カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモの歌手たち 346 ヌオヴィ・アンジェリ 4

 ★ヌオヴィ・アンジェリ, {イ・} (compl) I Nuovi Angeli

 1960年代半ばに結成されたビートニック・グループでノマーディ(I Nomadi)と同様に年バー・チェンジを重ね、21世紀まで活動を続け、50周年を迎える。

 

 1963年ギターのアルベルト・バゼッティはベースのレナート・サッピオーニと共にドラムスのフランコ・ヴェルデを誘い、当時はやり始めたビートニック・バンドでヌオヴィ・アンジェリを結成しました。

1963年結成時メンバー

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル (1963-1978, 2005-2006)

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース (1963-1978)

・フランコ・ヴェルデ(Franco Verde) ドラムス(1963-1965)

 

所属レコード会社Durium, CAR Juke Box, Philips Records, Polydor, Warner Bros Records, Cinevox, Dischi Ricordi, Five Record, Yep, Duck Records, SMImusic

サンレモ音楽祭出場1回:1972年参加

 

               2449-0242449-024 

 

1972年サンレモ音楽祭出場メンバー

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在)、本名パスクァーレ・カンツィ (Pasquale Canzi) 194791日ミラノ生。

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabiobni) ベース担当(1963-1978)194755日トリノの東40kmにある小都市アレッサンドリア (Alessandria)生。

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル担当(1963-1978, 2005-2006)194619日アレッサンドリア (Alessandria)2010 1 22 日没

 ・マウロ・パオルッツィ (Mauro Paoluzzi) ドラムス、打楽器担当 (1971-1978)1945 9 11 日ローマ生。

 

 パキと結成以来のレナート、アルベルトに1971年以来のドラムスのマウロという安定メンバーでしたが、パキの自叙伝ともいえるアルバム「Stasera Clowns」制作以降はバンド内に亀裂が生じ、78年に分裂(実際は解散)し、パキがヌオヴィ・アンジェリのバンド名を使って音楽活動を続けますが、レナート、アルベルトの二人は法廷闘争に持ち込みます。

 

 イタリア版ウィキペディアでもパキを含み旧メンバーは78年で切れ、ヌオヴィ・アンジェリのバンド名は63年結成メンバーに帰属するという判決で和解し、再結成するまで空白期間扱いにしています。

 

 とは言え、パキは他のメンバーを集め、ヌオヴィ・アンジェリの名前で活動を続けましたので、彼らのことを紹介していきましょう。

 

1978年以降のメンバー

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在)

・ダニエレ・トルキオ (Daniele Torchio) ベース、ヴォーカル担当(1978-1984)

・ロジャー・リッコボーノ (Roger Riccobono) ギター担当(1978-1981)

・ヴァレリオ・リボーニ (Valerio Liboni) ドラムス、打楽器担当 (1978-1985)

 

 バンド名の権利に係るため新譜を出せなかった模様(また出すような人気もなく)で、83年ポリドールから僅かに編集ベスト盤が発売されたくらいです。

 

2449-024 (1983 Polydor - Polygram) I Nuovi Angeli Donna Felicità ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

.Donna Felicità (いとしのフェリチータ)

.Trighe Contro Trighe

.Un viaggio in Inghilterra (イギリス旅行)

.Anna Da Dimenticare

.Uakadì Uakadù (WAKADI WAKADOU それが人生 Jeanne Cloude Massoulier)

.Ok ma sì va' là (オーケイ・メシバラ)

.Tira E Molla

.Singapore (シンガポール)

.Troppo Bella Per Restare Sola TROP BELLE POUR RESTER SEULE 恋の噂Ringoリンゴ・ウィリー・キャット)

10.Frangipane Antonio

11.La Scatola Rosa

12.Foto Di Scuola

13.Il Cusino Bianco

14.Giù Buttati Giù

 

 81年ギターのロジャー・リッコボーノがやめ、デイヴ・サマーに交代、キーボード、ヴォーカルでアルド・ヴァレンテが加入します。そしてベルルスコーニのフィニンベスト財閥系イタリア民間放送局の子会社ファイヴ・レコードから久々のシングル盤を2枚出しました。

 

FM-13022 (1984 Five Record - CGD MESSAGERIE MUSICALI) Io Sto Bene Con Te/Medley

FM-13022FM-13022  FM-13051FM-13051 

FM-13051 (1984Five Record - CGD MESSAGERIE MUSICALI) Puà/ E Non Mollare Mai

 

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在)

・ダニエレ・トルキオ (Daniele Torchio) ベース、ヴォーカル担当(1978-1984)

・ロジャー・リッコボーノ (Roger Riccobono) ギター担当(1978-1981)

・デイヴ・サマーDave Sumner ギター(1981-1985)

・アルド・ヴァレンテ (Aldo Valente) キーボード、ヴォーカル(1981-1985)

・ヴァレリオ・リボーニ (Valerio Liboni) ドラムス、打楽器担当 (1978-1985)

・マッテオ・ガラーノ (Matteo Galano) ドラムス (1985-1998)

・マルコ・ボニーノ (Marco Bonino) ギタリスト(1985-)

アレッサンドラ・ラーヤ(Alessandra Raya) ヴォーカル(1985-1989)

・アントニオ・ダリッコ (Antonio Dalicco) ベース、ヴォーカル(1986-1998)

 

 84年にベースのダニエレ・トルキオ、85年ギターのデイヴ・サマー、キーボードのアルド・ヴァレンテ、ドラムスのヴァレリオ・リボーニもやめてしまい、代わりにドラムスのマッテオ・ガラーノの参加説とヴァレリオ・リボーニが98年まで在籍の2説があります(85年以降はバンドに拘束されない形でのコラボをしたか?)。それからトリノ生まれのギタリストのマルコ・ボニーノと元ポップコーンの女性ヴォーカルでパキの奥さんでもあるアレッサンドラ・ラーヤが,翌86年にはベースのアントニオ・ダリッコが参加します。

 

 ロック・バンドのヌオヴィ・アンジェリではなく、女性ヴォーカルのはいったテクノ・ミュージック・グループ、ヌオヴィ・アンジェリに変わり、87年リコルディからヌオヴィ・アンジェリのヒット曲をテクノ・ポップ風にカヴァーしたアルバムを出しました。これはCDで再発売されています。

 

ORL-8859ORL-8859  CDOR-8859CDOR-8859 

ORL-8859 (1987Ricordi - Dischi Ricordi) Al Ventesimo Anno

CDOR-8859 (1987Ricordi - Dischi Ricordi) CD Al Ventesimo Anno

.Voi Del '96

.Donna Felicità (いとしのフェリチータ)

.Color Cioccolata (チョコレート色)

.Questo È Un Addio (WHAT A WAY TO DIE くちづけよ、さようならOla & The Janglers)

.Uakadì Uakadù (WAKADI WAKADOU それが人生 Jeanne Cloude Massoulier)

.Carovana (キャラバン)

.Cuori Antipatici

.Anna Da Dimenticare

.Singapore (シンガポール)

10.Samarcanda

11.Ragazzina Ragazzina (MENDOCINOメンドシーノ- Sir Douglas Quintet)

12.Hello, Come Stai? (Hello, How Are You - THE EASYBEATS)

LOCD-300402 (1995 Orizzonte - BMG RICORDI) CD Al Ventesimo Anno

74321-300402 (1998 Orizzonte - BMG Ariola) CD Al Ventesimo Anno

LOCD-300402 LOCD-30040・2 74321-30040274321-30040・2 

 

 ヌオヴィ・アンジェリの名前が思い出されたのか、ドゥリウムから当時の編集ベスト盤がでました。

(これ以降の盤で、データ不足のため割愛、曲もクリスト不掲載、ジャケット画像不掲載にした盤があります、ご承知ください。)

 

DAI- 1537(1987 Durium - Durium) Color Cioccolata (チョコレート色)

.Color Cioccolata (チョコレート色)

.Ob-La-Dì Ob-La-Dà (オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダBeatles)

.Quando Giulia Tornerà (When Julies Comes Around ジュリーは恋人 CUFF LINKS)

.L'Uomo Di Neanderthal (NEANDERTHAL MAN ネアンデルタール・マン HOTLEGS)

.Dirò Di No (Minellono - F.Piccarreda - P.Donaggio)

.Sole Buonanotte

.Non C'È Bisogno Di Piangere

.Ragazzina Ragazzina (MENDOCINOメンドシーノ- Sir Douglas Quintet)

.Per Vivere Insieme (Happy Together ハッピー・トゥゲザー)

10.Il Battello Mary (PROUD MARYプラウド・メアリーCreedence Clearwater Revival).GIORNO PER GIORNO 11Il Dubbio (YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー~CARRY THAT WEIGHT キャリー・ザット・ウェイト- Beatles)

13.Le Cose Di Sempre

14.Giorno Per Giorno

DAI- 1537NO IMAGE-WANTED  PKY-078NO IMAGE-WANTED

PKY-078 (1988Bubblegum - ) Soli Soli/Tete A Tete

 

 86年初代女性ヴォーカルのアレッサンドラ・ラーヤが退き、カテリーナ・デ・フランセスコ(Caterina De Francesco) が96年まで女性ヴォーカルを務めます。88年にバブルガム・レーベルからシングル盤“Soli Soli”を出していますが、掲載した事以上のことは判りません。

 

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在))

・マッテオ・ガラーノ (Matteo Galano) ドラムス (1985-1998)

・マルコ・ボニーノ (Marco Bonino) ギター(1985-?)

・アントニオ・ダリッコ (Antonio Dalicco) ベース、ヴォーカル(1986-1998)

・カテリーナ・デ・フランチェスコ(Caterina De Francesco) (1986-1996)

 

 89年小会社ながらサント・カリフォルニアなど斬新な音楽を出していたYEPから小洒落たシングル盤とアルバムを出しました。

 

YNP-998 (1989Yep - Dischi Ricordi) Bella Questa Storia / Uno Strano Carnevale

YNP-998YNP-998 YLP-14YLP-14 

YLP-14 (1989 Yep - Yep Record) I Nuovi Angeli

.Bella Questa Storia

.Ninna O'

.Tu Mi Liberi Così

.Nuovi Angeli 2009

.Soli Soli

.Uno Strano Carnevale

.Amici Miei Infinitamente Cari

.Nuovi Angeli 2009

 

 89年日本ではルーナのアルバムで知られるパナレコーズからプロモ盤らしき4曲入りを出します。掲載した事項以上のことは不明。

 

PSE-10306 (1989 Panarecord - Panarecord) I Nuovi Angeli [MiniLP Promo?]

.L'Ultima Occasione

.Zucchero E Caffè

.Sarà

.Oh Baby

            PSE-10306PSE-10306 

 

 90年にアルバム「Voliamo Ancora」を発売、アントニオ、ヴァレリオ、デイヴと組む《Gli EX Nuovi Angeli(元ヌオヴィ・アンジェリ)》は92年に最後の仕事を終えました。

 

 90年ファイヴ・レコードから新曲2曲にカヴァー曲を入れたアルバムを出します。

 

FM-13669 (1990 Five Record - CGD) Voliamo Ancora

EP-70092 (1997ECO POP - RTI Music) CD Una storia che continua

.Donna Felicità (いとしのフェリチータ)

.Singapore (シンガポール)

.Carovana (キャラバン)

.Giù Buttati Giù

.Uakadì Uakadù (WAKADI WAKADOU それが人生 Jeanne Cloude Massoulier)

.Il Cuscino Bianco

.Hello Come Stai? (Hello, How Are You - THE EASYBEATS)

.Anna Da Dimenticare

.Ragazzina (MENDOCINOメンドシーノ- Sir Douglas Quintet)

10.Color Cioccolata (チョコレート色)

11.Bella Idea

12.Cipputi

13.Solitudine D'Amore

FM-13669FM-13669 EP-70092EP-7009・2 

 

 93年ダンス・ミュージック・レーベルのディスコ・マジックからマキシ・シングル盤を出しています。

 

MIX-906 (1993Discomagic - Discomagic) 12”Maxi Donna Felicità (いとしのフェリチータ)/ Ragazzina (MENDOCINOメンドシーノ- Sir Douglas Quintet)

              MIX-906MIX-906   

 

 

 

ヌオヴィ・アンジェリの国内盤は最終回に掲載します、ヌオヴィ・アンジェリは次回に続きます

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サンレモの歌手たち 345 ヌオヴィ・アンジェリ 3

ヌオヴィ・アンジェリ, {イ・} (compl) I Nuovi Angeli

 1960年代半ばに結成されたビートニック・グループでノマーディ(I Nomadi)と同様に年バー・チェンジを重ね、21世紀まで活動を続け、50周年を迎える。

 

 1963年ギターのアルベルト・バゼッティはベースのレナート・サッピオーニと共にドラムスのフランコ・ヴェルデを誘い、当時はやり始めたビートニック・バンドでヌオヴィ・アンジェリを結成しました。

1963年結成時メンバー

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル (1963-1978, 2005-2006)

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース (1963-1978)

・フランコ・ヴェルデ(Franco Verde) ドラムス(1963-1965)

 

所属レコード会社Durium, CAR Juke Box, Philips Records, Polydor, Warner Bros Records, Cinevox, Dischi Ricordi, Five Record, Yep, Duck Records, SMImusic

サンレモ音楽祭出場1回:1972年参加

 

               2060-0992060-099

 

1972年サンレモ音楽祭出場メンバー

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在)、本名パスクァーレ・カンツィ (Pasquale Canzi) 194791日ミラノ生。

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース担当(1963-1978)194755日トリノの東40kmにある小都市アレッサンドリア (Alessandria)生。

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル担当(1963-1978, 2005-2006)194619日アレッサンドリア (Alessandria)2010 1 22 日没

 ・マウロ・パオルッツィ (Mauro Paoluzzi) ドラムス、打楽器担当 (1971-1978)1945 9 11 日ローマ生。

 

