カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)  8

  サンレモ音楽祭が大きく変わり始めます。音楽祭の影の立役者、指揮者のチニコ・アンジェリーニがはずれてフランチェスコ・フェラーリに変わりました。その関係でアンジェリーニ楽団所属の第1回から出場していた歌手たち(CETRAは全員今回が初出場歌手)も出場していません。出場経験者は前年第4回に出たナタリーノ・オットとジャンニ・ラヴェーラのみ(レコード会社はFONIT)でその他は全員初出場です。しかも出場曲も4曲減り16曲になりました。

レコード会社別ではチェトラ(CETRA)が6、フォニット(FONIT)3、ヴィス・ラディオ(VIS RADIO)2、CGD 2、ドゥリウム(DURIUM)1、V.C.M. 1となり、圧倒的だったチェトラの力が弱まりました。前年のトトの強い推薦でフランコ・リッチを出場させたイギリス系資本が強いV.C.M.は連続出場出来ましたが、アメリカ資本系列のRCAイタリアーナは依然参加できていません。

 

第5回 1955年1月27日(木)~29日(土) サンレモ市カジノ付属劇場

司会:アルマンド・ピッツォ (Armando Pizzo) と マリア・テレジア・ルータ (Maria Teresa Ruta)

楽団指揮:フランチェスコ・フェラーリ (Francesco Ferrari)、アルベルト・センプリーチ(Alberto Semprini)

オーガナイザー:イタリア放送協会(RAI) ;サンレモ市カジノ場(Casino di Sanremo)

形式:出場曲数16曲。1曲2歌唱で2夜に各8曲を歌い、各夜4曲ずつを入賞曲を選出し、最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。.

 

  Claudio Villa (VR)       Tullio Pane               
 クラウディオ・ビルラ(VIS RADIO)    トゥリオ・パーネ(限CETRA )

 

<優勝> 悲しみよ今日は Buongiorno tristezza (G.Fiorelli - M.Ruccione) 出版社 SUVINI ZERONI クラウディオ・ビルラ (vm) Claudio Villa (VIS RADIO - VIS RADIO) Vi-5191 [SP] : トゥリオ・パ-ネ (vm) Tullio Pane (CETRA - CETRA) DC-6262 [SP]

 

            Vi-5191Vi-5191a

 

<2位> 急流Il torrente (C.A.Liman - L.Carmi) 出版社 ALLEGRO クラウディオ・ビルラ (vm)  Claudio Villa (VIS RADIO - VIS RADIO) Vi-5191 [SP] :トゥリオ・パ-ネ (vm)  Tullio Pane (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

           Vi-5191Vi-5191b

 

<3位> 谷間の歌 Canto nella valle (M.Panzeri - U.Fusco) 出版社 MUSICAL CINE ナタリ-ノ・オット (vm)と トリオ・アウロラ (trio) Natalino Otto & Trio Aurora (FONIT - FONIT) 14820 [SP] : ブル-ノ・パルレ-ジ (vm) ヌッチア・ボンジョヴァンニ (vf)  Nuccia Bongiovanni & Bruno Pallesi & Radio Boys (CETRA - CETRA) DC-6263 [SP]

 

           1482014820

 

<入賞曲>

4位 恍惚を歌う Incantatella (F.S.Mangieri)出版社 CEIA クラウディオ・ビルラ (vm) Claudio Villa (VIS RADIO - VIS RADIO) Vi・MQN-36274 : ナルチソ・パリ-ジ (vm) Narciso Parigi (PATHE' - V.C.M.) MG-278 [SP] 

 

     Vi・MQN-36274Vi・MQN-36274

 

5位 ある心 Un cuore (P.Mendes - E.Falcocchio)出版社 FALCOCCHIO ジャンニ・ラヴェ-ラ (vm)  Gianni Ravera (V.d.P. - V.C.M.) 不明 [SP] : アントニオ・バズルト (vm) Antonio Basurto (CETRA - CETRA)* 不明 [SP]

 

6位 チ・チ・ウ・チCi ciu ci (cantava un usignol) (E.Minoretti - S.Seracini) 出版社 MENESTRELLO ナルチソ・パリ-ジ (vm) Narciso Parigi & Radio Boys (PATHE' - V.C.M.:FONIT - FONIT) MG-280 [SP] : ナタリ-ノ・オット (vm) と トリオ・アウロラ (trio) Natalino Otto & Trio Aurora (FONIT - FONIT) 14820 [SP]

 

7位 額ぶちの写真 Una fotografia nella cornice (L.Mannucci - E.Fecchi) 出版社 DIAPASONアントニオ・バズルト (vm) Antonio Basurto (VIS VIS RADIO - VIS RADIO CETRA - CETRA)* 不明 [SP] : ナタリ-ノ・オット (vm) Natalino Otto (FONIT - FONIT) 14822 [SP]

 

8位 影 L'ombra (W.Colì) 出版社 COLI ユ-ラ・デ・パルマ (vf) Jula De Palma (CGD - CGD) PV-2066 [SP] : マリ-サ・コロンベ-ル (vf) Marisa Colomber (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

*アントニオ・バズルトのレコード会社は未確認状態ですCETRA説もありますで確認済み。

 

Jula De Palma       Narciso Parigi       
ユーラ・デ・パルマ CGD          ナルチソ・パリージPATHE'

 

Bruno Rosettani       Marisa Colomber
ブルーノ・ロセッターニ DURIUM     マリーサ・コロンベール CETRA

 

 今大会最大の話題は、若手ナンバー・ワン「レウッチョ(REUCCIO)」のニック・ネームをもたっらクラウディオ・ビルラの出場でしたが、最終日風邪をひいて欠場、音楽祭初めてのレコード演奏を流し審査の対象としましたが、"悲しみよ今日は"が優勝、"急流"が2位と両曲パートナーをトゥリオ・-パーネとして偉業を果たしました。64年第14回でボビー・ソロが"ほほにかかる涙"を風邪のため「口パク」で出場しましたが優勝出来ませんでした当。この当時、いかにクラウディオ・ビルラの人気が高ったか想像していただけると思います。

 ただパートナーのトゥリオ・パーネは第5回だけしか出場しておらず、この後も出場したこの年の初出場歌手はクラウディオ・ビルラ、ユーラ・デ・パルマ、ナルチソ・パリージだけでした。

 またこの大会からテレビの実況生放送が始まった事を書いておかねばならないでしょう。

これまではチェトラが独占状態だったので、さほど問題のなかったデュエットやコーラス・グループとペアで歌うことが、歌手が別のレコード会社で会場では一緒に歌っても、レコード化する時には一緒に歌えないという事が起こります。時代がすすみ、違うレコード会社同士が有名歌手にデュエットさせ、お互いにバーターでデュエット曲を発売するようになりましたが、当時は考えも及ばないことでした。

 従ってレコードでは自社の違う歌手やコーラス・グループで録音しています。ダウン・ロード・サイトのクレジットは、大会でのペアで表示していますが、実際はレコード音源で、表示と録音された歌手と違う事が多いことを十分認識して購入される事をお薦めします。

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


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サンレモの歌手たち 9 ヴィットリア・モンガルディ、フランコ・リッチ、ナタリーノ・オット

  ★ヴィットリア・モンガルディ (Vittoria Mongardi

1926年2月26日~1975年11月26日ボローニャ生・没、歌手、女優、モデル。

彼女は1940年若くしてリア・アルディ(Ria Gardi)の芸名で女優とモデルの仕事を始めます。

                        Vittoria Mongardi

48年テディー・レーノ(TEDDY RENO)と同じくトリエステで進駐軍のショーの仕事をし48年グイド・チェルゴーリ(GUIDO CERGOLI)のトリエステ・ラジオの番組で歌手デビューをしました。

1950年カルロ・ブーティ(CARLO BUTI)が歌った"SAPEVI DI MENTIRE"をカヴァーし初ヒットとなりました。56年チェトラからミーナがデビューする前のイタルディスク(ITALDISC)に移籍、61年スポーツ・ジャーナリストのピエロ・フィリッピーニと結婚しました。サンレモ音楽祭は第4回4曲を歌ったのみです。

 

国内盤は発売されていません。

 

フランコ・リッチ (Franco Ricci)

本名サルヴァトーレ・セバスチャン(Salvatore Sebastiano)、1916年2月18日~1997年3月18日ナポリ生・没、歌手、俳優。


                 Franco Ricci 
 

 幼い頃から力強いソフトで美しいテノールの声が評判で、ディミトリ・ミトロプーロスから早々と明るい将来を予測され、サン・ カルロ劇場でコンサートとオペラのキャリアが始まります。
 彼の父チロは家族のために家業の工場を継いで欲しくて、当初歌手になる事に反対していました。彼の母親メアリーに援助され、ナポリのサン・ピエトロ・マジェッラ音楽院に入り、1940年リリコの声楽家として卒業しました。

 しかし第二次世界大戦中は軍隊に召集され、戦時高揚ショーに出演し本来の歌手活動が出来ませんでした。1945年終戦となり、彼は経済的理由からオペラを諦めフランコ・リッチという芸名で軽音楽を歌うようになります。グロリア劇場のヴィンチェンツォ・アカンポーラ楽団(Vincenzo Acampora)に入り大変な成功をします。そのおかげでアメリゴ・エスポジートのレコード会社のフォノ・エレクトリコ(Phonoelectro)・レーベルでレコードを出し、ラジオ・ナポリで歌えるようになりました。

 1952年第1回ナポリ音楽祭でニラ・ピッツィをパートナーに"太陽が欲しい(DESIDERIO 'E SOLE)"で優勝、"ナポリ人の手紙(LETTERA NAPULITANA)"、"ナポリの鐘('E CCAMPANE NAPULITANE)"を入賞させた初代ナポリの王者なのです。

 54年ナポリの「爆笑王子」トト(TOTO')ことイタリア世紀の喜劇王アントニオ・デ・クルティス(ANTONIO DE CURTIS)の要請で、フランコ・リッチがナポリの歌手を避けてきたサンレモ音楽祭に1曲だけ、たった一度の出場できました。トトはこの年9位になった"君と共に(CON TE)"を作詩作曲し出品もしています。フランコ・リッチはこの年の第2回ナポリ音楽祭では"三羽の小つばめ(TRE RUNDINELLE)"が第2位、"閉ざされたバルコニ-(BALCONE CHIUSO)"、"二つの涙(DOIE LACREME)"が入賞しています。

その後、映画出演もし歌手を続けますが、1980年代に入り音楽コンサルタントとなり歌手を引退しました。

 

フランコ・リッチの国内盤はこのサンレモの曲、1曲だけしか出ていません。

GXF-  81~90 (1979年 2月5日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)

1-10. 舟は一艘で戻る (...E LA BARCA TORNO' SOLA)

 

          GXF-  81~90GXF-  81~90a

 

ナタリーノ・オット(Natalino Otto)

本名ナターレ・コドニョット(Natale Codognotto)、1912年12月25日~1969年10月4日ミラノ生・没。歌手、レコード・プロデューサー、イタリア・ジャズ・ヴォーカルでスイングの創始者。


                 Natalino Otto


 最初の音楽活動は戦後ジャズ・ヴォーカルのジョー・センティエリ(JOE SENTIERI)やジェノヴァ派自作自演歌手が排出される港町ジェノヴァでした。その後、ジャズの修行のため、大西洋航路で不自由しながらも北米大陸に渡り、35年ニューヨークのイタリア系ラジオ局で働きました。

37年イタリアにもどります。日本と同様アメリカ色の強い歌は禁止となり、ユーラ・デ・パルマ(JULA DE PALMA)も歌っている"ミスター・パガニーニ(MISTER PAGANINI (IF YOU CAN'T SWING IT))"は"MAESTRO PAGANINI"の題に変えざるえず、彼の活動は制限されていきました。

終戦後、アメリカ進駐軍が来ると、ジャズ・ヴォーカルの彼の仕事は忙しくなり、「スウィングの王さま」と呼ばれます。サンレモ音楽祭には第4回4曲、第5回4曲、第7回5曲、第8回3曲、第9回3曲歌い、50年代を代表する歌手の一人となりました。彼は55年フロー・サンドンス(FLO SANDON'S)と結婚しました。

60年代に入ると自分のレコード会社テレ・レコード(TELERECORD)を興しプロデューサーの仕事が中心となります。彼は多作な人で2000曲ほど録音しています。彼の最大の功績はクレモナでミーナを発掘したことでしょう。

 

ナタリーノ・オットの国内盤はGXF-  31~5"カンツォ-ネの歴史"の非売品特典盤と準国内盤(輸入盤に日本のレコード番号やタイトルをつけ、帯や解説の付属品を装備した盤)のみです。

 

GXF-  31~5GXF-  31~5a Q-41Q-41

 

Q-41 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング)  カンツォ-ネの歴史 非売品 特典盤 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA)

5.雨にやむ恋 (NON SI FA L'AMORE QUANDO PIOVE)
※全曲ご覧になりたい方は私のブログ「サンレモの歌手たち 3 オスカー・カルボーニ、ジーノ・ラティルラ
http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/7732932.html)」をご覧ください。

 

KIL-1002(MED・BAR- 002) (CD 2006年MEDIANE - キング・インタ-ナショナル (MEDIANE,Italy)) バー・ローマ (BAR ROMA)

2.僕だって婚約者がほしいよ!母さん (MAMMA VOGLIO ANCHE'IO LA FIDANZATA)

 

  KIL-1002(MED・BAR- 002) KIL-1002




サンレモの歌手たち 8 ジャンニ・ラヴェーラ、クァルテット・チェトラ

ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)

本名ジャンドメニコ・ラヴェーラ(Giandomenico Ravera)、1920年4月9日ローマの北北東200kmアドリア海沿いの小都市キアラヴェッラ(CHIARAVALLe)生、1986年5月14日ローマ没。

 
                    Gianni Ravera 

 日本では歌手としてよりサンレモ音楽祭のオーガナイザーとして知られていた。

 42年国営放送EIARでデビュー、チニコ・アッジェリーニやアルマンド・トロヴァヨーリなどの楽団に所属しました。サンレモ音楽祭は第4回2曲、第7回2曲を歌っている。

 その後プロデューサーに転じ、サンレモ(62年以降17度)、カストロカーロのオーガナイザーの経歴の方が知られています。

 

国内盤は発売されていません。

 

クァルテット・チェトラ(Quartetto Cetra

イタリアのボーカル カルテット、1940年代から1980年代後半まで活動、メンバーはフェリーチェ・キューザ、タタ・ジャコベッティ、ルチア・マンヌッチ、ヴァルジリオ・サヴォーナの紅一点の入った混声合唱です。


                   Quartetto Cetra 

 レコード会社は1941年チェトラからデビューしフォニット、デッカと変わっていましが49年再びチェトラに戻りました。彼らの最盛期の10年を過ごし、59年リコルディに移籍、62年ポリドール、66年CBS、71年カロセッロ、74年アリストンへと移籍していきます。

