- Date: Thu 18 06 2015
- Category: サンレモ音楽祭 > サンレモ音楽祭年度別出場曲リスト
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO) 57 1970年-4
今回は優勝曲の紹介が一番最後になってしまいました。68年子分ドン・バッキーの“カンツォーネ”を横取りして第3位となり、裁判沙汰の大騒動を起こし、ホトボリが冷めるまで大人しくするかと思われていました。しかし2年後奥さんのクラウディア・モーリをパートナーに“働かない者は恋するな”と言う皮肉な内容を歌い、ついにサンレモ優勝歌手となります。
奥さんをパートナーにして優勝歌手の名誉を贈ったともいえますが、本当は彼のパートナーは「身内」でしか勤まらないのが本当のところでしょう。また小さな会社にかかわらず、なんと4歌手の出場をオーガナイザーに認めさすとは、本当に恐ろしい人です。
マリオ・テッスート (CGD) ロッサーノ (VARIETY)
第20回 1970年2月26日(木)~2月28日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:Presエンリコ・マリア・サレルノ (Enrico Maria Salerno)、ヌッチョ・コスタ(Nuccio Costa)、イラ・フルステンベルグ (Ira Fustenberg)
楽団指揮: 28名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)
形式:出場曲数26曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に13曲を歌い、各夜の中から7」曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
出場歌手は52歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場24歌手(内外人1歌手)、出場レコード会社18社で初出場6社、外人歌手のみの出場会社は1社です。 ただし、その内RCAイタリアーナ・グループに属するレコード会社が4社含まれています。[数]は外人歌手数
RCA ITALIANA 8[2]; CGD7[0]; RICORDI6[1]; RI FI 5[0]; FONIT CETRA4[0]; ARISTON 4[0]; Clan Celentano4[0];PHONOGRAM 3[0]; DURIUM 2[1]; CAROSELLO 1[0]; CAR-JUKE BOX 1 [0]; DET(CAM)1[0];新PDU1 [0]; 新SIF1 [1] ;(以下RCA ITALIANA Groupe)新LITTLE 1 [0];新IT 1 [0];新APOLLO1 [0];新NUMERO UNO1 [0]
実現しなかったのですが、最も出場を期待されたサンレモ未出場の最後の大物歌手がいます。ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)でした。第2位となった“愛の贈りもの”を歌う可能性が高かったのです。ミノ・レイターノ、ロベルティーノの名も挙がりますが最後にリッキとポーヴェリにすり替わりました。
ドン・バッキーは“ノアの箱舟”を希望しましたが、イヴァ・ザニッキに負け、前年自殺未遂でロザンナ・フラテルロに変更となったアンナ・イデンティチが平然とサンレモにもどり、マスコミはロザンナがアンナのライバルとして煽り立てます。
一番の話題は開催をカンツォニッシマから期間を開けるため開催を2月最終週に持ってきたのですが、その直前2月25日にミーナがジャーナリストのヴィルジオ・クロッコ(Virgilio Crocco)と結婚した事でした。
バレリア・モンガルディーニ (TALENT) セルジョ・レオナルディ (CGD)
<参加曲>
◆ここにたたずんでIo mi fermo qui (L.Albertelli - E.Riccardi) 出版社 R.R.R. ドナテッロ (vm) Donatello (Ricordi – Ricordi) SRL-10・584 [45] : イ・ディク・ディク Dik Dik (Ricordi – Ricordi) SRL-10・587 [45]
SRL-10・584 SRL-10・587 DP-1747
◆ ローマの雪Nevicava a Roma (L.Beretta - M.Del Prete - P.Verdecchia - R.Negri) 出版社 KANSAS レナート・ラシェル (vm) Renato Rascel (RCA ITALIANA - RCA ITALIANA) PM-3508 [45] : ピオ (vm) Pio(Clan Celentano - CBS Sugar) BF-69039 [45]
◆ ア-モンド色の瞳 Occhi a mandorla (V.Pallavicini - P.Soffici) 出版社ILLER ロッサーノ (vm) Rossano(Variety – Ri Fi) FNP・NP-10147 [45] : ドリ・ゲッツィ (vf) Dori Ghezzi (Durium - Durium) Ld・A-7668 [45]
◆ 今ぼくは生きる Ora vivo (A.Pagani - A.Favata) 出版社 ALTIEREフランチェスコ・バンティ (vm) Francesco Banti (Philips - Phonogram) 6025-003 [45] : ディ-ノ・ドルジア-ニ (vm) Dino Drusiani(Philips - Phonogram) 6025-004 [45]
◆ セレナータ Serenata (G.Bigazzi - T.Savio - E.Polito) 出版社 PEGASO トニー・デル・モナコ (vm) Tony Del Monaco (G.Bigazzi - T.Savio - E.Polito) SRL-10・581 [45] :クラウディオ・ビルラ (vm) Claudio Villa (Cetra - Fonit Cetra) SP-1426 [45]
SRL-10・581 SP-1426 PS- 186
◆花の季節 La stagione di un fiore (S.Ruisi - L.Rossi) 出版社 TANKエミリアーナ (vf)I Emiliana (Variety – Ri Fi) FNP・NP-10148 [45] : イ・ジェンス (compl) I Gens (DET – CAM) DTP-53 [45]
最後に紹介するのはヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)が作ったグルッポITです。
出来た当初は Dischi Italia Edizioniでしたが、発展するにしたがってミッコッチが頭についたようです。まず私の書いた過去ブログの「ヴィンチェンツォ・ミコッチ」を読んでから、読み進めて頂いた方が理解しやすいと思います。第二次世界大戦後のイタリア軽音楽界を作り上げた大物プロデューサーでその影響は現在までも及ぼしています。
グルッポITがマイナー・レーベルを抱え、RCAイタリアーナがそのITの販売権をもっているという二重構造になっています。またミコッチが上司でRCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)と取り交わした約束は、弟子のエドアルド・ヴィアネッロが持っているアポロ・スタジオを使い音源を制作し、ITレーベルで販売していく、その歌手に才能が有り将来性が見込めれば、RCAイタリアーナの所属とし、強力なプロモーション活動を展開する、というものでした。
親会社も新人発掘に有利な話しで、RCAイタリアーナの70年代、80年代の礎となりました。ITの傘下にはキャット(CAT)、デルタ(DELTA)、マーク3(MARK 3)、セヴン・レコーズ(SEVEN RECORS、ヴァリアント(VALIANT)があり、それぞれがRCAイタリアーナのディストリビューションに乗って発売されています。
70〜71年に契約した若い才能はフランチェスコ・デ・グレゴリ(Francesco De Gregori)、アントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)、ジョルジョ・ロ・カッショ(Giorgio Lo Cascio)、ロザリーノ・チェラマッレ(Rosalino Cellamare)はロザリーノの芸名でサンレモ音楽祭に出場し、後にロン(Ron)と呼ばれる大歌手に成長します。
その後も新しいカンタウトゥーリのリノ・ガエターノ(Rino Gaetano)、ジャンニ・トーニ(Gianni Togni)、セルジョ・カプート(Sergio Caputo)を育て、80年代にはアマデオ・ミンギ(Amedeo Minghi)、マリオ・カステルヌオーヴォ(Mario Castelnuovo)やパオラ・トゥルチ(Paola Turc)も活躍します。
しかし親会社である米RCAビクターの業績不振により、RCAグループは87年にドイツのBMGに買取られることとなり、ミコッチはRCAから離れ、英国ヴァージンのグループに入る選択をしました。
ディーノ・ドルジアーニ (PHILIPS) グルック通りの若者 (Clan Celentano)
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。