カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモに出なかった歌手達 49 歌う映画女優、カトリーヌ・スパーク 1

 2年前のようにまた50年代、60年代の歌手で『サンレモ音楽祭に出なかった歌手』をご紹介していきましょう。まずはカトリーヌ・スパークと映画女優で彼女たちが歌った曲が国内盤で出たものを書いていきます。2年前はソフィア・ローレン(Sophia Loren)アリダ・ケッリ(Alida Chelli)でしたが、その続編のようなものです。

 

カトリーヌ・スパーク (vf) Catherine Spaak

194543日フランスのブローニュ = ビヤンクール(Boulogne-Billancourt)生、フランス国籍からイタリア国籍に帰化しフランス系イタリア人、女優、歌手、ダンサー、TV司会者。

 

                      SRL-10280SRL-10・280

               

活動期間1960 現在             

所属レコード会社:Ricordi, DET(CAM), CGD ,Warner Bros( WEA Italiana)

サンレモ音楽祭出場0

公式ブログhttp://catherinespaak.blogspot.jp/

 

 

 スパーク家はベルギー出身で、一族からは政治家や芸術家を出しています。母は女優のクローディ・クレーヴ(Claudie Clèves)、父シャルル・スパーク(Charles Spaak)や祖父は脚本家、妹のアニュス(Agnès)も後に女優、写真モデルになります。祖母はベルギー初の上院議員、首相を三度務めた伯父のポール=アンリ・スパーク(Paul-Henri Spaak)を筆頭に政治家一族として知られています。

 

 13才の時イタリアのアルベルト・ラットゥアーダ監督の目に留まり、映画「芽ばえ(Guendalina,)」の主演候補になりましたが父シャルルの猛反対で実現せず、ジャクリーヌ・ササール(Jacqueline Sassard)が主演となりました。

 1960年14才でフランスの映画監督ジャック・ベッケル (Jacques Becker)監督の映画「穴(Le Trou)」に端役で出演しました。諦めきれないラットゥアーダは映画製作者カルロ・ポンティ(Carlo Ponti)とその恋人ソフィア・ローレン(Sophia Loren)の力も借り、父シャルルを説き伏せ、ラットゥアーダ監督をする大胆な十代の少女が主役の映画「十七歳よさようなら(I Dolci Inganni)」でイタリア・デビューさせました。

 映画の主題歌は当時大ヒットしたウンベルト・ビンディ(Umberto Bindi)の「アリヴェデルチ(ARRIVEDERCI)」が使われ、この曲も当時は映画のタイトルと同じ「十七歳よさようなら」として紹介されました。

 

IS-1014 (19613 1KING INTERNATIONAL - キング) 17歳よさようなら (ARRIVEDERCI)/ いとしい人よさようなら (AUF WIEDERSEHEN MI VIDA) カテリーナ・ヴィラルバ (Caterina Villalba)

                 IS-1014IS-1014 

 

 この映画の成功で、60年代にアメリカで量産されたヴァカンス・シーズンに海辺で繰り広げられる他愛もない青春コメディ映画を「ビーチ・パーティー」物と呼ばれますが、同様の映画がカトリーヌ・スパーク主演で作られます。

 

 62年、RCAイタリアーナの人気歌手が協力する「ビーチ・パーティー」物の映画「太陽の下の18才(Diciottenni al sole)」が公開されます。

 

CP-1075 (19637 VICTOR - 日本ビクター) CP 太陽の下の18才 (DICIOTTENNI AL SOLE)

.太陽の下の18才 (TWIST No.9) [ジミ-・フォンタナ (Jimmy Fontana)]

.私のニコル (NICOLE) [ジャンニ・メッチア (Gianni Meccia) と ジミ-・フォンタナ (Jimmy Fontana)]

.サンライト・ツィスト (GO-KART TWIST) [ジャンニ・モランディ (Gianni Morandi,]

.すてきなドンナ (DONNA DA MORIRE) [トニ-・デル・モナコ (Tony Del Monaco)]

                 CP-1075CP-1075

 

 さらにスパークの小悪魔的魅力を十分に生かした映画が作られます。音楽はエンニオ・モリコーネ担当の映画「狂ったバカンス(La Voglia matta)」です。主演ウーゴ・トニャッツィ(Ugo Tognazzi)で中年男が海辺のバンガローにたむろする若者たちの金づるにされ、その中のスパークが演じる少女に心を奪われ翻弄されるという哀愁ドラマでした。

 日本ではトニー・デル・モナコの“狂ったバカンス (あなたの季節)”とB面の“ジャンプ・アップ”が発売されました。この映画の中でジーノ・パオーリの“サッシ”も使われ、スパーク自身が劇中でギター“Chanson D’Etè”の弾き語りをしていました。

 

SS-1353 (19638 VICTOR - 日本ビクター) 狂ったバカンス (あなたの季節) (LA TUA STAGIONE)/ジャンプ・アップ (VIVA IL JUMP UP) トニー・デル・モナコ (Tony Del Monaco)/フリッパーズ (I Flippers)

SS-1353SS-1353  WB-20WB-20

WB-20 (1961510WARNER Bros. - ニッチク) アル・ディ・ラ (AL DI LA')/サッシ(SASSI) エミリオ・ペリコ-リ (Emilio Pericoli)/ジーノ・パオーリ(Gino Paoli)

 