 ジャズからロック・ン・ロールまで取り入れた幅広いレパートリーと明るいユーモラスナな構成、卓越したヴォーカルのハーモニーを使ったパフォーマンスは同系のコーラス・グループと一線を画す存在でした。幸運にもTVの時代となり60年前半まで人気を保ちました。

サンレモ音楽祭は第4回の6曲のみです。

 

フェリーチェ・キューザ(FELICE CHIUSANO)1922年3月28日、ローマとナポリの中間にある小都市フォンディ(FONDI)生、1990年2月3日ミラノ没。クァルテット・チェトラのメンバーで歌手、ドラマー。

 地元のクラブでギタリシスト兼歌手をしていましたが20才の時にローマに上京し、ドラムを覚えました。国営放送EIARのオーディションに通り、ラジオの楽団歌手として働きます。1941年幾つかあるグループを再編する中でクァルテット・チェトラのメンバーになりました。晩年の70年代、80年代グループの人気が落ちてからは文化活動やイヴェント活動に専念しました。

 

タタ・ジャコベッティ(TATA GIACOBETTI)、本名ジョヴァンニ・ジャコベッティ(GIOVANNI GIACOBETTI)、1922年1月24日~1988年12月2日ローマ生・没。クァルテット・チェトラのメンバーで歌手、ベース奏者、俳優、作詞作曲家。

 独学でベースを学び、ローマ・アカデミア美術院で美術を勉強しながら、夕方は歌手のアルバイトをしていた。1940年四重唱のクァルテット・エジーエ(EGIE)がメンバー変更でクァルテット・リトモ(後にクァルテット・チェトラとなる)の一員となった。彼は40年に及ぶ活動の中で、ラジオ、演劇、テレビ、映画、広告の俳優もし、グループや他の歌手の歌う多くの曲の作詞をしました。

 

ルチア・マンヌッチ(LUCIA MANNUCCI)、1920年5月19日ボローニャ生、2012年3月7日ミラノ没。 クァルテット・チェトラの女性メンバーで歌手、メンバーのヴァルジリオ・サヴォーナ夫人。

 若くしてミラノに出て、ピアニストのリリアナ・レンジ(LILIANA RENZI)に師事しました。国営放送EIARのオーディションに通り、1941年からラジオの楽団歌手として働きます。そしてゴルニ・クラメール、ナタリーノ・オット、クァルテット・チェトラの仕事もアルバイトでしていました。1944年メンバーのヴァルジリオ・サヴォーナと結婚しました。彼女は唯一の女声でもあり、偉大なソロ歌手、ミュージカル女優、テレビ番組の司会者でもありました。第8回8位となった"額ぶちの写真(UNA FOTOGRAFIA NELLA CORNICE)"の作詞をしました。

 

ヴァルジリオ・サヴォーナ、本名アントニオ・ヴァルジリオ・サヴォーナ(ANTONIO VIRGILIO SAVONA)1920年1月1日パレルモ生、2009年8月27日ミラノ没。クァルテット・チェトラのメンバーで歌手、ピアニスト、作曲家。

本当の誕生日は前年12月21日ですが役所への届けが遅れ翌年の元旦になりました。1926年6歳でレナータ・パローニの下で音楽を勉強し始め、2年後聖歌隊に参加し、10才で子供のピアノ演奏番組でラジオ・デビューします。高校を卒業後、ローマ・サンタチェチーリア音楽院に入学しピアノを専攻しました。

40年四重唱のクァルテット・エジーエ(EGIE)のメンバーと出会い、グループを手伝っていましたが44年エンリコ・デ・アンジェリと交代でクァルテット・チェトラの正式なメンバーになりました。同年メンバーのルチア・マンヌッチと結婚しました。62年に楽団リーダーのアルマンド・シャシア(ARMANDO SCIASCIA)とプー(I POOH)やエキペ84(EQUIPE 84)がデヒューしたヴェデッテ(VEDETTE)・レコードを立上げました。

 70年代はピアニスト、指揮者、アレンジャー、プロデューサーとして多くの仕事をしてきました。

 

ジャコベッティとサヴォーナの作品の一部

古い納屋で(NELLA VECCHIA FATTORIA) ゴルニ・クラメールとの共作

プラターズのレコード(UN DISCO DEI PLATTERS)

マルセリーノ覚えてて(RICORDATE MARCELLINO)

トランペットのレコード(IL FONOGRAFO A TROMBA)

太陽とピザと恋(SOLE PIZZA E AMORE)1964年第14回サンレモ音楽祭参加曲

宇宙人になりたい(ロボットだったら SE FOSSI UN MARZIANO)1965年第7回ゼッキーノ・ドーロ入賞曲

 

ジャコベッティの作詞の作品の一部

別れの曲(TRISTEZZE) ショパンの別れの曲、ナタリーノ・オットと共作

クラーパ・ペラーダ(CRAPA PELADA) ゴルニ・クラメール作曲

スカラ座の宵(IN UN PALCO DELLA SCALA) ゴルニ・クラメール作曲

 

サヴォーナの作曲の作品の一部

ラダメスの伝説(LA LEGGENDA DI RADAMES) アジェ作詞

 

クァルテット・チェトラの国内盤 (判明分)

SEP-   7 (FLEX 1962年3月RICORDI - 朝日ソノラマ) 月を見つめて (月光のノクターンGUARDA CHE LUNA)/恋をささやく (愛を唄わん SING AMMORE)

 

SEP-   7SEP-   7 SR- 601~2SR- 601~2a

 

SR- 601~2 (1971年1月15日 SEVEN SEAS - キング) サンレモ音楽祭のすべて第1集 ( FESTIVAL DI SAN REMO (I))

2-10. 青い鱒(LE TROTE BLU)

 

もう1枚気になる国内盤があります。クレジットがなくて彼らと断定できないのですが、彼らがディスニー映画のイタリア版ノサンウンド・トラックを付けていた実績からすると決してあり得ないことではないと思っています。

 

EA-  72 (1960年6月KING -キング) ふしぎな森の物語 (L'INCANTO DELLA FORESTA)/子ぐまのピキソ (?)/くもの巣のワルツ (?) 映画「ふしぎな森の物語」サウンド・トラック盤

 

               EA-  72EA-  72

 

何か情報をお持ちでしたら、教えてください。




サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)  7

  第3回大会の後半、参加曲のデータです。字数制限で前回は入賞曲までしか書けませんでした。今回は参加曲を紹介します。本来なら1大会、ブログ1回で書き終えたいのですが、ハイパー・リンクの制御文字で字数をとられ、思うほど内容が書けません。

 

第4回 1954年1月28日(木)~30日(土) サンレモ市カジノ付属劇場

 

<参加曲> 

◆天なき天使 Angeli senza cielo (E.Valladi)出版社 AMBROSIANAヴィットリア・モンガルディ (vf) Vittoria Mongardi (CETRA - CETRA)不明 [SP] :フロ-・サンドンス (vf) Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) 不明 [SP]

 

◆主の到着 Arriva il direttore (M.Panzeri - G.C.Testoni - Fucilli) 出版社 MANLIOカルラ・ボ-ニ (vf) と ジ-ノ・ラティルラ (vm) Carla Boni, Gino Latilla & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5962 [SP] : クァルテット・チェトラ (coro) Quartetto Cetra (CETRA - CETRA)DC-5973 [SP]

 

                    DC-5962DC-5962

 

◆君はバンビ-ナ Una bambina sei tu (Fabor)出版社 SONG ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla (CETRA - CETRA)DC-5962 [SP] ] : ナタリ-ノ・オット (vm) Natalino Otto (FONIT - FONIT) 14504  [SP]

 

◆紡ぎ女ベルタBerta filava (G.Wilhelm - O.Fiammenghi) 出版社 STOP; CRISOPOLI カルラ・ボ-ニ (vf) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Carla Boni & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5964 [SP] : ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm) Giorgio Consolini (Parlophon - Carisch) TT-9719 [SP]

 

◆カンツォーニ・アラ・スバッラ Canzoni alla sbarra (G.D'Anzi)出版社 D'ANZI ジ-ノ・ラティルラ (vm) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Gino Latilla & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5970 [SP] : クァルテット・チェトラ (coro)  Quartetto Cetra* (CETRA - CETRA)DC-5973 [SP]

*ページが開いたら「suoneria」ボタンをクリックし、「ll ポーズ」ボタンをクリックしてみてください。

 

                     DC-5970DC-5970b

 

◆チリリーノ・チ Cirillino ci (N.Rastelli - V.Mascheroni) 出版社 MASCHERONI カルラ・ボ-ニ (vf) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Carla Boni & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5969 [SP] : クァルテット・チェトラ (coro) Quartetto Cetra (CETRA - CETRA) DC-5972 [SP]

 

◆日記Un diario (A.Locatelli - F.Bergamini)出版社 SCHAEFFERSカルラ・ボ-ニ (vf) Carla Boni (CETRA - CETRA) DC-5971 [SP] : クァルテット・チェトラ (coro) Quartetto Cetra (CETRA - CETRA)DC-5972 [SP]

 

◆生きる歓びGioia di vivere (C.A.Bixio)出版社 BIXIO アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5968 [SP] : ジャンニ・ラヴェ-ラ (vm) Gianni Ravera (COLUMBIA - V.C.M.) 不明 [SP]

 

◆ピリピッキオとピリピッキアPiripicchio e Piripicchia (Tarcisio - Fusco) 出版社 TEMIジ-ノ・ラティルラ (vm) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Gino Latilla & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5964 [SP] :クァルテット・チェトラ (coro) Quartetto Cetra (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

                         DC-5964DC-5964

 

◆ばら Rose (Oggi i tempi son cambiati) (Biri - G.Viezzoli) 出版社 TIBERヴィットリア・モンガルディ (vf) Vittoria Mongardi (CETRA - CETRA) DC-5963 [SP] : カティ-ナ・ラニエリ (vf) Katyna Ranieri (CETRA - CETRA) DC-5971 [SP]

 

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第3回まですべての曲のサンプル音声ファイルが見つかりましたが、遂に今回第4回大会で1曲だけどうしても見つからない曲が出てきました。ジーノ・ラティルラの歌った参加曲"君はバンビ-ナ Una bambina sei tu"です、有りそうな雰囲気なのですが、何故か見つかりません。12月6日見つけましたので、貼り付けました。

 他の曲でもパートナーの歌手が違うのに同じ音声ファイルが使われている歌が何曲か有りました。サンプルファイルが違うだけならよいのですが、有料の音声ファイルまで違っていれば困った話です。いままでアマゾンのサンプル音声ファイルを使っていましたが、セルジョ・エンドリゴの時にもまったく違う曲がはいっていました。 また、オリジナル・ヴァージョンを探してる方も、オリジナルでないことも多いので、ダウン・ロードで購入される方は気を付けてください。

 

http://www.music-bazaar.com/italian-music/albums/view/id/159306/name/Sanremo-1954

 

第3回まではナポリの歌手は出場していませんでしたが、初めてただ一度で1曲だけのフランコ・リッチが出ました。ナポリ音楽祭は、戦前のピエディグロッタ音楽祭からの実績もあり、サンレモ音楽祭もいわば模倣でした。また前第3回よりダブル・キャストにしたのも、52年に第1回ナポリ音楽祭がダブル・キャストで始めた影響だと思います。

  Vittoria Mongardi  Quartetto Cetra  Gianni Ravera
  Vittoria Mongardi     Quartetto Cetra            Gianni Ravera

 

 音楽祭も4回目を迎えると一般的には飽きられたり、色々な問題も起きてきます。チニコ・アンジェリーニとニラ・ピッツィの確執はどの様なことだったか知りませんが、問題は起きてきたようです。他にも名前は出しませんが、出場者の中で「色恋沙汰」も起きていたようなこともネット上では書いてありました。

 全体としてはずば抜けて目立つ曲はなく、優勝曲と第2位カティーナ・ラニエリの"二文の歌"が際立つ位いでしたが、見方を変えれば全体にどの曲も良くできた佳作揃いともいえます。特にクァルテット・チェトラの一度だけの初出場は大会に活気を与えたと思われます。歌を聴いているだけでヴァラエティに富みますが、相当なパフォーマーなので、舞台もきっと華やいだと思われます。

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。




サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)  6

  前年第3回大会がカレンダーの巡りで週末開催となりました。やはりイベントは週末に開催するのが良いと分かったのか第4回も週末開催となりました。日本なら最終日を日曜にとするところですが、敬虔なキリスト教カトリックの国、日曜は教会へミサに行く日です。(日曜はミサに!)

初出場歌手はフランコ・リッチ(Franco Ricci(vm))、ナタリ-ノ・オット (Natalino Otto (vm))、ヴィットリア・モンガルディ (Vittoria Mongardi (vf))、クァルテット・チェトラ (Quartetto Cetra (coro))、そしてジャンニ・ラヴェ-ラ(Gianni Ravera (vm))、我々が最もなじみ深い1962年から68年までオーガナイザーをした彼がこの年から歌手として出場しています。

サンレモの女王ニラ・ピッツィはチェトラ・レコードに残っているものの、チニコ・アンジェリーニとの間に亀裂が深まり、翌55年RCAイタリアーナに移籍し54年から57年まで欠場します。

そのような状況の下、ニラ・ピッツィに似たヴィットリア・モンガルディが急きょ出場歌手に抜擢されます。女優、モデルとしても活躍していましたが、歌手の実力はニラ・ピッツィとは格が違い、直ぐにミーナがデビューする前のイタルディスクに移籍してしまいます。

      Franco Ricci     Natalino Otto
     Franco Ricci(COLUMBIA)           Natalino Otto (FONIT)

 

審査はカジノ劇場の観客70名とRAIの放送地区14ブロックから選ばれた210名が1日目、2日目、最終日とそれぞれに選ばれ審査にあたりました。イタリアのTV放送はこの20日後に開始され、実際の中継は行われませんでしたが、2月2日トリノのアルフィエーリ劇場で行われた「サンレモのカンツォーネ」の催しがTV中継されました。そしてラジオの単独中継はこの第4回が最後となりました。

 

第4回 1954年1月28日(木)~30日(土) サンレモ市カジノ付属劇場

司会:ヌンツィオ・フィロガーモ (Nunzio Filogamo)

楽団指揮:チニコ・アンジョリーニ (Cinico Angelini)、アルベルト・センプリーチ(Alberto Semprini)

オーガナイザー:イタリア放送協会(RAI) ;サンレモ市カジノ場(Casino di Sanremo)

形式:出場曲数20曲。1曲2歌唱で2夜に各10曲を歌い、各夜5曲ずつを入賞曲を選出し、最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。.