 

 ヌオヴィ・アンジェリは英語圏への進出を考え、ドイツで“シンガポール(Singapore)”を英語で歌い“アンジェリーナ(Angelina)”とし、B面に“Il Mondo Di Papà”の英語版“Just Another Sunday”を入れたシングル盤を作りました。

 

6025-060 (1972 Philips - Polygram) Angelina (Singapore)/Just Another Sunday (Il Mondo Di Papà)

6025-0606025-060 2060-0462060-046

2060-046 (1973 Polydor - Polygram) La Povera Gente/Un Bambino, Un Gabbiano, Un Delfino, La Pioggia E Il Mattino

 

 “La Povera Gente”は夏のディスクの出場曲ですが、予選敗退でした。

 

 彼らがトリブ・ベナディール (La Tribù Di Benadir)名義で出したシングル盤、イタリア以外(Philips盤)はヌオヴィ・アンジェリで発売しています。

 

2060-055 (1973 Polydor - Polygram) Kuku-Ui Kuku-Ue/Hey, Hey!, inciso con lo pseudonimo "La tribù di Benadir"

2060-0552060-055 2060-0592060-059

2060-059 (1973 Polydor - Polygram) Anna Da Dimenticare/ Il Cuscino Bianco

 

 A面は年末恒例TV音楽番組最大のショウ「カンツォニッシマ」出場曲です。カンツォニッシマの人気は高く、74年年間ヒット・ランク18位のメガヒットとなりました。

 

 このメガヒット曲をタイトルとしたアルバム「Anna Da Dimenticare」が発売されました。“Il Mondo Di Papà”の英語版“Just Another Sunday”も収録されました。また年間ヒット・ランク82位になり、ヌオヴィ・アンジェリは初めてアルバム・ランキングに名前が載りました。

 

2448-021L (1974 Polydor - Polygram) Anna Da Dimenticare

.Anna Da Dimenticare

.Frangipane Antonino

.Foto Di Scuola

.Trighe Contro Trighe

.Just Another Sunday (Il Mondo Di Papà)

.Favola 73'

.Troppo Bella TROP BELLE POUR RESTER SEULE 恋の噂Ringoリンゴ・ウィリー・キャット)

.Un Bambino, Un Gabbiano, Un Delfino, La Pioggia E Il Mattino

.Il Cusino Bianco

10.Giù Buttati Giù

2448-021L2448-021・L 2060-0712060-071

2060-071 (19744 Polydor - Polygram) Carovana (キャラバン)" "/Trighe Contro Trighe

 

 74年夏のディスクに出場、“キャラバン”最終選入賞になりました。前年は予選敗退だったので気合を入れて臨んだのでしょう。そしてこの曲は年間ヒット・ランク63位のヒットとなりました。

 

 少し余裕が出来たのでしょうかヌオヴィ・アンジェリは意欲的なコンセプト・アルバムに取り組みます。彼らに楽曲を提供しているカンタウトゥーリのロベルト・ヴェッキオーニ(Roberto Vecchioni)とレナート・パレーティ(Renato Pareti)が書下ろしたパキ・カンツィの自叙伝と言われている曲にスカラ劇場管弦楽団がバックにつき、ジャケットはジャンニ・ロンコ(Gianni Ronco)のイラストをルチアーノ・タッラリーニ(Luciano Tallarini)がデザインした豪華盤、イタリアン・ロックの人たちからも一定の評価をされたLPです。しかし彼らの意気込みほど世の中に受入れられなかったのか、年間ベスト・アルバムにランク・インしませんでした。その結果バンド内に亀裂が生じ始めます。

 

2448-033A (197412 Polydor - Polygram) Stasera Clowns

.Stasera Clowns

.Autogrill

.Castello

.Susy

.Musicante

.Stanza Dei Miracoli

.Stanza Di Tutti I Giorni

.in suite STANZA DI TUTTI I GIORNI

 a.Crescono I Muri, Crescono I Fiori

 b.Grande È L'America

 c.Soda Caustica Con Il Bianco In Più

 d.Goodbye Joe

 e.Prima Di Domani

.Ho Visto Un Tram

2448-033A2448-033・A  2060-0922060-092  

2060-092 (1975 Polydor - Polygram) Stanza Dei Miracoli / Stasera Clowns

 

 コンセプト・アルバムト「Stasera Clowns」から2曲がシングル・カットされました。こちらも年間ヒット・ランク100に入りませんでした。これらは『歌手達が聴衆に喜びを与えるためレコード会社に踊らされている』と受取られる内容があったためセールス・プロモーションが行われず、2006年にCD化されるまで、復刻されることもありませんでした。

 

 75年夏のディスクに“Bella Idea”で出場し、本選は通過しましたが入賞はできませんでした。

 

2060-099 (19754 Polydor - Polygram) Bella Idea/ La Certezza ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

 ポリドールから編集ベスト盤が発売されます。

 

2449-013 (1975 Polydor - Polygram) I Nuovi Angeli

.Anna Da Dimenticare

.Frangipane Antonino

.Foto Di Scuola

.Trighe Cronto Trighe

.Giù Buttati Giù

.Donna Felicità (いとしのフェリチータ)

.Favola 73'

.Troppo Bella Per Restare Sola TROP BELLE POUR RESTER SEULE 恋の噂Ringoリンゴ・ウィリー・キャット)

.Il Cuscino Bianco

10. Uakadì-Uakadù (WAKADI WAKADOU それが人生 Jeanne Cloude Massoulier)

2449-0132449-013 2060-1202060-120

2060-120 (1976Polydor - Polygram) Mamma Luna [collaborazione con Vangelis,]/ Teresa La Vispa

 

 76年彼らはまた新たな試みをしました。ヴァンゲリスとコラボし“Mamma Luna”を出しました。

 

 70年代半ば、今まで人気のあったカンツォーネ歌手は(特に歌謡曲系の歌手は)急激に人気を失っていきます。アルバム「Stasera Clowns」の一件以来、ヌオヴィ・アンジェリも次第に一般的人気が落ちていきます。彼らのバンド内部にも微妙な変化がおき始めます。

 

 旧籍ドゥリウムから編集ベスト盤が発売されました。

 

BL-7116 (1976Cicala - Durium) Nuovi Angeli

.Sole Buonanotte

.Dirò Di no

.Non C'è Bisogno Di Piangere

.Color Cioccolata (チョコレート色)

.Quando Giulia Tornerà (When Julies Comes Around ジュリーは恋人 CUFF LINKS)

.Le Cose Di Sempre

.Ragazzina Ragazzina (MENDOCINOメンドシーノ- Sir Douglas Quintet)

.Il Battello Mary (PROUD MARYプラウド・メアリーCreedence Clearwater Revival).GIORNO PER GIORNO

.Giorno Per Giorno

10.L'Uomo Di Neanderthal (NEANDERTHAL MAN ネアンデルタール・マン HOTLEGS)

11.Il Dubbio (YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー~CARRY THAT WEIGHT キャリー・ザット・ウェイト- Beatles)

12.Balla Balla Con Me

BL-7116BL-7116 T-16897T-16897

T-16897 (19774Warner Bros – Messaggerie Musicali) Piccoli Amanti/Gira Il Luna Park

 

 ヌオーヴィ・アンジェリはポリドールから75年にWEAイタリアーナとして発足したばかりのワーナー・レーベルから77年4月“Piccoli Amanti”から発売しましたが、注目されることもなく、彼らもワーナーからはこの1枚だけしか出しませんでした。

 

 78年バンド内に大きな動きがあります。ヌオヴィ・アンジェリは解散状態となります。結成時のレナート・サッビオーニ、アルベルト・パゼッティとパキ・カンツィはヌオヴィ・アンジェリの名称使用権に関する法廷闘争が行われます。

 

 マウロ・パオルッツィは多彩な人で75年ヌオヴィ・アンジェリに楽曲を提供しているロベルト・ヴェッキオーニのアルバム「Ipertensione」ではギタリストとして演奏に加わっていました。こうしてマウロはこの揉め事を機に、ギタリストとして腕を磨き、またアレンジャー、音楽プロデューサーとしての仕事をしたかったようで、バンドを離れていきました。

 

 マウロ・パオルッツィは80〜90年代有名歌手(特に女性歌手)のプロデューサーとして働いており、彼のことはまた機会があれば『インエルメッツォ』の時でも書こうと思っています。

 

カレンツィは3人のメンバーをあつめバンド活動を再開しました。

 

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在)、本名パスクァーレ・カンツィ (Pasquale Canzi) 194791日ミラノ生。

・ダニエレ・トルキオ (Daniele Torchio) ベース、ヴォーカル担当(1978-1984)

・ロジャー・リッコボーノ (Roger Riccobono) ギター担当(1978-1981)

 ・ヴァレリオ・リボーニ (Valerio Liboni) ドラムス、打楽器担当 (1978-1985)

 

 パキ・カンツィはレコード会社をチネボックス(Cinevox)に決めました。日本では名前の通り映画音楽のレコード会社と知られていますが、日本のサントラ・ファンが貢いだお蔭かどうかは知りませんが、80年代はカンツォーネを扱う中堅会社として隆盛を極め、毎年サンレモ音楽祭に歌手を送込んでいます。

 

 1枚目はポピュラー音楽のシングル盤(SCシリーズ)ともう1枚は映画音楽のサントラ盤(MDFシリーズ)のシングル盤を出しました。

 

SC-1111 (1978Cinevox - Dischi Ricordi) Non Piange Ringo Starr / Nonna Papera

SC-1111SC-1111 MDF-122MDF-122

MDF-122 (1979 Cinevox - Dischi Ricordi) Now (dalla colonna sonora del film Controrapina),/The loner [Paolo Vasile]

 

 80年に1枚シングル盤“Angelo Balù”を出します。New Angels Recordと言う聞いたことのないレーベル、「Nuovi Angeli」の英語で、自社(自主)製作盤なのでしょう。

 

NWR-700 (19803 New Angels Record - ) Angelo Balù/ Formula Strampalata

             NWR-700 NWR-700  

 

 

 

ヌオヴィ・アンジェリの国内盤は最終回に掲載します、ヌオヴィ・アンジェリは次回に続きます

サンレモの歌手たち 344 ヌオヴィ・アンジェリ 2

ヌオヴィ・アンジェリ, {イ・} (compl) I Nuovi Angeli

 1960年代半ばに結成されたビートニック・グループでノマーディ(I Nomadi)と同様に年バー・チェンジを重ね、21世紀まで活動を続け、50周年を迎える。

 1963年ギターのアルベルト・バゼッティはベースのレナート・サッピオーニと共にドラムスのフランvコ・ヴェルデを誘い、当時はやり始めたビートニック・バンドでヌオヴィ・アンジェリを結成しました。

 

1972年サンレモ音楽祭出場メンバー

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在)、本名パスクァーレ・カンツィ (Pasquale Canzi) 194791日ミラノ生。

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース担当(1963-1978)194755日トリノの東40kmにある小都市アレッサンドリア (Alessandria)生。

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル担当(1963-1978, 2005-2006)194619日アレッサンドリア (Alessandria)2010 1 22 日没

 ・マウロ・パオルッツィ (Mauro Paoluzzi) ドラムス、打楽器担当 (1971-1978)1945 9 11 日ローマ生。

 

所属レコード会社Durium, CAR Juke Box, Philips Records, Polydor, Warner Bros Records, Cinevox, Dischi Ricordi, Five Record, Yep, Duck Records, SMImusic

サンレモ音楽祭出場1回:1972年参加

 

              2060-0412060-041

 

 フェスティヴァル・バールの“Ragazzina ragazzina”が年間ヒット・ランク78位に入るヒットとなり彼らは70年サンレモ音楽祭出場を期待しましたが所属のドゥリウムが不参加を表明し、夢となります。

 

 その代替が夏のディスクに“チョコレート色”で出場をします。本選に残りますが最終選には勧めません。この曲、作曲がレナート・アンジョリーニ(Renato Angiolini)になっていますが、無名の頃のエドアルド・ベンナート(Edoardo Bennato)が名義借りをして書いた曲でした。

 

LdA-7673 (19704 Durium - Durium) Color Cioccolata (チョコレート色)/Dirò Di No (Minellono - F.Piccarreda - P.Donaggio)

 LdA-7673Ld・A-7673  LdA-7680Ld・A-7680

LdA-7680 (1970 Durium - Durium) Quando Giulia ritornerà (WHEN JULIE COMES AROUND ジュリーは恋人)/L'Uomo Di Neanderthal (NEANDERTHAL MAN ネアンデルタール・マン)

 

 次にフェスティヴァル・バールのグループ部門(SERIE GIALLA (Complessi)に出場します。カフ・リンクス(Cuff Links)の“ジュリーは恋人”をイタリア語カヴァー、B面もホットレックス(Hotlegs)の“ネアンデルタール・マン”のカヴァーでした。

 

 実績を積んできた彼らは71年サンレモ出場に期待をしていました。出場曲“Andata E Ritorn”が決まっていましたがドゥリウムが、早々にサンレモ撤退を決め、ヌオヴィ・アンジェリは会社に不満を抱きます。その頃ドラムスをマウロ・パオルツィに交代したこともあり活動休止状態でした。

 

 マウロは駐留米軍黒人兵の作ったバンド、フォー・ケンツ(Four Kents)のドラムスで、スタジオ・ミュージシャンとして彼らのヒット曲“いとしのフェリチータ”や“シンガポール”を書くロベルト・ヴェッキオーニ(Roberto Vecchioni)と多くの仕事をしており、ヌオヴィ・アンジェリの事を良く知っていました。

 

・パキ・カンツィン(Paki Canzi) ピアノ、ヴォーカル(1966-現在)

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル (1963-1978, 2005-2006)

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース (1963-1978)

