD - CGD, Italy) "Penso alle cose perdute(瞳にいっぱいの涙HIT-1077B)/Quando vedo che tutti si amano(淋しいめざめHIT-1187B)"

                            N-9474 N-9474

HIT-1077 HIT-1077 HIT-1187 HIT-1187

HIT-1077 (1964年6月20日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "夢みる想い[日](NON HO L'ETA (PER AMARTI) [J])/瞳にいっぱいの涙(PENSO ALLE COSE PERDUTE)"

HIT-1187 (1965. 3.月 SEVEN SEAS - KING, Japan) "あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI)/淋しいめざめ(QUANDO VEDO CHE TUTTI SI AMONO)"

 

そして16歳で出場しフランスの作詞家として知られているパトリシア・カルリ (PATRICIA CARLI)[5] をパートナーに1964年サンレモ音楽祭で"夢みる想い(NON HO L'ETA' (PER AMARTI))"を歌い優勝し、デビュー2曲目でしました。

 

決勝当日の逸話として、チンクェッティは誰かほかの人が優勝すると思っており、控室で「眠くなってきたので、早く帰りたい」と言ったところマネージャーから「結果発表までここで待ってください」と言われトランプをし、パトリシア・カルリは持ち込んだテープレコーダーを聞いていたそうです。その頃カジノ劇場の舞台では、司会のマイク・ボンジョルノ(MIKE BONGIORNO)が彼女たちの名前を読み上げていたそうです。

 

作り話かもしれませんが、決勝日の結果発表は毎年予定より大幅にれ、12時をまわり、翌日になるのが当たり前でした。16才になったばかりのチンクェッティが眠たくなったのは、あながち嘘ではないでしょう。

N-9486 (1964年1月CGD - CGD, Italy) " NON HO L'ETA' (PER AMARTI) (夢みる想いHIT-1040A)/ SEI UN BRAVO RAGAZZO(すてきなボーイHIT-1040B)

N-9486 N-9486 N-9497 NO IMAGE小

* N-9497(1964年 JE SUIS A' TOI (夢みる想い [仏])/ SEI UN BRAVO RAGAZZO(すてきなボーイHIT-1040B)

 

2ヵ月後、3月21日コペンハーゲンで開かれた第9回ユーロビジョン・ソング・コンテストでも同じ曲を歌い16カ国の参加、144票中49票を獲得し圧倒的な優勝をし、あっという間にヨーロッパ全土で400万枚シングル盤を売りました。彼女が夢みたカテリーナ・ヴァレンテの国際的なキャリアもすぐ側まで近付いてきました。

 

HIT-1040 (1964年4月10日 SEVEN SEAS - KING, Japan) "夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI))/すてきなボーイ(SEI UN BRAVO RAGAZZO)"

HIT-1040 HIT-1040a HIT-1040b  

国内盤には画像にも載せた別歌詞カ-ド付(付属品)のもの、値上で定価が370円、400円のマイナー・ヴァージョンが存在します。

 「成功の対価を支払うことが始まりました。母の作った2つのサンドイッチを昼食の代わりにそそくさと食べなければなりませんでした。時として有名であることは辛いことですが、観客の暖かい同情は私を幸せにします。私は直接会うことはないと思っていたミーナやオルネラ・ヴァノーニとテレビ番組で歌ったのは名誉でした。彼らは私とはとても違っていることに、私は非常に感心しました!」

 

[1] ヴェネト州の中でも州都ヴェネチアに次ぐイタリア12番目の大都市。ミラノとヴェネチアの中間に位置しく、古い建物も良く保存された人口27万人の都市(日本では水戸市くらいの人口)。

 

[2] ディーノ・ザンベルリ(DINO ZIMBELLI)、その後芸名をディーノ(DINO)として、カンタジーロの常連となった。カンタジーロの入賞曲"コンパスの踊り(IL BALLO DELLA BUSSOLA)"やセルジョ・エンドリゴの作った"君の瞳の中に書いてある(TE LO LEGGO NEGLI OCCHI)"などのヒット曲があるが、いずれも日本では未発売。1968年サンレモ音楽祭にはウィルマ・ゴイク(WILMA GOICH)とパートナーを組み"ささやく瞳(GLI OCCHI MIEI)"を歌い入賞している。

 

SS-1804 (1968年5月5日 RCA -日本ビクター) "ささやく瞳(GLI OCCHI MIEI)/パッサーノ(PASSANO)"

                   SS-1804 SS-1804 

 

[3] SRL-10・205 (1961年7月10日RICORDI - RICORDI, Italy)"LE STRADE DI NOTTE(夜の道)/BUONANOTTE TESORO"

SRL-10・205SRL-10・205 SRL-10・310SRL-10・310

[4] SRL-10・310 (1963年2月RICORDI - RICORDI, Italy)""UNO PER TUTTE(ぼくの選ぶ人)/SULL'ACQUA (水の上)"

 

[5] パトリシア・カルリの"夢みる想い"のことは私のブログ『1964年サンレモ音楽祭 パトリシア・カルリ「夢みる想い」』(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/3752054.html)をご覧ください。

 

*夢みる想いは1973年にリ・イシューが出ています。

 (1973年1月SEVEN SEAS - KING, Japan) "夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI))/ナポリは恋人(NAPOLI, FORTUNA MIA)"

                            HIT-7002

 




六月は雨

  とうとう雨が降り出しました。天気予報通りです。梅雨入り宣言が出るところもあるのではないでしょうか。昔はこの時期になると、必ず雨の曲が流れて。いました。

デパートでは雨が降ると、店内放送で雨関連の曲を流し、ビニールの傘袋を入口に出したり、傘のワゴンを目につくところに設置したりするように社内連絡するそうです。

 

WPCR-11276(2002年5月22日 WSM - ワーナー・ミュージック・ジャパン)"Rain~sharingthe season"

                            WPCR-11276                   

1.雨 (ジリオラ・チンクェッティ)

2.カム・レイン・オア・カム・シャイン (B.B.キングとエリック・クラプトン)

3レイン (マドンナ)

4.雨にお願い (フィル・コリンズ)

5.レイン (コアーズ)

6.イッツ・ゴナ・レイン (TAKE 6)

7.嵐の夜に (ボブ・ジェームス楽団)

8.雨に微笑みを (エイス・スペクトラム)

9.クリーン・レイン (ヴォンダ・シェパード)

10.クライング・イン・ザ・レイン (a~ha)

11.イン・ザ・ミスト・オブ・ザ・レイン (ビー・ビー・ワイナンズ)

12.クライ・ライク・ア・レインスト-ム (リンダ・ロンシュタット)

13.優しき雨に (J.D.サウザー)

14.雨のジョ-ジア (トニー・ジョー・ホワイト)

15.悲しき雨音 (カスケイズ)

16.雨にぬれても (ビリー・J.トーマス)

 

というこの季節うってつけのコンピもあります。他にも雨に唄えば(SINGIN' IN THE RAIN)、雨に歩けば(JUST WALKING IN THE RAIN)、雨に消えた初恋(THE RAIN, THE PARK & OTHER THINGS)、雨の日と月曜日は(RAINY DAYS AND MONDAY)、コンスタント・レイン(CHOVE CHUVA)、ペニー・レイン(PENNY LANE)、雨の御堂筋(STRANGER IN MIDOUSUJI)なんていうのもありました。

 

 このコンピでチンクェッティの"雨"が1曲目というのが嬉しいですね。カンツォーネで他に「雨」がつく曲は何があるでしょうか?

 

"チャオ・チャオ・バンビーナ"、「雨」が付いていませんね!原題は"PIOVE"で最初の頃はトニー・ダララ他"雨が降る"という題でした。まずシングル盤を見ていきましょう。

DP-1125 DP-1125 HIT-1241 HIT-1241

かなしい雨がふる(DOPO IL SOLE PIOVERA)ウィルマ・ゴイク

 

心に雨が降る~ドマージュ・ドマージュ(PECCATO)ジリオラ・チンクェッティ

HIT-1405HIT-1405  SS-1904 SS-1904

雨が降ってきた(SCENDE LA PIOGGIA)ジャンニ・モランディ

 

雨のロマンス(TAXI)アンナ・イデンティチ

HIT-1737 HIT-1737 JET-2010 JET-2010

雨のシシリア(DISPERATAMENTE)ニニ・ロッソ

 

好きよ雨 [日](MI PIACI LA PIOGGIA [J])ジルダ・ジュリア-ニ

 HIT-2189 HIT-2189 07SH-1489 07SH-1489

雨音はショパンの調べ [日](I LIKE CHOPIN [J])小林麻美 ガゼボの"アイ・ライク・ショパン"の日本語ヴァージョンです。

 

オールド・レイン(OLD RAIN)P.F.M.