 

<優勝> 美しいママ Tutte le mamme (U.Bertini - E.Falcocchio)出版社 FALCOCCHIO ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla (CETRA - CETRA) DC-5970 [SP] :ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm)  Giorgio Consolini (Parlophon - Carisch) TT-9724 [SP]

 

DC-5970DC-5970a TT-9724TT-9724a

 

<2位> 二文の歌 Canzone da due soldi (Pinchi - C.Donida) 出版社 RICORDI アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5962 [SP] :カティ-ナ・ラニエリ (vf)  Katyna Ranieri (CETRA - CETRA)DC-5976 [SP]

 

DC-5962DC-5962 DC-5976DC-5976a

 

<3位> 舟は一艘で戻る ...E la barca tornò sola (G.Fiorelli - M.Ruccione) 出版社 SUVINI ZERONI ジ-ノ・ラティルラ (vm) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Gino Latilla & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5966 [SP] : フランコ・リッチ (vm) Franco Ricci (Columbia - V.C.M.) CQ-2691 [SP]

 

<入賞曲>

4位 夜想曲 Notturno... (per chi non ha nessuno) (F.S.Mangieri)出版社 MUSIC UNION ヴィットリア・モンガルディ (vf) Vittoria Mongardi (CETRA - CETRA)DC-5967 [SP] : ナタリ-ノ・オット (vm) Natalino Otto (FONIT - FONIT)14507 [SP] 

 

5位 決して遅すぎない Non è mai troppo tardi (D.Olivieri)出版社 SETTE NOTE カルラ・ボ-ニ (vf)  Carla Boni (CETRA - CETRA) DC-5966 [SP] :フロ-・サンドンス (vf) Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) A-10310 [SP]

 

6位 マントの襟Aveva un bavero (M.Panzeri - V.Ripa) 出版社 TEVERE ヴィットリア・モンガルディ (vf) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Vittoria Mongardi & Duo Fasano (CETRA - CETRA)DC-5963 [SP] :クァルテット・チェトラ (coro)  Quartetto Cetra (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

                     DC-5963DC-5963

 

7位 傘の下 Sotto l'ombrello (N.Casiroli)出版社 SONORFILMジ-ノ・ラティルラ (vm) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo)  Gino Latilla & Duo Fasano (CETRA - CETRA)DC-5969 [SP] : カティ-ナ・ラニエリ (vf) と ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm) Katyna Ranieri & Giorgio Consolini (CETRA - CETRA : PARLOPHON - CARISCH) TT-9724* Giorgio Consolini & Liliana Feldmann [SP]

 

                        TT-9724TT-9724b

 

8位 かわいい花嫁さん Mogliettina (S.Seracini)出版社 SUCCESSO アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5968 [SP] : ナタリ-ノ・オット (vm) Natalino Otto (FONIT - FONIT) 14504 [SP]

 

                   DC-5968DC-5968

 

9位 君と共に Con te (A.De Curtis) 出版社 R.P.D. アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA)DC-5967 [SP] :ナタリ-ノ・オット (vm) と フロ-・サンドンス (vf) Natalino Otto & Flo Sandon's (FONIT - FONIT 14500 [SP] : DURIUM - DURIUM不明 [SP])

          14500 14500

 

10位 ひとりぼっちのかわいい子ちゃん Donnina sola (S.Simoni - M.Casini) 出版社 BOLERO アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA)DC-5966 [SP] :ナタリ-ノ・オット (vm) Natalino Otto (FONIT - FONIT) 14498 [SP]

 

          14498 14498

 

今まで参加できなかった英国資本の色濃いV.C.M.がフランコ・リッチの参加1曲だけですが割込む事が出来ました。この事は象徴の一つですが、初期サンレモ音楽祭での変化の始まりの年となりました。参加曲は次回に続きます。




サンレモの歌手たち 7 テディー・レーノ

チェトラ以外のレコード会社の歌手達も参加し、その後の活躍で戦後カンツォーネ史に名を残す人たちが、出場するようになりました。今回はテディー・レーノの項目の後に、前回書きましたカティーナ・ラニエリの続き(後半)を乗せています。お読みになり混乱なさらないようお願いします。

★テディー・レーノ (Teddy Reno)
本名フェルッチョ・メルク・リコルディ(Ferruccio Merk Ricordi)、1926 年7月11日スロヴェニア国境近くの小都市トリエステ(TRIESTE)、生、歌手、プロデューサー、俳優。リタ・パヴォーネのご主人。
 
                 Teddy Reno

 彼はエンジニアの父ジョルジョ・ メルクの子として生まれ、父はユダヤ人を祖先とするローマ貴族の末裔パオラ・サングイネッティのオーストリア・ハンガリー家系の出身でした。

彼は1938 年のリミニで開かれたアマチュア コンテストで “あなたは音楽(TU SEI LA MUSICA)” を歌いデビュー。メルク家はその後9月8日から1944年6月までドイツ人として身元を隠し、リミニ近郊のミラノ・マリッティマで身を隠していました。12月フェルラーラに移動し、ドイツ軍にユダヤ人として捕えられコディゴーロ(CODIGORO)収容所に送られました。
まもなく終戦となり命拾いをし、トリエステの進駐軍放送で再デビューをしました。その関係でトリノのRAIで進駐軍の仕事をしていたピッポ・バルツィッザ(PIPPO BARZIZZA)の楽団に入りました。48年父の財力でレリオ・ルッタツィ(LELIO LUTTAZZI)※を文芸部長にし自分のレコード会社CGDを興し、自らのヒット曲を出しました。58年、彼は出資者のラディスラオ・シュガー(LADISLAO SUGAR)に全株式を譲渡、RCAイタリアーナに移籍します。
※レリオ・ルッタツィの関連事項は私のブログ「ジリオラ・チンクェッティ~アルバム・コレクション(20)」(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/6820431.html)にも書いてあります、ご参照ください。
 
サンレモ音楽祭は第3回5曲、第9回3曲、第10回2曲、第11回2曲を歌っています。61年、元の自分の会社CGDの新レーベルGALLERIA DEL CORSOに再移籍をします。レコード歌手活動はこの頃で終わります。移籍と同時に、プロデューサー活動で「アリッチャの名もなき者の音楽祭(FESTIVAL DEGLI SCONOSCIUTi DI ARICCIA)」を主宰、62年優勝者リタ・パヴォーネとその後、「年の差婚」で反対も多かった結婚をしました。その他の発掘した歌手ディーノ、マル、マルチェラ、クラウディオ・バリオーニなどが巣立って行きました。

SS-1144 (1959年6月VICTOR – 日本ビクター) 雨が降る (チャオ・チャオ・バンビ-ナ PIOVE)/ネッスーノ (NESSUNO)

SS-1144SS-1144
  SS-1207SS-1207  

SS-1144 (1960年5月VICTOR – 日本ビクター) ロマンティカ (ROMANTICA)/リベロ (LIBERO)  レナ-ト・ラシェル (RENATO RASCEL (vm))/テディー・レーノ (TEDDY RENO (vm))

MH- 191 (1965年4月SEVEN SEAS – キング) 一緒にカンツォーネを歌おう第2集 (LE PIU' BELLA CANZONI Vol.2)
13.カナダの小さな小屋 (CASETTA IN CANADA)

MH- 191MH- 191
  MH- 203MH- 203 

MH- 203 (1965年7月SEVEN SEAS – キング) 一緒にカンツォーネを歌おう第5集 (LE PIU' BELLE CANZONI Vol.5)
6.待ちましょう (TORNERAI)

MR- 1~2 (1965年11月SEVEN SEAS – キング) カンツォーネ大全集 (LE PIU' BELLE CANZONI Vol.5)
9.スクーザミ (SCUSAMI)

MR- 1~2MR-   1~2
  SR- 607~8SR- 607~8 

SR- 607~8 (1971年4月10日 SEVEN SEAS – キング) カンツォニッシマのすべて第1集 (CANZONISSIMA (I))
11.アリヴェデルチ・ローマ (ARRIVEDERCI ROMA)

GXF- 31~5 (1976年6月21日SEVEN SEAS – キング) カンツォ-ネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA) 5LP Box
3―19. アリヴェデルチ・ローマ (ARRIVEDERCI ROMA)
4―3.カナダの小さな小屋 (CASETTA IN CANADA)

GXF- 31~5GXF-  31~5
  BVCM-37063~72BVCM-37063^72 

BVCM-37063~72 (CD 2000年3月23日 RCA – BMGファンハウス) エンニオ・モリコ-ネ・クロニクル (THE ENNIO MORRICONE CHRONICLES) 10CD Box
12. ひと夏の恋 (QUANDO FINISCE L'ESTATE)
13. 千人の中のひとりの女 (UNA FRA MILLE)


サンレモの歌手たち 6 カティーナ・ラニエリ

 

カティーナ・ラニエリ(KATYNA RANIERI

1927年8月15日、ローマとジェノバの中間にある小都市フォッローニカ(FOLLONICA)生まれ、歌手、女優、映画音楽で有名な作曲家リズ・オルトラーニ(RIZ ORTOLANI)夫人。

  
                     Katyna Ranieri

戦後すぐにアメリカ進駐軍のクラブ歌手としてデビューし、その後ファンフッラ(FANFULLA)やティノ・スコッティ(TINO SCOTTI)のバラエティ・ショーのスーブレット(侍女)として参加しました。

 1953年彼女はサンレモ音楽祭に4曲歌ってデビューします。アキレ・トリアーニと歌った"ノ-・ピエロット(NO, PIERROT)"が最終選に残りましたが、この年の最大の成功はカルロ・アルベルト・ロッシの斬新な作曲の"苦い水(ACQUE AMARE)"でした。翌年第4回も4曲歌い"二文の歌(CANZONE DA DUE SOLDI)"が2位となり成功をおさめました。54年サンレモ音楽祭後、RCAイタリアーナに移籍します。

美しく、魅力的なカティーナ・ラニエリはその繊細でしなやかな声のおかげで、官能的なジャズを歌う力を付けジャス・シンガーにもなりました。彼女は航空会社役員の息子と最初の結婚しましたが離婚、リズ・オルトラーニとメキシコ・シティで1956年に再婚(当時は離婚法が有りませんでした※)しました。 ラテン・アメリカの長いツアー中、メキシコのテレビ放送で「オルトラーニ・ショー」に彼女は一緒に出演し大ヒットし、メキシコやアメリカでアルバムも録音しました。

 ツアーから戻って、1960年5月彼女に重婚罪で懲役8ヶ月が決定します。その後1964年、娘が生まれリズ・オルトラーニとの結婚がやっと認められました。

 1962年国際的な成功をします。リズ・オルトラーニが音楽を担当した映画「世界残酷物語(MONDO CANE)」の"心の奥底に (TI GUARDERO' NEL CUORE)"、英語では"モア(MORE)"が大ヒットします。彼女に与えられた称号は「世界で最初にリズ・オルトラーニを歌う」歌手でした。結婚のトラブルから拠点をアメリカに移し、所属レーベルもMGMだった彼女も、イタリアでのMGMの販売権がCGDからリコルディに移る頃には、アメリカ・ロンドンでアルバムを作っています。

 晩年、ミラン・レーベルでニーノ・ロータとコラボレーションし、彼の映画音楽を歌ったアルバムを出し話題になりました。

 

※イタリアの離婚法 ジリオラ・チンクェッティ~シングル盤コレクション(11) 2247(CGD) (1974CGD - CBS SUGAR, Italy) SI' (夢はめぐり来てをご覧ください

 

それではカティーナ・ラニエリの国内盤を見ていきましょう。

 

ES-5029 (1956年1月VICTOR - 日本ビクター) モンマルトルの丘 (LA COMPLAINTE DE LA BUTTE)/真夜中のボレロ (BOLERO DE MINUIT) ヴィヴィアンヌ・シャンテル (VIVIANE CHANTE)/カティーナ・ラニエリ (KATYNA RANIERI)

 

ES-5029ES-5029 EP-1109EP-1109

 

EP-1109 (1956.年1月VICTOR - 日本ビクター) EP盤
3.はだしのボレロ (LA CONTESSA SCALZA)
4.ひと知れぬ恋 (AMORE SENZA NOME)

ZL-5042 (1960年4月MGM - 日本コロムビア) ライオン・スクリーン・ムード第4集 (LION SCREEN MOOD Vol.4) 25cmLP
5. 激しく愛して (日曜はダメよ UNO A TE' UNO A ME')

ZL-5042ZL-5042 LL- 2096LL- 2096

 

LL- 2096 (1960年12月MGM - 日本コロムビア) 激しく愛して (日曜はダメよ UNO A TE' UNO A ME')/私の幸福 (LA MIA FELICITA)

 

IF-   5 (1962年2月10日 KING INTERNATIONAL(CGD) - キング) ナポリ民謡祭 (FESTVAL DI CANZONE NAPOLITANA 1961) 25cmLP
3.クントローラ (CUNTRORA)
6.たつのおとしご (CAVALLUCCIO 'E MARE)

               IF-   5IF-   5

 

IS-1064 (1962年9月10日 KING INTERNATIONAL(CGD) - キング) 世界残酷物語 (MONDO CANE)/心の奥底に(TI GUARDERO' NEL CUORE)

 

IS-1064IS-1064 HIT- 166HIT- 166

 

HIT- 166 (1963年SEVEN SEAS - キング) 世界残酷物語 (MONDO CANE)/心の奥底に (TI GUARDERO' NEL CUORE)

 

17Y-  18 (1963年1月 SEVEN SEAS - キング) イタリア映画主題曲集 (ITALIAN FILM THEMES)
1.世界残酷物語 (TI GUARDERO' NEL CUORE)

           17Y-  1817Y-  18

国内盤は未入手ですが、オリジナルのジャケット画像を見つけました。東芝はそのまま出すことも多いので、参考として載せました。

HV-1149 (1963年5月ODEON -東芝音楽工業) 情熱のメキシコ (MEXICO BELLO)
1.ラ・マラゲーニャ (LA MALAGUEN~A)
2.ククル・クク・パロマ (CUCURUCUCU PALOMA)
3.熱帯の小道 (VEREDA TROPICAL)
4.グァダラハラ (GUADALAJARA)
5.ドゥエルメ (DUERME)
6.マリア・ボニータ (MARIA BONITA)
7.アモール (AMOR)
8.流れだま (DESESPERADAMENTE)
9.フレネシー (FRENESI')
10.マドリッド (MADRID)
11.望みも失せて (BALA PERDIDA)
12.ラ・クカラチャ (LA CUCARACHA)

(HV-1149参考)ED-476ED-476 HIT- 197NO IMAGE小

HIT- 197 (1963年8月LONDON - キング) モアー(TI GUARDERO' NEL CUORE)/ハロー・ハロー (HELLO-HELLO)

 

DM-1027 (1965年2月25日MGM -日本グラモフォン) 黄色いロールス・ロイス (GOING TO SARIANO)/明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI [E]) リズ・オルトラ-ニ楽団 (RIZ. ORTOLANI (orch))/カティ-ナ・ラニエリ (KATYNA RANIERI (vf))

 

DM-1027SKM-1036SMM-1032
DM-1027           SKM-1036                      SMM-1032

 

SKM-1036 (1965年8月 MGM -日本グラモフォン) 黄色いロールス・ロイス (I THE YELLOW ROLLS-ROYCE)
2.明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI [E])
4. ナウ・アンド・ゼン(NOW AND THEN)

