カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモの歌手たち 406 アリーチェ (カルラ・ビッシ) 1

★アリーチェ (vf) Alice

本名カルラ・ビッシ (Carla Bissi)1954年9月26日、ボローニャの南西50kmにある中都市フォルリ(Forlì)生。歌手、カンタウトリーチェ。デビュー時は本名カルラ・ビッシを使い、75年CBS、CGD移籍後はアリーチェ・ビスコンティ(Alice Visconti)、80年EMIイタリアーナ移籍以降の芸名はアリーチェ(Alice)を使っています。

 

               CI-20357CI-20357

 

所属レコード会社:1972年~Carosello、75年~CBSCGD、80年〜 EMI Italiana、95年~WEA Italia、2003年NuN Entertainment (Edel)、09年~Arecibo

サンレモ音楽祭出場3回:1972年参加(カルラ・ビッシとして)1981年優勝、2000年9位

オフィシャルサイトhttp://www.alice-officialwebsite.com/

 

 

 幼い頃の家庭状況や家族の事は分かりませんが、1965月、10才の夏にサンレモで開かれた国際若者音楽祭レース(La locandina del Festival Internazionale dei Ragazzi) に若いカルラ・ビッシは参加しています。

 

 同郷のジガンティ(Giganti,)メンバー、ケッコ(Checco Marsella)の母ローザ・ニージからピアノと歌を習っていました。70年頃になると、地元のダンス・ホールなどで歌っていたようです。

 

 71年、サンレモ音楽祭への登竜門カストロカーロ新人コンテストにマウロ・ビリゲッティ(Mauro Brighetti)と共に優勝し、サンレモの出場資格を得ます。カストロカーロではプー(I Pooh)のヒット曲“君をこの胸に(Tanta Voglia Di Lei)”を歌いました。この年のカストロカーロは不作だったようで、後に名前が残る歌手は77年のサンレモ音楽祭に参加曲“あなたなら(E Invece Con Te)”を歌ったダニエラ・ダヴォリ(Daniela Davoli)位でした。

 

 カルラ・ビッシは教職課程の学生でしたが、カロセッロと契約が出来ました。本格的なデビューがサンレモ音楽祭と決まります。彼女は学校の友達から応援してもらうため、本名でデビューすることにしました。

 

 サンレモ音楽祭出場曲“さよならを云った心”がデビュー曲で、これはカロセッロの先輩カンタウトゥーリ、メモ・レミージ(Memo Remigi)の作で、新人女性歌手が歌うには難しい曲でした。第1日目に歌われ、上位7曲まで決勝に進出できるのですが、10番目で参加曲に終わりました。愛らしい大きな目から「フォルリの子鹿(La cerbiatta di Forli)」というニック・ネームが付けられます。

 

CI-20314 (1972 Carosello ‎– Fonit Cetra) Il Mio Cuore Se Ne Va (さよならを云った心)/Un Giorno Nuovo

CI-20314CI-20314 CI-20331CI-20331

CI-20331 (1972Carosello ‎– Fonit Cetra) La Festa Mia/Fai Tutto Tu

 

 2枚目のシングルが“La Festa Mia(私のお祭り)”でフランコ・カリファーノ(Franco Califano)作詞、マウリツィオ・ファブリツィオ(Maurizio Fabrizio)作曲のヴェネツィア国際音楽祭銀のゴンドラ出場曲でした。ヴェネツィア国際音楽祭で金のゴンドラはスター歌手のエキジビション、銀のゴンドラは若手歌手のコンクールになっており、カルラ・ビッシは72年の銀のゴンドラで優勝しました。

 

 翌73年、3枚目のシングルが発売されます。モウリーン・マクガヴァン(Maoreen McGovern)が歌った映画「ポセイドン・アドベンチャ-(The Poseidon Adventure)」の主題曲“モーニング・アフター”、B面がキャロル・キング(Carole King)の“マイ・マイ・シー・クライズ”のイタリア語カヴァーでした。すべては順調に進んでいるように思えました。

 

CI-20357 (1973Carosello ‎– Fonit Cetra) Il Giorno Dopo (The Morning After モーニング・アフター)/Vivere Un Po' Morire Un Po' (My My She Cries マイ・マイ・シー・クライズ) ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

 

 しかし不幸は突然訪れます。声に変調をきたし、一時休業せざるを得ませんでした。

 

 プー(I Pooh)のプロデューサーだったジャンカルロ・ルカリエッロ (Giancarlo Lucariello)に見出され、プーの全面バック・アップを得て75年にアリーチェ・ビスコンティ(Alice Visconti)の芸名で、CBSシュガーからイメージを一新したカンタウトリーチェとして再デビューしました。

 

 カルラ・ビッシとルカリエッロやプーを結びつけたのは何処だったのでしょうか?そのことを書いた資料はありません。私の想像ですが、おそらく彼女の成功曲 La Festa Mia”の作曲者マウリツィオ・ファブリツィオではないでしょうか。

 

 後の79年にジャンカルロ・ルカリエッロはプーを引き連れ、独立して興したパラディーゾ(Paradiso)はリカルド・フォッリ(Riccardo Fogli)、ヴィオラ・ヴァレンティーノ(Viola Valentino)、ジャンニ・トーニ(Gianni Togni)を擁し、販売権をCGDに委託しました。サルヴァトーレとマウリツィオのファブリツィオ兄弟はそのパラディーゾのアレンジ、楽団指揮の仕事を始めます。

 

CBS-69153 (19759 CBS ‎– CBS Sugar) La Mia Poca Grande Età (夢の中の少女/アリーチェ・ヴィスコンティ)

.Diciott'anni (夢見る18才)

.Mi Chiamo Alice (私はアリーチェ)

.La Mia Estate (ひと夏の感傷)

.Domani Vado Via (美しい明日)

.Pensieri Nel Sole (思い出)

.È Notte Da Un Po' (夜のヴェールに包まれて)

.Libera (きままなひととき)

.Una Casa Solo Mia (私の家)

.Sempre Tu Sempre Di Più (いつも、いつも...)