P- 1263・M P- 1263・M ALDB- 159 ALDB- 159

CDシングルにはこういう曲もありました。雨が呼んでる(TELL BY YOUR EYES)ミスター・ジバゴ

 

最後はやはりこの曲  雨(LA PIOGGIA)ジリオラ・チンクェッティ 

HIT-1613 HIT-1613 WQJP- 111 WQJP- 111

最後の盤は見たことのあるような、ないような。 「8盤レコード」と呼ばれているバンダイが発売した、玩具といえばオモチャなのですが、専用機でチャンと聞ける8cmの片面シングル盤です。

 

カンツォーネには他にも

雨;雨が降る;キオーヴェ (CHIOVE);大きな雨傘(L'OMBRELLONE);雨の夜の出来事(ERA UNA NOTTE CHE PIOVEVA);大雨;雨のように(COME PIOVEVA);太陽と雨と風(SOLE, PIOGGIA E VENTO);雨は想い出(C'ERA IL TEMPORALE);雨じゃない(NON E' LA PIOGGIA);恋に降る雨(PIOVERA');悲しみの雨がやむとき(LA PIOGGIA CADEVA);小雨(UN POCO DI PIOGGIA);雨にやむ恋(NON SI FA L'AMORE QUANDO PIOVE);雨の舗道(CAMMINANDO SOTTO LA PIOGGIA);雨のドレス(VESTITI LA PIOGGIA);雨の降る日曜日(E' DOMENICA MATTINA);炎と雨(FUOCO E PIOGGIA);小雨降る路;小雨降る径(IL PLEUT SUR LA ROUTE;NOTTE SENZA LUNA);そっと雨が降る(STA PIOVENDO DOLCEMENTE);三月の雨(LA PIOGGIA DI MARZO);雨のしのび逢い~映画「家庭教師」;雨の中の瞳(GLI OCCHI DI TUA MADRE);ある雨降りの日(TU... E COSI' SIA)フ;暴風雨の後に(DOPO L'URAGANO);雨(PIOGGIA)イタリア近代歌曲;悲しみの雨が降る(RAIN ON ALEXANDERPLATZ);雨[日](UN PO' DI PIU' [J]);雨の中の太陽(IL SOLE NELLA PIOGGIA);雨を待っている(SPERIAMO CHE PIOVA);雨(PIOGGIA);雨の中にたたずんで(ICH STEH' IM REGEN);雨音~映画「アリバイ」(未公開)(IN UN FILO D'ERBA);雨(PIOGGIA)[カステッロ・ディ・アトランテ];雨に濡れて~映画「レディ・カリフ」(未公開)(SOTTO LA PIOGGIA);そして雨が降る(E CHIOVE);雨が降り、太陽が昇る(CHIOVE E JESCE 'O SOLE);私の心に雨が降る(IN MEIN HERZ FAELLT REGEN);雨が降るとき [日](QUANNO CHIOVE [J]);君の顔に雨(PIOGGIA SUL TUO VISO);この雨は上がるだろうか(QUESTA PIOGGIA PASSERA');雨は上がる(LA PIOGGIA VA' IN SU');雨に打たれて~映画「明日よさらば」(COME FUORI PIOVE);雨が降りそうだ(PIOVERA');雨の舞踏(DANCE WITH THE RAIN);雨と涙(RAIN AND TEARS;LACRIME E PIOGGIA);僕は雨どい(SONO UNA GRONDAIA);イン・ザ・レイン(IN THE RAIN)フ;メニー・レインズ・アゴー(MANY RAINS AGO)

 

一曲、一曲説明していきたいのですが、梅雨が明けるどころか木枯らしが吹くころになっても「雨」を話題にしている事になりそうなので、タイトルだけを書き連ねるだけにします。

 

 さてチンクェッティの事ですが、この梅雨があける頃には、昔のシングル盤の曲を集めた、「シングル・コレクション」のCDボックスが発売されるようです。

それに敬意を表して次回からはジリオラ・チンクェッティをじっくり時間(字数)をとって書いていきたいと思っています。

 




ヤフー・オークション6月7日出品完了 説明文(終)

 

出品のアドレス

 cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です

 

カンツォーネLP国内盤イバ・ザニッキ◆愛のわかれ

SFON- 7087 (1967年7月1日発売 FONTANA - 日本ビクター) "愛のわかれ/イバ・ザニッキ (NON PENSARE A ME)" 発売時定価 1,750円の国内正規品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケットと盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

イヴァ・ザニッキはアルバム14枚、片面アルバム2枚、シングル盤9枚、シングル盤片面2枚、CD4枚の国内盤を出しています。この盤は初の単独アルバムです。もっと目にするかと思っていたのですが、余り出てきてないようです。サンレモ音楽祭初優勝曲"愛のわかれ(NON PENSARE A ME)、65年サンレモの"恋に時を忘れて(I TUOI ANNI PIU' BELLI)"、66年"別れの夜(LA NOTTE DELL'ADDIO)"など初期の曲が収められています。

 

 

カンツォーネLP国内盤ロザンナ・フラテルロ◆イタリー・フォーク

MW-2103 (1974年12月発売 RICORDI - ポリドール) "ロザンナ・フラテルロ/イタリー・フォークを歌う (CANTI E CANZONI DEI NOSTRI CORTILI)" ロザンナ・フラテッロ(ROSANNA FRATELLO)発売時定価 非表示の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケット、歌詞カードと盤のみです。帯は有りません。ジャケットにカビ・シミがあります。収録曲は写真でお確かめください。

 

フラテルロはアルバム6枚、シングル盤3枚の国内盤を残していますが、この盤は5枚目で曲も彼女の出身のイタリア南部の曲を集めたもので、内容としては少し難しいのですが、貴重な1枚です。最近はトラッドな(或いは完全に民族音楽)CDがかなり輸入盤として店頭を飾っているようですが、出来ればそのような盤を探している人にも聞いてもらいたい1枚です。

 

カンツォーネLP国内盤A.チェレンターノ◆グルック通りの若者

SR- 729 (1972年3月発売 SEVEN SEAS - キング) "グルック通りの若者・イタリアンロックの神様/チェレンターノの世界第1集 (IL RAGAZZO DELLA VIA GLUCK)" 発売時定価 2,000円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

イタリア・ロックンロール界の超大物、ミーナの男版、カンツォーネのティラノザウルス、アドリアーノ・チェレンターノです。日本では意外とレコードは少なく25cmLP1枚、30cmLP5枚、片面LP2枚、シングル盤11枚、シングル盤片面1枚という

ところです。自分の会社クラン・チェレンターノを作ってからしばらく国内盤契約が切れていて、その後に出たアルバムです。1966年サンレモ音楽祭に久々出場したのですが落選、しかし曲は大ヒットとなった"グルック通りの若者(IL RAGAZZO DELLA VIA GLUCK)"ほか63年~66年頃のヒット曲を集めた盤です。アドリアーノ・チェレンターノの事は私のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4113222.html を、このレコードの事は同じく http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4157064.html をよろしければご覧ください。




ヤフー・オークション6月7日出品完了 説明文(4)

出品のアドレス

 cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です

 

今まで安い送料なので利用してきたヤマト運輸のクロネコメール便のB4サイズが6月30日廃止されます。安い送料で送れるのは今の内です。そういう訳で取り急ぎ6月7日にカンツォーネのLPばかり43枚出品しました。これだけの量の写真を撮ると、時間がかかってしまいました。次回の出品はジリオラ・チンクェッティだけ的を絞ろうと思っています。

 

カンツォーネLP国内盤ドメニコ・モドゥーニョ◆シチリアの郷愁

RCA-5036 (1972年12月発売 RCA - ビクター音楽産業) "シチリアの郷愁/ドメニコ・モドゥーニョ (CON L'AFFETTTO DELLA MEMORIA)" 発売時定価 2,000円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

1968年にデビューしたRCAに戻り、3年目にこのアルバムを作りました。当時イタリアでも珍しい、コンセプト・アルバムとなりました。テーマは「南部イタリア農民の生活を描く」というものでした。モドゥーニョ自身、映画が大好きで、自分のヒット曲をテーマに多くの自作自演映画を作っていましたので、目の前に映像が見えるような音作りをしています。

 

カンツォーネLP国内盤マッシーモ・ラニエリ◆アランフェス協奏曲

GP- 411 (1976年7月21日発売 SEVEN SEAS - キング) "アランフェス協奏曲 (IL CONCERTO DI ARANJEZ/DEODATO-RANIERI)" 発売時定価 非表示の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