SMM-1032 (1965年8月 MGM -日本グラモフォン) 黄色いロールス・ロイス (I THE YELLOW ROLLS-ROYCE)
3.明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI (FAST TEMPO))
7.明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI (SLOW TEMPO))
8.ナウ・アンド・ゼン (NOW AND THEN)

HIT- 481 (1965年3月LONDON -キング) 地の果てまでも (GOING TO SARIANO)/愛の歌 [英] (SING SAGAPO [E])

 

HIT- 481HIT- 481 SLH-  25SLH-  25

 

SLH-  25 (1965年5月1日 LONDON - キング) 地中海の休日 (MEDITERRANEAN HOLIDAY)

3.序曲 地中海の休日(地の果てまでも) (WHERVER YOU MAY GO)
6.信仰をもって (HAVE FAITH)
11.愛の歌 [英] (SING SAGAPO [E])
13.地の果てまでも (WHERVER YOU MAY GO)

 

前回よりのつづき

MH- 191 (1965年4月 SEVEN SEAS - キング) 一緒にカンツォ-ネを歌おう第2集 (LE PIU' BELLA CANZONI Vol.2)
4. 心の奥底に (モアー) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

MH- 191MH- 191 SMM-1053SMM-1053

SMM-1053 (1965年11月 MGM -日本グラモフォン) スクリーン・メモリーズ '65 (SCREEN MEMORIES '65)
10.明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI (SLOW TEMPO))

MR- 7~8 (1965年12月 SEVEN SEAS - キング) 続・カンツォ-ネ大全集 (THE BEST OF CANZONE Vol.2)
1-5. 心の奥底に (モアー) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

MR- 7~8MR-   7~8a SLX3-1001(M)SLX3-1001(M)

SLX3-1001(M) (1966年10月10日 SEVEN SEAS - キング) 豪華版サン・レモのすべて (TUTTE LE CANZONI DI SAN REMO)
1-7. 二文の歌(CANZONE DA DUE SOLDI)

SMM-2007 (1968年2月5日 MGM - 日本グラモフォン) 不滅のサウンド・トラック・ゴールデン・アルバム (THE GREATEST SOUND TRACK ALBUM)
6.明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI (SLOW TEMPO))

SMM-2007SMM-2007 MM-9058~9MM-9058~9

MM-9058~9 (1970年4月10日 MGM - 日本グラモフォン) ザ・グレイテスト・サウンド・トラック/ゴールデン・アルバム (GOLDEN DOUBLE ALBUM/THE GREATEST SOUND TRACKS)
2-5.明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI (SLOW TEMPO))

GW- 1~2 (1968年10月20日 SEVEN SEAS - キング) ゴールデン・カンツォーネ・ダブル・デラックス (GOLDEN CANZONE DOUBLE DELUXE)
1-5. モアー (心の奥底に) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

GW- 1~2MR-   1~2 GW- 63~4GW-  63~4

GW- 63~4 (1970年3月 SEVEN SEAS - キング) ゴールデン・カンツォーネ・ダブル・デラックス (GOLDEN CANZONE DOUBLE DELUXE)
2-13. 心の奥底に(モアー) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

GW- 310~2 (1970年12月1日 SEVEN SEAS - キング) 決定盤!カンツォーネ大全集 (GOLDEN CANZONE BEST HITS)
3-3. モアー (心の奥底に) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

GW- 310~2GW- 310~2a SR- 601~2SR- 601~2a

SR- 601~2 (1971年1月15日 SEVEN SEAS - キング) サンレモ音楽祭のすべて第1集 (FESTIVAL DI SAN REMO (I))
1-9. 二文の歌(CANZONE DA DUE SOLDI)

SS-2160 (1972年4月RCA - 日本ビクター) ・マイ・ラブ (OH MY LOVE)/残酷大陸のテーマ (ADDIO ZIO TOM) カティ-ナ・ラニエリ (KATYNA RANIERI (vf))/リズ・オルトラ-ニ楽団 (RIZ. ORTOLANI (orch))

SS-2160SS-2160 RCA-5002RCA-5002

RCA-5002 (1972年5月 RCA - ビクター音楽産業) ヤコペッティの残酷大陸 (ADDIO ZIO TOM)
1.オー・マイ・ラブ (OH MY LOVE)

RCA-5005 (1972年6月 RCA - ビクター音楽産業) イタリア映画サントラ集 (SACCO E VANZETTI)
11.オー・マイ・ラブ (OH MY LOVE)

RCA-5005RCA-5005 GW- 205~6GW- 205~6a

GW- 205~6 (1972年8月 SEVEN SEAS - キング) 歌に聞く華麗なる映画の世界 (SONGS FROM SCREEN THEMES)
2-9. モアー (心の奥底に) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

GW- 233~4 (1973年1月 SEVEN SEAS - キング) 忘れな草から ガラスの部屋 まで (CANZONE ON CINEMA DOUBLE DELUZXE)
1-6. モアー (心の奥底に) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

GW- 233~4GW- 233~4a MM-3001NO IMAGE小.jpg

MM-3001 (1975年4月 MGM - 日本グラモフォン) 風と共に去りぬ
10.明日を忘れて [英] (FORGET DOMANI (SLOW TEMPO))

GXF- 81~90 (1979年 2月5日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)
1-9. 二文の歌(CANZONE DA DUE SOLDI)

           GXF- 81~90GXF-  81~90a

K30Y- 2168 (CD 1988年11月5日 SEVEN SEAS - キング) 決定盤!カンツォ-ネ・ベスト20 (CANZONE BEST 20)
18. モアー (心の奥底に) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

K30Y- 2168K30Y- 2168 NFA-91801~10NFA-91801~10

NFA-91801~10 (CD 1991年JAZZY -ジャジー・プランニング) エンサクロペディア・オブ・カンツォ-ネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) 非ライセンス商品
1-6. 二文の歌(CANZONE DA DUE SOLDI)
6-13. モアー (心の奥底に) (TI GUARDERO' NEL CUORE)

BVCP- 1042 (CD 1994年1月21日 RCA -BMGビクター) ヤコペッティの残酷大陸 (ADDIO ZIO TOM)
1. オー・マイ・ラブ (OH MY LOVE)

BVCP- 1042BVCP- 1042.gif KICX- 7067KICX- 7067

KICX- 7067 (CD 1999年11月3日 SEVEN SEAS - キング) 甘い生活~イタリア映画サントラ集  Vol.1 (LA DOLCE VITA・ITALIAN FILM MUSIC 1955-1970)
7. 世界残酷物語 (心の奥底に) (MORE (TI GUARDERO' NEL CUORE))

KICP- 830 (CD 2001年7月25日 SEVEN SEAS - キング) 甘究極のマカロニ・ウェスタン・サントラ主題歌大全集 (THE ULTIMATE SPAGHETTI WESTERNS)
8. 左利きのガンファイター (JONNY WEST IL MANCINO)

             KICP- 830KICP- 830

やはり日本では映画音楽中心で紹介されています。




サンレモの歌手たち 5 フロー・サンドンス

   チェトラ以外のレコード会社の歌手達も参加し、その後の活躍で戦後カンツォーネ史に名を残す人たちが、出場するようになりました。

 

フロー・サンドンス (FLO SANDON'S)

本名マンモーラ・サンドーニ(MAMMOLA SANDONI)、1924年6月29 日ヴィチェンツァ(VICENZA)生、2006年11月16日ローマ没。

                     Flo Sandon's

彼女の歌手デビューは戦争中の1944年に赤十字主催のショーで始めた歌いました。芸名のサンドンスは最初のアルバムのレーベルが「SANDON'S」と 誤植されたことが由来でした。

フロー・サンドンスとカルラ・ボーニは共にサンレモ音楽祭の初参加でしたが女王ニラ・ピッツィ(Nilla Pizzi)に打ち勝ちました。新聞は"秋の並木道"は最初はニラ・ピッツィに提示されたが、削除された曲をカルラとフロー組が歌うことになったと報道されましたが、どう見ても悪意かヤッカミだったと思えます。

フロー・サンドンスは第3回サンレモ音楽祭に初出場(3曲)で初優勝しました。彼女は第4回3曲、第7回3曲、第10回1曲、第12回2曲、第13回2曲で出場しましたがこれ以上の成功をすることができませんでした。彼女は1960年第8回ナポリ音楽祭で"マルジェリーナのセレナード(SERENATA A MARGELLINA)"をマリーノ・マリーニ楽団にもいたルッジェロ・コーリ (RUGGERO CORI)をパートナーに歌って優勝しました。

1955年フローはナタリーノ・オットー(NATALINO OTTO)と結婚し娘シルヴィアを産みました。二人は数年間、国内外で夫婦の音楽活動をしていましたが、最大の功績はクレモナで新しい才能、ミーナを発見したことでしょう。

フローサンドンスはその後、メジャー・デビューしたドリウムに1963年まで在籍し、1964年ルチアノ・タヨーリがいるテレ・レコード(TELE RECORD)に移籍しました。夫ナタリーノ・オット(洒落かい!)の作った会社です。

 

RANK-1096 (1961年3月TOP RANK -日本ビクター) 17才よさようなら (ARRIVEDERCI)/ウィズ・オール・マイ・ハート (IO TIAMO CON TUTTO IL CUORE)  フロー・サンドンス (FLO SANDON'S)/ルッジェロ・コ-リ {マリ-ノ・マリ-ニ楽団} (RUGGERO CORI {MARINO MARINI Quitet}

           RANK-1096 RANK-1096

 

SCO-4001 (1961年SEECO -日本ビクター) 月影のマジョルカ~ヒット・パレード・ベスト10 (YOUR HIT PARADE!)  25cmLP
6.17才よさようなら (ARRIVEDERCI)

SCO-4001SCO-4001 JET-4010JET-4010a   

 

JET-4010 (1962年TOP RANK - 日本ビクター) スクリ-ン・テ-マ・イタリア-ナ (ITALIAN SCREEN THEMES)  25cmLP

9. 激しい季節 (ESTATE VIOLENTA)
10. 17才よさようなら (ARRIVEDERCI)

 

JET-4037 (1962年TOP RANK - 日本ビクター) サンレモの歌祭り (FESTIVAL DI SANREMO 1962)  25cmLP

6. 天国を前にして (PRIMA DEL PARADISO)
7. 時は過ぎゆく (PASSA IL TEMPO)

 

JET-4037JET-4037 JET-4053JET-4053

 

JET-4053 (1963年GLOBE- 日本ビクター) 史上最大の作戦 (SCREEN MUSIC HIGHLIGHTS)  25cmLP

5. アル・ディ・ラ (AL DI LA')
8. 夜をかえして (RETIENS LA NUIT)

 

RANK-5070 (1962年TOP RANK - 日本ビクター) 夢のナポリタ-ノ(LUNA NAPOLETANA)
9. 17才よさようなら (ARRIVEDERCI)
10. ラ・ゴンドリエ (CON TUTTO E CUORE)

16. サヨナラ [伊・英] (SAYONARA [I・E])


RANK-5070RANK-5070 JET-7086JET-7086

 

JET-7086 (1962年11月TOP RANK - 日本ビクター) 追憶のアメリカ映画主題歌集(AMERICAN SCREEN MEMORIES)
2.キッス (私にキスして)[英] (KISS [E])
3.
ジャニ-・ギタ- [英] (JOHNNY GUITAR [E])
4.帰らざる河 [英] (THE RIVER OF NO RETURN [E]])
6.ママ・ギタ- [英] (MAMA GUITAR [E])
7.サヨナラ [伊・英] (SAYONARA [I・E])
9.雨の朝パリに死す [伊] (THE LAST TIME I SAW PARIS [I])
10. ケ・セラ・セラ [英] (QUE SERA SERA [E])

 2.3.7~10. フロ-・サンドンス; 4.フロ-・サンドンスとノ-マン・ロ-レンス; 6. フロ-・サンドンスとクァルテット・ラダ-ル

 

JET-7087 (1962年11月TOP RANK - 日本ビクター) 追憶のヨーロッパ映画主題歌集(EUROPIAN SCREEN MEMORIES) 現物を探しております。せめてジャケット画像だけでも!
2.
ジェルソミ-ナ (GELSOMINA)
3.ボンジュール・パリ (BONJOUR PARIS)
4.マンボ・バカン (MAMBO BACAN)
5.
アンナ (EL NEGRO ZUM BON)
12.激しい季節 (ESTATE VIOLENTA)
13.リフィフィ (LE RIFIFI)

 ※最後にシルヴァーナ・マンガーノとクレジットされたサントラ・ヴァージョンを載せています。聞き比べてください。両方混同されていますが、イントロから違っています。

 

JET-7087JET-7087 JET-7110JET-7110

 

JET-7110 (1963年2月GLOBE - 日本ビクター) 哀愁のスクリーン・テーマ(GOLDEN SCREEN THEMES)
2. ローマの秋 (AUTUMN IN ROME)
14.アル・ディ・ラ (AL DI LA')

JET-7144 (1963年8月GLOBE - 日本ビクター) サンレモの夜はふけて(FESTIVAL DI SANREMO)
6.思い出の街角 (SE PASSERAI DI QUI)
7.このままいつまでも (VORREI FERMARE IL TEMPO)
9.アル・ディ・ラ (AL DI LA')

JET-7144JET-7144 SJET-7674SJET-7674

 

SJET-7674 (1965年7月GLOBE - 日本ビクター) サンレモ優勝曲全集(FESTIVAL DI SAN REMO)
1.花をありがとう (GRAZIE DEI FIORI)
3.秋の並木道 (VIALE D'AUTUNNO)
11.アル・ディ・ラ (AL DI LA')

VFC-5001~11 (1973年GLOBE - ビクタ-ファミリークラブ) ビクター・ゴールデン・アルバム世界の旅情~ボラーレ/太陽のカンツォーネ(VORARE) 通販物12枚組の内の1枚
2-3.アル・ディ・ラ (AL DI LA')

                VFC-5001~11VFC-5001^11b 

 

※この他にイタリア映画「アンナ」の主題曲"エル・ネグロ・ズン・ボン(EL NEGRO ZUM BON)"はシルヴァーナ・マンガーノの歌の部分をフロー・サンドンスが吹き替えたと言われています。サンドンスのクレジットされたヴァージョンとサントラ・ヴァージョンは明らかに違っています。

 盤自体はニラ・ピッツィとカップリングなので紹介済みですが、ほかにSP盤もあり、しかもニラ・ピッツィの項で紹介した国内EP盤(オリジナルの米盤も)がイタリア盤ではニラ・ピッツィの曲もすべてフロー・サンドンス名のクレジットになっており、もう一度この関係分の盤は詳しく書きたいと思っています。

 

MGM-  98 (19?年MGM -日本コロムビア) アンナ(EL NEGRO ZUM BON)恋をした(T'HO VOLUTO BENE) シルヴァ-ナ・マンガ-ノ {フロ-・サンドンス} (FLO' SANDONS { SILVANA MANGANO } (vf) SP

 

                      MGM-  98MGM-  98 

 