・シルヴァーノ・トラヴェンツォッロ (Silvano Travenzollo) ドラムス、ヴォーカル(1966-1971)から

・マウロ・パオルッツィ (Mauro Paoluzzi) ドラムス(1971-1978)

に交代、サンレモ音楽祭出場メンバーとなります。

 

 “Sole, Buonanotte”はピノ・ドナッジォの曲、この曲からマウロ・パオルッツィが参加しました。彼らはこのシングル盤を最後にドゥリウムを退社、イタリア・フォノグラムに移籍を決意しました。

 ただ大手レコード会社間の紛争を避けるため、一旦中小レーベルのCARジューク・ボックスから新曲いとしのフェリチータ“を出します。

 

LdA-7716 (19713 Durium - Durium) Sole, Buonanotte (Minellono - F.Piccarreda - P.Donaggio)/ Le Cose Di Sempre

LdA-7716Ld・A-7716 CRJNP-1062CRJ・NP-1062

CRJNP-1062 (19714 CAR Juke Box - Polygram) Donna Felicità (いとしのフェリチータ) "Un disco per l'estate 1971"/Okay, ma sì va' là (オーケイ・メシバラ)

 

 皮肉なことに“いとしのフェリチータ”は夏のディスクの出場曲で最終選10位入賞、年間ヒット・ランク23位の大ヒットになり、日本でもシングル盤が発売ます。彼らの代表作として多くの編集ベスト盤に収録されることになります。

 

St8A-20015 (1971Durium - Durium) Sole buonanotte! [8トラック・カセットのみ)

 

 このヒットで8トラック・カセット・アルバム(詳細不明)が発売されました。また詳細不明のアルバム、限定盤(?)も出ています。

 

msA- 55001 (1971Durium - Durium) I Nuovi Angeli

msA- 55001ms・A- 55001 msAI-77280ms・AI-77280

msAI-77280 (19717 Durium - Durium) I successi dei Nuovi Angeli

.Sole Buonanotte

.DirÒ DI No

.Non C'È Bisogno Di Piangere

.Color Cioccolata (チョコレート色)

.Quando Giulia Tornerà (When Julies Comes Around ジュリーは恋人 CUFF LINKS)

.Cose Di Sempre

.Ragazzina, ragazzina (MENDOCINOメンドシーノ- Sir Douglas Quintet)

.Il Battello Mary (PROUD MARYプラウド・メアリーCreedence Clearwater Revival)

.GIORNO PER GIORNO

10.L'Uomo Di Neanderthal (NEANDERTHAL MAN ネアンデルタール・マン HOTLEGS)

11.Il Dubbio (CARRY THAT WEIGHT キャリー・ザット・ウェイト Beatles)

12Balla Balla Con Noi (GIMME GIMME GOOD LOVIN’ ギミー・ギミー・グッド・ラビンCrazy Elephant)

 

 “いとしのフェリチータ”の大ヒットで旧籍のドゥリウムが彼らの編集ベスト盤を発売しました。これで禊が終わったのか、彼らはポリグラムのポリドールに移籍しました。

 

 フランスのジャン・クロード・マスーリエ (Jeanne Cloude Massoulier)が歌った“それが人生”のイタリア語カヴァーです。

 

2060-026 (197111 Polydor - Polygram) Uakadì Uakadù (WAKADI WAKADOU それが人生) /Tira E

2060-0262060-026 LdA-7746Ld・A-7746

MollaLdA-7746 (197112 Durium - Durium) Il battello Mary (PROUD MARYプラウド・メアリー) /Giorno Per Giorno

 

 年末旧籍のドゥリウムから最初の成功曲CCR(Creedence Clearwater Revival)の“プラウド・メアリー”イタリ語盤が再発されます。

 

 72年、彼らが強硬移籍までして出場したかったサンレモ音楽祭がポリドールから願いが叶えられます。最初の候補曲は“シンガポール”でしたが、“イギリス旅行”に変更されました。予選第一夜に歌いましたが14曲中12位の成績でした。彼らはこれで満足したのか?懲りたのか?再度サンレモ音楽祭に出場することはありませんでした。

 

2060-029 (19722 Polydor - Polygram) Un Viaggio In Inghilterra (イギリス旅行)/La Scatola Rosa

2060-0292060-029 CRJNP-1072CRJ・NP-1072

CRJNP-1072 (1972 CAR Juke Box - Polygram) Il Re Buono/Andata E Ritorno

 

 CARジューク・ボックスとは2枚シングル盤を出す契約だったのか、サンレモ後に“Il Re Buono”が出ています。この会社は61年サンレモ音楽祭でルチアノ・タヨーリ(Luciano Tajoli) が“アル・ディ・ラ (Al di là)”で優勝した所で、レ・オルメ(Le Orme)が育ち、ヌオヴィ・アンジェリがレコードを出す直前にフォノグラムのフィリップス・レーベルに移籍しました。何かの因縁かもしれません。

 

 ところでサンレモ出場曲を見送られた“シンガポール”は72年の夏のディスクに回ります。この年は本選通を過したものの、決選には残れませんでした。しかし年間ヒット・ランク84位に入るヒットとなり、彼らの第二の代表曲となりました。

 

2060-032 (19724Polydor - Polygram) Singapore (シンガポール) /Il Mondo Di Papà

2060-0322060-032 2448-005L2448-005・L

2448-005L (1972Polydor - Polygram) I Nuovi Angeli

.Singapore (シンガポール)

.Giù Buttati Giù

.Capitan Zero

.Tru-La-La

.Il Mondo Di Papà

.Ok ma sì va' là (オーケイ・メシバラ)

.Uakadì-Uakadù (WAKADI WAKADOU それが人生 Jeanne Cloude Massoulier)

.Tira E Molla

.Un viaggio in Inghilterra (イギリス旅行)

10.La Scatola Rosa

11.Donna Felicità (いとしのフェリチータ)

12.Apri Gli Occhi Bambina

 

 “シンガポール”のヒットのおかげで、“いとしのフェリチータ”や“イギリス旅行”も収録されたアルバムが発売されます。

 

2060-041 (197210Polydor - Polygram) Troppo bella (per restare sola) (TROP BELLE POUR RESTER SEULE 恋の噂) /Un Gatto Ubriaco ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

 

 A面はカヴァー曲、フランスのリンゴ・ウィリー・キャット (Ringo Willy-cat)の“恋の噂”をイタリア語で歌っています。B面が“Un Gatto Ubriaco(直訳 酔っ払った猫)”は洒落なのでしょうか?

 

 

 

 

 

(ご参考) 新ドラムス:マウロ・パオルッツィが一時所属したフォー・ケンツ(Four Kents

SS-1862 (196925RCA - 日本ビクター) トラベリン・マン (TRAVELIN' MAN)/マイティ・クイン (MIGHTY QUINN)

 

SS-1862SS-1862 SHP-6028SHP-6028

 

SHP-6028 (1969RCA - 日本ビクター) 30cmLP トラベリン・マン/フィー・ケンツ (THE FOUR KENTS)

.トラベリン・マン (TRAVELIN' MAN)

.マイティ・クイン (MIGHTY QUINN)

.あの娘のレター (THE LETTER)

.いとしのルネ (WALK AWAY RENEE)

.悲しいうわさ (I HEARD IT THROUGH THE GRAP EVINE)

.ユア・プレシャス・ラブ (FOR YOUR PRECIOUS LOVE)

.ムービング・フィンガー (THE MOVING FINGER WRITES)

.サーチン (SEARCIN')

.ギミー・ア・リトル・サイン (GIMME A LITTLE SIGN)

10.ハイヤー・アンド・ハイヤー (HIGHER AND HIGHER)

11.リトル・ミス・スイートネス (LITTLE MISS SWEETNESS)

12.虹にのせて (LET'S HAVE A RIDE ON MY RAINBOW)

 

 

ヌオヴィ・アンジェリの国内盤は最終回に掲載します、ヌオヴィ・アンジェリ3は次回に続きます


サンレモの歌手たち 343 ヌオヴィ・アンジェリ 1

ヌオヴィ・アンジェリ, {イ・} (compl) I Nuovi Angeli

 1960年代半ばに結成されたビートニック・グループでノマーディ(I Nomadi)と同様に年バー・チェンジを重ね、21世紀まで活動を続け、50周年を迎える。

 

所属レコード会社Durium, CAR Juke Box, Philips Records, Polydor, Warner Bros Records, Cinevox, Dischi Ricordi, Five Record, Yep, Duck Records, SMImusic

サンレモ音楽祭出場1回:1972年参加

 

                LdA-7662Ld・A-7662

 

1972年サンレモ音楽祭出場メンバー

・パキ・カンツィ (Paki Canzi) キーボード、ヴォーカル担当 (1966-現在)、本名パスクァーレ・カンツィ (Pasquale Canzi) 194791日ミラノ生。

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース担当(1963-1978)194755日トリノの東40kmにある小都市アレッサンドリア (Alessandria)生。

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル担当(1963-1978, 2005-2006)194619日アレッサンドリア (Alessandria)2010 1 22 日没

 ・マウロ・パオルッツィ (Mauro Paoluzzi) ドラムス、打楽器担当 (1971-1978)1945 9 11 日ローマ生。

 

 

 1963年ギターのアルベルト・バゼッティはベースのレナート・サッピオーニと共にドラムスのフランvコ・ヴェルデを誘い、当時はやり始めたビートニック・バンドでヌオヴィ・アンジェリを結成しました。

 

1963年結成時メンバー

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル (1963-1978, 2005-2006)

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース (1963-1978)

・フランコ・ヴェルデ(Franco Verde) ドラムス(1963-1965)

 

 一方その頃ミラノでライヴ活動をしていたパスクァーレ・カンツィ(Pasquale Canzi)とパスクアーレ・アンドリオーラ(Pasquale Andriola)は意気投合し、流行っていたツィストやシェイクを演奏するデュエットのパキ&パキ(Paki & Paki)を組みます。ライヴを続けていくと幸運にもV.d.P.(V.C.M.)とレコード契約が出来、64年シングルデビューをしました。

 

7MQ-1891 (1964 V.d.P.- V.C.M.) Lascia stare Susy/L'aureola

7MQ-189177MQ-1891 7MQ-19317MQ-1931

7MQ-1931 (1964 V.d.P.- V.C.M.)  Ragazzi come noi (Hey Jean, Hey Dean)/Non fermarti

 

パキ&パキの2枚目はアーニー・マレシュカ (Ernie Maresca) が作り、ディーン&ジーン (Dean & Jean) が歌った“Hey Jean, Hey Dean”が元曲です。この“Ragazzi come noi”は第1回フェスティヴァル・バール新人部門出場曲です。と言ってもその後何十曲も参加していたわけでなく、スター部門7歌手、新人部門3歌手の10歌手のみの参加でした。

 

 パキ&パキはマイク・ボンジョルノのTVクイズ番組のテーマソング “Allegria!” を歌い、3枚目のシングル盤を出しました。この頃からヌオヴィ・アンジェリとコラヴォレーションをするようになります。

 

7MQ-1949 (1965 V.d.P.- V.C.M.) Allegria!/Dicono

7MQ-19497MQ-1949 MQ-2008MQ-2008

MQ-2008 (1965V.d.P.- V.C.M.) Non dirmi no/Il gioco dell'amore

 

Non dirmi no”はパキ&パキとして最後のシングル盤になります。

 

パキ・カンツィンはヌオヴィ・アンジェリのドラムス、フランコ・ヴェルデからニュー・ダダ(New Dada)のドラムス、リッキー・レバイオーリ(Ricky Rebaioli)に交代させました。

 本格的にヌオヴィ・アンジェリがデビューするのですが、非常に曖昧な形となります。パキ&パキとヌオヴィ・アンジェリのクレジットでしかもジャケット写真も両方を分けるように縦線が入れられています。

 

MQ-2040 (1966 La Voce del Padrone - V.C.M.) L'ora più lunga/Mai e mai crederò [Paki & Paki e i Nuovi Angeli]

MQ-2040MQ-2040 CRNP-1038CR・NP-1038

CRNP-1038 (1968 CAR Juke Box - Ariston) Le Formiche / Il Segno Del Tuo Amore [Paki]

 

 もう一人のパキ、パキ・アンドリオーラはバンド活動よりソロ歌手を目指すようになっていました。このシングル盤をだした後、パキ&パキは解散し、アンドリオーラはCARLO PES ジューク・ボックスに移籍し、ソロ歌手になります。

 

 パキ・カンツィンがリーダーとなったヌオヴィ・アンジェリは心機一転V.d.P.(V.C.M.)からドゥリウムに移籍します。ビートニック・バンドのヌオヴィ・アンジェリがスタートしました。(メンバーは以下の通り)

 

・パキ・カンツィン(Paki Canzi) ピアノ、ヴォーカル(1966-現在)

・アルベルト・パゼッティ (Alberto Pasetti) ギター、ヴォーカル (1963-1978, 2005-2006)

・レナート・サッビオーニ (Renato Sabbioni) ベース (1963-1978)

・リキ・レバイオーリ (Riki Rebaioli) ドラムス(1965-1966)から
・シルヴァーノ・トラヴェンツォッロ (Silvano Travenzollo) ドラムス、ヴォーカル(1966-1971)に

QCA-1377 (1966Royal - Durium) Una Caverna (I Can't Control Myself ボクは危機一髪The Troggs) / L'Orizzonte è Azzurro Anche Per Te (Sunny Afternoonサニ-・アフタヌ-ン The Kinks)

           QC・A-1377a QCA-1377 QC・A-1377b

 

 年が変わり67年の1枚目は4月に出たナツノディスク・フェスティヴァル出場曲“Guardami Negli Occhi”はタートルズがヒットさせた“ハッピー・トゥゲザー”のカヴァーでした。この曲は歌詞が違いましたがジミー・フォンタナほか何人かの歌手と今日後になりました。

 