1976年ブラジルのエドゥー・デオダートとコラボレーションしたアルバムです。デオダートはアレンジ、指揮、キーボードの演奏をしています。イタリア盤と日本盤とは曲目は同じですが、編成が違っておりタイトルも"タイスのめい想曲(MEDITAZIONE)"となっております。またデオダートもイタリア録音を別にCGDでしております。GP- 485(1977年7月発売 SEVEN SEAS - キング)"恋のアランフェス/デオダート(IL CONCERTO DI ARANJUEZ/DEODATO)"

 

カンツォーネLP国内盤ミランダ・マルティーノ登場

RA-5262 (1963年9月発売 VICTOR - 日本ビクター) "イタリアン・ヒット・ソング/ミランダ・マルティーノ登場 (MIRANDA MARTINO)" 発売時定価 1,500円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと盤のみです。帯は有りません。ジャケット裏にゴム印が押してあります。盤のレーベルに管理番号シールが貼ってあります。背が2cmほどヌケかかっています。放送局の放出品です。収録曲は写真でお確かめください。

 

イタリアの美人歌手ミランダ・マルティーノの国内盤ファースト・アルバムです。彼女の曲をエンニオ・モリコーネがアレンジしていたので、再び注目を浴びるようになりました。私個人はドメニコ・モドゥーニョの"かけたお月様(NOTTE DI LUNA アCALANTE)"が好きです。ミランダ・マルティーノの事は私のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4065377.html このレコードのことは同じく http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4088185.html をよろしければご覧ください。

 

カンツォーネLP国内盤ミランダ・マルティーノ◆うるわしのナポリ

SHP-5290 (1964年3月発売 VICTOR - 日本ビクター) "うるわしのナポリ/ミランダ・マルティーノ (CANZONE NAPOLETANE)" 発売時定価 1,800円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと盤のみです。帯は有りません。背が2cmほどヌケかかっています。ジャケットにパンチ・ホールがあります。収録曲は写真でお確かめください。

 

イタリアの美人歌手ミランダ・マルティーノの国内盤セカンド・アルバムです。彼女の曲をエンニオ・モリコーネがアレンジしていたので、再び注目を浴びるようになりました。ふるさとがナポリだったので、大人になってからはナポリに住んでいたようです。数少ない都会的な雰囲気でナポリターナを歌う歌手です。ミランダ・マルティーノの事は私のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4065377.html このレコードのことは同じく http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4088185.html をよろしければご覧ください。

 

カンツォーネLP国内盤◆決定盤これがロス・マルチェロス

SJET-7789 (1966年4月発売 GLOBE - 日本ビクター) "決定盤これがロス・マルチェロス (LOS MARCELLOS FERIAL GOLDEN HITS)" ロス・マルチェロス・フェリアル(I MARCELLOS FERIAL) 発売時定価 1,800円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケットと盤のみです。帯は有りません、歌詞カードは最初から付いていません。収録曲は写真でお確かめください。

 

ロス・マルチェロス・フェリアルの2枚目のアルバム、彼らの国内盤はシングルが6枚(7種)、LPが3枚発売されています。この盤は1枚目と7曲がダブッており、余り売れてなかったのではないでしょうか、あまり見かけません。ただ3人のメンバーがはっきり写っているジャケットは他にないので貴重品だと思います。

 

カンツォーネLP国内盤ファウスト・チリアーノ◆ナポリの心

MH- 222 (1966年4月発売 SEVEN SEAS - キング) "涙ナポリの心/ファウスト・チリアーノ(THE BEST OF FAUSTO CIGLIANO)" 発売時定価 1,500円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤と帯が付いています。盤のレーベルに「贈呈」のゴム印が押してあります。収録曲は写真でお確かめください。

 

フル・ネームよりはチリアーノとしてTVドラマ「赤い迷路」の挿入歌「去りゆく今」やTVアクション・ドラマ「特捜最前線」の挿入歌「私だけの十字架」の歌手として知られていると思います。クロード・チアリ(CLAUDE CIARI)と間違えられながら!クロード・チアリは日本に帰化したフランス人ギタリスト、ファースト・チリアーノはイタリアのナポリターナ歌手です。二人とも共通しているところは日本が大変好きなことです。

 

カンツォーネLP国内盤フレッド・ボングスト◆ローザ

SR- 880 (1974年12月発売 SEVEN SEAS - キング) "ローザ/フレッド・ボングスト(ROSA/FRED BONGUSTO)" 発売時定価 2,300円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

今では映画音楽の作曲家としての存在が大きくなってしまったフレッド・ボングストですが、やはり本職は歌手であってほしいものです。この盤で特に聞いてほしいのは"夢のひととき(TIEMPO D'AMMORE)"という曲で、ボングストとグロリア・クリスティアン(GROLIA  CRISTIAN)のデュエットです。クリスティアンは生粋のナポリっ子の"姐さん"でヴィス・ラディオという小さなナポリ会社(クラウディオ・ビルラのデビューした会社で昔は中堅会社でした)しか録音していないので、日本ではこの曲しか出ていません。 フレッド・ボングストの事は私のブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5087742.html を、このレコードの事は同じくhttp://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5113697.html をよろしければご覧ください。

 

カンツォーネLP国内盤ニコラ・ディ・バリ◆愛の映像

RVP-6056 (1976年6月発売 RCA - RVC) "愛の映像 (TI FA BELLA L'AMORE)" 発売時定価 非表示の国内正規品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケットと盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

ニコラ・ディ・バリはアルバム4枚、シングル盤7枚、シングル盤片面3枚の国内盤を出しています。この盤は最後の4枚目です。"ガラスの部屋"のペピーノ・ガリアルディと同時期デビューしたジョリー(サール)・レーベルにおり、それぞれ別の会社に移籍しても60年代後半から70年代前半にサンレモ音楽祭で優勝、上位入賞を争った中です。絶頂期を過ごしたRCAイタリアーナで最後のアルバムでもあります。




ヤフー・オークション6月7日出品予定 説明文(3)

 

出品のアドレス cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です

 

今まで安い送料なので利用してきたヤマト運輸のクロネコメール便のB4サイズが6月30日廃止されます。安い送料で送れるのは今の内です。そういう訳で取り急ぎカンツォーネのLPばかり40枚以上出品することにしました。これだけの量の写真を撮ろうとすると、時間がかかりました。

カンツォーネLP国内盤アル・バーノ◆魅惑のカンツォーネ

OP- 8454 (1968年9月10日発売 ODEON - 東芝音楽工業) "アル・バーノ/魅惑のカンツォーネ(LA SIEPE AL BANO)" 発売時定価 2,000円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、インナー・スリーブ、盤と帯が付いています。収録曲は写真でお確かめください

 

日本でシングル盤7枚、LP5枚、CD2枚を出した割には人気のない大物歌手です。

アル・バーノ、アルバーノ、アルバーノ・カリージ、アル・バーノ&ロミナ・パワー(タイロン・パワーの娘、結婚してデュオ・チームを組んでいた)と色々な名前の時代がありました。イタリアでも日本でも初めてのアルバムです。若さの勢いを感じさせるアルバムです。日本で人気がないのは、圧倒されるような高音の歌声だからでしょう。

 

カンツォーネLP国内盤アル・バーノ◆カンツォーネのプリンス

OP- 8642 (1969年5月10日発売 ODEON - 東芝音楽工業) "アル・バーノ/カンツォ-ネのプリンス(AL BANO/IL RAGAZZO CHE SORRIDE)" 発売時定価 2,000円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、インナー・スリーブ、盤と帯が付いています。収録曲は写真でお確かめください

 

日本でシングル盤7枚、LP5枚、CD2枚を出した割には人気のない大物歌手です。

アル・バーノ、アルバーノ、アルバーノ・カリージ、アル・バーノ&ロミナ・パワー(タイロン・パワーの娘、結婚してデュオ・チームを組んでいた)と色々な名前の時代がありました。ヒット・パレードの常連になり、安定した内容のアルバムです。日本で人気がないのは、圧倒されるような高音の歌声が鬱陶しいのでしょう。イタリア人にはそれが魅力なのですが。

 

カンツォーネLP国内盤ベティー・クルティス◆放送局放出品

SR- 223 (1968年9月10日発売 SEVEN SEAS - キング) "ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)" 発売時定価 2,000円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。ジャケット裏、盤のレーベルに管理番号シールが貼ってあります。収録曲は写真でお確かめください。

 

25cm盤は出ていましたが、唯一のクルティス単独の30cmアルバムです。"アル・ディ・ラ"はじめ"愛のシャリオ"など彼女の代表曲を集めています。

ベティー・クルティスの事は私のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5186399.html、http:/blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5208813.html をよろしければご覧ください。