60年代になると「サンレモ」の名前が出ますが、それまでは映画音楽でないと売れなたっかようです。残念ながら、国内盤ではフロー・サンドンスの顔写真が載っているジャケットはありません。カルラ・ボーニを日本なら雪村いずみとしましたが、フロー・サンドンスは江利チエミでなのでしょうね、美空ひばりは、もちろんニラ・ピッツィでしょう。一度機会があればこの人たちのカヴァー曲をしてみたいと思っています。




サンレモの歌手たち 4  カルラ・ボーニ、ジョルジョ・コンソリーニ

カルラ・ボーニ (Carla Boni

本名カルラ・ガイアーノ(Carla Gaiano)、1925年7月17日ボローニャとヴェネチアの中間にあるフェラーラ生、2009年10月17日没。


                  Carla Boni     

 11年間もいた子供の歌合唱団の監督ピッポ・バルツィッザ(PIPPO BARZIZZA)のおかげで1948年RAI に入ることが出来、その後1952年チニコ・アンジェリーニの楽団の専属歌手にも成れました。

彼女はサンレモ音楽祭初出場ながら、フロー・ダンドンス(Flo Sandon)をパートナーに歌った"秋の並木道"は1953年の優勝曲となり絶大な人気を得ました。同じくカルロ・アルベルト・ロッシの作った"苦い水"も参加曲でしたがヒットしました。

 ナポリ音楽祭には1952年の第1回から出場し"小さな泉(LI FUNTANELLE)"で、54年第2回には"ストライキしたい心('O CORE VO' FA SCIOPERO)"で入賞し、翌55年第3回はマリア・パリス(MARIA PARIS)のパートナーとして1958年に結婚することとなるジーノ・ラティルラとデュエットで"ナポリの星('E STELLE 'E NAPULE)"を歌い優勝しました。

 また55年は彼女の代表作の一つアメリカ映画「大砂塵」のテーマ"ジャニー・ギター(JOHNNY GUITAR)"をイタリア語でカヴァーし、大ヒットとなります。翌56年はローズマリー・クルーニー(ROSEMARY CLOONEY)の"マンボ・イタリアーノ(MAMBO ITALIANO)"をヒットさせました。日本だと雪村いづみに近い歌手といえます。カルラも英語で"青いカナリア(BLUE CANARY)"を歌っており、なかなかの出来栄えです。

 サンレモ音楽祭ではジーノ・ラティルラとのデュエットも含め、初出場の第3回5曲、第4回5曲、第7回5曲、第8回4曲、最後となる第11回1曲(参加曲)でした。彼女は最後のサンレモ音楽祭出場後チェトラからナポリのヴィス・ラディオに移籍します。1964年ポリドールからレコードを出しますが、それ以降は1966年~70年までナポリ(イタリアでも)最古のフォノタイプ(PHONOTYPE)のファンス(FANS)レーベルからレコードを出しています。 彼女の経歴では50年代後半が生世紀だったと言えます。

 

カルラ・ボーニの国内盤

17M-1010 (1964年7月20日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモのすべて第1集 (TUTTE LE SAN REMO Vol. 1)
3.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)

 

17M-101017M-1010  MH- 210MH- 210

 

MH- 210 (1965.年9.月 SEVEN SEAS - キング) 一緒にカンツォ-ネを歌おう第7集 (LE PIU' BELLE CANZONI Vol.7)
11.激しい季節(ESTATE VIOLENTA)

 

SR-   5 (1966年10月10日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモの栄光 (I VINCITORI A SAN REMO)
3.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)

 

SR-   5SR-   5 SLX3-1001(M)SLX3-1001(M)

 

SLX3-1001(M) (1966年10月10日 SEVEN SEAS - キング) 豪華版サン・レモのすべて (TUTTE LE CANZONI DI SAN REMO)
1-4.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)

 

SR- 601~2 (1971年1月15日 SEVEN SEAS - キング) サンレモ音楽祭のすべて第1集 (FESTIVAL DI SAN REMO (I))
1-4.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)
2-15.内気なセレナ-ド(TIMIDA SERENATA) カルラ・ボ-ニ (vf) と ジ-ノ・ラティルラ (vm)

 

SR- 601~2SR- 601~2a SR- 615~6SR- 615~6a

 

SR- 615~6 (1971年8月10日 SEVEN SEAS - キング) ナポリ音楽祭のすべて第1集 (FESTIVAL DELLA CANZONE NAPOLETANA(I))

2-13.あなたは小鳩(TU SI' COMM' A PAUMMELLA) カルラ・ボ-ニ (vf) とジ-ノ・ラティルラ (vm)

 

GW- 233~4 (1973年1月 SEVEN SEAS - キング) 忘れな草から ガラスの部屋 まで (CANZONE ON CINEMA DOUBLE DELUZXE)
2-4.激しい季節(ESTATE VIOLENTA)

 

GW- 233~4GW- 233~4a GW- 261~2GW- 261~2

 

GW- 261~2 (1974年6月 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ優勝曲のすべて (I VINCITORI DI SAN REMO)
2-10.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)

 

GXF-  81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)
1-4.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)
1-20. カナダの小さな小屋(CASETTA IN CANADA) カルラ・ボ-ニ (vf) と ドゥオ・ファザーノ (duo)
2-5. 内気なセレナ-ド(TIMIDA SERENATA) カルラ・ボ-ニ (vf) と ジ-ノ・ラティルラ (vm)

 

GXF-81~90GXF-  81~90a GXC-141~2GXC- 141~2

 

GXC- 141~2 (1979年7月21日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ優勝のすべて (I VINCITORI DI SAN REMO)
2-13.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)

 

NFA-91801~10 (1991年JAZZY -ジャジ-・プランニング) エンサクロペディア・オブ・カンツォ-ネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) CD 非ライセンス商品
1-4.秋の並木道(VIALE D'AUTUNNO)
1-16.内気なセレナ-ド (TIMIDA SERENATA) カルラ・ボ-ニ (vf) と ジ-ノ・ラティルラ (vm)

NFA-91801~10NFA-91801~10 KICP-215~9KICP- 215~9a

 

KICP- 215~9 (1992年3月25日SEVEN SEAS -キング) カンツォ-ネの歴史1200-1900 (LA STORIA DELLA CANZONE ITALIANA) CD
3-14. カナダの小さな小屋 (CASETTA IN CANADA) カルラ・ボ-ニ と ドゥオ・ファザ-ノ (CARLA  BONI (vf) e DUO FASANO (duo))

 

 

ジョルジョ・コンソリーニ (Giorgio Consolini

1920年8月28日ボローニャ生、2012年4月 28日ボローニャ没。

                  Giorgio Consolini

 1947年当時はSP盤でしたが"夕べのマンドリン(MANDOLINATE A SERA (MANDULINATE A SERA))/天使のマドンナ(MADONNA DEGLI ANGELI)"でレコード・デビューをしました。

 彼はテディー・レーノが興したCGDから最初の盤を出しその後カリッシュ(Carisch) のパーラフォン(PARLOPHON)に移籍し、1954年"POLVERE"や"CENERE"のヒットをだしました。

 

サンレモ音楽祭では第3回5曲、第4回3曲の内"美しいママ"が優勝、第7回2曲、第7回特別際2曲の内"オンダマリーナ"が優勝、第8回3曲、第10回2曲、第12回1曲を歌っています。第10回の出場を機にフォニットに移籍し12回の出場後メアッツィ(MEAZZI)に再び移籍後は、サンレモ音楽祭に出場することはありませんでした。、

 メアッツィや時代が飛び72年以降エディグ(EDIG)などでは可なり幅広く色々な曲を歌っていたようです。

 

FS- 12 (1961年4月25日 FONIT - テイチク) マンドリーノ・マンドリーノ (MANDOLINO MANDOLINO)/音楽のように (COME SINFONIA)

FS- 12NO IMAGE小.jpg FS- 18NO IMAGE小.jpg

 

FS- 18 (1962年4月25日 FONIT - テイチク) アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)/いのち (VITA) エッダ・モンタナ-リ (EDDA MONTANARI (vf))/ジョルジョ・コンソリ-ニ (GIORGIO CONSOLINI (vm))

 

HIT- 211 (1963年10月SEVEN SEAS - キング) 情熱のジャマイカ (GIAMAICA)/忘れじのタンゴ (NON TI RICORDI)

HIT- 211HIT- 211 HW-1035HW-1035

 

HW-1035 (1959年1月ANGEL - 東京芝浦電気工業) イタリアの空の下で (BENEATH ITALIAN SKIES) 25cmLP
7. お忘れですね(NON TI RICORDI) 原盤 PARLOPHON

 

FLP- 1 (1961年4月.25日FONIT - テイチク) 第11回サンレモ歌の祭典 (XI FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO 1961) 25cmLP
6. アル・ディ・ラ(AL DI LA')
8. マンドリーノ・マンドリーノ(MANDOLINO MANDOLINO)

FLP- 1FLP- 1 FLP-10FLP-10

 

FLP-10 (1962年4月.25日FONIT - テイチク) 第12回サンレモ歌の祭典 (XII FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO (1962)) 25cmLP
4. いのち(VITA)
5. 君が魚をとれば私もとる (PESCA TU CHE PESCO ANCH'IO)




サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)  5

 

 第3回参加曲つづき

 

第3回 1953年1月29日(木)~31日(土) サンレモ市カジノ付属劇場

司会:ヌンツィオ・フィロガーモ (Nunzio Filogamo)

楽団指揮:チニコ・アンジョリーニ (Cinico Angelini)、アルマンド・トロヴァヨーリ(Armando Trovajoli

オーガナイザー:イタリア放送協会(RAI) ;サンレモ市カジノ場(Casino di Sanremo)

形式:出場曲数20曲。1曲2歌唱で2夜に各10曲を歌い、各夜5曲ずつを入賞曲を選出し、最終夜に優勝、2位、3位を決定する。.

 

<参加曲> 

◆苦い水 Acque amare (Nisa - C.A.Rossi) 出版社 ROSSIカルラ・ボ-ニ (vf) Carla Boni (CETRA - CETRA) DC-5670 [SP] : カティ-ナ・ラニエリ (vf) Katyna Ranieri (CETRA - CETRA) 不明 [SP]


              DC-5670DC-5670b

◆他の女性 L'altra (Biri - V.Mascheroni) 出版社 MASCHERONI ニラ・ピッツィ (vf) Nilla Pizzi (CETRA - CETRA) DC-5670 [SP] : フロ-・サンドンス (vf) Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) 不明 [SP]

              DC-5670DC-5670a

◆今晩は Buona sera (M.E.Tumminelli - C.Di Ceglie) 出版社 AMBROSIANAカルラ・ボ-ニ (vf) Carla Boni (CETRA - CETRA) DC-5663 [SP] ] : フロ-・サンドンス (vf) Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) 不明 [SP]

◆孤独の歌 Canto della solitudine (E.Bonagura - G.Redi) 出版社 REDI ニラ・ピッツィ (vf) Nilla Pizzi (CETRA - CETRA) DC-5667 [SP] : テディ-・レ-ノ (vm) Teddy Reno & Quartetto Stars (CGD - CGD)不明 [SP]

◆君知るならば Domandatelo (G.Fiorelli - V.Baselice) 出版社 LE MONDE アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) 不明 [SP] : カティ-ナ・ラニエリ (vf) Katyna Ranieri (CETRA - CETRA) 不明 [SP]

◆私に恋して Innamorami (U.Bertini - M.Ruccione) 出版社 MELODI ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla (CETRA - CETRA) DC-5667 [SP] : テディ-・レ-ノ (vm) Teddy Reno & Quartetto Stars (CGD - CGD)不明 [SP]

◆嘆きの母 La mamma che piange di più (G.E.Pisano - F.Rendine) 出版社 RENDINE アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5665 [SP] : ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm) Giorgio Consolini (CGD - CGD) PV-1839 [SP]

             DC-5665DC-5665

◆調子っぱずれの自動ピアノ La pianola stonata (E.De Mura - M.Gigant) 出版社 MANLIOアキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5664 [SP] : カティ-ナ・ラニエリ (vf)  Katyna Ranieri (CETRA - CETRA)不明 [SP]

             DC-5664DC-5664


哀れな友 Povero amico mio (M.Rivi – C.Innocenzi) 出版社 NAZIONALE
ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla CETRA - CETRADC-5668 [SP] ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm) Giorgio Consolini CGD - CGDPV-1839 [SP]

 

             DC-5668DC-5668

 

◆誰かがやって来る Qualcuno cammina (N.Rastelli - N.Casiroli) 出版社 SONORFILM カルラ・ボ-ニ (vf) Carla Boni (CETRA - CETRA) DC-5671 [SP] : フロ-・サンドンス (vf) Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) 不明 [SP]

 

             DC-5671DC-5671a

 

 

 

 歌手達の話は「サンレモの歌手たち」で書くことにして、ここでは会場の楽団指揮者のチニコ・アンジェリーニを取り上げます。彼は単なる指揮者(コンダクター)でなく音楽監督(ディレクター)としてサンレモ音楽祭の立ち上げに関わっていました。

                        Cinico Angelini Cinico Angelini 

チニコ・アンジェリーニ、本名アンジェロ・チニコ(ANGELO CINICO)、1901年11月12日トリノから北東40kmほどに位置する小さな町クレソエンティーノ(CRESCENTINO)生まれ。1983年7月7日ローマ)で死去。指揮者で、1930 年代から1960 年代の間の、イタリアのラジオ番組に大きな影響力をもっていました。その最も有名な一つがサンレモ音楽祭でした。

 

アンジェリーニはトリノのサラ・ガイ(SALA GAY)で最も知られているダンス・ホールの楽団を始めました。ほどなく1930年代初頭、イタリアの国家ラジオEIARからトリノの駅の「小さなオーケストラ音楽コンサート」を委託されたました。この放送局との共同事業は当時最も人気のあるオペラ曲のロマンツァやカンツォーネの曲を演奏することでした。

1938年彼はの国家ラジオEIARに雇われ、軽音楽の担当楽団として、コンテストで選んだカンツォーネの「ラジオ歌手」を育てる仕事に就きました。彼の楽団はアメリカ流の(グレン・ミラー楽団のような)管楽器を中心とするのではなく、伝統的な弦楽器をもちいた(マントヴァーニ楽団のような)耳触りのよいオーケストラで、一般公共ラジオの聴取者に魅力的なレパートリーの選択が賢明であると証明しました。

 

このスタイルが功を奏し、サンレモ音楽祭を始めるにあたってチニコ・アンジェリーニの楽団が選ばれ、しかも出場曲を歌う歌手の選定など、実際の音楽祭の進行に関わることに深く関与することになりました。第1回、第2回の歌手全員がチニコ・アンジェリーニ楽団専属の「ラジオ歌手」たちでした。

1950年代に成功と権力の絶頂に達しました。1950年代の後半から60年代になるとミーナやベティー・クルティスの「ウルラトーリ(URLATORI シャウト系歌手)」が出てきたり、ロック・ン・ロールのアドリアーノ・チェレンターノ、リトル・トニーの出現で良くも悪くも「メロディアス」な音楽として際立つことになります。

 ※当時のロック・ン・ロール歌手、リトル・トニーの事は私のブログ「リトル・トニー(LITTLE TONY)、伝説のイタリア・ロック・ン・ローラー」http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/7142494.html をご参照ください。

 

 


・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)  4

 

 大会も3回目ともなると人気も本物となりました。またこの年はカレンダーの巡りも良く、1月最終の3日間が木、金、土となりました。この後最終日が土曜日に開催されるようになりました。前年1952年ナポリ音楽祭も始まり、ナポリは新曲を2人で歌うスタイルを取りました。そういうこともあり、サンレモ音楽祭もその後スタンダードとなるダブル・キャストがこの年から始まりました。チェトラ・レコードは既得権を主張したようで、全曲チェトラの歌手と他のレコード会社あるいはチェトラの歌手の組み合わせとなっています。

 

第3回 1953年1月29日(木)~31日(土) サンレモ市カジノ付属劇場

司会:ヌンツィオ・フィロガーモ (Nunzio Filogamo)

楽団指揮:チニコ・アンジョリーニ (Cinico Angelini)、アルマンド・トロヴァヨーリ(Armando Trovajoli)

オーガナイザー:イタリア放送協会(RAI) ;サンレモ市カジノ場(Casino di Sanremo)

 形式:出場曲数20曲。1曲2歌唱で2夜に各10曲を歌い、各夜5曲ずつを入賞曲を選出し、最終夜に優勝、2位、3位を決定する。.