LdA-7510 (19674 Durium - Durium) Guardami Negli Occhi (Happy Together ハッピー・トゥゲザー The Turtles) /Ascoltami Amico

LdA-7510Ld・A-7510  LdA-7511Ld・A-7511

LdA-7511 (1967 Durium - Durium) Happy Together (ハッピー・トゥゲザー)/Lonely Street

 

 ヒットするまでに至りませんでしたが、一定の成果をおさめ、英語ヴァージョンの“ハッピー・トゥゲザー”を続いて発売しました。B面はアザーズ(The Others)の“Lonely Street”のカヴァーです。

 

 当時は売れる見込みがあれは、版やレコード番号を変えて出すことが多くありました。ヒットしているジミー・フォンタナなどが歌っている歌手に変更しB面に“Lonely Street”のままでLdA-7517を出しましたが、後に彼らのオリジナル曲“Stelle Di Città”B面に差替えて再版を出し直しています。

 

LdA-7517 (1967 Durium - Durium) Per Vivere Insieme (Happy Together ハッピー・トゥゲザー)/ Lonely Street

            Ld・A-7517a LdA-7517 Ld・A-7517b

LdA-7517 (1967 Durium - Durium) Per Vivere Insieme (Happy Together ハッピー・トゥゲザー)/Stelle Di Città

 

 67年10月ローマのヒルトン・ホテルで開かれるバラのフェスティヴァルに“Piccola”で出場しました。この音楽祭もサンレモと同様ダブル・キャスト制で、パートナーはドゥリウムの先輩で、この年サンレモでリトル・トニーのパートナーとして“狂ったハート”をうたったマリオ・ゼリノッティ(Mario Zelinotti)でした。

 

LdA-7530 (1967 Durium - Durium) Piccola /L'Importante è

LdA-7530Ld・A-7530  LdA-7552Ld・A-7552

LdA-7552 (1968 Durium - Durium) Questo È Un Addio (WHAT A WAY TO DIE くちづけよ、さようなら) "Festivalbar 1968" /Il Momento Più Bello

 

 68年9月に開催されたフェスティヴァル新人部門にオーラ&ジャグラーズ(Ola & The Janglers)の“くちづけよ、さようなら”のカヴァーで出場しました。12曲の参加で優勝だけ決めています。優勝者はルチオ・バッティスティの“世界の囚人(Prigioniero Del Mondo)”でした。68年はこの1曲のみです。

 

LdA-7597 (1968 Durium - Durium) Piccolo Cuore (Piccolo Man – Friends (uk))/ Hello, Come Stai? (Hello, How Are You - THE EASYBEATS(au))

LdA-7597Ld・A-7597 LdA-7622Ld・A-7622

LdA-7622 (19694 Durium - Durium) Ragazzina ragazzina (MENDOCINOメンドシ) "Festivalabar 1969"/Non C'È Bisogno Di Piangere

 

 69年再度フェスティヴァル・バールに挑戦します。サー・ダグラス・クァルテット(Sir Douglas Quintet)の“メンドシーノ”のカヴァーを歌いました。この年も優勝はルーチョ・バティスティの“碧い水、澄んだ水(Acqua azzurra, acqua chiara)”でした。彼らの“Ragazzina ragazzina”が年間ヒット・ランク78位に入るヒットとなりました。

 

 その次のシングル盤はビートルズのアルバム「アビイ・ロード」最後のメドレーの部分“キャリー・ザット・ウェイト”をカヴァーした“Il Dubbio”でした。

 

LdA-7662 (1969 Durium - Durium) Il Dubbio (YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー~CARRY THAT WEIGHT キャリー・ザット・ウェイト- Beatles) /Giorno Per Giorno ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

 

 フェスティヴァル・バール出場曲“Ragazzina ragazzina”がヒットし、彼らのファーストアルバム

がでました。シングル盤も含め大半がカヴァー曲ですが、オリジナル曲も歌えるようになり、ビートニック・バンドと言われながらも自分たちの音楽に向かっていきます。

 

msAI-77214 (1969 Durium - Durium) I Nuovi Angeli

.Ob-la-di', Ob-la-da' (オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダBeatles)

.Questo È Un Addio (WHAT A WAY TO DIE くちづけよ、さようならOla & The Janglers)

.Le Montagne (RIVER DEEP, MOUNTAIN HIGH リヴァ・ディプ・マウンテン・ハイTina Turner)

.Il Battello Rosso (THE LITTLE RED BOAT BY THE RIVER - Spectrum)

.Il Momento Più Bello

.Non C'è Bisogno Di Piangere

.Piccolo Cuore (Piccolo Man - Friends)

.Forse Cambierà (WHEN THE SWALLOWS FLYつばめ飛ぶ頃Bee Gees)

.Hello, Come Stai? (HELLO, HOW ARE YOU - Easybeats)

10.Gin E Whisky Dry (INDIAN GIN AND WHISKY DRYインディアン・ジンとウイスキー・ドライBee Gees)

11.Forse Hai Perso la Memoria (COME IN YOU'LL GET PNEUMONIA - Easybeats)

12.Sigla TV

msAI-77214ms・AI-77214 msAI-77220ms・AI-77220

msAI-77220 (1969 Durium - Durium) - Un quarto di vita (con Giorgio Gaslini ed Edmonda Aldini, Don Churchill, Gabriella Ravazzi)

.Tavola Dura [I Nuovi Angeli]

.Guerra No [I Nuovi Angeli]

10.Angela [I Nuovi Angeli]

11.Sapevo Appena Camminare [I Nuovi Angeli]

 

 69年はコンピレーション盤ですが、ジャス・ピアニストで作曲家のジョルジョ・ガスリーニ(Giorgio Gaslini)とコラボし、4曲を受け持ったジャズ盤に参加しました。

 

 

ヌオヴィ・アンジェリの国内盤は最終回に掲載します、ヌオヴィ・アンジェリは次回に続きます

 


サンレモの歌手たち 342 ニコラ・ディ・バリ 5

ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari

本名ミケーレ・スコッメーニャ (Michele Scommegna) 1940年9月29日長靴の足首辺りの飛びだした半島の付け根の南、小さな町ザッポネタ (Zapponeta)生、自作自演歌手。故郷の地名ザッポネタをペンネームとして作曲している事もある。

 

              NL-33008NL-33008

 

所属レコード会社Jolly (SAAR), RCA Italiana, Carosello, Vip ,Wea, Polydor ,CBS

サンレモ音楽祭出場7回:1965年入賞、66年参加、67年参加、70年第2位、71年優勝72年優勝、74年10位

 

 ニコラ・ディ・バリは71年ナーダと組み“恋のジプシー”で優勝し、彼は翌72年““虹の日々”(I giorni dell'arcobaleno)“で2年連続優勝し、前年の優勝がナーダの人気ではなく、ディ・バリの実力であったことを証明します。

 

 73年はシングル盤を出さず、ボサ・ノヴァ中心とした中南米の曲を集めたアルバムを1枚のみでした。彼はスペイン・ポルトガル語圏に絶大な人気があり、スペインやスペイン語圏ではスペイン語・ヴァージョンの盤を出しています。

 

 74年サンレモ音楽祭に“村の狂人(Il matto del villaggio))”を歌っています。サンレモ音楽祭を取り巻く状況は瞬く間に悪くなり、打開策としてスター歌手14人が歌う従来の方式に、新人部門を新設し14人の歌手を競わせます。スター部門は優勝曲を決め、ほかの13曲は純名氏の入賞としました。と言うことで“村の狂人”も入賞曲です。年間ヒット・ランクにディ・バリは入りませんでした。

 

TPBO-1027 (19743 RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) Il matto del villaggio (村の狂人)/ Piccola Don

TPBO-1027TPBO-1027 TPL1-1043TPL1-1043

TPL1-1043 (19744 RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) La colomba di carta

.La Colomba Di Carta

.Piccola Donna

.Una Qualunque

.Poi ... Ci Sei Tu

.Il matto del villaggio (村の狂人)

.Io E Te Maria (僕と君とマリアと - Piero Ciampi)

.Quattro Pareti

.Questo Amore Assurdo

.Il Mio Amico Cane

10.Il Tempo Di Un Bacio

 

 4月にサンレモ入賞曲“村の狂人”の入ったアルバム「La colomba di carta」が出ました。自作が5曲、タイトル曲の“La Colomba Di Carta”はアコースティック・ギターがバックの静かな始まりでだんだん盛り上げて語りも入るディ・バリ・スタイルの曲、ダニー・B・ベスケット(Danny B. Besquet)、ピエロ・デ・ベネデッティ(Piero De Benedetti)、ロモロ・フォルライ(Romolo Forlai)でした。ベスケットと初仕事と思いますが、次のアルバム「愛の映像」に“夢の泉”も提供しています。面白い経歴なので、字数が余ればあとで紹介します。

 

 70年代半ばになると、今まで活躍していたカンツォーネの歌手達は急速に人気を落とし、超トップの限られたスターしか生き残れませんでした。その中でニコラ・ディ・バリもギリギリのところで生き残っていきます。

 

 彼としてもRCAイタリアーナでの「らしい」仕事の最後となります。11月に日本でも発売されたアルバム「愛の映像」と、そこからシングル・カットした“愛の映像”/“みどりの園”を出しています。A面はパオロ・フレシュラ(Paolo Frescura)B面にはリノ・ガエターノ(Rino Gaetano)という新たな才能を用いました。そしてアルバムにカヴァー曲、ジョン・デンバーの“故郷へかえりたい”も入れています。ディ・バリらしいアルバムでした。

 

TPL1-1104 (1974 RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) Ti Fa Bella L'Amore (愛の映像)

.Ti Fa Bella L'Amore (愛の映像)

.Liberta (Take Me Home Country Roads 故郷へかえりたい [])

.Ma Chi (旅路のめぐり逢い)

.Prova A Chiamarmi Amore (恋人と呼んでおくれ)

.La Sorgente (夢の泉)

.Una Canzone (愛のカンツォーネ)

.Ad Esempio A Me Piace Il Sud (みどりの園)

.Profondamente (人生の深淵)

.L'Artista (ある芸術家)

10.Un Giorno Non Più Inverno Non Ancora Primavera (冬の訪問者)

11.Questo Amore Tanto Grande (この素晴らしき愛)

TPL1-1104TPL1-1104 TPBO-1080TPBO-1080

TPBO-1080 (197411 RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) Ti Fa Bella L'Amore (愛の映像)/ Ad Esempio A Me Piace Il Sud (みどりの園)

 

 75年最初の盤は夏のディスク出場曲“Sai che bevo, sai che fumo”で入賞しましたが、年間ヒット・ランク100に入ることはできません。B面はジョン・デンバーのカヴァー曲。

 

TPBO-1121 (19754 RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) Sai che bevo, sai che fumo/Libertà (Take Me Home Country Roads 故郷へかえりたい [])

 TPBO-1121TPBO-1121 TPBO-1150TPBO-1150

TPBO-1150 (19757 RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) Beniamino (BENJI'S THEME - Euel Box)/Tema di Beniamino (BENJI'S THEME - Euel Box)

 

 75年2枚目は映画「ベンジー」のテーマ曲を歌いました。これがサンレモ音楽祭ニ連破した大歌手のRCAイタリアーナ最後の盤となりました。寂しい限りです。

 

 76年カロセッロに移籍し、マリノ・マリーニ(Marino Marini)の大ヒット曲“この世で最も美しいひと”をカヴァーしました。年間ヒット・ランク100位には入りませんでしたが、ヒットしました。

 

Cl-20415 (1976 Carosello - Carosello) La Più Bella Del Mondo (この世で最も美しいひと) /Anna perché

Cl-20415Cl-20415 Cl-20435Cl-20435

Cl-20435 (197611 Carosello - Carosello) E Ti Amavo/Momento

 

 カロセッロで初めてのアルバムから、“E Ti Amavo”がシングル・カットされ先行発売されます。RCAイタリアーナから編集ベスト盤が廉価レーベルのリネア・トレがら出ました。

 

NL-33008 (1976 RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) NICOLA DI BARI UN SUCSESSO DOPO L'ALTRO ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

.I Giorni Dell’Arcobaleno (虹の日々)

.Vagabondo (さすらい人)

.Eternamente (ライムライトLIMELIGHT)

.La Prima Cosa Bella (愛の贈りもの)

.Se mai ti parlassero di me (スマイル SMILE)

.Il cuore è uno zingaro (恋のジプシー)

.Chitarra Suona Più Piano (ギターよ静かに)

.Il mondo è grigio, il mondo è blu (世界は灰色、世界は青)

.Paese (ぼくのふるさと)

10.Ti Bella L‘Amore (愛の映像)

11.Sai che bevo, sai che fumo (飲むことを知る、吸うことを知る)

 

 77年ヒットした“この世で最も美しいひと”の入ったアルバムが出ました。

 

CLN-25068 (1977 Carosello - Carosello) Nicola di Bari

ORL-8263 (19??Orizzonte - Carosello) Nicola di Bari

.E Ti Amavo

.Gira La Noria (- Carlos Rico)

.Anna Perchè

.Bella E Poi

.I Discorsi Del Mattino

.Momento

.La Più Bella Del Mondo (この世で最も美しいひと)

.Amore Ritorna A Casa (BAY COME ON HOME - Solomon Burke アモーレ帰っておくれ)

.Sotto I Fiori Del Cielo

10.Estate Indiana

CLN-25068CLN-25068a  ORL-8263ORL-8263 

 

 アルバムの売上も果々しくなかったのか、シングル盤“Lei, mia”を最後にカロセッロから去ります。

 

Cl-20450 (1977 Carosello - Carosello) Lei, mia/Favole

             Cl-20450Cl-20450

 

 

ニコラ・ディ・バリの国内盤

RCA-807980 (19756 RCA - ビクター音楽産業) 30cm 2LP 100万人のカンツォーネ・・ゴールド・デラックス (CANZONE-GOLD DELUXE)
1-.
虹の日々 (I GIORNI DELL'ARCOBALENO)