 

カンツォーネLP国内盤ナーダ◆恋のジプシー

SHP-6213 (1972年発売 RCA - 日本ビクター) "恋のジプシー/ナーダ・ファースト・アルバム (NADA)" 発売時定価 1,800円の国内正規品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケットと盤のみです。帯は有りません。背が3cmほどヌケかかっています。A面1曲目に数回のプチッ・ノイズが出ます。収録曲は写真でお確かめください。

15歳の時に"地平線の彼方に(LES BICYCLETTERS DE BELSIZE)"でデビュー、2作目が1969年サンレモ音楽祭入賞曲"なんて寒い(MA CHE FREDDO FA)"というドラマティックな歌手人生のオープニングを飾ったナーダのファースト・アルバムです。初期の曲(当然ですが)を集めたLPです。日本ではLPはこの1枚だけ、シングルは6枚、シングル片面が2枚発売されました。

 

カンツォーネLP国内盤オリエッタ・ベルティ◆つばめのように

MP-2176 (1971年7月10日発売 POLYDOR - 日本グラモフォン) "つばめのように/オリエッタ・ベルティ (VOLANO LE RONDINI/ORIETTA BERTI)" 発売時定価 2,000円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。表ジャケットに盤状に擦れがあります。歌詞カードにウォーター・ダメージがあります。収録曲は写真でお確かめください。

 

オリエッタ・ベルティ2枚目の国内盤LPです。シングル盤は14枚も出しているのですが、ポリドールだったのであまり目立たず損をしています。当時は「女ビルラ」といわれ国民的女性歌手でした。収録曲は67年から70年頃までのヒット曲を集めています。

 

カンツォーネLP国内盤ミルバ◆エンニオ・モリコーネを歌う(帯付

 

MW-2092 (1974年8月日発売 RICORDI -ポリド-ル) "ミルバ、エンニオ・モリコーネを歌う (DEDICATO A MILVA DE ENNIO MORRICONE)" 発売時定価 2,300円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤、帯付きです。収録曲は写真でお確かめください。

 

ミルバがイタリアで1972年に出したトータル・アルバム、日本では"ミルバ&フランシス・レイ(SOGNAVO AMORE MIO/MILVA & FRANCIS LAI)"が先に出たが、イタリアではモリコーネが1年は約発売されていました。"カリフの女王(LA CALIFFA)"、映画「ある夕食のテーブル」の"最後の晩さん(METTI UNA SERA A CENA)"など今では普通に聞ける曲も当時はミルバの歌でしか聞けませんでした。

 

カンツォーネLP国内盤オルネラ・ヴァノーニ◆わ・た・し

K28P-  338 (1983年2月1日発売 SEVEN SEAS - キング) "わ・た・し/オルネラ・ヴァノーニ (RICETTA DI DONNA・ORNELLA VANONI)" 発売時定価 2,800円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

シングル盤13枚、シングル盤片面3枚、LP15枚(内1枚はセット物の中の1枚)、CD2枚と決して引けを取ることはないのですが、日本では何故か人気がありません。

これが国内盤最後のLPとなりました。ぜひ聞いて頂きたい"黒狐のコート(LA FAMOSA VOLPE AZZURRA)"はレナード・コーエンが作った"フェイマス・ブルー・レインコート(FAMOUS BLUE RAINCOAT)"のカヴァーや"三人の男たち(TRE UOMINI)"はブラジルのシコ・ブアルキの「オペラ・ド・マランドロ(三文オペラ)」から"テレジーニャ (TERESINHA)"のカヴァーが入っており、ほか当時若手のカンタウトゥーリの作品を歌っています。

 

カンツォーネLP国内盤リトル・トニー◆24,000回のキッス

VIP- 4020 (1977年7月発売 GLOBE - ビクター音楽産業) "24,000回のキッス/リトル・トニー (FOUR AN'TWENTY THOUSAND KISSES/LITTLE TONY)" 発売時定価 非表示の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

ボビー・ソロと1,2を争うプレスリー・ファン、イタリアの"兄チャン"歌手、リトル・トニー唯一の国内盤アルバムです。1977年当時、空前のオールディーズ・ブームがおこり、目立たなかった歌手も掘り起こされました。彼も幸い"24,000回のキッス"で復活しました。

 

カンツォーネLP国内盤ジミー・フォンタナ◆私のセレナーデ

SHP-6057 (1968年8月5日発売 RCA - 日本ビクター) "私のセレナーデ/ジミー・フォンタナ (THE BEST OF JIMMY FONTANA)" 発売時定価 1,800円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと盤のみです。帯は有りません、歌詞カードは最初から付いていません。収録曲は写真でお確かめください。

 

歌手名は覚えていなくても"太陽の下の18才(TWIST No.9)"を聞いたことはあると思います。歌っていたのがジミー・フォンタナです。イタリアのロイ・オービソンと呼んだ方がよいかもしれません。イタリアで1967年に発売された"私のセレナーデ(LA MIA SERENATA)"です。67年サンレモ音楽祭参加曲"一つの命(NASCE UNA VITA)"や"限りなき世界(IL MONDO)"

 

カンツォーネLP国内盤ボビー・ソロ◆ラヴ

GP- 386 (1975月11月5日発売 SEVEN SEAS - キング) "ラヴ/ボビー・ソロ (LOVE/BOBBY SOLO)" 発売時定価 非表示の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

1970年代に入って古巣リコルディを離れ、無契約状態のようになった時、75年CGDに再起をかけ吹き込んだアルバムです。"今夜がいつか(PRENDIMI)"以外は自作の曲ですが、昔のファンには知っているヒット曲が1曲もなく、不評をかったようです。結局ボビー・ソロのアルバムの中で1、2を争うレア盤になりました。多分CD化はしていないと思います(未確認)。彼のファンでお持ちでない方はこの機会にぜひどうぞ!

 

カンツォーネLP国内盤ジョニー・ドレルリ◆涙に咲く花

SR- 326 (1970年4月10日発売 SEVEN SEAS - キング) "涙に咲く花/ジョニー・ドレルリ(JOHNNY DORELLI)" 発売時定価 2,000円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤と帯が付いています。収録曲は写真でお確かめください。

 

ジョニー・ドレルリの唯一の単独アルバムです。彼はサンレモ音楽祭でドメニコ・モドゥーニョの"ヴォラーレ"を歌うパートナー役を皆が避け、急きょアメリカから呼び戻されたという真偽のほどが分からぬ逸話があります。またカトリーヌ・スパークと再婚したことでも話題となりました。近ごろの日本ではイタリアン・ボッサの歌手として若い人に知られているようです。




ヤフー・オークション6月上旬出品予定 説明文(2)

 出品のアドレス

 cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です

 

今まで安い送料なので利用してきたヤマト運輸のクロネコメール便のB4サイズが6月30日廃止されます。安い送料で送れるのは今の内です。そういう訳で取り急ぎカンツォーネのLPばかり40枚以上出品することにしました。これだけの量の写真を撮ろうとすると、時間がかかるのでめどがつき次第、出品の日の確定をします。もうしばらくお待ちください。

 

◆カンツォーネLPイタリア盤フレッド・ボングスト◆リフィ原盤

RDZ・ST-14212 (1972年5月発売 RI FI - RI FI, Italy)"アルフレード・アントニオ・カルロ・ボングスト(ALFREDO ANTONIO CARLO BONGUSTO)" イタリアの正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと盤のみです。収録曲は写真でお確かめください。

フレッド・ボングストに関しては、私のブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5087742.html 

 

彼の本名、フル・ネームがタイトルになっています。リフィに出戻って3枚目のアルバムです。ジャケットも顔写真の部分はくり抜きで、手が込んだものです。

1.QUESTO NOSTRO GRANDE AMORE (この私達の大きな愛)

2.ROMA 6

3.NON E' UN CAPRICCIO D'AGOSTO

4.TI AMO E POI...

5.MEZZALUNA E GLI OCCHI TUOI

6.INVECE NO

7.(WE HAVE) ALL THE TIME IN THE WORLD (愛はすべてを越えて)

8.DORMI SERENA

9.O PRIMMO TRENO...

