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カンツォーネ

カンツォーネ、イタリアン・ポップスの、“出来れば”知られざる話を致しましょう。

 
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サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)71 1976年-2

 何かと揉め事の多いサンレモ音楽祭ですが、26回は総合司会者で右往左往したようです。司会者陣を見ていただければわかるようにジャンカルロ・ガルダバッシに女性アシスタントが6人も就く豪華さ(異常さ)!

 去年のショボい舞台を知っている芸術監督ヴィットリオ・サルヴェッティは豪華な外人歌手を含むゲストを呼びました。そのゲストに対抗できる大物総合司会者として、サンレモの看板、ミスター・ヴォラーレ、ドメニコ・モドゥーニョ(Domenico Modugno)に決めたのですが、開催3日前のドタキャンをされてしまいます。モドゥーニョのための豪華女性司会者はそのままで、元歌手のガルダバッシが代役に立ちました。

 

              Albatros       Gloriana     

                  アルバトロス (Carosello)               グロリア- (Bella Record)

 

 第26回はセクシー音楽祭、ポルノ・フェスティヴァルとも言われました。ペピーノ・ディ・カプの優勝曲“ふたりだけの秘密”はガール・フレンドが恋人の前でストリップの真似事をし、恥ずかしくなり「Non Lo Faccio Più (もうこれ以上しない)」と言う歌で、ある報道では出場30曲中17曲に性的表現があるとしています。イタリア(国営放送RAI)には厳しい検閲がありこれまでにも多くの曲が修正をさせられました。

 

 1959年第9回で4位になったユーラ・デ・パルマ(Jula De Palma)の歌った“あなた(TUA)”は大ヒットしたのですが、RAIから男女関係を連想させる余りにも「官能的」過ぎる歌とされ、十年間国営放送RAIに出られませんでした。当時放送局はRAIしかなく、放送に出られないことは歌手にとって刑務所に入れられると同様な仕打ちでした。

 

 批判も上がる中、性的表現というには厳密過ぎる点もありますが、検閲を跳ねのける状況も芽生えてきたようでした。

 

第26回 1975年2月19日()~21日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:ジャンカルロ・ガルダバッシ(Giancarlo Guardabassi);セレーナ・アルバーノ(Serena Albano);マッダレーナ・ガッリアーニ(Maddalena Galliani);ステッラ・ルーナ(Stella Luna);ロレーナ・ロゼッタ・ナルドゥッリ(Lorena Rosetta Nardulli);ティツィアナ・ピーニ(Tiziana Pini);カルラ・ストラーノ・パヴェーゼ(Karla Strano Pavese)
楽団指揮:リッカルド・ヴァンテッリーニ(Riccardo Vantellini)

再演奏音楽家:エンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi) 楽団、ブルーノ・マルティーノ(Bruno Martino), グラウコ・マセッティ楽団(Glauco Masetti)、エリー・ネーリ楽団(Ely Neri.)
オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune di Sanremo)

芸術監督:ヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)

[]は外人歌手数

CBS Sugar [0] CBS4[]Derby 1[] Splash 1[] ; Smash[]Libra[0]

Dischi Ricordi [0] Ricordi 3[]);Carosello 1[]Real Music [] ; Disco Più [0])

RCA Italiana [1] (RCA 4[1]Hello 1[]FMA[])

Fonit Cetra 2[]

Phonogram [0] (Polydor[]Philips 1[0])

EMI Italiana []

Durium []

Ariston []

Phonotype (Bella Record) []

 

 

                 Nuova Gente            Strana Societa      

                 ヌオ-ヴァ・ジェンテ (FMA)         ストラ-ナ・ソチェタ (Durium) 

 

  放送は予選第1夜、第2夜はラジオ放送しかなくTV中継があったのは決勝の最終夜のみでした。決勝戦はユーロヴィジョンの国際中継されますが、イタリア国内は白黒画像でしかも放送事故が多発したようです。一方ユーロヴィジョン中継国にはカラー映像が流されました。イタリア国内のカラー放送は翌77年からになります。

 

 また象徴だったカジノ付属劇場での開催は第26回で終り、翌77年から広いアリスン劇場に変更されます。カジノ付属劇場は狭く、舞台に楽器を持込むバンドが増え、歌手の入換えにも時間がかかり、またバック・コーラスやバック・ダンサーの使用も制限され、番組構成上も制約が大きく使い辛くなっていたようです。

 

 開催日程も3月までずれ込んでいましたが2月中旬に戻し、ロミナ・パワーは予選落ちしましたが4月開催のユーロヴィジ・ソング・コンテストのイタリア代表にアル・バーノ&ロミナ・パワーとする発表を早々としました。

 

 

 <入賞曲> 

 11位 オ-マルOmar (Luciano Beretta - Mario Battaini) 出版社 KARMA <16>オリエッタ・ベルティ (vf) Orietta Berti (Polydor – Phonogram2060-115 [45]

 

 2060-1152060-115 LdA-7911Ld・A-7911  

 

 12位 二人で行こう Andiamo Via (Luigi Albertelli - Corrado Conti - Franco Cassano) 出版社 DURIUM <11> ストラーナ・ソチェタ (compl) La Strana Società (Durium – DuriumLdA-7911 [45]

 

 