 

RCA-807980RCA-8079〜80a RVP-6056RVP-6056

 

RVP-6056 (19766 RCA - RVC) 30cmLP愛の映像 (TI FA BELLA L'AMORE
.
愛の映像 (TI FA BELLA L'AMORE)

.故郷へかえりたい (LIBERTA' (TAKE ME HOME COUNTRY ROADS [I]))

.旅路のめぐり逢い (MA CHI)

.恋人と呼んでおくれ (PROVA A CHIAMARMI)

.夢の泉 (LA SORGENTE)

.愛のカンツォーネ (UNA CANZONE)

.みどりの園 (AD ESEMPIO A ME PIACE IL SUD)

.人生の深淵 (PROFONDAMENTE)

.ある芸術家 (L'ARTISTA)

10.冬の訪問者 (UN GIORNO NON PIU' INVERNO ANCORA PRIMAVERA)

11.この素晴らしき愛 (QUESTO AMORE TANTO GRANDE)

 

RCA-82112 (197610 RCA - RVC) 30cm 2LP シャンソン & カンツォーネ・ベスト30 (CHANSONCANZONE BEST 30)

2-12.虹の日々 (I GIORNI DELL'ARCOBALENO)

 

RCA-82112RCA-8211~2a RCA-82212RCA-8221~2a

 RCA-82212 (197610 RCA - RVC) 30cm 2LP想い出のポピュラー・ヒット・ベスト30 (MEMORY OF POPULAR HIT BEST 30)

2-. 愛のめざめ (HO CAPITO CHE TI AMO)

 

 

(ご参考) ダニー・B・ベスケット (Danny B. Besquet)

 ダニー・ベスケットはイ・プロフェーティ(I Profeti)にベーシストとして1966~7年在籍し、その後ニュー・ダダ(New Dada)の残党メンバーとフェリー、フランコ、レネ、ダニー&ギャビー(Ferry, Franco, Rene, Danny E Gaby)を組みローリング・ストーンズの前座公演を務めました。

 作家として名前が出るのは、73年サンレモ音楽祭にアドリアーノ・チェレンターノに提供した “ただ一つのチャンス(L'UNICA CHANCE)”が棄権曲となった頃からで、ディ・バリやナーダに提供をしましたが、特にチェレンターノが中心だったようです。

 6曲中4曲を提供し、共同プロデュースした78年のチェレンターノのアルバム「Ti avrò」は年間ベスト・アルバム13位、タイトル曲“Ti avrò”は年間ヒット・ランク5位のメガ・ヒット曲になります。

 

 余勢借ってベスケットはアメリカ生まれの同僚ロニー・ジャクソン(Ronnie Jackson)と作ったプロジェクトのジャイアンツはカリフォルニア・バーバンクにあるケンダン・スタジオで録音(ベック・ボガート&アピスのボガートがドラムスとして参加)したアルバム「妖しき閃光/ジャイアンツ」を出し、収録曲“バックドアー・マン (BACKDOOR MAN)”はフェスティヴァルに出場、年間ヒット・ランク95位になります。

 

DPQ-6153 (19798POLYDOR - ポリドール) バックドアー・マン (BACKDOOR MAN)/ドゥ・ユー? (DO YOU?)

 

DPQ-6153DPQ-6153 MPF-1245MPF-1245



MPF-1245 (1979
8POLYDOR - ポリドール) 30cmLP妖しき閃光/ジャイアンツ (GIANTS)

.バックドアー・マン (BACKDOOR MAN)

.エヴリシング・イズ・オールライト (EVERYTHING IS ALRIGHT)

.ザ・ナイト・シフト (THE NIGHT SHIFT)

.ドゥ・ユー? (DO YOU?)

.オ-ッ、ウーマン (OH, WOMAN!)

.ハリウッド・クィーン (HOLLYWOOD QUEEN)

 

 

ニコラ・ディ・バリ6 は1974年サンレモ音楽祭の後に続きます

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 62 1972年-2

 これまでのダブル・キャスト制からシングル・キャスト制に変え、新曲フェスティヴァルであるサンレモの権威を保つ方法は如何にしたのか?

 新人コンテストでダブル・キャストが出来なかった第6回(56年)を参考にし、ヨーロッパの著名なオーケストラを招き、出場曲全曲を演奏してもらいました。56年はイギリスのジョージ・メラクリーノ楽団でしたが、72年はフランスのフランク・プールセル楽団を招聘しています。

 

 外国人歌手の2歌手、68年優勝したブラジルのロベルト・カルロス、前年8位入賞のアグアヴィーヴァはいずれも入賞できませんでした。そもそもダブル・キャスト制で外国人歌手はイタリア人にない個性で歌う、イタリア人の苦手なコーラスで歌うことで存在意義があるわけで、シングル・キャスト制でイタリア人歌手の枠を使ってまで必要かと言うことになります。この大会以降は外国人の出場は減り、記念大会でダブル・キャスト制になった場合は多くの外国人が出場することになります。

 

 

       CI-20331       FRANCK POURCE         

        カルラ・ビッシ (Carosello)      フランク・プゥルセル (V.d.P.)

 

 歌手の世代交代も進みリタ・パヴォーネは入賞できず、72年を最後にサンレモ音楽祭から撤退、ピノ・ドナッジョも参加に止まり、74年と75年に各2曲の提供をしますが、歌手としてのサンレモは最後となりました。その後80年に復活するボビー・ソロも2度の優勝した実績にも拘らず入賞できず、歌手としての存在すら危うくなります。

 

 反対にカルラ・ビッシは70年代半ばからアリーチェ・ヴィスコンティ(Alice Visconti)の名前でカンタウトゥオリーチェとして成長し、80年奇才フランコ・バッティアート(Franco Battiato)のプロデュースの下アリーチェとして再出発し、81年サンレモ音楽祭に優勝しました。80年代、90年代を代表するイタリア女性歌手として活躍します。

 

 

第22回 1971年2月24日()~2月26日() ンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、シルヴィア・コシャーナ (Sylva Koscina)、パオロ・ヴィッラッジョ(Paolo Villaggio)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エリオ・ジガンテ (Elio Gigante)
形式:出場曲数28曲を第1夜、第2夜に14曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は28歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場9歌手(内外人歌手は無し)、出場レコード会社13社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が2社、EMIイタリアーナ・グループに属するレコード会社が1社、サン・マルタン・グループに属するレコード会社(本体の参加はなし)1社が含まれています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA []

FONIT CETRA 6[]FONIT CETRA 2[0]CAROSELLO 3[] KING UNIVERSAL[]

CBS SUGAR [] CGD []CBS []

RICORDI []

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

EMI Italiana []EMI Italiana []PDU[]

RI-FI []

ARISTON []

SAAR[0]

Saint Martin []SIDET[0)

 

 

 

 <参加曲>

友達の恋人 Amici mai Argante - Caviri出版社出版社RCA - AMICI DEL DISCO リタ・パヴォ- (vf) Rita Pavone RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3640 [45]

 

PM-3640PM-3640    CI-20313CI-20313 

 

哀愁の日々 Ci sono giorni V.Pallavicini - P.Donaggio出版社出版社ACCORDO (CURCI Gr.)  ピノ・ドナッジォ (vm) Pino Donaggio Carosello – Fonit CetraCI-20313 [45]

 

チャオ・アミコ・チャオ Ciao amico ciao P.Minellono - M.Remigi出版社出版社CURCI (CURCI Gr.) アグアヴィ-ヴァ (compl=sp) Aguaviva Carosello – Fonit CetraCI-20315 [45]

 

CI-20315CI-20315   AR-0537AR-0537a 

 

すてきだったあの人 Era bello il mio ragazzo P.P.Preti - G.Guarnieri出版社出版社ARISTON (ARISTON) アンナ・イデンティチ (vf) Anna Identici Ariston – AristonAR-0537 [45]

 

原生の森 La foresta selvaggia P.Limiti - C.Cavallaro出版社出版社 CANZONI MODERNE(SUGAR Gr.) - PDU マリ-ザ・サケット (vf) Marisa Sacchetto PDU – EMI ItalianaP.A.-1071 [45]

 

P.A.-1071PA-1071  RFNNP-16471RFN・NP-16471 

 

よそ者 Forestiero S.Scandolara -S.Bardotti - C.Castellari出版社出版社 RI FI Mus. ミケ- (vm) Michele RI FI – RI FIRFNNP-16471 [45]

 

◆愛の中のネコ (青の中のネコ) Un gatto nel blu (T.Savio) 出版社出版社 APRIL Mus. (SUGAR Gr.) ロベルト・カルロス (vm=br) Roberto Carlos CBS CBS Sugar7842(CBS) [45]

 

7842(CBS)7842(CBS)   CI-20314CI-20314 

 

さよならを云った心 Il mio cuore se ne va Spiker - .Remigi) 出版社出版社D'ANZI (CURCI Gr.) カルラ・ビッシ {アリ-チェ} (vf) Carla Bissi {Alice} Carosello – Fonit CetraCI-20314  [45]

 

◆愛をもう一度 Per amore ricomincerei 出版社出版社 BELRIVER デリア (vf) Delia Columbia EMI Italiana3C006-17812 [45]

 

3C006-178123C・006-17812  RR-1063RR-1063 

 

私を盗んで Portami via L.Medini - M.Meiller) 出版社出版社SIDET(SIDET Gr.) アンジェリカ (vf) Angelica Radio Records – Saiint MartinRR-1063  [45]

 

祈り Preghiera T.Cucchiara) 出版社出版社SAAR (SAAR Gr.) トニ-・クッキア- (vm) Tony Cucchiara Joker – SAARM-7119 [45]

 

M-7119M-7119   SRL-10665SRL-10・665 

 

嘆き Rimpianto L.Albertelli - E.Riccardi) 出版社出版社R.R.R. ボビ-・ソロ (vm) Bobby Solo Ricordi – Dischi RicordiSRL-10665 [45]

 

◆男と犬 L'uomo e il cane 出版社出版社 ESEDRA – VITTORIA (SIDET Gr.) ファウスト・レア- (vm) Fausto Leali (Philips – Phonogram6025-049 [45]

 

6025-0496025-049   2060-0292060-029 

 

◆イギリス旅行 Un viaggio in Inghilterra 出版社出版社 PEGASO(RICORDI Gr.) ヌオビ・アンジェリ,{イ・} (compl) Nuovi Angeli,{I} Polydor Phonogram2060-029 [45]

 

 

参加曲は以上で終了です。

 


 

 マルチェラもすぐにスター歌手となり70年代、80年代を代表する女性歌手として活躍しますが、彼女に曲を提供している兄のジャンニ・ベッラ(Gianni Bella)もマルチェラの人気に伴い、注目されるカンタウトゥーリとしてカンツォーネ界で重要な位置を占めるようになります。

 

 ジェザエルはフランスでも大ヒットし、デリリウムは注目されますが重要メンバーでヴォーカル、フルート、アコースティック・ギターのイヴァノ・フォッサーティ(Ivano Fossati)は72年にソロとして独立し、その後も著名なカンタウトゥーリとして活躍を続けました。

 

 最後になりましたが優勝はニコラ・ディ・バリが連続優勝の快挙をとげ、第2位のペピーノ・ガリアルディと共に同時期にSAARでメジャー・デビューした旧知の仲でした。

 

 

    Pld・A-5064   RR-1061   2060-041    

    マリ-ザ・サケット (PDU)      アンジェリカ (Radio Records) ヌオビ・アンジェリ (Polydor)

      

 

 シングル・キャスト制になり参加会社の数も減り、初参加のレコード会社はラディオ・レコーズ(RADIO RECORDS以下RRと略す)1社だけです。

 RRはエリオ・ダニエレ(Emilio Daniele)が65年にミラノに設立し、60年代から80年代に活動したレコード会社です。

 設立者でオーナーのエミリオ・ダニエルは1902年10月生、70年8月没のヴァイオリン奏者、作詞・作曲家、レコード・プロデューサー、音楽出版社オーナーで、デ・ヴェラ、ダニエレ・デ・ヴェラ(Daniele de Vera)のペンネームを使った人でした。

 彼はトリノに移り、ジュゼッペ・ ヴェルディ音楽院でヴァイオリンを学んだ後、50年代のサンレモ音楽祭指揮者、芸術監督のチニコ・アンジェリーニ楽団のヴァイオリニストになりました。

 

 37年ダニエレ音楽出版(Edizioni musicali Daniele)を興します。第二次世界大戦終戦以降もチニコ・アンジェリーニ楽団に所属し、初期のサンレモ音楽祭でも演奏しました。その後ミラノに移り、新たなシデット音楽出版社グループ(Gruppo Editoriale Sidet)を創設、65年レコード会社ラディオ・レコーズとラス・ヴェガス(Las Vegas)を設立しました。ラス・ヴェガスは次の73年にジュニア・マッリがここから出場していますので、その時にお話しましょう。

 

                 SIDET    RADIO RECORD   

 

 両レコード会社は芸術監督として息子のエマヌエラ(Emanuele)に作曲家マリオ・メリエール(Mario Mellier)と作詞家ルチアーナ・メディチ(Luciana Medini)が当たり、80年代初めまで活動を続けました。主な歌手は72年サンレモ音楽祭に出場したアンジェリカ、プログレ・バンドのアンダーグラウンド・セット(The Underground Set)など、販売権はアリストン、サン・マルタン、78年以降はRCAイタリアーナに委託していました。

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 61 1972年-1

 前年のサンレモ音楽祭の2大ボス、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)とエツィオ・ラダエッリ(Ezio Radaelli)の共同開催でしたがエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)に代わり、プロデューサー権限を出演する歌手の芸術監督に限定、また開催主体をサンレモ観光協会からサンレモ市の変更する大改革をしました。これも不景気で大物プロデューサーがお金を集めることが出来なくなり、自治体予算に頼らざるを得なくなったとも考えられます。