10.QUANDO (クァンド)

11.MARENARIELLO (舟人の歌)

12.PIANGI AMORE MIO

13.LA CANZONE DI FRANK SINATRA

 1は1972年夏のディスク・フェスティヴァルの曲。4、12は彼が音楽を付けた映画"BIANCO, ROSSO E..."から。5は彼が音楽担当の映画 "GLI ORDINI SONO ORDINI" ※詳細はジュリアンさんのブログをご覧ください。7は映画「女王陛下の007」の主題歌、ルイ・アームストロングがオリジナル。8もボングスト音楽の映画"ALL'ONOREVOLE PIACCIONO LE DONNE"からの1曲。10.はルイジ・テンコの名曲。11は日本でも良く知られているナポリターナです。13は尊敬する"フランク・シナトラの歌"です。

 

◆カンツォーネLP国内盤オルネラ・ヴァノーニ◆女

GP- 510 (1977年10月21日発売 SEVEN SEAS - キング) "女・オルネラ・ヴァノーニ(LA VITA DI ORNELLA VANONI)" 発売時定価 2,500円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤と帯が付いています。収録曲は写真でお確かめください。

 

シングル盤13枚、シングル盤片面3枚、LP15枚(内1枚はセット物の中の1枚)、CD2枚と決して引けを取ることはないのですが、日本では何故か人気がありません。

「女」三部作の一作目です。ブラジルのトッキョーニョほかイタリアのカンタウトゥーリたちの書いた曲を歌っています。

 

◆カンツォーネLP国内盤ドゥルピ◆ふたりの青春

MW-2168 (1976年5月発売 RICORDI - ポリドール)"ふたりの青春/ドゥルピ(DUE)" ドゥルピ(DRUPI)発売時定価 非表示の国内見本品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。ジャケットに小さなテープの貼り痕があります。収録曲は写真でお確かめください。

 

1973年のサンレモ音楽祭で"去り行く君(VADO VIA)"を歌い、入賞できなかったにもかかわらずフランスをはじめヨーロッパ各国で大ヒットしました。が、日本では人気がないと言うか、無名状態です。タイトル"DUE"の通り2枚目のアルバム、国内盤も2枚目のLPです。

 

カンツォーネLP国内盤ジャンニ・ナザーロ◆なんて美しい君

GP-  96 (1972年12月発売 SEVEN SEAS - キング)"なんて美しい君/ジャンニ・ナザーロ・ゴールデン・プライズ(QUANTO E' BELLA LEI/GIANNI NAZZARO GOLDEN PRIZE)" 発売時定価 2,200円の国内正規品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケット兼歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

日本ではアルバム9枚、シングル盤14枚出したジャンニ・ナザーロですが日本の曲「傷あと」のヒット以降、何故か名前を忘れ去られた存在です。イタリアでもナポリのマイナー・レーベル時代は物マネ歌手として有名となり、メジャー・デビューしました。日本でサンレモ音楽祭のカヴァー曲を沢山録音してもらい、重宝がられた存在ですが、器用貧乏が仇となったかもしれません。

 

◆カンツォーネLP国内盤マルチェラ◆炎(帯付きポスター無)

GP- 423 (1976年6月5日発売 SEVEN SEAS - キング)"炎/マルチェラ(MARCELLA/NESSUNO MAI)" 発売時定価 2,500円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケット、歌詞カード、盤と帯が付いています。ポスターは有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

日本ではディスコ調の曲で売れたため軽く見られがちですが、兄ジャンニ・ベッラ(GIANNI BELLA)からのよい曲の提供を受け成功した70年代、80年代を代表する大歌手です。また不毛の日本カンツォーネ界の70年代後半を支えた功績も見逃されません。日本でもヒットした"炎"を中心としたアルバムです。

 

◆カンツォーネLP国内盤マルチェラ◆ネグロ(帯付き)

GP- 445 (1976年9月発売 SEVEN SEAS - キング)"ネグロ/マルチェラ(NEGRO/MARCELLA)" 発売時定価 2,500円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケット、歌詞カード、盤と帯が付いています。盤のレーベルに見本品のゴム印が押してあります。収録曲は写真でお確かめください。

 

日本ではディスコ調の曲で売れたため軽く見られがちですが、兄ジャンニ・ベッラ(GIANNI BELLA)からのよい曲の提供を受け成功した70年代、80年代を代表する大歌手です。また不毛の日本カンツォーネ界の70年代後半を支えた功績も見逃されません。日本でもヒットした"ネグロ"を中心としたアルバムです。

 

◆カンツォーネLP国内盤マルチェラ◆燃える明日(帯付き)

GP- 466 (1977年3月発売 SEVEN SEAS - キング)"燃える明日/マルチェラ(IO DOMANI/MARCELLA)" 発売時定価 2,500円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケット、歌詞カード、盤と帯が付いています。収録曲は写真でお確かめください。

 

日本ではディスコ調の曲で売れたため軽く見られがちですが、兄ジャンニ・ベッラ(GIANNI BELLA)からのよい曲の提供を受け成功した70年代、80年代を代表する大歌手です。また不毛の日本カンツォーネ界の70年代後半を支えた功績も見逃されません。日本でもヒットした"燃える明日"を中心としたアルバムです。

 

◆カンツォーネLP国内盤ペピーノ・ガリアルディ◆すみれのように

SR- 771 (1972年6月25日発売 SEVEN SEAS - キング) "すみれのように/ペピーノ・ガリアルディ(COME LE VIOLE/PEPPINO GAGLIARDI)" 発売時定価 2,000円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。ジャケットの右上に破れと痛みがあります。収録曲は写真でお確かめください。

 

ご存知"ガラスの部屋"のペピーノ・ガリアルディです。ただしこのアルバムには入っていません。それ以降のサンレモ音楽祭の上位入賞していた時代のアルバムです。

小節(コブシ)の使い方は流石ナポリの歌手だと思わせます。

ガリアルディの事は私のブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4256050.html  http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/4278672.html をよろしければご覧ください。

 

◆カンツォーネLP国内盤ブルーノ・ヴェントゥリニ◆オ・ソレ・ミオ

GP- 497 (1977年10月発売 SEVEN SEAS - キング) "オ・ソレ・ミオ/ブルーノ・ヴェントゥリーニ('O SOLE MIO/BRUNO VENTURINI)" 発売時定価 2,500円の国内見本品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤と帯が付いています。ジャケットにカビのシミが出ています。収録曲は写真でお確かめください。

 

第3回民音イタリア音楽祭で来日した時の記念アルバムです。ナポリターナのコンピレーションには入っていた歌手ですが、こういう機会がなければ発売されなかったLPです。ナポリターナには声楽歌手の歌う美声を駆使する歌い方(標準語の事も多い)、街の流しや地元の歌手がギター1本で歌う歌い方、それと彼やセルジョ・ブルーニ等がうたうオーケストラをバックにして正調ナポリターナを歌う歌い方があります。

 

◆カンツォーネLP国内盤レナート・カロソーネ◆HONEYMOON IN ROME

MW-   2 (1950年代後半発売 ANGEL - 東京芝浦電気工業) "ハニムーン・イン・ローマ(イタリア篇)(HONEYMOON IN ROMA)" レナート・カロソーネ (RENATO CAROSONE) 発売時定価 1,800円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、所定インナー・スリーブと盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

 

非常に古い盤で、カロソーネは自分のバンドを組んで歌うことの方が多かったようです。日本同様に第二次世界大戦後、米進駐軍のキャンプ巡りで腕を上げ、名を挙げた歌手で、彼の作った曲は多く、特に有名なの"ガリオーネ(GUAGLIONE)"で"バンビーノ"や"リトル・ボーイ"という名前でも欧米で大ヒットしました。




ヤフー・オークション6月上旬出品予定 説明文(1)

出品のアドレス
 cnz27hiro http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/cnz27hrio です


今まで安い送料なので利用してきたヤマト運輸のクロネコメール便のB4サイズが6月30日廃止されます。そういう訳で取り急ぎカンツォーネのLPばかり40枚以上出品することにしました。これだけの量の写真を撮ろうとすると、時間がかかるのでめどがつき次第、出品の日の確定をします。もうしばらくお待ちください。

◆カンツォーネLP国内盤ラ・ノビア◆トニー・ダララのすべて
MH- 172 (1964年6月1日発売 SEVEN SEAS - キング) “ラ・ノビア/トニー・ダララのすべて(LA NOVIA THE BEST OF TONY DALLARA)” 発売時定価 1,500円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。歌詞カードはシミ、折れによる破れがあります。収録曲は写真でお確かめください。状態がよくありませんのでジャンク扱いです。

25cm盤は出ていたのですがトニー・ダララ初の30cm国内盤アルバムです、サンレモ音楽祭優勝曲の“ロマンティカ”ほか初期の頃の曲が聞けます。“コメ・プリマ”が日本のデビュー曲ですがシングル盤は1959年1月にポリドール(DP-1112)から発売されています。