Carla Boni   Flo Sandon's   Teddy Reno

Carla Boni(CETRA)       Flo Sandon's(DURIUM)     Teddy Reno(CGD)

 

<優勝> 秋の並木道 Viale d'autunno (G.D'Anzi) 出版社 D'ANZI カルラ・ボ-ニ (vf) Carla Boni (CETRA - CETRA) DC-5665 [SP] : フロ-・サンドンス (vf)  Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) A-10123 [SP]

DC-5665DC-5665  A-10123A-10123

 

<2位> 鐘つき人 Campanaro (B.Cherubini - C.Concina) 出版社 LEONARDI ニラ・ピッツィ (vf)  Nilla Pizzi & Doppio Quintetto Vocale (CETRA - CETRA) DC-5668 [SP] : テディ-・レ-ノ (vm)  Teddy Reno & Quartetto Stars (CGD - CGD) 不明 [SP]

                        DC-5668DC-5668

 

<3位> 歌を歌わせて Lasciami cantare una canzone (C.A.Bixio - M.Cozzoli) 出版社 BIXIO アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5662 [SP] : テディ-・レ-ノ (vm)  Teddy Reno & Quartetto Stars (CGD - CGD) 不明 [SP]

                         DC-5662DC-5662

 

<3位> 古びた登山靴 Vecchio scarpone (Calibi - C.Donida)出版社 RADIO RECORD RICORDI ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla & Doppio Quintetto Vocale (CETRA - CETRA) DC-5669 [SP] :ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm) Giorgio Consolini (CGD - CGD)PV-1839 [SP] 

 

<入賞曲>

5位 古い町役場 Vecchia villa comunale (R.Ruocco - N.Oliviero) 出版社 RICORDI ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla (CETRA - CETRA) DC-5671 [SP] :ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm) Giorgio Consolini (CGD - CGD)PV-1839 [SP] 

                          DC-5671DC-5671a

 

6位 ノー・ピエロットNo, Pierrot (E.A.Costanzo - R.Salani) 出版社 DA ROVERE アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5663 [SP] : カティ-ナ・ラニエリ (vf)  Katyna Ranieri (CETRA - CETRA) 不明 [SP]

                          DC-5663DC-5663a

 

7位 小すずめ Il passerotto (E.Di Lazzaro - D.Valentini) 出版社 DI LAZZARO カルラ・ボ-ニ (vf)  Carla Boni (CETRA - CETRA) DC-5666 [SP] : クァルテット・スターズ (coro) Le Quartetto Stars (CETRA - CETRA) DC -5655

DC-5666DC-5666 DC -5655DC-5655.

 

8位 お休みと囁やいて Sussurrando buonanotte (Danpa - B.Pallesi - V.Panzuti) 出版社 ALFA ニラ・ピッツィ (vf) Nilla Pizzi & Doppio Quintetto Vocale (CETRA - CETRA) DC-5662 [SP] : テディ-・レ-ノ (vm) Teddy Reno & Quartetto Stars Le Quartetto Stars (CETRA - CETRA) 不明[SP]

           DC-5662DC-5662

9位 連隊の鼓手 Tamburino del reggimento (Deani) 出版社 CASIROLIジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla & Doppio Quintetto Vocale (CETRA - CETRA) DC-5664 [SP] :ジョルジョ・コンソリ-ニ (vm) Giorgio Consolini (CGD - CGD) 不明 [SP]

           DC-5664DC-5664

10位 おだやかなパパ Papà Pacifico (N.Rastelli - A.Fragna) 出版社 NAZIONALE ニラ・ピッツィ (vf) Nilla Pizzi & Doppio Quintetto Vocale (CETRA - CETRA) DC-5669 [SP] :テディ-・レ-ノ (vm) Teddy Reno & Quartetto Stars (CGD - CGD)不明 [SP]

           DC-5669DC-5669b



 これを見て分かると思いますが、チェトラから2人と1組、それ以外の会社はDURIUMからフロー・サンドンス、CGDからテディー・レーノとジョルジョ・コンソリーニの二人が出場しています。カンツォーネをよくご存じの方はコンソリーニがCGD?、ラニエリがチェトラと思われるでしょうが、この二人は間もなくコンソリーニは翌54年のサンレモ音楽祭にはパーラフォン(PARLOPHON)から出場していますし、ラニエリは翌54年のサンレモ音楽祭を最後にRCAイタリアーナに移籍しています。

 

  Giorgio Consolini   Katyna Ranieri   Quartetto Stars s

  Giorgio Consolini(CGD)     Katyna Ranieri(CETRA)          Le Quartetto Stars(CETRA)

 

 顔写真はレコードやCDのジャケットを使うのを原則に考えていましたが、クァルテット・スターズだけはどうしても見つからずLa tua pubblicità su Sanremo Story? の項目Quartetto Stars(http://www.sanremostory.it/1824/festival/biografie/quartetto-stars/)の写真を使用しました。

クァルテット・スターズは国内盤も出ていないことですし、この場を借りてご紹介しておきましょう

★クァルテット・スターズ(LE QUARTETTO STARS)

カルロ·プラート(CARLO PRATO)が指導し1947年にRAIラジオでテビューし、40年代、50年代のトリノで活動した女性ボーカル・グループでした。

メンバーはリカ・ペレーノ(RICA PERENO)、マリウッチャ・バルベジーニ (MARIUCCIA BARBESINI)、マリオリーナ・ガイ(MARIOLINA GAI)とサンティーナ・デッラ・フェッレーラ(SANTINA DELLA FERRERA)です。

1949年マリーサ・フィオルダリーゾ(MARISA FIORDALISO)のために作られた"ポルトガルの王様(IL RE DEL PORTOGALLO)"を歌いヒットしました。

1951年チニコ・アンジョリーニの下、クァルテット・チェトラ、トリオ・レスカーノ、ドゥ・ファザーノなどのコーラス・グループと共にウォールト・ディズニー映画「不思議の国のアリス(ALICE NEL PAESE DELLE MERAVIGLIE)」のイタリア版サウンド・トラックの録音をしました。

 サンレモ音楽祭はこの第3回のみで、彼女達はサンレモ音楽祭後、それぞれソロ歌手となったそうです。 


サンレモの歌手たち 3 オスカー・カルボーニ、ジーノ・ラティルラ

第1回、第2回のサンレモ音楽祭に出場した歌手を紹介しています。第2回から出場したオスカー・カルボーニとジーノ・ラティルラについて書きます。

 

オスカー・カルボーニ (OSCAR CARBONI)

オスカー・カルボーニは1914年9月9日、フィレンツェとヴェネツィアのほぼ中間にあるロンバルティア州のフェルラーラ(FERRARA)に生まれ、1993年3月29日に同地で亡くなりました。

 

彼はフェルラーラで裕福な家庭に生まれ、父の雑貨店を手伝った後、セレナーデ歌手だったが1930 年代初頭には民謡歌手となっていた。歌の先生のティト・ペトラリーアに励まされ1939年、EIAR(国営ラジオ放送)の新人コンテストに出場し2位となりました。これにその後歌手となったシルヴァーナ・フィオレージ(Silvana Fioresi)、アル・ドーナ(Aldo Donà)など2,600人も応募していました。

1941年チニコ・アンジェリーニ楽団の専属となり、戦前のヒット曲をカヴァーし、オリジナルより素晴らしく歌っていました。彼は「ナイチンゲールの歌声」と異名を取り、アルベルト・ラバリアーティ(Alberto Rabagliati)、ナタリーノ・オットー(Natalino Otto) やエルネスト・ボニーノ(Ernesto Bonino).に並ぶラジオの人気歌手となりました。

戦後はナポリターナから歌い始め、第2回サンレモ音楽祭に出場し3曲を歌い、同年から始まったナポリ音楽祭にも出場し"光る小舟(VAROA LUCENTE)"でドメニコ・アタナシオ (DOMENICO ANASTASIO)とパートナーを組み第2位となりました。戦後の「甘い感傷的な」カンツォーネは、アメリカから入って来た「スウィング」調なカンツォーねに追い越されて行きましたが、1970年代に起こった「懐メロ」ブームで見直されることになります。

 

オスカー・カルボーニの国内盤はたった1枚(1曲)のみです。それもGXF- 31~5"カンツォ-ネの歴史"の非売品特典盤です。

 

GXF- 31~5GXF-  31~5a Q-41Q-41

Q-41 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング)  カンツォ-ネの歴史 非売品 特典盤 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA)

 

·1. ピッポは知らない (PIPPO NON LO SA)

2.スッラ・カロッツェラ (SULLA CARROZZELLA)
3.夢のフィレンツェ(FIRENZE SOGNO)
4.マカリオリ-タ (MACARIOLITA)
5.雨にやむ恋 (NON SI FA L'AMORE QUANDO PIOVE)
6.フィレンツェの朝の歌 (MATTINATA FIORENTINA)
1. シルヴァ-ナ・フィオレ-ジ と トリオ・レスカ-ノ (SILVANA FIORESI (vf) e TRIO LESCANO (coro))
2. オドアルド・スパダロ (ODOARDO SPADARO (vm))
3. オスカ-・カルボ-ニ と トリオ・レスカ-ノ (OSCAR CARBONI (vm) e TRIO LESCANO (coro))
4. エルネスト・ボニ-ノ (ERBESTO BONINO (vm) ; 5. ナタリ-ノ・オット (NATALINO OTTO (vm))
6. アルベルト・ラバリアティ (ALBERTO RABAGLIATI (vm))

 

 

 

ジーノ・ラティルラ (GINO LATILLA

本名ジェンナーロ・ラティルラ(GENNARO LATILLA) 1924年11月7日南部のバリ(長靴のアキレス腱の下あたり)生、2011年9月11日フィレンツェ没。

父マリオ・ラティルラ(MARIO LATILLA)は戦前の有名な歌手で、ジーノをマリウ(MAILU')の持つボローニャのマンゾーニ劇場で第二次世界大戦の年の間にデビューさせ、父マリオは息子の仕事を管理する音楽プロモーターに専念しました。

1951年チニコ・アンジョリーニはジーノ・ラティルラに注目し彼の楽団専属としラジオ歌手としての道を開きました。アンジョリーニは以前オーディションでジーノを落としており、「私のミス」だったと言ったそうです。

サンレモ音楽祭は第2回に初出場で4曲、3回は5曲、4回7曲歌い"美しいママ"で優勝、7回7曲、8回6曲、9回3曲、10回2曲、最後の出場11回はミルバのパートナーで"ひきだしの中の梅"で3位となりました。(カルラ・ボーニとのデュエット曲を含む)

ナポリ音楽祭も52年第1回から出場し54年第2回2位"三羽の小つばめ(TRE RUNDINELLE)"、翌年第3回マリア・マリス(MARIA PARIS)のパートナーで"ナポリの星('E STELLE 'E NAPULE)"をカルラ・ボーニとデュエットし優勝しました。1958年カルラ・ボーニと結婚し、二児をもうけましたが晩年に離婚。

 

ジーノ・ラティルラの国内盤はニラ・ピッツィと同様に、64年ジリオラ・チンクェッティが"夢みる想い"で優勝しサンレモ音楽祭のオムニバス(コンピ)盤が出るようになってからでした。

 

17M-1010 (1964年7月20日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモのすべて第1集(TUTTE LE SAN REMO Vol. 1)

私のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/7692024.html をご参照ください。

 

17M-1014 (1964年10月1日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモのすべて第5集(TUTTE LE SAN REMO Vol. 5)

                       17M-101417M-1014

1.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)
2.アモ-ル、モナム-ル、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)
3.タンゴ・イタリア-ノ (TANGO ITALIANO)
4.恋のブル-ス (IO SONO IL VENTO)

1、2 クラウディオ・ビルラ (CLAUDIO VILLA); 3 ミルバ (MILVA); 4 ジ-ノ・ラティルラ (GINO LATILLA)

 

SR- 5 (1966年10月10日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモの栄光 (I VINCITORI A SAN REMO) LP
4. 美しいママ (TUTTE LE MAMME)

SR-   5SR- 5  SLX3-1001(M)SLX3-1001(M)a 

 

SLX3-1001(M) (1966年10月10日 SEVEN SEAS - キング) 豪華版サン・レモのすべて(TUTTE LE CANZONI DI SAN REMO) 3LPBOX

1-4. 美しいママ (TUTTE LE MAMME)
2-5. 恋のブルース (IO SONO IL VENTO)

 

SR- 601~2 (1971年1月15日 SEVEN SEAS - キング) サンレモ音楽祭のすべて第1集(FESTIVAL DI SAN REMO (I)) 2LP

1-8.美しいママ (TUTTE LE MAMME)
1-10.舟は一艘で戻る (E LA BARCA TORNO' SOLA)
2-8.スクーザミ (SCUSAMI)
2-13.ほかの人を愛して (AMARE UN'ALTRA)
2-13.内気なセレナ-ド (TIMIDA SERENATA) ※カルラ・ボ-ニ (CARLA BONI)とデュエット

 

SR- 601~2SR- 601~2a SR- 603~4SR- 603~4

 

SR- 603~4 (1971年2月10日 SEVEN SEAS - キング) サンレモ音楽祭のすべて第2集(FESTIVAL DI SAN REMO (II)) 2LP

1-2.恋のブルース (IO SONO IL VENTO)

SR- 607~8 (1971年4月10日 SEVEN SEAS - キング) カンツォニッシマのすべて第1集(CANZONISSIMA (I)) 2LP

1-8.新年おめでとう (BUON ANNO... BUONA FORTUNA)

 

SR- 607~8SR- 607~8 SR- 615~6SR- 615~6a

 