 

 1972年サンレモ音楽祭の最大の特徴は第3回目(53年)から始まった1曲を2歌手が歌うダブル・キャスト制(ただし56年は新人コンテスト形式のためシングルキャスト)が、1曲1歌手が歌うシングルキャスト制に変更されたことです。

 これも60年代後半から続くイタリア経済の停滞と不景気で、予算削減のため音楽祭の規模を縮小せざるを得なくなったことによります。出場曲が28曲で出場歌手は4割減となり、彼らにとって死活問題です。

 

 クラウディオ・ビルラや近年サンレモ音楽祭で圧倒的な勢力となったRCAイタリアーナの歌手、中でもルチオ・ダルラは32曲に増やしロザリーノの参加を要求、歌手ユニオンも猛烈な抵抗をしサンレモ音楽祭前に無期限ストライキに入り、他産業の労働組合と連帯しゼネ・ストさえしかねない状況となりました。主催者側は歌手達の要求を入れ、日曜に特別な4日目のステージを設け、参加できなかった歌手を歌わせる妥協案を受けストを中止します。



             PSL-10569        CGD-69028  

        ジャンニ・モランディ (RCA Italiana)    マルチェラ (CGD)

 

 1曲1歌手の歌唱に変更されたことにより、出場曲の選出方法も変更されました。170歌手が1曲づつ選考会に招待されました。102歌手がそれに応じ、サンレモ市長が議長となり、Cisl Fuls(イタリア労働者組合連盟エンターテイメント単一労働組合)の代表者、ジャーナリストのロベルト・ジェルヴァーゾ(Roberto Gervaso)、作詞家マリオ・ソルダーティ(Mario Soldati )と作曲家ピッポ・バルジッツァ(Pippo Barzizza)が選考し28曲を選びました。

 

 

第22回 1971年2月24日()~2月26日() ンレモ市カジノ付属劇場

司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、シルヴィア・コシャーナ (Sylva Koscina)、パオロ・ヴィッラッジョ(Paolo Villaggio)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:ソチエタ・ドゥエ・エッレ (Societa’ Due Erre)、監督エリオ・ジガンテ (Elio Gigante)
形式:出場曲数28曲を第1夜、第2夜に14曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。

 

出場歌手は28歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。

初出場9歌手(内外人歌手は無し)、出場レコード会社13社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社はありませんでした。 ただし、その内フォニット・チェトラ・グループに属するレコード会社が2社、EMIイタリアーナ・グループに属するレコード会社が1社、サン・マルタン・グループに属するレコード会社(本体の参加はなし)1社が含まれています。

 

[]は外人歌手数

RCA ITALIANA []

FONIT CETRA 6[]FONIT CETRA 2[0]CAROSELLO 3[] KING UNIVERSAL[]

CBS SUGAR [] CGD []CBS []

RICORDI []

PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])

EMI Italiana []EMI Italiana []PDU[]

RI-FI []

ARISTON []

SAAR[0]

Saint Martin []SIDET[0)

 

 

              

<優勝> 虹の日々 I giorni dell'arcobaleno F.Migliacci -C.Mattone出版社 RCA - AMICI DEL DISCO <343> ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3639 [45]

 

 PM-3639PM-3639 SS-2169SS-2169 

 

 

<> すみれのように Come le viole G.Amendola - P.Gagliardi出版社 INDIOS - USIGNOLO <168> ペピノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi King universal – Fonit CetraNSP-56131 [45]

 

 NSP-56131NSP-56131 HIT-2005HIT-2005 

 

 

<> 愛の真実 Re di denari F.Migliacci - C.Mattone出版社RCA - AMICI DEL DISCO <141 > ダ (vf) Nada RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3642 [45]

 

PM-3642PM-3642   SS-2170SS-2170 

 

 

<入賞曲>

青春の汗 Vado a lavorare F.Migliacci - Petaluma - M.Marrocchi - V.Tariciotti出版社出版社RCA - AMICI DEL DISCO <139>ジャンニ・モランディ (vm) Gianni Morandi RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3637 [45]

 

PM-3637 PM-3637  SS-2171SS-2171 

 

恋の忘却 Non voglio innamorarmi mai G.Bigazzi - M.Signorini出版社 DI LAZZARO (SUGAR Gr.) <114 > ジャンニ・ナザロ (vm) Gianni Nazzaro CGD – CBS Sugar7845(CGD) [45]

 

7845(CGD)7845(CGD)  HIT-2003HIT-2003 

 

 

ジェザエル Jesahel I.Fossati - O.Prudente出版社 UNIVERSALE (NUMERO UNO Gr.) - USIGNOLO < 106 >デリリウム (compl) Delirium Fonit – Fonit CetraSPF-31293 [45]

 

SPF-31293 SPF-31293  HIT-2006HIT-2006   

青い山脈 Montagne Verdi G.Bigazzi - G.Bella出版社 MELODI (SUGAR Gr.) <84>マルチェラ (vf) Marcella CGD – CBS Sugar7846(CGD) [45]

 

7846(CGD)7846(CGD)  HIT-2004HIT-2004   

 

 

グランデ広場 Piazza Grande G.Bardotti - S.Baldazzi - L.Dalla - R.Cellammare出版社 RCA - AMICI DEL DISCO <68> ルチオ・ダルラ (vm) Lucio Dalla RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3638 [45]

 

                        PM-3638PM-3638 

 

 

 

恋よまわれ Gira l'amore (caro bebé) M.Panzeri - D.Pace出版社 SUVINI ZERONI (SUGAR Gr.) <67> ジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti CGD – CBS Sugar7847(CGD) [45]

 

7847(CGD) 7847(CGD)  HIT-2002HIT-2002   

 

10 好きなんだ Ti voglio D.Pieretti - Rickygianco出版社出版社FAMA (G.RICORDI Gr.) <63> ドナテッロ (vm) Donatello Ricordi – Dischi Ricordi SRL-10662 [45]

 

SRL-10662SRL-10・662 KW-2006KW-2006 

 

11 桜の少女 Un diadema di ciliegie R.Bertola - A.Sotgiu出版社 USIGNOLO <57>リッキとポヴェリ (coro) Ricchi e Poveri Cetra – Fonit CetraSP-1469 [45]

 

SP-1469SP-1469  HIT-2006HIT-2006 

 

 

12 地中海のバラ Mediterraneo L.Albertelli - E.Riccardi出版社 RITMI E CANZONI <43>ミルバ (vf) Milva Ricordi – Dischi Ricordi SRL-10660 [45]

 

SRL-10660SRL-10・660  KW-2006KW-2006 

13 瞳にしびれて Se non fosse fra queste mie braccia, lo inventerei L.Beretta - E.Suligoj出版社 ESEDRA <38> ララ・サン・ポル (vf) Lara Saint Paul Polydor – Phonogram2060-030 [45]

 

2060-0302060-030  KW-2006KW-2006   

 

 

14 街をけっとばせ Un calcio alla città R.Pazzaglia - M.Castellacci - D.Modugno出版社 RCA - INTERLANCIO <28>ドメニコ・モドゥニョ (vm) Domenico Modugno RCA ITALIANA – RCA ITALIANAPM-3641 [45]

 

                        PM-3641PM-3641 

 

次回は参加曲に続きます

 

 

 最後のアンチ・サンレモとされていたジャンニ・モランディは69年70年と最終段階まで名前が挙がっていましたが、未だ出場していませんでした。今回も102歌手の中に名前が挙がり、モランディは“Ricordo una canzone”を希望してのですが、この曲はナーダが提出してきた曲でした。彼の第二候補はルチオ・ダルラの“グランデ広場”でタイトルを“Canal Grande”に変えたいとう要望でしたが、ルーチョ・ダッラは自分で歌いたいとして、この望みも叶いませんでした。最終的に出場曲は“青春の汗”で決定し、Ricordo una canzone”はマリーザ・サンニアに回りましたが、曲自体が選ばれませんでした。

 

 名前が出ながら出場できなかったのはジョニー・ドレルリ“Bugiado amore mio”、ペピーノ・ディ・カプリ“失った金の鎖”(夏のディスクに)、トニー・レニス“Dai San Pietro lascialo passare” 、スペインのフリオ・イグレシアス“Mille amori”、ほかにロザリーノ、オリエッタ・ベルティ、クラウディオ・ビルラの名前も挙がりましたが最終的に削られました。

 

 

      SPF-31284  3C・006-17783   Tony Cucchiara         

       デリリウム (Fonit)         デリア (Columbia)      トニー・クッキアーラ (Joker)

      

 

 期待のジャンニ・モランディは「出場すれば優勝」視されていましたが、サンレモはそう甘くなく4位止まりで精彩を欠きました。話題になったのがジャズ・ロックのデリリウムとシチリア出身のマルチェラでした。審査員の選定も大きく方針を変え、レコード・セールスの担い手である若者の好みを反映させ、入賞曲ではララ・サン・ポールを除く13歌手が年間ヒット・ランク100位以内のランク・イン(他の音楽祭に有力な曲が少なかったのか)、反対に参加曲は1曲もランク・インせず大きな番狂わせのない結果が出ました。

 

 以下1972年サンレモ音楽祭入賞曲の年間ヒット・ランキングに入った順位です。

“虹の日々” ニコラ・ディ・バリ27位、“すみれのように” ペピーノ・ガリアルディ39位、“愛の真実” ナータ30位、“青春の汗” ジャンニ・モランディ43位、“恋の忘却” ジャンニ・ナザーロ50位、“ジェザエル” デリリウム10位、“青い山脈” マルチェラ21位、“グランデ広場” ルチオ・ダルラ57位、“恋よまわれ” ジリオラ・チンクェッティ37位、“好きなんだ” ドナテッロ47位、“桜の少女” リッキとポーヴェリ80位、“地中海のバラ” ミルバ92位、“街をけっとばせ” ドメニコ・モドゥーニョ75位。

 

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。


インテルメッツォ ~ 2016年前半で買ったもの 2 (カヴァーのお話)

 さて前回の続き2016年前半に入手できた盤の中から日本人のカヴァー盤を紹介しましょう。

 

 中尾ミエのカヴァー曲で大競合、無限地獄の様相になり、私が負けました。何年か前までヤフオクでヤフーIDがオープンで、競合入札者の評価を見ることが出来ました。当時は相手の性格やどこまで頑張ってくるかを見極めました。負けた相手の性格が悪く何度も高額に競り上げキャンセルをしています。出品者に入札妨害行為でキャンセルが出たら二番手の私に権利があるとアピールしておきましたが、私に話が来る事がありませんでした。

 

 それがこれ[SPV-  29]でした。今度は前回の半額以下で落札しました、因縁の盤です。当時“ピザ・パイ”はコッキ・マゼッティのカヴァーだと思いました、今回聞いて間違いでない事が確かめれました。B面はレスリ-・ゴーアのカヴァー。

 

SPV-  29 (196412VICTOR - 日本ビクター) ピザ・パイ [] (PIZZA PIE [J])/メイ・ビー・アイ・ノウ [] (MAY BE I KNOW [J])

 

SPV-  29SPV- 29 FON- 1040FON- 1040

 

FON- 1040 (19643FONTANA - 日本ビクター) すてきなピザ・パイ (PIZZA PYE)/ジョバネ・ジョバネ (GIOVANE GIOVANE)  コッキ・マゼッティ (COCCKI MAZZETTI (vf))

 

 前回ピノ・ドナッジォのところで紹介した盤のA面“ピザ・パイ”はアルマンド・トロヴァヨーリ作の当時流行った実録映画「性の実話暴露(In Italia si chiama amore)」の曲です。日本公開の映画のタイトルも凄い名前が付けられたものです。コッキ・マゼッティのヒット曲です。

 

 中尾ミエがイタリアの曲をカヴァーしたのは多くありません。この“ピザ・パイ”の前にコッキ・マゼッティの曲を、B面“キス・ミ-・クィック”はエルヴィス・プレスリーの曲をカヴァーしています。

 

SPV-  11 (19643 VICTOR - 日本ビクター) カサノバ・キッス[日] (CASANOVA BACIAMI [J])/キス・ミ-・クィック[日] (KISS ME QUICK [J]) 

 

SPV-  11SPV- 11 FON- 1035FON- 1035

 

FON- 1035 (19645FONTANA - 日本ビクター) カサノバ・キッス (CASANOVA BACIAMI [I])/心の傷あとのブル-ス[伊] (TRA LUI E ME)  コッキ・マゼッティ (COCCKI MAZZETTI (vf))

 

 コッキ・マゼッティの両面共カヴァー曲でA面がドイツのカール・ゲーツ(Karl Götz)作、ペトゥラ・クラークなども歌っている曲です。B面はドナルド・フィリップス(Donald Phillips)が作ったラロ・シフリン等が演奏した曲のカヴァーです。

 

 A面“わたしを愛して”はシルヴィ・ヴァルタンのカヴァー、B面は65年サンレモ音楽祭入賞曲、ジリオラ・チンクェッティとコニー・フランシスが歌った“あこがれはいつも心に”、残念ながら中尾ミエは未入手盤。

 

SPV-  42 (19654 VICTOR - 日本ビクター) わたしを愛して[日] (CAR TU T'EN VAS [J])/あこがれはいつも心に[日] (HO BISOGNO DI VEDERTI [J]) 

 

SPV-  42SPV- 42 HIT-1187HIT-1187

 

HIT-1187 (19653SEVEN SEAS -キング) あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI)/淋しいめざめ (QUANDO VEDO CHE TUTTI SI AMONO) ジリオラ・チンクェッティ (GIGLIOLA CINQUETTI (vf))

 