10.Una Giornata Con Mio Padre (最愛の人)

11.Io Voglio Vivere (希望に燃えて)

CBS-69153CBS-69153 3517(CBS)3517(CBS)

3517(CBS) (19759 CBS ‎– CBS Sugar) Io Voglio Vivere (希望に燃えて)/Sempre Tu Sempre Di Più (いつも、いつも...)

 

 アルバム「夢の中の少女」からシングル・カットされた“希望に燃えて”はヒット・ランクに入らなかったものの、3年後の78年フランスのジェラール・ルノルマン(Gérard Lenorman)が“L'Enfant Des Cathédrales”としてフランス語カヴァー曲をヒットさせました。また82年リカルド・フォッリ(Riccardo Fogli)もアルバム「ふたりの世界(Compagnia」でこの曲をカヴァーしています。

 

 CBSで2枚目のシングル“ピッコラ・アニマ”は79年にレコード・バザール(廉価盤シリーズ)の編集ベスト盤に収録され、日本では89年『キング(ネクサス/クライム)プログレッシヴ・ロック・キャンペ-ン特典盤』(未発売試聴盤)のシート盤(Flex)の1枚として出ています。

                                                                                                                                                  

4618(CBS) (1976 CBS ‎– CBS Sugar) Piccola Anima (ピッコラ・アニマ)/Mondo A Matita

4618(CBS)4618(CBS) 5224(CBS)5224(CBS)

5224(CBS) (19775 CBS ‎– CBS Sugar) Un' Isola ()/Alberi (ふるえる樹々)

 

 77年シングル盤“島”/“ふるえる樹々”1枚だけを出しました。これは翌78年に出した彼女のセカンド・アルバム「やすらぎの少女」に収録されます。この年、プーやマルチェラ、ウンベルト・トッツィ等看板スターを連れてCBSディスキとしてCGDから分離独立し、この事でアリーチェも78年1月に出すセカンド・アルバムからCGDレーベルに変更されます。

 

 セカンド・アルバム「やすらぎの少女」は前作のようにプーがバックにつくのではなく、彼女自身が弾くピアノをバックに展開されます。この盤からマネージメントにアンジェロ・カルラーラが付き、アルバムと同時に“そして、やすらぎ”/“美しき花のように”がシングル・カットされました。CGDでの新譜はこれが最後となります。

 

CGD-20040 (19781 CGD ‎– CGD Messaggerie Musicali) Cosa Resta...Un Fiore (やすらぎの少女)

.Un Fiore (美しき花のように)

.Un' Isola ()

.Una Mia Semplice Storia (私の物語)

.Chi Mi Aprezza E Chi Disprezza (不安な心)

.Io Voglio Vivere (希望に燃えて)

.Senza L'Amore (愛がなくても)

.Alberi (ふるえる樹々)

.Cose (想い)

.E Respiro (そして、やすらぎ)

10.Mondo A Matita (やさしき世界)

CGD-20040CGD-20040  CGD-10052CGD-10052

CGD-10052 (19781CGD ‎– CGD Messaggerie Musicali) E Respiro (そして、やすらぎ)/Un Fiore (美しき花のように)

RB-229 (1979 Record Bazaar ‎– CGD Messaggerie Musicali) Mi chiamo Alice

.Mi Chiamo Alice (私はアリーチェ)

.La Mia Estate (ひと夏の感傷)

.Domani Vado Via (美しい明日)

.Sempre Tu Sempre Di Più (いつも、いつも...)

.Io Voglio Vivere (希望に燃えて)

.Un' Isola ()

.Piccola Anima (ピッコラ・アニマ)

.Un Fiore (美しき花のように)

....E Respiro (そして、やすらぎ)

10.Mondo A Matita
                                      RB-229RB-229 
 

 79年、廉価盤レコード・バザールで編集ベスト盤「Mi chiamo Alice」が出ました。

 

 同年、彼女を再発見したルカリエッロはプーを引き連れ、独立して興したパラディーゾ(Paradiso)の販売権をCGDに委ねて戻ってきますが、アリーチェはこの一連のゴタゴタで2年近い空白期間の後に、セカンド・アルバムに関わったカルラーラを通して知り合ったフランコ・バッティアート(Franco Battiato)の所属するEMIイタリアーナに移籍します。

 

 

アリーチェ (カルラ・ビッシ) の国内盤

GP-  80 (19726 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP第22回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1972)

12.さよならを云った心 (IL MIO CUORE SE NE VA)

 

                               GP-  80GP- 80

 

 

 

(ご参考)ジェラール・ルノルマンのカヴァー曲

T-17250 (1978 Warner Bros. Records ‎– WEA Italiana) L'Enfant Des Cathédrales (Io Voglio Vivere)/

Lilas

 

T-17250T-17250  49-32849-328

 

49-328 (1978Carrere - Carrere, France) L'Enfant Des Cathédrales (Io Voglio Vivere)/

Monsieur Le Grand Patron Du Chapiteau Du Monde

 

 

 

アリーチェ 2 は1981年サンレモ音楽祭の後に続きます
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