SR- 615~6 (1971年8月10日 SEVEN SEAS - キング) ナポリ音楽祭のすべて第1集(FESTIVAL DELLA CANZONE NAPOLETANA(I) 2LP

1-8.いさり火の舟 ('E LLAMPARE)
2-5. 海はわがもの (PADRONE D' 'O MARE)

2-13あなたは小鳩 (TU SI' COMM' A PAUMMELLA) ※カルラ・ボ-ニ (CARLA BONI)とデュエット

 

GW- 261~2 (1974年6月SEVEN SEAS - キング) サン・レモ優勝曲のすべて(I VINCITORI DI SAN REMO) 2LP
2-9.美しいママ (TUTTE LE MAMME)

GW- 261~2GW- 261~2 GXF- 81~90GXF-  81~90a

 

GXF- 81~90 (1979年2月5日SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭大全集(I FESTIVAL DI SAN REMO) 10LP-BOX
1-7.古びた登山靴 (VECCHIO SCARPONE)
1-8.美しいママ (TUTTE LE MAMME)
2-4.他の人を愛す (AMARE UN'ALTRA)
2-5.内気なセレナ-ド (TIMIDA SERENATA) ※カルラ・ボ-ニ (CARLA BONI)とデュエット

 

GXC- 141~2 (1979年7月21日SEVEN SEAS - キング) サン・レモ優勝のすべて (I VINCITORI DI SAN REMO) 2LP
2-12.美しいママ (TUTTE LE MAMME)

GXC-141~2GXC- 141~2 K19P-301~2K19P-  301~2

 

K19P- 301~2 (1982年12月5日SEVEN SEAS - キング) ヨーロッパ・ヒット・パレードVol.1(1958~1961)(EUROPEAN HITS PARADE Vol.1 (1958~1961)) 2LP
1-12.恋のブルース (IO SONO IL VENTO)

NFA-91801~10 (1991年JAZZY -ジャジ-・プランニング) エンサクロペディア・オブ・カンツォ-ネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) CD 非ライセンス商品
1-16.内気なセレナ-ド (TIMIDA SERENATA) ※カルラ・ボ-ニ (CARLA BONI)とデュエット

            NFA-91801~10NFA-91801~10




サンレモの歌手たち 2 アキレ・トリアーニ、ドゥオ・ファザーノ

   第1回、第2回のサンレモ音楽祭に出場した歌手を紹介しています。前回はサンレモ音楽祭の象徴ニラ・ピッツィでしたが、同じく第1回の唯一の男性歌手アキレ・トリアーニとドゥオ・ファザーノを取上げてみます。

 

 ★アキレ・トリアーニ (ACHILLE TOGLIANI)

 第1回ニラ・ピッツィとのデュエット曲"白銀の衣の月"。は2位、ソロの"孤独のセレナード"は3位と良い成績を残している割には知られていません。そのはずです、国内盤では出ていないので仕方ありません。アマゾンのMP3ダウンロードにある曲数を見ると281曲で決して多いとは言えません。

 

アキレ・トリアーニ (ACHILLE TOGLIANI)、1924年1月16日パルマの近くポー川沿いの小さな町ポンポネスコ(Pomponesco)生、1995年8月12日ローマ(Roma)没、俳優でもありました。

40年代後半はレビュー「ムーラン・ルージュ」、「熱い碧(Febbre azzurra)」の出演や映画俳優をしており、ソフィア・ローレンが50年~51年ソフィア・ラッザロ(Sofia Lazzaro)の芸名だった頃の恋人でした。50年代に入り彼はラジオ歌手としてチニコ・アンジョニーニ楽団に所属して歌っていました。歌声は温かく調和のとれた声で、ポピュラー歌手ばかりでなくラジオ・ドラマの声優として人気をえました。

 

こうしてチニコ・アンジョリーニ楽団にいたことが幸いし、第1回からサンレモ音楽祭に出場したばかりか、1952年から始まったナポリ音楽祭に第1回から6度出場をはたしました。

60年代に入りラジオの声優という時代から忘れ去られる仕事にもかかわらず、70年代までアキレ・トリアーニは業績をのこしました。

1959年のサンレモ音楽祭出場を機にフォニット(1957年末にチェトラと合併)に移籍し、"君知るしあわせ(CONOSCERTI)"が3位となり彼の代表作の一つとなりました。60年6月に行われた第8回ナポリ音楽祭に"今夜はイエス(STASERA SI')"で入賞、その年の後半にドゥリウム(DURIUM)に移籍し、61年第9回ナポリ音楽祭に"E ASPETTO A TTE"と"PECCHE' TE STO VICINO"で出場しますが入賞出来ませんでした。

1964年ごろにナポリのゼウス(ZEUS)に再度移籍をし翌65年の第13回ナポリ音楽祭に"君待つ五月(T'ASPETTO A MAGGIO)"で入賞をします。大きな音楽祭の出場はこれが最後になりました。

1973年から83年までチネボックス(CINEVOX)から懐メロ・アルバムのシリーズ"LA CANZONE DELL'AMORE"を出していました。

 

彼の唯一の国内シングル盤です。残念ながら私は持っておらず、ジャケットも見たことがありません。お持ちの方が有ればジャケット画像をいただけないでしょうか?

FS- 12 (1961年10月10日 FONIT-テイチク) ロマンティカ (ROMANTICA)/太陽のない恋 (AMORE SENZA SOLE) アキレ・トリア-ニ (ACHILLE)TOGLIANI)

 

                          FS- 12 NO IMAGE小.jpg

 

MH- 210 (1965年9月 SEVEN SEAS - キング) 一緒にカンツォ-ネを歌おう第7集 ( LE PIU' BELLE CANZONI Vol.7)

3.オータム・コンチェルト (CONCERTO D'AUTOMNE)

SR- 601~2 (1971年1月15日 SEVEN SEAS - キング) サンレモ音楽祭のすべて第1集 ( FESTIVAL DI SAN REMO (I))

1-11. かわいい花嫁さん (MOGLIETTINA)1954年 8位

SR- 615~6 (1971年8月10日 SEVEN SEAS - キング) ナポリ音楽祭のすべて第1集 ( FESTIVAL DELLA CANZONE NAPOLETANA(I))

1-2. 河 (SCIUMMO)
1-3. 愛の夢 (SUONNO D'AMMORE)

MH- 210 SR- 601~2a SR- 615~6a
MH- 210                      SR- 601~2                 SR- 615~6


GXF-  31~5 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング) カンツォ-ネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA)

2-2. 金髪のロ-ザ (FILI D'ORO)

GXF-  81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)

1-6. 歌を歌わせて (LASCIAMI CANTARE UNA CANZONE) 1953年3位
2-9. 君知るしあわせ (CONOSCERTI) 1959年3位

NFA-91801~10 (1991年JAZZY -ジャジ-・プランニング) エンサクロペディア・オブ・カンツォ-ネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) CD 非ライセンス商品

5-10. オータム・コンチェルト (CONCERTO D'AUTOMNE)
8-1. カラ・ピッチーナ (CARA PICCINA)
8-3. アディオ・シニョーラ (ADDIO SIGNORA)
8-6. シニョリネッラ (SIGNORINELLA)
8-7. マリウ、愛の言葉を (PARLAMI D'AMORE MARIU')
8-20. 30歳のひと (LA SIGNORA DI TRENT'ANNI FA')

KICP- 215~9 (1992年3月25日SEVEN SEAS -キング) カンツォ-ネの歴史1200-1900 (LA STORIA DELLA CANZONE ITALIANA) CD

2-8. カラ・ピッチーナ (CARA PICCINA)
3-9. 河 (SCIUMMO)

VC-151~3 (1997年JOY SOUND -ジョイ・サウンド) カンツォーネの歴史 (TABULOUS HISTORY OF CANZONE) CD 非ライセンス商品

1-10. カラ・ピッチーナ (CARA PICCINA)
2-10. アディオ・シニョーラ (ADDIO SIGNORA)
3-5. シニョリネッラ (SIGNORINELLA)
     以上がアキレ・トリアーニの国内盤のすべてだと思います。

 

GXF-  31~5GXF-  31~5a VC-151~3VC-151~3a

 

ドゥオ・ファザーノ (DUO FASANO

主に1950 年代活躍したトリノ生まれの双子姉妹から成るボーカル・デュオ・チーム。ディナ(DINA)は本名をスコンディーナ・ピエラ・アンジェラ・ファザーノ(SECONDINA PIERA ANGELA FASANO)、デルフィーナ(DELFINA)は本名テルツィーナ・ファザーノ(TERZINA FASANO)といい、1924年9月 21日トリノ生、ディナは1996年11月24日、デルフィーナは2004年12月16日共にトリノで亡くなっています。

二人はトリノ中心部の服地商で本屋の娘として生まれ、師範学校から大学に進学した1941年、女性トリオのトリオ・レスカーノ(TRIO LESCANO)を育てた楽団指揮者でスカウトのカルロ・プラート(CARLO PRATO)に見出されました。

1948年トリノのラジオ復興事業でニラ・ピッツィらの師匠の楽団指揮者チニコ・アンジェリーニの楽団専属となりました。

サンレモ音楽祭には初めから出場し、第1回に8曲、第2回5曲、第4回8曲、第7回4曲、第8回4曲をバック・コーラスも含め歌いました。

 

彼女達の国内盤で正式クレジットは

KICP- 215~9 (1992年3月25日SEVEN SEAS -キング) カンツォ-ネの歴史1200-1900 (LA STORIA DELLA CANZONE ITALIANA) CD

3-14. カナダの小さな小屋 (CASETTA IN CANADA) カルラ・ボ-ニ と ドゥオ・ファザ-ノ (CARLA  BONI (vf) e DUO FASANO (duo))
だけですが

GXF-  81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)

1-20. カナダの小さな小屋 (CASETTA IN CANADA)

も曲の解説にその旨かかれています。

 

同じ音源を使っている
NFA-91801~10 (1991年JAZZY -ジャジ-・プランニング) エンサクロペディア・オブ・カンツォ-ネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) CD 非ライセンス商品

1-13. カナダの小さな小屋 (CASETTA IN CANADA)

も同様の扱いにしました。

KICP- 215~9a GXF-  81~90a NFA-91801~10
 KICP- 215~9        GXF-  81~90             NFA-91801~10




サンレモの歌手たち 1 プリマ・プリマ~ニラ・ピッツィ

  前回までにサンレモ音楽祭の第1回、2回分データを書きました。このまま回を進めていくと、曲数も出場歌手数も増え、説明もままならなくなりそうです。

 2回分を終えて出場歌手がニラ・ピッツィ、アキレ・トリアーニ、オスカー・カルボーニ、ジーノ・ラティルラの4名とドゥオ・ファザーノです。当時それなりに有名な人達で、日本ではあまり知られていませんが、何らかの形で国内盤が出ています。このあたりで紹介しておきます。ニラ・ピッツィの場合はもう一度書くことになると思います。

 

 ★ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)

 リストの通り第1回優勝、第2回は1~3位を独占という快挙をしました。第一回(プリマ)で第1位(プリマ)の記念すべき"サンレモの女王"です。彼女は死ぬまでこの称号で呼ばれました。

 

ニラ・ピッツィ(Nilla Pizzi)、本名アディオニッラ・ピッツィ(Adionilla Pizzi)1919年4月16 日ボローニャのサンターガタ生-2011年3月12日ミラノ郊外の小都市セグラータ(Segrate)で没。貧しい農夫アンジェロと家でお針子をするマリアの娘として生まれる。二人の妹リリアナとドセーナは後に有名な編み物家となりました。

彼女は尋常教育後、洋装店のお針子見習いとなり幾つか仕事を変えなました。20代で有名なデザイナーのモデルをしながら、戦後ミス・イタリア・コンテストとなったイベントにも出場しました。22才の時に結婚しましたが夫は数日後、応召し帰らぬ人となりました。

1942年、彼女はEIAR(RAIラジオ前身)の新人コンテストに優勝し、そしてその年ゼメ(Zeme)楽団の専属となりました。1944年レッスンのためにチニコ・アンジョニーニに預けられ、パーロフォンのブルーナ・ラッターニとのデュエットが最初のレコードとなりました。それ以降チニコ・アンジョリーニの楽団に所属し劇場やダンス・ホールで歌っていました。

1946年ラジオで歌った音源をチェトラから出す契約しましたが、V.d.P.が異議を唱え、1949年チェトラと正式契約するまで、匿名でチェトラの別レーベル(FON)からレコードが発売されていました。にも関わらず出した"キサス・キサス・キサス"などラテン系の曲はヒットしていました。1948年以降は年間トップ10に入るヒットを出すようになりました。

 

ここまでが、サンレモ音楽祭に出場するまでのニラ・ピッツィです。

私が彼女の名前を知ったのは、やはりサンレモ音楽祭のオムニバス(コンピレーション)盤が出るようになってからでした。しかし彼女のレコードは早い時期(1950年代後半)から国内盤が出ていました。SPは私の対象外なので、あるいはSP盤が出ていたかもしれません。

 

EMG-   7(EP)もLL- 2001(シングル盤)も映画音楽として発売されたものです。シルバーナ・マンガーノは映画「アンナ」(ANNA)、ニラ・ピッツィは映画「人間魚雷」(I SETTE DELL'ORSA MAGGIORE / HELL RAIDERS OF THE DEEP)の挿入歌とされる歌です。

映画「人間魚雷」 http://www.veengle.com/s/SETTE%20DELL%20ORSA%20MAGGIORE.html

ラメント・ボリンカ-ノ (LAMENTO BORINCANO) 17分15秒~20分30秒

マラシエラ (MALASIERRA) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI) 38分27秒~39分40秒  

                              EMG- 7EMG- 7  

EMG-   7 (1955年3月 MGM - 日本コロムビア)

マラシエラ (MALASIERRA) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)
恋をした (T'HO VOLUTO BENE) シルヴァーナ・マンガーノ (SILVANA MANGANO)
アンナ (EL NEGRO ZUM BON) シルヴァーナ・マンガーノ (SILVANA MANGANO)
ラメント・ボリンカ-ノ (LAMENTO BORINCANO) ラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)

 

       LL- 2001cLL- 2001LL- 2001m  

LL- 2001 (1957年3月 MGM - 日本コロムビア) アンナ (EL NEGRO ZUM BON) シルヴァーナ・マンガーノ (SILVANA MANGANO)/マラシエラ (MALASIERRA) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)

 

このシングル盤にコロムビア・レーベルとMGMレーベルが存在します。時系列からするとコロムビアの方が初版ではないかと思っています。ご存知の方がありましたら教えてください。

 

EA-  76 (1959年 KING - キング) さすらい (IL GRIDO)オリジナル・サウンドトラック/純愛(カタリ・カタリ CORE 'NGRATO) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)

 

EA- 76EA- 76  EA-  90EA- 90  

 

EA-  90 (1959年 KING - キング) 挑戦のテ-マ (LA SFIDA)オリジナル・サウンドトラック/星と涙(STELLE E LACRIME) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)

 