 A面が仏のシェイラのフレンチ・ポップス、B面は多分中尾ミエが歌った最後のカンツォーネ、“この胸のときめきを”の発売時期からピノ・ドナッジォのカヴァーでなく、英ダスティー・スプリングフィールの英語版のカヴァーと思われます(しかも日本ビクター社内曲なので)。

 

SPV-  77 (196611VICTOR - 日本ビクター) ハロー・プティット・フィーユ[日] (HELLO PETITE FILLEJ)/この胸のときめきを[日] (IO CHE NON VIVO (SENZA TE) [J]) 

 

SPV-  77SPV- 77c SFL- 1064SFL- 1064

 

SFL- 1064 (196681PHILIPS - 日本ビクター) この胸のときめきを[英] (YOU DONT HAVE TO SAY YOU LAVE ME)/リトル・バイ・リトル (TRA LUI E ME) ダスティー・スプリングフィールド (DUSTY SPRINGFIELD (vf=e))

 

 65年サンレモ音楽祭入賞曲“この胸のときめきを”は作者ピノ・ドナッジォと米キャピトルのジョディ・ミラーが創唱し、出場歌手ダスティーもこの曲を気に入り、カヴァーし英国ばかりか世界的大ヒット曲としました。70年代になってダスティーの英語盤をエルヴィス・プレスリーも歌っています。

 

OR- 1234 (1965415ODEON - 東芝音楽工業) この胸のときめきを (IO CHE NON VIVO (SENZA TE))/イル・モンド・ディ・ノッテ (IL MONDO DI NOTTE)  ピノ・ドナッジォ (PINO DONAGGIO (vm,orch))

 

OR- 1234OR- 1234 SS-1982SS-1982

 

SS-1982 (19721125RCA - ビクター音楽産業) この胸のときめきを[英] (YOU DONT HAVE TO SAY YOU LAVE ME)/パッチ・イット・アップ (PATCH IT UP) エルヴィス・プレスリー (ELVIS PRESLEY (vm=a))

 

 ほぼ同時期に入手したのが木の実ナナでした。今では大女優・歌手ですが、デビュー当時は渡辺プロの駆出しタレント、カヴァー曲を歌う歌手でした。

 

 今回入手した盤のA面はウィルマ・ゴイクの初期に出たシングル盤のカヴァーです。2010年にキングからでた2枚組CD「木の実ナナ魅惑のシングルコレクション」に収録された位で、あまり聞けない曲でした。B面はサンレモ入賞曲、木の実ナナ16枚目のシングル盤です。

 

BS-7118 (19659KING -キング) 指先のキッス [日] (UN BACIO SULLE DITA)/カナダの小屋[日] (CASETTA IN CANADA [J])

 

BS-7118BS-7118  HIT-1251HIT-1251

 

HIT-1251 (196510 SEVEN SEAS -キング) 指先のキッス (UN BACIO SULLE DITA)/あきらめ (IO NON CI SARO)  ウィルマ・ゴイク (WILMA GOICH (vf))

 

“指先のキッス”はゴイクが65年9月上旬に行われた新人コンテスト「成功の帆船(CARAVELLA DEI SUCCESSI)」で歌いました。

 

 キングの歌手なので珍しいカンツォーネもカヴァーも歌っていますが、驚くような数ではありません

 

 “太陽の下の18才”はデビュー4枚目のシングル、タイトルが “太陽の下の18才”がジミー・フォンタナの歌う曲でなく、ジャンニ・モランディが歌った“サンライト・ツィスト”のカヴァーです。B面はジオ・マイオンの“サンデー・ラヴァー”が元曲。

 

EB-7212 (1963520KING -キング) 太陽の下の18才[日] (サンライト・ツィスト[日]) (GO-KART TWIST [J])/日曜日の恋人[日] (SUNDAY LOVER [J])

 

EB-7212EB-7212 SS-1334SS-1334

 

SS-1334 (19636VICTOR – 日本ビクター) 太陽の下の18才 [英] (TWIST No.9)/サンライト・ツィスト (GO-KART TWIST)  ジミ-・フォンタナ (JIMMY FONTANA (vm))/ジャンニ・モランディ (GIANNI MORANDI (vm))

 

 彼女8枚目のシングル。両面共ミミ(後のミア・マルティーニ)のカヴァー。ミミ自身もカヴァー曲で、カヴァーのカヴァーです。A面は英国のビリー・ヒュリーの“想い出の浜辺”、B面はイーディー・ゴーメとスティーブ・ローレンス (6312LL-489)が歌う同名のカヴァーです。

 

EB-7262 (19642 KING -キング) ママとパパのテレビ [] (INSIEME (TELEVISIONE CON MAMMA E PAPA') [J])/お部屋でデ-ト [] (LONTANI DAL RESTO DEL MONDO [J])

 

EB-7262EB-7262 HIT-1014HIT-1014

 

HIT-1014 (1964220 SEVEN SEAS -キング) ママとパパのテレビ (想い出の浜辺 []) (INSIEME (TELEVISIONE CON MAMMA E PAPA') (IN SUMMER [I]))/お部屋でデート [] (LONTANI DAL RESTO DEL MONDO (I WANT TO STAY HERE [I])) ミミ {ミア・マルティーニ} (MIMI {MIA MARTINI} (vf))

 

 13枚目のシングル、A面はキングが密かにアイドルに仕立てようとしたロベルタ・マッツォーニのカヴァー曲。

 

BS-7081 (19653 KING -キング) 三つの夢 [] (I TUOI BACI SONO BACI [J])/ラ・ラ・ラ・ラ [] (LA, LA, LA [J])

 

BS-7081BS-7081  HIT-1213HIT-1213 

 

HIT-1213 (1965610 SEVEN SEAS -キング) 三つの夢 (I TUOI BACI SONO BACI)/夢がいっぱい (L'AMORE DI NESSUNO) ロベルタ・マッツォーニ (ROBERTA MAZZONI (vf))

 

 シングル14枚目はA面がミーナの“太陽の海”、B面がカトリーヌ・スパークの“若草の恋”でいずれもイタリア物のカヴァーです。

 

BS-7088 (19654 KING -キング) 太陽の海[日] (STESSA SPIAGGIA, STESSO MARE [J])/若草の恋[日] (MES AMIS, MES COPAINS [J])

 

                BS-7088BS-7088

 

LL-   810LT (19659 SEVEN SEAS -キング) 太陽の海 (STESSA SPIAGGIA, STESSO MARE)/スローリー(SLOWLY)  ミーナ (MINA (vf))

 

LL-   810LTLL- 810・LT HIT-1176HIT-1176

 

HIT-1176 (1965210 SEVEN SEAS -キング) 若草の恋 (MES AMIS, MES COPAINS)/しあわせの二人 (NOI DUE)  カトリ-ヌ・スパ- (CATHERINE SPAAK (vf=f))

 

 15枚目のシングルはキングからヤ-ッコ・サロン・オーケストラ (JAAKO SALON Orch.)が出していた曲のカヴァー。B面は日本のタイトルが違っていますが、ドイツの双子の女性デュオ、ケスラー・シスターズがイタリアのCGDで吹き込んだ“レット・キッスでキッスしてね”のカヴァー曲です。

 

BS-7108 (19657 KING -キング) すてきなジェンカ [] (JAAKON JENKKA [J])/二人だけの秘密 []  (レット・キッスでキッスしてね [] LASCIATI BACIARE COL LETKISS [J])

 

BS-7108BS-7108 HIT-1296HIT-1296

 

HIT-1296 (19651210 SEVEN SEAS -キング) ハ-トが恋しちゃう (L'ESTATE CORTA)/レット・キッスでキッスしてね (LASCIATI BACIARE COL LETKISSケスラー・シスターズ (GEMELLE KESSLER,{LE} (duo=d))

 

(紹介したレコードすべてを所有しているものではありません)

 

 

 他に坂本九や中原美紗緒のレコードも手に入れていたのですが、字数制限もありますので、またの機会と言うことで、今回のインテルメッツォを終了いたしましょう。



インテルメッツォ ~ 2016年前半で買ったもの 1

 2016年も7ヶ月過ぎ、世の中殺伐とし、英国のEU離脱国民投票の様に「自分ひとり位安易な判断をしても、世の中ひっくり返ることはない」と考えると、自らにトンデモないしっぺ返しが来るかも知れません。

 

 本命にイタリア人の国内盤は集められるものは集め、残るは当時全然売れなかったレア物か、私の目指す方向でない所で、変な人気盤となり収集困難な物になってしまいました。

 

FS- 31 (19652 5FONIT - テイチク) オー・ソレ・ミオ (O SOLE MIO)/若い恋 (GIOVANE AMORE) ドメニコ・モドゥ-ニョ (DOMENICO MODUGNO (vm))

 

                            FS- 31FS- 31

 

 ドメニコ・モドゥーニョの国内盤も“オー・ソレ・ミオ”で『上がり』だったのですが、激しく攻め立てられ、断念!せめてもジャケット画像が入手できたので、これで我慢しました。

 

他に入札開始価格はちょっと高めでしたが競合もなく助かった1件。ピノ・ドナッジォの“ジョヴァネ・ジョヴァネ”長年探していた盤で幸いでした。

 

CM-1009 (19635ODEON -東芝音楽工業) ジョヴァネ・ジョヴァネ (GIOVANE GIOVANE)/銀の家 (UNA CASA D'ARGENT)

 

CM-1009CM-1009 FON- 1040FON- 1040

 

FON- 1040 (19643 FONTANA - 日本ビクター) すてきなピザ・パイ (PIZZA PYE)/ジョバネ・ジョバネ (GIOVANE GIOVANE)  コッキ・マゼッティ (COCCKI MAZZETTI (vf))

 

 コッキ・マゼッティの方はずいぶん前に手に入れていたのですが、ピノ・ドナッジォの他のシングルは時々オークションに出ていましたが、“ジョヴァネ・ジョヴァネ”全然出てこなかったのでもう諦めかけていた時でした。この曲のサンレモ音楽祭オリジナル国内盤はそろいましたし、同時にピノ・ドナッジォの国内盤は完収。もちろん歌手ピノ・ドナッジォで映画音楽作曲家としてではありません。

 

 もう一方、「死闘の末」落札したのがこちら、今年最高額になるかもしれません。これ以来年金生活者の身、現在もこれよりは安く入手出来そうな盤があるのですが、腰が引けてしまってます。

 

HIT- 287 (19642SEVEN SEAS - キング) 女ともだち (LE AMICHE)禁じられた肉体 (CARMEN DI TRASTERVRE) オリジナル・サウンドトラック (O.S.T.)/ヴァンナ・スコッティ (VANNA SCOTTI (vf))

 

HIT- 287HIT- 287 STMS-536STMS-536

 

STMS-536 (1962年 STYLE - CELLOGRAF) CARMEN DI TRASTERVRE (禁じられた肉体)DONDO DONDOLANDO ヴァンナ・スコッティ/ジーノ・メスコリ楽団 (GINO MESCOLI)

 

 出品者はダイレクト・トラック・ダウンかもと言う話でしたが、イタリア盤も同じで多分STYLE原盤と思われます。

 

 

 話は変わって珍しい人のCD[ST-438]が出ていました。ドーラ・ムスメッチ(DORA MUSUMECI)と言う人です。ジャズ・ピアニストだと知ったのは、昨年3月でした。名前はカタログ上(67年ビクター洋楽の番号順総目録)で名前は見つけていました。そのレコード[SHP-5295]を手に入れてからです。

 

 その前、実際に彼女の音を聞いたのは日本でエンニオ・モリコーネ・ブームが起こり、色々なCD[BVCM-372089など]が発売されました。その中にドーラ・ムスメッチが収録された2曲とも彼女が歌っており、てっきり歌手だと思い込みました。たまたま歌っていただけのことだったのです。

 

BVCM-372089 (2001425RCA - BMGファンハウス) 2CD エンニオ・モリコーネ/アルティメット・イタリアン・ポップス・コレクション (ENNIO MORRICONE40th COMMEMORATION : ULTIMATE ITALIAN POPS COLLECTION)

1-17.カフェとカモミール (CAFFE' E CAMOMILLA)

1-18.誰かが私に電話した (QUALCUNO HA CHIESTO DI ME)

 

BVCM-372089BVCM-37208~9a SHP-5295SHP-5295

 

SHP-5295 (19643 VICTOR - 日本ビクター) LP世界音楽の旅5.南ヨーロッパへの旅 (LISTEN TO WORLD MUSIC ON PAN AM SERIES:5 HOP TO SOUTHERN EUROPE)

.月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA)

 

 1曲だけしか収録されていませんが、ミーナのヒット曲“月影のナポリ”なので、期待して針をおとしたのですが、ピアノ演奏が続き、歌が出てこない内に曲が終わってしまいました。『なぜ?』と思いつつWebでウィキペディアはじめ色々見ていると、女流ジャズ・ピアニストだと分かりました。

 

 今回話をするのが“月影のナポリ”も入っている本国のRCAイタリアーナから出たアルバムです。

 

KLVP-  91 (1961Vik – RCA Italiana) 30cmLP 24 motivi al pianoforte (Dora Musumeci e il suo Trio)

1コメ・プリマ (COME PRIMA)

.グォリオーネ (GUAGLIONE)#

.ヴォラーレ (VOLARE)

.この世で一番美しいひと (LA PIU' BELLA DEL MONDO)

.ピッコリシマ・セレナータ (PICCOLISSIMA SERENATA)

.愛らしいひと (AMOREVOLE)

.私と一緒に (RESTA CU 'MME)

.さらばロ-マ (ARRIVEDERCI ROMA)

.チャオ・チャオ・バンビーナ (PIOVE)

10.幸せがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA)

11.月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA)

12.太陽の誘惑 (WHAT A SKY)

13.マリーナ (MARINA)

14.どこが悪いのかしら (NUN E' PECCATO)

15.砂にまみれて (LEGATA A UN GRANELLO DI SABBIA)

16.二人のコンチェルト (IL NOSTRO CONCERTO)