◆カンツォーネLP国内盤レナート・カサウラ◆ナポリ民謡のこころ
SFX- 7014 (1965年11月発売 PHILIPS -日本ビクター)“帰れソレントへ/ナポリ民謡のこころ(NAPULE CA TUZZA 'O CORE)”レナ-ト・カサウラトとイ・ポステジャト-リ・ナポレタ-ニ(CASAULA,RENATO, ARRIA e PREZIOSO) 発売時定価 2,000円の国内正規品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケット兼歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。B面1曲目で針飛びをおこしますのでジャンク扱いです。

ポステジャトーリと言うのはレストランなどで客席をまわって歌っている「流し」の歌手たちの事を言います。多分レストランでもリクエストがありそうな典型的なナポリターナが集められています。

◆LP国内盤クラウディオ・ビルラ◆ベスト・オブ・カンツォーネ
SR- 226 (1969年10月発売 SEVEN SEAS - キング)“クラウディオ・ビルラ/ベスト・オブ・カンツォーネ(THE BEST OF CANZONE)” クラウディオ・ビルラ(CLAUDIO VILLA) 発売時定価 2,000円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと帯、盤のみです。歌詞カードは有りません。収録曲は写真でお確かめください。状態がよくありませんのでジャンク扱いです。

クラウディオ・ビルラ通算10枚目(ニ分の一分2枚で1枚分として)のアルバムです。サンレモ音楽祭の曲からナポリターナまで代表する曲が集められたタイトル通り「ベスト・オブ・カンツォーネ」です。

◆カンツォーネLP国内盤ミルバ◆ミルバのすべて(ジャンク
MH- 156 (1964年5月発売 SEVEN SEAS - キング) “ミルバのすべて
(THE BEST OF MILVA)” 発売時定価 1,500円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。両面で数か所、針キズによるノイズが出ます。収録曲は写真でお確かめください。状態がよくありませんのでジャンク扱いです。

ミルバの国内盤単独アルバムとして初めて出た盤です。初期のヒット曲、サンレモ音楽祭の曲が入っていますが、何と言っても今では、イタリア・ジャズの代表曲“夏(ESTATE)”が入っているのが聞きどころでしょう。

◆LP国内盤ダララ&チェレンターノ◆カンツォーネを聞こう第3集
MH- 145 (1964年3月発売 SEVEN SEAS - キング) “カンツォ-ネを聞こう第3集
(CANZONE! CANZONE! CANZONE! Vol.3)”トニー・ダララ (TONY DALLARA)、 アドリア-ノ・チェレンターノ (ADRIANO CELENTANO)発売時定価 1,500円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。両面で数か所、針キズによるノイズが出ます。歌詞カードはシミ。収録曲は写真でお確かめください。ジャケット裏と、盤のレーベルに書込みがあります。状態がよくありませんのでジャンク扱いです。

1964年に出された“カンツォーネを聞こう”シリーズ5枚の内の第3集です。各大手レコード会社を代表する歌手2名の片面アルバムです。トニー・ダララ、アドリアーノ・チェレンターノの初期(絶頂期)のヒット曲が収録されています。

◆カンツォーネLP国内盤V.A.◆カンツォーネ専科第2集(ジャンク
SH- 269 (1966年12月10日発売 SEVEN SEAS - キング) “カンツォ-ネ専科第2集
(LE CANZONI D'ORA Vol.2)”コンピレーション (VARIOUS ARTISTS) 発売時定価 1,750円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。B面で数か所、針キズによるノイズが出ます。収録曲は写真でお確かめください。状態がよくありませんのでジャンク扱いです。

1.二人の星 [日] (LA STELLA PER NOI [J])
2.悲恋 [日]  (NESSUNO DI VOI [J])
3.世界をつなぐ若者 (GIROTONDO INTORNO AL MONDO)
4.去り行く今 (ADESSO SI')*
5.二つの瞳 (PRIMA C'ERI TU)
6.淋しきこだま [日] (LA RISOPSTA [J])
7.青空に住もう (UNA CASA IN CIMA AL MONDO)*
8.君が君でなかったら (SE TU NON FOSSI BELLA COME SEI)
9.夜空に誓う[日] (STELLA MIA [J])
10.変らぬ運命 (NON A CASO IL DESTINO)*
11.緑の瞳 (I TUOI OCCHI VERDI)
12.スペインの瞳 [伊]  (SPANISH EYES [I])
13.テレ-ザ (TERESA)
14.明日を待とう (ASPETTA DOMANI)*
 1.2.6.9.12 ミルバ;3.4.13. セルジョ・エンドリゴ;5.8.14. フレッド・ボングスト;7. クラウディオ・ビルラ;10.11. フランコ・トッツィ: *サンレモ音楽祭オリジナル曲

正式にフォニット・レーベルもキングが獲得し、1965年にフォニット~出場したフレッド・ボングストとフランコ・トッツィのサンレモ曲が聞ける貴重盤です。


◆カンツォーネLP国内盤クラウディオ・ビルラすべて◆CORAL LABEL
MH- 57(D) (1963年9月発売 CORLAR - キング)“クラウディオ・ビルラのすべて(THE BEST OF CLAUDIO VILLA)” 発売時定価 1,500円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。歌詞カード上部にシミがあります。収録曲は写真でお確かめください。

クラウディオ・ビルラの国内ファースト・アルバムです。最初フォニット・チェトラはテイチクと契約しており、キングは正式に契約が出来ていなかったため、チェトラがアメリカのコーラル経由で発売にこぎつけた経緯があります。

◆カンツォーネLP国内盤クラウディオ・ビルラ◆イン・トウキョウ
SH- 134 (1964年10月20日発売 SEVEN SEAS - キング)“ビルラ・イン・トウキョウ(VILLA IN TOKYO)” クラウディオ・ビルラ(CLAUDIO VILLA) 発売時定価 1,800円の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケットと歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。A面3曲目に1か所プチッ・ノイズが出ます。収録曲は写真でお確かめください。

クラウディオ・ビルラの国内盤2枚目のアルバムです。キングが正式にチェトラ・レーベルを獲得出来ていなかったため、日本録音盤です。最初はキング・レーベルで出され、再版でセブンシーズ・レーベルの盤を出品しています。


◆カンツォーネLP国内盤ディ・ステファーノ◆ナポリ民謡のすべてMN
AB- 7070 (1965年7月発売 ANGEL - 東芝音楽工業) “ステファ-ノ/ナポリ民謡のすべて(GIUSEPPE DI STEFANO SINGS THE BEST OF NEAPOLITAN SONGS)” ジュゼッペ・ディ・ステファーノ (GIUSEPPE DI STEFANO) 発売時定価 1,500円の国内正規品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケット兼歌詞カード、所定スリーブ、盤のみです。帯は有りません。モノラル盤です。収録曲は写真でお確かめください。

テノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステファーノのナポリターナ集です。この頃は、イタリア人だけで3大テノールが出来た良き時代の録音です。街のナポリターナは喉の奥から出すような声で歌われる曲が多いのですが、声楽の典型的なベル・カントで歌われる「ナポリ民謡」です。これも一つのジャンルと思って聞けば、素晴らしいものです(クラシックの皆さん失礼のほどお許しください)。


◆カンツォーネLP国内盤ディ・ステファーノ◆ナポリ民謡のすべてST
AA- 7610 (1966年6月発売 ANGEL - 東芝音楽工業) “ステファ-ノ/ナポリ民謡のすべて(GIUSEPPE DI STEFANO SINGS THE BEST OF NEAPOLITAN SONGS)” ジュゼッペ・ディ・ステファーノ (GIUSEPPE DI STEFANO) 発売時定価 1,800円の国内正規品です。付属品は、写真に写っている見開きジャケット兼歌詞カード、所定スリーブ、盤のみです。帯は有りません。ステレオ盤です。収録曲は写真でお確かめください。

テノール歌手ジュゼッペ・ディ・ステファーノのナポリターナ集です。この頃は、イタリア人だけで3大テノールが出来た良き時代の録音です。街のナポリターナは喉の奥から出すような声で歌われる曲が多いのですが、声楽の典型的なベル・カントで歌われる「ナポリ民謡」です。これも一つのジャンルと思って聞けば、素晴らしいものです(クラシックの皆さん失礼のほどお許しください)。


◆カンツォーネLP国内盤プー◆ミラノの映像(CBS ソニー盤)
ECPM- 73 (1974年8月21日発売 EPIC - CBSソニー) “ミラノの映像(ALESSANDRA)” イ・プー (I POOH) 発売時定価 非表示の国内正規品です。付属品は、写真に写っているジャケット、歌詞カード、盤のみです。帯は有りません。収録曲は写真でお確かめください。