 映画で見かけるように歌うことが好きだったスパークはレコード・デビューすることになります。「太陽の下の18才」などの音楽担当だったエンニオ・モリコーネがバック・アップし、リコルディで新進気鋭のカンタウトゥーリ、ジーノ・パオーリが作った「ペルドーノ」を歌ってリコルディから歌手デビューをします。

 

SRL-10280 (1962 Ricordi - Dischi Ricordi) Perdono (ペルドーノ)/Tu Ed Io ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照

 

 デビュー曲“ペルドーノ”は62年年間ヒット・ランク90位に入りました。彼女は本職の歌手でなく、小さな声で呟くような歌い方、しかも人前では嫌で長らく歌うことはなかったようです。彼女の歌を聞いて関係者はあることに気づきます。

 

 次の映画はイタリアで12月5日公開の「追い越し野郎 (Il sorpasso)」でした。ヴィットリオ・ガスマン(Vittorio Gassman) 演じるスピード狂ブルーノとその友人ロベルトを演じるジャン・ルイ・トランティニャン(Jean-Louis Trintignant)の人生コメディ。スパークはブルーノが別居中の娘役。音楽はリズ・オルトラーニ(Riz Ortolani)。テーマ曲はペピーノ・ディ・カプリの“恋のサントロペ”が使われました。

 

IPS-1003 (1964CARISCH. - コダマプレス) 恋のサントロペ (St. TROPEZ TWIST)/あの歌を歌わないで (わが傷心の唄) (DON'T PLAY THAT SONG) ペピーノ・ディ・カプリ (Peppino Di Capri)

                            IPS-1003IPS-1003 

 

 62年カトリーヌ・スパークの“ペルドーノ”のヒットは経営難に陥っていたリコルディにとって救いでした。スパークはフランスでその年の10月末に彗星のごとく突然注目を浴びたフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)の頼りなげな歌い方に似ていたのです。もちろん二人ともフランス人なので似た所があるかもしれません。早速アルディのカヴァーを歌わせます。

 

 アルディのデビュー曲“オ-・オ-・シェリ-(愛しの君 Oh oh chériが入った初めてのEPにもある” 男の子と女の子(Tous Les Garçons Et Les Filles)“と” J'Ai Jeté Mon Coeur “の2曲をカヴァーしたシングル盤を出しました。オリジナルのアルディの” 男の子と女の子“は63年年間ヒット・ランク第2位のメガヒット、スパークのカヴァーも健闘し同26位の大ヒットとなりました。

 
SRL-10323 (1963 Ricordi - Dischi Ricordi) Quelli Della Mia Età (Tous Les Garçons Et Les Filles) (若い世代) (男の子と女の子 []) /Ho Scherzato Con Il Cuore (J'Ai Jeté Mon Coeur {I}) (心のたわむれ)

 SRL-10323SRL-10・32 SRL-10328SRL-10・328

SRL-10328 (1963 Ricordi - Dischi Ricordi) Prima Di Te Dopo Di Te (恋する想い)/Noi Due (しあわせの二人)

 

 3枚目のシングルはオリジナル曲の“恋する想い”で軽快でいかにもアイドル女優向きの曲、63年年間ヒット・ランク50位になりました。

 

 4枚目もアイドル向けの2曲、B面に入っていた“若草の恋”の方がヒットし、64年年間ヒット・ランク71位になり、日本でもこの曲が一番ヒットしスパークの代表作となりました。カヴァー・スリーブも2種類作られたようです。

 

SRL-10335 (1963 Ricordi - Dischi Ricordi) Tu Ridi Di Me (キッスはだめ)/Mes Amis, Mes Copains (若草の恋)

            SRL-10・335a SRL-10335 SRL-10・335b  

 

 (多分年末に)新曲を集めた初めての4曲入りEPが出ています。

 

ERL-210 (1963 Dischi Ricordi) EP Prima Di Te Dopo Di Te (恋する想い) /Penso A Te (あなたを想って)/Mes Amis, Mes Copains (若草の恋)/Tu Ridi Di Me (キッスはだめ)

                             ERL-210ERL-210

 

 63年、映画出演は4本ですが、本邦公開はダミアーノ・ダミアーニ監督がイタリア的倦怠感を描いた「禁じられた抱擁 (La Noia)」の1本だけです。広告用スチールがベッドに裸で横たわるスパークの体に(当時有名なデカ・サイズの)1万リラ紙幣が並べられるという衝撃的なものでした。

 音楽はルイス・エンリケス・バカロフ、テーマ曲はイタリアで一番人気のあったリタ・パヴォーネが歌いました。

 

SS-1478 (196410 VICTOR - 日本ビクター) 禁じられた抱擁 (CHE M'IMPORTA DEL MONDO)/天使のハンマ-[伊] (DATEMI UN MARTELLO) (IF I HAD A HAMMER [I]) リタ・パヴォーネ (Rita Pavone)

                  SS-1478SS-1478

 

 この年に映画「太陽の下の18歳」や「狂ったバカンス」と共演した俳優のファブリツィオ・カプッチ(Fabrizio Capucci)と結婚します。カトリーヌは18才、ファブリツィオは29才、2人には舞台女優になるサブリナ(Sabrina)が生まれますがジョニー・ドレルリ(Johnny Dorelli)との恋愛の末、71年に離婚、映画さながらの私生活を送ります。

 

 

 

カトリーヌ・スパークの国内盤は次回からです

 

 

歌う映画女優、カトリーヌ・スパーク 2 は次に続きます

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