レコード番号の記号"EA"は50年代後半から60年代初めキング・レコードから出ていた「アンコール盤」シリーズです。名前の通り最初はSP盤からビニール盤に移行している間の再発売用だったのですが、映画のサウンド・トラック物も多く含まれていました。このサントラ盤は映画のトラックから直接落した"本物のサン・トラ"だったようで、ライツに厳しい現在では考えられないことです。従って再発売も、ましてやCD化などあり得ないレコード達です。

 

ニラ・ピッツィの曲は2枚ともB面です。このオリジナルはチェトラからでているSPで
DC-5447 (1951年 2月14日 CETRA - CETRA)純愛(カタリ・カタリ CORE 'NGRATO)/星と涙(STELLE E LACRIME)

映画「純愛(CORE 'NGRATO)」よりとなっています。映画自体が"カタリ・カタリ"をテーマにしているので音楽が主題の「純愛」映画だったと思います。"星と涙"は1952年のヒット・パレード第8位になりました。

 

 その後ニラ・ピッツィの国内盤が出たのは5年後、ジリオラ・チンクェッティの"夢みる想い"が大ヒットし、サンレモ音楽祭が一般的な注目を浴びるようになってからです。

 

                 17M-1010                  

17M-1010  (1964年7月20日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモのすべて第1集(TUTTE LE SAN REMO Vol. 1)

1.花をありがとう (GRAZIE DEI FIORI)
2.飛べよ小鳩 (VOLA COLOMBA)
3.秋の並木道 (VIALE D'AUTUNNO)
4.美しきママ (TUTTE LE MAMME)
1、2 ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI); 3 カルラ・ボ-ニ (CARLA BONI); ジーノ・ラティルラ (GINO LATILLA)

 

ニラ・ピッツィは1975年春、「民音第一回イタリア音楽祭」に出演のため、初来日します。その来日記念盤として、シングル盤が出ました。

 

HIT-2196  (1975年4月25日 SEVEN SEAS - キング) つた (L'EDERA)/花をありがとう(GRAZIE DEI FIORI)

                                HIT-2196

このシングル盤は後年アリストン(ARISTON)に移籍してからのセルフ・カヴァーです。A面の"つた"はチェトラからRCAに移籍し1958年サンレモ音楽祭第2位になったRCA時代の代表曲です。

 

LAX- 118 (1975年4月25日 SEVEN SEAS - キング) 花をありがとう/ニラ・ピッツィ (GRAZIE DEI FIOR/NILLA PIZZI) 30cmLP 原盤ARISTON,Italy

                                LAX- 118 

1.花をありがとう (GRAZIE DEI FIORI)
2.飛べよ小鳩 (VOLA COLOMBA)
3.ポパ・ピコリーノ (PAPAVERI E PAPERE)
4.鐘つき人 (CAMPANARO)
5.つた (L'EDERA)
6.夜のヴァイオリン (VIOLINO TZIGANO)
7.クレオラ (CREOLA)
8.ク・ク・ル・ク・ク・パロマ (CU-CU-RRU-CU-CU PALOMA)
9.夢 (SOGNO)
10.幻想のベニス (FANTASTICA VENEZIA)

GP- 387 (1975年10月 SEVEN SEAS - キング) ニラ・タンゴ/ニラ・ピッツィなつかしのスタンダードを歌う (NILLA TANGO/BALLO LISCO) 30cmLP 原盤ARISTON,Italy
1.ミニエラ (MINIERA) ※1
2.ドンデ・エスタス・コラソン (DONDE ESTAS CORAZON) ※2
3.アマド・ミオ (AMADO MIO) ※3
4.チンゴリート (CHINGOLITO) ※4
5.夜のヴァイオリン (VIOLINO TZIGANO) ※5
6.クレオラ (CREOLA) ※6
7.カミニート (CAMINITO) ※7
8.ママの涙 (BALOCCHI E PROFUMI) ※8
9.カンタンド (CANTANDO) ※9
10.しじゅうからのタンゴ (IL TANGO DELLE CAPINERE) ※10
11.ベサメ・ムーチョ (BESAME MUCHO) ※11
12.ローマが歌う時 (QUANNO SE CANTA ROMA)
13.ロマーニャ・ミア (ROMAGNA MIA)

GP- 387GP- 387  SR- 873http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1f/8e/cnz27hrio/folder/496300/img_496300_7692024_9?1359680436 

SR- 873 (1974年7月25日※ SEVEN SEAS - キング) ニラ・タンゴ/女王ニラ・ピッツィ懐かしのタンゴを歌う (NILLA TANGO/BALLO LISCO) 30cmLP 原盤ARISTON,Italy 

※現在まで存在確認が出来ません。未発売と思います。特に売れ筋でなく一旦発売延期となり、民音コンサートに来日後、新たに2曲足し日本タイトルを変更して発売されたと推測しています。

RCA時代の話と国内盤アルバム、コンピの話はまた改めていたしましょう。




サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)  3

 第2回となると前回の伴奏の強化を図り、楽団の人数を増やした他、ピアノ、トランペット、ギターなどのソリストやジャズ・バンドも加え、あらゆる曲に対応できる様にしました。また「北のピエディグロッタ」呼ばれ、一応成功したと確信したようです。
 第2回はイベントとしてフィアット(FIAT)はじめ、オートバイや電化製品のスポンサーがつき、また避寒の保養地として観光宣伝もされるようになりました。
 審査は途中棄権票が出ないよう、チケットに番号を入れ、審査はRAI、サンレモ観光協会など権威者の組織する実行委員会が監督するようになります。

第2回 1952年1月28日(月)~30日(水) サンレモ市カジノ付属劇場

司会:ヌンツィオ・フィロガーモ (Nunzio Filogamo)

楽団指揮:チニコ・アンジョリーニ (Cinico Angelini)

オーガナイザー:イタリア放送協会(RAI);サンレモ市カジノ場(Casino di Sanremo)

形式:出場曲数20曲。1曲1歌唱で2夜に各10曲を歌い、各夜5曲ずつを入賞曲を選出し、最終夜に優勝、2位、3位を決定する。.

<優勝> 飛べよ小鳩 Vola colomba (B.Cherubini - C.Concina)出版社 LEONARDI ニラ・ピッツィ (vf)  Nilla Pizzi (CETRA - CETRA) DC-5465;DC-5472 [SP]


DC-5465DC-5465   DC-5473DC-5473a  

<2位> ポパ・ピコリ-ノ Papaveri e papere (N.Rastelli - M.Panzeri - V.Mascheroni) 出版社 MASCHERONI ニラ・ピッツィ (vf)  Nilla Pizzi (CETRA - CETRA) DC-5465;DC-5473 [SP]

<3位> 祈る女 Una donna prega (Pinchi - V.Panzuti) 出版社 SOUVENIR ニラ・ピッツィ (vf)  Nilla Pizzi (CETRA - CETRA) DC-5463 [SP]

DC-5463DC-5463a   DC-5463DC-5463b 

<入賞曲>


4位 
バラのマドンナ Madonna delle rose (G.Fiorelli - M.Ruccione) 出版社 SUVINI ZERONI オスカ-・カルボ-ニ (vm) Oscar Carboni (CETRA - CETRA) DC-5463 [SP]

5位 イタリアからのレコ-ド Un disco dall'Italia (Nisa - G.D'Anzi) 出版社 D'ANZI ジ-ノ・ラティルラ (vm)  Gino Latilla (CETRA - CETRA) 不明 [SP]

             DC-5472DC-5472b  

6位 期待 L'attesa (Biri - N.Ravasini) 出版社 AMBROSIANA ジ-ノ・ラティルラ (vm)  Gino Latilla (CETRA - CETRA) DC-5472 [SP]

7位 なぜって女は美しいから Perchè le donne belle (A.Sopranzi - F.Fassino) 出版社 CLAUDIA オスカ-・カルボ-ニ (vm)  Oscar Carboni (CETRA - CETRA) DC-5462 [SP]

             DC-5462DC-5462  

8位 古い塀 Vecchie mura (Filibello -P.E.Bassi) 出版社 FONO ENIC アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5462 [SP]

9位 小説本 Libro di novelle (L.Citi - M.Casini) 出版社 BOLERO アキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA)不明 [SP]

10位 夢の王国で Nel regno dei sogni (Raspetti - C.A.Rossi) 出版社 ARISTON アキレ・トリア-ニ (vm) と ニラ・ピッツィ (vf) Nilla Pizzi & Achille Togliani (CETRA - CETRA) DC-5468 [SP]

Oscar CarboniOSCAR CARBONI 00    Gino LatillaGino Latilla     

 

<参加曲>

四輪馬車のリズム Al ritmo della carrozzella (E.L.Poletto - P.Pavesio) 出版社 FONOS ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Duo Fasano (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

ブオナノッテ Buonanotte ai bimbi del mondo (Minoretti - R.Zara) 出版社 TARQUINIA ニニラ・ピッツィ (vf) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Nilla Pizzi & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5464 [SP]

 

                        DC-5464DC-5464   

 

歌ってほほえんで Cantate e sorridete (G.C.Testoni - F.Fabor - C.Donida) 出版社 FAMA オスカ-・カルボ-ニ (vm) Oscar Carboni (CETRA - CETRA) DC-5464 [SP]

 

小さな首飾り La collanina (G.C.Testoni - D.Olivieri)出版社 SETTE NOTEアキレ・トリア-ニ (vm) Achille Togliani (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

                        DC-5473DC-5473b   

 

二匹の子猫 Due gattini (T.Giacobetti - Trinacria)出版社 ARDEA ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5473 [SP]

 

タランテラのメランコリ- Malinconica tarantella (G.C.Testoni - E.Ceragioli) 出版社 FAMA ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

失われた夢の子守歌 Ninna nanna ai sogni perduti (P.E.Bassi - G.C.Testoni - M.PANZERI) 出版社 FAST ニラ・ピッツィ (vf) Nilla Pizzi (CETRA - CETRA) DC-5471 [SP]

 

清らかな幻想 Pura fantasia (N.Rastelli - A.Fragna)出版社 NAZIONALE ジ-ノ・ラティルラ (vm) Gino Latilla (CETRA - CETRA)不明 [SP]

 

希望ばあさんのワルツ Il valzer di nonna Speranza (G.C.Testoni - S.Seracini) 出版社 CIPEM ニラ・ピッツィ (vf) と ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Nilla Pizzi & Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5471 [SP]

 

古い汽車 Vecchio tram (I.Callegari) 出版社 ARPA LUGO DI ROMAGNA ドゥオ・ファザ-ノ (duo) Duo Fasano (CETRA - CETRA) DC-5468 [SP]

 

第2回もピラ・ピッツィが優勝、2位、3位を独占する圧倒的な勝利で終わりました。これでニラは第二次世界大戦後の大スターの地位を不動のものとしました。
 第1回の男女歌手各1名とデュオ1組で新曲20曲を歌うのは厳しかったと見え、オスカー・カルボーニ(Oscar Carboni)とジーノ・ラティルラ(Gino Latilla)の男性歌手2名が増員されました。

 

原稿はワードで作ってアップしているのですが、各曲サンプル音声をハーパーリンクで貼り付けています。これがブログの制御文字を使ってすぐ字数制限に達してしまい。切りのよい所で終わることができません。このまま行くと毎回途中で切れてしまいそうで、時々調整を入れます。

 

 2007年、イタリアで面白いCDが出ているので紹介しておきましょう。80年代にできたTWILIGHT MUSIC(http://www.twilightmusic.it/IT/asiago10/index.php)が発売した"VIA ASIAGO 10"シリーズの1枚で、1952年サンレモ音楽祭のラジオで実況されたテープから起こされたものです。もう1枚1955年度も出されていて、各年出るかと期待をしたのですが、2年分のみでした。 55年は今でも在庫しているようですが、52年はリストに載っていません。

 

リーフレットのマイクの前でてを広げているのが司会のヌンツィオ・フィロガーモ (Nunzio Filogamo)、下が会場となったサンレモ市カジノ付属劇場の前景です。

   TWI・CD・AS-0733a TWI・CD・AS-0733TWI・CD・AS-0733b

 

TWI・CD・AS-0733 (2007年 VIA ASIAGO 10 - TWILIGHT MUSIC, Italy) 2゚ FESTIVAL DELLA CANZONE ITALIANA SANREMO 1952 (第2回サンレモ音楽祭1952)

[CD1]

1.CARI AMICI VICINI E LONTANI (第2回サンレモ音楽祭オープニング)
2.C'E' UNA CHIESETTA
3.PERCHE' LE DONNE BELL (なぜって女は美しいから)
4.AL LITOMO DELLA CARROZZELLA (四輪馬車のリズム)
5.PURA FANTASIA (清らかな幻想)
6.LA COLLANINA (小さな首飾り)
7.PAPAVERI E PAPERE (ポパ・ピコリーノ)
8.MALINCONICA TARANTELLA (タランテラのメランコリー)
9.MADONNA DELLE ROSE (バラのマドンナ)
10.DUE GATTINI (二匹の子猫)
11.NEL REGNO DEI SOGNI  (夢の王国で)
12.UNA DONNA PREGA (祈る女)
13.VOLA COLOMBA (飛べよ小鳩)

[CD2]

1.VECCHIE MURA (古い塀)
2.CANTANTE E SORRIDETE (歌ってほほえんで)
3.VECCHIO TRAM  (古い汽車)
4.L'ATTESA (期待)
5.BUONANOTTE AI BIMBI DEL MONDO (ブオナノッテ)
6.LIBRO DI NOVELLE (小説本)
7.IL VALZER DI NONNA SPERANZA (希望ばあさんのワルツ)
8.UN DISCO DALL'ITALIA (イタリアからのレコード)
9.NINNA NANNA DEI SOGNI PERDUTI  (失われた夢の子守歌)
10.VOLA COLOMBA (飛べよ小鳩)
11.PAPAVERI E PAPERE (ポパ・ピコリーノ)
12.UNA DONNA PREGA (祈る女)
13.FINALE (第5回サンレモ音楽祭フィナーレ)

1)-1、2)-13 ヌツィオ・フィロガーモ(司会); 1)-2 チニコ・アンジェリーニ楽団(演奏); 1)-3,9, 2)-2 オスカ-・カルボ-ニ; 1)-4,10, 2)-3ドゥオ・ファザーノ; 1)-5,8, 2)-4,8 ジーノ・ラティルラ; 1)-6,8, 2)-1,6 アキレ・トリアーニ; 1)-7,12,13, 2)-9~12 ニラ・ピッツィ; 1)-11 アキレ・トリアーニと ニラ・ピッツィ; 2)-5,7 ニラ・ピッツィ と ドゥオ・ファザーノ

 

すべてライヴ録音です。もちろんラジオのモニターとして取られた当時のテープなので音質は良くありませんが、全曲聴けます。トラック・リストを載せましたが、CDに書いてあるのはヌツィオ・フィロガーモが司会している部分もナンバーを付けていますが、データとして皆さんに見て頂くのには不要と判断して省略しています。

 

次回からは第1回、第2回に出場した歌手達を紹介していく予定です。




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