 13位 二つの物語 Due Storie Dei Musicanti (Sergio Bardotti - Luis Enriquez Bacalov) 出版社 USIGNOLO <10> リッキとポ-ヴェリ (coro) Ricchi e Poveri (Cetra – Fonit CetraSP-1606 [45]

 

 

SP-1606SP-1606  SM-6008SM-6006 

 

14位 暁に消えて Piccola Donna Addio (Enzo Stavolo - Franco Zulian) 出版社SUGAR <9> パトリツィオ・サンドレッリ (vm) Patrizio Sandrelli Smash CBS SugarSM-6008 [45]

 

 

15位 海にいた時 Quando C'Era Il Mare (Sergio Endrigo) 出版社 JUBAL - NOAH'S ARK <6> セルジョ・エンドリゴ (vm) Sergio Endrigo Ricordi Dischi RicordiSRL-10793 [45]

 

SRL-10793SRL-10・793  REAN-14001REAN-14001 

 

15位 火遊び Signora Tu (Pier Michele Bozzetti -Graziano Pegoraro)出版社 REAL Mus. <6> ミコ {ドン・ミコ} (vm) Miko (Don Miko) Real Music Dischi RicordiREAN-14001 [45]

 

 

17魂を探せ Cercati Un'Anima Oscar Avogadro -Daniele Pace - Donato Ciletti - Claudio Cavallaro) 出版社 SIAE <5> プロフェ-ティ (compl) I Profeti CBS CBS Sugar4041(CBS) [45]

 

4041(CBS)4041(CBS)  ZFM-5O403ZFM-5O403 

 

18位 恋の不安 Che Sarei (Pippo Landro - Ettore Cardullo) 出版社 FMA - RCA <3> ヌオーヴァ・ジェンテ (compl) La Nuova Gente FMA RCA ItalianaZFM-5O403 [45]

 

 

<参加曲>

◆貧しき者の歌 La Canzone Dei Poveri Raffaele Mallozzi - Nunzio Gallo) 出版社PICCOLA VELAグロリア- (vf) Gloriana Bella Record - PhonotypeBR-178 [45]

 

BR-178BR-178  DBR- 4039DBR- 4039 

◆愛の廃家 Una Casa Senza Nome Daniele Pace - Mario Panzeri - Lorenzo Pilat) 出版社 SIAE ウンベルト・ルーピ (vm) Umberto Lupi Derby CBS SugarDBR- 4039 [45]

 

 

 

残りの参加曲は次回に続きます

 

 

     Antonio Buonomo         Umberto Lupi        Ezio Picciotta  

    アントニオ・ブオノーモ (Hello)     ウンベルト・ル-ピ (Derby)  エツィオ・ピチョッタ (RCA Italiana)

  

 

 ディスコ・ピュ(Disco Più)は1976 年にミラノに設立されました。設立当初にダリダ(Dalida)のイタリア語曲の権利を取り、レコード会社経営に成功しました。ディストリビューションは設立後76年リコルディに委託しましたが、77年以降はCGDに変更されました。

 ディスコ・ミュージックを主力にしたことが成功し、後にDVモアも傘下に収めて現在も活動を続けています。

                                           Disco Più

                 

 

 

 FMAは1975年に自作自演歌手、音楽プロデューサー、シンセサイザー演奏家フェデリコ・モンティ・アルドゥイーニ(Federico Monti Arduini)が設立しました。

                                    FMA

            

 

 1961年自作自演歌手演奏家フェデリコ・モンティ・アルドゥイーニとしてブルー・ベルからデビューしました。ブルーベル(Bluebell Records)はベルディスク(Belldisc)プロドットリ・アソシアーティ(Produttori Associati)と社名が変わっていきます。歌手として数枚のシングル盤を出しましたが、彼はプロデューサー、作・編曲家のアルフェモ(Arfemo)としての腕を買われてブルー・ベルで働いたようです。

 

 その後クリフ・リチャード(Cliff Richard)に“オール・マイ・ラヴ(All My Love)”を提供、またジョルジョ・ガーベル(Giorgio Gaber)に歌詞を提供しています。

 

 72年彼はリコルディのポピュラー部門のジェネラル・ディレクターに就任し、約15年間在籍、また同年から75年までポリドールの副ジェネラル・ディレクターと芸術監督も務めていました。そして73年サンレモ音楽祭でウェスとドリ・ゲッツィの出場曲“二つの恋と一つの涙 (Tu Nella Mia Vita)”を提供し6位入賞、73年年間ヒット・ランク25位の大ヒットになりました。

 

 一方ムーグ・シンセサイザー演奏家のイル・グァルディア-ノ・デル・ファ-ロ(Il Guardiano del Faro) としてリコルディからデビューし、ポリドール、RCAイタリアーナ、FMA、フォニット・チェトラなどレコード会社を渡り歩きヒットを出していきます。

 

 ポリドールの職を離れた後、初めて自分のレコード会社を立ち上げました。名称は自分の名前の頭文字を取って FMAにしました。直ぐに翌76年ヌオーヴァ・ジェンテ(La Nuova Gente)をサンレモ音楽祭に出場させ、“恋の不安(Che Sarei)”で入賞させました。しかし独立レコード会社として存在したのは76年の1年間だけで、その後はプロダクション、版権管理会社として大手レコード会社の傘下でレコード原盤制作を続けました。

(フェデリコ・モンティ・アルドゥイーニの事は機会があればまた書きたいと思います)

 

 

 

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1975年は次回に続きます

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。

・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。

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