74年に発売されたプーの国内初アルバムです。それ以来約40年まだ紙ジャケCDが出ているのは立派なものです。中古市場にかなり出ているところをみると随分売れたのでしょう。彼らの名前を知ったのは69年のカンタジーロ新人部門で第8位となった“マリー・アン(MARY ANN)”、“ピッコラ・ケティ(PICCOLA KATY)”が無名ながら大ヒットしたことを知りました。72年に“君をこの胸に(TANTA VOGLIA DI LEI)”、“ペンシェロ(PENSIERO)”と立て続けにシングル盤が出て大いに期待したのですが、2年間の沈黙、その後に出たLP盤です。




ジュニア・マッリ(JUNIOR MAGLI)、ラヴ・ミー・トゥナイト

 “ラヴ・ミー・トゥナイト(LOVE ME TONIGHT)”という曲はある一定の年代の方はトム・ジョーンズ(J TOM ONES)のあの曲ネ、と思いだされることでしょう。

TOP-1401 (1969年6月20日 LONDON - KING) “ラヴ・ミ-・トゥナイト (LOVE ME TONIGHT)/ハイド・アンド・シーク (HIDE AND SEEK)

TOP-1401TOP-1401   GP- 101GP- 101

GP- 101 (1970年1月LONDON - KING) “トム・ジョーンズ・ライヴ・イン・ラス・ヴェガス(TOM JONES LIVE IN LAS VEGAS)”

この辺りのジャケットを思いだされることでしょう。今回トム・ジョーンズの話ではなく、サンレモ音楽祭でオリジナル“恋の終わり(ALLA FINE DELLA STRADA)”を歌ったジュニア・マッリ(JUNIOR MAGLI)の事をお話しましょう。
 トム・ジョーンズも“ささやく瞳”の他カンツォーネをカヴァーしているので、一度まとめてみたいと思っています。

HIT-1648 (1969年7月10日 SEVEN SEAS - KING) “恋の終り (ALLA FINE DELLA STRADA)/二人の青春 (NOI DUE)

           HIT-1648HIT-1648  

 
1944 年 9 月 29 日ボローニャ生。本名ルイジ ・ パッツァリーニ(Luigi Pazzaglini)。
1960年代初頭にデビュー、67年まで色々な地元のコンクールに出場していましたが、1967年ジョリー・レーベル(SAAR)と契約することが出来、1968年フェスティヴァル・バール参加の“La calda estate”でデビューしました。この年の新人部門優勝はルチオ・バティスティでした。

J-20437x45 LA NOSTRA FAVOLA(デライラ)/LA CALDA ESTATE (1968年JOLLY – SAAR, Italy)

         J-20437x45 J-20437x45

同年トム・ジョーンズの“デライラ”のイタリア語ヴァージョン“私たちの童話(IL NOSTRA FAVOLA)”をヴェネチア音楽祭で歌い新人部門の優勝、銀のゴンドラ賞を受賞しました。この曲はジミー・フォンタナ(JIMMY FONTANA)やリベルリ(I RIBELLI)と共作になっていました。

翌年1969年のサンレモ音楽祭にイギリスのカジュアルズ(THE CASUALS)と “恋の終わり(ALLA FINE DELLA STRADA)” で出場しましたが入賞しませんでした。

J-20446x45 ALLA FINE DELLA STRADA(恋の終わり)/IL MIO AMICO ANGELO (1969年JOLLY – SAAR, Italy)

J-20446x45J-20446x45  TOP-1437TOP-1437 

TOP-1437 ALLA FINE DELLA STRADA/IL MIO AMICO ANGELO (1969年11月1日LONDON – KING)

そしてカンタジーロに“隣人を愛せ(AMA IL PROSSIMO TUO)”、夏のディスク・フェスティヴァルに“二人の青春(NOI DUE)”で出場する活躍を見せました。

J-20451x45 NOI DUE (二人の青春)/AIUTAMI MAMMA (MY YIDDISHE MOMME) (1969年10月JOLLY – SAAR, Italy)

J-20451x45J-20451x45  J-20459x45J-20459x45 

J-20459x45 APRI LA PORTA (ふたりのアイランドMAKE ME AN ISLAND)/AIUTAMI MAMMA (1969年10月JOLLY – SAAR, Italy)
A面はイギリスのジョー・ドランの曲をカヴァーしたものです。

J-20462x45 A LEI(ONE DAY)/OH LADY MARY(オー・レディ・マリー)(1970年JOLLY – SAAR, Italy)
ニュー・ジーランドのジョン・ロウルズのカヴァー曲、B面はフランスのダヴィッド・アレキサンダー・ウィンターのカヴァーです。

J-20462x45J-20462x45  J-20464x45J-20464x45 

J-20464x45 IL MOMENTO DELL’ADDIO /DUE ALI BIANCHE(1970年JOLLY – SAAR, Italy)
1970年その年活躍した人に与えられる「銀の仮面賞」を受賞、その年の夏のディスク・フェスティヴァルに“IL MOMENTO DELL’ADDIO”で出場しました。

ジュニア・マッリはメジャー・デビューしたジョリー(サール)からマイナー・レーベルのラス・ヴェガス(シデット)に移籍します。シデットも久々の大物歌手を迎え、最初のシングル盤にはかなり力を入れ宣伝をしていました。

LVS-1060 OGNI NOTTE, OGNI GIORNO/...E STO DAVANTI A TE (1972年LAS VEGAS – SIDET, Italy)

LVS-1060LVS-1060  LVS-1063LVS-1063a 

LVS-1063 POVERO (明日に生きる)/STO DAVANTI A TE (1972年LAS VEGAS – SIDET, Italy)

1973 年に再び、サンレモ音楽祭に“明日に生きる(POVERO)” で参加しました。 批評家ジャーナリズム祭の最高外国曲カヴァー賞、カンツォーネ・オスカー賞など多くの賞を受賞しています。

LVS-1067 IN THE DARKNESS/THIS OUR SOCIETY (1974年LAS VEGAS – SIDET, Italy)
ジュニア・マッリ最後のシングル盤になります。前後関係で行くと1974年1月に出されたアルバムからシングル・カットしたと思われます。

LVS-1067LVS-1067  LVS-3014LVS-3014 

LVS-3014(1974年1月LAS VEGAS – SIDET, Italy) “GAYE/JUNIOR MAGLI”
1.GAYE(Clifford Thomas Ward)
2.OGNI NOTTE, OGNI GIORNO(Luciana Medini-Mario Mellier)
3.CANTA BAMBINA, CANTA(Luciana Medini-Mario Mellier)
4. POVERO (明日に生きる)(Luciana Medini-Mario Mellier)
5....E STO DAVANTI A TE(Luciana Medini-Mario Mellier)
6YOU'VE LOST THAT LOVIN' FEELING (フラレた気持 – ライチャス・ブラザーズ) Barry Mann, Phil Spector)
7.IN THE DARKNESS (Alory-Femily)
8.IT BETTER END SOON (栄光への旅路 - シカゴ) (Robert Lamm)
9.THIS OUR SOCIETY (Alory-Femily)
10.IF YOU BELONG TO ME (IF YOU BELONG TO ME - James Lloyd)
  太字はシングル盤でも発売された曲

日本のプログレ系の人たちもジュニア・マッリを評価していると聞いたことがあります。多分このアルバムに対してではないかと思っていますが、真偽のほどは分かりません。

彼は後年、TVのナツ・メロ番組に出演することがあったようです。1990年カナレ5(イタリア民放トップ局)のTV音楽番組「第2回懐かしの音楽祭」に出場しましたが入賞できませんでした。2010年9月25日カルロ・コンティが司会をするTV番組「最高の年」に出演し、彼のヒット曲“恋の終わり”を歌いました。

◆重要な国内盤コンピレーション
GW- 17~8 (1969年5月20日SEVEN SEAS – KING) “第19回サンレモ音楽祭(FESTIVAL DI SAN REMO 1969)” 1-5.恋の終り(ALLA FINE DELLA STRADA)

SR- 301(1969年8月10日SEVEN SEAS – KING) “夏のデイク・フエステイヴアル1969(UN DISCO PER L'ESTATE 1969)” 9.二人の青春(NOI DUE)

MW-2068(1973年6月RICORDI – POLYDOR) “サンレモ1973(SAN REMO 1973)” 6. 明日に生きる(POVERO)

GXF- 81~90 (1979年2月5日SEVEN SEAS – KING) “サン・レモ音楽祭大全集(FESTIVAL DI SAN REMO)” 7-17.恋の終り(ALLA FINE DELLA STRADA)

国内盤の解説及びウィキペディア・イタリア版(
http://it.wikipedia.org/wiki/Junior_Magli) および
http://www.rockemartello.com/2009_07_01_archive.html を参考にしました。




ニキー(NIKY)をご存知ですか?