国内盤未収録曲 (オリジナル盤24曲の曲順は不明;1〜16は国内盤の曲順)

・アメリカーノ (Tu Vuo’ Fa L’Americano)

・アリヴェデルチ (Arrivederci)

・愛を唄わん (I Sing Ammore)

・ユリア (Julia)

・君のキッスはロックのよう (Il Tuo Bacio E’ Come Un Rock)

・カリーナ (Carina)

・恋のからまわり (Il Barattolo)

・プルオーヴァーのセーター (Il Pullover)

 

KLVP-  91KLVP- 91 SHP-5247SHP-5247

 

SHP-5247 (196311VICTOR – 日本ビクター) 30cmLPレイディ・アット・ホーム/レイディ・ミュージック・コレクション (LADY AT HOME - LADIES' MUSIC COLLECTION)

ST-438 (2016VINTAGE-MOOD –ヴィンテイジ・ムード・コム) CD おやすみ前のムード(THE BEFORE THE SLEEP)

#.リトル・ボーイ (LITTLE BOY) [LP,CD共にガリオーネGUAG (LIONE)です]

 

 

               ST-438ST-438

 

 6月に入手したのがSHP-5247です。前出のビクターの総目にも既に載っておらず、この盤の存在は知りませんでした。こちらが先に出ていればCDは買っていなかったでしょう。

 

 CDは私製盤(と言ってもブートレックではなく、JASRAC承認を得ています)でドーラ・ムスメッチが出ているとは思いませんでした。ヴィンテイジ・ムード・コム(http://www.vintage-mood.com/)としてWebでを販売しており、その昔に西武=セゾングループのWAVEが大規模に復刻盤を作っていたのですが、そのミニチュア版と思っていただければ間違いないと思います。

 数年前神戸の南京町にあった中古レコード屋さんの勧めで、オウディオ・パークのプレス版CDを買ったのですが、企画制作されている方と同じ方でした。

 

 日頃色々と頂き物をしている『わが友』のお礼として、ヴィンテイジ・ムード・コムでST-438をもう1枚と 他に見つけたCDを一枚、以前ヤフオクで取り逃がした盤[CL-5065]をCD化していたので、良く確かめず買いまし得た。

 

CL-5065 (196?CAMDEN – 日本ビクター) 30cmLP 魅惑のナイトキャップ (MUSICAL NIGHTCAPARMANDO TROVAJOLI) アルマンド・トロバヨ- (ARMANDO TROVAJOLI  (orch,p))

ST-267 (2012VINTAGE-MOOD –ヴィンテイジ・ムード・コム) CD ミュージカル・ナイトキャップ (MUSICAL NIGHTCAPARMANDO TROVAJOLI) #

#.ジジ (GIGI)

#.ポント・フィナール (PONTO FINAL)

#.君住む街で (ON THE STREET WHERE YOU LIVE)#2君住む町角

#.気まぐれレディ- (THE LADY IS A TRAMP)

.#5カナダの夕陽 (CANADIAN SUNSET)

#.懐かしのリスボン (LISBOA ANTIGA)

#.恋はすぐそこに (LOVE IS JUST AROUND THE CORNER)#7恋の曲がり角

#.キス・ミ-・ミス・ミー (KISS ME, MISS ME)

#.リオ・デ・ジャネイロ (RIO DE JANEIRO)

10#10. 魅惑のひととき (MAGIC MOMENTS)#10マジック・モーメンツ

 

CL-5065CL-5065  ST-267ST-267

 

『わが友』にこの盤の話をすると、アルバンド・トロバヨーリのジャズの紙ジャケCD[BVCJ-37514]に入っている曲と同じとちがう?という話。落着いて調べてみると確かに!また、やってしまいました。まッいいか!

 

BVCJ-37514 (2006 524RCA ITALIANA – BMGジャパン) CD アルマンド・トロヴァヨーリ/マジック・モーメンツ (MAGIC MOMENTS AT “LA CAPANNINA”)

.君住む街で (ON THE STREET WHERE YOU LIVE)

.ハウ・アバウト・ユー (HOW ABOUT YOU)

.ポント・フィナール (PONTO FINAL)

.気まぐれレディー (THE LADY IS A TRAMP)

.マジック・モーメンツ (MAGIC MOMENTS)

.リオ・デ・ジャネイロ (RIO DE JANEIRO)

.キス・ミー・ミス・ミー (KISS ME, MISS ME)

.カナディアン・サンセット (CANADIAN SUNSET)

.クロウズ・トゥ・ユー (CLOSE TO YOU)

10.懐かしのリスボン (LISBOA ANTIGA)

11.恋はすぐそこに (LOVE IS JUST AROUND THE CORNER)

12.ジジ (GIGI)

13.コメ・プリマ (COME PRIMA)

14.ダイアナ (DIANA)

 

            BVCJ-37514BVCJ-37514 

 

 ヴィンテイジ・ムード・コムの復刻盤は戦後1950年代から60年代はじめのオーケストラ演奏が中心です。お話を聞くと母方のお爺さんのコレクションを元にしているようで、内容からしてお歳が70才代と間違われるそうですが、まだ50才代とおっしゃっていました。重複曲を買っても悔しがらない方向きですが、もう国内盤では手に入らないものがあるかもしれません。

 

興味のある方は ヴィンテイジ・ムード・コムhttp://www.vintage-mood.com/


インテルメッツォ ~ フランコ・クレパックス

この名前は何度もブログに出ていますので、ご記憶の方もいらっしゃると思います。

 

フランコ・クレパックス Franco Crepax

 1928年ミラノ生、レコード・プロデューサー、CGDの代表取締役、作家、歯科医師。

父ジルベルト(Gilbert) はミラノ・スカラ座やヴェネツィアのフェニーチェ座の首席チェロ奏者で彼はその血を受継いでいます。 

                   

                       Franco Crepax 02

 

 弟グイド・クレパックス(Guido Crepax)は著名漫画家、イラストレーター(リコルディのロゴ・マークの原作者)。クレパックスだけ言われる時は有名な漫画家グイドを指す人の方が多い。

 妻ルチアーナ(Luciana)は英文小説、歴史書等の翻訳家、息子ニコラ(Nicola)は経済学者、娘ヴァレンティナ(Valentina)はジャーナリストでジジ・ザッゼリ(Gigi Zazzeri)と結婚しています。                 

 

 

 1952年フランコはV...(67年以降はEMIイタリアーナとなる)に入社、広告・グラフィック部門を担当します。53年リコルディの総本社G.リコルディ&C.音楽出版(Edizioni G. Ricordi & C.)に移りました。そこでリコルディの御曹司

ナンニ・リコルディ(Nanni Ricordi)と出会います。

                      

 ナンニ・リコルディは新規事業の調査研究とアメリカ市場進出のために、55年ニューヨークに渡米、米RCAビクターでプロデューサーとしても働き、イタリア系大歌手のペリー・コモとも親交が出来ました。この時点で想像もしなかったでしょうが、RCAとの因縁は始まったようです。ディスキ・リコルディは94年RCAを吸収したBMGと合併する事になります。

 

 ナンニが58年に帰国後しアメリカで得た知識から新しい音楽の創造を目指し、ミラノでフランコ・クレパックスを共同経営者として10月1日にリコルディ出版が100%出資のディスキ・リコルディ株式会社(Dischi Ricordi S.p.A)を設立しました。

 

 最初の盤はマリア・カラスのアルバムでした。彼女は50年にミラノ・スカラ座デビュー、プリマ・ドンナとして活躍しており、リコルディ家へのお礼とお祝儀だったのでしょう。このカラスとナンニの写真を撮ったのがクレパックスでした。ナンニは『スタジオの人』、フランコは『オフィスの人』であったようです。            

 

   Nanni Ricordi e Maria CallasNanni Ricordi e Maria Callas

   

 

 リコルディの目指したカンタウトゥーリのカンツォーネ」は当時インテリ層の評判になりましたが、彼らのレコードは月何十枚程度しか売れず、しかも悪いことに新たなレコード工場を作り会社は「火の車」状態になってしまいます。

 

 ナンニとクレパックスは責任を問われ、リコルディを追われます。ナンニはRCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリスの計らいで芸術監督に彼を迎える代わりに、RCAイタリアーナの芸術監督

ヴィンチェンツォ・ミコッチをリコルディの芸術監督とし、再建に携わることとしました。 クレパックスはナンニと行動を共にすると思われていましたが61年CGDのディレクターになります。

 

 彼らが育てた多くのカンタウトゥーリ、ジーノ・パオーリ、ウンベルト・ビンディ、セルジョ・エンドリゴ達はナンニを追ってRCAイタリアーナに移籍します。まだデビュー前のブルーノ・ラウツィは62年クレパックスが転出したCGDに入りレコード・デビューをしました。ラウツィが65年サンレモ音楽祭に出場できたのはクレパックスの尽力があったのだと思われます。

 

 クレパックスは名前の通りフランス系イタリア人です。フランスからミラノに進出しエル&クリス(El ` & Chris)音楽出版を作ったクリスチーヌ・ルルー(Christine Leroux)の共同経営者として彼は、65年2月カンピオーニ(I Campioni)でまだ無名のギタリスだったルチオ・バッティスティがオーディションを受けに来た時に会っています。

 

 彼らの育てたカンタウトゥーリ、ルイジ・テンコは63年にSAARに、65年にジーノ・パオーリと入替わりにRCAイタリアーナへ移り、パオーリはスキャンダルまみれになってクレパックスを慕うかのようにCGDに移籍をしています。

 

 ダリダの後追うかのような移籍をしたテンコは遂にダリダをパートナーに67年サンレモ音楽祭の出場を果たします。二人は恋愛関係にあり、サンレモの打合せを口実に逢っていたようでした。しかしテンコは大事件を起こします。サンレモの落選が原因と言われますが、本選第1夜終了後ホテルでピストル自殺をしました。逢う約束をしていたダリダが第一発見者で、彼女は自分が悪いのだと半狂乱に、駆付けたルチオ・ダルラなどRCAイタリアーナの歌手、関係者は大パニックになります。

 

 テンコは自分達が育てた歌手でもありクレパックスもすぐ現場に行き、その大混乱ぶりを目の当たりにしました。他社CGDの人間でしたが、このままではRCAの歌手の出場ばかりでなく、サンレモ音楽祭の続行も危ういと感じたクレパックスは、持ち前の冷静沈着さで現場を取仕切り音楽祭も続行、無事最終日まで終えることが出来ました。この一件で彼の実力は知れ渡り、『業界のゼネラル・マネージャー』としても扱われるようになります。

 

                   Franco Crepax 01

 

 表現があいまいなのでいつ頃という時期が判らないのですが、CGDで芸術監督を務めています。歌手の発掘、売出しや宣伝のマネージメントなどは得意でしたし、チェロ奏者の父から受継いだ音楽の才能を発揮していました。

 

 「サンレモの歌手たち 326 マウリツィオとファブリツィオ」の項で、『CBSがCGDに出資しCBSシュガーとなる前年の69年にはクレパックスはCBSレーベルの芸術監督をしていて、マウリツィオとファブリツィオ(Maurizio & Fabrizio)をイタリアのサイモンとガーファンクルにしようとした』と書きましたが、CBSのイタリア販売権をリコルディから取ってくることにも関わったと思われます。

 

 しかしこのCBSのイタリアでの販売権を取ったことが、後々CGDに大きな災いをもたらすことになります。

 

 70年CGDのスター歌手ナテリーナ・カセルリはCGDの所有会社シュガー・ミュージックの御曹司ピエロ・シュガーと結婚しました。この時後に彼女がシュガーを再興する女将に成るとは、誰も考えてなかったでしょう。

 

 77年シュガー・グループは大変な状況になりました。米CBSと資本提携したCBSシュガーは、CBSがプーやマルチェラ、ウンベルト・トッツィ等看板スターを連れてCBSディスキとして独立。CGDは状況が一変し経営危機となります。

 

 78年ジリオラ・チンクェッティ、カテリーナ・カセルリ、イ・プー、マルチェラなどをスター歌手に育てた手腕を買われ、CGDの難局に対処すべく代表取締役に選任されました。

 

 残った経営資源で廉価盤の販売します。またカテリーナ・カゼッリが若者向けロックのアスコルト(Ascolto)を起ち上げ、日本でもプログレで知られるアレア(Area)、ペペ・マイナ(Pepe Maina)、マウロ・パガーニ(Mauro Pagani)などを輩出しました。そういう状況下で81年シュガーの総帥ラディスラオ・シュガー(Ladislao Sugar)が85才で亡くなり、CGDには大きな痛手となります。

 

 ナンニ・リコルディはRCAイタリアーナに転籍して3〜4年しかいませんでしたが、クレパックスは彼とは違い86年までの25年間CGDで勤め、一時代を築きました。その年パナレコーズの代表取締役に就任しています。

 

 CGDは録音スタジオなど資産売却等リストラを進めますが、遂に88年世界資本WEAに身売りをします。シュガー一族はCGDから撤退を余儀なくされます。同年ナンニとクレパックス二人の功績をたたえ、所縁の歌手たちの歌うコンピレーションが出ました。

 

TALP-2024 (1988 Fonit Cetra ‎– Fonit Cetra) 2LP Nanni Ricordi E Franco Crepax Presentano: Nel 30° Anniversario Della Leggera Rivoluzione

            TALP-2024TALP-2024

 

 90年大手レコード会社が作るイタリア・レコード会社協会AFI (Associazione Fonografici Italiani)の会長に就任しました。

 

 その後音楽プロデューサーのほかに評論や小説の著作活動を行っており、2004年自叙伝「Grazie Mac, Ponte alle Grazie」を出版し、08年には最後の仕事として歯科医も始めました。

 

              Grazie Mac, Ponte alle GrazieGrazie Mac, Ponte alle Grazie  

 

インテルメッツォ~フランコ・クレパックスは以上です。


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