- Date: Sun 24 03 2013
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サンレモの歌手たち 47 トニー・レニス
以前2012年5月7日に書いたブログ「トニー・レニス(TONY RENIS)、サンレモ乾杯!」(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5247726.html)として彼を紹介したのですが、断片的なところもあり、再度「サンレモの歌手たち」として書き直します。
★トニー・レニス (vm) Tony Renis
トニー・レニス(TONY RENIS)、本名エリオ・チェザーリ(ELIO CESARI)1938年5月13日ミラノ生。現在は作詩作曲家、音楽プロデューサーとしても活躍しています。
15歳ころ地元の音楽仲間とチェレンターノやジェリー・ルイスのコピーをし、夏にはエルバ島のホテルで歌っていました。1958年に作曲家ゴルニ・クラメール(GORNI KRAMER)のコンボ・レコードからシングル盤を出すことが出来ました。5057(1958年 COMBO – COMBO, Italy )“COME PRIMA (コメ・プリマ)/TI DIRO’(君に告げん)” でデビューを果たした。コンボで5枚のシングル盤を出し、翌59年V.C.M.(現E.M.I. MUSIC ITALIANA)からMQ 1224(1959年V.d.P. - V.C.M. , Italy)“NESSUNO AL MONDO(君だけの世界)/ADDIO MARIA”でメジャーデビューしました。
サンレモ音楽祭初出場は61年自作の“水たまり”でパートナーはカルメン・ヴィラーニのいたブルーベルのニキ・デイビスでしたが入賞は果たせませんでした。翌年62年再挑戦したサンレモ音楽祭で大成功します。この“クァンド・クァンド・クァンド”で、世界中の歌手がカヴァーし彼の代表曲となりました。多分トニー・レニスの全盛期だと思います。次の63年サンレモ音楽祭で優勝を果たします。この年はもう1曲歌いましたが、こちらは入賞できませんでした。一度頂点を極めると、下り坂が来きます。64年のサンレモ音楽祭に4回目の出場をしますが、入賞できませんでした
65年にはRCAイタリアーナに移籍します。夏のディスク・フェスティヴァルで活躍しますが、サンレモ音楽祭には出場しませんでした。68年自作曲で、パートナーは同じRCAに移籍したドメニコ・モドゥーニョでした。良い曲でしたが入賞できませんでした。再び息を吹き返すのは70年でした。
その前年69年に設立間もないヌメーロ・ウノ(NUMERO 1)に移籍します。この会社はモゴールとルチオ・バティスティが作り、プログレの象徴のようなレーベルですが、出来た当時は後にらしくなったフォルムラ3だけで、中心歌手として迎えられました。別会社とはいえほとんどRCAが運営しているようなもので、彼自身の大きな路線変更はありませんでした。 この当時RCAイタリアーナは大物歌手を傘下の独立レーベルに所属させる方針転換をしており、その一環でもありました。ちなみにルチオ・バティスティのヌメロ・ウーノへの移籍は1971年になってからです。
トニー・レニスは再びサンレモ音楽祭に入賞し、思いを遂げたかのようにその後一切サンレモ音楽祭には出場しませんでした。と言えば話が終わるのですが、そうならないのが世の中面白いところです。彼はその後、ミーナに“グランデ・ブランデ・グランデ”を提供して成功します。
70年代初頭には、トニーはアメリカに移動、最初ニューヨークそしてロサンゼルスに行き、スティービー ・ ワンダー、クインシー ・ ジョーンズ、フランク ・ シナトラ会いました。78年にワーナー・ブラザーズで“クァンド・クァンド・クァンド”のディスコ・ヴァージョン“ディスコ・クァンド(DISCO QUANDO)”を出し、ヒットします。
セリーヌ・ディオンの97年のアルバム“レッツ・ト-ク・アバウト・ラヴ”でルチアーノ・パヴァロッティとデュエットした“アイ・ヘイト・ユー・ゼン・アイ・ラヴ・ユー”もレニスの提供した曲ですし、フリオ・イグレシアスに多くの曲を書くなど、素晴らしい活躍をしていきます。
所属レコード会社は1958年Combo (con i Combos)、5年~64年V.d.P.(V.C.M.)、65~68年 RCA Italiana、69~72年Numero Uno
トニー・レニス国内盤
HM-1094 (1960年9月 ANGEL - 東京芝浦電気工業) 憧れのブルー・ジーン (CUORE IN BLUE JEANS)/テンダーネス (TENEREZZA)
HW-1066 (1960年9月 ANGEL - 東京芝浦電気工業) 25cm LP エンジェル・ゴールデン・ヒット (ANGEL GOLDEN HIT)
4.憧れのブルー・ジーン (CUORE IN BLUE JEANS)
HM-1142 (1962年5月 ANGEL - 東芝音楽工業) アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)/いつの日か (QUANDO QUANDO QUANDO) ジャン・コステロ (GIAN COSTELLO (vm))/トニー・レニス
HW-1087 (1962年8月 ANGEL - 東芝音楽工業) 25cm LPサンレモからのプレゼント (SANREMO BEST SONGS)
9.いつの日か (QUANDO QUANDO QUANDO)
CM-1012 (1963年5月 ODEON - 東芝音楽工業) 私の選ぶ人 (UNO PER TUTTE)/さくら (LE CILIEGE)
CW-1013 (1963年10月 ODEON - 東芝音楽工業) 25cm LPオデオン・トップ10第3集 (ODEON TOP 10 Vol.3)
9.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO)
OR- 1029 (1964年4月 ODEON - 東芝音楽工業) クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO)/可愛いインディアン (PICCOLO INDIANO)
SS-1945 (1970年5月5日 RCA - 日本ビクター) 愛の贈りもの (LA PRIMA COSA BELLA)/カンツォーネ・ブルー (CANZONE BLU) ニコラ・ディ・バリ (D NICOLA I BARI (vm))/トニー・レニス
SHP-6122 (1970年5月5日 RCA - 日本ビクター) 30cm LPサンレモ1970 (SAN REMO 1970)
3.カンツォーネ・ブルー (CANZONE BLU)
MA-152・V (1979年2月OVERSEAS - テイチク) ディスコ・クァンドPart.1 (DISCO QUANDO Part.1)/ディスコ・クァンドPart.2 (DISCO QUANDO Part2)
GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Box サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)
3-12.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO)
3-16.ぼくの選ぶ人 (UNO PER TUTTE)
7-3.私の場所 (IL POSTO MIO)
SUX-138・V (1979年2月25日 OVERSEAS – テイチク) 30cm LP最新ディスコ・ヒット速報
9.ディスコ・クァンド(DISCO QUANDO)
NFA-91801~10 (1991年 JAZZY - ジャジー・プランニング) 10CD Box エンサクロペディア・オブ・カンツォーネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) 非ライセンス商品
2-14.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO)
2-16.ぼくの選ぶ人 (UNO PER TUTTE)
BVCM-37355 (2002年9月4日 RCA - BMGファンハウス) CDベスト・オブ・イタリアン・ポップス (THE BEST OF ITALIAN POPS)
4.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO) RCA ITALIANA原盤
BVCM-38088~9 (2006年3月22日 RCA - BMGジャパン) 2CD Box愛のカンツォーネ50 (CNZONE 50)
16.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO) RCA ITALIANA原盤