   ニキー(NIKY)という歌手をご存知でしょうか?イタリアのモデル兼歌手です。 もし知っている方がいるのなら、よほどのマニアか業界関係者でしょう。

HIT-1980 (1972年2月10日 SEVEN SEAS - KING) "愛のたそがれ (MA COME FAI)/いつか見る日を(POI SI VEDRA')

ニキーの国内デビュー盤です。1970年のカンツォニッシマ出場曲で、イタリアと同じ編成です。彼女にとって絶頂期のシングル盤です。

          HIT-1980HIT-1980  

HIT-2094 (1973年5月SEVEN SEAS - KING) "誓いのくちづけ(AMORE, AMORE MIO)/いとしいあなた (IO AMO TE)

1973年4月、第2回東京音楽祭の参加曲です。浜圭介作詞作曲、マリーノ・マリーニ補作でB面も同じの日本の曲、すなわちイタリア未発売の曲です。

この時、もう一人のイタリア人歌手マルチェラが "恋に燃える太陽(SOLE CHE NASCE, SOLE CHE MUORE)"で出場しており、二人とも賞には関係ありませんでしたが、格の違いは如何ともし難いものがありました。

HIT-2094HIT-2094  HIT-2096HIT-2096

HIT-2096 (1973年4月10日SEVEN SEAS - KING) "恋に燃える太陽 (SOLE CHE NASCE, SOLE CHE MUORE)/果てしない想い (SENSAZIONI E SENTIMENTI)

 

本名カルメン・ペナーティ(CARMEN PENATI)、1946年11月18日ヴィメルカーティ(VIMERCATEミラノの北東23kmにある小都市)生まれ。

 

 1965年頃から活動を始め、66年アンコーナ(ANCONA)のフェスティヴァルに参加しました。それをマリーノ・マリーニ(MARINO MARINI)が注目し、彼のレーベル、ティファニー(TIFFANY)と契約するように勧めました。国内盤が出た当時はマリーノ・マリーニがオジさんだと言われていましたが、現在そのことは確認できません。

 

TIF-516 (1967 Tiffany, Italy) TU DICI CIAO/IL TIPO CHE VOLEVO

そして"TU DICI CIAO"で翌67年にデビューしました。この曲は1968年のフェスティヴァル・バール参加曲でした。同年イヴァ・ザニッキと共にバルセロナ・フェスティヴァルにイタリア代表として参加しました。

TIF-516TIF-516a    TIF-529TIF-529  

TIF-529 (1967 Tiffany, Italy) LE ALI DI CERA/C'ERA UN AMOR

 

また1967年の夏のディスクでトニー・レニスが歌った"グッドバイを云わないで(NON MI DIRE MAI GOOD BYE)"が映画化(監督ジャンフランコ・バルダネッロ) http://www.film.tv.it/film/4713/non-mi-dire-mai-good-bye/foto/8/ され、トニー・レニスの相手役に抜擢されました。

 

TIF-542  (1968Tiffany, Italy) SUONAVAN LE CHITARRE/KISS ME GOODBYE (キス・ミ-・グドバイ)

 次の68年には「セッテヴォーチ」(RAI ウーノが日曜の午後に放送していたピッポ・バウドが司会する高視聴率の音楽バラエティー番組)に7回勝ち抜いた歌手としてだけでなく、ミニ・スカートのスタイルの良さでもクローズ・アップされました。

1968年の夏のディスク・フェスティヴァルの参加曲"SUONAVAN LE CHITARRE"はヴェネチア音楽祭にも参加し、彼女の歌の中でもっとも有名な曲です。

TIF-542TIF-542   TIF-555TIF-555  

TIF-555 (1969 Tiffany, Italy) POI SI VEDRA'... (いつか見る日を) /SE PASSI DI SERA (夜の街のあなた)

翌年の1969年の夏のディスク・フェスティヴァルとフェスティヴァル・バールに"POI SI VEDRA'( いつか見る日を)"で参加しました。

 

TIF-556 (1969 Tiffany, Italy) CON IL VENTO DEL NORD/NON FARLO PIU'

TIF-556TIF-556   TIF-558TIF-558  

TIF-558 (1970 Tiffany, Italy) MA COME FAI(愛のたそがれ) /VESTITI DI PIOGGIA (雨のドレス)

 1970年のカンツォニッシマに出演しました。この年は男女カップル3組のトーナメント戦で行われています。第1回戦でイヴァ・ザニッキ、カテリーナ・カセルリの強豪とぶつかり "MA COME FAI(愛のたそがれ)"を歌いましたがさすがに"格違い"で敗退してしまいました。

 

 70年代は出した曲もマイナー・ヒットどまりで、音楽番組にゲスト出演したりしていました。

TIF-560 (1971 Tiffany, Italy) SE NON E' L'AMORE (愛でなかったら) /TI AMO MI AMI

TIF-560TIF-560   TIF-562TIF-562  

TIF-562 (1972 Tiffany, Italy) LA MIA SOLITUDINE (わたしの孤独) /STASERA E' FESTA (幸せは風とともに)

 

特筆すべきことは1973年4月、日本の第2回東京音楽祭に参加し、アルバムが発売出来たことでした。その後、彼女は1975年芸能界から引退しました。

 

SR- 822 (1973年3月SEVEN SEAS - KING) "イタリーの妖精/ニキー(TLA SIRENA D'ITALIA/NIKY)"

ニキーは本国イタリアでもアルバムは出ておらず、日本だけでもLP盤が発売されたことは、大変名誉なことだったようです。

             SR- 822SR- 822  

1. 誓いのくちづけ[日] (AMORE, AMORE MIO [J])
2.いつか見る日を (POI SI VEDRA'...)
3.わたしの孤独 (LA MIA SOLITUDINE)
4.夜の街のあなた (SE PASSI DI SERA)
5.変わらぬあなた (IL POSTINO SUONERA')
6.愛のたそがれ (MA COME FAI)
7.愛のたそがれ[日] (MA COME FAI [J])
8.幸せは風とともに (STASERA E' FESTA)
9.スイートピー[伊] (A.B.C.)
10.雨のドレス (VESTITI LA PIOGGIA)
11.愛でなかったら (SE NON E' L'AMORE)
12.キス・ミー・グドバイ [伊] (KISS ME GOODBYE [I])

コンピレーション国内盤

GW- 189~90 (1972年SEVEN SEAS - KING) "ヨーロッパ・オールスターズ・イン・ジャパン(EUROPEAN ALL STARS SING IN JAPANESE)"

1-5. 愛のたそがれ [日] (MA COME FAI [J])

 

SR- 779 (1972年4月25日SEVEN SEAS - KING) "恋よまわれ/カンツォーネを歌おう (第5回カンツォーネ・コンクール課題曲集)(CANTA! LE  CANZOI (V゚ CANZONE CONCOURT))"

5.愛のたそがれ (MA COME FAI)

 

GW- 247~8 (1973年8月SEVEN SEAS - KING) "カンツォーネを歌おう/第6回カンツォーネ・コンクール課題曲集)(CANZONI DATI DI CONCORSO VOCI NUOVE)"

2-3.愛のたそがれ (MA COME FAI)

 

歌は歌っていませんが、モデルとしてジャケットを飾っています。

GW- 241~2 (1973年3月5日SEVEN SEAS - KING) "サン・レモ・ムード・ダブル・デラックス(SAN REMO MOOD DOUBLE DELUXE)"

 GW- 241~2a GW- 241~2 GW- 241~2b

世の中、なかなか完璧を期することは難しいようです。日本盤シングル2枚、LP1枚は発売当時買っていたので持ってました。 イタリアのシングル盤の画像をさがしたのですが、TIF-560 (1971 Tiffany, Italy) SE NON E' L'AMORE(愛でなかったら) /TI AMO MI AMIは見つけ出せませんでした。 また見つかった時に付け加えようと思っています。

 

 今回、"自分への縛り"として歌手の生写真は使わないでおこうと思っていましたが、彼女が75年早々に引退していることもあり、来日当時大阪心斎橋のデパートでイタリアン・フェアに出ていた彼女の写真を出しました

                   0733   0734   

日本盤の解説およびウィキペディア・イタリア版の「ニキー(NIKY)」の項目http://it.wikipedia.org/wiki/Niky  を参考にいたしました。

 




プロフィール

cnz27hrio

Author:cnz27hrio
FC2ブログへようこそ! リンク切れの画像がある場合は、 http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio をご覧ください。

FC2カウンター
 
検索フォーム
 
 
 
 
 
 
ブロとも申請フォーム
 
 
QRコード
QR